勤め先が改装中のため家で仕事をしています。
ヴァイオリン作りをしていると一日が早く過ぎます。思ってるよりも作業に時間がかかるからです。先週は横板を作る仕事をしていました。
何年か前にうちの師匠が大学の工学部の教授と知り合いになりました。
その人は工場の生産機械を作るのが専門で有名な企業の工場の設備を作ったのだそうです。教育者が実際の現場で実績があるというのがヨーロッパらしいと思います。
ただ、その工場で働いている人は使いにくいと思っているかもしれません。教授が作ったからと使いにくい装置を使わされることもあるでしょう。それもまたヨーロッパらしさです。日本なら民間企業がきめ細かい仕事をするでしょうから。
私は経営学を勉強していましたが、会社を経営したことのある先生はいませんでした。民間企業で働いた経験すら怪しいものです。
異色だったのは産業心理学の先生で歯に衣着せぬ物言いで面白かったものです。
一般に自分の勤めている会社について、入社の難易度が高いほど満足度も高くなるそうです。仕事の内容に満足しているというよりも2度とこんなチャンスはないからだとはっきり言っていました。
その先生は消費者の行動などに興味があって専攻していたのですが、就職したら全く関係のない部署に配属されて大学に戻って研究者になったそうです。ヨーロッパと違って実務経験と結び付けてということではありません。サラリーマンの心理は知ってるでしょうけども。
消費者の行動は楽器店で働いていると経験が得られます。工場や産地では売られません。
楽器作りも難しいですがそれ以上に難しいものです。
こっちが考えているのとは全く違う次元で楽器を選んでいます。
特に才能のある音楽家は発想も飛びぬけているようです。
当ブログを見てくださるような方々は、楽器そのものにとても興味のある人でどちらかというと技術的なことに興味があるような人が多いでしょう。しかし、弦楽器を弾いている人の中ではごく一部でしかありません。
楽器を選ぶのにフェアな方法を用いるように訴えているのもそのような人ばかりじゃないからです。特に日本の場合には深刻です。
たとえばベンツの話題が上がることがあります。
「成功者の証」だという風に信じている人たちもいますし、それに対して「見栄っ張りで悪趣味」と考える人もいて論争になります。いずれにしても具体的に車自体のことについては語っていません。操縦性や乗り心地、性能がどうだとかコストパフォーマンスがどうだとか具体的なことはあまり語られません。
調べてみると同じ値段で同じくらいの車格ではベンツが一番エンジンの出力が小さいです。つまりベンツというのは非力でゆっくり走るのに適した車だということになります。ステーションワゴンが充実していて実用性もおろそかにしていないということもあります。
でもそんなことを調べる人はめったにいません。
消費者は商品そのものを詳しく調べるというよりは「イメージ」で物を買う決断をしているということです。メーカーのイメージ、広告のタレントがどうだとか、営業マンの印象によって自動車のような高額商品を買うことを決めているのです。イメージでメーカーを決めていて他社製品と比較することはしません。逆にスキャンダルが出れば製品自体の出来とは関係なく売り上げが減少します。
そのような人たちが多数派であることを嘆いているのではありません。
製品そのものに興味を持っているような人たちとは考えや行動が違うということを自覚すべきだと思います。
楽器の値段が人気で決まるとすればいろいろな考え方の人が含まれてきます。
楽器を公平に弾き比べて音が良い楽器の値段が上がるわけではないということです。
私などは反対で、製品から興味を持って各社のものを見て好きな製品を作っているメーカーをひいきにするのです。路線が変わってしまえばすぐに嫌いになってしまいます。
私が好きになった直後に会社がつぶれたりすることもよくあります。職人目線で良いものというのは儲からないのでしょう。
消費者の心理というのも面白いわけですがこれくらいにしておきましょう。
