ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -33ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

楽器の値段が音をあらわしていないということを言ってきました。何故かと言うと客観的に音を評価して数値化する方法が無いからです。
一方で値段が高い楽器はすべてハッタリで安いものと音は変わらないかと言えばそうでもないと思います。特に古い楽器では新品とは音が違うことは経験することです。良い楽器が高いことはありますが、高い楽器が良いということは言えません。
ただし高い楽器ほどコストパフォーマンスで不利であることは言えます。それに対して隠れた名品ほどコストパフォーマンスには優れているということです。そのためいたずらに高い楽器を崇拝し、安い楽器をバカにする人を私は弦楽器に精通している人とは思いません。好きであるなら隠れた名品が無いかと興味津々でしょう。

これまで3つ箱を作りましたが、今回は一度に3つ作ります。


できました。
こんな箱でも作るのは職場で私くらいですから基本的にものを作るのが楽しいんですね。
そのためか道具も一番多く持っているので整理するための箱がいるわけです。



先日は鑑定士の人とちょっとお会いしました。どんな人なのかと興味深いものです。


それとは関係なく楽器の値段について勉強していましたが、ビオラの値段についての説明は、昔は小型のものしか売れなかったので大きなものは売り物にならなかったのだそうです。それが近年では大型のビオラが良いと考える人が増えたため値段が付くようになったのだそうです。アメリカ人や日本人が大型のビオラを買うようになったということも大きいでしょう。

基本的に小型のビオラのほうが値段も高いと考えられてきたそうです。それが主にヨーロッパ大陸外で大型が良いという意見も出てきたという所だそうです。そのような「新しい考え方」もヨーロッパに逆輸入されてきてはいるでしょう。国際的な都市の音大教授で持論を言う人もいます。

鑑定士がオークションなどの国際的な取引にかかわっているのならもともと売り物にならなかった大型のビオラの値段が上がってきたことは実感していることでしょう。しかし私たちのようにヨーロッパの都市でお店をやってると相変わらず小型のビオラが求められます。上等な小型のビオラが売りに出ると「これは良い」となるわけです。私たちもイタリアの職人たちも国内ではビオラは小型が好まれるということを知っています。輸出用に大型のビオラを作ってるのです。

弦楽器取引がヨーロッパだけで行われていたのがアメリカやアジアなど世界中に広まると変わってくるのです。


もう一つ変わってきているのはチェロの値段です。
私もチェロの値段はヴァイオリンの2倍だと教わりました。しかし製造コストを考えると実際には2倍では済みません。そのため作る人も少なく数も少ないので良いものはとても珍しいです。そうなると2倍の値段では買えません。中古のチェロを持ってきてどれくらいの価値のものか教えてほしいという人が来た時、とても困ります。特徴から戦前のザクセンの大量生産品ならすぐにわかります。ザクセンの大量生産のヴァイオリンなら比較的上等なもので30万円くらいです。その2倍なら60万円になりますが、今ドイツの新品の量産品が100万円以上するのはざらです。グレードによっては150万円くらいすることもあります。そうなるとおかしいです。同じドイツ製で同じような品質で100年古いのに安いのです。新品は60万円では東欧か中国のものしか買えません。
100年以上前のドイツ製の量産チェロで品質の良いものを見つけるのはヴァイオリンに比べるととても難しいです。ほとんどがどうしようもないひどいものです。痛みもヴァイオリンよりずっと激しく修理代が100万円を超えることも少なくありません。それで60万円じゃあおかしいです。

そのため説明によると、かつてはチェロの値段はヴァイオリンの2倍と考えられてきたが今では数倍になることも珍しいことではないそうです。じゃあ数倍って何倍なんですか?3倍?4倍?・・・チェロの値段なんてあってないようなものじゃないですか?

相場を調べてみると1900年ごろのフランスのものでヴァイオリンの2.5倍くらいになっています。フランスの場合には画一的な楽器製作が行われていたので優秀な職人が共同で作業することができました。そのためチェロを安定して生産することができました。一人ではチェロを作るのは時間の問題で難しいです。それで比較的本数があって相場も2.5倍ということです。1900年ころのフランスの一人前の職人のマスターヴァイオリンなら300万円以上しますからチェロなら2.5倍で800万円くらいからということになります。これが1800年に近づくと3倍くらいになります。たとえばG.A.ベルナーデルのヴァイオリンが560万円くらいでチェロは1500万円です。500万円のヴァイオリンの作者のチェロは1500万円もするのです。

19世紀のチェロなんて買おうものならとんでもなく高価なものです。オールドなんてなったらさらにそれ以上です。イタリアのオールドチェロなんてまず候補にはならないでしょう。
文句なく見事に作られたフランスのチェロなんて最低800万円です。そりゃあ安くないですよ。ただし、見習の職人が作ったようなレベルのものが同じ800万円なら高すぎるなと思います。もちろんイタリアのものです。


ドイツの戦前の量産品でも150万円で上等なものが買えるかと言えば難しいです。


これはヨーロッパでの相場ですから日本になるとずっと高くなるでしょう。100万円高ければ旅費を使ってヨーロッパに買いに行っても航空会社に追加料金を払ってもおつりが来ます

古いチェロを買うのは本当に難しいです。新しいチェロが簡単とも言えませんが・・。そのうえ偽物があり、修理ができていなかったりするわけですから。
日本で正真正銘のハンドメイドの古いチェロが500万円以下というのは難しいかもしれません。300万円出しても怪しげなものばかりです。
手を出すなら十分な資金があることは最低条件でさらに高いリスクを冒す必要があります。



チェロの場合にはぜいたくなことを言ってられません。一方ヴァイオリンでは安くてよく鳴る楽器があるという話をしてきました。チェロは良いものが少なくて選ぶこともできないのに対して、ヴァイオリンは良いものが多すぎて決め手に欠けて選ぶことができないという対照的な状況です。実は恵まれているのに良いものが無いと嘆いているのです。

先日ヴァイオリン教師の方が、知人が売りたいと言っているヴァイオリンを持ってきて価値を聞いていました。音は良いので自分が弾きたいとも言っていました。教師が音が良いというのですから、専門家の意見です。
オールドの南ドイツの作者名が貼ってあり、一見すると古そうな感じがしますが、明らかに近代に作られたイミテーションです。それも安価なもので・・つまり量産品です。それでも100年くらい前のものでしょう。
そんなことはわからなくてただ弾いてみて音が良いと感じたのです。

その時、鑑定士の人に預けてあったヤコブ・シュタイナーが店にあったので弾いてみてもらいました。
さっきの楽器とは全く音が違います。とても柔らかく枯れた味のある音のするものです。柔らかいというのは音が柔らかいというよりは楽器そのものが柔らかい感じです。板はオールドの中でも特に薄い方で、裏板はバーズアイの板目板です。その人はパッと弾いてすぐに「これは良い」と驚いていました。

それくらいオールド楽器というのは全く違う次元のものだと思います。

ただし、これが本当にこのクラスの楽器を買おうとしている人になると話はややこしくなってきます。柔らかいと言ってもいわゆる室内楽的と言われる窮屈さは確かにあります。ネックの角度など修理が必要だと思います。柔らかいシュタイナーよりもっとゆったりしたキャパシティの大きな太い音の楽器がソリストには好まれるでしょうそうなるとフラットな初期のモダン楽器のほうが適しているといこともあり得るのです。

とはいえ、立派そうな理屈を言う現代の職人の新作に比べて劣ってるということはどう考えても無いです。もちろん値段が全然違うので比べる対象ではないですが、技術者としてアーチが高いシュタイナー型の楽器は良くないものだなんて言えません。これが並みのドイツのオールドヴァイオリンなら値段でも新作と変わりませんが、シュタイナー型でも新作くらいなら負けはしないです。この場合には購入するのに競合します。
知り合いのイタリア人の職人の話を聞くとクレモナではシュタイナー型のドイツの楽器は良くないと教えられ自分たちが作っている新作のほうが優れていると思い込んでいます。教えられた知識を信じ込んでいるだけです。これは実際とはかけ離れています。
クレモナに限らずこのような知識は常識として広く信じられています。その結果楽器の値段はシュタイナー型であることで安くなります。それは事実と異なっても多くの人がシュタイナー型の楽器は音が良くないと信じているからです。オークションなどは買いたい人が多いと高くなるという仕組みですから。値段の世界にいると「シュタイナー=悪い」となってしまいます。


値段の高い楽器には「ハッタリ」のようなものがあると訴えていますが、私は個人的にオールド楽器の魅力はあると思っています。
でも教師の方が安い何でもない楽器を「音が良い」とおっしゃることが実際にあります。それを否定することはできません。
教師と言っても楽器の音を評価するプロフェッショナルではありません。もっと言うとそんな職業はありません。いいなと思っていたものがあってもオールドの名器を弾いたら「全然違う」ということもあります。


生徒が使っているような楽器の中で良いとか悪いとかいう尺度とオールド楽器は別物だと思うのです。例えば新作楽器の中で弾き比べて抜きんでて音が良いというものは、オールド楽器とは違う方向性の音なのだということです。でも新作楽器ばかりを集めて他のものより優れていると選んだことには違いがありません。

うまく例えて説明したいところなのですが、思いつきません。
地球から火星に向かってヨーイ、ドンでロケットを発射したとしましょう。
到着には一年くらいかかるとして初めに狙った角度や速度を途中でわずかしか修正できないとします。

スタートの瞬間を固唾を飲んで見舞っていれば、スタートダッシュに成功したロケットは一番優れているように思えます。初めの数日間でも先行したロケットは先に火星に着くように見えます。
しかし火星は惑星なので大きいとはいえ、宇宙の中では小さな点でしかありません。初めはまっすぐ火星に向かっているように見えても角度が間違っていれば日ごとに火星とは違う方向に飛んでいることが明確になってきます。火星の軌道とこれまでの軌跡から進路を予想するとこれはダメだとなるわけで、ゆっくりスタートしても方向が正確であるものだけが火星に到着します。

新作楽器が古くなっていくわけですが。「今のオールド楽器の音」を目標とするなら方向性が正しい必要があります。このまま古くなればオールドの音になるということです。それに対してオールドの音を目標とせず新作楽器の中で優劣を決めるとスタートダッシュに成功している楽器が優れていると感じられるでしょう。しかし方向が間違っていればどんどん離れていきます。

実際に安い価格帯や新作楽器の中で楽器を選ぶ時に「これは将来オールド楽器の音になるのか?」という評価の仕方をするのか、楽器同士で相対的に勝っていると感じるものを選ぶのかによって違ってくると言えるでしょう。
そのため今の時代に評価されたからと言って将来オールド楽器のようになるとは限らないということです。

音を実力で評価してもこのようになるのです。いまさら言うことではありませんが実力以外の方法で評価するのが日本では一般的であるということもあまり知られていません。


私が楽器製作で目指しているのは「オールド楽器の方向」に向かっているということです。そのためにはできるだけオールド楽器の真実を知る必要があります。イメージや常識、頭の中の理屈ではなくてよく観察することが重要だと思います。私はそれを楽しみとしてやっています。産業として成立するかなんて二の次です。それでも何とか商売として成立しないと継続できません。

オールド楽器の音が好きならオールド楽器を買うしかありません。そうは言っても誰もが買えるわけではありません。じゃあ新作の価格帯ならオールド楽器が持っているような魅力は全て諦めなくてはいけないのでしょうか?それに対して私はそうではなくて新作の値段でもオールド楽器の要素をいくらか持っているものを作ることができるのではないかということで取り組んでいます。値段の差に比べれば音はまだ近いと私は考えています。

買う人にそこまで理解してもらえるかというのはわかりません。
憧れのスターが着ていたジャンパーと同じメーカーのものを買うように、憧れのスター演奏者がストラディバリを弾いているから同じストラディバリのコピーが欲しいというだけかもしれません。しかし私はそんな仕事でも全力でやります。そういうきっかけで私の楽器を使うことになったとしてもそれで良かったと思ってもらいたいです。


使う人がいなければいくら作ってもただの趣味です。趣味が悪いということはありませんが、自分の理想を追求することが世の中に求められているのならより成功と言えるでしょう。商売だけなら自分の理想は捨てたほうが良いのかもしれません。一方自分ではやろうとしないことも仕事ではやらざるを得なくなることがあります。そうでないとそのような経験はできません。孤高の職人になったときに思い込みに陥りやすいものです。

自分が物を買うときの喜びに興味があります。現実的な価格になったとたんに自分の好みはすべて捨てて他社より優れたものを買わなければいけないというのに私は不満を感じています。流通業者も業績のためには売れ筋のメーカーのものに集中します。メーカーも売ってもらえるものに集中します。


自分が興味のない分野であれば相対的に優れたものを選べば良いでしょうが、もっと優れた新製品が出たとたんに愛想が尽きるでしょう。自分が好きな分野なら多少劣っていても自分が好きなものを選んだ方が長く愛用できると思います。

私は学生やプロなどはより実用的な楽器、趣味であればより好き嫌いを優先した楽器選びをするのも手だと考えています。だから、普通に考えれば私が作る楽器などは優れたモダン楽器に比べて格下だと考えています。現代の職人は勉強不足のためそのようなモダン楽器を知らずに自分の楽器が優れていると思い込んでいます。

しかし方向が正しければ使うほどにオールド楽器に近づいていくでしょう。上級者ならその進展も速いでしょう。


チェロはぜいたくは言っていられなくて、オーソドックスな現代や近代の楽器でも弾いてみて音が良ければ満足しなくてはいけません。チェロで名品なんてのはかなり難しいでしょう。ヴァイオリンでは何でもないというレベルのものでもチェロになったら貴重なものです。
















こんにちはガリッポです。

ヨーロッパには熱波が来ています。
40度近い気温の日がありました。30℃くらいなら涼しいほうです。
一年でも最も太陽が高くなる時期ですから季節外れということはありません。これまでも暑い6月は何度も経験しています。日本は海流や季節風の影響でひと月ほど夏が遅れて来るのです。そのため日本ならまだまだ暑い9月に氷点下になったこともあります。
日本より春が一か月遅れてやってきて夏が一か月早くやってきます。春がとても短いです。コートを着ていた次の週にはTシャツでした。
東京にいたころにヨーロッパ人風のバックパッカーは早々とTシャツ、短パン姿だったのを見たことがあります。途中が無いのです。

厳しいのはエアコンが普及していないことと建物の断熱性が高いことです。
断熱性が高いので暑くなり始めは涼しさを保っています。しかしいったん熱くなると冷めません。日ごとに暑くなっていき、夜は15℃くらいまで気温が下がりますが窓を全開にしても焼け石に水です。窓から部屋の中央に来るまでに空気が暖まってしまいます。
今も室温は30度を超えています。窓を開けても締めても同じです。

しかし、オイルニスにとっては都合がよくこの時期なら紫外線のライトを使わなくてもニスが固まります。今回のデルジェズのコピーではあえて半生状態にしておいてニスを長年使用したようにはがしていきます。完全に固まってしまうとはがれなくなってしまうからです。わざとらしくならないためにとても神経を使う仕事で寝不足で頭がボーっとする中で今日できるのかなと心配になりますが、やり始めると世界に入ってできるもので自分でも驚いています。一色だけでニスを塗るほうがどれだけ簡単か?とアンティーク塗装ができるようになってしまったことを後悔するわけですが、自業自得です。




前回は今の時代主流の音について話をしました。
先日もプロのヴァイオリン奏者の方が来ていました。去年くらいから不満があって調整を繰り返しています。100年くらい前のイギリスのヴァイオリンを使っていますが、音が荒々しく鋭(するど)いことに不満を持っていました。
E線だけ弾いて音が鋭いと訴えていました。聞いても鋭い傾向の楽器であることが分かります。前回は魂柱があっていない可能性を考慮して交換してみましたが、その後やはり音の鋭さが出ています。
そこでE線をカプランのソリューションズに変えると以前に比べてずいぶんとましになりました。

このような調整はよくあることで、使用しているうちに音の鋭さが気になってきて鋭さをごまかすものです。

私からすれば100年くらい前に作られたものは特に音が鋭いものが多いです。そのため当然の結果だと思いますが、そんなこと一般の人が知る由がありません。基本的には音が強いので「よく鳴る」という印象を受けて購入します。現在ではそのようなものは主流です。使い込んでいるうちにさらに鳴るようになってくると鋭さも強くなってくるでしょう。現在と作風は変わりませんから特別な製法というよりは古さによって音が鋭くなっていると思います。これが200年くらい経てばいくらかましになるでしょう。モダン楽器のもっとも古いものがその時期に差し掛かったところでこれから実証されるでしょう。200年以上前のオールド楽器ではとんでもなく柔らかい高音のものがあります。これは古さだけでなく作風も原因として考えられます。


そのため鋭さをごまかす調整をします。
前回言ったようになるべく鋭い音の楽器を選んで鋭さを抑えながら使うというのが今の時代の好みといえるでしょう。


ポイントは、とても柔らかい音が好みだというのではなくて輝かしい強い音の楽器が好みでありながら鋭すぎる高音を甘くする点です。この方は長い間使ってきて最近気になるようになってきたので楽器が壊れたのではないかと心配していました。しかし調べて何もおかしいところはありません。私は楽器本来の音が出るようになってきたと思います。しばらく新しいE線を試してもらいます。それでもだめならバスバー交換を私がやれば柔らかくできるでしょう。ただし、あくまで鋭い音の楽器を甘くするだけです。
もしかしたら音の好みが変わったのかもしれません。そろそろオールド楽器が欲しくなる頃でしょうか?

それに対してE線がとても柔らかい音のヴァイオリンなら全体的に音が弱く感じるでしょう。構造上そういうものです。


E線についてはカプランのソリューションやピラストロのNo.1などはスチールの芯に金属を巻いてあります。音が柔らかいものです。こちらではめったにいませんが日本では今でも使っている人がいると思われるゴールドブロカットから交換すればE線が柔らかくなるのは確認済みです。E線だけでなくADGも柔らかくなります。

この方が使っていたのはカプランでもゴールデンスパイラルソロのヘビーテンションでした。強い張力のスチールの単線ですがその中ではしなやかさのあるものです。ADGにはエヴァピラッチです。
もともと輝かしい音を目指す弦のチョイスでした。したがって以前に弦を選んだ段階ではとにかく強い音を目指していたはずです。

高級弦としてガット弦が使われていた時代にE線に強い張力のものを張ることでADGも強くなる効果があったのでしょう。上級者や教師が使っている組み合わせで生徒も練習をしていたのは不思議ではありません。ただしオールドの名器と100年くらい前の楽器で同じ弦が合うとは限りません。

さらに今のナイロン弦は張力が強いのでE線に特別強い張力のものは必要ないのかもしれません。逆にE線に裸のガット弦を張ればバロックヴァイオリンのような音になります。戦前はモダン楽器にも裸のガット弦のE線が使われていたようです。そういう意味ではナイロン弦が主流となり求められるE線も変わってきたのではないかと思われます。とはいえましになる程度で、全く正反対の音にはなりません。新製品の登場を待つしかありません。

いずれにしてももともと鋭い音の楽器ははじめウケが良く、使っているうちにE線が気になるようになり甘くするというのが求められています。




この前に紹介したヴァイオリンの修理が終わりました。

革靴のにおいがすると言っていたものです。
私はミッテンバルトの系統ではないかと感じていましたが師匠もミッテンバルト派かなと言っていました。ラベルには1887年と書いてあります。

ミッテンバルトのルドビッヒ・ノイナーがヴィヨームの下で楽器製作を学び帰ってきてフランス風のヴァイオリン製作を伝えました。ノイナーのヴァイオリンは見たことがありますが、ヴィヨームそっくりです。それもそのはずで、ヴァイオリン作りを教わったというレベルではなくヴィヨームの代わりにヴィヨームのヴァイオリンを作っていたわけですから。ノイナーのものならドイツ製ということで400万円程度でヴィヨームが買えるというわけです。年代はやや新しくなりますがものは同じです。

ノイナーはベルリンに自分の工房を構え自作の楽器を作り、ミッテンバルトではフランス化されたモダン楽器の量産が行われました。ミッテンバルトの現代の楽器にはそのようなフランス風の特徴があります。これは重要なことで当時ドイツではフランスの楽器製作が一番進んでいると考えられていたのです。
しかし私にはフランスではなくもはやミッテンバルトのスタイルに見えます。

それに比べるとはっきりとフランス風の感じはしません。そこまで品質が高くないからです。

この楽器に目を付けたのはフランスのモダン楽器のようにフラットなアーチに薄い板で作られていて作りに問題はありません。ネックも当時のフランスのモダン楽器に見られる斜めにきつい角度で入っているものです。ミッテンバルトでもモダン楽器量産初期のスタイルかもしれません。弦楽器ではラベルは絶対視できませんが作風からしても1887年のものでおかしくありません。
そうなると130年前ならドイツでモダン楽器の量産が始まる初期ですからかなり古いです。フランスのものでも19世紀となると値段がぐっと高くなります。

修理を終えて弾いてみるとやはりとても強い音がします。左耳がおかしくなるんじゃないかという感じです。板が薄いこともあってとても暗い音です。暗くて鋭い音なので今、うちでは特によく売れるタイプの音です。
そのあと自分の作ったヴァイオリンを弾くと音の優しさにホッとします。勤め先の初代の職人の楽器でも柔らかく感じます。

強烈な強い音でとても暗い音のものです。暗い音でもシャキッとしてもやもやしたこもった音は皆無です。
板の厚みも薄いので決して耳元だけではなくて高価なモダン楽器と同等のものだと思います。フランスやドイツの場合には安価な楽器と高級品とはクオリティーに差がありすぐに高価なものか安価なものかわかります。それで言うとドイツのマイスター作と言えるようなレベルのものではないのでせいぜい40~50万円です。私はそれを知っているので「よく鳴るけど安っぽい音」と思ってしまいます。これは先入観かもしません。
それに対してイタリアのモダン楽器なら品質による差別化はされないので同等のクオリティでも500~1000万円します。700万円のモダンで同じようなものがあったとき「さすがモダンイタリー、よく鳴るな」と感じるかもしれません。同じようなものがイタリア以外で作られたならクオリティで値段が決まるので50万円もしないのです。私は職人なのでクオリティーの高くないイタリアのモダン楽器を「こんなの量産楽器みたいな音だ」と感じるかもしれません。

