日本でのチェロの修理 その1 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

日本でのチェロの修理のお話です。
同様のことはチェロに限らず古い楽器を買う場合に直面することです。
今回は特に日本で実際に起きたケースについて見ていきましょう。

こんにちはガリッポです。

まずは続報から

この前紹介したブッフシュテッターのヴァイオリンですがもう買い手が決まってしまいました。


オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その1
オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その2
オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その3

イタリアのオールド楽器より安いとはいえ450万円ですから相当な金額にもかかわらずです。音大の先生なので楽器のレベルにふさわしいと思います。一か月ほど弾きこんで決断されたので音は間違いないということでしょう。

演奏者にとってもとても良いオールドヴァイオリンで、楽器にとっても存分に力を発揮させてもらえるという幸運な結果となりました。
他にもコレクターの方で欲しいという方もいましたが、しまっておくだけというのはあまり幸運とは言えません。

日本とは全く違う価値の世界があるということをぜひ知ってもらいたいです。


さらに学生さんも気に入った方がいましたがさすがに金額が高すぎるということで私がコピーを作るという話が進んでいます。ブッフシュテッターは1750年頃にはストラディバリのロングパターンと呼ばれる細長いモデルのコピーを作っていました。そこで私がストラディバリのロングパターンのコピーを作るというものです。ブッフシュテッターの何番煎じかわかりませんが同じ試みをしようというわけです。

彼を小さい時から知っていますが今はすっかり長身になりました。ロングパターンは胴体が長いので日本人には不向きなのですが彼には全く問題ないです。

前回話したような内容も現実の楽器選びの話なのです。

ロングパターンのコピーは作ったことがないので興味深いですね。彼もロングパターンにこだわる必要もないのでしょうが依頼とあれば断る理由もありません。ストラディバリは1700年以降の黄金期が最高だという常識に縛られています。現代の楽器製作は消去法で常識に比べて変わっているものは作らないという時代ですから違うものを作れば彼にとっても特別な楽器となるでしょう。厳密に言うと彼や両親はどのモデルにすべきかということをよく理解していないと思います。でもそれくらい適当にモデルを選んでも音が悪くなるなんてことは無いと思います。それくらい自由で良いと思います。

私にとっても早い時期のストラディバリにはアマティ的な雰囲気が残っているのでそれがどう変化していくのか興味深いところです。「黄金期のストラディバリ」という正解だけを知るのではなくて過程を知ると理解は深まっていくことでしょう。


チェロのお話

ヴァイオリンに比べると良いチェロを探すのはとても難しいことです。勤め先はチェロのお客さんが多い工房ですが、ヴァイオリンに比べると上質なものはとても珍しいです。

チェロを作るというのはトンネルをハンマーとタガネだけで掘っていくような仕事です。昔はトンネルや鉱山を掘るのに手彫りで掘っていたのですがさすがに今ではそんなこともなくなったでしょう。

チェロも同じで機械で作られるようになりました。そのようなチェロはお店に行けばたくさん売られています。合理的でコストパフォーマンスに優れたものです。
大量生産品としてバカにする人もいるかもしれませんが、昔の量産品と違い品質は著しく上昇しています。機械の性能が上がっているからで大きな楽器ほど機械で作るのに適しているのでチェロに関して下手なハンドメイドより優れているのです。

しかし「機械で作った」という事実が価値を落とさせます。

昔ながらの方法で作ったものが良いとなるとさっきのトンネルの話で、職人も現代文明の暮らしを捨てなくてはいけません。


ヴァイオリンでできることは理論上はチェロでも可能です。ハンドメイドで品質の高いものを作ることはできます。ただし時間がとんでもなくかかります。私はチェロ製作の仕事だけしても半年かかると言っていますがそれも甘い見積もりなのかもしれません。したがって量産品に比べて多少の金額を上乗せしたくらいでは職人は生きていけません。

