ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -34ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちは、ガリッポです。

オールドが楽器は個性的なのに対して現代の楽器が似通っているということは多くの方が感じていることだと思います。そのようなご意見も頂きました。考えていました。


まずは日々の出来事から。

おととしの年末から去年の年始にかけてバロックチェロを仕上げました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12344510156.html?frm=theme
メンテナンスのために戻ってきました。
一年と数か月ですが、バロックチェロを専門に勉強する音大生ということもあってよく弾いているようです。
エンドピンを使わずに弾くのでできたての頃はまだニスが柔らかくてズボンの跡がついてしまいましたが、今ではだいぶニスはしっかりしてきました。揮発性の溶剤が抜けるのに時間がかかるのです。オイルニスは亜麻仁油などの油が酸化して固まる性質がありますが、同時に塗りやすくするためにテレピン油などの溶剤を入れます。メンテナンス性を考えて油性のニスを混ぜたりしたせいもあって溶剤が蒸発するのに時間がかかっています。

アルコールニスでもちゃんと硬くなるには何年もかかります。
それも音にも影響があるかもしれません。
アルコールニスの場合にはニスの成分の多くがアルコールなので蒸発してしまうと厚みが薄くなります。ペタッとした独特の感じになります。オイルニスでもそうですが、濃い色のニスで厚みが薄いとちょっと擦れると色が薄くなってしまいます。ある程度厚みを持たせないとダメです。塗り重ねるのに時間がかかるのです。

テレピン油はアルコールよりも蒸発に時間がかかり、亜麻仁油より固まるのに時間がかかるでしょう。
モダン楽器でよくあるのは厚みのあるオイルニスに亀裂が入ってるものです。中はまだ乾いていなくて表面が縮むのでちり緬じわとか英語ならワニの皮膚に例えます。100年経ってもまだ柔らかいニスがあって困ったものです。特にドイツでは量産品に硬いラッカー、高級品には柔らかいオイルニスが塗られました。オイルニスが上等だとかオイルニスが柔らかいというイメージはこの頃のドイツの楽器製作の知識も元になっています。

それに比べたらだいぶしっかりしてきたのでほっとしています。
新作楽器の場合は出来て1年くらいはケースなどの跡が付くのは当たり前で、1年経ってからメンテナンスをするのでちょうどいいです。この時ニスの厚みが薄すぎると表面を研磨した時に色が薄くなってしまうのです。
量産品はそういうわけにはいかないのでもっと早く固まる丈夫な人工樹脂のニスを使います。

それにしてもエンドピンなしで弾くのは最近は珍しくバロックチェロでは特別丈夫なニスにしたほうがよさそうです。ケースによってもニスに跡が付きやすいものがあり、チェロの重さがケースのクッションの部分に集中すると跡がついてしまいます。しかし今回は表面のものなので磨けばすぐにツルツルにできました。最初はべとつきもあったのでしょうか、身体が触れる部分は汚れもついていました。ごく初期の時期についたものでしょう。軽いアンティーク塗装にしているので特に問題にはなりませんが。

過去記事を見てもらえればできたときの画像がありますが、とても量産品がベースとは思えないクオリティのものです。音響的にもバロックチェロの先生が大絶賛のようです。先生も存じ上げていますが、ドイツのオールドチェロにガット弦を張ったものを使っています。オールドで上等なバロックチェロなんてのは入手するのはとても難しくてモダンでは使えないようなものをバロックとして使うというのがせいぜいです。先生のチェロもやや小型で状態も悪く「表板を開けたら最後」という感じがします。修理を始めたらいつ終わるかわからないようなものです。
バロックだからと言ってモダンと全く別のものということは無くて、モダンにして良いものをバロックとして使うのが最高だと思います。そういう意味では学生がバロックチェロを勉強するには良いものだと先生も考えているようです。予算からすると戦前の量産品を改造するのも手段としては考えられました。しかし戦前の量産品では荒々しい音のものが多く、そのようなものではガット弦の鼻にかかったような音が強く出てしまうでしょう。「ビオラダガンバみたいな」というやつです。たくさんある量産メーカーの中から、もともときれいな音のするものを選んで改造しているのでコストパフォーマンスには優れていると思います。

このバロックチェロは思い切ってかなり板を薄くしました。
一つはガット弦はスチール弦に比べるとはるかに力が弱いので大丈夫だろうということです。
出来上がった時に、かつてうちの会社で作ったバロックチェロと比べると明らかに暗い音になっていました。低音は圧倒的にボリュームが豊かでした。これは板の厚さ以外ではどうにもなりません。以前作ったものは現代の教科書通りのものです。バロック音楽ではメインの楽器としてだけではなく低音楽器としての役割も重要です。私が聴衆の立場で聞くならそんなチェロが良いです。

1年経っても特に表板やネックに変形や狂いは無く強度には問題はなさそうです。弦にはピラストロ社のコルダというガット弦を張っています。これは大手メーカーのものでマニアックなものではありません。もっとこだわっている人がいますが、チェロの素性が良いことのほうが重要でしょう。今回のメンテナンスで新しいものに変えました。

駒には本当のバロック駒を付けました。
モダン駒に比べるととても硬いもので、ガット弦の荒々しさがダイレクトに発生します。場合によってはモダン駒に近いものや、モダン駒の見た目のデザインだけバロック風にしたものなどに交換が必要かもしれないと思っていましたが、その必要もなさそうです。
駒はやや低くなっていました。1mm未満なので演奏に不具合は言っていませんでした。
駒が低くなるということは表板が沈むのに対して、ネックは引っ張られて下がっていないということです。
ネックも指板も厚くて丈夫で下がってきにくいのかなと思います。ということはネックが下がってくる現象はいろいろなところが少しずつ曲がってきているのかなと思います。

現代のスチール弦ならテールピースのアジャスターばかり使いますが、バロックなら調弦が狂いやすいガット弦なのでペグを使って頻繁に調弦が必要です。そのため材質には黒檀を選びました。これも特に問題はなさそうです。

1年目の点検を終えて楽器も演奏者も成長していくことでしょう。
良い仕事をしたなと思います。

f字孔はこだわった部分です。これのおかげで量産品とは全く違う印象を受けます。


板の厚みの重要性

チェロなどはハンドメイドであっても200万円程度ならとても雑に作られていることが多いです。先日もそんなチェロが修理に来ていましたが、私の量産品をベースにしたものの方がずっときれいで板の厚さも微妙なところまで詰めています。

一方でドイツのミッテンバルトで1980年頃に作られたチェロを持ってきた人がいます。自分は管楽器を吹く人で売りたいと考えているようでした。30万円くらいで売ろうと考えているようでしたが、それは安すぎるとお知らせしました。もちろん量産チェロです。しかし見た目もきれいでクオリティもまずまずのものです。今なら中国製よりは上のランクとして100万円を超えてもおかしくありません。板の厚みを測ってみるとほどほどのもので厚すぎるものではありませんでした。ドイツの量産チェロとしては珍しいものです。ネックは下がっているので修理は必要ですが、面白いかもしれません。それくらいの古さで真っ当に作ってあればかなり鳴る可能性はあります。弦楽器、特にチェロは名人とか巨匠とかである必要はありません。どこのだれが作ったものに音の良いものがあるかは全く分かりません。

他にミルクールのチェロもありました。1900年前後のものでしょう。ラベルにはフランスの作者の名前がついていましたがクオリティが低いので量産品だとすぐにわかります。その作者の工場製か関係ない工場のものかですが、ラベルの周辺には濡れた後があり、貼り替えたような形跡があるので怪しいですね。工場製の大量生産品なので値段を品質で査定すればどこの工場でも良いでしょう。
これは開けると中はかなり悲惨な姿をさらしそうです。中はとても汚い仕事になっているでしょう。

これらのチェロの中ではドイツ製のものが一番可能性があるかなと思います。


近代以降のもので外より中がきれいに作ってあるということはまあ無いので外が汚いチェロは中はほんとにひどいです。中というのは品質や音響面で重要な部分です。外がきれいであることは最低条件で戦後のものなら板の厚みもがそこそこなら可能性はあると思います。

大事なのは「そこそこ」ということであって何かの理屈に基づいている必要はありません。
それでも音には個性があり、それを気に入った人にとってのみ良い音の楽器となります。


厚みの問題があるとき、音を変えるには板を薄くするしかありません。他の方法ではどうにもなりません。
薄いものを厚くすることも難しいです。高価なアクセサリー類に凝っても表面的なものです。
だから作るときが肝心です。


新しい音?

前回は明るい音や暗い音の話をしましたが、ひどく悪い音とはどのようなものなのでしょうか?
オールド楽器でも作りに問題があったり、状態が悪かったりすれば元気よく音が出ません。モダン楽器や新作を考慮に入れなければその中だけで選ぶことになります。
かつての量産品も同様です。19世紀の終わりころ、1880年位からドイツで大量生産が盛んになるとそのころから粗悪な量産品が多くあります。修理をすれば楽器の値段を超えてしまうため大掛かりな修理はされません。ハンドメイドのモダン楽器でも作られて100年位だとオーバーホールがされていないものが多くあります。

これらの健康状態が悪くにぶく元気のない音のものを「こもった音」とすれば、それに対して明るい音というのは優れていると言えます。それよりは良いというわけです。しかし暗い音で健康であれば音色に味があってさらに魅力的です。もちろん好みの問題でどんな音が好きかは自由です。修理で健康をよみがえらせるのは職人の重要な仕事です。
新作楽器の場合には古い楽器の音に代わって、それとは違う方向性の明るい音に新作ならではの良さを見出すというのも考えられます。「新しい音」というわけです。世の中の人たちの過半数は新しいものが好きですから過去の楽器の音を古臭いものとし、新しい音を進歩した優れたものだと考えます。モダン楽器も半世紀前は全く評価されていなかったものです。今でもフランスやイタリアの一部のものを除けば、新作楽器より安い値段しかついていません。専門家も価値に気付いておらず中古のガラクタのように無視されひっそりと眠っています。

名工とは?


そうやって受け入れられて来たのかもしれません。
職人の側からするとちょっと違います。加工技術の高さを競う合うことに集中した結果が「新作の音」になっていると感じます。自分達の間で腕の良さを競い合う競争に終始し、腕の良い職人が流派の中で勝者となり偉い職人として指導者になって行きました。弦楽器を作るのは修業が必要で決められた寸法の通りに正確に加工することは難しいものです。それがうまくできる人は職人の間で「あの人はすごい」と一目を置かれます。
実際には音のことなど何もわかっていなくても、その偉い職人が言うことは説得力が出ます。修業者や楽器店の人には「ありがたいお言葉」と聞こえるでしょう。弟子たちは偉い先生の言った教えを経典のように信仰するのです。

偉い職人にさらに重要な資質はカリスマ性でしょう。自信に満ちていて強い信念を持ち、説得力のある話し方をして、堂々たる態度をしています。不安など微塵も感じさせません。
こういう人たちが偉い職人になっていますが、実際には音について何もわかっていないかもしれません。それを弟子や一般の人に見ぬくのは難しいです。カリスマ性と迫力を持って目の前で言われてしまえば信じてしまうでしょう。

私は言っていることにおかしな点があるのでわかります。
例えば、「こうなっていると音が良い」「これではダメだ」というようなことを言います。しかしそのようなことは実際に音の良い楽器を調べてみると当てはまらないことがよくあります。また、「音が良い」という言い方も具体性にかけます。どんな音の性格になるのか全く言わないのです。それに対して私は「音は弾いてみないと分からない」と言います。人によっては好きな人もいるし嫌いな人もいると言います。分からないと正直に連呼するようでは弱気すぎてカリスマ性はありません。
一方で欠点を無くすことに終始する現代の作風は、自分の造形センスの無さを露呈しないで済みます。形を作り上げていった形跡を消すのが現代の作風です。オールドの時代にはセンスの無い職人はそれを隠そうともしてませんでした。


現代の楽器とオールド楽器とどちらが優れているかと問われたとき、次のように答える職人がいます。
「現代では正確な測定器具があり現代の職人は昔の人よりも腕がよく0.1mmまで正確に加工できる、だから音が良い。」と言うのです。「ストラディバリは同じ時代の職人の中では最も正確に加工をしているので音が良い、しかしわれわれ現代の職人はさらに正確に加工しているのでストラディバリを超えている。」と言うのです。立派な風貌のカリスマ職人が専門家としてストラディバリを超えているのだと言われれば信じる人もいるでしょう。お金持ちの社交界でアピールすれば新作ヴァイオリンに500万円を付けても売れるかもしれません。その噂はストラディバリを超えている天才として広まることでしょう。


「正確=腕の良い職人」はまあわかります。「正確=音が良い」は飛躍しています。

正確→腕が良い→名工→音が良い

という理屈です。名工が作ったのだから音が良いに決まっているとみなが思い込んでいます。
しかし「名工→音が良い」には論理の飛躍があります。名工というのは人間の社会の間での上下関係です。地位の高い職人です。それに対して音は物理現象で、人間の間での権力関係にはしたがいません。偉い職人が作ったからと音波が気を使うことはありません。


一般の人は厳正な審査をする国際的なシステムがあってその結果音が良い作者が名工として認められて行くと思い込んでいるかもしれません。しかしそのようなシステムは存在せず、作ろうと思っても不可能です。音の良し悪しを一つの物差しで測ることはできません。あらゆるジャンルの歌手の中で一番を決めるようなものです。もし一番を決めても納得しない人が出てくるでしょう。

そうではなくて職人の中の力関係で偉い職人というのがいるのです。多くの職人がこれに対して不満に思っているのは、後の世代なら偉い職人と同等かそれ以上の腕前の職人がたくさんいることです。彼らは名前が知られていないので名工とはみなされません。偉い職人の中には腕前も大したことが無いのに巨匠とされていることがあって不満を持っている職人も多いはずです。有名な職人の息子などは生まれながらにして有名です。


なぜこのようなことになるかと言えば、人間の性(さが)というものですが、職人特有の視点もあると思います。
職人は材料の加工を担当する職種です。その中で優劣を競うということは加工の正確さを競うことになります。
優れた工作機械を評価するときに精密さを評価するのと同じです。
そのため正確に加工できる職人は職人の中では高いランクになります。

問題は「何に対して正確か?」という点です。
近現代の産業では設計を担当する人と加工を担当する人は別の職種になっています。
加工を担当する人が職人であり、優れた職人とは設計の通りに加工できる職人のことです。
いかに精密な工作機械でも設計はしません。与えられた設計の通りに精密に加工するだけです。


職人の頭の中から、弦楽器の設計についてはすっぽり抜け落ちています。
にもかかわらず正確に加工できれば優れた職人とされるのです。

職人には設計という概念が抜け落ちている


家を建てるなら建築士と大工さんがいます。
職人は大工さんの方で設計するのが建築士です。
弦楽器でも大工さんに当たるのが職人です。

そのため設計という概念が抜け落ちています。
職人がヴァイオリン製作学校で教育を受けるとき、学校で決められた設計に基づいていきなり楽器を作り始めます。これはとても難しいものでどこの学校でも過半数の人は半年もしないうちに辞めていきます。決められた通りに加工するだけで「ヴァイオリン職人になろう!!」と人生の決断をした人の半分以上が数か月以内に挫折するほど大変なので、設計なんてのは手も付けられません。
決められた通りに加工できれば優秀な生徒です。名工の元に弟子入りする機会を得るかもしれません。辞めずに職人として残った人はその時点で立派な才能を持った職人と根拠もなく自信過剰な職人なのです。


このように学校では設計の仕方を教わることはありません。
設計も何もできないのに優秀な職人とそうでない人の差ができます。
こういう人たちの中から学校で教える先生が出てきます。先生も設計の仕方は何もわかっていません。


日本では珍しい職業ですが、ヨーロッパでは普通の職業の一つです。
教育制度では他の職業と共通化しています。大工を教育するのと同じようなシステムになるはずです。
弦楽器は家とは違う物だからといって特別な教育システムは作られません。

また別の国では画家のようなアーティストのジャンルの一つとして教えているところもあります。
職人として教育を受けた我々からすると、プロと呼べるレベルの加工技能がありません。

オールドの時代には設計と加工が未分化だった


それに対してオールドの時代は設計と加工に職業が分化していませんでした。職人が設計をして自分で作っていました。画家でもかつては職人でした。ルネサンスの時代の画家について調べてみると当時は現代的な意味での芸術作品というものではなく、教会に奉納する絵などを描いたのです。日本で言えば、宮大工みたいなものです。徒弟は初め絵具を作るなど具体的な作業から教わるものです。親方がお客さんと相談して、描く絵柄や仕様を決めます。大ざっぱに絵を描くのは親方の仕事です。ラフなスケッチを描いたり型紙を作ってそれを元に助手として弟子が手伝ったりしました。その合間にも親方の右腕となってもらうため構図やデッサンの練習もさせたことでしょう。

つまり設計は親方の仕事で、具体的なところは弟子が仕上げるのです。注文や工房の状況によって親方本人がどれくらいやるか、弟子がどれくらい請け負うかというのはさまざまでしょう。しかしいずれにしても設計の仕事が親方としての力量が問われるのです。

弦楽器製作でも同様のことが考えられます。
建築士に当たるのが親方で、大工に当たるのが弟子というわけです。
修業時代には親方の楽器製作を手伝いながら腕を身につけていってだんだん多くの部分を任されるようになったことでしょう。ストラディバリは二人の息子が共同制作者として楽器を作っていたようです。他の子供も何らかの手伝いをしていたのかもしれません。

弟子は独立後は自分で設計した楽器を作っていました。
師匠とそっくりの楽器を作る人もいれば、自己流に作る人もいました。


現代では設計の仕方は学校でも教わりません。「ストラディバリの○○年のモデル」から型を取ってきて手直しして作るのが一般的でしょう。今なら本やポスターが出版されていてコピーできます。モダン楽器の時代なら師匠から、型を受け継ぐごとはあったでしょう。その人のストラディバリモデルというのが代々受け継がれていくのです。
オールドの時代は師匠も別にこれが完璧とは思っていなかったでしょうから、師匠がアドリブでデザインするように弟子も独立すれば自分でデザインしたものです。近代以降は決まったものを作らなければいけないという風になっていますが、オールドの時代は思いつきでデザインしていました。

もちろん設計法について研究している人もいます。
コンパスなどを使って数学的に説明しようというものです。しかしこれは作図法であって音響的なものでも視覚的な美しさのものでもありません。アマティ家などが楽器編成が確立していない時期に、高音楽器から低音楽器まで音域の異なる楽器を設計するときに、拡大したり縮小したりすることは役に立ったことだと思います。しかし音の質を設計することはできませんし計算によって理想の形が作れるわけでもありません。フリーハンドでデザインされたようなオールド楽器もあります。


今の時代でも自分でデザインすることはできます。
しかしストラディバリのモデルがあまりにも基本形として身についてしまっているためその発想から出ることができません。またラインに歪みが無いように仕上げるのを腕の良さとして競い合っているため、ラインがきれいに見えるものを設計しがちです。形を作るというよりも加工が正確に見えるようなデザインにしてしまうのです。技能工としての優秀さをアピールするデザインとなってしまいます。

私もデザインしたことがありますが、アマティとストラディバリの間くらいのものでサイズは小型できれいなものは出来ましたが、個性的なものではありませんでした。

もっとヘンテコなデザインをする人もいます。独学のような人は基礎ができていませんから変わったものを作ったりします。それでも過去200年間に作られたどれかとは同じようなものになってしまいます。
中古のヴァイオリンがあった時、本で見て似ている有名な作者を見つけてラベルを偽造することができるものです。本で見たら似ていますから「本物じゃないか?」となるんです。

したがって見た目の個性などはあまり重要ではないのかもしれません。
音についてとなると話はまた違います。

変わった個性的なデザインでも楽器の作りが現代の一般的なものと変わらなければ音はそれほど変わりません。ストラディバリモデルでも、ガルネリモデルでも同じ作者が現代風に作ればどちらでも現代風の音になります。
チェロならモンタニアーナモデルが流行したり、ビオラではアンドレア・グァルネリモデルが流行したりしました。でも基本的な作風が現代風であることがほとんどです。


腕の良いと職人の間で誰からも認められる職人ほど現代風と言えるでしょう。
しかし私などはかなり変わった楽器を作ってオールド楽器の魅力を再現しようと試みているため、オールド楽器の魅力が分かっている人なら「そうそう、こういうのだよね」とわかってもらえます。ミラノのヴァイオリン製作学校の先生だった人にガリアーノのコピーを見せたらイタリア人らしくオーバーなリアクションで目を真ん丸にして驚いていました。分かる人にだけ分かるという感じでしょうか。

過去数百年の間にはかなり奇妙な弦楽器は作られました。
頭にドクロが付いているものもあります。パンクファッションの人にはぴったりです。

ただそれらが「個性的」という理由で珍重されているということはありません。

職人の力比べの結果

職人が同じルールのものとで腕を競い合った結果が現代の楽器と言えるでしょう。ヴァイオリン製作コンクールの出展作品を見れば皆そっくりです。審査員も部分ごとに採点しなくてはいけません。
仕事の正確さを競い合って作ったら「現代的な音」になったというわけです。
職人たちは仕事が正確であるほど音が良いと信じているため、正確に作られた楽器の音を良い音と考えるのです。しかし実際には不正確に作っても同じような指導の下で作ったのなら同じような音になるでしょう。師匠や弟子、同じ門下の職人の楽器を弾き比べれば職人としての評価と音が関係ないことがわかります。それは構造にはそれほどの差が無いからです。でも頭で信じているので現実を見ません。


現代の職人は決められた通りに正確に加工できることで評価されるのです。
「じゃあなんでそういう風に決めたんだ?」と、そこに疑問を持たなくてはいけません。でも多くの職人にそこまでは期待できません。
正確に加工できる職人は全体の中ではまともな方です。
正確に仕事をできない職人に仕事を頼むのはとてもリスクが高いです。ひどい修理が行われて見るも無残になっている楽器もあります。素人が見よう見まねで作ったような楽器を高額で買ってしまった人もいて、そういう人に限って自分を天才だと思っています。


実際には個性的な楽器も存在します。しかし個性的な楽器を作ったところで誰にも認められません。
それらは売り物にならずに倉庫に眠っていることでしょう。
安価な粗悪品にもかなり個性的なものがあります。

現代ではプロとして認められる厳しい基準があるためみな同じになってしまうのです。
オールドの時代はそれがずっと緩かったはずです。今でも基準を緩くして適当に作るようになれば個性的なものがたくさんできるでしょう。その結果粗悪品をつかまされる人がとても多くなります。それだけたくさん楽器が売れればの話です。
もとをたどれば19世紀のフランスにもっと厳しい基準があり、もっと同じものが作られていました。それに比べれば今は個性的なものも、ヘタクソな職人のものも自由に販売することができます。
上手い職人の楽器はそっくりで、ヘタクソな職人の楽器は個性的です。ただヘタクソな職人の作るものは共通点があって、どこかで見た粗悪品に似ています。粗悪品は楽器全体の中では数が多いのでヘタクソな職人の個性的な楽器を「珍しい」とはあまり感じません。音痴な歌手の歌い方がみな似ているようにです。
みな同じとはいえ、上手い職人の楽器のほうがはるかに数が少ないです。



グァルネリ・デルジェズをよく見ていて面白いのは、1720年代から1740年代まで自分の楽器を作っているわけですが、メチャクチャで個性的なのは1740年以降のものです。それまでスクロールは父親が作っていましたが、亡くなってから作風が変わります。30年代のデルジェズを見ていると全く別のものではなくやはりアマティ的な基礎があることが分かります。アマティやストラディバリなどの近所の職人たちの基礎の中で本人なりにがんばって作ったのでしょう。しかし集中力が続かずそこまでのクオリティには届きませんでした。晩年はひどいものです。それでも音は悪くなってはいません。加工の正確さと音の良し悪しは関係が無いからです。


現代では学力によって職業が分かれているのに対して、昔は家で職業が決まっていたのでいろいろな学力の人が同じ職業にいたのが違うなと思うのです。職業教育も分化しているため低学歴の職人の教育というのはマニュアル化されて歯車となってしまうのです。歯車の優秀さを競い合うことしかみえなくなってしまうでしょう。


西洋では自分の権利を主張しなくては身を守ることはできません。
現代の職人たちも自分たちがいかに優秀であるかアピールします。
しかし現実に起こっていることは、職人の作る楽器がユーザーの好みに合っておらず、古い楽器ばかりが求められるようになっているのです。


現代の職人たちの「新しい音」はすでに50年以上前のものです。もはや新しくはありません。後発国では「新しい音」がまだ通用するのでしょうか?