現実的に1000万円以内の予算でヴァイオリンを探している人がこのようなヴァイオリンを購入できるかと言えば難しいでしょう。人の心には思い込みも現実に存在するもので完全に切り離すことはできません。私は見るとすぐに安価だとわかってしまうので無理です。演奏家ならもっとフェアに評価できるかもしれません。
逆に偽造ラベルを貼って700万円くらいにすればプロでも「さすがに音が良い」と騙されてしまうかもしれません。このようなことはよくあって50万円もしない楽器に偽造ラベルを貼ってもプロの演奏者が偽物だと音で気付かないものです。金銭的には鑑定書しか根拠になるものはありません。それも権威ある書類によって金銭的な価値が保証されるだけで、誰が作ったかの真実は必ずしもわかりません。昔の鑑定書と今の鑑定書で作者が変わることがあります。鑑定書が有価証券みたいなものです。

鋭い音の楽器でも、弾き方によって耳障りでない人もいます。そのため絶対に悪い楽器だとは言えません。この楽器の弾き方を身に着けてしまえば他のモダン楽器も難なく弾けてしまいます。

このように弦楽器にはいろいろな音のものがあり、客観的に良いとも悪いとも言えません。鋭い音で嫌だと思う人もいれば力強くて素晴らしいと思う人もいるのです。後者ならはるかに高価なマエストロ〇〇など、どんな新作もかないません。

こんなことがあったら日本の弦楽器店は困りますね。それに対して「板が厚い楽器が本物説」を利用します。はるかに高価な楽器が音で負けてしまうからです。心配ご無用です。板の厚い安い楽器はたくさんあります。



次はこれです。

これもこの前紹介しましたが、困った楽器です。表板の中央が4.5㎜あります。せいぜい3.5㎜が限界でしょう。4.0㎜くらいなら値段に見合った音とも言えますが、4.5㎜くらいのどうしようもない楽器はよくあります。ニスは掃除してみるとラッカーであることが分かります。ひび割れが入っているのでザクセンの量産品とは違うようです。ラッカーでもザクセンのものは品質が良くひび割れなどはあまりみません。ラッカーはシンナーのような溶剤が蒸発していくと細かく割れてきます。しわのようなものではなく地割れのように割れてしまいます。ラッカーの耐用年数は20年くらいのものですから楽器以外なら普通のことです。ラッカーでもザクセンのものは質が良く、ギターならそのようなラッカーは高級品と考えられているでしょう。

したがってフランスの作者のラベルは関係がなくただの安価な楽器だとわかりました。値段は外見のクオリティからするとせいぜい20万円程度です。
問題は板を薄く改造する値打ちがあるかという点です。板の厚みを変えずに弾けるようにするのに、ペグ、指板、駒、魂柱、テールピース、エンドピン、あご当て、弦の交換、ニスの補修が必要です。それに10万円くらいかかるのです。それなら7万円くらいで中国製のヴァイオリンを新品で仕入れたほうが品質が良いのです。それだけの投資をしても4.5㎜ですから売れるかわかりません。ならばいっそのこと板を薄くしバスバーを交換すれば音についてはさっきのヴァイオリンのようになるかもしれません。

問題は値段です。25万円くらいの修理を施し音が良いからと言って40~50万円で売れるのか?という点です。日本なら自由経済なので商品をどれだけ高い値段で売っても違法性は無いので問題はありません。しかしこちらでは専門家として責任があり、他の職人が証人となり「不当な値段」とされれば訴えられます。そうでなくても「それは高すぎる、騙された」と言われ信用を失うかもしれません。こちらでは無名な作者のものは外見の楽器のクオリティで値段が決まっているので改造を施したとしてもそれより高い値段で売るのは難しいです。困ったものです。



このように安価な楽器には本当にひどいものと、上等なものと構造が変わらないものがあります。それを見分けるには職人の目と経験が必要です。職人でない人が経営する店が主流の日本では入手は難しでしょう。比較対象として存在することが重要だと思います。東京には有名な作者の楽器ばかりが集まっています。しかしすそ野のレベルが低くては実力が分かりません。

少なくとも今回修理したヴァイオリンは130年も経っていて音が強いのですから、板が薄いとそのうち鳴らなくなる説はウソであることは明らかです。どんな言い訳を考えるのでしょうか?
「鳴れば良いというものではない」なんて貫禄のある通っぽい人が言えばなるほどと思うでしょうか?
鳴らなくて良いならいくらでも候補はあります。好き嫌いの問題となります。

理屈をこねくり回すのではなく、耳に聞こえた音を素直に感じて事実として受け入れることが重要だと思います。どう感じてどう評価するかは自由です。







こんにちはガリッポです。

テフロン加工のフライパンがダメになっていたのでひと月以上前に昔ながらの鉄のフライパンを買いました。さっそくハンバーグを焼いたら以前より風味が強くおいしかったです。
その後は焦げたりして苦労しました。ガスではなく電気のコンロなので温度の管理がとても難しいです。ようやくコツがつかめてきました。
豚肉が安いので思いつきでチャーシューを作りました。そこでチャーハンをしようと思ったのですが、日本のような丸い米はイタリアでも作っていて安いものはパサパサになるのですが、チャーハンを作るとパラパラにでき、とてもうまく行きます。
日本からの輸入米は値段が日本で買う倍くらいします。私のような職業では無理です。それに対してコシヒカリの品種もイタリアで作られていて日本のお米に近いものです。
イタリア産「コシヒカリ」を炊いてあったのでチャーハンには不向きでしたが作ってみました。
フライパンには油を少なめにして大丈夫かと思いましたが、当初ならくっついたのが、今回はツルツルでした。少ししっとりした感じで日本の中華屋でもそんなもんでしょう。
上達したのかフライパンの状態が良くなったのか、はたまた運が良かったのかもしれません。
初めから古くなったテフロンのフライパンよりはくっつかなかったのですが、ここまでになるとは驚いています。これなら焼きそばが作れそうです。麺は乾麺の中華めんを固めにゆでるのがコツで…
料理のブログじゃないのでやめておきましょう。






会社で導入したハイテクの照明システムには直感的に不安を感じていました。それぞれスマホで明るさを調整できるというものでした。何度かプログラマーが来ましたが、2か月くらいして未だに調整機能が使えません。何か問題があるそうです。原因不明の誤作動も毎日起きています。もしこれがアナログならスイッチを押したりつまみを回したりすれば誰にでも調整ができます。しかしプログラムに問題があると工事の日程を予約して来てもらわなくてはいけません。ヨーロッパでは立派な能書きをベラベラとしゃべっていざ導入すれば全く使い物にならないのはいつものことです。

私の席は光らないように設定してもらい、卓上の照明を使っているので仕事に差し支えはありません。
アナログでも故障はあります。しかしデジタルでもハードウエアの故障があり、その上ソフトウエアのバグもあります。照明などはそんなに凝ったことをする必要が無いと思います。アナログの時代ならスイッチ類の耐久性テストをやっていましたが、デジタルならその前にスマホが進化して時代遅れです。全て入れ替える必要になります。電器業者が薦めるわけです。家庭用なら誰にでも使えるようにもうちょっと完成度も高いでしょうが業務用の厳しさを思い知りました。技術が完成してから買えば十分です。機能が果たせればシンプルなほど技術としては優れていると私は考えています。




弦楽器というのは不思議なものでアマティ家によってサイズなどの規格が作られた時点ですでに音響的には最高レベルにありそこから進歩していません。
もし右肩上がりで進歩しているならアマティやストラディバリなどは使い物にならないはずです。

古いものは歴史的な価値もあるので純粋に音だけということでもありませんが、設計自体も優れたものだと思います。
私はアマティのモデルのビオラを多く作っていて先日も調整に来ていました。特別小型のものを依頼されて作ったものですが低音から高音までとてもバランスの取れたものでビオラ特有の鼻にかかった音も強くありません。他のビオラを打ち負かすような派手な音ではありませんが素直でバランスの良いものです。
お店にも量産品がたくさんありますが、このようなものを見つけるのは難しいです。

400年前の設計が現代風のビオラに対して全く遜色がありません。それどころか味わい深い音色に柔らかい高音など魅力的ですらあります。もし現代の考え方のほうが優れているのならこんなことにはならないはずです。じゃあこの400年間ヴァイオリン職人たちは何をしてきたんだということになりますが、弦楽器というのはそういうものです。一つ一つ音は違うけども技術革新などは無くてそれぞれに「癖」があるだけです。


若いころはロックンロールのような格好つけるような文化は好きではなかったのですが、お客さんでもコントラバス奏者でロックンロールやロカビリーの音楽をやっている人がいて何となく興味を持ちました。若者のバカ騒ぎの音楽と当時も考えられていたでしょう。聞いてみると1950年代くらいものは歌い方も優しいものです。エルビス・プレスリーは甘い歌声でとくに有名です。
こちらは欧米なので高齢者でも誕生日にパーティを開けばプレスリーやビートルズの音楽でダンスを踊ります。広く一般に受け入れられていて、日本で言ったら盆踊りかカラオケみたいなものです。

今のバンドの演奏を聞くと独特な上品さが無いようです。
戦前までは文化というのは上流階級のものが最先端でそういう人たちの趣味趣向を反映していたのでしょう。音楽家はスターとしてあがめられるものでは無く、自分より身分の高い人たちを楽しませる物でした。モーツァルトはもちろんジャズなんかもそうです。

それが戦後のロックンロールでは「エブリバディ」という歌詞が盛んに出てきます。誰もが楽しむものとなったということでしょうか。それに対して日本では格好つけたい人達の間でもてはやされてきたのでしょう。それで私は好きではなかったようです。

50年代のオリジナルの録音を聞くと、まだまだ上品さが残っています。その中ではしゃいで羽目を外している感じがすごいです。50年代の人ってあんなに浮かれていたのかと驚きます。
それを不自然に感じさせないのは音楽家として上手いんだと思います。


ともかくロックンロールでさえそうなのだから世の中全般的に、上品な趣味が失われてきているかなと思います。
こうなると弦楽器でも求められる音の好みは変わってくるでしょう。かつてはガット弦でアマティのようなオールドの名器を燕尾服を着た演奏者が弾いていたものでした。もっと昔は巻き毛のかつらをつけていましたが。
こちらではジーンズはビジネスマンや営業マンも履くものです。楽器メーカーの営業はもちろん、保険会社の女性が会社に来たらチェックのウエスタンシャツにジーンズ、カウボーイブーツを履いていました。馬に乗ってきたのかという感じでした。
今ではヴァイオリン奏者でもジーンズでステージに立つ人もいます。そうでなくても普段ジーンズを履いているとチェロの裏板のエッジが緑色になります。青の色が移ってそう見えるのです。メンテナンスしているとよくあるものです。

音の好みとしてもフワッと優雅な柔らかいものではなく、ダイレクトではっきりした音が好まれるようです。そういう音の楽器は技術が進歩したというわけではなくて、単にそういう音の性格というだけです。
そうなると高い楽器は必要ないんじゃないかと思います。ロックンロールのベーシストもべニア板のコントラバスを使っています。ピックアップを付けるということもあるのですが、音もそれが良いそうです。


いろいろなチューンナップパーツみたいなものが考え出されますが、鋭い音に変化するものが多いようです。音のキャラクターが全く変わらなくて音量だけが増大したのなら「改善」と言えるでしょう。しかし音色が鋭く変化したのなら楽器やユーザーによって合うか合わないかが出てきます。これは改善ではなくて「調整」です。それに対して、製品の能書きには「音を改善する」としか書かれていません。どのようにキャラクターが変化するかについては書いておらず、誰にとっても理想的な音になると思わせるものとなっています。
使用前使用後で「音が改善した」と感じやすいのは鋭い音に変化した場合なのでしょう。ハッタリで特許を取ってお金を稼ごうという業者が多いですが、実際に試奏して効果を確認して発売した場合でもそういう製品が多いということです。

しかし、「耳障りな音で困っています。」という人には使えません。
改悪になるからです。


このようなことは音の好みの傾向が変化している前提で、時代に合わせていくという意味での「改善」なのでしょう。私はこのようなグッズはスパイスとして考えるべきだと思います。いくつも使用すれば楽器がまともに機能しなくなります。


ガット弦の愛好家のチェロ教師が調整に来ていました。メインのチェロにはガット弦、サブのチェロにはナイロン弦のピラストロ・オブリガートを張っています。
弾いているのを聞くと他の人のチェロと音が全然違います。ほとんどの人がスチール弦を使っているからです。丸くて太い音がします。スチール弦は細くて鋭い音がします。

そういう意味でもなるべく鋭い音で鋭すぎないというのが現在求められている音なのでしょう。それに慣れるとまた一段階鋭い音を「改善した」と感じます。
アコースティックの楽器は限界があって年々改良され無限に音量が増大するわけではありません。音が鋭くなると音が強くなった感じがします。同時に繊細な表現や優美さが失われています。その時、音が強くなったことにしか関心が無ければ改善したと感じるでしょう。失われた方に興味があれば改悪となります。

ピラストロのチェロのスチール弦ではエヴァピラッチゴールドという角の丸い柔らかい音のものが開発されました。これはスチール弦はそもそも鋭い音であり鋭すぎないようにするものです。そのあと発売されたのはパーペチュアルでこちらはもっとスチール弦らしい尖った音のものです。でも金属的な嫌な音は軽減するというので高価です。やはり他社に打ち勝つためには柔らかい音よりも鋭い音のほうが売れると考えたのでしょうか?


このようなことはこれまでガラクタとみなされてきた安価な中古品に価値を与えるものだと思います。かつて優雅で上品な音が好まれたとき、安価な楽器はひどい音がする悪い音だと考えられたはずです。しかし今の好みからすれば新作のハンドメイドの高級品よりも優れているケースが少なくないと思います。

鋭すぎないようにするヴァイオリンのナイロン弦や金属巻のE線、チェロのスチール弦の開発で眠っていた安価な楽器が蘇ります。

ただ新しい弦が出ると少し前なら多くの人に好まれるものでしたが、最近は楽器によって当たり外れが大きくなってきたようです。そういう意味では頭打ち感はあります。素材の組み合わせを数えきれないほど試して製品化しているのでしょうが、シンプルではないのです。


ともかく音だけで言えば高級品なんて要らないのではないかと思います。そういう意味ではヴァイオリンなら40万円くらいのモダンの中級品とか、量産品を改造したものなどがコストパフォーマンスに優れていて最新のトレンドではないかと思います。職人として求められているのはそういう仕事でしょう。それにできるだけ似た音のハンドメイドの作者をありがたがっているのは時代錯誤ではないかと思います。


「時代錯誤?…大いに結構」だと考えることもできます。
私は今の時代に失われたものをイメージして思いをはせると脳内に快楽物質が分泌されるようです。古い楽器を見るとゾクゾクします。もう一つの私の仕事です。


いびつなジュゼッペ・グァルネリのスクロール



1737年のデルジェズのヘッド部分の型を起こします。コピーでは左右がかなり違うのでそれぞれ型を作ります。普通の新作では反転させればいいです。

基本的な形はストラディバリやアマティと共通しています。同じ流派ですから当然です。しかしこれを作っていたデルジェズの父親のジュゼッペはそうとう慣れていて設計に忠実というよりは感覚で作っていたことでしょう。ジュゼッペは仕上げが荒いのが特徴ですが、若いころのものは形自体はきれいなものです。しあげてない分ごまかしは利かないのでむしろ上手いのです。
デルジェズの仕事を手伝う頃には歳を取っていてかなり歪みがあります。

特に右側はいびつできれいなうずまきを描いていません。数学でうずまきは等角曲線と言いますが、弦楽器のものは数学の規則には一致していません。それでも何となくバランスよくなるように職人の目で作られたのが美しいスクロールです。

それからするとかなりいびつです。白い紙に作図するとこんなので大丈夫かと不安になります。現代の正統派の職人なら「こんなのは作れん」と設計の変更をするかもしれません。
デルジェズモデルの新作で特に難しいのはスクロールです。普通の新作ならスクロールだけは別のものにするでしょう。デルジェズのキャラクターを残しながらも現代風にモディファイするのはかなり難しいものです。

うちでも同僚がこの設計図を見ると「本当にこんなの作るの?」という具合です。それだけ現代のものとは違います。私はコピーですからそのまま作ります。ジュゼッペのスクロールとしては最晩年のもので私もこんなにゆがんだものは作ったことがありません。しかし全体がうまくなじめば古い楽器のような趣になるでしょう。頭の中で想像でいけそうな気がします。

私は物事についてすぐに良いか悪いかを決めない方です。でも多くの人は物事をまず良いか悪いかのどちらかに仕分けしないと気が済みません。専門家として自信満々な人は、そうやって初めに決定した良い悪いという評価には絶対の自信を持っています。まともな人はこういうものは作ろうとしないのです。そのため現代の楽器は皆そっくりなのです。

私はそれよりどうなるのか面白い方が勝ちます。先輩が止めとけと言うのなら作りましょう。悪い後輩です。

実際に作っていきます



注文制作なので材料はとっておきのものです。ビオラのネックも余裕で作れるくらいの大きな角材です。オリジナルよりも木材は上等かもしれません。

オールドの名器にはほとんどの場合新しいネックが継ぎ足されています。その場合できるだけオリジナルに近い材料を探すのがセオリーです。しかし高価な楽器では立派に見せるためか上等な木材が使われていることが多いです。つまりオリジナルのうずまきとペグボックスの部分より継ぎ足されたネックのほうが縞模様が強いことが多いです。なのでネックの部分が目に入ると印象としては名器っぽい感じになるでしょう。

今回のリクエストは完全にオリジナルに忠実にするというよりはその人好みの楽器にすることが優先されます。私としてはアレンジを加えるものですが、一般の人にはややこしすぎるのでオリジナルと寸分たがわぬものですよと紹介するでしょう。

オールド楽器では大したことのない木材を使うことがよくあります。以前作ったデルジェズのコピーでは縞模様の全くない材料を使いました。ストックが無かったのでそのために買いました。修理でも必要になるので今は大量にストックがあります。
材料を買う時に一番安いものを買わなくてはいけませんが普通は売っていません。業者に頼んで集めてもらいました。

デルジェズの場合には父親がスクロールを作っていたということもあって裏板と木材の感じが一致しません。グァルネリ家ではその楽器のために木材を選んでスクロールを作っていたのではなくてスクロールだけをコツコツ作っていたのでしょう。町工場ですからこのような分業は普通です。アンドレア・グァルネリの名前が付いたビオラでは胴体はピエトロでスクロールはジュゼッペが作ったように見えます。ピエトロとジュゼッペはアンドレアの息子という意味でフィリウスアンドレアと呼ばれます。
公式にはアンドレア・グァルネリの作品ですが作ったのは二人の息子ということもあり得ます。

ホンダのオートバイや車を買う時に、これは本田宗一郎が自分一人で作ったのか?と気にする人はいないでしょう。普通です。


やはり形はいびつですが紙だけの時よりはましでしょう。木材は上等すぎます。

ペグの下穴だけは先にボール盤で開けておく方が正確です。うちの会社では普通は電動の大型バンドソーで切断するのですが、私はのこぎりで手作業で切ってしまいます。慣れてくればこんなのはなんてことないです。

大きめにのこぎりで切ってザクザク削って形を作って行くのが楽しいのです。私以外にはなぜ大変な方法でやるのか理解できません。

寸法も本には出ていますが、どこを測っているのかよくわからないところもあります。ジュゼッペ本人はかなりばらつきがあり、寸法を決めていなかったようです。その時にできたので完成です。それに対してコピーは気まぐれで作ったものと全く同じにしなくてはいけないので一気に寸法まで加工するのではなく「安全な距離」を保ちながら全体を見ながらバランスを取って行かなくてはいけません。だからすごく時間がかかります。本に書いている寸法が間違っているかもしれませんから最終的には写真を見ながら目でバランスを取らなくてはいけません。



うずまきの真ん中まで進んでいきます。



ペグボックスの中も彫ります。
昔はとんでもなく幅の広い指板が付いていたようです。この線が現代の指板の幅ですから指板に対してペグボックスの幅が広すぎます。だいたい継ぎネックの時に捻じ曲げられています。デルジェズのペグボックスの壁はカーブして見えるのはそのためです。
ドイツやチェコの20世紀の楽器ではペグボックスの幅を指板の幅に合わせて作ってあることが多いです。伝統的にドイツでは演奏しやすさを重視し戦前は持ちやすさを考慮して細めの指板を付けていたのでペグボックスの幅が細いものが多いです。
誰も分からなくて私だけがこだわってるところです。

前後も彫っていきます。
ジュゼッペグァルネリで重要なのはノミの刃の跡をきれいに仕上げていないことです。タッチを再現しなくていけないので難しいです。


ほんのり刃の跡が残っているのが分かるでしょうか?ニスを塗ったところではっきりしますので後程わかります。

2週目以降にも刃の跡が残っています。これは分かりやすいジュゼッペの特徴です。

写真ではわずかですがニスを塗ればはっきり出ます。ニスを塗る場合にわずかでもデコボコがあるとくぼんでいるところだけ色が濃くなってしまいます。古くなると汚れがたまって黒くなります。これもお楽しみに。

白木ではよくわかりませんが



こんなんです。アマティ的な感じがあります。

設計図の段階ではいびつだったのがアマティ家の初期やアンドレア・グァルネリの感じにも見えます。

この時期にはかなりいびつになっています。


ここは刃の跡が残っていないです。以前作ったものは刃の跡がそのままでした。

これは以前作ったものです。仕上げてあったりなかったりする気まぐれなものです。品質管理などという概念はありません。


平面図では異様だったものも立体となるとそんなに気にならないものです。現代風のスクロールに型だけオリジナルのものにしたら形のいびつさだけが目立つことになるでしょう。アマティ派の全体の雰囲気があるとなじんで見えるでしょう。


裏板もこんな感じでアマティっぽい雰囲気があります。

全体の雰囲気としてみれば平面図のいびつさは些細なものです。こうなると安い楽器と見分けるのはとても難しいものです。そういう意味では近代の楽器は安物と高級品の違いを強調してあると言えるでしょう。

どうなるかはニスを塗ってからのお楽しみです。
こんにちはガリッポです。

こちらは梅雨がないのですっかり夏です。
Tシャツと短パンで出社しています。エアコンがないのでそのような工夫が必要です。

またDIYで箱を作ってます。だいぶ手際が良くなりました。このように大理石の平らな石板に置いて隙間ができないようにカンナで調整するとがたつきが無くなります。こんなことするのはDIYでは聞いたことが無いですね。

二つ続けて作りました。そのほうが効率が良いです。

道具が整理されるだけでなく時には箱を机の上に置いて作業することもできます。使うごとに箱に戻せば道具で机の上がいっぱいになってしまうことを防げるでしょう。

先日は十代の生徒が課題か何かでインタビューに来ました。
全くの素人に急に専門的なことを言ったりしてもいけないし難しいものです。師匠が受け答えをしていましたが、私も時々補足していました。

木材は何の木を使うのかからはじまっていつもの疑問です。
私がやっているオールド楽器のコピーを作っていることに興味を持っていて「似た音になるのか?」とか「良い音になるのか?」という質問をしていました。