このような現実からは誰も逃れることはできません。チェロに関して相談を受けるときはいつも同じ話をする必要があります。

AIの発展

話を脱線させていきましょう。最近では人工知能AIが注目されています。これで生活がどう変わるのか意見が分かれるところです。

未来を知るには過去を知るのが良いでしょう。

私はAIの発展は産業革命や大量生産と同じような道をたどるのではないかと思います。工場での製品の製造は機械化によって自動化が進んだのに対して他の職業分野、とりわけ事務職では後れを取っていました。IT化というのはまさにそれを目指したはずのものです。しかし人の思考や判断が必要なことが多くもう一つ自動化は進んでいないというのが実情でしょう。そこで求められるのが人間の思考を自動化することです。

営業なども自動化の対象になるはずですが、現状ではオンラインショップのおすすめ商品なんてのはあやしいものです。過去の購入実績を分析する方法ですでに持っているのに同じようなものを薦めてきても足りているのです。したがって今後の課題が多いです。


私の職業経験から考えると大量生産と似ていると思います。弦楽器に携わると産業の歴史のサンプルを毎日のように見ることになります。教科書や博物館の世界が日常です。

普通世の中の製品は大量生産に向いたように設計がなされています。新製品が開発されるときにはより低コストな製造法を前提としています。見た目の印象もその時代の製造装置によって決まるとも言えます。

例えば靴なんかはかつてはグッドイヤー・ウェルト製法なんて言って靴の底を縫い付けたものです。今では接着剤でベチョッとくっつけて終わりですから、市販されているほとんどの靴はそんなものです。

ビジネスシューズなら昔の製法のものは高級なものとされて残っているかもしれませんが、私のようなブルーカラーの労働者の履くような靴はすべてセメント製法です。

安全靴が義務付けられている職種ではグッドイヤー製法のものなんて西洋でも使われていません。日本は地下足袋のようなものがありますが西洋では靴です。

グッドイヤー製法の場合靴底を縫い合わせるために底が張り出しています。作業靴の場合には革の部分よりも底のゴムの部分のほうが一回り大きいので段差になっています。
おそらくつまずいたりひっかけたりすることを避けるためにそのような段差は無い方が良いと考えられているのでしょう。そのため現在の西洋の安全靴はランニングシューズのようにゴムの部分と革の部分の段差が無いものが主流です。工事現場を覗けばみなそのようなものを履いています。

100年くらい前の欧米の労働者の写真を見るとグッドイヤー製法の靴を履いています。私の職業はそこまで安全靴は必要が無いので伝統的なものが職人らしくていいなあと思うのですが地元の靴職人が作るようなものは高いですし、アメリカ製の有名なメーカーのものも4~5万円もしてしまいます。

これがビジネスシューズや演奏家のステージ衣装なら高級品を履くというのも分かるんですが作業現場で履くものは昔は高級品ではなかったはずです。ただの実用品であり、高級な革の質ではなくフォルムも美しく洗練されている必要は無かったはずです。

今グッドイヤー製法で作られているものは高級品としてしか存在できません。値段がどうしても高くなってしまうので見た人は品質に対してうるさくなってしまうからです。昔の実用品そのものでは「作りが雑だ」とか「形が洗練されていない」とか「革が安物だ」とか言われてしまいます。

したがってセメント製法でありながらグッドイヤー製法に見せかけたものか、作業現場で履くには高級すぎるものかどちらかしかありません。

「昔の実用品」でも大量生産に向かないものは今となっては高級品になってしまうのですから、世の中は豊かになっているのかわからないものです。

全く同じことは弦楽器にも言えることで弦楽器自体が現代の大量生産を前提に設計されたものではありません。楽器は一般的な工業製品に比べるとべらぼうに高いです。チェロなんて自動車より高いのですが、自動車も鉄板を職人がハンマーで叩いて形を作っていればはるかに高くなります、そのため高級車と言われるようなものでも楽器製造で言えば大量生産品のレベルです。