実際にはもっといろいろな考え方の職人がいます。例を示すことで職人の世界を具体的にイメージ出来るようになったと思います。これは職人に限らずどこの世界でもそうかもしれません。職人も普通の人間であり神様のように信仰の対象にするようなものではないのです。
こんにちは、ガリッポです。

日本はゴールデンウィークでしょうが、キリスト教の国々ではイースターの連休になります。日本の盆と正月にあたるのがクリスマスとイースターでしょうか?盆と正月にくらべると近いように思います。
ヘンデルのメサイヤなどはこの日にピッタリの音楽です。

キリが良いところまで仕事をしておきたいと思っていました。ヴァイオリンを作る仕事をしていますが、イースターまでに表板、横板、裏板まで完成させようとしていました。

それは終わって作業場が新しくなったので収納を完成させなくてはいけません。ヴァイオリンづくりはとんでもなく集中力がいるので、中断しにくいのです。
作業場が未完成なまま仕事をしていたので道具がどこにあるかわからなかったりしました。どっかで見たのになあと神経衰弱のゲームをやっているようでした。

f字孔を開ける作業を終えましたが、ただ穴を二つ開けるだけで1週間もかかってしまいました。集中力の高い数時間でその日のf字孔の作業を止めるようにしていましたので1週間かかっているのです。本当に難しくてここ数年でようやくミスなくできるようになってきました。f字孔は1カ所でも手元が狂うとそれをごまかそうとして大惨事になってしまうものです。それは1mmというレベルではなくその10分の一にも満たない世界です。だから失敗しても普通の人は気付かないのでごまかさないほうがいいのかもしれません。でも何時間も作業していると眼が冴えて来て失敗が気になってしょうがないのです。それをごまかそうとするとf字孔が太くなりすぎてしまいます。一つのことばかりに注意が行ってしまうと全体が見えなくなってしまうので気を付けています。100%満足が行かなくてもそこばかり考えてはいけません。何事でもそうだと思います。

ノーミスでできるようになってきました。
ミスしていること、ミスしやすいポイントが分かるのに10~15年くらいかかったのでしょうか。ミスをしないようにできるようになったのが最近です。楽器作りを始めてすぐにうまくできたと自画自賛していれば、ミスしていることも見えていないでしょう。

ミスしなくなった代り1週間ですからまだまだです、ヴァイオリンづくりはお金もうけにはなりません。

というのは、ユーザーは音にしか興味が無いのでf字孔がどうであるかなんてどうでも良いのです。作った自分だけが気に入らないのです。

音の優劣を決めることはできない

前回は音のキャラクターを決める要素としてアーチが重要なのではないかという話でした。アーチだけではなくて板の厚みも同じかそれ以上に重要なものだと考えています。

音が良い・悪いではなくて、音のキャラクターという話でした。
オールド楽器ではとても個性的なアーチの楽器が多くあり、個性的な音も経験します。アーチが窮屈になることで、ある種の響きを抑えて音色にキャラクターができるということです。たとえば高いアーチの楽器では歯切れの良さがあります。これは時間軸で響きが抑えられ余韻が短いためだと思います。同じような音はフラットな楽器では得られないでしょう。
じゃあフラットな楽器の音が悪いかと言えばそんなことは無くてフラットな名器で見事な演奏を聴くことはよくあります。そのためキャラクターが違うと言っているのです。


上級者の人には何の楽器を弾いても力強い音を出す人がいます。その人にとって楽器は演奏の邪魔をしなければ良いのだと思います。楽器は柔軟性があってすぐに限界を露呈してしまわないものが良いと思います。オールドやモダンの名器はまさにそんなものです。

一方アマチュアや学生、オケ奏者などでは楽器が勝手に鳴ってくれるようなものが選ばれます。そんなものは実際にはありませんが、そのように錯覚するものです。これはユーザー数が多く数が売れるので楽器の販売を生業にするならそのようなものを集める必要があります。柔らかい音よりも鋭い音のほうが強く感じられます。100年くらい経っている楽器が有利で知名度や値段は関係ありません。とにかく試奏して試すことです。

このような例からしても、誰にとっても優れたものというのは無くて、徐々にステップアップしていくのが普通なのです。



音がうまく出ないとき、自分の腕が悪いのか、楽器が悪いのかは直面する問題です。いくつもの楽器を試奏して「どの楽器もダメだ」と言って貧弱な音しか出ない人もいれば、「どれも良くて一番を決めるのが難しい」とどの楽器でも素晴らしい音を出している人もいます。


日本人に特有なのは過剰に自分を卑下することでしょう。
納得いくまで練習するのは良い事です。
しかしそれが悪く作用するのは、値段が高いだけの楽器を弾いて上手く音が出ないのは自分が下手だからと考えてしまうことです。値段は自由な社会体制の下で売り手が勝手につけているだけで楽器の良さを表してはいません。

値段が高くて音が気に入らない楽器は最も買うべきではないものですが、それをこぞって買っているのは日本人です。ヴァイオリンなんて誰にでも作れるのに、何か天才とか巨匠とかそういう人がいると思い込んでいて宣伝されるとビビッてしまうのです。巨匠が作ったのだから「鳴らないのは自分が悪い」とか「こういう音が良い音だと思わなくてはいけない」と考えるのです。300年前の人はナイロン弦やスチール弦を張った音なんて想像もしていないはずです。

ヨーロッパの人は自分に自信があるのでそういう人は少ないです。今は職人は尊敬もされずに厳しい時代です。音が気に入らなければ楽器は売れないのです。

良い楽器というのは人によって違うので決めることはできません。
作られて100年くらい経った上等なモダンヴァイオリンが10本あったとき、それなりの人が弾けばどれもちゃんと音が出るので優劣を順位にするのは困難です。でも全部同じ音ではなく皆違います。値段で音の良さを表すのは無理です。

ということは職人が差や違いを作るためにできることは音のキャラクターを作るということです。普通に作って100年もすればみな鳴るようになるのです。新品の時点で多少音が強く感じたり弱く感じたりすることはありますが、100年もすれば普通に作ってあれば十分です。「音を改善する方法を見つけた!!」みたいなことは100年後には微々たる違いになるのものかもしれませんし、耳障りな嫌な音になっているのかもしれません。音が強くても耳障りではいつも気を使って抑えて弾くことになります。

実際100年もしなくても10年20年でも、数年でも楽器が鳴ってくることを私は経験しています。職人も良いものをすでに作っているのに、自信が無く卑下して変な「改良」に走ってしまってはもったいないです。
それに対して音色のキャラクターは20年くらいではほとんど変わりません。落ち着いてきたと思っても、へたった駒や魂柱など消耗部品を交換すれば新品の音に戻ります。私がベストを尽くしてメンテナンスを施した結果、とうとうあきらめて買い替える人もいます。鳴りは良くなっても性格は変わりません。

音が強くなってくるので鋭い音はさらに耳障りになってきます。
100年くらいが音の強さのピークとなるでしょう。50~150年くらいのものが音が強いです。
200年くらいかそれ以上経ったものは柔らかくて手ごたえも感じにくく上級者向きになってきます。
作風は個性的なオールドや初期のモダンなど様々なので単純に比較できません。

そう考えるとそれらの妥協点は150年位ということもできます。アマチュアのお金持ちで名だたるイタリアのオールドヴァイオリンを試したけどフランスのモダンヴァイオリンを買った人もいます。フランスのモダン楽器はまさにそういうものでしたが、最近は値段が高くなってしまいました。


音の違いを作るという意味では、アーチや板の厚さは研究する価値があると思います。音が違うということなので、人によって好き嫌いが分かれるということです。古い楽器と新しい楽器のどっちが音が良いかというのは愚問です。古い楽器と新しい楽器の音が違うのなら人によってどちらかの方が好きということが生じます。古い楽器同士でも、新し楽器同士でも個体差があり同様です。どれを好きだと思うのも個人の自由です。

本来なら腕が良くなければ理想的な音は出ませんが、才能や時間に限界があるけど弦楽器が好きだという人にこそ楽器自体が好きな音を持っている楽器は良いと思いますよ。

今回は特に暗い音が注文主の希望

今回の注文主は、私が過去に作った楽器を試したところ特に暗い音のものを気に入っていてそのようなものが欲しいということでした。

私が作る楽器は新作の中では暗い音のするものです。新作楽器では明るい音のものが多いのです。それだけ多いということは単なる偶然ではなく技術的な根拠があるはずです。現在主流の方法で作れば明るい音になるということです。主流というのはつまり偉い師匠の教えです。そういう人は日本の楽器店では巨匠だとか言われています。巨匠の楽器では普通の新作の音と変わらないというわけです。巨匠なんてのは無いというのはこういうことです。100年経った平凡な楽器ならもっと力強い音がしてその点ではかないません。

新作楽器のなかでは私の作る楽器は暗い音がします。
あとは本当の古い楽器を弾いている人がどう感じるかということがあります。その人がもっと暗い音の柔らかい楽器、ひどく傷んでいる楽器を弾いていれば、私の楽器を「明るくて輝かしい音」だと思うかもしれません。でももっと明るいオールド楽器もあります。

普段何を弾いているかによって感じ方は違ってきます。


私が明るいとか暗いとか考えていることはどの音域の音が出やすいかということです。低い音が出やすい楽器は暗い音、低い音が出にくい楽器は明るい音と考えています。演奏者は元気よく音が出れば明るい、弱ったような冴えない音であれば暗いと考える人もいるかもしれません。しかし私は単純に音域のバランスのことを言っています。低音が勝っている楽器を暗い音、高音が勝っている楽器を明るい音としています。

今回の依頼主は特に暗い音を好んでいます。音量を一番大事にするなら、私は低音から高音までまんべんなく出ているものが良いと思います。低音を切り捨てた明るい音のほうが大きく聞こえるという人もいるかもしれませんが、低音の量はありません。試奏するときは低音から高音まで必ずまんべんなく弾くべきだと思います。

そういう意味で極端に暗い音の楽器は優等生というよりも個性的な音の楽器と言えるでしょう。暗いか明るいかは好みの問題で好きなものを選べば良いのです。うちでは暗い音のものを好む人が多いのでそのようなものがよく売れます。新作楽器では明るい音のものが多いのでみなこぞって古い楽器を求めるようになってきています。そのような風潮が独り歩きしている部分もあり、ヨーロッパで新作楽器は年々売れなくなってきています。

新作でも暗い音の楽器ができるということは私が証明しています。試す前から毛嫌いしないでほしいものです。


暗い音になるために最も重要なことは板の厚みです。
私は誰からもこのことを教わりませんでした。本などにも全く書いてありません。
実際に厚みを変えて作ってみたり、他の楽器を調べたりして規則性があることが分かってきました。

私の研究が無ければ今回お客さんから注文を受けることは無かったでしょう。他にもたくさん職人がいるのに私に注文が来たのはそのためです。現代の巨匠と同じ音ではお客さんを満足させることはできません。


私が師匠や先輩から聞いた間違った知識があります。
まずは「ストラドモデルは明るい音、ガルネリモデルは暗い音」というものです。
実際には新作楽器ではどちらのモデルでも明るい音のものが多いです。またモダン楽器ではストラドモデルが多いわけですが、暗い音のものもあります。自分で作っても、仲間が作ったものでもそのような傾向はありませんでした。

もう一つは板が厚い方が暗い音になるというものです。
これは全く逆です。
暗い音からは重厚感を感じます。重低音と言われることもあります。
板が厚くて重い楽器は持った時に重厚感を感じ、重低音が出そうだというイメージなのでしょうか?
しかしこれは全く逆で、実際に試すと板が薄くて軽い楽器で重厚な音が出ます。

このような知識をもっともらしく語る師匠や先輩ですが、珍しいことではないので職人の話を聞くときはあまり信じないことです。実際に弾いて出た音を重視してください。
私が「理屈」を信じないのはこのような経験があるからです。


厚みと音の明るさについての関係は多くの経験や実験をすることができます。
自分で厚みの違う楽器を作ってみることもそうですし、他の楽器を調べることもできます。
板を薄くする改造をすることも出来ます。自分で作った楽器を改造して板を薄くすることもします。
このためかなりはっきりした傾向を得ることができます。
自分で作った楽器を開けて板を薄くした場合に、必ず暗くなります。逆になったことはありません。

言い換えると板の厚み以外で音の傾向を語れるようなものは無いです。
唯一分かるのは板の厚みと音の明るさの関係だけです。音には明るさ以外の要素がたくさんあるので作りを調べても音は予想できないのです。


厚みだけでは説明できない部分

板の厚みが音の明るさに直結することは研究によってわかってきました、しかし、厚みを測れば音の明るさを予想できるかというとそうではありません。

①安価な量産品
日本に帰ったらこんなことを言っている人がいました。自分が使っているヴァイオリンはドイツ製の量産品で暗い音がする。明るい音のするイタリアのヴァイオリンが憧れだというのです。
この人はブログの読者ではない典型的な初心者です。

音の明るさが生産国によって決まるというのは知性さえ疑われる間違った知識です。
初めに「ドイツ=暗い」「イタリア=明るい」という思い込みがあります。
実際にはドイツの現代のマイスターの作ったものの多くは明るい音がしますし、中国で作られたものも同様です。現代ではどこでも明るい音の楽器が作られています。私の地域でも明るい音の楽器を作る人が多いので特別私に注文が来るくらいです。

うちの会社には戦後ブーベンロイトで作られたドイツ製の量産品がいくつもあって、明るい音のするものがよくあります。ドイツ製の量産品だから音が暗いというのは実感としてありません。

だとするとその人のイメージするイタリアの楽器がとても明るいのでしょう。
うちではイタリアの現代の楽器を見ることがほとんどないので知りませんが、マリオ・ガッダとかガッダ工房の異常に板の厚いヴァイオリンを見たことがあります。マリオ・ガッダは日本の方で音がどうしようもないので日本の職人に板を薄く改造してもらったそうです。ガッタ工房のものはこちらのコンサートマスターの人が弾いて「弦しか鳴っていない」と酷評されたものです。他にも日本の方で板が厚すぎるチェロを手放した話も聞きました。
これらはキャラクター以前に板が厚すぎる粗悪品です。板を薄くする作業を途中で投げ出したものです。
このようなものを業者は「明るい音」として無知な人を対象にセールスしているのでしょうか?


現代の量産品は機械でかなりのところまで作られるようになったので先ほどのイタリアの楽器のような粗悪品は少なくなりました。そういう意味では相対的に暗くてもおかしくありませんが、特別薄いということもないでしょう。にもかかわらず現代の量産品には明るくない音のものがあります。
さらに古い時代の量産品になると作業の手抜きのために板の厚いものが多くあります。それなのに100年位前の量産品では暗い音のものがあります。同じ時代のきちんとハンドメイドで作られたものでは厚みと音の明るさの関係が現れていますが、量産品になると傾向が現れません。


いずれにしても品質が低いと音の傾向がはっきり出てこないということがあります。
状態の悪い楽器でも元気よく音が出ないので暗い音になることはあります。

低音がよく出るというよりは高音がそれ以上に出ていないのではないかと思います。音ははっきりしていてスケールが小さいものです。

②板の材質
厚みの数字だけで決まらないのは板の材質によっても硬さが違うからです。
チェロでは材質の違いの影響がとても大きくて表板で0.5mm位は誤差の範囲のようになってしまいます。
硬い表板なら駒付近を除いて3.5mmでも低音が引き締まっていて、柔らかい材質なら4.0mmあってもモリモリと低音が出てきます。
だからと言ってどちらが良いということもありません。
柔らかい材質なら繊細な柔らかい音になるし、硬い材質ならハリのある音になるでしょう。
また材質に合わせて厚みを変えても同じ音にはなりません。
ヴァイオリンならその差はもう少し小さくなるでしょう。

同じ職人でもそれくらいの個体差は出るということです。
それでも「作者の音」というのはあります。全て材質に依存しているわけではありません。
大きく見れば厚い方が明るい音になり、薄い方が暗い音になるので全く逆になるわけではありません。

今回のように「暗い音」というはっきりした希望があれば板の材質も考えて厚みを決める必要があります。
しかし作者が理想の音を一つに決めていて、材質に合わせて厚みを変えるというのは無理です。



②古い楽器
音色は年月が経ってもあまり変わらないという話でしたが、古い楽器ほど暗い音のものが多い印象があります。
古い時代ほど薄い板の楽器が作られていて、修理などを経て薄くなったので板の厚さでも説明できますが、とてもゆっくり進行していく変化もあると思います。弾きこみで音が出るようになるのは短期的な変化で材質が変質するのはもっと長いスパンで起きることです。
修理で表板を開けたとき、持ってみると表板は柔らかくなっているのが実感できます。100年、200年と古くなるほど柔らかくなっています。バスバーを取り付けるときなどはフニャフニャして安定しないのでフレームに固定するくらいです。新作では必要ありません。

材質が柔らかくなっているので音が暗くなることも先ほどの説明で表せます。特にチェロでは100年位でもかなり暗い音になっている可能性はあります。そのためオールドのチェロでは厚みの数字などは参考にはなりません。私がよく言う何でも良いというやつです。なぜかと言うと外骨格の生物と同じで大きな楽器になるほど強度が落ちるからです。


古い楽器が柔らかいのなら柔らかい材料のほうが良いと思うかもしれません。
しかし新作で柔らかい材料だと音も弱くなってしまうのです。古い楽器が優れているのは柔らかい材質でありながら音が強いのです。柔軟性もあるのに音の出やすさでも優れているのです。相反する点について両立するのが古い木材なのです。

純粋に材質という点で古いものは優れていると思います。
しかし他にもいろいろな要素がありすべてを決めるわけではなく、価格の高騰もあるため予算の中で楽器を選ぶなら絶対に古いものを選ぶべきとは言えません。


チェロの場合には柔らかすぎると反応が鈍く元気よく音が出ないということはあります。そのため特にチェロは必ずしも古い楽器が優れているわけではありません。板が薄すぎるのも問題ですし、傷みが激しいことも問題です。

ヴァイオリンの場合には比較的柔らかすぎるという問題は少ないでしょう。いくつも割れの修理があっても問題がありません。
ただ裏板の中央が薄すぎると弦の力に耐えられなくなってしまいます。音にも腰が無くなってしまうでしょう。

すべては加減


板が厚い方が音が良いとか薄い方が音が良いとかそのような単純なものではありません。

厚みによって響きやすい音域が変わってきます。それが演奏する音の範囲から外れてしまえばうまく機能しません。板が厚すぎれば低弦を弾いたときも板が振動せず「弦だけが鳴っている」という状態になるでしょう。実際には低弦を弾いても弦の振動から倍音が出ているので高い音は響いて出ているのかもしれませんが、低音らしい音は出ません。
薄すぎれば低音ばかりが響いて高い音が出にくい楽器になってしまいます。強度が不足して弦の力に耐えられなかったり、反応が鈍くなったりすることもあります。

バランスよく出ていれば優等生ということになりますが、多少偏っていてもキャラクターとして好き嫌いの範囲になります。

特にオールド楽器には低音側が強い暗い音の楽器があります。バランスよく出るものもあり、明るいものは少ないでしょう。
逆に新作楽器では明るい音のものが多く暗い音のものは少ないです。しかし私はそれを作ることが可能で今回の注文ではそれが求められています。

オールド楽器の中でバランスが良く音が出るものを良いと感じる人はいるでしょう。オールド楽器の中では明るい音になります。また引き締まった音で豊かに響かない窮屈ないわゆる室内楽用と言われるようなものもあります。傷んで調子の悪いオールド楽器を修理したところ以前よりも明るく元気になったこともあるでしょう。そのような経験を先生などから教わることもあるでしょう。

しかし、よくある新作に比べれば暗いものです。
明るいほど良いのではなくてちょうど良いものが良いのです。それは人によって違います。暗い音の楽器で低音の魅力の虜になる人もいます。うちのお客さんでは音大教授の方のテストーレのヴァイオリンがとんでもない暗い音です。ウルフトーンが出るほどでした。チェロではおなじみのウルフトーンですがヴァイオリンで出るのは滅多にありません。

ビオラになれば暗い音のものが好まれることがずっと多くなります。もはや好みの問題というレベルではなく低音がよく出ることは優れたビオラと言えるでしょう。
チェロくらい大きくても低音が出にくい明るい音のものは結構あります。新作であれば板の厚さが原因として考えられます。


実際の作業については次回に続きます。

こんにちはガリッポです。

工事中のような状況ですが、再び勤め先の工房で作業を再開しました。机が大きくなって引き出しが増えたことは単純に機能性が良くなりましたが、やらなければいけないことがたくさん山積みです。一つ一つ解決していくしかありません。工房を立ち上げる貴重な経験となるでしょう。

その中で愚かだと思うのは照明です。うちの師匠が照明技術の会社の社長と知り合いになり最新のハイテク照明を導入しました。ビル、オフィス、店舗などオシャレな照明を手掛ける会社です。スマートフォンで明るさを調整できるそうです。値段はそこら辺の電気屋に売っているものとは違う高価なものです。
しかし頭上に照明があり卓上スタンドの影が机の上にできてしまいます。
本当に基本的なことが分かっていません。
店なら商品はきれいに見えるのでしょうけど、作業するには向いていません。

新しい作業台ができたのに裏の暗い所に古い作業台を置いて昔ながらの電球の電気スタンドで仕事をしていました。
電球のスタンドは日本では山田照明のZライトというものがあって実家の作業場には配備してあります。同様なものはヨーロッパではLUXOのL-1というものがあります。LUXO L-1のほうが元祖で80年以上前の設計です。日本のヴァイオリン職人は皆Zライトを使っているでしょう。

このようなものを買おうと思っても店に行くと2000~3000円くらいの中国製のものしか売っていません。ZライトやL-1は1万5000円くらいします。ヨーロッパでまともなものを買おうと思うとL-1しかありません。日本ではZライトしかありません。それぞれ一社しかまともな製品が無いのです。2万円を超えるような高価なものはあります。しかしそれらは「デザイナー」が腕を振るったもので実用的なものではありません。L-1だって当時の工業デザイナーの傑作で多くの類似品が作られました。今の工業デザイナーにはこのようなものは作れないでしょうか。今はどこでもコンピュータを使う仕事をしていて卓上の照明なんて必要ないのでしょうか?

