休暇で帰国していました | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。


しばらくお休みしていましたが、今回は日本で感じたことを書いて、5月から通常の内容でまた復活します。


こんにちはガリッポです。

休暇で日本に帰っていました。
今回はチェロの修理があって、飛行機のチケットが決まっているのでそれまでに弾ける状態にしておかなければまずいことになってしまうということで集中していました。その間コメントをいただいた方にはそっけない対応で申し訳ありません。

チェロの仕事に関して学んだことは「つべこべ言わずに働け」というものです。とにかくチェロの仕事は作業の量が多いのに簡略化すれば仕事の質が落ちます。実際そのように作られたり、いい加減なメンテナンスで売られている中古楽器も多いです。

私も何もかもをうまくできるような完璧な人間ではないです。
自分にできることが何かと考えると目の前の楽器に集中して作業していくことです。

皆さんにとっては楽器の演奏や弦楽器自体についても趣味のように楽しんでいる方も多いと思いますが、私は趣味らしい趣味がずっと無いです。今回は日本の実家に作業スペースを作るためにDIYに挑戦しました。DIYの木工は初心者です。
板や角材を買ってきて電動ドライバードリルで木ネジを留めます。

木材は私がいつも使っているものと違い新しい材木の製材されたものをそのまま使うため直線や平面とは程遠いものです。したがって力を入れて角材を引っ張りながらクランプで固定して下穴をあけてねじを入れていきました。コントラバスの修理以外でこんないい加減な仕事をしたのは初めてです。普通の初心者はそんなこともしないでいきなりねじを打ち込んで割れたり位置がずれてしまったりするのでしょうけども…。

仕事ではのこぎりで切るときも大きめに切ってからノミやカンナでピッタリに合わせていくものですが、一発で線のところを切りましたがあまりにも正確にのこぎりで切ることができて触っても段差が全く無かったです。いつも慎重にやりすぎなんだと気付かされました。初めてのDIYでミスが一つもなかったですが、本来木工は失敗して学んでいくものです。

木工はやりたいと思っているのですが、仕事の感覚だと手間がかかりすぎて労力を使いすぎてしまいます。今回やってみてこんなに簡単なら面白いなと思いました。


出国の飛行機でアメリカのドキュメンタリー番組を見ていました。
若い起業家の奮闘を描いたものでした。
アメリカは祖国を捨てて何の保証もないところにやってきた人たちの集まりですから遺伝的にも性格に特徴があるんじゃないかとも思います。製品の製造やシステムの構築をしているわけですが「必要なこと」をやっていくとチャンスが出てくるのかなという印象を受けました。机で向き合ってお互いにアップルのノートパソコン越しに話し合っている姿を見るとそれをカッコいいと思う人もいるのかもしれませんが私には何をしているのかチンプンカンプンでした。

自分にできることは何なんだろうかと思いました。

チェロの仕事に関して重要なのはどうしたら安くできるかという点です。
効率を高めるしかないわけですが、仕事を楽しむことで人生の効率は高まると思います。今回の修理でも朝から晩まで作業をしている姿をはじめて両親に見せることになりましたが、20年近くずっとやっていることです。ヴァイオリン製作学校で学んだ同級生もどんどん生活が変わっている中私だけがずっと同じです。

そうなるとさすがに営業マンのようなその場しのぎのセールストークと違って技術的な裏付けによって知識は圧倒的な差になります。気が付くと専門知識も木工技能も高くなっているのでした。

でも私は職人気質で謙虚に考えてしまいます。
ディスカッションやプレゼンテーションしている起業家のようにはなれません。
もっといい仕事をしたいという思いが強いので、自分の現状を優れたものだとアピールするのは気が引けてしまいます。

それも仏教で言うところの悟りのようなもので、(仏教のことはよくわかりませんけども)邪心は捨てて今の自分でもできることをつべこべ言わずにやっていく必要があるなという結論ですね。向上心は悪い事ではないので否定するのは難しいものです。しかし「いつかの自分」ではなく「今の自分」で働くことが悟りじゃないかなと勝手に解釈しています。

自分の持ち味が一番発揮されることに労力を集中させることですから、パソコン越しにディスカッションする必要もないと思います。

マイノリティー?


