ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -32ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちは、ガリッポです。

9月になって急に涼しくなってきました。
朝は10℃程度でコートを着ている人もいますが、日中は20℃を超えTシャツで十分です。気温の数字からすると東京よりずっと寒いように思えますが体感温度ではそんなに寒くありません。測定方法が違うのではないかと思うほどです。冬でも数字よりも5℃は暖かく感じます。
おそらく室内の温度が原因で夜でも25℃以上あって体が暖まっているので10℃程度でもTシャツで出勤する日もあります。


私はよく板の厚さについて話をしています。
現代では板を厚めにする傾向があり、ヴァイオリン製作を学ぶとそれが正しいと教わります。それでは現代の楽器はすべて厚いかと言えばそうではありません。教えを守らない人もいるからです。
オールド楽器の板が薄いことは修理などをしていれば「またか」と思うほど経験することですが、モダン楽器もフランスの19世紀のものは薄いです。結果としてそれで良い音がしているので作ってはいけないというようなものではないはずです。音は好みなので厚めのほうが好きという人もいるでしょう。薄めのほうが好きという人も否定できません。

現代の楽器でもとても薄いものがありました。私が作るよりも薄いものです。
板が薄い場合に問題となるのは弦の力に耐えられないということです。

これですが、表板がわずかに陥没しているように見えます。作られて10年以上使われているようですがメンテナンスを何もせずに使っていたようです。
駒と魂柱を交換しました。ニスはアンティーク塗装でしたが体が触れる部分はニスがはげ落ちていましたので補っておきました。

指板は指の跡がつくくらい摩耗していましたので、削りなおしました。抑えやすくなるはずです。
弦も新しいトマスティクのペーターインフェルトに変えました。E戦にはピラストロのNo.1です。

板が薄いせいか新しくした魂柱は1㎜近く長いものになりました。裏板が変形して緩くなるからです。短すぎる魂柱を使い続ける事も表板が陥没する原因です。

こちらは1925年にベルリンで作られたユングマンのヴァイオリンです。これも薄い厚さで作られていますがこの通りです。全く陥没していません。フランス風の作風でフランスの楽器の特徴でもありますが、駒のところを頂点にした三角のアーチになっています。
これが現代のものは台地状になっているのです。ユングマンの表板の中央は2.5㎜程度ですが全く問題がありません。

弦の圧力に耐えるには板の厚みだけでなくアーチの膨らみが重要です。オーバーに図で示すとBが三角のアーチでAが台地状のものです。
これは縦方向の図ですが横方向も同様です。

高いアーチのほうが強度が高くなるはずですが、高いアーチの楽器では駒の足のところだけがめり込んで凹んでしまいます。これはどの楽器でも間違いなく起きることです。フラットの楽器のほうが力が全体にかかるので問題は少ないです。高いアーチで問題があると陥没もひどいものです。

アーチを作るときに立体を見てイメージする力(=造形力)が無いと周辺の厚みさえ出れば完成だと思ってしまいます。

私はアーチが変形するのは当たり前のことであり、弦の力が馴染んできた証拠だと思います。力のバランスがとれるように変形してくるのです。ある所で止まればバランスが取れているということになります。これがいつまでも変形を続けるようならば危険です。いずれダメになってしまいます。

音は変形すると必ず悪くなるということは無くケースバイケースです。変形した楽器でも音が気に入っているのなら特に問題はないということです。

現代の職人がアーチを作るときによく使うのは「等高線引き」という道具です。これは地図や天気図の等高線のようにアーチの高低をアーチの面に描くことができる器具です。私が使わないので写真などが無くて申し訳ありません。
これを使うとアーチの高低が左右を対称であるかをチェックすることができます。師匠が見て左右が違っているとなれば「だめだ。」と言われるわけです。左右が対称になったところで「よし完成。」ということになります。
左右対称であることが見事なアーチだということです。せっかく完璧に作ったアーチが変形してほしくないので板は厚めにしたくなったとしてもおかしくはありません。

それに対してオールド楽器では表板ならバスバーのほうが下がっていますので左右は非対称になっています。裏板は魂柱のほうが高くなっています。

私が等高線引きを使わないのは見た目の感じで形をとらえてざっくりとノミでアーチを削っていき大体左右対称にできていれば良いと考えているからです。
一般的には小さなカンナを使用するのですが、仕上げに近くなるほど立体感が見えなくなります。目で見てわからないので器具を使って測るわけです。
私に言わせれば器具に頼っているから立体が見えるようにならないのですが・・・。器具を使えば師匠は弟子の仕事の欠点を指摘することができます。現代の楽器製作では欠点が無いということが重要視されています。

楽器としてみると欠点の無さが重要ではなくてアーチが駒を支えられるような形になっていなくてはいけません。それは全体的な造形の話です。現代は平らなアーチが多いので教科書通り作られた楽器では問題は多くありません。
しかし独学の様な作者や立体感を感じる能力が極端に足りないと問題のあるものがあります。立体感を感じられないということはデッサン力や造形力が無いということです。物を作る職人ならそういう能力を皆持っていると思うかもしれませんが、楽器を習っていたからと造形的な才能を全く持っていないのに職人になったという人もたくさんいます。楽器が売れるのは営業の能力ですから。
絵画の世界ならダ・ビンチやミケランジェロ、ラファエロなどが圧倒的な才能を持っています。それに対して当時絵画は才能の有無にかかわらず職人が世襲制でやっていました。才能はなくても絵の描き方を教わって練習することで製品としての絵を作り上げることができました。絵が下手でも職人としてやっていけたのです。そういう絵を我々は見る機会がありませんが、ヨーロッパの教会や地方の美術館に行けば絵が下手の人の描いた作品が山ほどあります。その中でずば抜けた人だけが芸術家として評価されました。