電球は過渡期でずっと困っています。
かつては100Wの白熱電球を使っていました。100Wは事務用としてつかわれるものより強力です。
蛍光灯の電球の時代があって、今は100wに対応できるソケットが無くLEDです。LEDも今では電球に近いものが作られるようになりました。一般的にLEDの照明は光が直進しすぎて立体感が見えないのです。月の満ち欠けのように暗いところは真っ暗、明るいところは輝いてしまって、微妙な陰影が出ないのです。立体感が見にくいのでこんなのは使い物にならないのですが、私以外には理解できないようです。どんだけ力説しても社長も、照明の会社の人も理解できないようです。普通の電球に近いものはその会社では扱っていないのです。同僚はニスの見え方が変わるので光の色味ばかりを気にしています。私はニスの仕事のスペシャリストですがそれはあまり気になりません。

電球だけを買えば白熱電球に近いLEDのものが手に入ります。
日本とヨーロッパのメーカーで方式が違いますが日進月歩で白熱電球に近いものができてきています。
過渡期なので年々新しいものがでてきます。昔ながらの電気スタンドなら電球を交換すれば済みますが、今回導入したものもすぐに過去の技術となり照明のシステムを丸ごと交換する必要があるでしょう。

職人でも人によって感覚が全く違います。
私のように立体感を感じるほうが少数派で、立体感が分からないほうが多数派なので職業人として認められることでしょう。自分の工房を持つ必要がありそうです。




ともかく立体感の感じ方には個人差があります。アーチを作るうえでとても重要なものです。
今回のように敏感な感覚を持っている人は少数派で肩身の狭い思いをすることになります。

アーチの窮屈さは音色のキャラクターを強める?


前回もアーチの話をしていましたが、オールド楽器のアーチには窮屈なものがあって音響的にも厳しいという話でした。窮屈なアーチは振動を抑えてしまうからです。それでは窮屈なアーチの反対に、ゆったりしているほど振動を妨げないので音が良いと言えるのでしょうか?フラットなアーチのモダン楽器なら窮屈さはありません。

このような思考パターンは分かりやすいので多くの人を惹きつけるでしょう。

私が考えているのは窮屈すぎるのは問題だけども、そうでなければ個性として認められるだろうというものです。響きや振動を抑えることで音色のキャラクターができます。押さえすぎてしまうと音色は個性的になりますが、音のボリュームは抑えられてしまいます。

オールド楽器では味のある音色の楽器が多くあります。一つは板が薄いことも重要です。もう一つはアーチも影響していると考えられます。
フラットなアーチで作った場合と、高いアーチで作った場合、表・裏板を持ってみて曲げてみると高いアーチのほうが柔軟性が無く、そのことは古い楽器の修理でもわかります。タッピングで叩いてみると高いアーチのものは余韻がすぐに止むのに対して、フラットなものは長く余韻が響きます。

このような違いは弾き方の違いに現れます。柔軟性のあるフラットなアーチの楽器では弓の力加減の許容範囲が広くブワンと音が出るのに対して、高いアーチのものは敏感で乱暴に弾くとすぐに音がつぶれてしまいます。

同じ高さでも窮屈な構造になるほどシビアになってくることでしょう。

駒の来る中央部分を断面図で示しました。上段の二つは下段の二つに比べると窮屈な構造になっています。

私は下段の左のように高いアーチでも自然なカーブでふっくらとしているものは気難しさが少ないのではないかと考えています。。
作者や流派の知名度には関係なくオールド楽器でこれは良さそうだと考えるのはそういうものです。
周囲だけを急激に掘り込んだ台地上になっているようなものは難しいなと思います。このようなものはドイツのオールド楽器に多く、イタリアのものの方がアーチが自然な弧を描いています。しかし個体差はありものによっていろいろなので、イタリアにも窮屈なものはあり、ドイツにもゆとりのあるものがあるのです。
シュタイナーはアマティに比べても窮屈な傾向はありますが、それをまねて特徴を誇張したドイツのオールド楽器にはもっと窮屈なものがあります。ドイツの楽器に多いのは上段左のものです。すべてのドイツの楽器がそうではなくて、イタリアのオールドと何ら変わらないものがドイツ各地にあって地元の人だけが知っていたりします。当然パリやロンドン、ニューヨークでは知られていないので価格的には有利な掘り出し物です。

横幅が狭いモデル、特にミドルバウツが狭いモデルで深い大きな溝がえぐれていると駒の付近は窮屈になります。イタリアのオールド楽器には小型のアマティモデルがあってかなり幅の狭いもの、くびれの大きなものがあります。一方ストラディバリが1690年代に作っていた細いモデルは、ミドルバウツは細くなくくびれが小さいので窮屈にはなりません。ドイツのオールドも同様のものが多いので邪険にできません。

一方フラットなアーチであれば窮屈さは気にする必要はないと思います。現代の楽器は右下のようなものが多いです。現代的な楽器なら多少アーチに癖があったほうが音にもキャラクターができるのではないかと思います。

今回はデルジェズの1937年のもののコピーでアーチの高さは現代でも標準的なものです。19世紀のフランスの楽器ほどフラットではなく、オールド楽器の高いアーチのような高さはありません。そうなると現代の楽器と変わらないわけですから多少キャラクターは持たせた方が良いと思います。つまり敢えて窮屈さを持たせるのです。
さっきの図で言うと右上のものです。

ミドルバウツのくびれの大きなアマティモデルで窮屈にすると難しいかもしれませんが、ガルネリモデルなら問題が無いです。デルジェズのモデルは全体的に小さいのにミドルバウツだけは幅ありくびれが小さいのが特徴です。ただアマティモデルでも悪いということは無くて、いくつも作ったことはあり繊細な澄んだ音は個性となるでしょう。
実際オリジナルのデルジェズのアーチもミドルバウツは結構えぐれています。
それがデルジェズらしい大胆さです。基本的にはアマティに似ていてさらに大胆になっているようです。

しかし標準的なアーチの高さなので見た目はドイツのオールド楽器のように「いかにもオールド」という感じは控えめです。


言い換えると現代のアーチなら何のモデルであるかはあまり関係ないということですね。


ビオラやチェロになると基本的にゆとりがあるのでそこまで神経質になる必要はないでしょう。私はビオラではアマティのモデルをよく作るのはそのためです。フラットなアーチなら何でも良いでしょう。現代のチェロをたくさん扱っているとそう思います。


まとめると高いアーチほど個体差があり、個性が強く、気難しい傾向があり、フラットなものは何でも良いことになります。オールドが楽器は当たり外れが大きいので試奏して確かめることは必須です。

近代以降のまともな楽器ならどこの国のものでもアーチやモデルに構造的な問題が見つかることは少ないのですが、なぜか知らないけども音はそれぞれ違い、時には全然違うのでやはり試奏して選ばないといけません。

彫刻作品のように作る



もし彫刻を作るとしたらどうするかと考えています。このようにノミで彫っていくことによって立体を作っていきます。
このように作業を進めると立体感を視認することができます。

初めは丸みの深いノミを使い、徐々に浅いノミにしていきます。初めはざっくりと余計な部分を落としていかなくてはいけませんが、初めから浅いノミを使うと抵抗が大きくて厚く削るにはコントロールするのが難しいからです。ヴァイオリン職人用として売られている柄の長いノミはカーブが浅すぎて私には使い物になりません。あれは本当に粗い仕事しかできません。あんなのではフラットな楽器しか作れません。

それに対して表面が仕上がってくるともう立体感は見えなくなってしまいます。

前の段階に戻ります。
独特の柔らかいふくらみができます。ミドルバウツの溝も大きめにえぐられていてアーチの頂点に向かって流れるような流れになっています。もっと高いアーチではえぐれは小さくしてふっくらさせたほうが気難しさは減るでしょう。高いアーチのヴァイオリンを作るのにピエトロ・グァルネリを選んだのはそのようになっているからです。やみくもに高いアーチのものを作ったわけではありません。結果的にはその通りになっと思います。

ノミの跡があることによって立体感を感じることができるのでカンナでならしてしまうと上の写真のように立体は視認できなくなってしまいます。

イタリアのオールド楽器のアーチには特有の柔らかい感じがあります。これが19世紀にフランス風の楽器作りが広まると失われてしまうのです。フランスの楽器はもっとビシッとしています。アイロンをかけたスーツのようです。

トリノをはじめ北イタリアでフランス風の楽器が作られるようになってもナポリでは近代化に後れを取っていたので19世紀も終わりころになってもまだ柔らかい感じの楽器があります。だからと言って必ずしもオールド楽器のような音がするわけではありません。作風の多くが失われているからです。見た目の感じに古い時代の作法が残っているというだけです。モダン楽器の優秀さもなくオールド楽器の味もないというただの駄作だったりします。音では量産品と良い勝負でも値段だけは高くてうちではいつまでたっても買い手が使いないものもあります。

ドイツの量産の流派でも同様でその職人がオールドの時代に教育を受けたのならフランス風の楽器が作られるようになっても、古い時代の感じが残っています。そのような過渡期の楽器はあります。若い時に受けた教育によって一生の仕事の仕方が決まるのです。

偽造ラベルが貼られていてもオールド楽器とモダン以降の楽器を見たときにすぐに見分けがつくのはこのような「柔らかさ」が違うからです。
アンティーク塗装にした時も柔らかいアーチでないと現代の楽器に見えてしまいます。

このようにノミを使ってアーチを作るのはフランスでも荒削りの段階では行われていたでしょうし、ボローニャのフィオリーニによっても広められ現代のクレモナでも受け継がれています。しかしそこから仕上げに至る過程が私は納得がいかないのです。
実際にフィオリーニの楽器を見てもオールド楽器とは違う感じがします。

アーチはたいてい仕上げてしまってあるのですが、デルジェズの父のジュゼッペ・グァルネリのスクロールにはノミの刃の跡が残っています。私が目指しているのはあの感じなのです。スクロールなどはまさに彫刻ですから。

アマティでもストラディバリでもはっきりとアーチの形を作り上げています。ただ単に作業を順番にこなしてできるものではありません。表面のアラは現代の楽器のほうが無いかもしれませんが、形は何となく作ってあるだけです。作り手の意図があいまいです。

チェロになるとサイズが大きくなるのでそんなにメリハリはありません。それでもストラディバリは形をしっかり作り切っています。晩年になるとルーズになってきてわかりやすくはないです。でもただルーズとは違います。

グァルネリ家にも基本は伝わっているはずですし、視認しながら立体を作っているのなら個人の感性も反映されているでしょう。

それが現代の楽器ではアーチに表情がないのです。

仕事をした形跡を残さないことを良しとしているからです。これは18~19世紀の古典主義絵画でも同じです。
それ自体は完璧さを目指すものですが、ヴァイオリン製作では形を作り切っていなくてもバレないという次元になっていることが多いです。

古い楽器はその人の造形センスや意図がアーチに現れやすいく個性的です。その結果としての音も個性的です。

まだまだ発展途上

自分の仕事の仕方に疑問を持たないということは、教育を受けたときと同じやり方で一生を終えることです。自分に疑いを持たなければ自信に満ちていて師匠や先生として後進に指導できるでしょう。

自分がどんな作風の楽器を作るかは自分の意志ではなく、先生によって決まるということです。これは普通のことです。オールド楽器がオールド風になり、現代の楽器が現代風になるのはそのためです。

現代においてオールド風の楽器を作るのは異常な事なのです。


私もまだまだ半信半疑です。しかし頭で考えるのではなくて、ずっとやっていくうちに自然な作り方に変わってくるでしょう。

こんにちはガリッポです。

勤め先の方は壁や天井はできて、作業台と引き出しも木工業者に作ってもらいました。
広くなったような感じがしますが、ものが入ってくればまた手狭になるでしょう。
工房をきれいに保とうと思ったら仕事はしないか、本当の作業場と映画セットのような嘘の工房の二つを持つ必要があるかもしれません。
少なくとも同じくらいの広さの倉庫は必要です。


ところで音の響きがだいぶ変わったようです。
西洋の建物は部屋に何もないとわんわん響きます。以前は凹凸のある木材のパネルが張ってあり壁には細かいものがたくさんかけてありました。音響的には響きの少ない部屋でした。音がはっきり聞こえるのは良い所でしたが、鋭い音がマイルドに聞こえるので安い楽器の音が良く聞こえる部屋でした。

板は取り除いて伝統的な塗り壁みたいになりました。レンガの壁の内側に左官屋が滑らかに壁を作るのが普通の西洋の壁です。
汚れが染みになって取れないので定期的に塗り直さないといけません。

ものが入ってくると響きは落ち着いてくるでしょう。


今回はアーチの話です。

アメリカの合衆国議会議事堂は何となく映像で見たことがあるでしょう。
1800年頃にできた建物のようですが、あれなんかは典型的な19世紀の欧米の人たちの考え方が反映されているものでしょう。それに対してEUの欧州議会議事堂はまさに現代の建築です。
19世紀~20世紀の初めに欧米各国で作られた議事堂や行政府、美術館や裁判所などは19世紀の価値観が現れています。日本人にとっては単に西洋文明として映ったでしょう、明治時代には日本でもまねた建物が作られました。
柱を並べて古代ギリシアの神殿を思わせるような正面玄関や古代ローマ時代にあったとされるドームの屋根、ギリシア以来の装飾や彫刻など「古典主義」が基本になっています。西洋で古典と言えば単に昔のものや定番のものというのではなく、ギリシアやローマの古代文明をリスペクトしています。それらをさらに高度なものにすることで自分たちの時代が歴史上最高点に立っているという誇りを持っていたはずです。


私の街も歴史博物館を建設中で、外観は完全に現代建築です。
勤め先も含め市街地は世界遺産になっていて老朽化した窓枠を交換するのでも厳しい制限がありました。それなのにその世界遺産の中に建てられる博物館が現代建築なのです。不公平であるだけでなく観光客は古い街が見たくて来るのにムードをぶち壊しています。
純粋に観光地を産業として考えるなら、古い街並みにマッチするような建物にするべきだと思います。日本でも戦後コンクリートのお城が作られてそれがあまりにも興ざめということで名古屋城などは伝統的な方法で復元すると聞いています。
そのような方法で建築すると費用がものすごくかかるというのはあるでしょう。
だとすると何も豊かになっていません、安上がりのもので立派に見せる方法が進歩しただけです。

ITベンチャー企業を誘致して先進性をアピールする都市なら話は違ってくるでしょうが、古い街並みが売りの観光地ですから。こういうのも民主主義の手続きによって決まったものです。


弦楽器もこれに似たようなところがあります。
19世紀にフランスで成立した「モダン楽器」も古典主義の考え方に基づいています。
古代やルネサンスの文化をリスペクトするとともに、さらに完成度を高めスケールを大きくすることで、あんなに素晴らしい過去をわれわれは超えたと自負するものです。
弦楽器でミロのビーナスやモナ・リザに相当するのがストラディバリウスなのです。

このような文化は現代では忘れられてきています。
もはや人々は古典文化を学ばず、教養もなく、無条件に「自分たちは優れている」と考えています。時代が進むと自動的に進歩していくという思い込みがあります。何かを考えれば「新しい発想」と称賛しますが、過去にはボツになっているアイデアかもしれません。
このような傲慢さも元をたどれば近代人の発想を発展させたものでしょう。
日本でも人気の西洋美術は古典主義を否定する近代美術です。ルノアールやゴッホ、ピカソなどは多くの客を集めるのに対して新古典主義美術自体が知られていません。ナポレオンの騎馬像を描いた絵なら教科書などで見たことがあるかもしれません。それを描いたダビッドとかフランス美術界に君臨したアングルなども一般の人は名前を聞いたこともないでしょう。好き嫌いは別として彼らの作品が見事であることは認めないわけにはいきません。美術を何も知らない人が見れば見事さに圧倒されるでしょうがその機会が無いことが残念です。再評価されるのはずっと未来まで待たなくてはいけません。


弦楽器でもフランスで成立したモダン楽器が見事であることもあまり知られていません。
現代の職人は19世紀に見事な楽器が作られていたことを知らず、自分たちの楽器を優れていると思い込んでいます。わけのわからない理論を科学的と思い込んでアピールするとメディアが勘違いして取り上げ有名となるのです。
とくにチェロではあれほどのクオリティのものを安定した量生産することは現代の職人は不可能です。



弦楽器店で働いていれば常に高価なオールド楽器のラベルが貼られた楽器がやってきます。
しかし本当にオールド楽器であることは滅多にありません。それはほとんどの場合パッと見た瞬間に一瞬で分かります。
一瞬で分からないとどんどんわからなくなっていきます。本などで調べていくとそのようにも見えてきてしまうのです。一瞬の印象はとても重要です。一瞬で分からない楽器はずっと分からない事も多く、鑑定に出しても鑑定士のも分からないとか、意見がバラバラだったりします。そうなると値段の見当がつかないので売ることもできません。
私は自信家じゃないので鑑定はできません。迷いだすとどんどん自信が無くなっていきます。意外と最初の印象で合っていたりします。
しかし汚れ具合とか修理の仕方などちょっとしたことで印象が大きく変わることがありので怖いものです。


オールド楽器とモダン以降の楽器を一瞬で見分けるポイントとして重要なのはアーチです。
これは単なる設計の違いではなくて根本的な違いが背後にあるように思います。

それは何かといえば「時代」です。
時代が違うと人々の感覚が違うのです。

アーチは氷山の一角?

我々職人はいわば「モダン楽器の出来損ない」の合理的な作り方を学びます。モダン楽器が元であるということも知らずに「最新」の作り方を学びます。過去に優れたものが作られていたことを知らなければ最新の考え方が最善であるという信念は揺るぎません。モダン楽器の出来損を最善と考えているのですから、それを作るのに最も適した方法が何世代にもわたって研究されていきます。考えつくされた製法を超える方法を生み出すのは困難です。何か工夫しても、既存のやり方のほうが優れています。無知なため学んだ方は最新だと思い込んでいますが、1900年以降作風はほとんど変わっていません。個人差のほうが大きいでしょう。

このためオールド楽器に見せかける塗装がされていても20世紀以降の楽器はすぐにオールド楽器と違うことが分かります。

このような状況ですから、オールド楽器のようなものを作るのは大変に難しいのです。


表・裏板の輪郭の形やf字孔などは、型を取って作ればそっくりにできます。写真ではオールド楽器とは区別がつきません。それに対してパッと見た印象で違うと分かるのはアーチです。
どうやってオールド楽器のようなアーチを作れるかというのは私がずっと研究しているところです。

かなり分かってきたという実感もあるし、新たな疑問もわいてきます。
オールド楽器でもものによって違うので、私のやり方があってるものもあっていないものもあります。

そのため作り方は少しずつ変えてきています。
最近考えているのは、彫刻を作るとしたらどうするかということです。

1500~1700年代頃の工芸、工業、芸術、建築などに共通する基礎みたいなものが無いか考えています。
当時の家具を見てもタンスはネコ足みたいな足がついていて形も曲面があったり、装飾が施されたりしています。現代の直線的なものとは全く違います。ああいうものを作るときに精巧な設計図があったというよりは現物合わせで木材を彫って行ったのだと思います。ルネサンスの絵画でも絵が描かれている板の裏面を見ると手斧で荒削りした後が残っています。今なら工場で平らな板が作られて買ってくるわけですが、当時の木工職人は木の塊から鍬のような形の手斧〈ちょうな〉という道具でがつがつと「はつって」板を作ったのです。「はつる」という動詞を今の時代ではあまり言わないでしょう。
木材の塊から形を生み出していくというのは現代の木工職人とは発想が違います。

もし彫刻で何かの形を作るなら、初めは大まかに余計なところを落としていってだんだん精密に仕上げていくはずです。ミケランジェロほどになるとまた違うのですが、普通はそうします。ゴルフの飛距離のように初めは大きく材料を落として大まかな形を作って行って、徐々に削る量を少なくして完成に向かっていきます。

オールドの時代には彫刻も必須のスキルだったはずです。ありとあらゆる木工製品に彫刻が施されていましたから。細工の見事な楽器を作った職人には彫刻家としての才能があり、間違いなく絵心もあったはずです。アマティ、シュタイナー、ストラディバリ、ピエトロⅠ・グァルネリというような貴族に愛された楽器はそのようなものです。

しかし今のユーザーは音にしか興味が無いので、そのような才能が無い人が作ったものでも音さえ気に入れば愛用の楽器になり得ます。そのため、職人には造形の才能は必須ではありません。現代の製法は才能が無くてもできるようになっているので絵がド下手な人でもそこそこ立派な楽器ができます。逆に才能のある職人によって美しく作られていても音がイマイチなものもよくあります。


才能の有無にかかわらず、木の塊からアーチを削りだす手法は共通だったはずです。
クレモナ派ならアマティがやっていた手法を他の職人も受け継いだのです。仕上がりは職人の才能によってばらつきがありました。アマティの手法を元にして才能が無い職人が作ったものは独特の雰囲気になり、これもオールド楽器という感じします。現在の才能が無い職人が作ってもこれにはなりません。

現代において失われた手法をよみがえらせるにはまずアマティになる必要があると思います。


こうやって考えると、その時代の工業、工芸、芸術、建築・・そういうあらゆるものが背後にあって、弦楽器というのは氷が水面から出ている部分にすぎないのだと思います。現代の工業技術を元に作ったらあんな形にはなりません。

特にアーチにはそのような背景があるのではないかと考えられます。
一方そんなのは関係ないということも考えられます。特に音について限定すれば、何でも良いんじゃないかという面もあります。

オールド楽器がオールド楽器のような姿をしていて、オールド楽器のような音がする。そのようなものを作りたいなら「水面の下の氷」は重要な考え方だと思います。「オールド楽器のような音」に興味がないなら全く知る必要のないことかもしれません。単に「売れる楽器」というだけなら必要ありません。商業なら「聞こえの良さ」さえあれば楽器はどうでもいいのです。

アーチは音にとって重要か?