話を戻すと教授の教え子の工学部の学生がヴァイオリン作りの設備を作りたいというのでうちの工房を何度も訪れていました。それで取り組んだのが横板を曲げる機械です。同じ形のものを作るのであれば金型を使ってプレスすれば良いと思います。実際ギターなどではそうしているはずです。やはり大量生産が前提となります。
そうではなくていろいろなモデルの少量生産に対応できるようなものを考えていました。難しい点はいろいろあって、木材を曲げるだけなら蒸気で長時間蒸して柔らかくして曲げれば曲がりますが、ヴァイオリンに使うものは繊維がうねっているのでそんなことをしていたら波打ってぐにゃぐにゃになってしまいます。
試作品をいくつか作っていましたが、その学生は完成には至りませんでした。後輩がそれを受け継いで研究を続けていましたがそれも完成に至りませんでした。
現代の工業製品なら製造技術に合わせて設計や製品の開発が行われるでしょう。安く作りやすいものを作っているのです。弦楽器は500年も前に設計されたものなので機械で作りやすいように考えられてはいません。
安価な楽器ならそればかりを担当させれれば驚くべき速さで作業ができるようになるでしょう。私などは練習不足です。しかし分業で楽器を作るデメリットもあります。
考え方の違い
横板で重要なのは表板や裏板の輪郭の形と合うことです。
マルクノイキルヒェンの大量生産品では横板を分厚くしておいて裏板の形に合わせて薄く削って合わせることがあります。たまにものすごく薄くなっていて今にも穴が開きそうなものもあります。逆にものすごく分厚いものもあります。音響に影響があるかもしれません。
有名なのはフランスの外枠式です。
外枠を使うと横板が裏板や表板に対して絶対に大きくなりすぎることがありません。枠も高さが横板と同じだけあってゆがみも少ないです。
同じ形のものを作るのに適していて完成度の高いものができました。
しかしコーナーのところが難しくてドイツの外枠式の大量生産品はそこに問題を抱えたものが多いです。
伝統的にイタリアで使われていたのは内枠式です。
現在のハンドメイドの楽器ではこれが主流です。
現在は初めに横板を作ってそれから一回り大きく裏板や表板の輪郭を作るというのが主流です。これなら横板と輪郭の形が合わなくなることがありません。
横板はゆがみが出るのでそれを基準にすると裏板や表板の輪郭も歪んでしまいます。チェロなんかでは横板の高さがもあってゆがみが大きくなりやすいです。チェロでは高級品でも歪んでいるのが当たり前です。フランスのような完成度の高いものは希少なのです。
几帳面な職人なら横板をできるだけ正確に曲げてそれを基準に一回り大きな表板と裏板を作ります。2.3~2.5㎜位が平均でしょう。これが小さすぎると肩当がつけにくかったりしますし、大きすぎれば奥まっているのでニスが塗りにくくなります。独学で作ったような楽器では大きすぎるものが良くあります。
これに対してアバウトな職人は横板を適当に曲げて、それを基準にしつつも正確にするのではなく目で輪郭の形を整えることになります。したがってオーバーハングと言われる表・裏板の横板から張り出している部分はたとえば「2.3㎜」という風に一定ではありません。しかし目で形を整えるのは至難の業で単にアバウトなだけのものが多いでしょう。
古い楽器ではエッジが摩耗しているのでオーバーハングは小さくなっています。そのため私は角を丸くしたような仕上げならオーバーハングは小さめ、新品らしいものなら大きめにとるのが良いと思います。
こんなことも誰も教えてくれませんでした。みな師匠から教わった一つの寸法しか知らないようでした。楽器作りを学ぶ時に、決められた数値を与えられてその通りに正確に加工するということが求められるのです。なぜその数値になったのかについては誰も知りません。
チェーン店ではなぜそうなったか知らずにマニュアルで仕事を学ぶわけです。効率の良いものですが意味も分からずマニュアルで学んだものを後輩に指導するようになるとわけのわからない「掟」が出来上がります。