そういう意味では大量生産のチェロも高級車並みに立派なものです。

それに対してギターなどは価格帯が全く違います。30万円のギターで高いなんて言っているとチェロを知っているものからするとお話になりません。
ギターの修理などはヴァイオリン職人の品質レベルでやってしまうと新しいものを買ったほうが安くなってしまうでしょう。ギターを直してほしいという人は来ることがありますが、ヴァイオリン職人には難しいのです。


弦楽器は大量生産の時代よりも前に設計されたもので同じものを作るには機械が適していないので今でも手作業の部分が多くなります。そのため中国や東欧などで製造することでコストを抑えています。仕入れ原価は木材を買うより完成した楽器のほうが安いというほどです。

生産は外国ですることによって安くできますが修理をするために中国に送っていたらいつになるかわかりませんし、工場での分業と違い修理技術の教育も難しいのでできる人も足りないでしょう。日本でも大手総合楽器店なら店に職人はいませんから東京まで送ってそこで修理して送り返すというありさまです。

修理でも部品をネジで外して新しいものを付け替えるようなことはできません。自動車の修理であれば部品を外して新しいものを付ければいいだけなのに対して、弦楽器の場合には部品から作らなくてはいけません。自動車で部品から作るなんていうのは大富豪のクラシックカーのレベルです。


このような時代遅れの化石のような産業が弦楽器です。


AIの話に戻すと、おそらくAIに適した分野とそうでないものがあると思います。AIに適さないものは相対的にコストが上がるので高価になるでしょう。AIが何でもできるのではなくてAIに向いたものだけが世の中に残っていき、AIに向かないものは生活から消えていくのではないかと思います。

従って今我々が普通に行っていることや身近にある当たり前のもののいくつかは未来の人たちにとって「お金持ちのぜいたく」となるでしょう。

楽器の演奏をするよりも録音を聞くほうが絶対に労力が少なくて安いです。昔は録音が無かったので音楽を楽しむには生演奏しかなかったのです。そのための練習を苦とせず楽しみとできる才能のある人たちは豊かな人生を送れるというわけです。


チェロの修理

大量生産品でも他の産業に比べれば高級品であるということでしたが、それでは物足りないのでもう少し良いものが欲しいという要望が多く寄せられます。

100万円から200万円くらいでチェロが欲しいという人が多いのですが、そのクラスは空白域です。大量生産品なら100万円程度まで、ハンドメイドなら300万円くらいはするからです。私たちも頭を痛めているところです。

今回も紹介するのもそのような人からの修理の依頼です。
初めて私に問い合わせをいただいたときはミルクールの1880年頃のチェロを買ったのだけども古いままで長い間修理されていないものでそのままで良いのか?という内容でした。売った人にはオリジナルが一番良いので修理する必要はないと言われたそうです。

私のブログを見ていればどんどん修理していますから意見が食い違いますね。そんなことで相談を受けました。実際に帰国した時にチェロを見せてもらいました。現物を見ないことには何もわからないからです。

見るとチェロはフランスのミルクールのものだろうなとすぐにわかりました。それを言うとどうしてわかるのか不思議がられました。
まず大量生産品かハンドメイドの高級品かはクオリティで分かります。

さらに、大量生産品というのは同じようなものがたくさん作られていて似ているところがあります。見た雰囲気で過去に見たことのあるミルクールの楽器に似ていて、また東ドイツやチェコのものとは違うのも分かります。

紛らわしいものもありますがそのチェロはミルクールのチェロだろうなと思うようなものでした。おいおい見ていきましょう。


日本特有のお話でこのような楽器が輸入される理由も想像が付きます。

イタリアの楽器が最高であるという触れ込みがあるのでフランスの楽器は2流という位置づけになります。実際には完全に間違っていてイタリアの楽器よりもはるかに優れたフランスのチェロが存在します。