アーチを作る場合一番重要なことは弦の力で潰れてしまわないことです。それ以外については絶対にこうしなさいと言えるものはありません。表面が滑らかに仕上がっていないとニスを塗るときに難しくなるので表面はきれいに仕上げたほうが良いです。しかし、ユーザーが音にしか興味がないならニスが汚くなっても構いません。それに対して弦の力にアーチが耐えられないとクレームで作り直しになってしまいます。

当たり前のように思うかもしれませんが意外と難しい問題でトラブルもあります。木を見て森を見ずになっている現代の職人は意識していないかもしれません。

アーチを作るのはヴァイオリン製作で最もおもしろい作業です。
おもしろいからと言って余計に手間をかけてしまえば、値段が高くなりすぎてしまいます。もしかしたら、余計なこだわりが音を悪くしているのかもしれません。

これは弦楽器をめぐる大きな謎のひとつです。
「アーチは音にとって重要なのか?」という問いです。

重要だという根拠を考えてみると、表・裏板の輪郭の形と板の厚みはコピーが簡単にできますが、それでも作者によって音が全然違ってくるということがあります。アーチというのは他の作者のものと全く同じものを作るのは難しいものなのでそれが作者ごとの音の違いになってくる原因じゃないかというものです。
もっと言うとオールドの時代では品質を一定に保つという概念が無かったため出来上がりはバラバラでした。ストラディバリやアマティでもアーチの高さなどはバラバラです。にもかかわらずその「作者の音」というのがあるとすればアーチの高さというような寸法的なものではなくて、その人が持っている立体感覚みたいなものが音の性格になっているんじゃないかと考えられます。人の声が皆違うようなことです。

反対の意見としては、音の性格を決めるのにもっと重要なことが他にあるのではということが考えられます。職人が見ればアーチに明らかな特徴があればそれが楽器の印象となります。しかし職人の目には大きな違いに見えることも音にとってはさほど重要ではないかもしれません。そのとき他の要素を見過ごしているかもしれません。ただ、それが何かはわかりません。いろいろなことを言う人がいます。


私にはわかりません。こんなことも分かりません。
両方の線で探って行けばいつか分かる日が来るかもしれません。今の段階でどちらかに決めつけるというのは危険でしょう。もちろんユーザーは職人の言い分を鵜呑みにせず、試奏によって楽器を選ぶべきです。



「音が違う」と「音が良い」

仮にアーチが弦楽器の音を決定づける要素だとしても、即座にアーチの出来によって音の良し悪しが決まるとは言えません。
何か弦楽器の本体に違いがあれば、それは少なからず音の違いになるでしょう。音が違うということは言えても音が良いとか悪いとかは価値判断になります。つまり状況や人によって違ってくるということです。

その上で豊かに音が響くというようなことは多くの場合に歓迎されるでしょう。
それもどんなアーチならそうなのかもよくわかりません。

私が個人的に感じているのは「窮屈なアーチ」にはあまり良い印象がありません。教科書通りに作られたモダン以降の楽器ではそのようなものはあまりありません。しかしオールド楽器にはそういうものがあります。
駒が来る楽器の中心付近がゆったりした構造になっていないとスケールが小さなものとなり、いわゆる「室内楽的」と呼ばれるようなタイプになるイメージがあります。それも好き嫌いの範囲になるので絶対に音が悪いということはありませんがかなりマニアックなタイプとなるでしょう。それでもオールドの場合には板がフニャフニャになっていたり発音が良くなっていたりするのでそこまで問題は無くむしろオールド楽器の魅力となることもあり得ます。同じように窮屈なもので現代のものであればかなり厳しいでしょう。独学のようなまともな教育を受けていない職人にはそういうものがあり粗悪品と考えています。イタリアのモダンヴァイオリンにもあり値段は500万円くらいするかもしれませんので気をつけたほうが良いと思います。同様なものが他の国の作者なら50万円を超えません。

普通に考えればモダン楽器は基本的に優れたもので、オールド楽器は例外的に優れたものがあるということです。近代や現代の楽器は優れたものがたくさん作られたので「ありふれたもの」と感じてしまうのです。

10本上等なモダンヴァイオリンがあればアーチに問題があると言えるようなものは一つもありません。
こうなるとアーチによって音の違いの傾向を見出すことはできません。試奏する以外にありません。

フラットなアーチであれば窮屈になることはありません。
短時間で何も考えずに作ったようなものでも、プロの演奏者が使っているものがあります。だからアーチなんて何でも良いという意見には一理あります。

たかがアーチ、されどアーチ

人によって声が違うように、楽器によって音が違うとすれば、アーチのもその要素の一つとなるでしょう。どうなっているのが理想かということはわかりません。

モダン楽器は古典主義の考え方でオールド楽器の中から特定のスタイルだけを選び、洗練させたものです。したがって一部のオールド楽器とは変わらない構造を持っていることになります。オールドとモダンのアーチが絶対に違うというわけではありません。

オールド楽器は個体差が大きくうまく機能しないものもある反面とても個性的で魅力的なものもあります。我々職人が現代の考え方の中で作り方を変えようと思っても出来上がってみるといつもと同じようなものしかできないのです。新作楽器がいくつかあればどれも似たような音で、オールド楽器とは全く違うということを経験している方も少なくないでしょう。

オールド楽器のような音の楽器を作るためには現代人の発想とは違う何かが必要です。
水面の下に世界があるんじゃないかと研究しています。

同じ作者でもバラつきが大きいのに「その人の音」があるということは具体的な違いではないのだと思います。
高いアーチでも低いアーチでも作者の立体を感じる感覚が共通する部分としてあるのではないかと思います。
古い時代の楽器の作り方では立体感を目で見て感じながら作っていたということは楽器を見ていればわかります。特に高いアーチの楽器を作る場合には必須です。現代では高いアーチの楽器は作らないので立体を把握できていなくても表面さえ仕上げればなんとなくできてしまいます。

より立体を感じやすい作り方にすれば個性的な音の楽器が作れるんじゃないかというわけです。
長くなったので実技は次回にしましょう。


いずれにしても弦楽器について理解するためには現代人が思いもよらない発想が必要なのだと思います。


こんにちはガリッポです。

勤め先が改装中のため家で仕事をしています。
ヴァイオリン作りをしていると一日が早く過ぎます。思ってるよりも作業に時間がかかるからです。先週は横板を作る仕事をしていました。

何年か前にうちの師匠が大学の工学部の教授と知り合いになりました。
その人は工場の生産機械を作るのが専門で有名な企業の工場の設備を作ったのだそうです。教育者が実際の現場で実績があるというのがヨーロッパらしいと思います。
ただ、その工場で働いている人は使いにくいと思っているかもしれません。教授が作ったからと使いにくい装置を使わされることもあるでしょう。それもまたヨーロッパらしさです。日本なら民間企業がきめ細かい仕事をするでしょうから。


私は経営学を勉強していましたが、会社を経営したことのある先生はいませんでした。民間企業で働いた経験すら怪しいものです。
異色だったのは産業心理学の先生で歯に衣着せぬ物言いで面白かったものです。

一般に自分の勤めている会社について、入社の難易度が高いほど満足度も高くなるそうです。仕事の内容に満足しているというよりも2度とこんなチャンスはないからだとはっきり言っていました。
その先生は消費者の行動などに興味があって専攻していたのですが、就職したら全く関係のない部署に配属されて大学に戻って研究者になったそうです。ヨーロッパと違って実務経験と結び付けてということではありません。サラリーマンの心理は知ってるでしょうけども。

消費者の行動は楽器店で働いていると経験が得られます。工場や産地では売られません。
楽器作りも難しいですがそれ以上に難しいものです。
こっちが考えているのとは全く違う次元で楽器を選んでいます。
特に才能のある音楽家は発想も飛びぬけているようです。

当ブログを見てくださるような方々は、楽器そのものにとても興味のある人でどちらかというと技術的なことに興味があるような人が多いでしょう。しかし、弦楽器を弾いている人の中ではごく一部でしかありません。
楽器を選ぶのにフェアな方法を用いるように訴えているのもそのような人ばかりじゃないからです。特に日本の場合には深刻です。

たとえばベンツの話題が上がることがあります。
「成功者の証」だという風に信じている人たちもいますし、それに対して「見栄っ張りで悪趣味」と考える人もいて論争になります。いずれにしても具体的に車自体のことについては語っていません。操縦性や乗り心地、性能がどうだとかコストパフォーマンスがどうだとか具体的なことはあまり語られません。
調べてみると同じ値段で同じくらいの車格ではベンツが一番エンジンの出力が小さいです。つまりベンツというのは非力でゆっくり走るのに適した車だということになります。ステーションワゴンが充実していて実用性もおろそかにしていないということもあります。
でもそんなことを調べる人はめったにいません。

消費者は商品そのものを詳しく調べるというよりは「イメージ」で物を買う決断をしているということです。メーカーのイメージ、広告のタレントがどうだとか、営業マンの印象によって自動車のような高額商品を買うことを決めているのです。イメージでメーカーを決めていて他社製品と比較することはしません。逆にスキャンダルが出れば製品自体の出来とは関係なく売り上げが減少します。

そのような人たちが多数派であることを嘆いているのではありません。
製品そのものに興味を持っているような人たちとは考えや行動が違うということを自覚すべきだと思います。

楽器の値段が人気で決まるとすればいろいろな考え方の人が含まれてきます。
楽器を公平に弾き比べて音が良い楽器の値段が上がるわけではないということです。

私などは反対で、製品から興味を持って各社のものを見て好きな製品を作っているメーカーをひいきにするのです。路線が変わってしまえばすぐに嫌いになってしまいます。
私が好きになった直後に会社がつぶれたりすることもよくあります。職人目線で良いものというのは儲からないのでしょう。
消費者の心理というのも面白いわけですがこれくらいにしておきましょう。


話を戻すと教授の教え子の工学部の学生がヴァイオリン作りの設備を作りたいというのでうちの工房を何度も訪れていました。それで取り組んだのが横板を曲げる機械です。同じ形のものを作るのであれば金型を使ってプレスすれば良いと思います。実際ギターなどではそうしているはずです。やはり大量生産が前提となります。

そうではなくていろいろなモデルの少量生産に対応できるようなものを考えていました。難しい点はいろいろあって、木材を曲げるだけなら蒸気で長時間蒸して柔らかくして曲げれば曲がりますが、ヴァイオリンに使うものは繊維がうねっているのでそんなことをしていたら波打ってぐにゃぐにゃになってしまいます。

試作品をいくつか作っていましたが、その学生は完成には至りませんでした。後輩がそれを受け継いで研究を続けていましたがそれも完成に至りませんでした。

現代の工業製品なら製造技術に合わせて設計や製品の開発が行われるでしょう。安く作りやすいものを作っているのです。弦楽器は500年も前に設計されたものなので機械で作りやすいように考えられてはいません。

安価な楽器ならそればかりを担当させれれば驚くべき速さで作業ができるようになるでしょう。私などは練習不足です。しかし分業で楽器を作るデメリットもあります。

考え方の違い


横板で重要なのは表板や裏板の輪郭の形と合うことです。
マルクノイキルヒェンの大量生産品では横板を分厚くしておいて裏板の形に合わせて薄く削って合わせることがあります。たまにものすごく薄くなっていて今にも穴が開きそうなものもあります。逆にものすごく分厚いものもあります。音響に影響があるかもしれません。

有名なのはフランスの外枠式です。
外枠を使うと横板が裏板や表板に対して絶対に大きくなりすぎることがありません。枠も高さが横板と同じだけあってゆがみも少ないです。
同じ形のものを作るのに適していて完成度の高いものができました。
しかしコーナーのところが難しくてドイツの外枠式の大量生産品はそこに問題を抱えたものが多いです。

伝統的にイタリアで使われていたのは内枠式です。
現在のハンドメイドの楽器ではこれが主流です。
現在は初めに横板を作ってそれから一回り大きく裏板や表板の輪郭を作るというのが主流です。これなら横板と輪郭の形が合わなくなることがありません。

横板はゆがみが出るのでそれを基準にすると裏板や表板の輪郭も歪んでしまいます。チェロなんかでは横板の高さがもあってゆがみが大きくなりやすいです。チェロでは高級品でも歪んでいるのが当たり前です。フランスのような完成度の高いものは希少なのです。

几帳面な職人なら横板をできるだけ正確に曲げてそれを基準に一回り大きな表板と裏板を作ります。2.3~2.5㎜位が平均でしょう。これが小さすぎると肩当がつけにくかったりしますし、大きすぎれば奥まっているのでニスが塗りにくくなります。独学で作ったような楽器では大きすぎるものが良くあります。

これに対してアバウトな職人は横板を適当に曲げて、それを基準にしつつも正確にするのではなく目で輪郭の形を整えることになります。したがってオーバーハングと言われる表・裏板の横板から張り出している部分はたとえば「2.3㎜」という風に一定ではありません。しかし目で形を整えるのは至難の業で単にアバウトなだけのものが多いでしょう。

古い楽器ではエッジが摩耗しているのでオーバーハングは小さくなっています。そのため私は角を丸くしたような仕上げならオーバーハングは小さめ、新品らしいものなら大きめにとるのが良いと思います。
こんなことも誰も教えてくれませんでした。みな師匠から教わった一つの寸法しか知らないようでした。楽器作りを学ぶ時に、決められた数値を与えられてその通りに正確に加工するということが求められるのです。なぜその数値になったのかについては誰も知りません。
チェーン店ではなぜそうなったか知らずにマニュアルで仕事を学ぶわけです。効率の良いものですが意味も分からずマニュアルで学んだものを後輩に指導するようになるとわけのわからない「掟」が出来上がります。


オールド楽器では摩耗しているのも部分によって違いますが、作られた当時もアバウトだったろうと思われます。表板や裏板をはがす修理を繰り返すうちにずれていったこともあるでしょう。

几帳面で厳格な職人なら最初に作り始める横板はできるだけ正確さが求められます。それが楽器作りの態度や考え方の基本になるでしょう。アーチや厚みの出し方でも考え方は同じです。何かの理論に従って正確に加工するようになります。アバウトな職人と違いが出るところで音にも影響があるでしょう。
日本に帰っていた時多くのクレモナなどイタリア製の現代のチェロを見ましたが、横板がぐにゃぐにゃで私がいつもやっている量産品よりアバウトな印象を受けました。イタリアらしいと言えばらしいです。
イタリアのマエストロは几帳面に正確にするのではなくて、大雑把な仕事でバランスを重視するのが芸術家だと主張するでしょう。なるほどですが、単なる粗悪品と見分けるのが難しいところです。

チェロに関してはそうでもなければ産業として成り立たない部分もあります。そういう楽器がたくさん日本で売られているということは、それが産業として正しいのかもしれません。

①フランスの外枠式
➁几帳面で正確な仕事
③大雑把でアバウトな仕事

横板の仕事の仕方で思いつくものはこの三つがあります。
それぞれメリット、デメリットがありますが、単なる生産性や品質の問題ではなく楽器作りの考え方を表している部分です。完成度の高い同じ形のものを作るのがフランス式です。②の方法では寸法に対しては正確かもしれませんが、美的感覚は無視しています。人間の目にどう映るかということは軽視されています。③はその点雑に作ってあっても様になって見えることを目指しています。費用対効果には優れていてセンスの良い人がやれば良いのですが単なる粗悪品も混ざってきます。完成度には限界があり、完璧さを求めると満足できる結果は得られず作業もはかどりません。

私は同じ形のものばかり作るということはしません。ちょっとずつ違うものを作れば音も違ってくるでしょう。個性的な音の楽器を作るための経験となるでしょう。近代的な考え方でもありフランス式は適していません。

この前も説明したように完成の姿をイメージしやすいということを重視しています。②の方法も適していません。これはいかにも現代的なものでコーナーなどの帳尻を合わせるのはとても難しいです。品質は高いのですが、バランスのおかしな楽器はあります。自分では腕が良いと思っているので進歩しません。

コピーを作る場合オリジナルとできるだけ同じならなくてはいけません。③のようにアバウトだとコピーと呼べるものではありません。昔の職人はそれ以上にアバウトに作っていたので同じクオリティーかもしれませんが同じ形のものではありません。アバウトな態度は音響や演奏上重要な部分や、接着面の正確さなどの品質でもいい加減になりがちです。


私はこれらをすべて合わせた方法です。
フランス式では横板が出来上がってから一回り大きく表・裏板をつくるのではなくて、同時並行で作ることもできます。表・裏板は横板を基準とするのではなくそれぞれを型などから作ることができます。こうなるととても正確に設計通りの表・裏板が作れます。
同様に私は表・裏板を先に作りそれに合わせて横板を作ります。
横板が不正確であれば、表・裏板に合わなくなりますから正確さは求められます。しかしそれを基準にするわけではないので、そこまでは完璧さは求められません。


表・裏板は設計通り忠実に作られ、そこに収まる程度の正確さで横板を曲げるということになります。オーバーハングには多少のばらつきが出ますが、オールド楽器ではオリジナルも均一ではありませんから問題になりません。

輪郭の形とオーバーハングの均一性でどちらが重要かと天秤にかければ簡単なことです。しかし厳格な職人はそれが分かりません。オールドイミテーションでなくても誰も気にしないところです。そのため普通の新作でもフランスのような完成度の高いものができるでしょう。
欠点はチェロには適さないことです。チェロになるとゆがみが大きいのでこの方法では表板・裏板と横板が一致しなくなります。




またオールド楽器のコピーを作る場合にはあまり綺麗すぎてもいけません。
横板を曲げると杢が強い材料ほど繊維がうねっているため波打ったようになります。このようなものはやすりなどでなめらかにすることができます。しかしオールド楽器を複製するときは完全に滑らかにせずに波打たせておくと良い感じになります。古くなることで波が現れてくることもあるし、作られた時からきれいに加工されていなかったかもしれません。作者によっても変えたほうが良いでしょう。このような波はニスを塗るときに影響が出ます。ほんのわずかで良いです。波が大きすぎると波の山のところがこすれてニスが剥げて白くなってしまうのです。これは微妙で失敗から学ぶものです。きれいに仕上げるほうが楽かもしれません。

実技です



1937年製のキングヨゼフというデルジェズをモデルにしています。裏板は板目板なのが特徴です。横板は板目板ではありません。ふつう高級品であれば裏板と横板は同じ板取のものを使うでしょう。グァルネリ家の無頓着なところです。ピエトロ・グァルネリでも同様です。
裏板も上等なものなので板取は違っても横板も上等なものを使います。
上等な材料ほど割れやすくカンナをかけるのは難しくなります。板が薄すいのでカンナをかけるにも不安定になります。
若い職人に試験を課すならこれをやらせれば一発で技量が分かります。

厚みはデータによると1~1.2㎜くらいです。古い楽器で乾燥や摩耗、修理歴なども考えると新品の時はもう少し厚かったかもしれません。ごく普通だと思います。

当たり前ですが本当に楽器を作っています。
横板を曲げるのに、ものすごく正確である必要はありません。デルジェズなら多少ゆがみがあるほうが雰囲気が出るでしょう。しかし木枠と横板の間に隙間があるようだと裏板や表板と合わなくなってオーバーハングが小さくなりすぎてしまいます。ある程度の正確性は必要です。
冶具などを工夫すれば完璧にできますが、ヴァイオリンではそこまでは必要がありません。

チェロでは必要になるでしょう。冶具の開発を考えています。

横板を曲げたらライニングも取り付けます。

デルジェズのコピーでは見えないところはしっかり作って、見えるところは低品質に作るのです。実際はこんなに正確に作られていないでしょう。
製品の品質という意味では接着面が完全についていることは必須です。

これで「輪っか」が出来上がりです。

写真には写りませんが触ると軽く横板が波打っています。微妙な加減です。つるつるにするほうが簡単です。

この差はニスを塗ったときに違いになって現れます。汚れの残り方や、光の反射の仕方が変わります。

横板には楽器作りの姿勢が現れる

チェロなどは横板を一周完成させるだけでひと月くらいかかります。これを量産業者から買えば10万円もしません。ストラディバリモデルのような決まった形なら作ってもらえます。問題は使えるクオリティがあるかどうかです。表・裏板と形が一致しなくてはいけないのです。音響的なことだけなら問題はありませんから、横板やスクロールは工場で作られたものを使うことも考えられます。素人が見たらだれも気づかない違いですが重要と考えるかどうかです。

こんなことも楽器作りの姿勢が現れる一例です。


私が変わりものであるということも現れています。
様々なやり方を研究してその中から自分の目的に合った方法を選択します。
このような人は珍しいでしょう。

現代の楽器製作はマニュアル化しています。
マニュアルすら学んでいなくてできていないなら話になりません。

流派や時代によってやり方が違います。それらを研究して自分なりの方法を考えます。


工学部の学生が横板を曲げる機械を作ろうとしましたが失敗に終わりました。私ならその間に横板を曲げ終えています。それだけ職人の仕事は難しいものです。

成功したとしても「機械で加工した」という事実が値打ちを損ねます。職人が手で作ったことに価値があるのです。工学部の学生にとってはそのようなことは知る由もありません。








こんにちはガリッポです。

勤め先が改装中で一週間家で仕事をしました。
快適な半面、ほとんど誰とも会わないで過ごすことになりました。
独立したらこんな感じになるんだろうと思います。
たまに顧客のところに行く以外は黙々と作業をする日々になるでしょう。

ブログに書く内容が偏るのが問題です。
日々のイレギュラーな出来事が少ないです。

このブログでは広い視野で一般的な弦楽器の知識と、私個人の興味関心の両方を取り上げてきました。楽器を作っているだけだと個人的な興味関心ばかりになります。もちろん専門化して特定の趣味趣向に特化するのも良いと思います。それも文化ですから。

他に一般的な知識を語ってくれる人がいればいいのですが…

弦楽器はブラックボックス?