ドキュメンタリー番組ではアメリカらしく女性や黒人というようなマイノリティーの人たちに活躍の場をもたらそうとシステムを考えているような人達も紹介されていました。利益を追求するならマジョリティーのほうが市場規模が大きくてチャンスも大きいと思います。

私は子供時代がバブル経済と言われる時期でした。
青春と言われる時期はずっと不況、不況と言われ続けていました。

日本で経済が絶頂期にあったとき、当時のソビエトは崩壊の寸前でした。子供ながらにお店に品物が無くて厳しい生活をしているソビエトの人達のニュースを見ていました。そんなこともあってか自分の好きなものが買えるということがすごく幸せなことだという考えが根底にあります。

バブルのころは高級品でも価値をよくわかっていない人たちにも珍しいものが喜ばれて飛ぶように売れたようです。今回は靴が壊れてしまったので急遽日本で買うことになりましたがこのジャンルはこのメーカーという風にしか店頭に商品がありません。他のメーカーだって靴製造の技術があるわけですから、もちろん同じようなものを作ることができるのです。よく日本は欧米のマネばかりと言われていたころがありましたが、欧米でもヒット商品が出れば他のメーカーが同じようなものを作ります。しかし日本だけで情報を得ているとそのメーカーにしかそのようなものを作れないと錯覚してしまいます。

アメリカやヨーロッパになると市場規模が大きいので参入するメーカーが多くなります。ヨーロッパは趣味趣向が近いので単一の市場と見ることもできます。古代や中世からずっとそうでリスボンからモスクワまで芸術や文化はもちろん身の回りのものにも共通性があります。
そうなると同じジャンルでもメーカーごとに持ち味があって微妙に違うと自分にぴったりのものが選べます。


当然弦楽器の話に移るわけですが、私のこのような考えに対して日本の現状はより厳しくなっているようです。経済力が落ちてくれば私が紹介しているような「安くて品質や音の良い楽器」を売るべきだと考えるでしょう。しかしながら楽器店の業績が振るわなければ「より利益の高い商品」を売ることになっていくようです。つまり入手が容易で安く買えるものをできるだけ高く売るということです。こうして楽器店の収益の改善をめざすことでしょう。
私は大学でマーケティングについても勉強しました。「消費者のニーズに応える」という言い古された言葉ですが製造者はそれでも自分の都合を押し付けることが後を絶たないので常に価値を失わない言葉でもあります。

しかしながら私は講義を聞きながらも「専門家の役割ってなんなんだろう?」と疑問を感じていました。消費者はその道の専門家ではありませんから右も左も分からないわけです。分からない人が選ぶものを売るというのがおかしいです。楽器の購入には教授や教師の影響が圧倒的なため演奏する本人はないがしろにしてでも日本ではそちらに営業をかけてきたようです。日本の弦楽器業界特有の問題は「先生の言うことが正しい」となってしまっていることです。

こちらでは教師は音楽の専門家であっても楽器の専門家ではありません。専門家と専門家がうまく知恵を寄せ合うことによって社会はうまく機能します。それぞれが自分の専門領域を極めて協力することがチームワークです。チームワークと言ってもみんなで同じことをするのでは高めあうことはできません。日本の消費者は「一流品」を強く求めますが、チームワークが一流でない国で信じられている知識なんて低レベルのものです。