これに関して言えることは、似てる面もあるし似てない面もあるということです。
私はいかにも現代の新作というものに比べればオールド楽器の雰囲気は出せるともいます。方向性は似てると言えるでしょう。

良い音になるか?となると定義するのは不可能です。何が良い音なのかについて決まりはありません。

「現代の楽器よりオールド楽器のほうが音が良いのか?」も聞いていましたが、同様の理由で現代の楽器のほうが好きという人がいたとしても「あなたは間違っています」と言うわけにもいきません。

「古い楽器が高値で取引されています」と言うことはできます。また「スター演奏家はほとんどみな古い楽器を使っています」と言うこともできるでしょう。
これらのことを合わせれば古い楽器のほうが音が良いと考えられているとはいえるでしょう。「考えている」というのは思い込みかもしれません。考えるだけなら、現代の楽器のほうが音が良いと考えることもできます。スター演奏家も現代の楽器をすべて試奏したうえでオールド楽器を使っているわけはありません。プロの人や教師でも現代の楽器の愛好家はいます。

全くの素人に説明するにはややこしすぎます、どうすべきでしょうか?
弦楽器の演奏とは縁のない人が観光で見かけて工房を覗きに来たくらいなら、「古いワインのように古い楽器には独特の音色がある」とでも言えば分かった気になって帰っていくでしょうか?
理系的な趣向の人には木材が化学的に変質し、使い込まれることで物理的に変化が起き音量が増大すると説明すれば期待通りの答えを得られるかもしれません。

喜ばれるにはその人が期待する答えを与えることです。


それに対して専門家として答えるなら音については語らないのが一番責任のある態度です。古い楽器に関する専門書がたくさんありますが音については書いてありません。言葉にすることができないからです。音について語ることは業界のタブーなのです。音について客観的に言葉で評価を定めることはもちろん数値化もできないのですから、当然音を値段の数字に反映させることはできません。音で値段が決まっているわけではありません。

正しく言えばそうなんだけど、それじゃあ疑問の答えになりません。新聞やテレビ、雑誌のようなメディアの記者ならそんなことは知らないので、画期的に音が改善する方法を発見したとかオールド楽器の音が良い秘密が分かったというような記事が毎年出てきます。でもメディアで終わりで弦楽器業界でまともに受け止めることはありません。メディアの対象は弦楽器を手にすることもないような人たちだからです。


私が古い楽器と新しい楽器のどちらの音が良いかという問いかけに答えるならいつものようにそれだけで大量の文章になってしまいます。簡単に答えるのは難しいです。

①オールド楽器と現代の楽器では作りが違うためもともとの音が違う
➁楽器が古くなることで音が変化する
③これらを合わせるとオールド楽器と現代の楽器では音が違う、どちらが良いかはその人の価値判断

オールド楽器のコピーでは①の作りの違いについて近づけることができるが➁の古くなった変化は再現できません。そのためコピーでは古い楽器と典型的な現代の楽器の中間的な音のものができる可能性があります。

例外が沢山あります。その説明がクレジットカードの契約書のようにずっと続きます。オールド楽器でもいろいろな作りのものがありいろいろな音のものがあります。現代の楽器もそうです。何と何を比べるのかによって違います。
楽器を手にしない人にとっては究極的な話になりますが、あらゆる楽器を試した人なんていません。実際に楽器を購入するなら同じ予算の中で買える楽器での比較となります。弾く人によってどうだとか、考え出したらきりがないです。


学校の課題は聞いたことを書けばそれでいいのでしょう。職人がこう言っていたと発表すればクリアーだと思います。


ニスのことも聞いていました。「ニスで音が違うのか?」という質問です。ニスには高級品にはオイルニスとアルコールニスを用い、安価な量産品にはラッカーやアクリルのニスが使われます。という知識だけでも十分だと思います。
どっかで聞きかじっていれば名器の音の秘密がニスにあるといううわさを知っているかもしれません。
これもいつもある質問で、ニスによって音に違いはあります。ただし、オールドの名器はほとんどニスがはげ落ちているためニスのおかげだというのは難しいでしょう。後の時代の「巨匠」でも何でもない職人が修理のために剥げた所を補ったり、保護をするために全体にニスを塗ったりしています。それで音が台無しにはなっていません。
それに対して表面のニスははがれても、木材に浸み込んでいるものがあるんじゃないかと考えるでしょう。私はいろいろな材質のものを試したことがありますが、音が特別良かったことも悪かったこともありませんでした。あまり影響がないと思います。浸みこんだ成分も風化してボロボロでしょう。
それに対して新品の楽器では厚くニスが塗られているので音への影響は明らかにあります。

その時作業がしやすい方法をとっていたのだと思います。今ならサンドペーパーがありますが昔は無くて、もしも石の粉で木の表面を磨いていれば木材の内部に石の成分が含まれているかもしれません。その成分を顕微鏡で見つけて「音が良い秘密を発見した!」というのは飛躍しています。電子顕微鏡を使っていると一見科学的なように思えますが、成分が見つかったことと音響との関係性は証明していません。

ここでも音については語らないことが一番間違いがありません。


よく言われてきた勘違いについては言えるでしょう。
私が聞かされてきたのは、ニスは柔らかいほうが振動を妨げないので良いというものでした。このようなことは同業者の間でも本気で話しているのを聞くことがあります。

そもそも「硬いニスは振動を妨げるので音が悪くなる」ということについて私は疑問があります。というのは私は柔らかいニスを使っていた時がありますが別に音が特別良かったことはありませんでした。様々な分野で振動や騒音を抑えるのにゴムが使われることがあります。ゴムは柔らかい素材ですが振動は吸収します。洗濯機の脚をゴムの上に置けば静かになります。それに対して金属のようなものは叩くと耳を突くようなキーンと鋭い音がします。硬いのにです。


さらに材質の硬さについて勘違いしている意見を聞きます。
例えばアルコールニスの場合、アルコールに溶ける天然の材料はみな柔らかいものです。そもそも硬いものは溶けません。それなのに「この材料は硬いから音に良くないので使ってはいけない」と教わったものです。ニスの材料について本を書いた人物は材料の専門家であって楽器のニスの専門家ではないです。楽器にした時に硬いのか柔らかいのかは考えていません。楽器業者が書いても辞書的に材料辞典のような本から写しただけです。

私はニスのサンプルを塗ってみて金属のものでひっかいたり、薄い板に塗って板を曲げて弾力を調べたりしています。感覚的なものですが、「本に書いてあるから」と信じるよりははるかにましです。
それで言うと以前より硬いニスを使っていますが音は強くなり響きも豊かになりました。それでも天然樹脂ではそれほど硬いものができません。硬い材料はガラスのようにもろいものでぶつけたりすれば表面がボコッとへこんでバリンとニスが割れてしまいます。そういう意味ではゴムのようにへこみが戻るほうが楽器を保護する性能に優れていると言えます。ただし消しゴムのようにこすれて減っていくようではニス自体が弱すぎます。

硬い材料はもろくてあやういので弾力のあるものを混ぜて使うべきだと言うつもりで本には書いてあるのを、硬いと音が悪いので柔らかいものを混ぜるべきと勘違いしているのです。

私の楽器で良い結果を得られたニスを別の人が作った楽器に塗ったら耳障りな嫌な音になってしまいました。合うか合わないかの問題も大きいです。

人工樹脂ならずっと硬くて丈夫なものができます。そのため天然樹脂のニスはあらゆる産業で使われなくなりました。扱いに慣れていない初心者や子供が使う楽器ではそのようなものが適しています。そこまでくれば硬さが問題になることもあるかもしれません。ポリッシュマシーンで磨き上げるとなるとニスが薄ければ被膜が削り取られてなくなってしまいますからスプレーで分厚く吹き付けるわけです。硬いニスで分厚い層になればさすがに音に影響があるでしょう。


「オイルニスは柔らかいので音が良い」というのはおかしいです。オイルニスはアルコールニスよりも硬い樹脂を溶かすことができます。アルコールニスよりも硬いニスを作ることができます。
ただし硬い樹脂を溶かすには特別な知識が必要で、単に溶剤で溶かすだけなら柔らかい樹脂しか溶けません。このようにして作られたオイルニスはとても柔らかいものです。それを言った人はこの製法のオイルニスのことを言っているのだと思います。その時代その地域ではオイルニスは柔らかいものしか作れなかったのです。油絵の画材の本に書いてある知識ではそのようなものばかりです。
しかし技術は右肩が上がりに進歩するものではなく、すでに古代エジプトでは硬いニスが作れたかもしません。ルネサンスの頃には硬い樹脂を溶かす方法を知っていて画家も使っていたでしょう。失われた技術で現代の人が知らないだけです。




人工樹脂でも柔軟な成分を混ぜれば柔らかいものが作れます。アクリルニスは戦時中日本に天然ゴムの産地が抑えられて入手が困難になったゴムをアメリカで人工的に作る研究がもとになっています。そのような製品には弾力に富んだものがあります。したがってオイルニスだから柔らかいので音が良いとかそういうことは言えません。オイルニスは必ずしも柔らかくないし、柔らかいから音が良いということもありません。何一つ合っていません。これが専門家の間で正しい知識として語られているのです。


こうなるので音のしくみについては語らないのが一番間違いが少ないです。弾いて自分の耳で試してみてください。聴覚にはかなり個人差があり好みも人によって違います。音が良いとか悪いとかを決めることはできません。

こんな答えでは弦楽器の音に興味を持ってもがっかりすることになります。
申し訳ないですね。

その子は、師匠に「あなたはどんな音が好きですか?」と聞いていました。暗い音で柔らかく、遠鳴りする音が好きだと答えていました。まさに私の作る楽器の音です。
師匠のために楽器を作るのではなくて、使う人のために作るべきですが、それも悪くないでしょう。私はほかのユーザーの希望にもこたえられるように研究は続けていきます。


そんな課題があることも面白いです。
自由研究などは日本でもありますが、専門家に取材する課題なんて私は日本で育ってやったことがありません。




うちの会社の初代の職人の楽器がよくもどってきます。


今回は初期のもので1940年代のものは私もめったに見たことがありません。古くなっていることもあって見た目の雰囲気は良いです。こういうのを見ると余計なことをしなくてもいいなと思います。赤や黄色のような鮮やかな色は退色して褪せています。木材も黒ずんできています。その結果琥珀色になってきます。イタリアのモダン楽器と同じです。彼らが特別なことをしていたのではなくて新作でよくあるようなオレンジ色のニスを塗ってあれば100年もすれば琥珀色になってくるのです。300年もすればクレモナの名器のような黄金色です。

このような琥珀色や黄金色をイタリアのニスと勘違いしてしまいますが、汚れが重要な役割を果たしています。何百回イタリアの名器を眺めていても分からないことですが、アンティーク塗装でコピーを作ってみるとそれが汚れであることが分かります。現代のものと同じオレンジ色のニスに汚れが付けば色が濃くなって「燃えるような赤いニス」となり黄色いものに汚れが付けば黄金色になります。

つまり黄金色のニスとは汚くなっているだけです。



初代の職人はそのあとの時代に楽器用のニスメーカーによって市販されているニスを使ったようです。これ自体は大きな産地ではよくあったことでフランスの楽器のニスが酷似しているのもニスメーカーがあったからかもしれません。現代でも市販されています。自家製のニスのほうがかえって品質が悪いものがあります。そういう楽器を買って苦労されている方もいます。私も失敗作で胃が痛くなるようなことがありました。ニスは本当に硬くなるには数年かかります。乾くのが遅いだけなら何とかなりますが100年経っても指紋の跡がつくようなニスの楽器があります。

初代の職人ですが、人工的な色素もニスに使うようになったのだと思います。色はひどく退色しているものがあり緑色っぽくなっているものもあります。木材も人工的な染料で着色してありわざとらしいものです。仕事も大雑把になり独特の雰囲気になります。師匠に習った時から徐々に自分のスタイルに変化していったのです。職人が少なかったうえに戦後のベビーブームや経済成長で大量の楽器の重要があったのでしょう。比較的安価なものも作っていたようです。それにしても自分の工房にこもって製作ばかりして他の楽器を見ていないといつの間にか感覚が変わっていることに気づかないでしょう。

初期のもののほうが職人から見ると良い楽器に見えます。音はいずれも力強いもので我々は全くかないません。ニスは人工的なものが含まれているのか硬いものが多くメンテナンスが楽で助かります。音は力強いわけですから硬いニスは振動を妨げて音が悪いというのが嘘であることは日ごろから思い知らされています。
初代の職人のさらに師匠の楽器も知っていますが、それほど鳴りません。その人のほうが年代が古く、はるかに有名で値段も高いのにです。コレクターのようなお客さん向きです。
初代の職人の楽器も、音が強いだけがすべてではありませんので必ずしも理想的なものとは言えません。

こんな事もあるので私はうぬぼれたりはしません。
自分を世界一だと思っている頭のおかしい職人がいるものです。
自分の町で一番にもなれません。
オールドの時代にも味のある音の楽器が作られ、モダンにはとりわけ強い音の楽器が作られました。肩を並べることができれば満足です。





師匠は楽器には個性があるということを説明していました。一人一人の人間が違うように楽器もみな違います。同じ人が作ったのならある程度類似性はあるでしょう。しかしそれが良いとか悪いとか決めるのは難しいです。使うほうも個性があります。それが合うかどうかが重要です。

材料のチョイスであったり、作り方だったりそういうものは職人それぞれ考え方があります。話を聞けばみな持論を熱弁するでしょう。カリスマ的なオーラや熱意、また人柄の良さに心酔してし信じてしまうのは危険です。理屈ではなく弾いてみて自分に合うものを選ぶべきだと思います。

別に個性を出そうとしてしのぎを削っているわけではありませんし、見事な個性だと評価されるわけでもありません。なぜか楽器は弾いてみると皆音が違うという意味です。細工も人によって違います。自分の好みもあるし師匠の影響もあるでしょう。一人一人の人が違うように楽器も違うのです。友達と過ごすなら気の合う人が良いでしょう。世界一の偉人である必要はありません。

このためどこの誰の作ったものに「運命の愛器」があるかはわかりません。

 














こんにちはガリッポです。

勤め先で改装工事があったので業務がストップしていましたが、徐々にいつもの感じに戻ってきました。工事中は自宅で注文を受けたヴァイオリンを作っていたのでフルタイムで仕事はしていましたが、目にする楽器も少なかったものです。

以前は天井と壁には板が張ってあってありました。あまり日本にはないタイプなので説明がしにくいです。それを普通の塗り壁をむき出しにしました。外壁はレンガを積んであるので内側の壁は塗り壁のようになっています。天井や部屋の仕切りなどは現代的なパネルを張って塗ってあります。

音響面では音がよく反響するようになりました。良いのか悪いのかわかりませんが響きが多いです。これからも壁に道具を固定する板を張ったりとか変わってくると思います。

工房はL字型になっていて狭い所だとお風呂のように何の楽器でもよく響きます。安価なレンタル用の楽器を整備していたら驚きました。安い楽器で十分と思うかもしれません。

落ち着いてきていろいろなお客さんが来るようになりました。
以前ブログでもチェロを私が修理したり改造した記事を紹介しましたが、量産チェロを大量に購入したまま工事期間に入ってしまったのでそれを弾ける状態にセッティングして試奏できる状態になって態勢が整いました。

チェロを弾いても以前と違う感がします。
改造してない量産品と改造したものを弾き比べると差が鮮明になったように思います。量産品は音がはっきりしていて同じメーカーのものは音が明るいです。
改造するとき板は厚くできません、薄くする一方なのですが、こちらはフワッと響きます。私はかねてから「幽体離脱感」と言ってきましたが、楽器から音が抜け出て来る感じがします。量産品は楽器から音が出ている感じが強いのです。

もちろんバランスも低音がずっと豊かに響きます。暗い音なので中音の響きが抑えられている分すっきりクリアーな感じもします。
200万円近くするのでポンと買うわけにもいきませんが、2組試奏して好評でした。

弾いてる本人の話だと板が薄いと軽いのか弓に力を入れなくても音が出るとのことでした。かといってギャーとやかましい音が出てしまうものではありません。全くその逆の上品な音です。薄い板の楽器の響き方は独特のものがあると思います。

もう一つは戦前のザクセンのチェロで私が板の厚さも含めフルレストアしたものです。こちらの方が明るくて響きに厚みがあるようでした。音量感で言えばこちらの方があると私は感じました。バランスはニュートラルに近く低音に偏っている感じではありません。

こうなると100年位前のチェロのほうが音が明るいので古いほど音が暗いというわけでもありません。何かが影響し合って響きに厚みが出てその分明るく聞こえるのだと思います。

私はさすがに戦前のチェロのほうが音量があるなと思いましたが、新品の改造チェロのほうが好評でした。どちらも板の厚さを私が改造したので200万円くらいの値段だと100万円程度までの量産品とは明らかに差があってコストパフォーマンスは良いかなと思います。
改装前はそこまでは思いませんでした。


逆に言えば弾く部屋によっては量産チェロで十分ということもあるわけですね。


第三者的に見れば広い部屋に音が響く楽器が良い楽器ということになるでしょうが、演奏者自身はまた違いますし、先生も何十メートルも離れたところから指導するわけでもないでしょう。そういう意味では練習やレッスンの現場と結果を披露するコンサートホールでは全く条件が違うということですね。音楽家が研究してきた細かいニュアンスがホールで遠くの席の人に聞き分けられるのかは疑問ですね。

絵画でも教会や宮殿、オペラ劇場などの天井にフレスコ画が描かれていることがあります。近くで見ることは無いのですが、近接した写真を見ると何が描いてあるのかよくわからないぼやけたものです。離れて見たときに迫力を持って見えるように描いてあるのです。一方細密画というのもあって細かくびっしり描いてある絵があります。見ると精密ですごいなと思うのですが、離れて見ると迫力がないものです。


音楽でそこまで考えているのかなというと、プロの演奏家のお客さんでそんな話をする人はいません。好きな音は別にあってもプロとして仕事するには音量が無くてはいけないと言う人はいます。また多少鋭い音でも広いホールなら気にならないので構わないと言う人もいます。特にオーケストラなら一つの楽器の音にこだわってもしょうがありません。
ただ鋭い音が本当にホールで響いているかは疑問です。演奏者本人に強く聞こえるものを「音量がある楽器」と思い込んでいる人もいるでしょう。それを薦める楽器店や職人は演奏家から支持されがちです。


お客さんは素人なので素人に分からないことにこだわるのではなくて楽しませるような音楽をしようというのはエンターテイメントですね。一方でお客さんの側も自分には全てはわからないけども、その道の達人として納得しているものを演奏してほしいというのもあります。聞く方も前よりも良さが分かれば成長を楽しめます。

そういう微妙な間で成り立っているのだと思います。
楽器職人でも職人の間だけで分かる細工の部分と、ユーザーの求める音の部分と常にその葛藤ですね。ブランドやお金の話なんてのは問題外です。
音だけで良いならはるかに安い値段の楽器に優れたものがあるかもしれません。職人が多数派のユーザーに求められているのはそのような楽器を探してきて売ることです。音だけで楽器を選ぶと下剋上のようなことは日常茶飯事です。
こちらでは楽器選びは激戦の戦国時代ですから実力だけがものを言う下剋上の世の中です。「教育にお金をかければ良い」という発想がアジアのようには無いので安い楽器で音が良いものが求められます。日本からの留学生がはるかに高い楽器を持っていても現地の学生たちの楽器は負けていません。

そのため職人は実際に自分で楽器を作るよりも中古品の中から音の良い楽器を探したり、修理したりすることが求められます。生徒に少しでも良い楽器を使ってもらいたい教師とも一致しています。ほんとうに良心的に楽器店を営むならこのような仕事が大半になると思います。日本でもやっている職人がいて会ったことがあります。私なんかは生ぬるいくらい下剋上の話をしてくれました。


教師などユーザーの期待に応えることに専念することもプロの職人と言えるでしょう。その一方で優れた職人にしかわからない世界にこだわりを持つのも一部のユーザーには求められているのかと思います。


ガラクタから宝を見つける

ヴァイオリン作りもニスの仕事に入ります。ニスは乾くのに時間がかかるので一日中作業をしているわけではありません。そこで簡単な修理を合間にしようということになりました。

まずはこれから


ラベルはマジーニのものですがもちろんそんなわけはありません。昔の量産の流派のものでアンティーク塗装がなされています。

スクロールは一般的なものより巻き数が一周多いものでマジーニモデルとしてドイツでよく作られたものです。

悪くないような感じもしますが、厄介なのは大きさです。胴体を測ってみると37㎝あります。普通ヴァイオリンは35~36㎝くらいです。ビオラは38㎝以上ですからちょうどその間です。極端に大柄なヴァイオリン奏者か小柄なビオラ奏者のためのものとなるかもしれません。かなり特殊な需要のもので表板に割れ傷もあり修理もたいへんなので後回しです。


次は


ニスに痛みがあり、光沢も失われているので汚く見えます。逆に量産品のニスとは質が違うように見えるので工場ではなく、個人の職人が塗ったのでしょう。そういう意味ではハンドメイドの楽器かそれに近いものかもしれないという期待が持てます。

ラベルにはフランスの作者のものが貼ってあります。ミルクールの量産品のレベルならこれくらいの品質のものはあるでしょうが、作風が違います。角が丸くなっていてイタリアのミラノやチェコのボヘミアによくあるものです。1900年ごろに流行したので多かれ少なかれ角を丸くするのは今でもあります。完全にカクカクに作るのは製作コンクール用くらいのものです。

フランスの楽器はそれに対してカクカクでした。今では100年以上経っているので摩耗して丸くなっていますがこれは作った時から丸くしてあったように見えます。

スクロールはクオリティが低いもので、ボヘミアの流派だと断定するには特徴がはっきりしません。そういう意味ではどこの誰の作った楽器なのかよくわかりません。
弦楽器を作った人は覚えきれないほどいるので大半はそうです。

名前が有名な必要はないことはもちろんですが、実力はどうでしょう。状態は悪いですが弦は張ってあります。はじいてみても子供用の楽器のような鳴り方です。そこで板の厚みを測ってみるとやはりかなり厚いです。持った感じでも重いですが、私は測らなくても板の厚さが予想ができるほどになっています。

板が厚いのが本物だという日本向の楽器かもしれませんが、こちらでは外側だけ作った粗悪品です。板を薄くするのは手間がかかりすぎるのでこれも後回しです。


次は


こういうものは古い量産品ではよくあるもので、普通はヤコブ・シュタイナーのラベルが付いています。

シュタイナーモデルの場合にはライオンのヘッドが付いていることが多いのですが、これは普通のうずまきです。ラベルはピエトロ・グァルネリです。シュタイナーモデルの作り方で違うラベルを貼っただけですね。量産工場で働いた人たちはそんなものはわかりませんからこんなものを作っていました。

今なら中国製でもこれより品質の良いものがありますからわざわざ時間をかけて修理するほど魅力的とは思いません。

うちの師匠は冷徹な商売人ではないので、捨てるのはもったいないから直そうかみたいなことになってしまいます。利益を考えたら機械で作られた新品だけを売ったほうが効率が良いです。一方ビジネスマンでないので私が費用を無視したような楽器を作っても満足してくれるので助かっています。
ただこのような楽器を修理するのは気が進みません。

ニスの塗り方も汚いですね。ほんとうのオールド楽器を見たことがあるのでしょうか?これで工場の中では塗装を担当するスペシャリストとして後輩の指導もしていたのでしょう。このようなものはよく見るので「正しい方法」として厳しく指導され代々受け継がれたはずです。

アーチは高さがあって典型的な量産品のシュタイナーモデルです。高いアーチのものは近代でも作られていました。しかしオールドのものとは全く違います。一瞬で分かります。


次です。


これもさほど高価な楽器だとは思えません。


ペグも一本しかついていないので演奏はできません。使われずに眠っていたような楽器はこんな状態です。ここから良さそうなものを見つけなくてはいけません。

一見大きな割れ傷もなく大掛かりな修理は必要なさそうです。

指板は薄くなっているので弦楽器専門店として売るなら交換が必要です。

持った感じも軽いですが厚みを測ってみるとちゃんと薄くなるまで作られています。アーチもフラットで特に悪いところは見当たりません。

左右のf字孔の間隔がとても広いです。これはバスバーの位置にも影響してきます。しかしこの前左右逆にバスバーが付いているヴァイオリンでもちゃんとヴァイオリンの音がしたので数ミリずれていても大した問題にはならないでしょう。

品質もひどく悪くありません。これなら最低限の品質は備えているでしょう。

どこの楽器なのかはよくわかりませんが、ラベルにはドイツの地方の作者の名前のものが貼ってあります。でもマイスター作品と呼べるようなクオリティのものではありません。
何となくミッテンバルトのような感じもします。それもマイスターの上級品ではなく工場製品の感じです。そういうところで働いていた人が独立したか、買い上げて自分の名前を付けて売ったか…そんなことを考えますが確証はありません。ミッテンバルト系でもないかもしれません。

いずれにしてもこれが一番良さそうです。フラットで板が薄いもので古いので単純に良く鳴るでしょう。

汚れがこびりついているのでニスが剥げない程度に目の細かいもので研磨しました。そうすると匂いがするものです。ザクセンの大量生産品はザクセン独特のラッカーの匂いがするものですがそれとは全く違います。どっかで嗅いだことがあると思ったら、新品の革靴の匂いに感じました。同僚に嗅がせてみるとやはり革靴の匂いだと言っていました。彼もこんな匂いの楽器は初めてだそうです。

修理の作業をするごとに革靴の匂いを感じながらやっています。
そういう意味でも量産品によくあるものとはなんとなく違う感じもします。ラベルの通りドイツの作者が何かしら手がけたものかもしれません。いずれにしても中級品ですから高いものではないでしょう。しかし音響的にはかなり良さそうな感じがします。少なくとも今回の中では一番可能性があります。どうなるでしょうか?