美術の世界では才能によって画家が評価されていますが、楽器製作の世界では必ずしもそうではありません。ストラディバリには芸術家としての並みはずれた才能が有ったのは間違いありませんが、そうでない職人の楽器も高価になっています。フランスの一流の職人も優れた才能が有ったと思います。そうじゃないのにずっと高価なイタリアの楽器がたくさんあります。楽器を求めるほうも音が重要であって美術品を買うわけではありません。基本を教わっていれば凡人程度の才能で十分音が良い楽器が作れます。ただしあまりにひどいと品質や耐久性が確保できません。そのような人に限って口が達者で立派な肩書などをそろえてメディアに取り上げられ高い値段で楽器をたくさん売っています。下取りに買い取っても売り物にならないので困ります。凡人程度の造形センスは必要です。
それに対して「天才の作品」と凡人の作った楽器を有り難がっているのは滑稽です。凡人が作ったものでも音が良い可能性はあります。天才という評判は嘘であり、音については弾いて見ないとわからないのです。弾く人によって音は違い、人によって好みも違います。


薄い板の楽器の音については「暗い音」がすると言ってきました。確かに修理を終えてみるといかにも現代の楽器というようなものに比べれば明るい音でありません。
でも私が作るものよりずっと薄いのにそこまで暗い音ではありませんでした。高音は鋭くやや耳障りな音があり、低音は柔らかく豊かなものでした。低音のボリューム感はさすがに板が薄いことが影響しているでしょう。
持ち主は音がとてもよくなったと喜んでいました。短すぎる魂柱では弱った音になっていたのかもしれません。

オールド楽器でも様々な音があり、これくらいの明るさのバランスのものはあると思います。そのためオールドイミテーションで作られた楽器としては雰囲気のあるものだと思います。


私が作れば高音は柔らかいものになりますが、この楽器ではやや鋭いものでした。特に板の厚みとは関係が無いと思います。板の薄いモダン楽器でも鋭い高音のものはよくあります。
低音が柔らかいのは板の薄さと関係がありそうです。極端に板の薄いビオラがありました。これは低音がフガフガしていました。あまり薄いと頼りない低音になってしまうかもしれません。
アーチが高いとぬけが良く枯れた味のある低音になることがよくあると思います。


薄い板の楽器を作るのはモダン楽器で研究しつくされた上で導き出された答えでしょう。しかし裏板の中央は薄すぎてはいけません。弦の力に耐えられないからです。フランスのヴァイオリンはそれ以外は薄くなっていています。アーチは低く平らであれば変な変形も少なく表板も駒のところがとがった「三角のアーチ」になっていることも耐久性に寄与しています。

ストラディバリを見ると裏板は三角のアーチなっているに対して、表板は上が平らになっているように見えます。「それがストラディバリの秘密だ!」と考えるかもしれません。しかし弦の力で凹んだと考えると作られたときはもう少し中央が高かったのかもしれません。
これについては謎があります。
はじめからそのように作ったのか、変形してそうなったのかが謎です。
裏と表が同じようなアーチのものもあるし、極端に違うものもあります。
意図的にそのようにしたのか、製作上の癖でそうなったのかもわかりません。感覚だけを頼りにフリーハンドでアーチを削りだしていくと表板と裏板では材質が違い、木目の感じも違います。そのあたりが影響しているのかもしれません。
本人に聞かない限り分からないでしょう。

ちなみにデルジェズは表も裏も三角のアーチになっているのが特徴です。いずれにしても駒のところが300年ほどの間に凹んできていることは間違いありません。作られたころはもう少し高かったはずです。新品で極端な台地状に作ると陥没の危険は高くなるでしょう。





板の厚みと音の関係に戻ると板が薄い方が低音が出やすくなるということは言えるでしょう。中音の響きが加わればそこまでは暗い音になりません。オールド楽器の中で明るい音というのはそのようなものだと思います。決して板の厚い新作のような明るさではありません。

それに対して中音の響きが抑えられれば暗い音になるでしょう。
全体として見れば板が薄い方が暗い音になる傾向があると言えると思います。
安価な量産品の場合には違う理由で響きが抑えられて暗い音になることもあると思います。

厚い板の新しい楽器の音を離れて聞いていると「硬いなぁ」という感じがします。それは音が鋭いのではなくて楽器が固い感じがします。オールドやモダンの名器とは全く違いますが、アマチュアなら音が出しやすいかもしれません。
ヴァイオリンでは名器は柔らかさを感じます。基本的に小さな楽器なので柔軟性があるほうが窮屈にならないのでスケールの大きな楽器となるでしょう。
チェロの場合には柔らかすぎることはデメリットにもなります。外骨格の構造なので強度不足になって反発力が無くなってしまうでしょう。古い楽器ではレスポンスが鈍かったり強い音が出ないこともあります。