自分で楽器を作らなければいかに私が技術的なことを説明しても理解には程遠いものです。それでも具体的なことを紹介することで秘密のようなものは何にもないと偏見を持たないようにしてもらいたいという思いがあります。つまり「音は弾いてみないとわからない」ということです。

オールドの名器というのは現代とは作風が違い、何百年の月日を経ている、そのためよくあるような新品とは音が違う。それは現代の職人と天賦の才能が違うということではないということを言いたいのです。当時と今とでは常識が違うということです。


だからと言って古い楽器が現代の楽器より優れていると言ってるわけではなくて、音が違うので好みによって好きなほうを選べば良いのです。しかし古い楽器の音が好きでもまともに機能するものはとんでもなく高価です。選ぶことすらできないのが普通なのですが、低価格でもそのような音の楽器が手に入らないかというのは常に私が追及しているところです。二つあってドイツなどのマイナーなオールド楽器か、自分でオールド楽器を再現するかです。
それだけではなくなぜかはわからないけど偶然味わいのある音のする楽器も存在しえて、モダン楽器も新作楽器も無視できないことになります。たくさん弾けばあるかもしれません。

このような音色の味わいというのは趣味性が高いと言えます。


それに対して実用性というのもあると思います。
オールド楽器のような味わい深い音でも、複雑な曲に反応が追い付いてこなければ実用性が十分とは言えません。学生などではまずは実用的な楽器で腕を磨いてからということになります。プロのオーケストラ奏者ならこのような楽器はぴったりです。ソリストでも広いホールで弾くなら無視できません。


味わいと実用性の両方を備えたものとなるとこれは難しいです。
弦楽器に限らないでしょう。
自分はこれくらいのバランスで妥協する点を見つけるのが目標ということです。
妥協できる人が上級者なのです。
実用性が高くてもあまりにも味気ないということもあるでしょうし、味わいが何より大事でも全く実用性を無視はできないということもあるでしょう。


いずれにしても弦楽器はブラックボックスだと考えるべきです。我々職人でも何がどう機能してその音を作り出しているかはわかりません。各部の寸法を変えることで自由自在に音を作ったりすることはできませんし、異なる方式は無くそれを選ぶこともできません。理解することはできないのです。ましてやユーザーが店頭で楽器を見ても違いはよく分かりません。説明を聞いても店員もわかっていません。

なぜかはわからないが楽器には固有の音があります。
演奏者にはそれ以上に固有の音があります。

そのため仕組みを理解しようとはせず、ブラックボックスとして扱うべきです。


例えば何を弾いても耳障りな音がする人と何を弾いても柔らかい音がする人では同じ楽器を弾いてもまったく違う音がするし、楽器の評価もまったく違ってきます。
楽器店で働いていればそのようなことは日々経験することです。

さらに音の好みもまったく違います。
私が耳をふさぎたくなるような音でももっと強くしてほしいという人もいるし、もっとしっかり音を出すべきだと思っていもこれが良いという人もいます。

多くの人は「自分が独自の趣向の人」だと気づいていません。
自分が感じていることと同じことを他人も感じていると思い込んでいます。

客観的な人間なんていないものです。
客観性を重視するのは自然科学ですが、理系の人が客観的かというとむしろ専門バカみたいなところがあります。


「あなたの好みは変わっています。」とお客さんに普通言いません。その人の趣向が唯一の美意識であるかのように対応すれば共感が得られるでしょう。

人間の趣味趣向を解明することができませんからこれもブラックボックスです。

楽器、演奏技術、趣味趣向の3つのブラックボックスが組み合わさった結果もブラックボックスです。ユーザーが努力である程度何とかできるのは演奏技術です。

センスの良さ

世の中にはたくさんの実用や趣味があります。趣味や風雅の心というのは時代や地域、ジャンルによって語られてきました。
いずれにしても幸福感を感じることが成功だとすれば何を手に入れたかではなく、いかに満足できるかということになります。

何も手に入れなくても、ありふれたものでも満足を感じられれば幸せです。
それが一番センスがあると言えるかもしれません。
楽器についても自分の楽器を最高だと信じて弾き込んでいれば良い音が出るものです。

何にでも不満を感じるならセンスがないなと思います。ネット時代にはそういうセンスのない人の声が大きくなって世の中がつまらくなってきているようです。病名がいずれ付くかもしれません。批判を恐れて当たり障りのないものが作られて、つまらないという批判を受ける悪循環です。

一方、何でもポジティブに評価するというのはウソでもあります。
それが難しいところで問題や課題は解決していかなくては行かないのです。
楽器の音が気に入らないというときには適切な対処をしなければいけません。楽器の買い替えから修理改造、弦の交換まで様々な選択肢があります。しかし何をやっても新たな不満が出てくるなら幸せではありません。

木を見て森を見ずと言います。
一つ一つの細かいことが完璧でないといけないと思っていると全体が見えなくなっています。



私ももともと技術者や職人らしく専門バカ的な傾向の人です。
弦楽器製作で一つのことに集中すると他のことを忘れてしまいます。
たとえばf字孔を加工するとき、初心者はナイフをうまく使えなくて切り口のラインがガタガタになってしまいます。ところがラインばかり気にしていてると全体の形が不格好になってしまいます。左右も対象にしなくてはいけません。となると左が削りすぎて失敗したら右もそれと同じにしなくてはいけません。

何時間も何日も見ていると眼が冴えてきて普段とは違う見え方になってきます。わずかなラインの乱れも見えるようになってくるのです。完成するころには眼がニュートラルになっているので「あれこんなんだったっけ?」とバランスのおかしさに気づくことがあります。何年も前に作った楽器でもそうです。それで気にしだすとそこばかり気にしてしまいこのヴァイオリンは大失敗だったとがっくりです。

雑に作られた楽器が意外と悪く見えないのはそういう深入りしすぎた失敗をしていないからです。デルジェズなんかはまさにそうで、完璧さを目指すと不格好になりやすいのです。
私も20年近くやってきてこの5年くらいでようやくそういう失敗が少なくなってきました。これが雑な人は初めからできるのです。そういう意味では私にはセンスがないのです。

一本の木が気に入らないだけで森全体を見ずにすべて駄目のように思ってしまいます。満足とは真逆ですからセンスないです。特に日本人に多い傾向と言えるでしょうか?たった一つの些細な欠点で愛想をつかして失望してしまうのです。そればかり気にしていじることによって余計に悪化させてしまうのです。

これはあきらかに達人ではありません。下手くそです。
下手くその声が大きいのです。

いろいろな趣味でも満足を得ることが下手な人はエスカレートします。エスカレートしてしまった下手くそを取り上げて「あの趣味は気持ち悪い」と言われて論争になります。その人が下手くそなだけでセンス良くやれば人生を豊かにできます。


弦楽器について特に重要なのは一つの要素に執着すると他が見えなくなってしまうことです。理解したいと思いが強いほど逆の結果をもたらします。

ブラックボックスとして理解することを放棄したほうが間違いが少ないでしょう。
そして結果としての音に注目するのです。

要素に分解して単純化して原理原則を作るのではなく、個々の楽器のそのままをそのままとらえることが弦楽器では重要だと思います。それができれば達人です。

趣味性

趣味には人それぞれいろいろな考え方があります。弦楽器の業界では〇〇系みたいに美意識や音楽ジャンルに基づいた分類はされていません。音の好みなどは生理的な好き嫌いくらいです。いろいろな趣味趣向があれば部門ごとに評価が全く違うということがあるでしょう。ぜんぜん詳しくないですがロックフェスティバルにジャミロ・クワイが出て物を投げられていたことがあったと思います。ジャンルが違えば敵になるくらいです。

弦楽器はそのようなものが全部一緒くたになっていて何が良さなのかよくわからずに天才職人とか名器とか言われています。The Stradみたいな雑誌でストラディバリの記事があってもどんな音かは書いてありません。ただただすごいという印象を与えます。

私は「オールド楽器のような音色」という風に一つのジャンルを提案しています。普通は音楽を楽しむのであって楽器の音色を楽しむというのは特殊な趣味です。音楽がメインならそのような趣味を知らないのが普通であってヴァイオリンを買いに来たお客さんの多くは音色にははっきりした好みを持っていません。初心者や子供が楽器を選んでいるときに、私たちは「楽器はそれぞれ音色が違いますよ」と教えてあげると初めて音色を意識するようになるくらいです。
レッスンを受けて練習するにしても音楽を演奏しなくてはいけません。音符の音を正しく出すのです。乗ってくれば素晴らしい演奏になります。そのためお客さんが楽器を選ぶ時は一番よく鳴る楽器を選ぶことが多いです。競争心から人より強い音の楽器を欲しいというのもあるでしょう。

それだけではなくて音色というのもあるよということを私は紹介しています。オールド楽器を弾いたことが無ければそのような音があることを知らないからです。紹介するのは頭に無い人が多いということでもあります。


必ずしもオールドの音色が良いという決まりはありません。
美意識のジャンルは自由に選べば良いからです。
私は個人的に職人になってヴァイオリンを作りたいと思ったときにイメージしていたのはそのような音色だったのです。現代の作り方を教わって作った音にはがっかりしました。

それは個人的な好みの問題で、現代の楽器の音のほうが好きだという人がいてもまったくおかしくありません。楽器店ならそのような要望に応える必要もあります。


他にいろいろな趣味があっても良いと思います。
ただし、メカニズムを理解したいなら弦楽器はやめたほうが良いです。機械か何かに凝ったほうが良いと思います。理論を実現した「美しい機械」があるかもしれません。
勝ち負けを決めたいなら自動車レースのような勝ち負けのルールのある競技のほうが良いと思います。それでも違うカテゴリーなら勝負になりません。直線を競うものや曲がりくねったカーブのあるレースもあります。どのレースが一番なのかとなると、大会の権威の問題になります。そうなると社会の問題です。


私は楽器は絵画で言うと絵の具みたいなものだと考えています。
どの絵の具を使っているかによって絵の魅力が決まるわけではありません。魅力的な絵を描くには画家が適切な絵の具を選ぶ必要があるでしょう。でもそこら辺の鉛筆やサインペンでも画力はわかるものです。
作品の完成度となったときには必要な知識です。
しかし絵具マニアになっても絵が気持ち悪ければ人は寄り付きません。



デルジェズのパフリングの続き

前回は埋め込むパフリングそのものについてのお話でした。パフリングには作者の雰囲気が出ます。現代風のパフリングがついていれば雰囲気が出ません。そんなことを皆さんは知らなくても良いです。知らず知らずのうちに雰囲気になっているのです。どこがどう違うのかわからなくてもパッと見た瞬間に雰囲気となって感じられることが目的です。ですから「デルジェズのパフリングはこうなっているのが正しい」と正当性を主張するべきではありません。たたずまいがしっくりくることが肝心です。なじんでいないと不自然です。

通常パフリングは表板や裏板の端(輪郭)から等しい距離で入れられます。ヴァイオリンなら4㎜程度です。3㎜台なら繊細な感じがして、4mm以上だと無骨な感じがします。
極端にエッジに近いものはマルクノイキルヒェンで作られました。イタリアの作者のラベルが貼ってあってもまずドイツ製です。それものちの東ドイツです。ネットオークションなどではこのような楽器で上等な木材のものが出ています。強い杢の素晴らしい裏板にだれか作者の名前のラベルが貼ってあっても量産品です。量産品としては良いかもしれませんが、修理代が楽器の価値と同じかそれ以上くらいかかるかもしれません。

この距離の決め方はいろいろありますが、コーナーの部分で違いが出てきます。
コーナーを富士山のような山に例えると、パフリングと端からの距離が離れていればすそ野のほうでぶつかります。距離が近ければ山頂近くでぶつかることになります。ストラディバリモデルできれいに見えるには山頂近くではだめです。
コーナーの太さも重要です。
端からの距離が同じならコーナーが細いほうとパフリングはふもとでぶつかり、太いと山頂近くでぶつかります。アマティや若い頃のストラディバリは細く長いコーナーで、ストラディバリも晩年になると太く短いコーナーになります。ストラディバリモデルも晩年のストラディバリの形が基本となっているので太めです。デルジェズはアマティの流派で細いです。
G・ロッカのガルネリモデルはフランス風のストラディバリモデルのコーナーがついているので四角く太いものです。ガルネリモデルにストラドモデルのコーナーがついているのでフランスでなら間違いとされたでしょう。フランス風の楽器作りを教わったロッカでもストラドモデルの作り方しか知らなかったのかもしれません。
コーナーが適度な太さになっていなくては思ったようにいきませんが、不規則な形をしているので太さを測定するのが難しいのです。目分量で行くしかありません。そのため職人のセンスが出るところです。

私はこのようにコンパスで端から一定の距離の線を引いて確かめます。
アーチのやり方にも表れていますが私が楽器作りで重要視していることは、途中でも完成の姿をイメージしやすいように作っていくことです。荒い加工から最後の精密な仕上げに至るまでの過程で初めはお大雑把に形をとらえ、だんだん凹凸やラインのぶれが無いように仕上げていきます。仕上げさえ丁寧にやってあれば丁寧に作られているので安物とはなりませんが、職人の造形センスが現れるのは大雑把に形をつかむ力です。画家がさらっと描いた絵で迫力があるのと同じです。音響的にも仕上げのようなわずかな差は音の差になってきません。ざっくりと作られた形は音へ影響が現れるでしょう。仕上げを丁寧にやろうが少し雑にしようが音には影響がありませんが、ざっくりと形を作る段階で違う形にすれば音に影響があるでしょう。アーチなどはまさにそれが音の性格になってくるのではないかと思います。しかし法則性はわかりません。
私などは連続して作った3台のヴァイオリンではっきりと音に違いが現れました。

アーチを作るのに断面のテンプレートの型をあてがって作ることをだれでも思いつきます。しかし最後の仕上げの段階にならないと表面がデコボコなので型をあてることができません。仕上げまで来て形を作り変えるとなると作業の効率も悪いし型以外の部分がつじつまが合わなくなります。型をあてがうラインのところだけを作っているわけではないからです。アーチのカーブは一度にいろいろなことを意識しなくてはいけません。大雑把に形を作るときに全体的に形が作り切れていないともう終わりで取り返すことはできません。一度仕上がった段階からノミの刃を入れるとボコッと穴が開いてしまうのでカンナを使ってちょこちょこ削ることになります。カンナというのはデコボコをならす働きをする道具なので、多用するほどアーチのキャラクターが無くなっていきます。見た目は現代風になりアーチに個性が無くなります。音にも個性が無くなることでしょう。


話をパフリングに戻すと、コーナーやパフリングは近代・現代の腕の良い職人はバランスが良くなるように気を使っています。意味も分からずやり方だけを教わった職人はコーナーのところでパフリングが不自然になっています。一流の職人と平凡な職人の差が出るところです。イタリアのモダン作者で700万円とかしても平凡な職人であることがすぐにわかります。私は値段で騙されたりしません。

オールドになるとお手本が定まっていませんからバラバラです。モンタニアーナなら山頂のほうでぶつかっているので独特の感じに見えます。G・B・グァダニーニもそうでしょうか。デルジェズは逆で麓のほうでぶつかっています。

このようにコーナーは作者の特徴が出るところでパフリングも印象を大きく左右します。
平凡な腕前の職人を巨匠と勘違いすることはありません。音は関係なく、平凡な職人でも音が良い楽器があります。そのため弾いてみないとわからないと言っています。





パフリングカッターのような道具はストラディバリも持っていたようです。
ナポリのガリアーノなどを見るとパフリングがぐちゃぐちゃで専用の道具を使っていなかったのではないかとも考えられます。それも流派の特徴で見分けるポイントとなります。

私が自分で持っている細いほうのものは厳密に調整して使いやすいものですが、使いやすいというのはパフリングを綺麗に入れやすいということです。今回はデルジェズなので使いにくい会社のものを借りました。フラフラしてぶれやすいのですが今回はそれを必要としています。


普通は端から同じ距離でパフリングを入れます。
その時パフリングがきれいなカーブになっているときれいに見えます。そのためには輪郭がきれいなカーブになっている必要があります。
これは近代の価値観です。アマティなどは独特のカーブで必ずしも完ぺきではありません。それはキャラクターになっていて平面の写真では不自然だと思っても、出来上がってみると不思議と美しく見えます。
それに対してジュゼッペ・グァルネリ(デルジェズの父)はコンパスで描いたようなカーブになっているものがあります。特にアッパーバウツがまん丸のものがあります。これは不自然なものです。それもユニークなキャラクターです。

オリジナルのストラディバリに比べると近代のストラディバリモデルではより完璧になるように腕が競い合われました。今でも製作コンクールで競い合っています。ただし、やればやるほどオールド楽器とは印象が違っていきます。ヴィヨームやサッコーニを見たとき「ストラディバリとは違うなあ」と思うのはこのような考え方の違いです。優れた職人は腕の良さをアピールしたくなってしまうものです。


デルジェズの場合にはパフリングのラインがきれいなカーブを描いておらず、くねくねしたり、端からの距離が一定ではなく輪郭の形とあっていなかったりします。デルジェズの仕事の不正確さが原因なのですが、それを正確に再現するのは難しいものです。

オールド楽器を写真をもとにコピーするときは表板や裏板の輪郭ではなく、パフリングのラインを再現するようにします。何故かと言うと輪郭は長年の仕様で摩耗していて作られた当時とは形が変わっているからです。パフリングの線から一定の距離で輪郭の型を起こします。デルジェズのようにくねくねしていたらくねくねした輪郭の型を起こすのです。その輪郭から一定の距離でパフリングを入れた後で輪郭をならして仕上げると輪郭の形に対して不正確なくねくねしたパフリングができます。そのため初めに大きめに輪郭を作っておきます。

腕の良い職人は綺麗に作るということが染みついているので意図的にやらなくてはできません。放っておいたら現代風の楽器を半ば自動的に作ってしまいます。デルジェズのような不正確な仕事を正確に再現するのは余計に手間がかかります。


もう一つの問題は裏板と表板で形が違うのです。当時の作り方の手順では裏板と表板の形はかなり変わってしまいます。それも表板裏板のそれぞれの実物大の写真のパフリングのラインから輪郭を起こせばオリジナルにかなり近くなるでしょう。ただし、カメラには誤差があり印刷にも誤差があります。カメラの角度がわずかに違ったり、レンズによっても像がゆがみます。完璧な写真は無いのでその辺は微妙な修正は職人の勘が必要になってきます。裏板と表板をそれぞれ写真から起こしすと形が違うので横板が合わなくなります。横板も微妙に調整してつじつまを合わせるのです。

それでも今回はあまりにも裏板と表板の形が違いすぎました。表板をつける段階になって横板とまったく合わなければ困ってしまいます。リスクが高すぎるので今回は裏板と同じ形にすることにしました。裏板を基準にするのは、表板はf字孔のような個性を表現する部分もあるし、指板やテールピースなど別のパーツがたくさんつき、輪郭もひどく傷んでいて原形をとどめていないのでそこまで違いが目立たないでしょう。このような妥協は重要です。
ただし見た目の感じでパフリングのラインやコーナーの感じをオリジナルと比べて違和感のないように調整します。裏板を左右反転させた写しではなく、何となく見た目で形を整えます。


写真から起こしているのでこのような精密なことができますが、実物からコピーするときは摩耗した輪郭線を基にするしかありません。正確にコピーするという点では写真から起こすほうが良いです。両方あるのが最高です。音響的に差が出るほどの差ではありません。

いずれにしても妥協点を探さなくてはいけません。
表板は裏板の形をもとにしながらも見比べて違和感が無いように手直しをします。それは想像の世界ですからファンタジーです。

そういう意味では全く同じコピーではなく、想像の範囲があります。そのため機械的な作業ではなく、当時の職人と同じような技量や感覚が必要となるのです。クレモナのオールド楽器の場合その基礎となるのはアマティです。私のオールド楽器の複製の特徴としてはアマティの感覚を基礎としている点です。近代の楽器ではフランスで確立したストラディバリのコピーの手法が基礎になっています。外の形をデルジェズにしてもモダン楽器や現代の楽器になってしまうのです。

私もいずれ歳をとったら手の込んだ複製は作れなくなるかもしれません。自分のモデルを作るようになったとしても現代の職人ではなく、1700年ころクレモナにいた職人の一人となることが目標です。

画像で楽しんでください



遠目に見れば仕事の粗さも目立たないので意外と悪く見えません。形はいかにもデルジェズと言ったものです。

コーナーは完成時をイメージするため摩耗したように丸くしてあります。デルジェズらしさはよく出ていると思います。

パフリグの継ぎ目もきれいなものではなく左右のパフリングで白や黒の線の太さがまちまちなのが分かると思います。木釘もきれいな円ではありません。

近くで見るとパフリングには独特のタッチがあります。昔は鉄の塊みたいなものを熱してパフリングを曲げたのでしょう。熱すぎて焦げてかくっと曲がってしまったことがあるでしょう。それははんだごてで再現しました。
コーナーの上側のカーブがなめらかではなくコーナーのところでかくっと曲がっているのもわかると思います。

右側もきれいに曲がっていません。

コーナーより上側で外側の黒が太く内がわが細いです。
コーナーのパフリングの合わせ目は「麓」の方なのが特徴です。


溝をナイフで切るときにミスをすると穴が開きます。これもワザとやったものです。
パフリングの合わせ目の先端がコーナーに対して外側を向いています。アマティやストラディバリとは逆です。

パフリングのラインはきれいな弧を描いておらずかくかくと曲がっているところがあります。

アッパーバウツの幅の広いところもくねっとした感じがあります。



表板はファンタジーです。

オリジナルのコーナーは摩耗がひどく原形をとどめていないので想像で復元です。表板は柔らかいので溝がガタガタしていてもパフリングはそれに沿って曲がるより左右に隙間ができます。汚らしい感じが十分出ています。

普通に考えたらクオリティが低いわけですが、デルジェズのコピーはこれくらいのほうが雰囲気が出ます。後でニスを塗ったり、エッジの溝の彫り方に特徴があり汚れで溝が埋まっているように表現すれば違和感なくなじんできます。
パフリングは場所によって黒や白の線の太さが違うのですが、オリジナルと同じ位置に来るようにしています。
仕事は粗くてばらつきがあってもコーナーなどにはアマティ派の特徴もあります。ただ単に雑に作られた楽器との違いは一目瞭然となるでしょう。

「木を見て森を見ず」は下手くそ「足るを知る」のが達人

私は細部にこだわっていますが、職人はみなそれぞれ自分の考えがあります。自分では優れたものを作っているつもりでしょうが客観的には画期的なものではありません。主張を鵜呑みにするのではなく音を試してみなくてはいけません。

一つのことに意識が集中しているとき他のことは留守になっています。何かについてはっきり考えるほど他のことが頭から消えています。楽器作りではそれがとても難しいです。何かを気にし始めると深刻に考えすぎてしまいます。
逆に自分が意識しているところだけうまくできていると最高だと過大評価して自分が意識していないところおろそかになっています。

芸術でも趣味でも同じだと思います。
自分はわかってると思っている人こそ下手くそだったりします。

気に病んでつまらないことを気にしてしまう人、自分を過大評価してしまう人どちらも下手くそです。
難しいもんです。


デルジェズは雑に作ってあるのに他の雑な楽器と違うのが独特です。やはりそれはアマティの流派のグァルネリ家の人だということでしょう。現代の弦楽器づくりの考え方はフランスで19世紀にストラディバリを改良したモダン楽器がもとになっています。デルジェズには当てはまらないのでこの考え方ではデルジェズを理解することはできません。現代の職人で腕が良いという基準は全くデルジェズには当てはまりません。現代の雑な楽器と同じかというとそうではないように思います。