ヴァイオリン教師や先生が手ごろな値段で求めるものとなった時にこういう楽器は有力なのではないかと思います。こんなものを弾いていたら次にステップアップするときに新作のハンドメイド楽器は買わないでしょう。鳴らな過ぎるからです。私の楽器でもかなわないでしょう。職人は良心的であるなら自分の楽器は作らないことです。

買い換えるなら次はモダン楽器ですね。
イタリアのものなら500万円では今は難しくなりました。産地や作者にこだわらなければ100万円くらいでもハンドメイドの立派な楽器があります。
特別なこだわりの無い大半のユーザーや教師にとってはこういう楽器が主流です。はるかに高い楽器を買ったのに音が全然ダメという日本の方からの相談がよくあります。
ヨーロッパでの職人の仕事は日本人がイメージするものとは違うでしょう。日本で売ることを生業としている人のものだけが輸入されているのです。


鋭い音がする原因


これらの楽器やモダン楽器は音が強くても、音の質に満足できない人もいるでしょう。そうなるとまた話は違ってきます。

鋭い音がする原因については楽器を調べても共通点を見出すことができません。鋭い音がする共通の条件を見つければ見分けることも原理を理解することもできるでしょうが、さっぱりわかりません。

基本的には高い周波数の音域の音が強く出る事なのでしょう。

板の厚さで分かるのは低音の出やすさですが、高音域の強さについてはわかりません。薄い板でも高音が強い楽器もあります。板が厚いと中音域が出やすくなり、薄くなると低音域が出やすくなって中音が減ると感じます。板の厚さで規則性が現れるのは中音と低音の違いでしょう。板が薄いとヴァイオリンではD~A線の音域が弱く感じます。そのため板の薄いフランスのモダンヴァイオリンには独特の音色があるように思います。チェロなら音域が低いので中音域が減ればA線も弱く聞こえます。


弦楽器というのは音程の音以外にも様々な高さの音が同時に鳴っていてそれによって弦楽器らしい音になります。もし音程の音しか出ていないならどの楽器でも同じ音になるわけですから、楽器ごとの違いについてはそれ以外の音がカギを握るはずです。管楽器との違いは測定によって説明できても同じ弦楽器同士の違いは微妙です。弦なので倍音が出るというのは説明されますが、ものがこすれて出る音ということもあるでしょう。弓と弦が擦れてできた音が楽器全体に伝わって空気を振動させて音になるのです。

なぜ高周波の音の出やすさに違いができるのかがわかりません。例えばラッカーのような硬いニスが分厚く塗ってあれば、それらが高周波の音を出す原因になるかもしれません。耳障りな音がする楽器に多いのは雑に作られた安価なものです。ニスを塗り替えたり、バスバーを交換したりすると柔らかい音になることがあります。

しかし丁寧に作られた高級な楽器ほど音が柔らかいかというとそうでもないのです。ケースの跡がつくようなニスでも鋭い音の楽器があります。

私は作者の癖みたいなものだと思います。自分で意図的に変えることは難しいと思います。


確かにラッカーが塗られているような楽器に耳障りな音のものが多いという印象はあります。しかし、ラッカーでもそうでないものもあります。ラッカーは絶対的な要素ではなくて他の要素と合わさって鋭い音になっているのかもしれません。だからラッカーでも弾いてみないと音は分からないです。
もっと言うと量産品にはもともと耳障りな音のものが多く、それらにはラッカーが塗られていることが多いだけかもしれません。
ラッカーが原因かどうか特定するにも研究が必要ですね。それだけで長年の時間が必要です。「弦楽器を研究する職業」が無いのでそれも難しいですね。

なぜ量産品には鋭い音のものが多いのか?となった時に分からないです。
作りが荒いからだとすると、丁寧に作られた楽器に鋭い音の楽器があるので矛盾します。それらは違うメカニズムで高周波が強まっているとしたら…今後も関心を持って取り組んでいきます。もし何か分かっている人がいれば教えてもらいです。

少なくとも私が分からないくらいだから、ふだん目にするヴァイオリンは音を自由自在に作り分けられたものではないということを知ってもらいたいです。そのため民族ごとの文化的な背景や美意識も関係ありません。
一方分からずに作ったものに音が良いものも十分あり得ます。弦楽器というのは修業を始めてから年数を重ねるごとにだんだん音が良くなっていく物ではありません。まじめにやれば初めから師匠と変わらないものができます。よほど音に癖の強い師匠なら同じものはできないかもしれませんが。

作り方を変えていけば音は変わるかもしれませんが、一長一短で初期のほうが好きという人もいるでしょう。古い方が鳴りが良かったりするものです。不まじめな方が師匠より音が良いものができるかもしれません。

年々改良されて音が良くなっていくはずだと思っているなら現代の価値観に毒されすぎています。電子楽器でも買ってください。

高級品?

私も高級品が好きで憧れがあって職人になりました。だから初めのうちはそういうものを作ろうと一生懸命になったものです。

高級品と言えば、形は均整がとれていて、細部まで精巧に加工し、ほころびや傷一つないものです。すみずみまで注意が行き届いていて余計なもののの無いフォルムが追求されているのです。上品となるとあからさまな派手さは抑えたものになります。スーツヤビジネスシューズでも仕立ての良いものと言えばそういうものでしょう。

職人の世界なら師匠から厳しく指導されて何度でもやり直しをさせられるのかと思うかもしれません。私は完璧さを求めていつまでも納得しなくて「もうそれくらいで良いだろう」と言われるくらいでした。だから怒られたという記憶はありません。長年職人をやっていれば若い時のようにそのことだけに全てを集中させることは難しくなってきます。今になって現実的に仕事をするとなると「その辺で良しにしておけ」という指導は正しいのです。

一般に職人は厳しく指導するべきです。不まじめでやる気がなく、目を盗んですぐに手を抜く人を前提に教育が作られるからです。職人なんて立派な仕事に就けない人がなるものでしたから。でも人によっては厳しく指導する必要なんて無くて、おもしろくて夢中になっているうちに技能が身についているものです。同じ内容の修行でも「理不尽にしごかれた」と思っている人もいるし、ただただ楽しかったと思う人もいます。どこの国の学校でもだいたい半年以内に半分は辞めていきます。
経験者でも言う人によって全く違うことが言われます。もし自分も厳しく指導されたから後輩には厳しく指導するべきという人がいれば嫌々やっているということですね。


それに対して高級品を商う人は現実を語ってはいけないのかもしれません。高級品を買う人達にも求められている役割だからです。
スポーツ団体なら大会の権威を脅かすようなことは絶対に言ってはいけません。そんなことしたらファンが冷めてしまうからです。それと同じです。

「均整のとれた形で細部まで精密にアラや欠点は一つもないものが高級品である」という価値観にわずかでも反するようなことを考えてはいけないのかもしれません。しかし私は自分が作る側にいると「それがすべてなのか?」と思います。

さっきの細密画の話ではまさに職人です。それに対して近くで見るとぼやぼやしたような絵は高級品としてはダメです。でも天井画にしたとき迫力があるのは後者です。これは職人じゃなくて芸術家の領域かもしれません。
ミケランジェロはそうやって天井画を描いたのですが、一回足場を外して続きから構図が変わっているそうです。途中まで出来たのを見てみて「ちょっと弱いな」と気付いて変更したのかもしれません。

アマティやストラディバリ、シュタイナーなどは高級品の定義に当てはまるでしょうが、デルジェズは当てはまらないです。もちろん当時値段が安くて高級品では無かったということもあります。しかし、デルジェズのヴァイオリンはなんとなく迫力があるのです。ただし仕事ぶりを見ればミケランジェロのように計算した「芸術家」と考えるのは無理があります。
これは普通のことで完璧に仕上げていくほど勢いや迫力は無くなっていくものです。絵でもラフなスケッチや、デッサンの基礎を無視したようなイラストや「ヘタウマ」というような方が強く感じます。もっと言えば漫画やコミックなんてもっとそうです。

ミケランジェロのような勢いのある躍動する造形ができないかと思ったとき、オールド楽器はとても面白いのです。アマティやストラディバリでも、現代の「高級品」に比べれば起伏やアドリブに富んでいておもしろいです。私のアーチの作り方なんてまさにこれを具現化できないかと考えてきたことです。


多くの弦楽器ユーザーは高級品が好きでも何でもないかもしれません。
子供のころには高級品なんてのは分からなくて、業界の価値観を学んでいくことによって高級品が分かるようになるのです。
楽器の機能性を求めているのが普通です。無名の中古品から目ざとく良さそうなものを見つけて直して使えるようにする仕事が求められています。

それに対して、弦楽器を購入する以前に別の業界で高級品が分かるようになった人が弦楽器を買う時にも同じ考え方を応用しようとするなら私はちょっと違うことも知ってほしいと思います。少なくとも私自身が若いころに夢中になっていた「均整のとれた形で細部まで精密にアラや欠点は一つもないものが高級品である」というのは努力によって誰にもでもできるものです。実際には誰でもというわけにはいきませんが、何か違う可能性が無いかと考えています。


自分がものを買う時はそういう高級品は興味が無いです。
ものが悪いというのではなくて、もう憧れや学ぶものが無いからです。
「自分は高級品を分かっている」という顔をするのは恥ずかしいです。創造に挑戦していないことをアピールしているようなものです。だから高級品は身に付けたくないというのもあります。


でも実際に仕事をするとなるといつものように高級品を作ってしまうのです。
それで失望するのは理想が高すぎるのでしょう。高級品は良いものですよ。
趣味では高級品から離れたいのでDIYでやっていますが、誰から指摘されるわけでもないのに油断するとすぐに高級になっていきます、困ったものです。基本のレベルが高級すぎるのです。






こんにちはガリッポです。

ブログでは日々の出来事から弦楽器の現実を知ってもらいたいと思って書いています。板の厚みについての意見が所々に出てきます。
仕事をする場合にはお客さんの希望によって何が理想なのかは変わってきます。そのケースではそうであったことも、別のケースでは違うこともあります。
一つまとめておきましょう。


板の厚さに関して話をしていますが、私は板の厚さを測ったり実験したりすることが多いのでとても気にしています。これは皆それぞれ気にしているポイントがあるものです。ニスマニアみたいな人はニスのことばかり気にするし、魂柱の調整にこだわっている人は魂柱のことばかり気にするし、駒ばかり気にする人もいます。弦マニアのようなユーザーなら弦のことばかり気にします。

音の特徴があったり、音に不満があるという時に真っ先に原因として考えるのはその人が気にしている部分です。音に不満があると言うと「魂柱を変えなさい」と強い口調で言う職人もいるでしょう。「ニスを塗り替えろ」なんて言う人もいます。

私は板の厚さをいつも測って記録しているのでそればかりに意識が行きやすくなっています。メチャクチャ厚かったり、薄かったりすると粗悪品です。そうでなければ音の個性になるだけで構いません。今作っている楽器は特別そのような注文があったので暗い音になるようにしないといけないのです。暗い音になる確率は薄い板にしたほうが高いです。

心理学的な話で人は現象があった時にその理由を説明できないと気持ち悪いのだそうです。それが正しいかどうかよりも、何かしら法則性や理由が欲しいのです。
もし霊的なことに強く興味があるなら何かの現象があれば、真っ先に霊の仕業だと考えます。楽器が不調の時に、故障個所を直すのではなくて悪霊を除霊しなくてはいけないと考えるかもしれません。私は楽器の構造に興味が強いので音の不満を訴える人がいると、それはそもそもの楽器の音でそれを買ったのが悪いと考えてしまいますが、劣化した弦を交換したら大満足して帰って行ったこともあります。名前とか値段を気にしているとそちらばかりに意識が行くのも同じことです。

そういう意味では板の厚さも気にし始めると気にしすぎてしまいます。「理由が分からない」という気持ちの悪い状態に耐えなくては思い込みをしてしまいます。



整理しておくと
①厚すぎと薄すぎはダメ
②薄いと低音が勝り、厚いと高音が勝るバランスになる
③音の強さには関係ない
④新作では顕著に表れ、古い楽器ではよくわからない

最終的な結論としては板が薄いと楽器が柔らかくなるということになるでしょう。

これくらいに考えておきましょう。

①厚すぎと薄すぎはダメ



うちの店では予算の中でズラリと楽器を並べて試奏するのですが、いつも最初に除外されるヴァイオリンがありました。調べてみると板がとても厚かったのです。板を薄く改造したらまともになりました。修理でも、家に伝わるヴァイオリンを使っていたら音大で先生にその楽器はひどいから何とかしろと言われて調べてみると板がとても厚かったということがありました。薄く改造してまともになったということもありました。このような例はいくらでもあります。厚すぎる楽器で上手く鳴るのはかなり難しいです。
一方薄すぎると変形して来て弦の力に耐えられないこともあります。また音に腰が無く強い音が出なかったり、反応が鈍かったりすることもあります。いずれも特に構造上強度が低く強い張力のスチール弦を張るチェロで起きやすいです。

②薄いと低音が勝り、厚いと高音が勝るバランスになる



適正な範囲であれば厚くても薄くてもキャラクターの違いになるだけです。

新作楽器で薄い板にすると低い音が出やすくなり、高い方は控えめになります。厚い板では低音が出にくくなります。高音が強くなるというよりは中音が厚くなるように思います。

これは音色のバランスの問題です。

低音が勝ったバランスの音を暗い音、高音が勝ったバランスの音を明るい音と私は説明しています。
最も優等生なのは低音から高音まで均一なバランスのものです。
それに対して、低音を切り捨てることでそれ以外の音を充実させるのが明るい音の魅力でしょう。低音も倍音によって必ずしも弱いという感じはしません。
低音側が強い楽器は音色に味や深み、暖かみが感じられます。低音の魅力に憑りつかれる人もいますが、音量で言えば低音に偏っていると言えます。

従って好みによって適度なものを選ぶべきです。板の厚さ以外の要素も関係してくるので厚みの数字だけで決まるわけではありません。私は昔使っていたニスのほうが音が暗くて最近は明るめになってきています。

③音の強さには関係ない



弦楽器を選ぶときに、音量だとか音の強さを重視する人は多いです。俗に「音が大きい」と表現しましょう。
さっきの音色のバランスなどは考慮しない人もいるでしょう。

音が大きい楽器が選ばれるのは当然のことです。
では何を持って音が大きいと感じるのでしょうか?

たとえば、キーンと鋭い音は強く感じます。柔らかい音は弱く感じます。演奏者は音の大きさを求めるので鋭い音を選ぶ傾向があり、聞く側の人は耳に心地の良い柔らかい音を選ぶ傾向があると思います。そうなると人に聞かせるのか、自分が満足するのかという問いでもあります。

鋭い音はやかましいとか耳障りと同じことです。
作られてから50年から150年くらい経った楽器が特にその傾向が強いものが多いです。普通に作れば100年前後で最も鋭い音になるのでしょう。

こんなことがありました。ヴァイオリン教授の先生が「とても良い楽器を見つけた」ということで是非生徒に薦めたいと考えていました。保険をかけるのに評価額を査定してほしいということでした。とても言いにくくて困ったのですが15万円くらいでした。演奏家には見た目で違いが分からないので音だけで判断して「これは良い楽器だ!!」と大絶賛したお気に入りのものは、古い大量生産品でその中でも安いものでした。値段は製造コストで決まるからです。

音だけで楽器を選ぶとこういうことがあります。
何がどう音に作用するかもわかりませんし、それを主観で人がどう感じるかもそれ以上に謎です。


客観的に言えば鋭い音は強く感じ、柔らかい音は弱く感じます。鋭すぎれば耳障りになります。
これは板の厚さとは直結しません。さっきの明るさとも関係ありません。暗い音でも鋭い音の楽器と柔らかい音の楽器があり、明るい音でも鋭い音と柔らかい音の楽器があります。

私もこのような違いが生じる原因はわかりません。楽器選びで最も重要とされる「音が大きい」原因は分からないのです。


これは音量とは違うことのように思います。音が鋭いか柔らかいかという違いです。柔らかい音でも音量のがある楽器もありますし、柔らかい音の楽器から見事な音量を引き出す名手もいます。聞くか側からすればそれが最高です。
鋭い音は遠くで聞いた場合には細い音に感じるでしょう。そうなるとボリューム感はありません。そのため楽器を選ぶときは広いホールで試すことも必要です。


④新作では顕著に表れ、古い楽器ではよくわからない



厚めの板の楽器なら明るい音がするわけですが、古い楽器では厚くても落ち着いた音がする場合があります。いずれにしても古い楽器ですごく明るい音の楽器はまれでしょう。
とても明るい音の楽器はいかにも「新しい楽器の音」という印象を受けるのはそのためです。

古い楽器は木材自体が朽ちて変質したり、使い込まれて柔らかくなっていたりします、痛みもあります。明るい音というのは健康な楽器の音ということもできます。修理によって鈍く弱っていた楽器の音が多少明るくなります。それでも傷んでいたときに比べれば明るくなっただけで、一番明るい音がするのはどこもかしこも健康体で板の厚めの新品でしょう。そのためそのようなものは「新作の音」という感じがするのです。

新作の明るい音が良いのか、オールド楽器の暗い音が良いのかは個人の好みの問題で自由です。ただし、明るい音の楽器は手ごろな値段でいくらでも売っているのに対してオールド楽器はとても高価なのでそのような音のものを好んでも買うことは難しいです。

「オールド楽器のような暗い音」の新作が欲しいとなった時には板の厚さが決定的な要因となります。今回はそのような注文なので最低限の薄さに挑戦したわけです。板を薄くするのは職人にとっては怖いもので、世代を重ねるごとにちょっとずつ厚くなっていくものです。私もかなり思い切ったつもりですが、本当のオールド楽器にはもっと薄いものがゴロゴロあります。

これもマニアックなユーザーであって、過半数のユーザーは「音が大きい」で楽器を選びます。そうなると別に薄い板にしたほうが優れているということはありません。特に50年以上経っている楽器のほうがこの点に関しては優れています。どこの国のどの流派でもそうなので、作り方や材料などに秘密は無いと考えられます。ヨーロッパでなら100万円程度でどんな巨匠の新作よりも「音が大きい」楽器が買えます。



日本で言われているウンチク


日本では「厚い板が本物」みたいなことを言う業者が多いと聞きます。こちらでは一度も聞いたことはありません。あまり板が厚いとよほどの超人でない限り、普通は音が楽器に貼りついて出てこない感じがします。こちらの人は苦行を良しとする考え方は無いのでそういう楽器を選びません。今すぐ音が出る楽器が売れます。

苦行の末、未知の世界に到達したいなら逆に薄い楽器で柔らかい音のものでも良いかもしれません。厚い板の楽器を力づくで鳴らす癖をつけるよりも、薄くて柔らかい音の楽器をうまく鳴らすほうが微妙な加減がいると思います。



作る方はヨーロッパでも怖がって厚くしがちです。そうやって作られたものも日本に入っていることでしょう。



もう一つは「薄い楽器は初めは鳴るけどそのうち鳴らなくなる」というのも日本で言われるそうですが、これもこちらでは聞いたことがありません。実際に経験もありません。酸などの薬品で木材を処理した楽器ではそういうことは聞きます。