オールド楽器なら板が厚めでも木が古くなっていることで柔らかくなっています。新作楽器なら板が厚ければ間違いなく強度が高いでしょう。
一般的な工業製品であれば分厚く丈夫に作られていることは高級品の証です。楽器職人も木工製品として高級品を作ろうとするなら自然と板が厚いものが高級品だと思い込んでいます。家具でもそのような高級品はずっしりと重く重厚感があります。軽いと安物という感じがします。このように分厚く作れば飾っておくのにふさわしい立派な高級品ができます。

しかし実用品だと考えると新作楽器で板が厚すぎるものはとても厳しいです。「板を薄くすればよく鳴る」というのは普通に思いつくアイデアです。それを素直にやれば良い結果が得られます。
実際には必ずしもよく鳴るというものでありません。しかし難しいアイデアではないのでどこの流派にも量産品にもたまに薄い板の楽器があります。私はそういうものを見つけると「これは良いぞ」と感じます。
うちでは暗い音の楽器が好まれるからです。特にビオラでは有利です。

それに対して職人は板を厚くしたいという衝動にかられます。
頑丈なものが高級品だという価値観やせっかく作ったアーチを変形させたくないとか、板を薄くする作業がめんどくさいとか、重厚感が音の重厚感につながるという思い込み・・・中でも壊れてしまわないか心配だというのが一番でしょう。
それに対して厚い板を正当化する様々な理屈が考え出されます。立派な師匠によって弟子たちに教えられることもあります。中には「薄い板にしたら良いんじゃないか?」と素直に考える職人もいることでしょう。しきたりについて不真面目なら試してみるでしょう。大胆な職人の楽器の音が良いということもあります。


私のところでは特にトラブルはありませんが、日本のような高温多湿であれば木材には厳しい条件です。何かトラブルを経験すれば弟子に丈夫に作るように教えるかもしれません。

新しく作られた楽器では変形して落ち着くまで期間があります。まめに点検してもらう必要があるでしょう。今回の楽器ではぎりぎりセーフくらいでしょうか?どこまで薄くできるのか経験が必要です。正解だけを知っているのは知識としては浅いものです。失敗を経験してつかんだのが確かな知識なのです。

こうやると音が悪くなるからやってはいけないと師匠から教わります。オールド楽器を見てみるとそのように作ってあります。どっちが正しいのでしょうか?
やってみるしかありません。

また学術として知識を得たいなら、音が悪くなると言われていることが本当なのか試してみる必要があります。しかし失敗作を作っていたら何か月もタダ働きとなり職人は破産してしまいます。誰もやったことが無い知識が独り歩きしてきたのです。楽器店の営業マンは手持ちの楽器を売るのに有利な情報を集めてきました。

安価な楽器がなぜそのような音がするかを知るためには、その楽器と同じものを作ってみることです。普通は高い楽器に似たものを作って高く売ろうとするので、安物の楽器そっくりのものを作るなんてことはことは私以外は考えもつきません。さすがに私もやったことはありません。誰もやったことが無いので安価な楽器がなぜそのような音がするか本当のところは誰も知りません。

おそらく私が安価な楽器のコピーを作っても同じ音にはならず謎は深まるばかりでしょう。そうなると色々変えていくつも安い楽器のコピーに取り組む必要があります。破産してしまいます。






こんにちは、ガリッポです。

前回は何千万円のヴァイオリンでほとんどの人には関係のない世界の話でした。
それ以前には100年ほど前に都市で造られたものは、大きな産地で作られたものに比べても価値が高いということを紹介しました。同じ作者でもアンティーク塗装がなされたもののほうがずっと値段高いくらいです。それに対して同じドイツでもマルクノイキルヒェンなどの大量生産の産地でアンティーク塗装をされたものはいわゆる「ニセモノ」として楽器の価値よりも修理代のほうが高くつく場合のほうが多いです。
都市のヴァイオリン職人は大規模な生産体制を持っておらず大量生産品ではないとみなされます。これらを見分けるには「品質」を分かることが重要です。中にはマルクノイキルヒェンで作られたものに自分の名前のラベルを貼って売った人もいます。品質の差を見分けることが重要です。ラッカーのニスが塗られていることも重要なポイントです。
偽造ラベルはどんな楽器でもあり得ます。私の勤め先の楽器でもニセモノが出回っていて「ニセモノだ」と鑑定することがあります。もちろんマイナーであるほどニセモノのリスクは低く、品質が高ければおそらく本物だろうとみなせます。ニセモノだとしても値段が変わらないからです。だから品質が重要なのです。

逆に安物のイメージが強い産地でも品質の高い上等な楽器はあります。音響的にもわかっている職人がいました。イメージの分値段が安いならお買い得です。

やはり値段はイメージによるところが大きいです。都市のヴァイオリン職人でディーラーを兼ねていると名器に精通しているというイメージを持ちます。実際には名器からフィードバックを受けて自作の楽器に影響があるケースは限られています。職人は「絵描き歌」のように作り方の手順を学ぶからです。偉い師匠に教わった作り方はそれ自体が信仰の対象のようなものです。ヨーロッパ人特有の立派な理屈で「音が良い秘密」を語るとまじめな職人はみな信じてしまいます。

このように人は信念を持っているので目の前に音が良い楽器があってもそこからは何も学ばないのが普通です。例外的にそのような楽器もあるということは個人の資質なので、どこの国のどこの街の人にあるのかはわかりません。