しかし日本の店頭ではイタリアの楽器を上回ってはいけないので上等なフランスのチェロは輸入されません。イタリアの新作チェロとドイツの大量生産品の間の価格帯で200万円前後にちょうどミルクールの大量生産品を当てはめるのです。

そうするとイタリアの楽器が一流、フランスが2流、ドイツが3流、中国が4流という分かりやすい構図ができます。

もちろん実際にはどこの国のものにも良いものと悪いものがありこれは全く間違っています。

この構図に適しているのでミルクールの量産品を仕入れるわけです。実際に日本の楽器店なら250万円くらいでミルクールの戦前の量産品が売られています。


これに対して私は、大量生産品としては高すぎると考えます。これらのチェロが店頭では大量生産品とは語られないかもしれません。イタリアの楽器が一流だと思い込んでいるお客さんはフランスの一流のチェロを知らないのでこれらを大量生産品だとは気付かないでしょう。

フランスの19世紀のチェロはヴィヨームのようなものであれば4~5000万円してもおかしくありませんが、同じ値段のイタリアのオールドチェロに比べて劣っているというようなものではありません。品質に関してははるかに優れています。

一般的にフランス19世紀の一流のチェロは1000~1500万円くらいするものです。20世紀に入ると少し安くなり700万円くらいからになります。もちろんヨーロッパでの値段ですから日本ではさらに高くなるかもしれません。

フランスの楽器製作では同じ作者の名前が付いていも
①作者本人の作品
②工房の作品
③ミルクールの工場製品

と三つのレベルがあります。
チェロの場合には工房の作品でも最上級品とみなされるでしょう。それに対して工場製品はあくまで大量生産品であり、作者が工場を所有するなり技術指導するなりしているとはいえ大量生産品には変わりありません。

したがって②と③の区別はとても重要です。混同してはいけません。

大量生産品はあくまで大量生産品であるので大量生産品の値段で買うべきです。
しかし店頭で営業マンは「これは大量生産品ですので勘違いしないでください」と言うでしょうか?聞かれなければ大量生産品だとは言わないでしょう。

1000万円以上するようなフランスの一流のチェロは日本では存在が知られていないので250万円もすれば大量生産品だとは思わないのです。

私はせいぜい150万円くらいだと思います。
ミルクールのチェロでも品質が高くハンドメイドと変わらないレベルのものなら200万円を超えても高すぎるとは思いません。
しかし今回のチェロはよくあるような大量生産品なのでただの大量生産品だとわかりました。フランスの大量生産品と言えばプレスと言って表板や裏板を曲げて作られているものもあります。このようなものはフランス人の名前が付いていても大量生産品ですから安価でなくてはおかしいものです。

このチェロはプレスかどうかは見た目ではわかりませんでした。それでも250万円もするのは高すぎますが、さらなる問題は修理が済んでいるかどうかです。それについていは次に説明します。


このような理由で日本ではミルクールの量産品に250万円くらいの値段が付いているということです。この方はそれ以前には120万円でイタリア製のハンドメイドのチェロを買ったそうです。

「イタリア製」「ハンドメイド」なら聞こえがいいですよね?商人というのが気にする部分です。

我々職人はどこの国のものであってもよくできているかそうでないか、ハンドメイドであろうと機械で作ってあろうと品質や演奏や音響上の問題が無いかに興味を持ちます。しかし商人というのはカテゴリーで区切るので目玉商品にするのです。自分でチェロを作ったことがあるなら120万円でまともなものを作るのは無理だと分かるでしょう。まともな職人ならこんなのはダメだと売り物にしません。

そのチェロは素人目にもいびつであることが分かったそうです。さらに問題は板が厚すぎたことです。

板が厚すぎるチェロが作られる原因は作業の手抜きだといことを言ってきました。初め厚い板をくりぬいて厚みを出すので薄くするためには作業の量が多くなるからです。作業を途中で投げ出してしまうことで厚い板のチェロが作られます。