しかし日本では教師に楽器を売ってもらうことが楽器店の売り上げにつながるので、教師の機嫌を損ねないことが楽器を販売するうえで最も重要なことになります。教師は「自分は楽器の良し悪しが分かる」と自惚れ得意げになっています。プロから見ればそのような知識は浅いものですが、そんなことを指摘しようものなら機嫌を損ねてしまうでしょう。私もヴァイオリンの相場やオークションのカタログを見ていると名前を知らない作者が山ほどあります。私なんか何も知らない方ですが教師なんてその何十分の一も知りません。知らないから全知全能感を持ているんですけども。
楽器なんてただの道具にすぎないのですから、使い手の好みによって求めるものも違うはずです。教師も恩師から教わった考えを絶対的なものとして信じてしまいますが、古い知識の間違いを指摘されることもないのです。

間違った考えを信じている教師の求めるものが消費者のニーズです。もっと言えば俗に言うリベートのほうを求めている教師もいるかもしれません。

間違った知識を信じてしまう根源は先入観という思い込みです。
楽器職人はそれぞれ音が良い楽器を作るために皆全力を挙げていてその中でも特定の人だけが格段に音が良いものを作れると思い込んでいます。それが公平に評価され値段に反映されていると思い込んでいます。しかし実際に楽器を作る作業はとてもめんどくさいもので最後までちゃんと作られていないものが多くあります。そのような人がどの流派にもたくさんいて代々受け継がれていく中に必ず入っているのです。そのような人はひどい悪人ではなく、むしろ常識的な立派な人で話してみると好感が持て信用できるような人で多くの弟子を養成するかもしれません。きちんと仕事をする職人は一般の社会から見ると変わった人です。

よく職人は無口だと言いますが、職人にもいろいろな人がいます。
勤め先にはおしゃべりなおじさんが出入りしていることでうるさくてたまりません。実家の一人部屋で作業していたら天国のように気持ちよく仕事に集中でき疲労感もずっと少ないです。
日本の楽器店に勤める職人に「職場は静かかうるさいか?」と話を聞いたところ、ある女性の職人がいたころはうるさかったと言っていました。一人のせいで職場の空気が一変していくのです。
一方腕の良い師匠のところで修業していたときは職場は無言で静かだったと言っていました。私が弟子をとってもそうなるでしょう。私が社長で立場が逆ならうるさいおじさんの出入りなんて認めません。

でも一般的には腕の良い職人のほうが無口で変わっている部類に入るでしょう。
そういうことです。

同じ苗字であっても息子の代になるととんでもなく質が落ちる作者もたくさんいます。息子は常識人だっただけです。


古今東西のあらゆる職人の楽器の音の良さを公正に評価して値段に反映させる機関は存在しません。
私が楽器の音の評価なんてものはこの世に無いと言っているのになかなか理解してもらえません。私の知っている職人でしかるべき機関から評価を受けた人なんていません。そもそも弾く人によって音が違い、音楽家ごとに好みが違うので客観的な評価なんてやりようがありません。製作コンクールでも名もなき戦前の楽器と比べたらどうでしょうか?
このことは後述します。


また現代の大きな会社なら製品の試作品をいくつも作ってその中から良さそうなものを製品として大量生産します。職人の世界は中小零細企業なのでそのような考え方を理解している人は少ない上に弦楽器はできてみないと音が分からないのに数か月作るのにかかります。陶芸家でイメージするようにたくさん作って出来の悪いものは叩き壊すみたいなことはできません。ちゃんと修行した人は「師匠に教わった正しい作り方」で作っているので自分は正しいと信じるしかありません。独学のような人は何の根拠もなく自分の作るものは最高だと信じています。何がどうなって音の違いになっているのかわからないので作者が意図的に音を作っていないものがほとんどです。

そういうものだということを知らないので消費者が先入観から持ったイメージに合うものが求められるのです。



このようにしてきた日本の弦楽器業界ではアクの強いワンマン社長の会社も多いので過去の成功体験にとらわれこれまでのやり方をより強化していくことで業績を維持していこうとなっているのでしょう。

それを変えるのは私たちです。
専門家としてするべきことは相手の無知を利用して利益を上げることではなく、知られていない魅力を紹介することだと思います。その上で選ぶのは消費者の自由です。
職人も思い込みの激しい人が多いので、自分の思いばかり語るのではなくて謙虚さと客観性を持って使う人の感じる事を尊重することが必要です。


古臭い知識を持った教師たちの教えに疑問を持つ人もいるでしょう。もちろんそれは教師の中にもいると思います。マイノリティーとして抑圧されているモヤモヤな思いを秘めている人もいるでしょう。

弦楽器の音?