オールド楽器では摩耗しているのも部分によって違いますが、作られた当時もアバウトだったろうと思われます。表板や裏板をはがす修理を繰り返すうちにずれていったこともあるでしょう。
几帳面で厳格な職人なら最初に作り始める横板はできるだけ正確さが求められます。それが楽器作りの態度や考え方の基本になるでしょう。アーチや厚みの出し方でも考え方は同じです。何かの理論に従って正確に加工するようになります。アバウトな職人と違いが出るところで音にも影響があるでしょう。
日本に帰っていた時多くのクレモナなどイタリア製の現代のチェロを見ましたが、横板がぐにゃぐにゃで私がいつもやっている量産品よりアバウトな印象を受けました。イタリアらしいと言えばらしいです。
イタリアのマエストロは几帳面に正確にするのではなくて、大雑把な仕事でバランスを重視するのが芸術家だと主張するでしょう。なるほどですが、単なる粗悪品と見分けるのが難しいところです。
チェロに関してはそうでもなければ産業として成り立たない部分もあります。そういう楽器がたくさん日本で売られているということは、それが産業として正しいのかもしれません。
①フランスの外枠式
➁几帳面で正確な仕事
③大雑把でアバウトな仕事
横板の仕事の仕方で思いつくものはこの三つがあります。
それぞれメリット、デメリットがありますが、単なる生産性や品質の問題ではなく楽器作りの考え方を表している部分です。完成度の高い同じ形のものを作るのがフランス式です。②の方法では寸法に対しては正確かもしれませんが、美的感覚は無視しています。人間の目にどう映るかということは軽視されています。③はその点雑に作ってあっても様になって見えることを目指しています。費用対効果には優れていてセンスの良い人がやれば良いのですが単なる粗悪品も混ざってきます。完成度には限界があり、完璧さを求めると満足できる結果は得られず作業もはかどりません。
私は同じ形のものばかり作るということはしません。ちょっとずつ違うものを作れば音も違ってくるでしょう。個性的な音の楽器を作るための経験となるでしょう。近代的な考え方でもありフランス式は適していません。
この前も説明したように完成の姿をイメージしやすいということを重視しています。②の方法も適していません。これはいかにも現代的なものでコーナーなどの帳尻を合わせるのはとても難しいです。品質は高いのですが、バランスのおかしな楽器はあります。自分では腕が良いと思っているので進歩しません。
コピーを作る場合オリジナルとできるだけ同じならなくてはいけません。③のようにアバウトだとコピーと呼べるものではありません。昔の職人はそれ以上にアバウトに作っていたので同じクオリティーかもしれませんが同じ形のものではありません。アバウトな態度は音響や演奏上重要な部分や、接着面の正確さなどの品質でもいい加減になりがちです。
私はこれらをすべて合わせた方法です。
フランス式では横板が出来上がってから一回り大きく表・裏板をつくるのではなくて、同時並行で作ることもできます。表・裏板は横板を基準とするのではなくそれぞれを型などから作ることができます。こうなるととても正確に設計通りの表・裏板が作れます。
同様に私は表・裏板を先に作りそれに合わせて横板を作ります。
横板が不正確であれば、表・裏板に合わなくなりますから正確さは求められます。しかしそれを基準にするわけではないので、そこまでは完璧さは求められません。
表・裏板は設計通り忠実に作られ、そこに収まる程度の正確さで横板を曲げるということになります。オーバーハングには多少のばらつきが出ますが、オールド楽器ではオリジナルも均一ではありませんから問題になりません。
輪郭の形とオーバーハングの均一性でどちらが重要かと天秤にかければ簡単なことです。しかし厳格な職人はそれが分かりません。オールドイミテーションでなくても誰も気にしないところです。そのため普通の新作でもフランスのような完成度の高いものができるでしょう。