リュポーとかヴィヨームとか薄い板の楽器で特に音量に優れた楽器があります。私が経験した中ではジョルジョ・シャノーのヴァイオリンが柔らかい音で抜群に音量がありました。これも板は薄かったです。有名なジョバンニ・バティスタの息子のジュゼッペ・ガダニーニもお客さんの中で音量がとてもある楽器で板は薄いです。音はやや鋭いです。フランスとイタリアがどうとか、モダンとオールドがどうとか規則性もありません。シャノーは抜群に美しく作られていてほれぼれとするものでした。ガダニーニは凡人が作ったものによくあるような感じでした。音は見た目の美しさとは関係ありません。

これらは150年~200年くらいは経っていますが「そのうち鳴らなくなる」とはどれくらいのことなのでしょうか?楽器を買う人にとっては気にする必要のない話でしょう。売る側も言う必要が無いことです。

板の厚い楽器ではエンリコ・ロッカがあって私はこんなのダメなんじゃないのかと思っていましたが、私がいない時にお店でプロの人が弾くのを聞いた同僚によるととりわけ音が大きいそうです。私の思うようにはいきません。100年くらい経ってるので音が大きくてもおかしくありません。ロッカに限ったことではなく量産品でも同じです。

有名なのは父親のジュゼッペ・ロッカでこちらはフランスの楽器のように薄く作られたものを知っています。この手の楽器は私より日本でやってる人の方が詳しいでしょう。まあ、何でも良いのです。


鋭い音の楽器は一生それと付き合うことになる


新作ですぐに音が大きいと感じるのはキーンと鋭い音の楽器です。これは本領を発揮しだすともっと鋭くなります。モダン楽器でも買ったときよりも鋭くなってきて一生高音をごまかし続ける人がいます。ヴァイオリンなら金属巻のE線が開発されてきています。チェロなら寿命の短いラーセンのA線を頻繁に張り替えるしかありません。スチール弦の開発が進んでいるので値段は高くなりますがお金で解決できるようになってくるかもしれません。
ビオラはピラストロ・トニカのナイロンA線が裏技です。

これは覚悟しておくべき注意点です。



鋭い音が良いか柔らかい音が良いかも非常に個人差があります。指導者でも人によって全く違います。
先生と生徒とその家族がお店にやってきたとき、「とにかく強い音」という空気が支配的になるときと、安い楽器は耳障りなものが多いので「柔らかい美しい音」が支配的な空気になることがあります。それによって楽器の評価はがらりと変わります。そのため品揃えはいろいろな性格のものが必要なのです。

芸術や趣味というのはそれで良いと思います。

日本とヨーロッパの音の好みとその変化


日本で営業出身のワンマン社長の会社なんかは決まった音の楽器しか置かない店もあるそうです。長年商売して多数派の「売れる音」を学んでいるからです。ただし人の趣味趣向は時代によっても変わります。若い人に世代交代しないと店は終わりになってしまいます。

うちではお客さんの趣向も10年単位でもどんどん変わってきています。相場の変化よりも先に行けば安くて良い楽器が買えます。ワイン通の人の話を聞くと有名になる前の物を見つけるのが達人だそうです。

日本は何十年も前のウンチクを固定し続けるとますます開きが大きくなっていきます。日本では建築物も変わってきていますから音の好みが変わってもおかしくないと思います。


私が感じるのはこちらでは学生や教師、プロのオーケストラ奏者などにとにかく音が強いものがまず売れると思います。
それに対して上品な趣味の人は荒々しい音のものを好みません。長年仲間とやっているような人も優雅な美意識を共有しています。どっちかというと柔らかい音のほうが時代に左右されない大人の趣味という感じがします。

日本ではキンキンするような輝かしい音が良いとされて来たそうです。近年では柔らかい音が好まれるようになってきたとも聞きました。私が直接会った人でも荒々しい音が嫌いだとか、若い時は強い音を求めていたのが、今では暖かい柔らかい音で癒されると言う人もいます。

とはいえ、こっちには100年くらい経っている楽器が多いので桁違いに鋭い音の楽器がたくさんあります。日本でキンキン輝かしい音というのは大したことがありません。狭い範囲の中で言っているのです。その程度で言ってるのなら日本人はやはり繊細なのだと思います。優雅な柔らかい音を求めている人は潜在的にはかなりいると思います。逆にヨーロッパでは優雅な芸術や文化を理解する人が減ってきていると思います。

板の厚みは一つの要素にすぎない


外側は見ればわかります。厚みは測らないと分からないので私は見るだけじゃなくて厚みも意識しています。

板の厚みがあきらかに影響するのは低音と高音のバランスだけです。それも古くなるとよくわからなくなってきます。そんなことよりも楽器選びでは他の要素を重視する人もいます。


お客さんが来たとき、学生などで楽器のことを何も知らない人の場合にはずらっと楽器を並べて弾いて選んでもらいます。あとから選んだもののいわれなどを説明します。これが一番フェアです。

それに対して興味がある人の場合は、会話の流れで一つ一つの楽器を説明して並べていって試奏することがあります。弾く前に話していたことと弾いた後に選んだ楽器が全く違うことがよくあります。だから弾いてみないと分からないんです。

50~200年くらい経っている楽器のほうが音の出やすさに関して新作に比べれば有利です。鋭い音のものが多いですが、気にならない程度のものもありますし、弾く人によっては全く鋭さを感じないこともあります。値段は新作より安いものがたくさんあります。

ただし新作でこのようなものと比べてわずかにしか劣らないなら将来性はかなりあるでしょう。このため私は新作は個性的な音のものを作るべきだと思います。教科書通りのものなら古い方が単純に音が大きいからです。日本の場合にはそのような中古品があまり売られていないのでオーソドックスな新作も需要があることでしょう。

つまり板が薄いと楽器全体が柔らかくなる


つまり板の厚さが何なのかといえば楽器の強度になるでしょう。
単に音色のバランスが変わるだけだとしましたが、板の厚さは楽器全体の強度にも影響します。この話だけでも一回では書き切れない内容でしょう。


その強度の違いが音色のバランスに影響を与えるわけです。
他には材料の質によっても同様の効果があります。
古さも楽器全体の強度が落ちて柔らかくなる要因です。


オールドや初期のモダン楽器に触れると私は「柔らかさ」を感じます。それは修理のために開けた表板を持ってもフニャフニャになっています。もともと板が薄い上に古くなっているからです。
それに対して新作楽器や量産楽器、特に子供用の楽器では「硬さ」を感じます。小さいほど強度が高くなるからです。これが楽器のキャパシティの大きさの差となるのではないかと思います。


新作とオールドの名器をホールで弾き比べたときに、前の方の席の人は意見が分かれたのに対して後ろの席の人は皆オールド楽器を選んだ事があったそうです。
楽器のスケールの大きさは柔らかさに起因している部分があると思います。

ただし初心者などはスケールの大きな楽器は音を出すのが難しいものです。硬い楽器のほうが弾いている人にははっきりと聞こえるのです。したがって試奏して楽器を選ぶのであれば、自分の技量に合ったものがうまく音が出るのです。

現実に店頭で弾いて音が大きいという時、これまで弾いてきたのと同じ弾き方で鳴る楽器が結果を出します。



勘違いするべきではないことは、楽器の柔らかさは音の柔らかさと直結しないということです。柔らかい楽器でも鋭い音がすることはあるし、頑丈な楽器でも柔らかい音がすることはあります。特定の音域の音が「癖」として強く出ているかどうかでしょう。人間の耳はほんの些細な違いも聞き分けられるのでしょう。これに関しては構造の規則性が分かりません。


もう一つ私が感じていることは作られて50年くらい使われた楽器は音が圧倒的に出やすくなっています。初級者であればこのような楽器はとても音が強く感じられます。1000万円するイタリアのモダン楽器でも、ザクセンやチェコの量産楽器でも同じことです。
しかし材質が柔らかくなるほど古くはなっていません。音は強く出ますが、楽器としてはまだまだ硬いのです。量産楽器ではさらに顕著です。これを上級者の人が弾いているのを聞くと大きくのびのびと豊かに鳴らない感じがします。本人は自分の演奏を離れて聴くことはありません。


私個人としては遠鳴りまで考えると新しい楽器で厚めのものは厳しいかなと思います。新しいヴァイオリンで明るくキーンという鳴り方で強さを感じさせるものは楽器自体が硬すぎると思います。私はそう思いますが試してみてください。

それでも「店頭で試奏して音が大きい」ということは事実です。
自分の手に負えない楽器を買っても結果として音は出ません。差し迫った試験やコンクールには間に合いません。普通は演奏技量とともにステップアップしていくものです。

またこのような話はそのうちしましょう。





チェロの場合は低音楽器なので板が薄ければ低音がモリモリと出てきます。しかし強度が不足すれば腰が無いもやっとした音になってしまいます。手放しで薄い方が良いということもできません。
鋭い音なら板が薄くても強さがありますが高音は耳が痛くなります。うちでは「鼻にかかった音」と呼んでいます。

ヴァイオリンはよほど裏板の中央が薄くなければ大丈夫です。3.5mm位なら問題ありませんが、3mm切るとかなり薄い感じはします。外から見ると魂柱のところがポコッと出てきます。




私はいろいろな厚みの楽器があって良いと考えています。それを厚いのが良いとか薄いのが良いとか決めてしまうことを危惧しています。選べる自由があることで満足が得られるでしょう。
こんにちはガリッポです。

量産品も品質が様々です。
先日メーカーの営業マンがヴァイオリンを持ってきてうちの店でもその中から一つ購入しました。5本持ってきて値段の高い方から安い方まで5万円から10万円くらいのものです。師匠は「どれが良い?」と私に聞いてくるので、わたしが「これが一番きれいだ」と選ぶと師匠はそれを購入しました。弟子に選んでもらうという師匠です。私は汚いアンティーク塗装が大嫌いなので一番「普通」のものを選びました。値段は真ん中で7万円くらいです。と言っても弦も張っていないようなもので魂柱、駒などはうちでやります。どうせ工場で仕上げたものではまともに演奏できるものではないからです。音も分からないので見た目で選びました。


でもとても安いもので中国製でしょう。それにしてはきれいに作られていてネックにも問題が無く、指板は削り直してペグも調整することができました。ほんとうに安いやつは指板やネックが初めから薄すぎてペグも細くて調整ができないのです。そういう意味ではヴァイオリン職人の店に卸すための楽器です。これが総合楽器店になると誰も弦楽器のことが分からないのでそのまま売られています。
日本の場合には弦楽器の人口が少ないので各地に弦楽器専門店がありません。総合楽器店では職人はいませんから調整はできません。商社などが中国から買い上げて調整してから売るというのもあります。

板の厚みを測っても私が作るような厚さで何一つ問題になることはありません。これがドイツ製なら伝統があって厚めの板のものが作られ明るい音になってしまいます。私だけでは無くて勉強すれば誰でも名器の板の厚さは分かるのです。工場の機械の性能は良くなっているので中国でも作れます。ニスはアクリルでしょうが柔らかいものです。当然配合によって柔らかいものができます。

この楽器は板も薄く、ニスも柔らかい、アーチを含めどこをとっても悪いところはありません。音はよく出るでしょう。それで買ったのです。音は多少のキャラクターはあるでしょうから、たくさんの選択肢の一つとして店頭に置くことになります。値段は20万円程度です。他にはストラディバリウスとラベルが貼ってあるような古い量産品などもあります。品質はずっと悪いですが古い分鳴りは良くなっています。

下手なハンドメイドより音はいいんじゃないかと思います。7万円でヴァイオリンなんて私には作れませんよ。



今回はスクロール(うずまき)の話です。

ヴァイオリン族の楽器のほとんどにはスクロールと言ってうずまきが付いています。それ自体は様々な建築や工芸品の装飾として当時は当たり前のものでした。現在建築ではあまりついていません。それはコストがかかるからというのも理由の一つでしょう。

現在では省略されています。

権力者が自分の力を誇示するためにお城や宮殿を飾ったり、神の偉大さを表現するために神殿や教会を飾ったりしたかもしれません。純粋に職人が趣向を凝らして美しいものを作ろうという意図もあったかもしれません。


ネックとペグボックスは演奏上とても重要なものです。ペグボックスは弦を巻いて収納し、ペグを使って調弦するのですから弦の力にも耐えなくてはいけません。それに比べるとスクロールはあまり必要がありません。ヴァイオリンなどでは調弦するときに持ったりします。そのため古い楽器なら摩耗して角が丸くなっています。

オカルトな人達は「天才職人は音を考えてスクロールの彫り方を変えたに違いない」と考えるかもしれませんが、それは無理です。音響物理学の教授に測定してもらうと楽器のあらゆる部分は振動していることが分かります。スクロールもそうです。しかしどのように作ったら音がどうかかわるかは予想が付きません。

古い楽器ではスクロールが別のものに変えられていることがよくあります。理由としては
①ひどい損傷を受けたので新しいものに変えた
②別の楽器に見せかけるために変えた

この二つが主な理由でしょう。
ペグボックスはひびが入りやすいところです。ペグが緩んでしまうとギューギュー押し付けていきます。そうなると割れてしまいます。今ではペグは鉛筆削りのような専用の工具で加工できますが昔はそのようなものは無く具合の悪かったものも多かったはずです。今でも使用するごとにペグは摩耗していき止りにくくなってきます。定期的に削り直しが必要です。

そのほか先端なので事故などで損傷を受けることもあります。虫に食われて穴が開いて弱くなってしまうこともあります。チェロやバスになるとネックが折れてしまう事故も多くなります。

もともとのスクロールを残して修理をするよりもスクロールごと新しいネックを付けたほうが安く上がります。古い楽器の修理なら他のガラクタから取ってくることもあったでしょう。
量産楽器ではペグボックスが割れたり、ネックが折れたら修理代のほうが楽器より高くなってしまいます。その時点で寿命を迎えることになります。

何度か新しいネックを取り付ける修理をしたことがあります。一番大変なのはニスですが、私は得意とするところです。

単に使用できるというのであれば壊れたのだから部品を交換すればいいのですが、ハンドメイドの高級品であれば出来るだけオリジナルのうずまきを残すことが求められます。ネック部分は消耗品と考えて良いですが、ペグボックスは穴が大きくなりすぎれば埋めて穴をあけ直します。割れても新しい木材を張り付けて補強します。それでもだめなときは渦巻きのところ以外をすべて新しくします。

なぜかと言えば、作者のオリジナリティを重要視するからです。

もし出所がよくわからない楽器があった時に、ヘッド部分を見ると作者や流派の特徴があるので手がかりになるのです。それを逆手にとってヘッド部分だけ「本物」にしたコンポジットという偽物を作ることも有り得ます。
修理不能となった古い楽器から渦巻きだけとって新しく作った胴体に取り付ければだいぶ雰囲気が出ます。

ドイツのオールド楽器で近代風のスクロールが付いていることもよくあります。理由は修理の手抜きかもしれませんし、イタリアの楽器に見せかけるためかもしれません。特に南ドイツのスクロールは独特なものがあります。そうかと思えば、ナポリでは南ドイツ出身の職人が働いていたのでガリアーノ派の楽器には南ドイツ風のスクロールが付いているものがあります。最初はニセモノかと思いました。ドイツからイタリアに行った職人は何人もいます。

なぜこんなことをするかといえばそれで値段や注目度ががらりと変わるからです。と言っても楽器を売買する業者の間での話であって、業者が重要視するのはいつもお金の話です。音の関係性はわかりません。財産として考えると重要な話です。



職人と作家

産業革命以降工業製品は工場で大量に作られるようになりました。それも最近は外国で作られるようになり目にする機会は減っていきます。

こんな資料も見ました。1960年頃に日本の農村に機織り工場ができて女性たちがそこに勤めるようになりました。農家では養蚕して雪の季節などには自分で布を織っていたりしたものでした。農家の女性たちは工場に勤めることを何か「都会的な素敵なもの」と考えている様子でした。バブルのころには3Kなどと言って工場労働が嫌われ、今では「普通のOL 」と言ったりします。そんなに昔から普通だったわけではありません。そうやって身近なところから物を作る感覚が失われていったと思います。

今では職人は伝説に聞く仙人のようなイメージを持っている人も多いかもしれません。

日本の伝統産業では後継者不足で途絶えていくものが多くあります。桶を作る職人の様子をうかがうと、足に板を挟んでカンナでササッと削ってすばやく桶を作ってしまいます。西洋なら台に固定して加工しますが、手だけでなく足までも使うのが日本の職人です。水が漏れないように作らなくては使い物になりません。それを家宝としたり床の間に飾ったりすることはありませんが、すさまじい速さで作るのは達人です。職人とはそういうものです。
今では桶を使って生活している人が少ないでしょう。何でもプラスチックです。昔はそれしかないわけですから生活必需品だったのです。プラスチックのほうが安いからなのですが、木の桶でも工場で量産したほうが安いです。職人に後継者がいないのは当然の話です。


「職人」という場合には桶のような産業がほとんどだったはずです。作業を何度も繰り返すとにかく早い仕事が求められます。しかしこの作業は機械に取って代わられたので今でも残っている職人は昔なら例外的な人なのでしょう。このため我々は「普通の職人」というのを知らないのです。



様々な分野で今でも残っている職人は名人としてコレクションの対象となるものや、特注で特殊なものを作る人か、センスで素敵なものを作る人かそんなイメージを持っているかもしれません。

かつてはスーツなどは洋品店で採寸して作っていました。これも職人です。アメリカで大恐慌後の1940年頃にはダボダボのスーツを着ている人が目立つようになります。今では外国のブランド名が付いたものを多少直してもらう程度です。外国人の体形では体に合わないので日本の会社が作ったものに外国のブランド名の使用料を払ったものです。今では中国から東とインドから西で体形が分かれているようです。綿製品ならヨーロッパで売っている服と同じものをインドの人が着ています。
産業革命でインドとイギリスの関係は学びますが、それには続きがあって今では製造やファッションの流行までインドが最先端です。

昔はそうではなくて近所の洋品店で職人が服を作ってくれたのです。今ではこんなのはぜいたくすぎると考えられます。その一方で高価なブランドの「量産品」が都会の一等地で店を構えています。その値段なら職人を店内に雇えるんじゃないかと私などは思ってしまいます。

そういうわけで基本的に職人というのは衰退の歴史そのものものです。ヨーロッパでは弦楽器職人もその一つです。

職人を知らないということが弦楽器を大きく勘違いする要因です。弦楽器とは桶が複雑になったようなものなのです。

一流の職人とは



もし桶を作るなら最低限の手間でできるようにします。それが一流の職人です。

弦楽器もそのような面があります。作業工程はとても長く作るのに莫大な時間がかかります。今私が作ってるヴァイオリンですが3月から作り初めて5月の終わりでようやくニスを塗る前までこぎつけたところです。途中は他の仕事やお店の改装もあったのですが2か月はかかっています。うちは週休二日で週38時間労働ですからそれ以上はできません。

こんなことしていたら年間に何個作れるでしょうか?勤め先では特殊な凝ったものを小数生産しています。もっと単純なものを作るのが一般的です。それでも10もヴァイオリンは作れないでしょう。ガエタノ・ガッダなどはひと月に一つ作っていたそうで、仕事はかなり雑です。細かいことは考えずにどんどん作業をこなしていたはずです。入念に音を調整しながら作ったはずがありません。

ヨーロッパで人気があるのなら東京の店に並ぶほどの数は無いはずです。東京の店に常にあるということはその作者は日本ばかりで販売されていると考えて良いでしょう。これが楽器店の言う「世界的な評価の高い楽器」です。おそらく日本の楽器商は世界一で彼らが選んだので世界一の楽器なのでしょう。日本のユーザーは日本人の職人は全く信用しないのに、楽器店の営業マンのことを世界一の目利きと信じていることでしょう。このあたりも職人の感覚が身近から失われている現象です。

うちで売れている楽器なんて「世界一の日本人」には不十分で満足できないのでしょう。


話がそれましたが、弦楽器製造の現場では桶を作るように作業をさっさとこなしていくことが求められます。

陶芸であればコレクターがいて作業時間にくらべて高価な値段で取引されています。たくさんのものを作って気に入らないものは壊してしまいます。それと同様ならヴァイオリンも10個作って9個は壊してしまい、一つだけを数千万円で売ることになります。コントラバスなら数億円です。

それができないのはコレクターの数が少ないということが言えます。弦楽器を買う人は基本的に弦楽器を弾く人だけです。そのため「自分独自の表現」みたいなものを編み出す余裕なんてないのです。


特に日本ではバブル以降イタリアの楽器が高値で売られるようになったそうです。今300万円以上する作者も80年代には100万円もしなかったそうです。その値段なら私も良い楽器だなと思います。その時点なら「イタリアの楽器が良い」という意見に賛成します。

私なんかとは違って桶職人のようにてきぱきと仕事をこなしてそれでスタンダードな水準の製品を作っているのですから一流の職人です。イタリアの彼らが一流であることを認めます。日本の職人がセッティングなどを詰めていけば良いでしょう。

まあ弦楽器職人というのはこういうものだということを分かって欲しいです。

日本の職人

私のところでは教育は日本のような「学歴」という考え方ではなく、「職業訓練」という考え方です。専門教育を受けることで効率よく職業能力を身に付けるのです。ヴァイオリン工房はどの町にも何軒もありますがそれでも珍しい職業で訪れた人はよく「職業訓練に何年かかるんですか?」と聞いてきます。それに対して学校で学べば「3年半で卒業資格が取れます」と答えます。職業教育を受け学校を卒業したのでプロと名乗れます。日本の職人なら教えないで盗めというのですからとても効率が良く合理的です。代々続いている老舗でもその家のやり方だけでは時代から取り残されていきます。学校に行って学ぶことは視野を広げる効果があります。また独学では到達できないものですからインチキ業者を世に出さない効果があります。

しかし実際には学校を卒業したくらいでは何も仕事は出来ず使い物にはなりません。弦楽器職人の職種は大きな会社や工場のように役職や工程に細分化されていないので一人前になるには長い時間が必要です。ただ西洋人というのはこのように効率よく職業人となり、余暇を遊んで楽しむ人生を送っているのです。



それに対して日本人の精神性として「道を究める」という考え方があります。仏教や武道でもそうかもしれません、「生涯修行」というものです。もちろん西洋でも訓練を積むことは「勤勉さ」として称賛されます。様々な分野で活躍してきた西洋人も多いです。音楽家ももちろんそうで、上手い子は楽器を見るとよく弾きこんでいるのが分かります。練習量がすごいのです。

日本人の精神は目的を効率よく達成するためのものではないでしょう。大会で勝つためだけに武道に取り組むわけではありません。修業自体に意味があります。

私も日本で生まれ育ってヴァイオリン職人を目指したときにスタートの時点で持っていたはずです。特に意志もなく何となく大学に入ってしまい就職するにもはっきりしたものがありませんでした。「学歴」に欲もなく一生懸命受験勉強したわけでもなくまあまあの難関大学に受かってしまいました。両親はとても喜んだのですが、私は浪人しなくて済むことにホッとしたのを覚えています。