オールド楽器を目にしていてもいざ自分が楽器を作るときには全く別の種目の競技となります。自分の生きている時代のルールで腕前が競い合われます。現代の競争にはまってしまうとオールド楽器を見ても自分が作るときには全然違うものになってしまいます。

とはいえ19世紀のモダン楽器はそれ自体が優れたものであり、フランスで組織的に改良がおこなわれたものです。それに近いものであれば十分実用的に優れた楽器です。19世紀、20世紀初めに最先端とされていたのはフランスのモダン楽器です。フランス以外でも都市の職人たちはいち早くフランス風の楽器作りを目指しました。19世紀の早い時期にモダン楽器が作られています。都会の情報の速さというものです。モダンの名器についても田舎の産地では見たこともないという労働者が多いのです。
都市のヴァイオリン職人が作っていたのは優れたモダンヴァイオリンです。多くの場合、値段はイタリアの新作楽器と変わらないかそれ以下なので、演奏の腕が確かな人が選ぶのがどちらかは目に見えています。


それに対して、「下手くそな職人」がはるかに多くいます。過去に作られたものやお手本よりはるかに低いクオリティで満足してしまう人です。現代の楽器として一流の腕前でもなく、オールド楽器の特徴も理解していません。
しかし、大胆な仕事が良い方に働いて立派な理屈を言う偉い師匠の楽器より音は良いかもしれません。
このような楽器もすべて除外することはできません。

19世紀~20世紀初めのフランスやドイツであれば「正解」が決まっていてその通り高い品質で作ってあれば一流の職人、仕事が甘ければ2流以下と分けることができました。現代では民主主義の自由な社会なので、過去の優れたものに比べて下手くそでも、それを作ってはいけないと個人の権利を奪うことはできません。どんなものを作るもの自由なら、どんなものを買うのも自由です。

ハンドメイドの新作楽器が現代の生活水準から算出して150万円くらいだとすると、私が下手くそだと思う職人の楽器でも、150万円の評価額にすることができます。財産の価値として150万円になるのです。しかし誰も買わなければその楽器が150万円に変わることはありません。150万円という値段をつけても不当な値段ではないというだけです。

現代の職人ならその人が何らかの意図をもって作っているかもしれないので尊重して品質が劣るからと言って自動的に安い評価額にするということはできません。絵画教室に行っても現代の教育を受けた先生は「絵は自由に描くものだ」というのが主流でしょう。ダ・ビンチのような絵は描かなくてもいいのです。「落書きのような」現代作品もあります。同様に過去の名器をお手本として作らなくても良いのです。現代は個性や自由というのが芸術の世界では主流です。「子供のような自由な発想で…」でなんて言いますが、子供の描く絵はみなそっくりで、他の子供が描く絵を見て同じような絵を描くのだと私は思いますが、お手本を見せることを良しとしないのは今では主流です。ヴァイオリンでもお手本なんて見ないで自由に作るべきだという考えがあってもおかしくありません。私はお手本をよく見ないで作らている楽器は同じようなものをよく見るような気がしますが職人によって考え方は違います。理屈でなら立派なことが言えます。
19世紀まではそうではありませんでした。今の考え方にすぎません。

ヴァイオリンというのは有価証券や貴金属と違って、その楽器を気に入った人が買うので、その人が現れるまでは一円にもなりません。20年間誰も興味を示さなかった楽器が突然「運命の愛器」となることもあります。



問題は自分の考えと合わないものを買ってしまうことだと思います。
中国製のスニーカーで10万円を超えるものがあります。多くの人は中国製のスニーカーに10万円も出したいとは思わないでしょう。しかし何らかの理由で買う人もいるのです。
マラソン大会に出たいのでそれを買えばタイムが縮んだり、けがを防いだりできるかといえばそういうことではありません。
「高級ブランドのスニーカー」が欲しいという人のために作られているのであればミスマッチです。高級ブランドを維持するにはプロモーションのような戦略が重要です。中国で安く作ったものに多額の広告宣伝費をかけて高い値段で売るものです。そのようなビジネスを成功させたデザイナーは多額の報酬で移籍します。投資以上の成果が約束されるからです。業界はそれが生み出す利益の恩恵を受けようともてはやします。大物デザイナーが手掛けているということで有名になり持っていることが自慢となるのです。
そうではなくて本当にデザインや使用感が自分の好みに合っていて10万円出しても欲しいという人もいるかもしれません。お金が余りすぎていて使い道が無くて困っている人もいるかもしれません。他人がどうこう言うものではありません。

ある人にとっては10万円の価値が十分あるのですが、マラソン大会に履いていくために作られているわけではありません。有名で高価だからとそれ以外を検討しないのはミスマッチを生む原因です。

弦楽器の業界も同じようなものですが混同されています。
本当に自分が求めているものなのかどうか自分の考えを持つことです。私にも強制することはできません。
値段というのは万人にとって共通の尺度のように見えて、実は全くそうではないのです。

都市のヴァイオリン職人はクレモナ、クレモナと言ってきた日本の人にはなじみのないものかもしれません。音楽家からのフィードバックが生かされやすいのがメリットです。音については難しいですが、演奏しやすさについては差が出るところです。そういう意味では期待を持つかもしれません。しかしウィーンでは大量生産が行われていました。ラベルにパリと書かれた楽器も多くあります。ベルリンは東ドイツにあるのでマルクノイキルヒェンやチェコのシェーンバッハ出身の職人が多くいます。個々の楽器を見ることが重要なのです。