欠点はチェロには適さないことです。チェロになるとゆがみが大きいのでこの方法では表板・裏板と横板が一致しなくなります。
またオールド楽器のコピーを作る場合にはあまり綺麗すぎてもいけません。
横板を曲げると杢が強い材料ほど繊維がうねっているため波打ったようになります。このようなものはやすりなどでなめらかにすることができます。しかしオールド楽器を複製するときは完全に滑らかにせずに波打たせておくと良い感じになります。古くなることで波が現れてくることもあるし、作られた時からきれいに加工されていなかったかもしれません。作者によっても変えたほうが良いでしょう。このような波はニスを塗るときに影響が出ます。ほんのわずかで良いです。波が大きすぎると波の山のところがこすれてニスが剥げて白くなってしまうのです。これは微妙で失敗から学ぶものです。きれいに仕上げるほうが楽かもしれません。
実技です

1937年製のキングヨゼフというデルジェズをモデルにしています。裏板は板目板なのが特徴です。横板は板目板ではありません。ふつう高級品であれば裏板と横板は同じ板取のものを使うでしょう。グァルネリ家の無頓着なところです。ピエトロ・グァルネリでも同様です。
裏板も上等なものなので板取は違っても横板も上等なものを使います。
上等な材料ほど割れやすくカンナをかけるのは難しくなります。板が薄すいのでカンナをかけるにも不安定になります。
若い職人に試験を課すならこれをやらせれば一発で技量が分かります。
厚みはデータによると1~1.2㎜くらいです。古い楽器で乾燥や摩耗、修理歴なども考えると新品の時はもう少し厚かったかもしれません。ごく普通だと思います。

当たり前ですが本当に楽器を作っています。
横板を曲げるのに、ものすごく正確である必要はありません。デルジェズなら多少ゆがみがあるほうが雰囲気が出るでしょう。しかし木枠と横板の間に隙間があるようだと裏板や表板と合わなくなってオーバーハングが小さくなりすぎてしまいます。ある程度の正確性は必要です。
冶具などを工夫すれば完璧にできますが、ヴァイオリンではそこまでは必要がありません。
チェロでは必要になるでしょう。冶具の開発を考えています。

横板を曲げたらライニングも取り付けます。

デルジェズのコピーでは見えないところはしっかり作って、見えるところは低品質に作るのです。実際はこんなに正確に作られていないでしょう。
製品の品質という意味では接着面が完全についていることは必須です。

これで「輪っか」が出来上がりです。

写真には写りませんが触ると軽く横板が波打っています。微妙な加減です。つるつるにするほうが簡単です。
この差はニスを塗ったときに違いになって現れます。汚れの残り方や、光の反射の仕方が変わります。
横板には楽器作りの姿勢が現れる
チェロなどは横板を一周完成させるだけでひと月くらいかかります。これを量産業者から買えば10万円もしません。ストラディバリモデルのような決まった形なら作ってもらえます。問題は使えるクオリティがあるかどうかです。表・裏板と形が一致しなくてはいけないのです。音響的なことだけなら問題はありませんから、横板やスクロールは工場で作られたものを使うことも考えられます。素人が見たらだれも気づかない違いですが重要と考えるかどうかです。こんなことも楽器作りの姿勢が現れる一例です。
私が変わりものであるということも現れています。
様々なやり方を研究してその中から自分の目的に合った方法を選択します。
このような人は珍しいでしょう。
現代の楽器製作はマニュアル化しています。
マニュアルすら学んでいなくてできていないなら話になりません。
流派や時代によってやり方が違います。それらを研究して自分なりの方法を考えます。
工学部の学生が横板を曲げる機械を作ろうとしましたが失敗に終わりました。私ならその間に横板を曲げ終えています。それだけ職人の仕事は難しいものです。
成功したとしても「機械で加工した」という事実が値打ちを損ねます。職人が手で作ったことに価値があるのです。工学部の学生にとってはそのようなことは知る由もありません。