周りの学生が受験のストレスから解放されて遊びほうけているのに対して、私は大学の勉強もおもしろかったし、そんな中ストラディバリなどのオールドの名器のことを知りました。どうやってそんな名器を作ったということにとても興味がありました。今でも変わってませんね。それが難しいのは外国の人で、時代も違うので自分たちの考え方では理解できないのではないかと考えていました。文化人類学の本も読んだものです。

いざヴァイオリン製作の修行を始めるとそんなことは吹っ飛んでしまって目の前の作業だけで精一杯です。とても楽しくて何か月も一日も休まずにやっていました。少しでも良いものが作りたいという一心でやっていました。今から見るとちまちました仕事の仕方でいかにも日本の職人です。

私もすっかり日本の職人として始めたのですが、ヨーロッパに渡ることになります。私の中では日本人の職人の精神とヴァイオリンそのものを作った西洋人の精神との葛藤です。この葛藤は今でも続いていて、私のブログでも「かもしれない」という言い方が多い所以でもあります。自分が良かれと思ってやっていることも素晴らしい楽器を作ってきたヨーロッパの職人の考えに反しているかもしれないのです。いつでも「これでいいの?」と思っていますから、あまり断言しにくいのです。

カルチャーショック

私もすっかり西洋の考え方に慣れてしまっているので、日本の方からすれば「失礼な奴だ」と思うこともあるかもしれません。

うちの会社には歴代何人か日本人がいていずれも腕の良い職人です。そのため私も推薦してもらうと即座に受け入れてくれました。「日本人はとても腕が良い」というイメージを持っているようですが、たまたまそういう日本人が日本を代表して行っただけであってそうでもない職人もたくさんいます。80年代には日本企業も世界で存在感を放っていて日本製品を喜んで買っていた世代です。楽器店を営んでいた先代の親方などはハイエースに乗っていてあとで売りに出したら買った時より高く売れたなんて言っています。ヤマハの電子オルガンなども学校単位で納入してとても羽振りの良い時代があったそうです。

それで日本人の職人がやってきて抜群の腕の良さを披露したわけですから日本人の職人に対する信頼は絶対的なものです。

特に日本の職人は刃物を研ぐということに異常にこだわりを持っています。刃物の切れ味を生涯にわたって追求していくのが木工職人の道です。もっと言えば日本刀や包丁でもそうです。
それに引き換え西洋の今の職人は刃物もろくに研げない人が多いのです。

逆に言えば西洋人は刃物は必要十分で良いと考えています。これは私が学んだことです。極限まで切れ味を追求することはもちろん忘れてはいませんが、より実用的な研ぎ方を追求しています。極限までは先を鋭くしようとするともろくなってしまうのです。それに耐えられる刃物が必要となります。そうやって日本では刃物が異常に発達してきたのでした。しかし日本でも高級な刃物を作る鍛冶屋は後継者がいなくなっています。
今では日本の包丁が世界中の料理人の憧れになって活路を見出しています。それとて究極な研ぎの技を持って初めて意味を成すのであって、チャラチャラした料理人が日本の包丁を買ったからといって何かが変わるわけではありません。繊細な刃物を雑に使って刃こぼれを起こして眠りにつくのがオチです。


仕事に対してもそうです。他の職人は仕事が終わるとすぐに遊びに行ってしまいます。私は今でもそうですが仕事に集中していると疲れてしまって遊ぶ余裕もありません。仕事中に遊びのことを考える余裕もなく、すぐに遊びに行く準備ができていません。

仕事は仕事、遊びは遊びというのが西洋の人たちです。修業するためにヨーロッパまで渡ったのに、師匠や先輩がこの調子です。このような失望は日本の楽器店でヨーロッパで作られた楽器を買う人にとっても同じことです。彼らは仕事が終わってまで楽器のことを考えているような人ではなく、仕事をさっさと片付けて遊びに行きたいと思いながら仕事をしている人かもしれません。日本人に比べると人生において「仕事」に対する重みがはるかに軽いのです。
まあ日本人でも楽器店に勤めてる職人はそんな人が多いそうです。


師匠が日本の職人について先人の日本人から学んだのは「弟子は人間ではない」というものです。これは日本の職人の師弟関係を西洋人に分かるように説明したものでそれだけ師匠は絶対で弟子に自由などは無いということです。これは日本人の異常性として語られる話です。
こっちでは新人でももっともらしい理屈を言えば上が納得します。「○○なのでこうします」と説明すれば師匠の教えと違う方法でも「じゃあ、それでやってみろ」ということになります。大抵はうまく行きませんが結果さえ合格すればうちでは問題ありません。私もミスして怒られたことはありません。職人の仕事はとても難しくミスはつきもので弟子も師匠もミスばかりなのです。
ミスしたらやり直せば何とかなります。それを見越して初めは給料が安いのです。やり直せる範囲のミスに抑えなくてはいけません。取り返しがつかなくなる事態は絶対に避けなくてはいけません。そのため「安全な距離」を常に保ち、シミュレーションを何度も繰り返します。安全な距離とは決められた寸法よりも大きめに切断し徐々に削りながら合わせていく方法です。シュミレーションは接着剤を付けずに組み合わせてみて隙間が無いかチェックすることです。接着はすぐに固まり始めるので速さが必要で位置がずれてしまうとおしまいです。安全策を取りすぎれば時間がかかりすぎてしまい、怠ればやり直しで時間がかかってしまいます。そのため精度を甘くすれば劇的に作業時間を短縮できるのです。

ともかくミスはつきもので怒られるようなことではありません。ただし報告はしなくてはいけません。


こんなところで暮らしていて学んだことは「理屈なんてのはただの武器」だということです。理屈をそれっぽく言えば自分の希望を通すことができるのがヨーロッパという社会です。だからヨーロッパでは理屈屋ばかりなのです。それを日本人はまじめに信じてしまってはいけません。彼らが安易な理屈で納得するのはそれ以上探求するのが面倒だからでしょう。その人がやりたいと言っているのだからやらせておいて自分は遊びに行きたいのです。仕事に対してそんなに思い入れが無いから誰かが理屈を言うとその人に丸投げしてしまうのです。

そのため彼らは日ごろから討論が好きです。聞いている方は全く意味がないです。動物の子供がじゃれあうように、彼らは理屈の力比べを楽しんでいるのでしょう。
子供のころから練習を積んでいるので話を聞くと何とも立派なことを言います。テレビ番組で学生などに社会問題などのインタビューをすれば欧米の学生はとても立派なことを言い「日本の学生はダメだなあ」という印象受けます。でもその辺に転がっている理屈を言ってるだけなのです。世界を相手にビジネスをするにはこれに打ち勝たなくてはいけません。

ただし話の内容をまともに受けていはいけません。詭弁合戦をしているだけで口で立派なことを言う人が出世するのです。


それを経験すると日本では「偉い人の言うことが正しい」という事になっているように見えます。理屈を言えば内容のもっともらしさではなく「なんでお前みたいなやつが偉そうに言っているんだ」という意見が出ます。
偉人が言うことはもちろん素晴らしいのですが、どうやって「偉人」が選ばれているのかが謎です。
凡人が「あの人は天才」となぜ見分けられるのか不思議です。実際はみんなが知ってるという理由です。


いずれにしても楽器については弾いてみないと音は分からないものです。理屈も偉さも関係ありません。


そんな中、韓国人のヴァイオリン製作学校の留学生が実習に来たことがありました。ヨーロッパの学生とは全く態度が違って先輩に対して異常に気を使うのです。そういえば日本でもそうだったなと思い出します。そういうところでは日本人と韓国人は似ています。

もう欧米では上下関係で人を従わせるというのは無理でしょう。そのため工業製品でも品質を管理するのは難しいです。若い人が自主性を発揮するという良さはありますが、工場などで多くの工員を従わせるというのは難しいと思います。品質が良いものは少量生産で入手が困難です。

スクロールと作風

まず日本人としての思い込みを無くすことが重要だと説明してきました。

スクロールについて日本の楽器店に勤める先輩などは「作風がとても重要だ」と教わったそうです。スクロールには流派ごとに特徴があって「スタイル」が確立されていることが重要だというのです。

なるほどと思った人もいるかもしませんが、いかにも商人の発想です。楽器を見たときにスクロールで流派が見分けられれば便利です。さっきのガリアーノのようにイタリアの楽器にドイツのスクロールが付いていると混乱します。商人からすればそういうものはあって欲しくないのです。商人はイタリアの楽器の価値が高くドイツの楽器の価値が低いと考えているのでイタリアの楽器にドイツのスクロールがついていれば価値に傷がつくのです。


単に個性的というのなら、ドイツのオールド楽器のスクロールにはとても個性的なものがあります。それがお金の話になるとそれは「悪いもの」となります。イタリアの楽器なら個性的なものは「個性があって良い」となります。

職人から見ればどうでも良い話です。
私が職人として尊敬するのはそれとは違います。
見事に作られていれば腕の良い職人だし、雑に作られていれば低コストで作られたものだというだけです。
自分でスクロールを作ったことが無ければそれがどれだけ難しいものなのかわかりません。


実際にはスクロールを見てもどこの国なのかよくわからないものは結構あります。商人にとってはそういうものは商品価値が無いのです。彼らの間で商品価値が無いということはお買い得なのです。そういうお宝がたくさん眠っています。

だから理屈なんてどうでも良いのです。
専門家っぽい人が「スクロールはスタイルが重要だ」とかウンチクを言っても聞き流しておけばいいのです。職人なら品質が高ければスタイルに関係なく上等なものだと考えます。


デルジェズのスクロール

オールド楽器のコピーを作るということは自分の発想をいかに捨てるかということでもあります。我の強く自分たちを世界の中心だと考えている現代の西洋人には難しいことです。そのためこの分野では日本人が高く評価されることがあります。


1730年代のデルジェズの特徴としてはスクロールは父親が作っていたということにあります。39年に父親が亡くなったとされていますが、その年の楽器でも父親のスクロールが付いています。スクロールだけ多めに作ってあったのかもしれません。40年くらいから作風が変わります。1720年代にいったん戻るような感じもするのでそれがデルジェズ本人のものかもしれません。45年に近づいていくほど荒くなっていきます。我々もイメージするデルジェズというとそういう荒っぽい個性的なスクロールのものです。一説には奥さんが作ったとかよくわからない説もあります。
少なくとも30年代のものは父親が作ったということは基本的な知識として知られています。どれがそうなのかは、私なら写真を見ただけでもすぐにわかります。なぜかというと独特な雰囲気があるのですが、アマティ的な感じがだいぶ残っているからです。アマティが繊細なタッチで仕事をしていたのに比べれば、歳をとっていたせいもあってそんなに繊細ではありません、しかし基礎としてのアマティが残っているのです。

そういう意味でも父親のフィリウスアンドレアは息子の楽器のためのデザインみたいなことは考えてもいなくて初めて習ったときのまま作っているだけです。フィリウスアンドレアのスクロールはノミの跡をきれいに仕上げていないことが多く、それも特徴です。アマティやストラディバリと違うところです。でも全部がそうというわけでもないのでこだわりがあってやってるというより面倒なので仕上げていなかったのでしょう。当時、クレモナのグァルネリ家の楽器は値段がアマティやストラディバリに比べて安かったと言われています。当時は大量生産もなかったので仕上げを省略して安い値段でやっていたのでしょう。
オールドの時代には安価な楽器は単に雑に作られました。それでも音が良いものもあります。これは今でもそうです、中国の楽器にも音が良いものがあるかもしれません。


私はアマティのコピーをたくさん作っています。独特の癖があって近代のような無味無臭な感じじゃないのです。私も自分でスクロールをデザインするとすればバランスも良くカーブもきれいな丸みになったものをデザインするでしょう。アマティのものはそれではできないのです。当時は比較する対象もなかったので「より欠点の少ない」完璧さを競争することもなかったのです。
その後大量に作られた粗悪品に比べれば整ったものですが、完璧さを競い合っている近代のものとも違うのです。近・現代のものがきれいすぎるというわけですが、そういうものは決して多くは無くそれらが上質な希少な楽器であることは間違いありません。

それが弟子のアンドレア・グァルネリになるとまた癖があるし、息子のフィリウスアンドレアになるとまた癖があるのです。グァルネリ家の楽器のコピーをいくつも作っているとパッとデルジェズの写真を見るとすぐに「これは父親のスクロール」だなとわかるのです。どんなに偉い専門家でも見て分からなければ何もわかっていません。もっと言うと同じものが作れなければ見えているとは言えないでしょう。

晩年のデルジェズは仕事が粗いので仕事が粗いのが本人で繊細なのが父親のうずまきと考えるのは間違っています。20年代のフィリウスアンドレアっぽくないうずまきは丁寧に作ってありますし、父親の晩年のものはかなり荒くなっています。でもなんとなく雰囲気があります。
アマティの教えもデルジェズの代になるとだいぶ失われてきているということです。100年も続かないのです。それだけ教えるのが難しいのが弦楽器の製造なのです。

フィリウスアンドレアのスクロールが付いていることもあって私にとってはデルジェズもアマティ派の楽器だという印象を受けます。今回は板目板を使ったので形はデルジェズなのにアマティっぽい感じがします。私が前に見たニコロ・アマティも板目板でした。
現代風の作風なら形はデルジェズでも現代の楽器に見えます。外側の形はそんなに重要でないように思います。

業界で言われてきたのはデルジェズがフラットなアーチを考案してそれまでのアマティ流の楽器作りに技術革新を起こしたというものです。実際にアーチの高さを調べてみればこれがデタラメであることは分かります。一旦知識として広まると調べればわかるようなことも調べないのです。近代の楽器作りを正当化するための理屈です。



アマティのコピーで設計図の段階ではヘンテコな感じがするのですが出来上がってみると美しいと感じることがよくあります。オールド楽器というのは形はおかしいのに雰囲気があります。こういう経験は現代的な基準から外れても何とでもなるんだなという自信にはなります。面白い発見です。写真で見るとどうしても平面なので外側の形の完璧さに目が行きます。手に取ってみるとそれより多くのことが分かります。近現代的な意味できれいな楽器も、オールド楽器もパッと見ただけで違いが分かります。

自分でヘンテコなものをデザインするのは難しいですね。コピーならではの経験です。たとえば若いころ画家が森でスケッチを繰り返していたのが晩年に想像で描いた絵の基礎となるようなものです。フィリウスアンドレアなら、初めからアマティの流儀を学ぶことができましたが、今の我々がそれを学ぶにはコピーをやるしかありません。

そうやってるうちに自然と1600年代のアマティの基礎が私が学んだ現代の基礎に塗り替わって行くことと思います。特別に考えてそうするのではなくて普通に作っただけでオールド楽器のようなものができるようになるのが目標です。別に現代風のものより優れいてると言う気はありません。今ではそのようなものを作る人はまれなので数百年後には世の中から無くなってしまうでしょう。もったいないと思います。


実技は次回

日本人の考え方と西洋人の考え方には違うところがあります。我々がヨーロッパで作られた高価な楽器を買う時に、名工はこうあって欲しいという思いは裏切られることがあるでしょう。彼らは日本人ではないからです。

デルジェズという人は自分でスクロールすら作らなかったのですから、魂込めて楽器を作っていたというのとは違います。父親とともに家業を続けていただけです。自分の名工はこうあって欲しいという私欲は捨てないと一つ一つの楽器を理解することができません。


産業として弦楽器を製造しようと思えばとにかく短時間で作ることが求められます。販売する業者にとっては卸値が安いほど利益が高まるからです。
短時間できれいに見える楽器を作れることを一流の職人だと評価して来たことは間違ったことではないでしょう。

ただそれが日本のユーザーが高級品に求めるものなのでしょうか?
私が考えているのははるかに凝ったもので販売業者を通さずに販売することです。作れる本数も少ないので大量に販売する必要もありません。


私にとって幸運なのは現地のユーザーに接することができることです。
「日本の職人のほうが腕が良い」と結論付けてしまえば何も学ぶことはできません。それに対してこちらのユーザーは世間の評価なんて関係なく自分の感じた好き嫌いをはっきり言います。どんな師匠よりもはるかに厳しいです。

私が働くようになって初めの数年のころに師匠は、手元にあったヴァイオリンを見せて「これをどう思う?」と聞いてきました。私は「好みの問題です。」と答えました。それに対して師匠は「日本人は皆そう言う。そうじゃなくてお前はどう思うんだ?」と聞いてきました。世間的な評価ではなくて自分自身がどう思うかを聞きたかったのです。私は何も答えられませんでした。

今はだいぶ自分の考えが持てるようになってきました。そうやって作って気に入ってくれる人も出てきています。自分が心の底からいいなあと思うのと同じような楽器を求めている人がいるということがわかってきました。


























こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン職人ですがDIYは初心者です。
木工の初歩の木箱を作りました。簡単な木箱のつもりが簡単ではありませんでした。

角材をホームセンターで買ってきて定規を当ててみると平面じゃありません。伐採して間もない木をのこぎりで製材してあるので曲がってくるのです。普段使っているのは十年以上寝かせてある材を鉄製のカンナで製材しているので真っ直ぐです。でもDIYなら買った木材をそのまま使うのでしょうか?

そのままでは隙間ができてしまいます。隙間などないと思うかもしれませんが次の写真を見てください。

ピッタリでしょ。こちらはカンナをかけたものです。弦楽器の製造では接合部分は隙間なくピッタリでないとくっつきません。



真っ直ぐでないものを押さえつけてくっつけるのは私には未知の世界です。
表板などは薄いので無理やりつけると割れる原因になります。弦楽器では安価な量産品の古いものは割れているものが多くあるのに対して高い品質で作られた楽器では100年経っても無傷なものが多くあります。

材料の継手は釘で留めるという最もシンプルなものにしました。技術家庭科のレベルです。楽器作りでは釘やネジは使わず弱い接着力の天然にかわで接着します。接着面が完全に接していれば剥がそうと思っても持って行かれて他のところが裂けるほどです。面があっていなければすぐに開いてしまいます。

こんなことをやってるとDIYではなくなっていきます。隙間があるときになってついカンナをかけてしまいます。


枠は釘で留めるとして底の板をどうやってつけるか悩みます。普通に考えれば溝を彫って薄い板を差し込むのですが、ネットで調べてみるとあまりやっている人はいないですね。

なぜかといえばルーターという電動工具が必要になるからで本格的になってしまいます。私はナイフや毛引き、ノミで溝を彫ることもできますがそれでは時間がかかりすぎるので適当なもので代用します。手動式でも西洋の工具はありますが、5000円~1万円するので止めておきましょう。

小さい丸のこをボール盤(卓上ドリル)につけて治具を自作して簡単です。


溝が彫れましたが貫通して溝を彫ったために、小さな穴が開いてしまいます。なんとなく嫌なので埋めておきます。こんなのも凝りすぎなのでしょうか?初心者の癖にテクニックだけはやたらあるので困ったものです。


箱です。

シンプルなものです。初心者にしては悪くないでしょう。

底は溝にはめ込んであるので釘なども出ていません。枠もカンナで平面に仕上げてあるので平らなところに置けばがたつきはありません。

接合部分も段差や隙間は無く仕上がっています。0.5mm程度の誤差があるので普段の私なら考えられないほどいい加減なものです。

引き出しに入れたときにノミが動いてしまうので固定するものを取り付けて完成です。

その後、雑貨屋に行って箱などを見たらひどい品質のもので驚きました。板は薄くて軽いバルサみたいな木で接着剤で底板も貼ってありました。

木工で「良いもの」と言ったら豆まきの時の升(ます)みたいな継ぎ方にするもんだと思っていましたが、接着剤と釘で固定するこのレベルでもきっちり作れば十分な強度がありそうです。




今度は引き出しの中の仕切りを作ります。


DIYなら反則技です。西洋のカンナを使って正確に加工しています。
木口という面にカンナをかけるのは難しいです。ここを正確な直角と平面にしておくとグラつきやがたつきが起きにくくなります。

しきりに使う板を三枚重ねています。この面を接着するときに気を付けることは接着剤を吸い込んでしまうことです。そのため目止めということをします。いつものように天然にかわを使います。普通の人は木工用ボンドでも良いでしょう。


にかわを塗ってすぐは濡れていますが3分もすると・・・

夏目という年輪の間の柔らかい部分はにかわを吸い込んでしまいます。これでは接着剤を塗ってもくっつきません。ヴァイオリン製作でも重要なテクニックです。吸い込まなくなるまでにかわを塗ります。その後、余計なものを落とすか削るかして接着します。

今回はタイトボンドという木工用ボンドを使います。
3面を90度に加工したあて木を使って固定すれば正確に接着できます。


接着剤だけでも引き出しのしきりとしては十分な強度でしょうが釘も打ちます。


完成です。
職人仲間の間では「ヴァイオリン職人病」と呼んでいますが、きっちりやりすぎるのです。あまりにもきっちり戸棚を作ったために木がゆがんで戸が開かなくなってしまった人もいます。同じ木工のようでいても全く違う基礎が必要です。歪みを考えて遊びを作っておかなくてはいけません。板が曲がって行くことも計算して釘を打つ必要もあるでしょう。
最大の問題は時間がかかりすぎることです。時間がかかるとその分コストがかかります。今回は仕事の時間を取られてしまいます。
実用十分なものをササッとつくるのが今回の目的です。しかし病気が出てきて逸脱しまうのです。
職業学校で木工を教える先生が夏休みの期間にヴァイオリン職人の仕事を体験したことがあります。このようにカンナを使うことは全くできませんでした。


何事も基礎を身に着ける段階で染みついたものは取れにくいものです。お客さんでもヴァイオリン演奏で小さい時に受けた教育の癖を取るのに苦労したと話す人もいます。
私がDIYをやろうと思ったらヴァイオリン職人の基礎があるために難しいです。
いざとなったら大工さんか何かに転職しようかと思っていましたが使い物になりそうもありません。
逆にDIYとか大工仕事をやっていてヴァイオリンを作ろうと思ったら難しいです。実際にそのような楽器はよくあります。アマチュアが作るものは基礎ができてないのですぐにわかります。初めにきちんとした教育を受けることはとても大事です。イタリア人であれば「独学で身につけた苦労人」と言われますが、他の国の人が同じようなものを作っていると素人の作ったガラクタとみなされます。

高い技能を身に着けるのは大変年数がかかることで、今日の産業のように非正規雇用ですぐに働けるようなものではありません。就職してすぐに暮らしていける給料がもらえるような産業ではありません。
しかしまじめに努力すれば技能を身に付けられるのです。
それでもお店の目玉商品になるのは何かのきっかけで有名になった一部の人だけです。職人から見れば知名度が実力を反映しているとは思えないことが多くあります。