こんにちはガリッポです。

100年前のヴァイオリンは新作に比べて音が強いという話でした。
さっそくヨーロッパに滞在中の方が滞在先の店でミハエル・ドゥッチュを試して私の言っていることを実感されたそうです。
このようなメリットは中級者くらいまでの方に特に求められるもので、価格的にもそのようなものです。同じように弾いても大きな音が出るということです。


それに対して上級者になるとまた違ってきます。
上級者なら何を弾いても大きな音が出ます。楽器が固いと限界が来てそれ以上になりません。限界がずっと遠くにあるのが最高の名器だと思います。ただし初心者が弾いてもうまく鳴りません。

誰もが知っている名門オケを辞めて自分が指揮者やコンサートマスターとして活動している常連のお客さんがいます。
初めて店に来たときはアンサルド・ポッジ(1893~1984年)のヴァイオリンを持っていました。時流に疎い私でもそれが値上がりの著しいものだということ知っていました。
メンテナンスの仕事をしてよく観察しましたが、一人前の職人の楽器であることは間違いありません。しかしその値段ほど他の職人より優れているということは認められません。
1970年のものだったと思いますが、普通の現代の楽器の音だなと思いました。オールド楽器とは似ても似つかないものです。その人のお父さんが新作として購入したものです。

ポッジには不満を持っていて、ヨハン・バプティスタ・シュヴァイツァー(1780~1865年)がハンガリーで作ったヴァイオリンに買い換えました。シュヴァイツァーはウィーンで修行してハンガリーのブダペストで活躍したモダンの作者です。
南ドイツのオールド楽器の繊細さと当時ウィーンにあったであろうストラディバリなどのクレモナの楽器を合わせたようなモダン楽器でとても美しいものです。

音も柔らかくて美しいものです。最近はガット弦のピラストロ・パッシオーネを使っています。バロックや古典派などの時はE線に裸のガット弦を張っています。そうするとバロックヴァイオリンに近い感じになります。

値段は現時点でポッジが1500万円程度、シュバイツァーが600万円程度です。安い楽器にグレードアップしました。

美しい音であることは間違いないのですが、コンサートマスターという職業柄もうちょっと芯のしっかりした音のヴァイオリンが欲しいというのが最近の状況です。そこでヤコブ・シュタイナー(1619~1683年)を試してみました。
シュタイナーはふわっと柔らかいシュヴァイツァーに対して細く強い音です。まさに希望通りです。

ミディアムアーチのシュヴァイツァーに対してシュタイナーは高いアーチのものです。高いアーチのほうが音が締まって強く、低いアーチのほうがふわっと柔らかいものでした。よく職人でも高いアーチの楽器は柔らかい音だというイメージを持っている人がいますが、逆です。シュタイナーのほうが強い音です。優秀なモダン楽器よりも強い音なのですから新作よりも強い音でしょう。
私も現代では珍しく高いアーチのヴァイオリンをいくつも作った事があります。
演奏者から高いアーチのもののほうが「力強い音だ」と報告していただくことがあります。ヴァイオリン職人の教育で教わるのはアーチは平らなほど音量がある、高いアーチは音量が無いので作ってはいけないというものです。演奏者からの声は全く逆なのです。
シュタイナーは締まった強い音でも音の質自体は美しいもので金属的な耳障りな音では全くありません。

今度はアレサンドロ・ガリアーノ(1655~1732年)を試してみました。アレサンドロはガリアーノ家の初代で、これも高いアーチのものです。
ガリアーノはシュタイナーの締まった音とは違い、もっと豊かにのびのびと音が広がる感じです。これも耳障りな音はありませんが、シュヴァイツァーよりは芯があるそうです。聞いているとシュタイナーよりもずっと豊かにスケールが大きいです。

再びシュタイナーを弾いて見ると、引き締まった音で箱庭的なこじんまりとした感じがします。相対的にはいわゆる室内楽用という傾向です。
ガリアーノはとても素晴らしいと言っていました。

このように高価な名器は単なる骨とう品ではなく本当に優れたものです。


このシュタイナーは音大教授が使っていたもので、それ以前はジョバンニ・バティスタ・ロジェリ(ca.1670~1705年)を使っていました。ロジェリはルジエリと間違いやすいですが別人です。どちらも二コラ・アマティの弟子とされています。ロジェリはアマティ的な楽器を作った人ですが、シュタイナーのほうが気に入ったので買い替えたのです。今はベネツィアのピエトロ・グァルネリ(1695~1762年)を使っています。
この人の評価ではロジェリ<シュタイナー<ピエトロ・グァルネリの順番です。

シュタイナーは今の国名で言うとオーストリアになります。
イタリアのロジェリとガリアーノやピエトロ・グァルネリの間に入ってくるくらいの実力はあるということです。イタリアの楽器がダントツに優れているというようなものではありません。ポッジとシュヴァイツァーの話でもそうです。