外国ではストラディバリなどのオールドの名器を詳しく紹介してある本が出版されています。イギリスの『The Strad』という雑誌も有名です。しかしそれらを読んでもどんな音がするかについては書いてありません。弦楽器の業界では音について記述することはタブーなのです。
音について書かないことは読者にとっては不満が残るところなのですが、広告主の業者に都合が悪いだけでなく、音について書いてしまうことの危険性を危惧してのことだろうと思います。

「ストラディバリはこういう音」ということを書いてしまえばその言葉が独り歩きするでしょう。自分で体験して感じる以外に音を知る方法は無いのです。

これは弦楽器に限らずあらゆる製品の良し悪しについて言えることです。高度な専門職に使う道具なら、その経験も腕前や財産のうちになります。今回の帰国で私は10年以上前に日本のホームセンターで買った木彫ノミと同じ製品を買いました。これはプロの職人が使うような高価なものではありません。見た目も安っぽくて1500円くらいのものです。これは刃物を研いで使うことができないような初級者や学校教育向けに切れ味が持続するように作られています。買ってすぐの状態ではプロが使えるようなレベルの切れ味ではありません。しかしその甘い切れ味はずっと長く続きます。
このノミは指板などの黒檀を加工するのに使っていました。
高級なノミは黒檀のような硬い木に使うとすぐに刃こぼれを起こしてしまいます。
それに対してとても丈夫なハイス鋼という鋼があります。これはハイスーピードスチールの略で日本語では高速度鋼と言います。
速度が速い鋼というとおかしいと思うかもしれませんが、ドリルの刃のような高速で回転するものは熱を持ちやすく一般的な鋼では「焼きが戻る」という現象で鋼の質が落ちてしまいます。そのため高速で使用できる鋼ということで高速度鋼なのです。
ところがハイス鋼で作られたものは研ぐのが難しくて手で研ぐと時間がかかって普通の鋼を豆に研ぐのと時間的には変わりません。

ホームセンターで買ったこのノミは切れ味は甘いのですが切れ味が持続し、セラミック砥石で良く研げます。そうやって研げば売られている状態よりはずっと良くなり切れ味は実用レベルに達します。これはとても優れた製品で刃のカーブの種類の違うものを買いました。安いものなので気軽に基本から逸脱したような研ぎ方を試してみたら良い成果を得られました。黒檀だけでなく他にも使えそうです。

このメーカーは「職人のこだわり」という会社ではなく実用品として品質を追求しているのだろうと思います。このような隠れた名品が分かるのがプロフェッショナルだと思います。ホームセンターは本社の所在地がいろいろあって同じような製品でも扱っている業者が違うものです。遠出して昔行った系列の店に買いに行ったのでした。


つまりは、安いものの中にも意外といいものがあってそれが分かるのが職業能力なのです。安いものを作っているメーカーには自分をアピールすることなく献身的な仕事をする業者があります。浅い知識の人に限って「高い有名メーカーのものを買わなければいけない」と自信満々に偉そうにうんちくを語るものです。そこにたどり着くまでに費やした労力や経験によって安くていいものを見分けることができるのです。


「ストラディバリの音を記述すれば独り歩きをしてしまう」という危惧はそれに該当しない楽器が売れなくなるのを嫌がる面もあるかもしれませんが、弦楽器業界では珍しい良心だとも言えます。無責任な理解が広まっていく原因になるからです。