先週はこんなことがありました。
うちの会社の創業者の職人が作ったヴァイオリンがあるんだけど価値を見て欲しいという電話が入りました。老夫婦で自分たちはヴァイオリンは弾かず、知り合いに才能のある子がいるので譲りたいのだけどどれくらいの値段のものなのか知りたいというものでした。
楽器を持ってくると60年代のもので状態も良く消耗部品を変えるだけですぐにでも使えるものでした。簡単な修理を終えれば1万ユーロ(120~130万円)くらいの価値はあると言うと高額であることに驚いた様子でした。同じ時期に買ったと思われる弓もついていて30万円くらいはすると言うとこんな棒が高額であることにもっと驚いた様子でした。
普通に考えれば職人がハンドメイドで作った楽器は120~150万円くらいして高価なものです。弓も西ドイツのマイスター作の弓で30万円と言ったら高価なものです。日本ではこれらを安物と考える人もいて感覚がおかしくなっています。特に東京など大都市です。一方地方なら50万円のヴァイオリンでも高くて手が出ないという人が多いです。そのため日本では50万円以下か200万円以上のどちらかしか売れないのだそうです。ヴァイオリンとして最も質と量、コストパフォーマンスが充実している価格帯がこの間ですから買う人がいないのがもったいないです。


初代の職人の楽器は50年以上経っていることもあって新品に比べればよく鳴って普通に考えれば音量に優れています。100年前のものとは変わりません。
そういう意味では現在の製品のほうが音量に劣っています。それなのに今うちの会社なら1万5千ユーロはするでしょう。というのはメーカーは製造コストを元に値段を決めるからです。毎年物価が上がっていて現代の生活水準と弦楽器店を経営する費用を考えるとそれくらいになります。現在お店を改装していますが保険会社が防犯設備の高い水準を要求してきたこともあります。防犯会社に毎月お金を払わないといけません。

このように中古品のほうが音で優れているのに値段が安いのです。うちの会社で私は凝ったヴァイオリンを作ることで今回のようにマニアックなお客さんに応じています。私が入社前に作っていたようなヴァイオリンのままなら今では修理の仕事しかしていないでしょう。


1万ユーロという値段に驚いていた老夫婦ですが、厳しい現実も知らなくてはいけません。金塊や有価証券ならいつでも換金できますが、弦楽器の場合にはそれを弾きたいという人がいなければ1ユーロにもなりません。なぜかと言うと人によって好む楽器の音が違うからです。いつも言っていますが、きっと万人に共通する音の良さがあるはずだと考えている人もいるかもしれません。

師匠はそのことを老夫婦に伝えるのにこんな話をしました。
弦楽器というのは音の好みが人によって違うので評価額が高額だからと言って必ず音が気に入られるわけではありません。たとえば日本人であれば我々とは全く違う音の好みを持っています。「音」はあまりにも主観的なもので客観的に値段で表すことはできません。


東京のお店で人気の楽器もこちらに持ってくれば誰にも好まれないということはあり得ます。また逆のパターンもあります。日本にお住いの読者の方でヴァイオリンを売りたいという人がいて音を聞いたら暗い音だったので「これは売れるだろうな」と思って持って帰ると数か月で売れてしまいました。日本で何年間も売りに出していたのに全く売れない楽器でした。

そんなものです。
東京で大人気の楽器もヨーロッパに持ってきても誰からも羨まれないということもあり得ます。名前すら知らなくて「何それ?」という感じです。そういうわけで「世界的な評価」なんてものは無いのです。

寿司なら世界では巻きずしは米を外側にします。カリフォルニアロールと言いますね。海苔を見慣れないアメリカ人の抵抗感をなくすために考案されたと聞きました。ヨーロッパのこちらでは寿司が知られるようになったのは最近のことで海苔が気持ち悪いというアメリカ人の感覚すら知られていないので日本のような巻きずしでも嫌がりません。しかしヨーロッパの寿司もアメリカから伝わっているので米が外側のものが普通です。

世界の評価基準で見れば寿司は米が外側にあるべきです。日本人からすれば海苔が外にあるほうが海苔巻らしいでしょうが、ローカルな好みです。


私が帰国して見てきた東京で人気の楽器の話をするとこっちでは「ふ~ん」という感じです。世界的な評価なんてものは全く興味がありません。イタリア人の職人はたくさんいますが、皆が日本に輸出できるわけはありません。名前の知れた一部の人だけです。「世界的な評価」というのは簡単に言えばアメリカ人や日本人に好まれ輸出できるということですね。ヨーロッパでは関係ありません。イタリア人に好まれても日本人に好まれなければ世界的に評価の高い楽器ではありません。ローカルの好みです。


値段が音を表せないということはこういうことです。

うちの師匠も「日本人が明るい音を好む」という知識を持っていて、全く違う歴史や文化があるので明るい音が良いというのは自分には理解できないけど日本人というのはそういうものだと考えているようです。私のことは「(会った中では)暗い音を好む初めての日本人」と言っています。

そういう意味で日本人は全く違う音の好みを持っているように、人や地域によって音の好みが全く違うので音を値段であらわすことはできないと説明したのでした。


私は本当に日本人が明るい音を好むのかにも疑念があります。私がヴァイオリンを習っていた先生も暗い音が好きでそのようなフランスのヴァイオリンを愛用していました。実際にお会いした読者の方でも暗い音が好きと言う方がたくさんいました。

もちろん明るい音が好きと言う方がいても怒るわけじゃありません。
かつて販売するために修理した品質の高いモダン楽器で板が厚いものがありました。音はやはり明るい音でそういう好みの人もいるだろうと考えて修理やセッティングをしました。明るい音から暗い音まで幅広く取り揃えておくべきだと考えています。結果を言えば10年以上売れ残っています。明るい音の楽器が好まれないということは肌で感じています。

でもそれも店に無いと買う人は好きなものを選んだ感じがしません。そう考えると弦楽器店を営むには費用が掛かります。全部売れないとなると買い取り価格も安くなります。

調整するときや悩みを聞くときもその人の好みに沿えるようにします。
明るい音が好きでもおかしくはありません。明るい音の良さを分かろうとします。

ただ自分が作った楽器が明るい音だともうちょっと板を薄くするべきだったと後悔します。自分の楽器だから気になるのであって、別の人の明るい音の楽器は違う持ち味があることを認めます。依頼があれば明るい音の楽器を作ることは可能です。初心者の頃先生に教わって作っていたような寸法にすれば良いです。狙い通りに行けば満足です。

ただし私が作らなくても他にいくらでもあります。暗い音の楽器は珍しいです。
明るい音の楽器は板を薄くする前に完成にすればできることですから難しいものではありません。一般的な木工製品なら、厚い板を使うと高くつくからケチって薄い板で作るかもしれません。引き出しの底などには薄い板を使っていることがあります。それが薄いとものを入れたときにやかましい音がします。板が厚ければ音も小さくて高級感を感じます。
材質は軽い木のほうが音が大きいです。銘木と言われるような重い木は響きが抑えられます。弦楽器に軽い木を使うのはそのためです。

それに対して弦楽器の場合は初め厚かった板を薄くしていくので薄くするほうが手間がかかり神経を使います。音は引き出しと違って小さい方が良いというわけではありません。

他に勘違いしやすいイメージとしては弦は低音用のものが太いので板も厚い方が低音が出るんじゃないかというものです。これは重さが効いているわけですが、細い弦でも緩めれば音が低くなります。板が薄いのはそれに近いことです。張りが弱いように板が柔らかくなって低い音が響きやすくなるのでしょう。太鼓の皮も強く張ると音が高くなります。

薄い板で重厚な暗い音になるのです。


私が作れば確実に板の厚さと音の明るさの相関関係が見られます。
ただし、実際に存在している楽器ではそうでないものもあります。板が厚いのに暗い音がすることもあるでしょう。そのため弾いてみないとわかりません。



DIYの記事を書くと読者層が変わってしまうかもしれませんが、ヴァイオリン職人にとって基礎というのがどういうことか分かってもらえたらと思います。
基礎をきちんと修業することはとても大事なことだと思います。

ちゃんと修行した人が作ったものはすでに高級品です。天才でなくても修行すれば作ることができます。音は好みで各自が選ぶしかありません。

こちらで明るい音の楽器があまり好まれないというのは間違いありません。もし世界に共通の「良い音」というのがあるのだとすれば、日本人も暗い音を好む場合です。
こんにちは、ガリッポです。

働いているとごくまれに珍しいこともあるものです。

中等学校が所有しているヴァイオリンが来てメンテナンスをして欲しいという依頼でした。見た感じひどく傷んでいる様子もないので消耗部品を交換すればまた万全の状態で使えるだろうと引き受けました。駒、魂柱、弦、アジャスター付テールピースを交換すれば完璧です。

いざ作業にかかると魂柱が見当たりません。高音側のf字孔から覗くと普通は魂柱が入っています。よく見ると低音側に入っているのです。エンドピンを外して中を除くとバスバーが高音側についています。低音側についているからバスバーと言うのでこれではバスバーと呼べるかどうかも分かりません。

おかしいなと思うわけですが、考えられるのは左利き用のヴァイオリンじゃないかということです。私も左利き用のヴァイオリンはわずかにしか見たことがありません。それくらい珍しいものです。左利きの人でも同じヴァイオリンを弾くケースの方が多いでしょう。というのはヴァイオリンを弾くのに両手を使うからです。オーケストラで弾くときに向きがバラバラだと都合が悪いということも言われます。

学校の担当者によるとそれが左利き用と知らずにこれまで右利き用のヴァイオリンと同じように弦を張って使っていたそうです。弦の高さはG線が高くE線のほうが低くなるように駒を加工してしまうので左右反対に弦を張ろうとしたら駒を変えなくてはいけません。どうするかと学校に問い合わせてみると「ちょっと音はおかしいかもしれないけど右利き用にセッティングしてください」ということになりました。左利き用のヴァイオリンも珍しいのにそれを右利き用にセッティングするのは初めての経験でした。

どんな音がするでしょうか?全く分かりません。その楽器に当たってしまった生徒はかわいそうではないかと心配になります。

いざ弦を張って弾いて調弦していてもそんなにおかしい感じはしません。弓で弾いてみてもまあ、ヴァイオリンの音でした。もともととても安いヴァイオリンなので安いヴァイオリンのような音はします。左右が逆になっていることは関係がありません。初心者が最初に使う安い楽器と同じように使えると思います。

音の特徴は低音は明るく締まってダイレクト、高音は深みがあり柔らかい感じがして弓に感じる手応えも柔らかい感じがします。よく考えればそれはそうなのですが必ずしも悪い特徴とは言えません。

私は以前から弦楽器は低音は柔らかくて、高音は鋭い音がするものだと考えてきました。耳の特性でそう感じるのではないかとも言ってきましたが、考えを改めなくてはいけません。私の言うことも話半分で聞いてください。だからブログのタイトルは教科書じゃなくてノートになっています。最終的には耳で判断してください。構造上そうなるのだろうと今回考えました。新説は魂柱で支えている方は強い音になり、バスバーで支えている方は柔らかい音になるというものです。

今回のように逆で使われていても表板が陥没するようなことは無く表板の強度は十分でした。板の厚さも薄いということはありません。
これで裏板をもっと薄くすれば低音にもっと深みが出て良いんじゃないかとも思います。要するに力のバランスがとれていればそれで良いということですね。ごくまれに魂柱が入っていないこともあります。この場合はギャーとおかしな音がします。それに比べればハスバーと魂柱が反対でもおかしくは無い感じがしました。

我々職人が0.1mmとかという単位で仕事をしているのがバカらしくなるような出来事です。ほかによくあるのは、職人が見てひどい楽器で良い音がするケースです。私も含め職人の言うことなんてあてになりません。
じゃあ魂柱を両側に一本ずつ入れたらどうでしょう?逆に両側にバスバー(?)をつけたらどうでしょう?魂柱が無いなら裏板も要らないような気もします。
そんなのもやった人は聞いたことが無いのでわかりません。実は無限に可能性があるのかもしれません。


低音がモヤモヤしていて高音が耳障りだというヴァイオリンがあった時「バスバーと魂柱を逆にしてみますか?」と言ってそうしたら低音はすっきりと抜けが良くなり高音は柔らかくなるでしょう。…同業者が聞きつけたら「あいついよいよ頭がおかしくなったな、もともとあれだったけどついに行くとこまで行ったか」と思われるかもしれません。そういうわけで実際にそれをやるのは勇気が要ります。

我々は常識に従って仕事をしてきたというわけです。


本当にやるならテストを重ねて実証する必要があります。
そのヴァイオリンのバスバーを通常の位置につけ直してどう変わるか試すことも必要ですが、それだともともとついていたバスバーと新しく付けるバスバーの付け方微妙に違うので比較になりません。なかなかそれをやる余裕はないです。結構な数をやらないとデータの質が十分とは言えません。長期間にわたって耐久性のテストも必要でしょう。そのセッティングに合わせた楽器の設計も必要になってくるでしょう。職人人生をかけた試みということになります。私もそれをやる勇気はありません。
このような慎重な手続きを踏んで技術開発するということは弦楽器業界では聞いたことが無いしこういう発想を持っている人が多くありません。

私も何人かの先人に教わったりしましたが、音については「はっきりしたことはよくわからない」と言う人が結構いました。今になってそれはとても正直な意見だと思います。たまにすべてわかっているかのように言う人がいます。演奏者から求められているのは音を分かっている人です。
ヴァイオリン製作学校の先生も教えていることとオールド楽器が全然違うということを修理で経験して分かってる人もいます。分かってはいても学校を変えるのは難しいです。初心者のうちは刃物をうまく使う技能が全くできないので、決められた通りに加工するという最低限の事だけでも学校で学んでいる期間では身に付きません。決められた通り仕事ができれば楽器店や工房に就職できる可能性が高くなります。このようなことは私の先生も言っていました。教えてもらったのは一つの考え方にすぎないことを私は頭の隅に置いておいてまともに仕事ができるまでは必死になって材料や楽器に向き合い、師匠との信頼関係を築いて機が熟してから始めたのです。新人がいきなりやってたらふざけんなです。
会社に損害を与えないために自分の時間で実験的な楽器を作ってきました。今回は師匠もお客さんもそれを気に入ってゴーサインが出たのです。同じ音の楽器が作れるかは内心不安がいっぱいです。もはや師匠とは阿吽の呼吸です。


お客さんなどで何かを聞きかじったのか理屈を言い出す人がいるとうちの師匠は「あまりにも多くの要素が作用するから一概には言えない」と説明します。うちでは楽器は弾いてみて好きなのを選んでくださいという方針です。貸し出してホールでもどこでも好きなように試してもらっています。
長年の経験から導き出されたものでそれ以上正しい答えは無いでしょう。弦楽器店を経営していると業務は複雑多岐にわたり、いろいろなお客さんが来るので様々な楽器を用意する必要があります。
私は製造者としての思い入れが強いので温度差があって不満に思うこともあります。

予算の中で名前を伏せて実際に音を聞いて気に入って選んだ楽器について私の考えと違っても文句を言うことはありません。現実的には完全に名前を伏せてというのは難しいかもしれません、それでも先入観を持たないようにするための心構えを説明して来ています。その結果選んだ楽器についてはその人にとっての愛器です。

先入観で選んでもその人が幸せならそれでもいいです。そういう方の希望を満たしてくれるお店はすでにあると思います。


ここからは私個人のせまい考えです

具体的に一人の職人の頭の中がどんなになっているかということです。参考程度に聞いてください。

f字孔を加工するのはとても難しいです。ここ何年かでようやくミスなくできるようになってきました。ということは悔やまれることが多かったのです。
そんなに難しく考えなくてもパッとできれば優れた職人です。私はそうはいきません。アマティやストラディバリのf字孔を見ていると注意を払って入念に加工していることは分かります。最初のうちはこんなところに気を使っているのかということも分かりませんでした。
特に悲惨なのは太くなりすぎることです。こうなると台無しです。自分が昔作った楽器を見ると「あ゛-っ!!」となります。

f字孔の位置

まず重要なのはf字孔の位置です。これは駒が来る場所が決まるからです。デルジェズはかなりいい加減で楽器によってf字孔の位置がバラバラです。測らずにこの辺という感じで作ったのでしょうか?叔父のピエトロ・グァルネリではf字孔の位置が下にありすぎます。ストップの長さが長すぎるのです。アマティやストラディバリのヴァイオリンではだいたい今と同じ位置ですからグァルネリ家でははっきりした規格が無かったのかもしれません。駒の位置がずれると弦の長さが変わってしまい抑える指の間隔が変わってしまいます。現在ではヴァイオリンとチェロでは規格が統一されています。ビオラは楽器の大きさを体格に合わせて選ぶので統一されていません。

今回のデルジェズではストップの位置とするf字孔の内側の「刻み」が左が191.5mm右が193.5mmになっています。この通りに作れば胴体も小さいので小柄な人には弾きやすい感じになります。しかし、手が小さいとかそういうことは無いので標準の195mmにすることにしました。オリジナルとは位置がちょっと変わるということです。
位置をずらすわけですが、ハの字の角度も変わってしまいます。刻みの位置は195mmだとして視認でこのくらいだろうという位置を探します。
左右はストップがずれているように左の方が上にあります。


とても難しくて何回も描いては消してを繰り返しました。f字孔の位置を決めるだけで半日が終わってしまいました。パッと決めて振り返らずに行こうと頭では考えているのですが、ダメです。コピーの場合には左右の形が違うので型も左右作らなければいけません。これも片方で半日かかります。

型は90%くらいしか信用できない




型の通りに加工すれば完全なf字孔ができるはずですが、そうはいきません。一つは表板の斜面になっているところに型を当てるので平面で起こした型に対してゆがんでしまうのです。これを視認で調整しなくてはいけません。行き過ぎると悲惨なのでとても怖いのです。1か所でも行き過ぎるとラインが乱れて形もおかしくなるのでそれをごまかそうとするとf字孔が太くなりすぎるのです。それから型の通りに加工したつもりでも人間の目で見たときに違和感があるのです。寸法通りに加工することと目で見て綺麗に見えるというのは違います。
型を頼りに90%加工してそこからは視認で仕上げていくことになります。コピーの場合には単にきれいに仕上げるのではなくて作者の癖を再現するのも重要です。同じ形の楽器だけを作るなら出来上がったものからまた型を作って…を繰り返して修正を続けていけば完全に近づいていくかもしれません。私の場合には違う形の楽器を作ることが多いのでそうもいきません。

視認で歪みを調整するのはとても難しくて新人ならやらないほうが良いと思います。斜面に型を当てたことでできる歪みはそのままにしてもオリジナルと違うだけで醜くなるわけではありません。上半分がちょっと尖って見えます。現代の新作楽器には尖って見えるf字孔が多い印象を受けます。私はアーチの斜面も急なのですがそこまで急でなければ歪みも小さくなります。


パッと見で大きく外れてはいないでしょう。白木なので感じが違います。

この時期のデルジェズの特徴は出ていると思います。1735年ごろの感じです。近代にガルネリモデルとして作られるものはもっと極端なものが多いです。上下にとんがって長いf字孔を見るといかにもという感じがします。


1740年頃から急に荒くなって末期の1745年にもなると左右も全然違うものになりますが、この時期は型を反転させるとさほど違いはありません。したがってこの頃は型のようなものを使っていたのかもしれません。

これくらいなら台無しということは無いでしょう。

立体的に見ると形が変わって見えます。
元となった楽器でもデルジェズのf字孔はすごく荒いということはありません。同じ時期の他の楽器ではもっときれいなものもあります。キャラクターはあってきれいなものです。ストラディバリの弟子のベルゴンツィがグァルネリ家で働いています。兄弟子ということですからかなり影響はあったと思います。アマティのものとはだいぶ形が変わっています。










職人は品質に偏った見方をするもの

何度か言って来ていますが、弦楽器については3人のプロがいます。職人と商人と演奏家です。
それらは全く違う基準で楽器を評価します。もし20本ヴァイオリンがあってその中から気に入ったものを選ぶとすれば全く違うものを選びます。同じ職業でもひとによって違うものを選びます。

その中で職人は楽器の品質を見ます。きれいに作られている品質の高いものを選ぶのです。名器を知っていれば雰囲気で選ぶこともあるでしょう。

商人は知名度(=値段)について極めて敏感です。一番有名なもの、つまり一番値段の高いものを選ぶでしょう。値上がりが著しいものを選ぶ手もあります。

演奏家はふつう音にしか興味がありません。弾いて音が良いものを選びます。楽器店で働いていればかなり個人差があることを知ります。先生が良いと言っても別の先生は違うものを選びます。


問題はこれらが一致してればいいのですが、実際は違います。じゃあ誰がいちばん正しいのでしょうか?普通は演奏家が一番正しいと思うでしょう。それで間違っていないと思います。そういう意味で私は職人に批判的な記事を書いてきました。

ただし、品質が悪いと後々問題が出たりします。最低限の品質を備えたものを職人が紹介すべきです。値段も妥当である必要があります。
特別有名で無い作者の楽器であれば品質によって値段を決めます。高品質なものを作るにはコストがかかるからです。作者の名前がついて無くてもヴァイオリンは10万円~100万円位するのが普通です。品質によってその間の値段を決めます。これは職人の目で判断されるものです。



例えばこのようなヴァイオリンがあります。おそらくラベルは偽造で作者は全く分かりません。
量産品は同じようなものがたくさんあるので職人の目で見ると分かりますが、これはそうではないのでハンドメイドの楽器だろうと思われます。
品質で見ると決して高くは無く、腕前は低いものです。ヴァイオリン製作学校の生徒のほうがきれいなものを作ります。値段をつけるなら40~50万円というところでしょうか。仮に50万円としておきましょう。同じ時代でもっと美しく作られていれば100万円くらいになります。

しかし音響的に問題になるようなところはありませんし、壊れているような所もありません。演奏者が弾いて音が気に入れば既に良い楽器です。100万円の見事に作られた楽器より音が良いかもしれません。我々職人からすると低く評価される楽器ですが演奏家では全く違う評価がなされます。それ以上の品質は見た目の問題なのです。


値段が品質に比例するなら、調度品のように見事な楽器が欲しいという人は高い楽器を選ぶべきです。しかし必ずしもそうではありません。ストラディバリやデルジェズは品質が100万円のものより何百倍も優れているわけではありません。100万円のもののほうが品質が優れている場合もあります。