いずれも作者の相場の上限の値段ですが、ロジェリが6000万円、シュタイナーが3000万円、ガリアーノが4000万円、ピエトロ・グァルネリが1億2000万円といったところです。
値段の順に音が良いということではなく、ストラディバリやグァルネリ・デルジェズとの関係が深いほど高価だと言えば間違っていないでしょう。
ストラディバリはニコラ・アマティの弟子だと考えられているのでロジェリは兄弟弟子にあたります。シュタイナーやガリアーノよりも高いわけです。シュタイナーはイタリアではなくドイツ系のイメージが強いので安めです。ガリアーノは諸説ありますがどこで修行したかはよくわかりません。私の個人的な印象ではアマティの影響が強いと思います。広くアマティ派だと思います。ストラディバリとの関連性が言われますが、ガリアーノ家の作風からはあまり類似性は感じられません。
ピエトロ・グァルネリはもちろんデルジェズと同じ「ガルネリウス」ですから作風はデルジェズと似ていなくてもトップクラスの値段になります。




シュタイナーとガリアーノを比べると、どちらも同じようなアーチの高さです。ピエトロ・グァルネリもそうです。左がシュタイナー右がガリアーノです。
シュタイナーとガリアーノだと私の印象としてはシュタイナーのほうが窮屈なアーチの構造になっているように思います。ガリアーノのほうがゆったりしているように思います。ピエトロ・グァルネリもそうです。

シュタイナーのほうが工芸品としてみると『良い仕事をしてますね』という感じです。細部まで注意を払って緻密に作られています。頭のライオンなんて見事なものです。ガリアーノのほうはかなり雑にアバウトに作ってあります。結果として何百年も経ったときにシュタイナーはタイトな音になっていて、ガリアーノは豊かな音になっています。

これが私が言っている「キャラクターの違い」です。
シュタイナーでも強い音はします。音が出にくく鳴らないということではありません。
しかし、上級者が弾くと、ある所でリミッターがかかってそれ以上になりません。それがガリアーノやピエトロ・グァルネリになればもっとスケールの大きな演奏ができるのです。初級者が弾いて強い音がするという次元ではありません。

アーチの構造によってシュタイナーが制限を受けているのだとしたら、もっとフラットなモダン楽器のほうが自由に板が振動して優れているんじゃないかと理屈ではなります。実際にはシュヴァイツァーは音が柔らかすぎるというわけです。他のモダン楽器ならまた違うのかもしれませんが、アーチの高さによってはっきりした手ごたえのある音があってシュタイナーだとタイトすぎる、ガリアーノならちょうど良いという微妙なところです。

シュタイナーは採寸して体にピッタリの仕立ての良いスーツのような美しさがあるのに対して、ガリアーノはダボダボの作業服のようなルーズな感じです。
動きやすくするために作業服はダボダボに作ってあるのです。ガリアーノの仕事のルーズさが結果としてうまく作用したのです。
シュタイナーもガリアーノもどこで修行したかは不明ですが、アマティの影響が強いことは間違いありません。きっちりきっちり作ったシュタイナーに対して、いい加減にルーズに作ったガリアーノの音が良いというわけです。

同じように弾いて大きな音がするということではなく、力のある演奏者が弾いた時に限界を露呈しないのがスケールの大きな楽器だと思います。初心者が弾いても限界までいかないのでうまく鳴りません。むしろ限界が近い楽器のほうが音が出しやすいです。


ストラディバリもアマティに比べると造形に自然さがあってルーズともつながります。デルジェズはもうルーズさには定評があります。


じゃあルーズに作ってある楽器が全部音が良いかと言うとそんなことは無いです。ガリアーノ家の楽器にはいい加減さが悪い方に出ているものもあります。アマティの基礎のうえで少しルーズなのです。

経験でも同じ師匠の弟子の中ではルーズな職人の楽器の音が良いことはあるように思います。評価は低かったりしますが音となると話は別です。
だから私は、凡人の作った楽器の音が良いということはありえると考えています。有名な師匠よりも下手くそな弟子のほうが音が良いということがあり得るのです。ただし全くの独学でとなると次元が違います。

いい加減すぎてもダメです。弦の力に耐えられないと楽器が持ちません。

だから普通に作ってあれば十分だと言っています。キャラクターには違いがあります。


一般論としてオールド楽器ではドイツのものは周囲が堀のような溝に囲まれた台地状の「四角いアーチ」になっています。これはシュタイナーの特徴を誇張したものです。それに対してイタリアのものは緩やかに膨らんでいます。

しかし実際にはドイツの楽器でもこんもりとしたものもあるし、ロジェリのようにイタリアのものでも窮屈なものがあります。最終的には個別の楽器を見る必要があります


私も高いアーチで作るとミディアムアーチのものより、はっきりした手ごたえや味のある音がします。窮屈すぎればシュタイナーのようになってしまうので、同じ高いアーチでもルーズなものを作るべきだと考えています。
しかし別の人が作った楽器だとミディアムアーチでもはっきりした手ごたえのある音になったりします。私がミディアムアーチで作るとシュヴァイツァーみたいに柔らかい感じになります。
それも聞く側からすれば素晴らしいのですが、今回の件ではコンサートマスターの仕事をするためにもうちょっと手ごたえが欲しいというのです。
ポピュラー音楽のコンサートでは自分の声がステージで聞こえるように、モニタースピーカーが歌手のほうにむけられています。よく足で踏みつけて歌っているのを見ます。
さらには動き回っても平気なように耳の型を取った特注のイヤホンをつけていたりします。

究極的に音が良いというのと仕事で使うのに適しているというのでまたちょっと違うのです。


悩みの種は音が良い楽器は値段が高すぎるのです。
現実的に買える楽器を探すとなるといろいろなものを試すしかありません。
演奏技量とともにステップアップしていくものでもあります。無理して高価な楽器を買っても良さが分からずに高いだけのものを買ってしまうかもしれません。