音について語るのは世界ではタブーとされるものですが、日本では「明るい音」という謎の言葉が独り歩きしてしまいました。非常に残念なことだと思います。


弦楽器作りを志したのはどうしてかとたまに聞かれますが、やはりその音の魅力に憑りつかれたからです。世の中にはシンセサイザーで人工的に作られた音をコンピュータのプログラムで自動演奏して録音した音楽が大半を占めます。もちろんシンセサイザーを開発する人たちはかつてのアマティ家と同じ情熱を持っていると言えるかもしれませんが、私が魅力を感じたのは自然素材で作られた弦楽器の特有の音です。木という材質が持っている固有の音です。

実際に楽器作りをやってみるとイメージと実際はかなり違うものでした。初めて作ったものは意外とイメージしているような音にはなりませんでした。ちゃんと木材で作ってあるのにです。

私のイメージした弦楽器の音というのは低音は枯れて暖かみのある味わい深い音で高音は滑らかで透き通るようにしなやかなものでした。実際に出来上がったものにはひどくガッカリしたものです。世の中には自画自賛して自分が作ったものは最高だと思い込む人がいます。欲が無いんだなと思います。

それでも練習に使っていた量産品のヴァイオリンに比べれば素直で音量もある優れたものでした。しばらくは良さを実感しました。このレベルがおそらくみなさんが初めてハンドメイドの楽器を購入する段階の経験値でしょう。新作のイタリアの楽器でも同様に高級楽器の良さを実感できると思います。

つまり現代の楽器製作のセオリーで作ればみなこのような音になり、安価な量産品を使っていた人にはグレードアップを実感できるというものです。初心者が最初に買うハンドメイドの楽器ということになります。私が初めて作ったものでもイタリアの巨匠でも同じです。弦楽器製作のセオリー通り作れば皆そうなります。



しかしながらこれらの楽器は「音が明るい」のです。私がイメージしていた弦楽器特有の音とは全く違うものです。就職して初めは目の前の作業に精一杯で音のことなんて考える余裕はありませんでした。外国で生活も楽ではありませんでした。

与えられた仕事を正確にこなすことが求められます。
正確に仕事ができなければお客さんからお金をもらうことができないからです。十分な水準に達していなければプロの仕事としては通用しません。
仕事に速さと正確さの両面が求められます。今でも正確さを重視しすぎては時間がかかりすぎてしまい、速さを求めすぎてはミスをしてしまうというのを繰り返しています。だんだん落ち着いてきました。

始めのうちは時間はかかっても正確に仕事することが重要だと思います。訓練によって上達するので逆の方法でも結果的には同じですが、お店の都合によります。
初めに正確な仕事を目指し、仕事が遅い分給料が安いというのが高い技術の職人を育てる方法だと思います。

一方でとにかく早く仕事をすることを重視する教育もあります。初めは安い楽器の仕事を担当すればいいのです。ただ基礎を身に付ける時期に雑な仕事を覚えることは一生の仕事の仕方に関わってくると思います。

そうやって楽器作りを始めて5年くらいして自分の現代的な立派な楽器が作れるようになってきました。これでイタリアの新作以上のクオリティで自分も一人前の職人になったと思っていました。

そんなときにストラディバリの実物を見る機会がありました。
パッと見た瞬間に愕然としました。自分が作っているものとは全く違うのです。もちろんストラディバリから型を取ったものを作っていましたがそういう問題ではないのです。

自分に自信のある職人なら「俺のと一緒だ」と思うことでしょう。現代の巨匠と言われるような人もそういう人が多いですが、私は別物だという印象を受けました。自分のと同じと思っている人はその違いが何なのかを見ようとはしませんが、私はそのことに明け暮れました。

今からするとおかしなところがたくさんありましたが、オールド楽器を研究し始めて何年かすると音が現代のものと違ってイメージするものに近いものになりました。ここで重要なのは見た目や寸法から入ってオールド楽器のようなものを作ろうとした結果音もそうなったのです。楽器が固有の音を持っているのは楽器の構造による部分が大きいということです。伝説ではなく技術的に裏付けがあるのです。