板が厚すぎると低い音が出にくくなります。こんなことも知られていません。弦楽器の業界では先人の教えを信仰のように覚えるのが一般的なので、厚みを変えた結果を実験して理解する人がいないのです。一方独学の人は基本的な事すら知りません。

手抜きで作られた楽器には厚すぎるものが多くあり、それに都合の良い理屈を誰かが考え出すと弟子から弟子へと受け継いでいくのです。

よく日本で言われるのは「薄い板の楽器は初めは良く鳴るけどもそのうち鳴らなくなる」というものです。これは何となく素人がイメージするものですから説得力があるように思います。しかし実際に薄い板の楽器で鳴らなくなったという経験は私はありませんし、オールド楽器の多くは薄い板をしていて今でも最上級品として一流の演奏家に使われています。

もし薄い板の楽器が鳴らなくなるというのならストラディバリもアマティもリュポーもロッカも鳴らなくなっているはずなので私に下さい。もらってあげます。

もちろん薄すぎるものは腰が無くなってしまい楽器は変形してしまいます。ミルクールのプレスのチェロで裏板が薄すぎるものは腰が無いです。しかし厚すぎるものもよくありません。楽器の響く音域を外れてしまうからです。

単に楽器が鳴るか鳴らないかではなく厚みによって響きやすい音域が変わってきます。チェロの演奏で使う範囲の音が響きやすい厚みになっていることが重要です。その範囲の中であれば多少厚めでも薄めでも音のキャラクターの違いになるので好みの問題になります。そのため0.1mmでも外れてはいけない「最高の厚み」というのがあるわけではありません。だから私は「ひどくなければ何でも良い」と言うのですが、チェロの場合にはひどいものが本当に多いです。

このような「薄い板の楽器は初めは良く鳴るけどもそのうち鳴らなくなる」という言葉は安い楽器が意外と音が良かったりするときに「これは安易に板を薄くしたもので鳴っているように聞こえるけどもそのうち鳴らなくなる」と悪く言う時に便利です。実際に測ってみると安価な楽器は厚すぎるものが多いです。お客さんは測定する道具なんて持っていませんから口では何でも言えます。

プレスの楽器に関して言った言葉が独り歩きしたのかもしれません。プレスの場合には厚すぎると曲げるのが難しいので薄い場合が多いです。
ただしプレスの楽器は必ずしも音が悪いというものではありません。ただ耐久性で300年400年持つかははわかりません。150年くらなら大丈夫なので世の中に存在しているものなら絶対に良くないということはありません。特に表板だけプレスのものは生きているうちに寿命が来るということは無いでしょう。ただチェロで裏板がプレスのものは厚みが足りません。
いずれにしても安上がりにするために考えられた製法なので音の良し悪しとは関係なく値段は安く買うべきです。

中国製の数万円の楽器でも意外とよく鳴るように感じることがあります。値段が安いのは製造コストが安いだけで音は演奏者が判断しなくてはいけません。



そんなことで120万円のハンドメイドのイタリアのチェロは板が厚すぎたためどうやっても低い音が出なかったそうです。業者によると「厚いのが本物だ」「弾きこんでいけば鳴るようになる」のだそうですが、ついに努力は実らずそのチェロが嫌いになって手放したそうです。私から言わせれば物理的に不可能ですが。

それで次はハンドメイドでも安いものはダメだということで初めから量産品の上等なものをと思って買ったのだそうですが・・・。
私が指摘して初めて量産品であることに気付いたそうです

1880年頃のものと紹介されたそうですが私が見る限りでは20世紀のものだと思います。1910年くらいの感じです。商人にとっては「聞こえの良さ」というのがとても重要なので自分の都合のいいように解釈します。私は職人として言います。これが19世紀のものだったらもっと状態が悪く高い修理代が必要になるので20世紀のもので良かったと思うのです。フランスの楽器の値段は同じ作者でも1900年をまたぐとグッと安くなります。楽器自体が変わるわけではありませんが商業上の「聞こえ」が変わってきます。

裏板の輪郭の形を見ても19世紀のフランスのものとは違うように思います。20世紀のものはより洗練されていて現代的にきれいなものです。このチェロを平面の写真で見ればハンドメイドの高級品と見間違うかもしれないものです。今の量産品でもこのようなものは無いです。しかし立体で見るとフランスの一流のものとは全くレベルが違います。フランスの場合には大量生産品でも型だけは高級品と同じものを使うことができたのも特徴です。だからフランスのチェロだと分かるのです。



オリジナリティの尊重?