どのようなものが良いとか悪いとか、優れているとか劣ってるとかを公に決める必要はありません。
べニア板で作られたチェロの音が良いとその人が思うならそれはその人にとって良い楽器です。プロの演奏者にそういう人がいるからと言って私たちは知識として「べニア板のほうが音が良い」とは言いません。300万円のチェロよりその人が音が良いと言うのでべニア板のチェロを400万円にしようとは思いません。自分で判断してください。


知名度や産地で判断したり、値段をバロメーターにしたり、メカニズムを理解して弦楽器の音の規則性を理解できるだろうというのは自分を過大評価しています。下手くそです。















こんにちはガリッポです。

勤め先で店内を改装することになりました。弦楽器工房はそれ自体現代の産業のお店とはぜんぜん違うもので、古い時代を感じさせるものです。80年代に今の場所に移ってきました、ガタが来ているのでお客さんからは残念がられますが改装することになりました。

当然業者に頼むわけですが古い内装と天井をはがす作業は自分たちでやりました。
木工の作業場できれいに片付いていることはまれで、どうしても道具やら材料やらであふれていきます。それを片付けることから始まりましたが、時間に余裕がなく、ただ隣の建物の部屋を借りて運び出したのでした。問題は先送りです。

壁と天井には板が貼ってあったので大量の板が出ました。
それを全部同じ長さに切って薪としてストーブで燃やせるようにしました。
かなりの量でした。


こんな作業をしていても向き不向きというのがあって、私は物を捨てるか残すか選別して種類に分けて分別している横で、別の人はどんどん箱に入れて運び出しているのです。
切った板を積み上げていくのにも崩れないように板を選んで積んでいくのですが、他の人は半分くらいの時間で終えてしまいます。

いざとなったら他の仕事に転職しようかと思っていましたが、私のできる仕事はかなり限られているようです。


普段のヴァイオリン職人の仕事に比べると大雑把で、同僚は日ごろの神経を使う精密な仕事のストレスを解消しているようでした。私は普段の仕事にストレスがないのでその必要はないし、こんな作業でもきちっとやりたくなってしまいます。

私がストレスに思うのは大雑把に雑に仕事をしなくてはいけなかったり、中断や邪魔が入ることです。そりゃ職人なら丁寧な仕事ができる人が優れていると思うかもしれませんが、現実には作業に時間がかかるほど、料金や価格に上乗せされていくのでお客さんに高い値段を請求することになります。お客さんは壊れているかも自分でわからないものに、何十万円も修理代がかかると思っていませんからびっくりさせることになります。

多くの職人にとっては細かい作業を正確に行うことはそれ自体がストレスです。世に存在する弦楽器の大半は私が作ったことがないような雑なものばかりです。そんなものを作らなければいけなくなれば私はその仕事を続けていくか葛藤することでしょうが、何の葛藤もない職人が大半なのでしょう。

そのように作られた安価な楽器の修理では欠陥部分を直し始めたらきりがないし、故障個所でも楽器の値段より高い修理代になってしまいます。そのため、短時間でとりあえず使える状態にするというタスクになります。雑な仕事の人はそのようなタスクは得意で自然にそれができます。私は意識して「雑にやらなくてはいけない」と考えます。かといって本当に雑にやると失敗になることがあります。
普通にやって雑な人は普通にやるだけで良いのに対して、クオリティを抑えなくてはいけないのです。時速100キロメートルで走るのに、100km/hしか速度が出ない車ならアクセルを全開にしていれば良いのですが、200km/h出る車ではアクセルを加減して100km/hにしなくてはいけないのです。やみくもに速度を落とすと遅くなりすぎてしまいます。

職人は雑に仕事をする人が頑張って丁寧にやるくらいがちょうどいいのです。
イタリアの楽器でよく思うのはそういう楽器が多いのです。
客観的に見れば間違っても細部までこだわりぬいて作ったものではありませんが、本人としてはきちんと作ったつもりなのです。自分では完璧だと思って自信にあふれています。

丁寧に仕事をする人が不完全な状態を「これで良し」と判断するのは難しいです。理想を考えていくときりがなくいつも不満な状態で終わりにしなくてはいけません。
雑な人は「これ以上はやりたくない」という限界がはっきりしています。自分の仕事を限界までやり抜いたと満足しています。その人が師匠になればそれが絶対の基準となります。

ネックの角度が狂ってくるのはよくあることでこれなんかはまさに難しい課題です。
ちゃんと直すには継ネックという方法しかありません。それでも胴体やペグボックスなどが理想的でなければ正確にはいかないことがあります。すべて理想的にやったらヴァイオリンでも30万円では済みません。たった数ミリのネックの誤差で40万円も請求できないので苦し紛れの修理となります。高価な楽器を買ってしまいそのようなお金を持っていないならこっちも困ります。
いろいろな手抜きの修理法があり、それを何の躊躇もなくできる人は「仕事ができる」ということになります。


マルクノイキルヒェンのヴァイオリン

この前紹介したヴァイオリンの修理が終わりました。


へバーライン家の楽器でハインリッヒ・Th・へバーライン・Jr.の1908年製というラベルがついています。本物であるという確証はありませんが、それほど高価な作者ではなく品質も高いので本物と考えて良いと思います。もし違っても値段が変わらないからです。


マルクノイキルヒェンの楽器の中でもクオリティが高いことは間違いなく、上級品であることはすぐにわかります。ドイツのマイスターの楽器ということができます。職人の腕前としては十分に高いもので現代でも通用します。

マルクノイキルヒェンの悪い特徴がありません。
量産品らしい作風でもありませんし、ニスもラッカーのような硬いものではなく柔らかいオイルニスです。板の厚みもドイツの20世紀の楽器によくあるような偉そうな理屈でシステム化されたようなものではなく表板も裏板も適度に薄く作られています。


スクロールもとてもきれいに作られていて量産品とは違います。


現代の職人に対して何一つ劣ることは無いうえに、古くなって音が出やすくなっています。状態もよく大掛かりな修理も必要ありません。値段は新作より安いくらいです。それは、国際的にはこのような楽器の価値に気づいている弦楽器業者が少ないからです。そのため現代人の生活水準では価格競争力がありません。

これが楽器の取引と音楽の現場とのギャップです。
楽器の相場はオークションなどの価格がもとになっています。音楽をやっている皆さんはオークションに参加しているでしょうか?それなんです。オークションに参加する人は一般の音楽をやってる人とは違う人たちです。彼らの間で重要視されていることは音楽をやるうえではどうでもいいことです。音楽の現場とオークションの会場では全く関係のない別世界なのです。そのようなオークションがロンドンやニューヨークで行われていて我々にとっては海外の話です。

マルクノイキルヒェンの楽器というのは量産品のイメージが強いため、欲にかられた人たちを惹きつける「聞こえの良さ」に欠けています。しかし「音楽で使えるかどうか」では一つ一つの楽器を見なくてはいけません。演奏家と密着して仕事をしている職人ならそれを見分けることができるというわけです。

我々が肌で感じる演奏家に求められているという感じが「国際的な評価」とはかけ離れています。クラシックの伝統のある国々の「ローカルな評価」と「国際的な評価」が全く別物なのです。
日本人にとっての寿司とSUSHIみたいなものです。国際的な評価というのは魚の味を分からない外国の人たちがしょうゆをベッタリ付けて慣れない箸でSUSHIを食べて味を評価しているようなものです。醤油をソイソースと訳したために欧米の人たちは醤油をソースと勘違いしています。フランス料理のソースのように醤油をたっぷりと付けて食べるのです。ちなみに外国で寿司を食べたときにがっかりするのは魚以前にご飯の炊き方です。



このため、無名な良品の売買をしていれば自分で楽器を作る必要はありません。
ユーザーに鳴らない新作楽器を押し付けることは良心的とは言えません。


もう一つ同じヘバーライン家のビオラがあり、紹介したかったのですが、改装の混乱で写真が取れませんでした。同じような作風のビオラでニスはもっと暗い赤茶色をしています。柔らかいオイルニスです。ビオラであれば特に暗い色のニスは好まれます。

サイズは39.5㎝の小型で180㎝くらいの男性が使用しています。板は薄めに作られていて私も理想的だと思います。音は小型でも低音が豊かで暗く暖かみのあるものです。持ち主もそれをとても気に入っていると言っていました。魂柱と駒の交換程度の修理でしたが、音がはっきりと出るようになって満足していました。戦前のもので発音も良いものです。耳障りとまでは感じませんでした。

このようなビオラはこちらでも探すのは難しいものです。日本で買うのはまず無理でしょう。クオリティは高く、サイズが小型、板も薄く低音も豊かで、発音がよく耳障りではないというわけですからかなり優等生ですね。

強いて言えばペグボックスがいわゆるチェロタイプなのが難点です。それでも弾きやすさには十分に配慮して作られていて見た目は理想的ではありませんが妥協点を追及しています。つまり楽器としての機能性を熟知していたということが言えます。マルクノイキルヒェンやクレモナのような大きな産地によくある楽器とはその点が違います。

このような楽器が分かることが重要です。モダン楽器としては特別有名ではなく値段にプレミアはありません。楽器の質がそのまま値段になります。もちろんヘバーラインにこだわることではありません。有名な作者の楽器はコストパフォーマンスでかないません。

音は一本一本違い各自の好みで選ぶしかありません。ヴァイオリンなら同等のものが結構多く作られました。日本で買うことは難しいかもしれませんが、うちの店ではいかに有名なイタリアの作者でも新作楽器はこれより格下の扱いとなるでしょう。

デルジェズのコピー

デルジェズのコピーで最初の山場を迎えています。それはパフリングです。デルジェズはパフリングの雰囲気に特徴があります。平たく言うと仕事が汚いです。アマティやストラディバリのようなきれいな仕事を再現することは難しいです。しかし、汚い仕事を再現するのも同じかそれ以上に難しいです。アマティやストラディバリのようなものは努力して腕を上げれば良いのに対して、デルジェズが雑に作ったのと同じになるように観察して場所ごとに手を入れなくてはいけないのです。

この場合には二つ可能性があます
①デルジェズと同じレベルの雑な仕事をする
➁デルジェズが作ったものをそのまま写す

①はオリジナルの楽器とまったく同じではないが同じような仕事の雰囲気になるというものです。②だと全く同じ個所に全く同じゆがみや狂いが来るようにするというものです。

現在ではパフリングは専門の業者が作り、量産品でもコンピュータ制御の工作機械で溝を加工するのでデルジェズよりはるかに均一にきれいに仕上がります。そのためガルネリモデルでも現代の楽器とすぐにわかります。

それに対して19世紀に手作業で雑に作られた安価な楽器がイタリアのオールド楽器に仕事の雰囲気が似ているので偽造ラベルが貼られ流通しています。

①は雑な職人には天然のセンスがあり普通に仕事をするだけでデルジェズのようになります。私は普通にやったらアマティやストラディバリのようになってしまうので➁の方法で荒い仕事を正確に写すことにしました。これは余計な手間がかかるためアマティやストラディバリのコピーを作るより時間=コストがかかります。雑な仕事に見せるためにきれいな仕事よりも手間暇をかけるのです。これは普通に考えればばかげています。時間をかけてクオリティを落とすのですから。しかしこれをやらないとデルジェズの感じが出ません。
このような考え方を理解できない保守的な職人は多いと思います。
ヴァイオリン職人は伝統産業できれいに仕事をすることが良しとされていれば、パフリングがきれいなほど高価な楽器だと信じ込んでいるからです。現代の楽器製作はフランス流のストラディバリコピーの手法がもとになっているからです。モダン~現代の楽器製作で良しとされていることにデルジェズの楽器は反しています。モンタニアーナのチェロの時も話しましたが、現代の楽器製作を最高だと信じている頑固な職人はデルジェズの楽器を認めない人もいます。ヴィヨームなどのガルネリモデルでも形は整えられサイズは大型化され、仕事の質はフランス風で全く似ても似つかないものです。

実際に多いのはデルジェズが高価で最高の名器であると考えていながら、自分が作るときになると現代風の似ても似つかぬものを作る言うこととやることが矛盾した職人です。


ヨーロッパでは古い楽器を模した物のほうが売れるので楽器製作で食っている人の半分くらいはアンティーク塗装をやっています。アンティーク塗装でも現代風の作風で塗装だけ汚れた風にしているのが大半です。パフリングも現代風のパフリングであることが多いです。
保守的な職人は日ごとに自分の楽器が売れなくなっていく現状を「世の中が悪い」と意見を言って暮らしていることでしょう。口で意見を言っても何も現状は変わりません。
パフリングは黒と白い木を埋め込むわけで、これを専門に作る業者があります。自動車整備士の一時間の工賃が日本で1万円くらいするとすれば、同様にパフリングを作るのに3日かかれば20万円以上に相当します。買えば3000円もしません。自分で作れば20万円損するわけです。楽器店に楽器を卸すような職人なら無視できないコストです。自分で売るにしてもほとんど違いがないのに20万円ですよ。自作でパフリングを作るのはそうとうな物好きです。職場で自分で作っていたら正当な理由を求められます。それが多数派です。しかしなぜ自分はヴァイオリン職人になったのか?ヴァイオリンを自分で作りたいからでしょう。ならばなぜパフリングは自分で作りたくないのでしょうか?…私のようなのは少数派です。

特に一般的なものは黒い部分にはファイバーと呼ばれる人口繊維を使っていたり、白い木を黒く染めていたりしていて300円くらいです。黒い部分に黒檀を使うと伸縮性がなく曲げにくいので初めから曲げてあるものを買わなくてはいけません。

市販されているパフリングは太いものが多く、特に白い部分が太いものが多いです。
このほうがきれいに見えるからですがその結果現代風に見えます。アンティーク塗装でもパフリングが現代風というのはこういうことです。

だいぶ高くなりますが厚みを指定して注文できる業者があります。
問題はデルジェズの場合にはパフリングの厚みが一定ではないことです。黒、白、黒の三本の太さが場所によってバラバラなのです。市販のものを使うと絶対にそういうものができません。ストラディバリでも完全に均一ではなくて手作業特有の誤差があります。

オリジナルもおそらく白い木を黒く染めたものを使っていると思います。黒檀は硬いので波を打ったような曲がり方をしないのです。柔らかい木を使っていると思います。
しかし染めるのは難しいだけでなく将来の色の褪せ方などが予想できないので今回は交換のために外された古いチェロの指板をリサイクルして作ります。特に色の薄いものを選びました。指板としては茶色くて安いグレードのものですがパフリングにしてみると黒すぎず良い風合いになります。


デルジェズのパフリングは場所によって厚みが違うのですがそのように作るのは難しいです。初めに同じ厚さで厚めに作っておいて当てがって写真と見比べながら削って薄くすることにしました。裏板や表板のぶんだけで一日仕事です。

改装で中断


デルジェズのコピーは集中力のいる細かい作業となります。バタバタしている中ではできません。工事中は自宅で製作することになりました。私は普段から家で楽器を作っているので全く問題ありませんが、会社のシステムとしてはおかしいです。会社で楽器を作っていて家でも楽器を作っている人は私くらいのものです。年長の職人の家に招かれたときに、仕事から帰ってから楽器を作っていると言ったら驚かれました。ヨーロッパの人たちは余暇を楽しむことを重要だと考えているからです。
日本でも楽器店に就職してしまえば、安く買って高く売れる楽器を好んで扱うため、コストがかかる割に高く売れない自社の楽器を作ることはありません。個人としても少ない余暇に家で楽器を作るなんてできません。ヴァイオリン職人でも「ヴァイオリンを作ったことがある」というところで止まってしまいます。


そのため従業員に作業場を要求するのはおかしいです。
従業員が少ないので個別な事情に対応してのことです。
私としては快適ですが、従業員として監視されないのはどうなんでしょうね?


信用されているのでしょう。





こんにちはガリッポです。

15年以上働いていると過去に手掛けた楽器が続々戻ってきます。
10年以上前に作ったヴァイオリンがメンテナンスに戻ってきましたが、当時はまだ子供だった持ち主もかなりの長身になっていました。
私がストラディバリなどを見て現代の楽器製作の常識に疑いを持ち、いろいろな試みを始めたころのものです。今のような音も外観も作風が確立しておらず、今見ると無茶苦茶です。

無茶苦茶な試みをしたことが大きな一歩でした。
当時は外観をオールド楽器に近づけるように見た目から改良を始めました。その当時もすぐに成果があり、教わって作っていたものよりも鳴りっぷりが良く一歩音もオールド楽器に近づいたと思っていました。しかし今音を聞いてみると新しい楽器の音です。

さすがに弾きこみの効果で音も出るようになっています。現代的な音としては優秀で、彼はその音をすごく気に入っていて、現在の私の楽器はあまり好きではないかもしれません。私でも現代風に作れば、現代の有名な職人と変わらないものになります。音は微妙に違い好き嫌いとしか言えません。
そういう意味で何らかの改良をしても、改良しないほうが好きだったという人が必ずいます。これは楽器に限らないと思います。じゃあ改悪なのかと言えばそうではなくて単に「変わった」というだけです。良いか悪いかは受け手が判断するものです。

それもデルジェズのモデルで、今作ってるのもデルジェズのモデルです。どれだけ理解度が上がっているかというものです。音は好き好きとしか言えません。

これは面白い経験で、外観や寸法をオールド楽器に近づけていくことで音も似てくるのです。全く似ていなくても偶然の組み合わせによって似たような音になることはあるでしょう。そのため買う立場ならいろいろな楽器を試すことを勧めています。私がオールド楽器に似せて作ると偶然ではなく似たような音になっていきます。それとて好きか嫌いか、弾き手に合っているかの問題で優れているということはできません。


同じころ手掛けた量産チェロをうちでニスを仕上げたものもメンテナンスで戻ってきました。去年は中はいじらずにニスだけ塗って仕上げたものが戻ってきました。量産品のニスは古くはラッカー、今ではアクリルのものが分厚く塗られています。それを自家製の天然樹脂のニスで塗ったものです。できた当時は量産品よりも落ち着いた上品な音になった記憶があります。10年も経つと音が強くなっていて強い音になっていました。即戦力として学生が新しいオーナーとなりました。

今回戻ってきたのはモンタニアーナのモデルのものです。
19世紀にフランスではもっぱらストラディバリモデルのチェロが作られていました。近現代ではそれが「普通のチェロ」ということになります。
20世紀の終わりごろ、90年代ころでしょうか?ブームになったのがモンタニアーナのモデルです。横幅が広くずんぐりとした形をしているのが特徴で、保守的な職人からは「格好が悪い」と毛嫌いされ、流行に敏感な人たちにもてはやされたのでした。
音の特徴に関してはいまだによくわかりません。
いずれにしてもモンタニアーナモデルが流行した時期があります。アンティーク塗装で古く見えてもそんなに古くはありません。

ヴァイオリンであればストラディバリに対して、仕事は粗いけども音が良いとされるのはグァルネリ・デル・ジェズです。同じようにビオラではガスパロ・ダ・サロなど、チェロではモンタニアーナが同じようなポジションとして注目されたのかもしれません。
保守的な職人はすごく嫌うのに対して、流行に敏感な人や商売人が飛びつくものです。
そのため本当に腕が良い人のモンタニアーナモデルが少ないということもあって真価はよくわかりません。

私は興味津々で表面的な流行ではなくそのようなものを作ってみたいというのはあります。モンタニアーナのような幅の広いモデルはアマティにも既にあり、アマティにはストラディバリのような幅の狭いモデルと広いモデルの両方があります。モンタニアーナに限らず幅の広いモデルも作ってみたいところです。

10年以上前にルーマニアの工場で作られたものを改造しました。
例のように板を薄くして作りました。できた当初は音が弱くて、地元でとても才能のある子に勧めしばらく使ってもらいましたが満足せずに、マルクノイキルヒェンの戦前の量産チェロを選びました。

表板の材質が柔らかくて「薄くしたのは失敗だった」と考えていました。
強い音はしなくても暖かみのある「暗い音」なのでアマチュアの方が趣味で弾いています。モンタニアーナほど幅があれば板は厚めでも行けるのかなとも考えました。

しかし今回戻ってきたチェロを試すと、当時の頼りないイメージはすっかりなくなっていました。ものすごく音が強いということはありませんが、決して貧弱とは思いませんでした。音は柔らかく暖かみがある心地の良いものです。柔らかい音で十分に響くようになっています。できるだけ離れて聞くと特に低音が素晴らしいです。バスのような低音というやつです。

こんなこともあって改良が成功したか失敗したかというのが分かるのがいつになるのかわからないです。もう10年もしたらさらに音量は増して、柔らかくて暖かく豊かな低音の希少なチェロとなるでしょう。


私の手掛ける楽器はいつもこんな感じです。
「弾きこめば鳴ってきます」は営業マンが粗悪な楽器を売るときの常套句ですからあまり言いたくはありませんが・・・。少なくともよく言われる「薄い板の楽器は初めは鳴るけどその内なら鳴らなくなる」という知識が間違っていることは明らかです。どっちかというと逆です。オールドやモダン楽器には薄い板のものが多いのです。
「厚い板の楽器が本物で、薄い板は邪道」みたいなことは素人が思いつくものです。実際にやってみたり、楽器を調べると素人の思い込みは間違いだとわかります。もちろん限度というものがあってそれがどのあたりか経験が重要です。

私も含め職人なら「板を厚くしたい」という誘惑にいつもかられます。
一番単純なのは作業を投げだしたい職人です。だんだん薄くなっていくわけですから、途中で嫌になって十分薄くできていないのに完成としてしまうのです。飽きっぽい人は多くいてすぐに興味が次の工程に移るのです。新しい仕事をどんどん引き受けるのに完成させずに放置して新しい仕事に取り掛かる人が皆さんの職場にもいることでしょう。職人も例外ではありません。

こんな厚すぎる楽器を売らなければけないという事情があればセールスマンは「厚い板こそが本物」という理屈を振りかざして「弾きこめば鳴ってきます」とセットで使います。このようにして買った楽器はずっと鳴ってきません。厚い板のものが本物なら量産楽器にたくさん「本物」があります。


もう一つ、去年戻ってきたほうのチェロではたった10年でも自家製のアルコールニスでおとなしい音になっていたチェロがやかましい音に変わっていました。ニスによって音が違うということはありますが、年月に比べたら微々たるものだと思います。100年も経ってしまえばその違いのほうがニスの違いよりもはるかに大きいでしょう。

ドイツのモダン楽器では安価なグレードではラッカーのような人口樹脂の硬いニスが塗られたのに対して、高級品では柔らかい「オイルニス」が塗られました。
巷に広まっている知識では「ニスは柔らかいほうが振動を妨げないので音が良い」というものがあります。さらに「ニスは塗らないのが一番音が良いが、保護するために塗らなくてはいけないので、できるだけ柔らかいものが良い」と理屈の上に理屈が積み上げられていきます。
ドイツのモダン楽器にはこのように両極端のニスのものがあるというわけです。現在でもその知識は基礎として広まっています。

このため高級品ではニスが柔らかく、指紋やケースの跡がついたり、汚れが付着したり、こすれてはげ落ちたりしてメンテナンスに手間がかかります。一方安価なものでは丈夫な皮膜でメンテナンスにお金がかかりません。高級品ではメンテナンスにも費用が掛かるのが常識というわけです。

これも机上の空論だと思うのは「柔らかいと振動を妨げない」という文言です。ゴムのような材質は様々な分野で防音用として使われています。弦楽器の駒に付けるミュートもそうです。ゴムは柔らかい素材なので振動を妨げないのなら防音効果はないはずです。むしろ柔らかい素材が振動を吸収するのです。高級楽器に塗られているような分厚く柔らかいニスを塗れば楽器をゴムでコーティングしたようになるでしょう。

そういうわけで私も日々硬めのニスを開発しています。硬いニスのほうが振動が吸収されないで伝わると考えています。ニスが硬めになるほど音も強くなっているように思います。しかし天然樹脂を使っているのでラッカーのように硬いものはできません。

安価な楽器にはラッカーが塗られていることが多いのですが、耳障りでやかましい音の楽器が多くあります。量産楽器のニスを塗り替えたこともありますが大人しい音になりました、耳障りな音の原因はニスによる部分もあるでしょう。かつては安価なヴァイオリンではスチール弦が使われていたこともあって耳障りな「安っぽい音」と考えられていたはずです。しかし現在では人々が「強い音」を求めるようになってきて必ずしも悪い音とは言い切れなくなってきました。ナイロン弦や柔らかいスチール弦が開発されプラスに評価する人も増えてきたでしょう。

安価な楽器がやかましい耳障りな音がするのはそのつくりの荒さによる部分も大きいでしょう。したがってラッカーのような硬いニスのほうが丁寧に作られた高級楽器には合うのかもしれません。また量産品を改造するのも手です。


それでも、100年くらい経った柔らかいニスが塗られた楽器でちゃんと強い音が出ています。なので柔らかいニスは良くないということはありません。100年もすれば全く問題がありません。ニスは何でも良いということです。

新作の場合にははっきり影響があります。
私は何度かニスを塗り替えてほしいという依頼がありましたが、塗り替えて良かったということはありませんでした。柔らかいニスにしても硬いニスにしてもです。ニスも溶剤が蒸発して風化してくることがプラスに作用しているのでしょう。


100年経って音が強くなる変化にくらべれば、ニスによる音の強さの差は小さいということです。


あとはニスを塗る前の段階で弦を張って音を試してからニスを塗る人もいます。同僚がそれをやっていましたが、白い楽器の音はよくわからないです。冴えないようなピンとこない感じでした。そのあとニスを塗れば音は変わるのでしょうから、その結果をどうとらえたら良いのかわかりません。少なくとも明らかにニスを塗ってある楽器よりも「音が良い」ということは感じませんでした。塗らないほうが音が良いという理屈もよくわかりません。





それでは作られて100年経った楽器のほうが新しい楽器よりも必ず優れているかというとケースによるとしか言えません。音が強くなるのは一般的な傾向です。それが細く鋭い音だったり、癖が強かったり、バランスが偏っていたり、耳障りだったりします。100年前の量産品では手作業の部分が多かった分仕事もひどく粗いものです。それに比べると最近の量産品は機械で作ることで質が向上しています。

音は強くなるというだけで他の部分まで良くなるとか変わるということではありません。

ビンテージ?