現代の主流とは全く違う方法で楽器を作っているのでこのような音に関することは師匠や先輩から教わることはありませんでした。現代の教育では教わることのない知られていない知識なのです。プロの職人でもそんなレベルなので巷のウンチクなんて信じてもどうしようもないです。そのため音については自分で体験するべきなのです。


このようにして私は弦楽器製作を志した当初のイメージを実現することができるようになってきました。今でも完成度を高めたり違う可能性を求めて取り組んでいます。


これですべてがうまくいくかというとそうではありません。
売れる楽器というのがそれとは違うのです。私がイメージする弦楽器の音と消費者が楽器選びで重視する点が違うのです。

売れる楽器の音

私が就職した工房は楽器の販売や修理・調整も行います。クレモナやミッテンバルト、ブーベンロイトのような大きな産地では製造したものは業者に卸して終わりですから、ユーザーからの反応がありません。

それに対して幸いにも職人が経営する街の弦楽器店に就職することができました。製造する楽器の本数は少ないのですが一本一本お客さんの反応があるのです。他社や異なる時代の楽器とも比べられることになります。音の評価に関しては厳しい環境だとも言えます。

そうやっていろいろな人と接していると必ずしも私と同じような弦楽器の音のイメージを持っている人ばかりではないことが分かりました。日本の場合には弦楽器店にある楽器幅が非常に狭いです。演奏者人口が少ないこともあってセールポイントのはっきりした特定のものだけが選ばれて輸入されてきたからです。

こちらでは昔から楽器が作られてきたせいで目にする楽器の幅がずっと広く、音も様々です。極端に違う音のものを経験しているので日本の人たちが「新作っぽい音」の中でどうこう言っていても似たようなものだと思ってしまうのです。



私は弦楽器の音に魅せられて興味を持ったので当然そのようなことを重視しますがむしろ少数派で、弦楽器を始めた理由は人それぞれでしょう。必ずしも音の魅力というわけではありません。初心者には音の違いがよくわかりませんし、優れた楽器を探すとなるととにかく音が強いほど良いと考える人も多いです。

強い音の楽器売れる楽器

でおよそ間違っていないと思います。
そのため楽器店でも店がつぶれずに今に至っているとすればそのような楽器ばかりが取り揃えられているはずです。



明るくて鋭い音

日本では「明るい音」という言葉が独り歩きしてしまいました。私からすればそれは新作っぽいよくある音の楽器ということになります。どこの国の製品であっても現代のものはそのような音がするものが多くありますので、特別ありがたがる必要はありません。私が初めて作った楽器の音がそうだったくらいでしたから特別な研究は必要ありません。

お店としては仕入れやすい楽器の音ということができるでしょう。
作っている職人が多いものですから供給が安定します。
これが古い楽器となると入手するのはとても難しくなり、いつでも仕入れることができなくなります。「その時だけたまたまあった」というのが古い楽器です。
偽物が非常に多いためトラブルの原因になります。客の財産がどうなろうと平気という心臓に毛の生えたような人以外はなかなか手が出しにくいものです。



その上で強い音だとたくさんの楽器の中でも目立つため優れていると思いやすいです。いくつも楽器がある中から選ぶと音の強いものを選ぶことが多くあります。後で何年かして「耳障りなんだけど何とかしてくれ」と言ってくるわけですか、そのようなものを選んだのは自分です。日本の方でも、そうやって選んだ楽器も結局は弾かなくなってしまったと言っていました。

特に高い音は人間の聴覚の特性のせいか鋭く耳障りに感じられやすいものです。楽器のキャラクターとして低い音も同じような音になっているのにそちらは気にならないどころが「力強い」と好印象を受けます。楽器をパッと弾いた瞬間に「おお!良く鳴る!」と印象を受けます。高音に差し掛かると「ちょっとやかましいけどなんとかなるだろう」くらいに思って買ってしまいます。しかしどうにもなりません。むしろ弾きこむことで楽器が本領を発揮しだし、もっと鋭い音になって「何とかしてくれ」と訴えてくるのです。