量産品にしては高すぎるという値段がまず気になりましたが、今回の相談内容は修理するべきかどうかという話です。

もし博物館に展示するならできるだけ何もしないべきです。しかし楽器として演奏に使いその性能を発揮するには問題のある部分は修理が必要です。

過去の職人を天才として崇拝しているなら現在の職人ははるかに劣るので手を加えさせない方が良いと考えるでしょう。しかし過去の職人は神様ではないし、現在の職人でも決められた通りきちっと修理すれば楽器を良い状態にすることができます。ましてや量産品であれば部品は内職として農家の副業などとして作られたものを工場で分業で組み立てられたようなものです。ミルクールの工場の写真を見れば大きな机をたくさんの職人が囲んで作業しています。安い単価のものを右から左へと流していくわけですからイチイチ音のことなんて考えていません。一流のフランスの楽器が優れているわけですから正解の作り方は分かっているはずですが手抜きのためにそこまで作っていないのです。


修理も秘密のテクニックがあるわけではなく正しい状態にすることによって楽器が機能するようになります。一流の演奏家が使っているようなオールドの名器もみなそうで、分解されて組み立て直されていますがその結果どんな音が出ているかと言えば演奏を聞いてみてください。

特に都市部で修理の研究はされてきました。演奏家と直に接しながら楽器を良い状態にすることを求められるのです。それに対して楽器の製造現場ではそのことについてはノウハウがありません。意外とたくさん楽器を作っていた人たちは演奏家と直に接することがなかったのです。楽器を調整するノウハウについては製造だけをする人は専門ではないのです。有名なイタリアのモダン楽器の作者でもネックの加工がまずくて演奏しにくいものがあります。このようなものはネックを削って持ちやすくするべきものです。街の名もなき職人のほうがノウハウがあるのです。

モダン楽器に限りません。オールド楽器なら今の演奏技術には合っていませんからネック自体を継変える必要があります。ブッフシュテッターの修理でもそれをやりましたし、ストラディバリでも演奏に使われているものはみなこの修理がされています。

したがって古い楽器を最高の状態で使用するにはオーバーホールが必要になるのです。楽器のを購入する場合にはオーバーホールが済んでいる状態を相場と考えるべきで、修理が済んでいないなら修理代の分を安く買うべきです。もちろん我々が買い取るときはそのようにします。

100年くらい前のチェロの場合には目立った損傷が無いように見えても50~100万円くらいオーバーホールに修理代がかかるのが普通です。そのため量産品の場合修理代のほうが高くなってしまうことが多くあります。

職人であれば販売で利益が無くても修理代で収入を得られるのに対し、ディーラーは仕入れ値より高く売ることで収入を得ます。楽器に対する考え方も全く違ってきます。

今回必要な修理

依頼主の方はこれまで日本でまともな業者に当たったことがなくひどい目にあってばかりだったそうです。日本にも優秀な職人がいるので相当運が悪いということもあるんですが縁があって私のことを知ったのでもはや危険を冒すこともないです。それでどうしても修理してほしいということで頼まれました。私は休暇の期間でチェロの修理ができるのか不安でした。やるしかないということで腹を決めました。

最初に楽器を見たときも高音は金属的な音がしていて細いものでした。楽器全体がのびのびとした鳴り方ではありませんでした。今回もどんな音を目指すか話し合うのは重要なことです。任せておけば勝手に自分の望む音になるというのは無理です。人によって望む音が違うからです。任せきりにしておいて自分の好みと違う音になってもその職人が下手なのではなく意思の疎通ができていなかったというだけかもしれません。