ビンテージギターの話題がたまに職場でも出てきます。
私は全然知りませんが、古いと言っても戦後のもので我々からすれば、戦後の量産品にすぎないです。ただの中古品としか思えません。ヴァイオリンなどは高いものは何億円もするわけですが300年前の個人の職人が作ったものであって、戦後の量産品でとなるとギターのほうがはるかに高いです。

値段が高いというのはもちろん経済的な理由であって、芸術性の高さではなく欲しいという人が多いからです。ヴァイオリンとギターでそれだけ演奏者人口が違うということです。クラシック音楽は過去の時代の音楽で、ポップミュージックは今の時代の音楽だからです。人は自分の時代を生きています。

それでもビンテージなので過去の音楽でもあります。戦争を境に世界で文化というのが大きく変化して今の時代の起源です。戦前までは音量が得られる金管楽器がジャズの中心にありました。ラッパ付きのヴァイオリンが作られたほどです。戦後では音楽のジャンルとともにアンプとスピーカーで増幅する技術によってギターなどは中心的な楽器になったのです。

メーカーは職人の技術ではなく工場で設計を変えた製品を量産することで独自の音を作り出したのでした。エレキギターでは日々進化を続けてきました。それで最新の音楽を作ったミュージシャンがスターとなり、あこがれの対象であるばかりでなく今では伝説となっています。

それと比べるとヴァイオリンは、設計は変わらないし、材質も変わらないし、何も進化していません。安く生産できる国に移っていっただけです。

私がヴァイオリンはみな同じようなもので偶然の個体差のほうが大きいと言っているのはこういうことです。


ギターでも購入するなら試奏して選ぶべきなのは専門家なら同じでしょう。ヴァイオリンの場合には大きなメーカーが無いためブランドなどは信用できず尚更なのです。

ビンテージギターの良さとして言われるのはレスポンスの良さだそうです。これはヴァイオリンでも同じことで、さっきの話でも明らかです。メーカーが大きくなって品質が落ちたなどということもありそうな話です。
ただし、レスポンスが良くなるというのは特定のメーカーのものだけに起きるのではなくそこそこのレベル以上のものならどの楽器でも起きることでしょう。

やはり商売にとってはブランドが重要になります。
無名メーカーの良品でも同じようにレスポンスは良くなっているはずですが、だれも見向きもしなければただのガラクタになってしまいます。戦後の産業ではマイナーメーカーは安さでしか勝負できずに有名メーカーより品質の落ちることも多いです。しかし知る人とぞ知る良品を作ったメーカーもあることでしょう。

勤め先の創業者の職人もギターを作っていました。数は少ないですがクオリティは高いものです。ヴァイオリンも多く作り終戦後から1970年くらいまで作っていました。ヴァイオリンとしては古いほうには入りませんが、言うなればビンテージです。新作に比べれば明らかに音量があります。


10代の学生などでは、戦前の量産品や弾きこまれた中古楽器はすぐに音が出るので求められていると言えます。お店を何軒も回ってとにかく弾いて選びます。
音楽を一生の楽しみとしてするなら必ずしも今すぐということではないかもしれません。素性の良い楽器を長く使うことで鳴っていくということです。上級者ほど弾きこみの効果が大きいと言えます。

見た目から入る

一般に外見から入るのは邪道だとされます。本質を知るべきです。しかし弦楽器の製作で外観をまねることはとても重要だとわかってきました。
私が古い楽器を見たときに全く自分たち現代の職人が作っているものと違うことに驚きました。こんなものを作ってみたいということで試行錯誤をしてだんだん身についてきました。
ストラディバリ研究の第一人者と言われているS.F.サッコーニの楽器を見た職人仲間はみな「きれいな楽器だけどストラディバリとは違う」と言います。多くの職人の目には別物に見えるサッコーニとストラディバリですが、本人は全く同じものだと考えていたようです。自分の考え方がストラディバリと同じと思い込んでいればそこから何も見出すことはできません。

私がストラディバリ、デルジェズ、ピエトロ・グァルネリのコピーを作りその様子をブログでも紹介してきました。これらは見た目をオールド楽器に似せようと細部まで注意を払ったわけですが、注意深く現代の作風との違いを研究していく中で音も現代の楽器にありがちなものからオールド楽器のような雰囲気のものになってきました。同じものを作ろうと試みて出来上がってみると何か違うののです。古い楽器を理解した気になっていただけで本当はわかっていませんでした。そのことが浮き彫りになります。何が違うかずっとよく見るようになり目が鍛えられていきます。

この前の休暇では日本の方々に試してもらいましたが、面白いのはどれも現代の楽器にありがちな明るい音ではなく深く落ち着いた音で、柔らかく上品で澄んだきれいな音です。そのうえでストラディバリのコピーでは同じように板を薄くしたのにふわっとした響きが加わり暗い一辺倒ではなく多彩な音色がありました。高音はなめらかで美しく、広めのところで弾くと音が空間に溶けていくようなまろやかさがありました。
デルジェズのコピーではもう少し響きが抑えられはっきりとダイレクトな音でした。高いほうは引き締まって低音も暗く力強いものでした。ふわっとした響きがなく締まった高音も決して芯は金属的ではありません。
ピエトロ・グァルネリのコピーはG線は圧倒的に音が出て枯れた味のある魅惑的な低音でした。すぐに虜になった人も少なくありません。高いアーチであるためそのような楽器になれていないと弾くのは難しいものです。乱暴に弾いてはうまく鳴りません。低音に比べると高いほうは相対的に量感は控えめです。

いずれも柔軟性があり現代の「硬い楽器」に比べれば広いホールいっぱいに音が広がるものです。

個人的な感想を申しますと、音が具象的なのはデルジェズのコピーです。それに比べるとストラディバリのコピーはもっと抽象的な感じがします。そのため連続する音符が単なる音ではなく何かそれ以上のものが表出しているように思います。ヴァイオリンのために作曲された曲の魅力が出てるなと思いました。
それに対してピエトロのコピーはもう音自体が魅力的です。低音が出た時点で嬉しくなって思わずにんまりしてしまうような味のある音です。曲を弾かなくても音自体が魅力的な楽器です。これは高いアーチでなくては得られないものでしょう。新作でこのようなものはまずないでしょう。
音の暗さでは①ピエトロ➁デルジェズ③ストラディバリのコピーの順です。ストラディバリのコピーも去年改造して板を薄くしましたが、響きが加わって真っ暗にはなりません。でもそれは決して悪いことではなくて共鳴して音に厚みがあるのです。低音から高音までバランスも整っています。ストラドとデルジェズのコピーでは板の厚さが同じようなものでしたがこのような違いが生じました。ピエトロはさらにケタ違いに低音が強いバランスの楽器でした。私の場合作ってみたらこんな音になったというだけで音をイメージして作ったわけではありません。そのあたりの原因はこれから解明していく必要があるでしょう。

このように外見から楽器を作っていっても音になって違いが表れてくるのが面白いところです。


本当にそういうことがあるのかわかりませんが、これとは違う考え方としては材料をタッピングして作る方法です。材料を選ぶ段階から厚みを決める段階まで板を叩いて音を聞きながら音を作っていくというものです。

弟子が表板を仕上げてバスバーをつけてどんな音がするかさっぱりわからないところで、年長の職人に見せるとトントンと叩いてみてなんか言うのです。それを聞いて弟子は一喜一憂するのですが、実は年長の職人は何もわかっていなくてかっこうつけているだけだったりします。私は木材を叩いてみてもよくわからないです。材質は削ってみると感触で硬さや弾力などが分かります。
叩いてさもわかっているような顔をすれば一般の人には迫力があります。

私はこのような職人を見ると「よくわからないことでわかった気になって判断しないほうが良いのにな」と思います。というのは本当に音で判断しているのではなくて、自分が作ったものを叩いては「これは良いぞ」とただ願望を言ってるだけのように見えるからです。
もっとひどいのは何㎐になったら良いとか、自分は絶対音感があるから音が分かるとか、
・・・ストラディバリの時代はピッチが低かったのにどうなんだと思います。
叩いても楽器の音色を決める倍音を発生させることができないので弓で弾いた時の音が予想できないです。
自分は「何㎐になったら完成」と決めていると実験の機会が生まれないです。違うものを作ってみたら良いかもしれないのに。師匠に教わってそれしか作ったことがないとなると重症です。

極端に厚い板のものと薄い板のものを比べれば暗いとか明るいとかはわかりますが、少しずつ削って違いを判るのは難しいです。
叩いた時の余韻の長さもフラットな楽器では長く響いて、高いアーチでは余韻は短くなります。しかしどっちでも良い音の楽器があります。新しい楽器はパーンと長くよく響くのに対して古い楽器はボヨンッと意外と響かないものです。でも修理が終わって弾いてみるとよく鳴ったりします。じゃあボヨンッが良いかというとパーンと鳴る新作も新作としては良かったりします。



このように私が見た目から入って楽器の作りを変えて行ったら音も変わっていったというのは面白い話です。でもメカニズムを理解はしていません。古い楽器を見たまま作っただけです。見た目で作ったのにストラディバリやデルジェズなどそれぞれの音のイメージとあっているように思います。

それともうひとつ面白い点は私が作ったヴァイオリンを3本並べると皆さんはその違いに注目しました。3本がどう違うか、自分好みなのはどれかと興味を持ちました。私は3本に共通する音の特徴から「私の音」を知ってほしいと思っていたので意外な反応でした。共通点を探すのではなくて相違点を探していました。
私はいろいろな楽器を知っているのでそれらに比べれば3本とも同じような傾向の楽器だと考えていました。それに対して皆さんは「全然違うね」とおっしゃられました。
確かに同じ作者の近い年代の楽器としてはかなり音に違いがありました。ふつう同じ作者の同じ年代の楽器なら外見もそっくりで音の違いも限定的です。外見を作ったことによって違う音のものを作ることができたのです。私が現代風とオールド風と2本作ればはるかに音が違うものができるでしょう。

どれが一番気に入ったかは意見は分かれました。すべての楽器に2票以上入りました。
好みや弾く人に合うかどうかです。


普通に考えれば弾きこまれた中古品のほうが音が出やすく優れています。特にこだわりがないならこのようなものが優れています。特別高価なものでなくてもある程度ちゃんと作ってあればどれでも同様の効果があります。主流派の方法で作られているものなら100年前と作りは同じで、一部を除けば値段も変わらないか新作より安いので新作楽器に存在価値がありません。新作楽器の値段が何倍にもなった時その価値があるとは到底思えません。


私は外見から入って楽器を作ってみた結果、初めて違う音のものができています。
メカニズムは理解していません。
使うほどにレスポンスが向上していくことは間違いないでしょう。




こんにちは、ガリッポです。

風邪が大流行して私も多少影響を受けています。静養のため軽めの内容にします。


前回の話では平らなアーチ、薄い板厚で100年も経ってれば誰が作ったにかかわらず鳴って当たり前ということでした。たとえばハンガリーのヴァイオリンなどは安くて条件を備えています。東欧出身のプロのオーケストラ奏者などはそれで十分に仕事をこなしています。新作楽器で対抗するのは難しいです。
それに対してグラデーション理論やサッコーニのシステムによって板の厚さ増してきたのが20世紀の職人で根拠なく「改良した」と思い込んできました。
私の職場の先輩が10年以上前この両方の要素を取り入れた「理論」でビオラを作りました。
グラデーションでは表板の中央部分、表板と裏板の中間部分が厚くなり、サッコーニのシステムでは周辺部分が厚くなります。この結果板は厚くなり、低音が出にくい明るい音になりました。ニスも明るい黄色でビオラとしては全く好まれないもので10数年たった今でも売れ残っています。

グラーデションとサッコーニの両方の理論を取り入れたのですから、理屈を言葉で説明されれば説得力のあるものです。しかし実際に音を出してみると全く魅力的ではないものになってしまいました。


楽器製作で学ぶべき対象は理屈ではなく結果なのです。ここではグラーデーション理論やサッコーニのシステムではなく、高価ではないハンガリーのヴァイオリンだったのです。
ハンガリーの作者で高い値段が付くのはごく一部で大半は楽器商の興味をそそるものではありません。彼らの興味とは言うまでもありません、お金のことです。値段が高い作者ばかりに詳しくても学ぶことができません。

弦楽器の製作というのはこれが最高というものはなく「大体これくらい」という範囲に入れることが重要ですが、それ以上はやりようがありません。大体の範囲に入っていれば音は好き好きの問題で古さや弾きこみによってさらに有利になってきます。

「大体これくらい」というのはたくさんの楽器を調べてこないとわからないものです。自分の流派を根拠もなく世界一だと信じていれば学ぶことは無いでしょう。


現代の職人が工夫して「画期的に音が良い作り方を考案した」と言うようなことは100年前の名前も残っていないような職人でも思いついたことですでにやっていたことです。今となって100年くらい前の楽器を見るとき、「余計なことをしてある楽器」は残念に思います。普通に作ってあれば十分に鳴るようになっているからです。

私なら余計なことをしていないで大体これくらいだろうという楽器があると「これは良さそうだ」という印象を受けます。特に作者が有名でなければ100万円もしないかもしれませんが、「これは良さそう」というのが分かるようになってきます。100%正解するわけでもなく結果は音を出してみないとわかりませんが、買取の場合にはまともに音が出せる状態にないことも多く非常に重要な判断になります。
多くはただの手抜きで作られた粗悪品でその中にわずかにまともな楽器があるのです。それで十分で50年以上経っていればどんな有名な作者の新作楽器以上の音の可能性は十分あります。最終的には弾く人の好みで、お店ととしては異なるタイプを集める必要がありますので基本的なレベルさえクリアーしていれば音の性格がどちらに転んでも好きな人がいるというわけです。




これはマルクノイキルヒェンで1910年代に作られたヴァイオリンです。一見してフランス的なところがあります。
現代のヴァイオリン職人が知っていることはすべて知っています。現代の職人でもヴァイオリン作りをまじめに勉強すればこのようなものを作ります。違うのは100年経っているという点です。作りは現代のものと同じなのに100年も経っているのですから現代の楽器が圧倒的に不利です。マルクノイキルヒェンと言うと安価な量産品が大量につくっれた産地ではあります。それはたくさん売れるからであってまず基本としてのマイスターのヴァイオリンがあってそれのコストを下げたものが大量生産品なのです。
このヴァイオリンなら現代の職人の中に入っても十分通用するレベルです。
アンティーク塗装は私のレベルではありませんが、現代の職人でも多くはこのような感じです。ニス自体も量産品のラッカーとは差別化されています。裏板の着色などは今ではノウハウが失われています。
さらに同様のビオラを今修理中でこちらはさらに魅力的です。出来たら紹介します。

このヴァイオリンを調べてもどこも悪いところはなく、現代の名工とされている人と同じように注意深く作られ、弾いてみたらよく鳴るかもしれません。値段は半分以下です。

デルジェズのコピー

特注でデルジェズのコピーを作ることになりました。作業は始まっています。

裏板には会社で94年に購入した板目板を使います。その時点でも古材として買っているはずです。厚みがあまりないので高いアーチは作れません。私の様な作風は当時は考えられていなかったのです。私がいかに常識はずれな変わっていることをしているかです。
板目板をチョイスした理由はピエトロ・グァルネリのコピーでもアマティ型のビオラでも特別低音が豊かなものになったからです。依頼主の希望です。板のせいなのかどうなのかはまだわかりませんが、今回もデータが得られると思います。

表板も古いストックのもので珍しく割ってあるものでした。ふつう材料はのこぎりで切ってありますが、暖炉の薪のように割ってあるものです。割ってあるメリットは繊維の向きがまっすぐになることです。よく太陽光に充てると左右表板の色が違って見える楽器があります。これは繊維の向きが右と左で違うからです。だからと言って音が悪いといことはありませんが、割ってあるものは仕事はやりやすく材料としてはぜいたくなものです。


手作り感

フランス、ドイツ、ハンガリーのなど楽器では量産品と共通の基礎があるため見た目の雰囲気には影響があります。量産品と高級品の差を出すために「クオリティの差」を設けてありました。フランスの楽器なら同じ作者の名前がついていても本人が作ったものと経営する工場で作った量産品がありますが、私がそれを見誤ることはありません。クオリティに差があるからです。

それに対してイタリアでは工業を組織することができなかったのでその必要がありません。見よう見まねで素人が作ったような素朴な楽器も、へたくそな職人に手抜きで作られたような楽器も「ハンドメイド」として高値で取引されます。昔インタビューでモラッシィが「ヴァイオリンは手作りでなければいけません・・」と言っていたのを覚えています。「自分の楽器は量産品とは違う」と考えていたようです。自分の楽器をあらゆる楽器の中で優れたものと考えていたのではなく量産品より価値の高いものと考えていたのなら他の職人が考えているのと同じことです。職人としてその意見には賛成ですし、年齢を重ねた職人がたどり着いた境地と言えるでしょう。職人でない人たちが勝手に誤解しているだけです。

とはいえ単なる機能性ではハンドメイドに優位性があるかは疑問があります。
そうなると「手作りの味」みたいなものです。
もはや趣味のレベルで人それぞれの価値観にゆだねることになります。

ジュゼッペ・フィオリーニという人は現代のイタリアの楽器製作に大きな影響を与えた人です。前回も話した通り、父の代からイタリアの楽器製作の近代化、つまりフランス化に貢献しました。それだけでなく独自のスタイルも築いたと言えます。ストラディバリを整えて直して理想的な形にするというのはフランスで行われてきた考え方で今でも、ヴァイオリン製作コンクールで上位に入るような人たちには基本の考え方です。フランスの考え方が今でも基礎として残っているのです。そのような特徴はフィオリーニの楽器にも見られます。

しかしフランスやドイツの高級品とは違い「手作り感」を出すようにしている部分があります。特にアーチに現れています。現代では機械を使ってアーチはほとんど加工することができます。ヤマハはグァルネリ・デルジェズの3次元データをもとに加工してるというのをアピールしてヴァイオリン事業に参入していました。実際に古い楽器にはひどく変形していてそのまま寸分違わずということはできません。機械で作られたものを仕上げるチューンナップをよくやっている私は機械のアーチがどんなものかはよくわかっています。
古い時代であればそのようなものもなく手作業が主でした。
したがってノミで彫っていくわけですが、粗削りなのでそれほど重要なこととは考えられてこなかったかもしれません。

それに対してフィオリーニはノミで削る段階にこそ職人のセンスや熟練度が現れると考えたのでしょう。このようにして見てみると手作り感があります。それだけでなくノミを使うことで生まれる独特なカーブがあり、機械とは違うことが分かります。
フランスやドイツの方法では仕上げを完璧にすることで高級感を出していたのに対して、ダイナミックな造形を表現しようとしたのです。仕上げを完璧にするためにカンナを多用するほどアーチのキャラクターや表情がどんどんなくなっていきます。わずかな凹凸も残さないことに注意が集中していたらダイナミックな造形はできなくなります。近代のドイツのマイスターの楽器や現代の製作コンクールの作品などではそのようなものが見受けられます。裏板の材料は割れやすいのでできるだけカンナの削りくずは薄くする必要があります。これがちまちました作風につながっていきます。
アーチを写真にとると全く見えませんがこのような荒削りの段階なら動きが感じられるのです。これをできるだけ損なわないようにしようというのです。

このようにフィオリーニのアーチを見ればダイナミックな躍動感が伝わってきます。同様のものは近代の他のイタリアの楽器でも見たことがあります。イタリアの楽器であることを見分けるポイントとなるでしょう。そうなっていないものも多いのですが、アルプス以北のものにはまずありません。フィオリーニは晩年をドイツのミュンヘンで過ごしていましたのですがミッテンバルトのような産地へは影響がありません。