売れる楽器というのは初級者~中級者が弾いて強く感じられる楽器です。中級者でもヴァイオリン教室の先生くらいは十分できます。職人が自分で弾いて感じるのも同じです。
しかし究極的に音が良い楽器というのは数百年経ったときに上級者が弾いてどうなるかという話です。

その時にニスの材料が何だから音が良いとかそう次元ではないと思います。
楽器自体が持っている固有の音と音の空間での広がり方などを私はイメージして考えて作っています。

近代の楽器ではアーチが低いので窮屈になることはあまり多くありません。しかし独学のようなものがあってイタリアのモダン楽器やアメリカの楽器などで見たことがあります。
ヴァイオリンのモデルを設計するときに見よう見まねでやると幅が狭くなってしまうものです。ストラディバリモデルのモダンヴァイオリンはとても幅広いものです。これをイメージだけで設計すると思っていたよりも細くなってしまうのです。
フリーハンドでヴァイオリンの絵をかいてみると大抵細くなりますからやってみてください。

広い幅で美しい形にするのは難しいものです。幅がとても狭ければミディアムアーチでも窮屈になることがあります。


私は職人が楽器に与えられるのはキャラクターだと考えています。もともと持って生まれたものがあって名器へと成長していくのだと思います。


こんにちはガリッポです。

6月の猛暑に比べると涼しい日が続いています。
夏至が6月の終わりですから、季節風や海流の影響を受ける日本のほうが特殊なのかもしれません。
それでも8月は一般的にはバカンスに行く人が多いです。
街を歩いていたらアイスクリームを売る店に夏季休業の張り紙があって閉まっていました。
夏休みをとるのは他の業種ならわかるけども、アイス屋だけは理解できません。
ヨーロッパではアイスを売れる期間は短いですから。
夏休みの学生のアルバイトなどにピッタリのように思いますが。


私は同僚が初夏に休暇を取って骨折の大けがをしたこともあって、ずっと仕事です。オーケストラも音大も休みなので楽器をメンテナンスに預けて、長期間の旅行に行きます。
掃除ばかり何台の楽器をやったか数えきれないくらいでっす。

会う人会う人、どこに休暇に行くんだとか、どこに行ってきてどうだったか、そのような話ばかりです。

ヨーロッパの人たちにとっては夏にバカンスに行くことがとても重要なことのようです。学生も夏休みに練習したりレッスンを受けたりはしないのでしょう。楽器に払うお金はなくてもバカンスに行くお金は別です。


一方、毎年奥さんの実家が近くにあるのでイタリア人の職人が仕事にやってきます。いちいちオーバーアクションで疲れますがイタリア人らしい人です。それで言うと私なんかは大人しくて日本人らしいです。


これからの予定としては、前回の休暇で日本に帰っていた時に、ビオラについては特に募集はしませんでしたが、問い合わせが多くありました。そこで年に一本くらいは勤め先の製品として日本向けに作ろうということになりました。
値段は私の意志では決められず、社長の生活水準を基に算定されるのですごく安くはなりません。それでも税抜きで13,500ユーロ~ということになります。
現時点の報道されている為替相場では160万円くらいになります。しかし実際に銀行で振り込む場合には両替レートが違いますし、日本に持ち込む際に消費税も必要です。相場は変動するので何とも言えません。
ただ現地の消費税は必要ありません。ヨーロッパは高いですから大きいです。
ビオラについては古い楽器で適当なものを探すのは至難なので他に良いものも見つかりません。
これから第一弾として東京の女性の方のために作っていこうと思います。

東京のお店に売られているイタリアのビオラはサイズが大きいものばかりなのだそうで小型のものを私が作ろうということです。小型であれば良いというのではなく、低音が豊かに出るものを私はいくつも作ってきたので要領は得ています。それができたら興味のある他の方々にも試してもらいたいと考えています。

イタリアの職人も自国のためには小型のビオラが求められていると言っています。ヨーロッパの北の人たちに比べてイタリア人は背が低いので小型のビオラが求められているそうです。私のところでも小型のビオラが好まれますが、特にイタリアでは小型のものが求められるそうです。そして日本やアメリカ向けに大型のビオラを作っているそうです。
190㎝くらいの人は大型のビオラでももちろん問題ないですよ。私も以前作ってメンテナンスに来ているところです。大型のビオラはストラディバリのモデルで作りました。ストラディバリはビオラはあまり作っておらず、1690年代に細長いヴァイオリンを作っていたころの設計で止まっています。ビオラも細長いものです。そのため小型のビオラには理想的とは言えません。さすがに大型となれば全く問題のないものです。

それでストラディバリモデルのヴァイオリンを拡大コピーしたようなビオラが多く作られてきました。私はアマティのビオラのモデルでよく作っています。他のもっといいものが見つからないので今回もアマティのモデルで考えています。実績のあるモデルです。


この前は100年近く前のベルリンのヴァイオリンを紹介しましたが、もう一つ別のものです。


これはD・カール・ユングマン(1889年~ca.1947年)の1925年作のヴァイオリンです。
この人はハンガリーのブダペストの出身で、修行もそこでしています。作風はブダペストの師匠の写真を本で調べてみるとよく似ています。したがってベルリンで作られた楽器ではありますがハンガリーの作風の一つということになります。