久しぶりにもう一度弾いてもらって聞くといわゆる「鼻にかかった音」とうちでは言っているものです。鋭い音と鼻にかかった音は同じ方向性です。そのためメタリックな荒々しい音になっています。100年くらい経っている楽器には多いもので、去年修理したデンマークのヴァイオリンも修理前はそうでしたし先週修理に来ていた量産チェロもまさにそれでした。店にあるミルクールのチェロもそうです。そのため新しい楽器より音が出やすいという傾向はありますが癖が強くひどく耳障りなものもあるので手放しに古いものの方が良いとは言えません。

A線以外も同じようなキャラクターのはずですが低い音ではあまり不快には感じません。

それでも全体的にボケたような音で済んだクリアーな音でありません。
バスバーは古くなると木材が朽ちてしまい低音はこもったような音、高音は鋭い音になるようです。100年くらい前の楽器ではバスバーが交換されているかは重要なチェックポイントです。数十年でどうにかなるレベルではありません。

また「指板が下がる」という現象が弦楽器では起きます。弦に引っ張られてネックが持っていかれて指板が下がってくるのです。そうなると駒を低くしないと弦と指板との間隔が広くなりすぎて押さえるのが難しくなります。駒が低くなってくると音が弱くなってきます。それは売った人も分かっていて指板の下に板を入れて駒を高くする修理の必要性は提案していたようです。しかしその方法ではネックの角度が急になりすぎて押しつぶしたような嫌な音になります。もともと金属的な音がしているのですから最悪です。そんなことも分かっていないのが商人なのです。


また個人的な好みとして「暗い音」が好きなのだそうです。
以前日本の業者に暗い音が好みだと言うとそんな好みを持つのはおかしいとばかりに言われてしまいそれ以来本心を隠していたそうです。お客さんがそう言っているんだからそれに答えるのがプロでしょう。日本ではお客様は神様だとなっているはずですが。

調べてみて板が厚すぎるようであれば薄くすることによってより低音が響きやすくなるので暗い音になるはずです。板も薄くするということも確認しました。これは量産品なので改造しても作者のオリジナリティを損なうという問題が起きません。これがハンドメイドの楽器なら改造するのはためらいます。私はしません。その作者の考えを尊重するためです。仮に私と違った考えをしていても私が正しいと言うほど傲慢ではありません。世の中には自分の開発したニスに塗り替えると音が良くなると言ってニスの塗り替えを薦める職人もいます。このようなことをすると楽器の価値はガタ落ちですが、音に関しても未知数です。思い込みの激しい職人がいるものです。


これが主な修理になりますが、裏板のボタンが損傷しているので補強が必要で、過去に汚い修理がされていて裏板の合わせ目も隙間がありました。表板のエッジやコーナーも損傷を受けていましたし、ニスも汚れが付着して汚いものでした。しかし今回は最悪音が出せる状態にすることを優先するということで話は決まりました。

このような話合いはとても重要です。
お客さんが不調をしっかり訴えることが必要で、職人は不調の原因を見つけなくてはいけません。先週はチェロの駒を低くしてほしいという依頼がありました。ビリつくのでそれも何とかしてほしいとのことです。

同僚がやった仕事ですが調べてみると指板が外れかかっていてそれを付け直し、長年放置された指板を削りなおすと駒の高さは正しくなりました。ビリつきの原因は指板の摩耗で、弦高が高くなっていたのは指板の摩耗により弦と指板の距離が広くなっていたようでした。結局頼まれた駒を低くするという仕事はしませんでした。
お客さんがしてほしいという修理と実際の問題点が違いました。頼まれた仕事だけをやってもダメです。こちらは専門家として原因を究明しなくてはいけません。



というわけで次回から実際の楽器を見ていきましょう。