私は10年以上前にこのような試みを始めました。当初はよくわかっていなくて中途半端なものができていました。

オールド楽器とは違う

私もこのような作り方に取り組み、知り合いの職人とも意気投合してお互いに作ったものです。当時彼が作ったものは、最近一緒に仕事するようになったイタリア人のものとよく似ています。どちらもフィオリーニのようなダイナミックな動きがあります。アーチのスタイルも似ています。しかし私が思うに「ノミの動きをコントロールしきれていない」という感じがします。ノミに持っていかれているのです。

オールド楽器はこのようなダイナミックさとは違うように思います。

小型のアマティ型やシュタイナー型の楽器ではもっと狭い範囲でアーチが作られていて深い溝や急斜面のようになっていたりします。カンナで凹凸なく仕上げるというのが違うのはもちろんですが、ノミの勢いで作るというのも違うと思います。


初めの荒削りのままで完成までもっていけばフィオリーニのようなダイナミックなアーチになったでしょう。しかし私はもうちょっとアマティ的な感じにしたいのです。デルジェズのコピーとはいえやはりアマティの流派ですからそのあたりを忍ばせたいのです。

前の写真より繊細な感じが出てきたと思います。説明するのが難しいですが、周辺の溝に縛られることで不自由になっていてダイナミックな動きが制限されています。


このようなアーチを作る作業では「大体こんな感じ」という感覚がとても重要になってきます。何か規則性や手順があるのではなく作業を続けていくうちに気が付くとできているというものです。これ以上やったら削りすぎですから作業はやめなくてはいけません。
行きすぎたり、攻め切れなかったりする楽器はよくあります。攻め切れていなくても仕上げを丁寧にやればなんとなくできているように見えます。しかし私には造形センスがないように見えます。行きすぎていると柔らかなふくらみが出ません。

そのためこの作業をしている間はあまり頭で考えてはいません。
エッジの周辺は私は異常にこだわりがあるのでちょっと考えますが、行き過ぎないように注意するだけです。これが勢いに任せていると行き過ぎてしまうのです。

このようなこだわりも音への影響はさっぱりわからない

昔の人も音のために製法を考え出したのではなくて何かしら当時としては合理的な作業手順があったはずです。現代と違ってふくらみのあるものを作ることが前提でそれに合ったものだったでしょう。
なぜかはわかりませんが、弦楽器というのはぷっくりと膨らんだものだと思われていたのです。

今では平らなアーチを作るための方法が洗練されてきたと言えます。現代の製法では高いアーチの楽器を作るのは向いていません。ストラディバリやデルジェズはその過渡期にあり高いアーチの楽器の作り方を教わったはずです。たとえ低めのアーチでも共通の作り方を応用したと考えられます。うまくアンティーク塗装がなされていても「これは近代の楽器だ」とすぐにわかるのはアーチが近代的だからです。

しかし音への影響は分かりません。
アーチのタイプを分類して音の傾向を言うのはとても難しいです。
特に現代のように皆同じようなタイプのアーチの中でとなると違いを明らかにしたり分類したりすることすらできません。

結果論としてこのように作る私の楽器の音には特徴があります。
荒っぽい音とは無縁です。繊細で柔らかい音がします。なぜかはわかりません。


弦楽器の作風は一つのパッケージなのだと最近は思います。
寸法をパラメーターの数値として入れ変えることによって自在に音を作り出すということはできないということが分かってきました。


荒々しい音の楽器が好みならそのようなものはたくさんあります。特別高価なものを選ぶ必要はありません。特に作られて100年くらい経った楽器に多くあります。そのことから一般的な方法で作られた楽器が100年くらいするとそのような音になるということです。
新作の段階でそのような音がするのならさらにその傾向は強まるでしょう。耳障りで何とかしてくれと言ってくる人がいます。新作なら柔らかすぎるくらいで良いでしょう。店頭では地味で目立たない楽器になります。


どんな楽器を弾いても弱い音しか出ない人は硬い鋭い音の楽器を弾くと強く感じます。なのでそのような楽器がよく売れます。
どんな楽器でも力強い音を出せる人は柔らかい楽器のほうが限界がもう一つ先にあると思います。技量は無くても耳当たりの良い音の楽器を楽しみたいという人にも向いています。

結果的に出てくる音では、使う人に合っていることが重要で楽器自体で音の良し悪しというものは無いのです。

大体こんな感じ

弦楽器を作るときも見るときも「大体こんな感じ」というのが重要です。具体性がないので初心者には難しいです。何か理屈や数字があるほうが分かりやすいです。値段やうんちくに頼ると無駄にお金を払って悪い楽器で音楽家としての時間を浪費することがあります。

今回日本で私の作ったヴァイオリンを使うことになった方はいずれも女性でした。
女性向けに作ったわけではありませんし、ブログの感じから言っても男性の読者が多いかと思っていましたが結果はこうです。

いわゆる理系タイプの男性はマニアックではあるのですが、視点が偏っているように思います。自分の頭の中にあることばかりに意識が集中し見落としているところがあるのに気づいていません。頭で考えることはやめて感受性を高めてもらいたいものです。音も「聞く」と「聞こえる」では違って聞こえます。聞くという場合は自分が意識している音だけを取捨選択して聞いています。

私は基本的に理屈っぽい人だと思います。しかしそれは偏見や思い込みをなくすために使用するものです。浅い知識なら無いほうがましです。
19世紀フランスのモダン楽器は流派を挙げて作り上げたものなのに対して、個人が工夫したくらいでは微々たることしかできません。我々職人が何ができるのか考えてみたいと思います。

こんにちは、ガリッポです。

私たちが目にするヴァイオリンはおよそ99%はフランスのモダンヴァイオリンがもとになっています。独学のような素人の職人でさえ、目にしたり手にしたことのあるヴァイオリンがそのようなものなのでヴァイオリンと言ってイメージするものがすでにフランス風なのです。

19世紀に書かれた書物では「パリには有名なヴィヨームという職人が…」という調子で当時はフランスが弦楽器の最先端にいたのでした。イタリアやドイツでもある時期を境に急に作風が変わる時期があり、伝統の楽器製作は時代遅れとみなされフランス風の楽器製作が導入されたのでした。海峡の向かいのロンドンでも同様で、ヒル商会などがストラディバリのコピーを作るとき、当然フランスの楽器製作が基本になっています。ところがフランスの楽器のコピーとしてではなく、ストラディバリのコピーとしてイメージが広がればフランスの楽器製作が元にあることが忘れられていきます。これが20世紀の楽器製作の主流となっていきます。世界中で同じような楽器が作られるようになりました。

このようにして20世紀~21世紀になってくるとフランス流の楽器製作もすでに「失われた技術」になりつつあります。職人たちは自分たちが作っているものがフランス流であるということも知らずに自分の師匠や現代の巨匠の作風、または最新の技術だと思い込んでいます。

こうやって忘れられたフランスの楽器ですが近年は一部の作者の値段が急に上がってきています。当然お金の話なので投機的な要因が主ですが、我々の業界でも一昔前はありふれたものと考えられていたものが、近いうちに希少なものになっていくかもしれません。フランスの楽器について軽く見るということは古い世代の発想ということになっていくでしょう。

フランスのモダン楽器の作風を分かりやすく考えると、ストラディバリの形でアーチは平、板は裏板の中心以外は薄くしてしまうということです。これで100年も経っていればよく鳴るはずです。この条件を満たしていれば作者や値段に関係なく機能的に優れたヴァイオリンがあるでしょう。

戦前のドイツの量産品でも板の厚みを調整すれば十分に条件を満たすことができます。そうなれば値段はとても安いものです。

これらに対して我々職人が自作の楽器で対抗するのはとても難しいと思います。私はヴァイオリン製作学校時代先輩が完成した楽器を皆で弾き比べていると、戦前のドイツの量産品を持っている学生がいて、弾き比べると出来立ての楽器では勝負になりませんでした。現代のヴァイオリン製作の技術で教科書通り作っても戦前の量産品にも格の違いを見せつけられます。
ドイツの楽器はアーチがまっ平らなものでした。

学生からプロの職人になったところで、仕上がりやニスがもう少しきれいになっているだけ構造は変わりません。先生から教わったことが基本になっているからです。プロでも学生レベルやそれ以下の楽器はよくあって何百万円も払ったと聞くと複雑な気持ちになります。


単純に音が出やすいとか、よく鳴るという次元で楽器を選ぶならはるかに安いもので十分です。50万円程度で上等な古い量産品や無名な職人のハンドメイドの楽器を持っている人が次に楽器をステップアップするときに新作楽器を選ぶことはまずないでしょう。

これがヨーロッパにいて感じる消費者の実際の動向です。


現代の職人が自分としてはいろいろ工夫したつもりになっていても、この程度の話なのです。単純に平らなアーチで板が薄く、古ければかなわないです。微妙なアーチの加減にこだわりを持っていてもそんなのは風の前の塵のようなものです。

このような基本的なことさえ知らないのが現代の職人で、自分が工夫したことを「画期的に音が良い製法を発見した!!」と勘違いしているのです。


私が考えるに新作楽器でできることは、鳴りを犠牲にして独特のキャラクターを作るということでしょう。10人中7~8人は中古ヴァイオリンを選ぶのが前提で、「それでは満たされない何か」を持っている新作にだけ存在価値があると言えるでしょう。

日本の場合にはそういう中古楽器が流通していないので状況は違ってきます。まっ平らで板が薄い新作楽器も「失われた技術」として非常に価値があると思います。


職人が工夫することは「鳴り過ぎない楽器」の作り方であり、現代の職人の個性とは独自の「鳴らなさ」にあるかもしれません。20世紀以降のヴァイオリンについて「この職人の技術」と言うときはどう鳴らないように工夫したかということです。音の引き算です。

そういうイメージを持つとこれまでと考え方はがらりと変わるでしょう。

19世紀のフランスの一流のヴァイオリンでは表板の厚さがどこもかしこも2.5㎜位になっていることが多いです。これが1900年ころになるとグラデーションと言って中央を3~3.5㎜位にしたものが作られるように「工夫」されました。理屈は今となっては意味が分かりませんが、グラデーション理論を教わるとそれが音の良さの秘訣なのだろうと思ってしまいます。グラデーションのないフランスの楽器を知らないからです。

理屈はともかくこの結果、強度が増しました。音は明るく低音が抑えられるようになりました。中央の厚みを増すことで鳴り方は穏やかになり低音から高音までまんべんなく音が出ることになります。楽器が硬くなり遠鳴り性能を犠牲にした代わりにバランスが整ったと考えることができます。ドイツの楽器は昔から3.5㎜くらいあるのでフランス式の製法が完全に伝わらなかったと考えることもできます。
このようなものは今では「よくある普通の楽器」という印象を受けます。

これに対してジュゼッペ・フィオリーニの出身のボローニャにはフランスのガン家の職人がいてフランス風の作風を伝えたはずです。トリノにはパリでヴァイオリン作りを修行したスイス出身の歯科医デスピーネ以降、フランス人がたくさん来ていました。これらの流派の楽器ではより「本物志向のフランス風モダンヴァイオリン」という感じがします。フィオリーニに教わったサッコーニの本には表板の厚みをすべて2.5㎜にする図が書いてあったと思います。サッコーニはストラディバリの製法を研究して本当かどうかわかりませんが当時の手法を解明しました。
なぜかエッジ付近はかなり厚くなっています。確かに状態の良いストラディバリではそのような削り残しがあります。あまりにも規則的になっているのがサッコーニの図です。

私もストラディバリのそれを再現したことがありますが、結果としての音は芳しいものではありませんでした。見た目も構造も新品当時のストラディバリを再現するというコンセプトで実験しましたが失敗作でした。今はそのようなものは作っていません。「300年経ったストラディバリ」の様子を再現するように努めています。そのほうが音も見た目も明らかに魅力的なのです。「ストラディバリの製法と同じ」と主張すると自分を正当化できます。しかし音は魅力的でないのです。私が自分を正当化する職人の主張を嫌うのはこういう経験もあります。
このようなサッコーニのシステムはフランチェスコ・ビソロッティがそのまま採用しています。音はやや明るく鋭いものです。
私はこのような要素を何度試しましたが失敗と考えています。私の「癖」には合いません。300年も経てば表板がふにゃふにゃになるので誤差の範囲でしょうが、新作ですぐにとなると厳しいです。演奏に使われている古い楽器では何度も表板を開ける修理によって周辺は傷んで薄くなっています。修理を繰り返した楽器を再現するのも考えたほうがいいです。

現代のクレモナの楽器ではエッジがとても厚く作られていてさらにサッコーニのシステムで周辺の厚みが厚いと音の出方が重くて全然音が出てこないヴァイオリンがあります。
周辺部分の厚みは同じ流派でも結構バラバラで、教育とか管理がしにくいところなのだと思います。測りにくいのです。内側を削っていくときにノミの加減で決まるからです。


話はそれましたがこのようにしてフランスの作風が失われていったということです。中央やエッジ付近に厚みを持たせることで音は明るく、強度が高くなります。このようなことは表板の厚みだけではなくて、楽器の様々な部分でも同様です。

多少厚みを持たせることでバランスを整えるということはありだと思います。それを次の世代が「理屈」を信じて、意味も分からずに受け継ぐとモダン楽器の基本が忘れられていって何でもない中古品にかなわなくなっていくのです。



単純に優れた楽器を作るにはアーチは真っ平らで板は魂柱を支える裏板の中央部を除いで薄くしてしまうのが一番無難だと思います。今日あまりこのような楽器が作られていません。
これが最大で職人が工夫するのはそこからどれだけ引き算していくかということです。

そこでは「絶妙な加減」が生み出されるのであって、「圧倒するような迫力」のようなものではないと思います。圧倒的な力強さならモダン楽器を試してみることです。

例えばどこかを厚くするというのは今話したところですが、板が薄ければ楽器は柔らかい構造となりますが、低音の量が増える半面、高いほうは減っていきます。ちょっと厚みを入れると響きに厚みが出て「色彩豊かな音」になります。遠くで聞いても豊かに聞こえます。しかしだからと言って「厚いほうが良い」と考えるとやりすぎです。全く遠鳴りしない楽器になってしまいます。

アーチを高くすることもその一つです。アーチが高くなると構造は硬くなります。音の響きは抑えられ余韻が短くなります。最大の音量は失われても歯切れが良くはっきりと聞こえれば弾いている人には強く聞こえます。高いアーチでも硬くなりすぎないようにするなど工夫が必要です。オールド楽器では板がふにゃふにゃになっているので有利になっていますが、新品の場合にはうまく作らないといけないと思います。そりゃあ、まっ平らなアーチのほうが難しいことはありません。


私がまっ平らなアーチのニコラ・リュポーのコピーを作った話を前回しましたが、同じ時期にベネツィアのピエトロ・グァルネリのコピーを作りました。今見れば恥ずかしくなるような完成度でしたが、それでもアーチは高くベネツィアのほかの楽器のような雰囲気はありました。見た人は現代の楽器とずいぶん違う様子に惹きつけられました。しかし実際に弾いてみるリュポーのコピーのほうが良いという人が多かったです。

まっ平らなアーチの楽器というのは弾いてみると見た目の退屈さとは全く違う印象になることがあります。
どこの誰が作ったものにも良いものがあるかわかりません。プロの演奏者がなんでもない楽器を愛用していることがあるのはそういうことです。弾くと良い楽器なのです。
高いアーチの楽器はちょっとやそっとではうまくできないと思います。

我々が教わった「正しい知識」の中でも特に間違っているのはアーチの高さの理論です。アーチは平らなほど音量があり高いほど音量が無くなるというものです。実際に作って比べてみるとそんなに音量が違う感じはしません。弾きやすさでは平らなアーチのほうが万人向きだと思います。同じような楽器を使っている人が多いからということもあるでしょう。無理に高いアーチの楽器を使うことは無いと思います。
楽器の構造としては平らなアーチのほうが柔らかいです。表板の陥没や変形などのトラブルや故障も少ないです。
高いアーチの楽器の音が柔らかいというのも間違った知識です。柔らかさはアーチの高さとは関係ありません。フラットなもののほうが鋭い高音になった経験があります。しかし中間くらいのもののほうが柔らかいです。高いアーチのほうが神経質でした。まめに調整やチェックが必要です。

それでも私が過去に作った高いアーチの楽器には他にはない魅力があります。音自体が現代の楽器とはあきらかに違う感じがします。現代の常識をもとに職人が工夫しても微妙な加減しか変わらないのに対して別次元ということがあるのです。


モダン楽器でさえ忘れられた技術になりつつあるというのにオールド楽器は完全に忘れられた技術です。200年途絶えています。それをよみがえらせるにはまず自分たちの楽器製作の基本であるモダン楽器を理解することが重要だと思います。今の楽器製作の方法はモダン楽器の製法が根底にあるからです。忘れるべき考え方を知らなくてはいけません。現代の職人が「こうなっていると音が良い」と弟子に教えるとき、モダン楽器の発想が無意識の前提にあります。無意識にモダンの発想がある限り、自分で考えたこともモダンの発想の中なのです。知人のイタリア人の職人がマエストロに教わったという話もモダンの発想の中にあるように思います。実際のオールド楽器ではそのような理屈は当てはまりません。めちゃくちゃな楽器で良い音がします。

職人の世界でこのような考え方の違いは別の宗教の教えのようなものです。同じ価値観を共有することで仲間意識を持っているわけですから、それを否定すれば戦争の元です。モダンの価値観を否定することはヴァイオリン職人界では無理だと思います。それくらいの難しいことだと言っています。

先生や師匠として生徒や弟子に教えるなら、自分の信じていることに疑いが無いほうが良いです。指導者としての仕事を立派にこなすでしょう。

私の先輩の同僚はヴァイオリン製作学校で作り方を教わったのとまったく同じ作り方を今でもしています。初心者に教えるのはうまいです。自分が初心者として学んだ時と同じやり方だからです。私はそんなやり方はもう忘れています。私は自分で考えてどうやったらオールド楽器のようなものが作れるか作り方を試行錯誤してきました。私なら手本の楽器を見せて「同じようになるように自分で考えてやれ」となるでしょう。見て自分の目でわからなければ永遠にわかるようにはならないと。しかし、それを初心者に要求するのは酷です。

職人は教えないという話がよくありますが、考え方が初心者のままの職人は教えるのがうまいというのはあると思います。後は教えるというのを仕事として経験を積むことも重要でしょう。私はダメですね。

どんな分野でも一通り初心者が学ぶべき知識を集めると先輩面する人がいます。マニアの中にもそういう人がいてそこまでやるかというくらいこだわる人がいます。しかし、考え方が主流派のままなのです。
プレミアがついて値段が高いものを買って集めていたり、名店を知っていたりします。

しかし自分で考えていないのです。
聞いたり読んだりして、すでにある知識を集めて偉そうにしている人は、生涯で何を考え出したのかを自省するべきです。何も考え出していないで知識を集めただけの人生ですよ。
私のブログも答えが書いてあるのではなくて考える手がかりにしてもらいです。

何でもない楽器





こんなヴァイオリンありました。イタリアの1700年代の作者のラベルが貼ってありますがオールド楽器の作風ではなく偽造ラベルでしょう。じゃあ全く価値がない楽器かと言えば量産品や現代の楽器にはない雰囲気があります。

カチッとしたような新作の楽器とは違う何とも言えない柔らかい雰囲気があります。ニスは赤いものですがフランスのもののような厚みもありません。決して高級感があるわけではありません。アマティのモデルのような感じがしますが忠実に再現しているというものでもありません。流派の特徴がはっきりないのでどこの楽器なのか全くわかりません。ザクセンやボヘミアなどの感じもしません。
板は薄くて音には深みと味があり、耳障りな高音もしません。新作が相手なら鳴りっぷりでも負けることは無いでしょう。このようなよくわからない楽器でも十分新作楽器に対して個性も性能もあるのです。


スクロールを見ても小さめでスクロール職人のものでもないようです。

これは修理中のドイツのオールドヴァイオリンです。おそらくマルクノイキルヒェンの流派のもので200年くらいは経っているでしょう。修理は必要ですが割ときれいな状態で仕事も粗いものではありません。このようなオールドヴァイオリンは25万円~100万円くらいと相場の本には書いてあります。
25万円と100万円ではえらい違いです。そして世の中のたいていのヴァイオリンは25~100万円くらいのものですから相場が書いてある意味がありません。
板は薄くて柔らかさがあります。どんな音なのかは今の段階では予想もつきません。

こんな楽器がゴロゴロあります。いずれも新作楽器くらいなら十分に対抗できる「鳴り」を持っています。現代の職人が優れている点などはありません。

今年の仕事


去年からヴァイオリン製作の依頼があってようやくまとまりました。私が作ったピエトロ・グァルネリのコピーを試してその低音の深みにほれ込んでいましたが、日本の人が使うことになったので新しく作ることになります。
同様な低音で弾きやすい小型のモデルが希望です。いまだに平らなアーチのほうが音量があるという間違った知識を持っているようでグァルネリ・デルジェズのコピーを作ることになりました。平らなアーチが良くないということは無いのでそれで良いと思いますが、低音は違う感じになるでしょう。あの魅惑的な枯れた低音は高いアーチでなくては出ないと思います。日本の方もそれをたいそう気に入って使うことになりました。

デルジェズのコピーも何年か前に作り、その後改造を加えて低音は充実したものになりましたが、ピエトロ・グァルネリのコピーほどではなかったです。今回は同様に低音に極端にバランスの偏ったヴァイオリンにしなくてはいけません。その方はフランスのモダンヴァイオリンを使っており、音量は申し分ないと思いますが、もう少し荒々しくない音が希望だそうです。つまり鳴り過ぎないということです。胴体も36㎝を超えるようなものでフランスでは大型のものが多く作られました。デルジェズのモデルなら1㎝近く小さくなることになります。

その方は十分な腕前があり、何年か弾きこめば大抵の楽器なら鳴るでしょう。
うまく使いこなせば十分大きな音が出ると思います。10年以上前に作った新作でも同じようなことがありました。たくさんの職人の新作楽器を試し、中にはクレモナの製作コンクールで受賞した人のものもありましたが、低音が魅力的で私の作ったものを一番気に入ったのでした。5年くらいして整備のために来て弾いていただいたところ誰が聞いても大きなでした。アーチは平らで板は薄く作ってあり、使う人も十分な腕前で、新しい楽器を買った喜びから音を引き出すことを楽しんでたようです。

今はデルジェズのコピーを貸して弾いてもらっています。
希望をすべて音にできればいいのですがそういうわけにもいきません、過大な期待をされても困ります。今回はもう少し低音が強いものを目指します。

同じようなもでちょっと違うものを作ることも経験として重要なことです。


私も楽器作りに集中して時間を忘れてしまうでしょう。