この結果お店に置かれる楽器は「明るくて鋭い音」の楽器となり、新作っぽい音の楽器ばかりとなるのでしょう。そのようなものしかお店に無ければその中で自分好みのものを探すことになります。
営業マンは会社が売れる楽器の音をそろえているわけですからありふれたそのような音を良い音だとベタ褒めします。


このように日本人の好む音は「明るくて輝かしい音」だと言われています。ということはヨーロッパでは違うということです。つまり日本人が良い音だともてはやしているものをヨーロッパに持って行っても反応が薄いということです。

私自身は明るい音はあまり好きではありませんので「日本人にしては珍しい」とこちらでは言われます。しかし、実際にお会いして話をした方で「明るい音が好き」という人はいなくて「暖かみのある落ち着いた音がいい」という人ばかりです。

日本人は「わび・さび」という美意識を持っているので落ち着いた枯れた音を好むことは想像が付きます。
それに加えて、繊細な感性を持っている民族です。私は本質的には日本人のほうがより繊細な好みを持っていると思います。したがって鋭い音を嫌う人はヨーロッパの人より多いと思います。実際に「音が鋭くて不満」と言っている人の楽器でもこちらで体験するものに比べれば大したことがないケースが多いです。日本人が鋭い音と考えているのもこちらではそれほど鋭い音ではありません。
ヨーロッパにある楽器で鋭い音というのは日本には無いケタ違いに鋭い音のもので耳が痛くなって逃げ出したくなるようなものですが、持ち主は平気で弾いていたりします。

鋭い音の楽器は100年くらい経ったものに多くあり、新作で鋭かったものが古くなってより鋭くなっていると思います。また作りの荒いものに鋭いものがあり、100年くらい経った量産品ではとんでもなく鋭い音のものがあります。もし音が強いほど良いというならこれらの楽器が最強です。戦前のマルクノイキルヒェンの楽器などはこの尺度では最もコストパフォーマンスに優れています。

初心者が初めに使う楽器も日本なら新品の量産品が多いでしょうが、ヨーロッパには古い量産品がたくさん眠っているためこれらを使うことが多くあります。初めて使う楽器が最高にやかましい楽器なのでハンドメイドの楽器にステップアップするときには新作では物足りないため100年以上たったモダン楽器に人気があります。

「明るい音」はこちらではあまり売れません。
以前修理したモダン楽器は板が厚かったので明るい音がしました。それでも新作に比べれば落ち着いたものでこんな音を好む人もいるかもしれないと思っていましたが、10年以上経ってもまだ売れません。それに対して去年修理した暗い音のデンマークのモダンヴァイオリンは半年もせずに売れてしまいました。この楽器は日本の方が所有していたのですが好みの音ではないということで日本で売ろうとしたところ全く売れずにいました。私はすぐにヨーロッパで人気の音だと考え、持って帰るとすぐに売れてしまったのでした。日本で売れなかった理由はその音というよりもデンマークという国名によるところが多いはずです。日本人は国名を気にするからで、弦楽器の世界でデンマークなんて聞いたことがないわけですが、どこの国の職人でも優れたものを作ることができるのは当ブログでずっと言って来ていることです。

うちでは暗い音の楽器を良い音だと薦めているわけではなく、勝手に試奏してもらって選ばれているのが暗い音の楽器なのです。


このように日本で盛んにプッシュされる「明るい輝かしい音が良い音」というのは世界中誰もがそう思っているわけではありません。にもかかわらずそのようなものしか店に無ければ消費者はそれしか知ることがなく、その中で「この作者はどうか」とマニアぶった人たちが議論しているのです。オーケストラにはそういう人が何人かいるようですが相手にする必要はありません。知的好奇心があるのなら私のブログを読んでもらいたいところです。