作者の知名度によって値段が決まっているのです。このヴァイオリンと同じような時代の同じような品質のものでも有名なイタリアの作者なら300万円するかもしれません。でも品質は50万円のものと変わりません。他の国の100万円のもののほうが品質が高く見事に作られています。もちろんイタリアにも高い品質の楽器を作る人がいます。それでも何かの肩書きやらコネ、もしくは安い卸値でないと高品質な楽器を作っていても日本の業者からは相手にされません。200万円より上は品質は関係なく名前で値段が決まると考えて良いと思います。

50万円のものでも100万円のものでも300万円のものでも音は弾いてみないとわかりません。どれも音響的には問題が無ければみな音が違うので演奏者が好きなものを選べば良いのです。300万円の値段がついているから音が良いということはありません。

音が気に入れば演奏者にとって最も得なのは50万円のものです。300万円のものを気に入るかもしれません、それは個人の好みです。300万円出すならもっと古い他の国のヴァイオリンも視野に入ってきます。絶対に古いが方が優れてるとは言えませんが、新しい楽器よりケタ違いによく鳴るものや違うタイプの音のものもあるでしょう。

さっきのヴァイオリンですがニスの塗り方を見てもまだらで汚いですね。職人からすると良いとは思いません。しかし演奏者が音を気に入れば良い楽器なのかもしれません。



しばらく前にチェロを買った人がいました。久しぶりに調整に来ていましたが、作者不明なので安く買われました。これがイタリアの作者だと特定されれば何倍もの値段になってしまいます。その人は「作者不明で良かった」と言っています。

初めから思い込みを持たないようにしてほしいものです。音だけで楽器を選ぶなら品質は最低限あれば十分です。高い品質の楽器を作れるのは腕の良い職人だけです。腕の良い職人のほうが数は少ないです。つまり、音だけで楽器を選ぶなら平凡な腕前の職人のものでも十分です。そうなると過去にさかのぼると無数にあります。どこのだれが作ったものに音が良いものがあるかは全く分かりません

「最低限の品質」が分かるようになるには職人でも優れた眼と経験が必要だと思います。耳に自信がない人は職人が品質を認めるものなら大外れはしないでしょう。

弦楽器がこういうものだということは普通に生きて来たら知ることが無いのも無理はありません。お客さんが悪いのではありません。弦楽器を販売する者が説明してこなかった責任です。

あとはご自由に判断してください。
こんにちは、ガリッポです。

ずっと仕事一筋で決まった趣味もなくやってきましたが、去年作業台を作って以来DIYや日曜大工に興味があります。勤め先も作業場が一新されたので道具を整理する必要があります。

木工だからヴァイオリン作りと同じだと思うかもしれませんが、かなり感覚が違うものです。木工職人の人に頼んで会社の設備を作ってもらっていますが、私がヴァイオリンを作っているところを見ると驚いています。

一方趣味で日曜大工やDIYをやっている人もいるかと思います。

端材を使ってこんなものを作ってみました。
全面はマグネットになっていて鉄の工具をくっつけられます。上にはやすりを立てておく板を置いてあります。こんなものでもきっちりと正確に作りすぎです。

材料が同じなので他の部分とマッチしていますが直線的すぎておもしろくありません。もっと古い納屋みたいな雰囲気のほうが味があって良いように思いますが・・・。隙間や段差もなく直角がきっちり出ていて、外から木ネジが見えないようになっています。

作業中たくさんの種類のノミややすりを使うと机の上が工具でいっぱいになってしまってどれがどれかわからなくなって探さないといけなくなってしまいますが、これは移動式になっていて机の上を整理しながら作業するために作りました。

実際そのような場面があり、思った以上に機能的でした。引き出しにしまってしまえば片づけることはできますが、すぐに手に取るわけにもいきません。その作業で必要な道具だけを出して手の届く位置にこれを置いてくっつければいいのです。機能的であり、片付いているという意味できれいです。

今は引き出しの中に入れる箱を作ろうと思っています。
箱を量産できるようになれば引き出しも作れるようになれるでしょう。ヴァイオリン職人でももちろん作ることはできますよ。ただヴァイオリン作りの感覚で行ったら時間がかかってしょうがないのです。そして何百年ももつような丈夫なものを作ってしまってオーバークオリティなのです。本来なら向上心を持つべきところですが、いかに最低限にするかというのがテーマになります。
箱は釘で留めようかと思っています。釘なんて使ったことがありません。

電動工具などもあまり使わないので知らないことばかりです。謙虚に学ばなければいけません。しかし日曜大工となると木工家とは目指すものが違います。気楽に適当にやるのが私には新鮮です。油断するとすぐに凝り始めてしまいます。



前回は個性の話をしていましたが、現実に楽器を買う場合は弾いてみてしっくりくるものを選べば個性などはどうでも良い問題だと思います。たとえばハンマーなどを私は使いますが、これは人類の工具の中でも最も古いものです。使いやすいものというのがあって、別に高価である必要もなく、変わった技術や特別な作者である必要もありません。適当な重さと形状によって手になじんで使いやすいものが良いのです。大工さんなどが使うものは私には大きすぎます。小さくてある程度重さがあって持った時にバランスの良いものです。どちらかというと弓に近いのかもしれません。小さい割に重さがあるというと頭の部分は細長い方が良いです。柄の長さも重要です。時計職人なら専用の小さなハンマーがあるし、パチンコの釘士なら専用のハンマーがあります。

同じように弦楽器も歴史があって変わったものでなくても道具として機能して、値段と質が見合っていれば愛用品として十分でしょう。

オールドの頃の職人は他の人とは違う個性的なものを作ろうとしていたというよりは、ただ決まりが無かったから違うものができていたということです。品質を一定にしようとか、売り手の基準に合致しようとかそんな近代的な考え方は無かっただけです。

今は絵画教室みたいなところに行けば「個性」「個性」で基礎的なことを何も教えてもらえません。「自由に発想し自分の思ったように作りなさい」と教えているだろうというのは生徒の作品を見ていればわかります。その結果、「絵画教室の生徒の描くような絵」になっています。画家が職人だったころの絵とは色彩が違います。画材屋で売れ筋の画材の色彩です。先生もそのような絵の描き方を知りません。自由主義です。音楽を絵画に置き換えれば、楽器は絵具のようなものです。

もう一つは工業製品を買う時に、特徴があるほうが選びやすいということです。テレビショッピングを見ればわかりやすい特徴があるものを売っています。「ごく普通の姿をしていて質の良いもの」なんてのは売られていません。そのようなものは儲からないのです。

このように考えると個性を重視するという考え方自体がそんなに古いものではないと言えます。特に戦後1950年以降広まった考え方ではないでしょうか?

19世紀、20世紀に作られてきた弦楽器は19世紀的な「古典主義」の考え方でフォーマルで形式を重んじるクラシック音楽の愛好家層にピッタリのものだったと思います。近代や現代にはたくさんの楽器が作られてみな音は違うので試してみてしっくりくるものを選び、職人に見てもらえば職人にだけ分かるような小さな特徴を教えてくれるでしょう。機能性で楽器を選んでおいて後で小さな個性を教わって愛着を持てば良いと思います。変わったものが作られていないなら危ない橋を渡って珍しいものを探す必要はありません。


それに対してギターなどポピュラー音楽の世界では1950年代以降、戦前までの形式を重んじたお金持ちの文化を打ち壊すことに目覚めたのです。「個性」とか「自由」というようなワードが叫ばれます。ただ同じジャンルの音楽はみな似ているように思いますし、時代ごとに画一的な「流行」だったりします。
それはともかく、バンドなどをやっていた人からすれば当たり前のことも弦楽器の世界では無いのです。


私も別に個性的なものを作るということはそれほど重要なことだと思っていません。「自分独自の表現が大事」という考えを今の人が持っているとしたらそれは今の時代の考え方にすぎません。私はもっと何百年という単位で物を見ています。オールドの作者のいた時代、バロックや古典派の時代の音楽はどれもそっくりです。一部の作曲家だけが知られているのですが同じ時代なら実はポルトガルからロシアまでそっくりです。アリアーガという作曲家はスペインのモーツァルトと呼ばれています。モーツァルトによく似た曲を作った人が他の国にもいたのです。当時ヨーロッパで一般的だった曲を作っただけです。同じような曲を作ったたくさんの作曲家のうちモーツァルトだけが有名になったのですが、クラシックファンはそのような曲をモーツァルトの個性だと思い込んでいます。

同じ時代の音楽のスペシャリストなら違いも分かるでしょうが、少なくとも共通するノリがあったので初演で初めて聞いた曲でも一般の聴衆がついて行けたのでしょう。もし個性が重要で誰も聞いたことのない音楽を作ることが至上命題なら演奏してもみなポカーンとしてしまうでしょう。文化というのはそういうものだと思います。
現代の個性という考え方はプロモーション戦略によって植えつけられたビジネスの論理かもしれません。そのようなビジネスの重鎮が審査する側になってウンチクを言ったりするのです。特徴が分かりやすい商品が売れるという商品価値にとっての重要性です。その人にとっては商売を成功するために苦労して身に着けた価値観です。


そうだとしたうえで、物を作ることをやりたくてヴァイオリン職人になったのに、決められた方法でしか作ってはいけないというのはつまらないものです。物を作る楽しさです。やり方を変えて工夫すること自体が面白いし、自分のイメージの雰囲気、イメージする音に近づけたときの喜びは何物にも代えられません。それに対して頑なに同じやり方を守る職人は「自分は正式な方法で作っているので正しい」と自らの正当性を主張するばかりに思えてならないです。そのほうが専門家として確固たる自信を持ち確からしい知識を語ることができます。・・・でもそれで楽しいのでしょうか?
後輩や入門者に対して優越感を持つことが喜びの「先輩面」する人がいます。数か月は先輩として立場を保てますが、すぐに実力がバレてしまいまた次の新人を必要とします。数か月要するのならお客さんにはバレることは無いでしょう。やたら教えたがる人には気をつけましょう。

19世紀的なフォーマルな文化がまだまだ生き残っているヴァイオリン業界ですが、ユーザーの感覚からは離れていると思います。「これが正式なヴァイオリンだから使いなさい」というのではなくて、味わいや趣きを感じられるような楽器を作っていきたいと思っています。未来の楽器を作る人もいて良いと思いますが現実的には難しいでしょう、流行に終わるリスクが高いです。モーターショーなどで作られる「未来カー」というのは100年も前から作られています。金魚鉢を逆さにしたようなガラスのキャビンになっていて今見ると「昔の未来」に見えます。未来のヴァイオリンを作っても数十年後には「昔の未来」となってしまうでしょう。買い替え需要を喚起するために100年ほど前にアメリカのゼネラルモーターズによって考案された戦略です。弦楽器もサポートを終了して10年ごとに買い替えてもらえればそりゃあ楽器がたくさん売れて儲かるわけですが。それに人生を捧げる気にはなれません。

10年後に「あれは嘘でした」と平気でいられなければ社会人失格です。


私は過去の世界の豊かさに魅了されています。今の時代に合わせようという気はありませんが接点が見いだせる場合もあるでしょう。

過去と同じだから正しいと主張しているわけでもありません。味わいに魅了されるかどうかです。アンティーク塗装などはオールドの人はやっていないわけですから、新品として作るほうが「正しい」です。でも、実際古い楽器に魅了されるのはその古さも非常に重要な要素です。当時の新品の状態を復元しようとしたこともありますが、魅力的なものとはなりませんでした。

私は根本的に人間というのは何もかも理解できる立派なものではないと考えています。理屈なんてものは話半分にしか信じません。

板の厚みの作業

現代では学校や弟子に教えるのに都合が良いように板の厚みを図面に表して見せます。天気図の気圧や地図の標高のように板の厚みを線やエリアで示せばわかりやすいです。

専門家や指導者としての責任感もあり、よりカッコイイ図面を作ろうとしてしまいます。グラデーション理論なんてのはまさにそれです。右側の図では規則性が無いためつかみどころがないのに対して、左側は整然としているのでカッコイイです。さも「音が良い秘密」を分かったような気になります。
グラデーションというのは左のように駒の位置を中心として周辺に行くにしたがって板が薄くなっていく図です。その通りに加工するわけですがついうっかり削りすぎてしまって失敗ということがあります。今度は慎重になっていきます。何世代も繰り返していくうちに板が徐々に厚くなっていきます。これはかなり簡単な図ですが、もっと細かくたとえば0.2mm刻みの図でやる人もいます。すごく細かくやっているのでより「精密」です。前回の話でもありますが初心者や素人は精密であるほどすごいという印象を受けます。

それに対して実際のオールド楽器は右のように「適当」に作ってあります。これはストラディバリの極めて状態の良い楽器のものです。天気図や地形図のようにしたらあまりにも不規則で、作るごとに毎回バラバラですが、それを法則化したものは「ストラディバリの秘密」というサッコーニの本にも書いてあります。法則化している時点でストラディバリと同じではありません、サッコーニの図に寸分違わぬように加工したところでストラディバリと一緒ではありません、そのようなものが流派ごとにあります。そのためきちんと教えを守っている「まじめな楽器」が意外と音が悪くて不真面目な職人の楽器の音が良いこともよくあります。だから弾いてみないと楽器の音は分からないと言っています。

左のような図面を見せて生徒や弟子に作らせて、できたと言って持って来たら厚みを測って図と違うところがあれば「これを見ろ、ダメじゃないか」と怒られるわけです。右のようなものを持ってきてもよくわかりません。厳しく指導する師匠も実際には何もわかっていないのです。
右の図では真ん中あたりが2.1mmと薄くなっています。今の職人ならこれは薄くなりすぎて失敗だと考えるでしょう。真ん中には駒や魂柱など力のかかるところがあり、壊れたりしやすいです。もっと厚めにしておいた方が良いのではと考えるわけです。周辺を薄く真ん中を厚くするのは良いとしてその中間は?となるのですが、階段のようにすると目立ってしまって「これでいいのかな?」と自信が無いのでなだらかにしましょうと考えます。バスバーも付けられません。そんなことで「真ん中から周りに行くにしたがって徐々に薄くするべき」と考えるわけです。ところが周辺を2.5mmで真ん中を2.8mmとすると0.3mmしか差が無いので左図のようにするのは無理です。1mm以上差をもうけないと図のようにできません。この結果かなり厚い板の表板になって明るい音になります。グラデーション自体がいけないのではなく理屈を作ってやろうとすると厚くなりすぎてしまうことが問題です。厚くなりすぎなければ悪いことではありません。しかし全部が薄いものと比べれば明るい音になります

この図に対して削りすぎるミスの一つも無いようにしようと思ったらとても慎重に作業をする必要があります。
駅のホームでは電車が来ると「線の内側にお下がりください」とアナウンスされます。電車とぶつからない「安全な距離」を取るためです。これと同じでヴァイオリン作りの作業する場合、加工を初めていきなりその寸法にするのではなく「安全な距離」を保ちながら加工していきます。たとえば日曜大工なら寸法で線を引いてその通りにのこぎりで切りますが、ヴァイオリン職人では線よりも少し大きめに切ります。それからカンナなどで面を正確に加工しながら決められた寸法に完全にピッタリに加工します。大きめに切るのが「安全な距離」です。失敗しやすい所では安全な距離を大きめにとります。初心者は正確に「安全な距離」に加工するのも難しいです。失敗して安全な距離を割ってしまわないように「安全な距離までの安全な距離」に加工します。失敗しないためにはさらにその安全な距離というわけです。マメに測定し、わずかに削ったらまた測定するということを繰り返せば失敗の危険を減らすことができます。こうやって作れば学生でも先生と変わらない音の楽器ができます。チェロなどは製作学校の生徒が作ったものでも生産効率なんて考えていないので産業として作られたものよりもずっと上等なものです。

しかし時間がべらぼうにかかってしまい、そのような作業の仕方で嫌になって途中で投げ出すと厚すぎる板の楽器が作られます。機械が発達する前の量産品ではこのようなものが多くあります。日本向けに輸出するなら外観だけできていればあとは知らないというイタリアの職人もいることでしょう。こういうのは粗悪品です。厚い板のほうが音が良いみたいな理屈があると自分を正当化するのに都合が良いです。


それに対して私はザックリと行きます。
ドリルなどで図面にしたがって決まった深さの穴をあけて厚みの目安にする人もいますが、慣れてくるとフリーハンドでも厚みがつかめるようになってきます。


その割にはそんなに穴ぼこも開いていませんし、削り残しもないです。
古い楽器に比べると整いすぎているようにも思えます。
しかし今回は「暗い音」が注文主の希望なので厚すぎる部分を残してはまずいです。先ほどのストラディバリの図では周辺部分にかなり削り残しがあります。何百年もすれば木が柔らかくなってどうでもいい差ですが、まだ木がしっかりしている新作で暗い音の楽器を作るのは特別気を使います。

何となくグラデーションっぽくなっているようにも見えるかもしれませんが今回は最低限の厚みで強度を得るためのものです。裏板などは2.5mm以下の部分の面積がとても広いです。さっきの図をよく見てください、グラデーション理論というのはもっと均等なもので2.5mm以下の部分ばかりが広くなってはいけません。中央は十分な厚さを持たせてそこから急に薄くなって、広い範囲が薄くなっているのです。このような厚みは1600年代のクレモナ派の楽器にはよく見られるものです。デルジェズはもうちょっと厚いものが多いです。

表板はどこもかしこも2.0~2.5の間で中央特に魂柱のところだけ少し厚くなっています。厚みは先ほどのグラデーションの図に比べるとはるかに薄くなっています。センターの合わせ目のところが少し厚くなるのはアーチの形状が三角にとがっているからです。

このデルジェズは1737年のキングジョセフというものを依頼主が選んでコピーを作っています。しかし板の厚みはオリジナルの通りに作って出来立てですぐに暗い音になる自信が無いので私の経験によって厚みを設計しました。前に作ったピエトロ・グァルネリと同じ寸法です。当然同じ家の楽器ですから全く当時のスタイルとして有り得ないものではありません。ただし「寸分違わないコピー」ということではありません。
本来なら板の厚みも含めてコピーする楽器を選ぶべきです。しかしなぜかいつも私がいないところで師匠とお客さんの間で話が進んでいるのです。師匠にはこのような板の厚みは難しくて理解できないところです。

その方が望んでいるのは音なのでオリジナルと違っても私は構わないと思います。師匠は「寸分違わぬように作りました。」と説明することでしょう。これがうまく行けば他のお客さんにも同じように説明します。実際に作業に当たった私は「オリジナルとは違って私のアレンジが入っています」と考えていますが、そんなことは現場の人のみが知る「細かいこと」にすぎません。零細企業でこの程度ですから、大企業で広告代理店の作った広告と商品の製作意図が全く違うことはよくあります。本来ならいい加減な商品を真面目そうな人が宣伝することで信用を得るわけですが、最近は日本に帰ると変なキャラクターの演じる広告で会社の人たちが積み重ねてきた誠実さが台無しになってしまうようなことがよくあって現場の人たちを気の毒に思います。

「オリジナルのデルジェズと寸分違わぬように作ったから音が良い」という文句なら師匠やお客さんにも分かりやすいので理解できるというわけです。ちなみにお客さんは博士号を持っている学者だそうです。
実際はそんなに単純なものではありません。しかしこの人は話してみると楽器オタクのような人では無い様子です。演奏するのが好きで音に満足することの方が重要でしょう。任せてもらえれば希望通りの音にするというのが私が考えるプロフェッショナルだと思います。イメージと違っても「この方が良いな」と思ってもらえるのもプロの仕事でしょう。その先を行くというのも専門家としての役割だと思います。理想です。


材質の柔らかさ

厚みの数字を見てもチンプンカンプンかもしれませんが楽譜を読むようなものです。数字が全てではなくその間を読むのです。具体的な数字にこだわるのではなく多くの楽器を調べた結果イメージができてくるのです。私はアバウトな様でいてデータに基づいています。多くのデータに接していることでアバウトに理解できるようになるのです。これが師匠から教わった寸法だけを最善と信じているのならそれに対して0.1mmでも誤差が無いように努力することでしょう。他の楽器など測りもしません。

今回は裏板に板目板を使いました。板目板は通常とは90°向きが違います。厚みが出来上がった裏板を持って少し曲げてみると驚くほど柔らかいです。これはもう癖になっていて板を持てば半ば自動的に柔らかさを感じています。古い楽器がフニャフニャというのはそのような経験に基づいています。材質が柔らかい上に板が薄いのでとても柔らかいです。過去に作ったピエトロ・グァルネリのコピーでもそうですし、アマティコピーのビオラでもそうです。これらは私が作った中でも特別「暗い音」がしたのでこれで良いと思います。

表板の方は木目がとても細かいものです。普通は木目が細かいと材質が柔らかくて密度が低い(=軽い)ものが多いです。音も繊細できめ細かく柔らかい音になります。
しかし今回のものは細かい木目なのに硬い珍しいものです。表板は持ってみるとかなり硬い気がします。そのため暗い音にするためには削り残しは禁物です。硬い木では明るい音になり低音は引き締まるからです。そのため十分に薄くする必要があるでしょう。圧倒的に薄ければさすがに暗い音になります。硬い木のメリットは張りのある強めの音になることです。それは生かせたらと思います。明るくて強い音なら新作臭い音になってしまいます。柔らかい裏板とのコンビネーションでどうなるかです。注文主はかなりの腕前の人なので初心者用にする必要はないと思います。
古い楽器は表板もフニャフニャになっていますが、そのあたりはうまくバランスを取ることで希望する音に持って行ければと思います。その方は古い楽器の音にして欲しいというわけではありません。自分の望む音にしてもらいたいだけです。

今回の依頼は自分が持っているフランスのモダン楽器の音が荒々しいということでもうちょっと繊細な音のものを欲しいということです。音色は深い暗い音が好みです。しかし音が弱すぎるのもダメだそうです。私が過去に作った楽器を試してもらいました。全く方向性が違うなら注文はしないと思います。営業成績を上げるだけなら何でも売ってしまえば良いですが、両者が幸せになるにはミスマッチのリスクは低減する必要があります。

根本的に私が作る楽器の音は柔らかいものです。理由はわかりません。しかし柔らかすぎても希望にはそぐえません。かと言って鋭い音にする手段も分かりません。ネックの角度をきつめに入れるとか、強い張力の弦を張るとかそれくらいしか考えられません。エヴァピラッチのストロングなどはうちで以前作った楽器に張って金属的な音になった経験があります。基本的にそのような弦は明るい音のものが多いです。そのあたりは買った後でユーザーがいろいろ試してみる必要があります。選択の幅を広げるためにも、それをものともしない暗い音の楽器を作っておくべきです。

新作で暗い音の楽器を作るためには板の厚さがとても重要な役割を果たします。演奏者の感覚からすれば私が言っているようなことはかなり大ざっぱな傾向かもしれません。どの弦のどの音がどうとかそんなレベルで何かするのは無理です。分からないことの方が多いのです。