ある人が言っていました。
日本の楽器店で試奏すると、200万円300万円と・・・徐々に価格を上げていきます。さすがに1000万円以上になると現実的ではなくなってしまい試奏は止めておきます。お店はイタリアの楽器しか薦めませんし、好んで鋭い音の楽器を集めているはずです。こうなると落ち着いた柔らかい音の楽器に出会うこともないのだそうです。
さらに4~5000千万円のオールド楽器ならあるかもしれません。もしこれがドイツのオールド楽器なら200万円くらいでもあるかもしれませんし私の作る楽器ならそれ以下でもあります。

ドイツのオールド楽器なら数千万円のイタリアのオールドと遜色がないものがあると思います。私が作ったものは本当の何億円もするようなものにはかなわないにしても価格の差に比べたら音の差は小さいものでしょう。健康状態も良く設計に問題もないため下手なオールドよりうまく鳴ることもあります。
今回は試してもらった人でも明らかに私が作る楽器の音が店にあるものと違うということは実感してもらいました。好きか嫌いかは別として違うということは間違いないです。楽器職人はいろいろな理屈を言って自分の楽器が優れているように言いますが、実際の音を出してみると普通の楽器と変わらないことがほとんどです。それに比べると明らかに音が違うということが分かってもらえます。

今回作ったビオラについてもお店には無いもので気に入ってもらいました。その方の先生も「新作っぽくない、良い音」と驚いていたそうです。ウンチクを捨てて自分の感性に素直になればきっとわかる人もいるんだなと思います。

私は日本では働いたことがなく「日本の人は明るい音を好む」という知識を持っていたので自分の作る楽器が受け入れてもらえるかわかりませんでした。しかしブログ使って活動を続けているとそれが、日本の楽器店では手に入らない魅力的なものだと分かってきました。


いずれにしてもイタリアの楽器にこだわることは自分の好む楽器を手に入れる可能性を著しく狭くするものと言えます。「明るくて輝かしい音」が好みならドイツの楽器のほうがそれを高いレベルで実現してくれるでしょう。

すべてのイタリアの楽器が悪いということではありません。ただ単に値段が高すぎると言ってるだけです。道具の良し悪しが分かるというレベルには程遠いのです。教師と楽器店が力を合わせて間違った知識を揺るがせないのです。


近代という時代

私が古い時代に興味があるのは現代人としての発想で物を考えていると考え方が狭いからです。「消費者ニーズ」という考え方も民主主義を応用したものです。民主主義が悪いと言いたいわけではなくて民主主義には人間は賢く正しい判断ができるという前提があるように思います。それは思い上がりでしょう。かつては神様のような存在に比べれば人間なんて愚かなものだと考えられていました。神様が非科学的だとしても人間を賢いと信じるのも根拠はないと思います。
その一つに近代や現代では「作者の独創性」のようなものを重視します。特定の個人を神様だと思って信仰の対象にしたいのでしょう。私は文化というのはそういうものではなくて多くの人が関わりあって厚みを増していくものだと思います。

新作の時点で音を評価して楽器の良し悪しの判断を下すこともできないです。
今の時点で絶賛されても100年後の人たちは、「100年前の人は奇妙な価値観が流行っていてあの手の楽器がよく売れたらしい」と考えるかもしれません。私は数百年という単位で楽器を見ています。今使う人の満足度もないがしろにできませんが、今の時点の評価だけに集中することもできません。

自分の出来る事をするだけです。


次回はチェロの修理について紹介します。
作業の手間からチェロはちゃんと作るととても高価になってしまい一般的な量産品よりも良いものが欲しいと思ってもちょっとやそっとの金額では良いものは買えません。そのような問い合わせは勤め先にも私個人にもたくさん寄せられています。そんなチェロがあれば飛ぶように売れてるわけですが難しいです。実際の例を見ていきましょう。