専門書を読むとストラディバリやデルジェズなどオールドのクレモナのスタイルをまねて作られた‥と書いてあります。しかし私が見るとまずフランスのモダン楽器っぽいと思います。その意味で素晴らしいモダンヴァイオリンであることが分かります。ハンガリーでも当時はフランスの楽器を目指して楽器作りが行われていました。パリで修行した人もいます。

ハンガリーはかつてはオーストリアと一つの国だったのですが、ヴァイオリンの演奏がとても盛んなところで、クラシック音楽というよりも民族音楽で使われてきました。サラサーテのツィゴイネルワイゼンは名曲として有名ですが、ハンガリーの人たちの流儀という意味です。

年末年始に日本に帰ると紅白歌合戦などもあって両親が見ていたりするのですが、マツケンサンバなんてのもありました。ブラジル人からしたらどこがサンバなんだというものですが同じようにハンガリー風のクラシックの曲もあります。
そもそもブラジルの若い人がサンバなんて聴いているのか疑問です。どうなんでしょう、世界中で若者の音楽は似てます。

去年はDA PUMPのUSAという曲も予備知識がゼロだったのでびっくりしました。これが日本人の考えるアメリカの音楽として人気なのかと。20年前と何も変わっていません。

このように自分たちの音楽ジャンルにわずかに外国の音楽を取り入れるのはあります。文化ってそういうものですね。本物と同じものを作るのは難しいです。


ハンガリーのヴァイオリンはパッと見ればフランスの影響を受けていることがすぐにわかります。しかしフランスの作者のラベルが貼られているとニセモノだろうなと思います。うちのお客さんでもフランスの一流の作者名のついたヴァイオリンを使っている人がいます。私はハンガリーの楽器だと睨んでいますが、そんなことは言いません。

しかし2流以下のフランスのヴァイオリンであれば同じようなものかもしれません。ある方がモダンヴァイオリンを鑑定してもらったら、フランスか北イタリアかハンガリーのヴァイオリンだという結果が出たそうです。
ということはそれらには鑑定士から見ても違いはないということです。
したがって一般の愛好家がイタリアの楽器はどうだとかフランスの楽器はどうだとか言っているのは無知をさらしています。鑑定士でも見分けがつかないというのですから。

ドイツやチェコではないというくらいの鑑定結果です。楽器自体は私も見ましたが全く問題ない良くできた楽器でした。音もモダン楽器にしては耳障りな音もしない上品なものでした。文句ない楽器だと思いますが、値段はどこの国のものとして売られるかによって何倍も違いが出ます。


さてユングマンに戻ります。


スクロールの感じはフランスの雰囲気があります。

そういうわけでこのヴァイオリンもフランス風のハンガリースタイルのヴァイオリンだということが分かります。しかし専門書にはクレモナのオールドの作者をお手本とした…と書かれています。この作者に限らずモダン楽器はみなそうです。専門書を読んで勉強すれば全く違う知識を得ることになります。本を読んで得られる知識というのはこんなものです。

作者はベルリンで活動したため、一流の音楽家と接していてイタリアの名器なども熟知しているだろうというイメージがつきます。実際に作っていたのはハンガリー風の楽器ですが、この業界ではアンティーク塗装をしているだけでなんでもストラディバリに結び付けようとします。ハンガリーでは独特のアンティーク塗装の伝統がありますから、まさにハンガリーのスタイルです。

専門書を書くような人でもフランスのモダン楽器とクレモナのオールド楽器を混同しているのです。フランス風に作られたものをクレモナのオールド楽器風と書いているのです。


一方モダン楽器として見てみると申し分ないものです。一見してフランス風に見えるきれいな楽器で構造でも近いものがあります。資格はともかくドイツでも十分マイスターのヴァイオリンとして通用するレベルです。

ニスもドイツのモダン楽器ともよく似た柔らかいものが分厚く塗られています。

この楽器では今でもニスが柔らかくケースの跡がついています。ハンブルグのヴィンターリングのニスも質がそっくりでした。ユングマンの師匠の息子がヴィンターリングのところで修行しています。
ドイツのマイスターのモダン楽器でよくみられる柔らかいニスです。ブダペストでも同様のニスが使われていたようです。大量生産品では硬いラッカーが使われたの対して、高級品では特に柔らかいニスが使われました。
今でもニスは柔らかいほうが振動を妨げないので音が良いという知識がありますが当時の考え方が残っているのでしょう。これには疑問がありますが、100年くらい経ったこれらのモダン楽器では十分よく鳴るので結果として柔らかいニスで音が悪いということはありません。

実用上は問題があって出来立ての頃はベトベトで大変だったでしょう。汚れも付着しやすく黒っぽくなっていきます。

ドイツやチェコ・ボヘミアの楽器との違いはペグボックスの幅です。
この楽器では指板よりずっとペグボックスの幅が広いです。ドイツやボヘミアのものはペグボックスが指板と同じくらいの幅になっています。

この楽器ではドイツの一般的なものよりもフランス的な印象を受けます。
ベルリンということもあって他のドイツのモダン楽器とは一味違う印象を受けます。
値段は相場に出ているほどの知名度ではありませんが、2万ユーロくらいしてもおかしくないと思います。250万円程度です。

表板はフランスの楽器のようにどこもかしこも2.5㎜程度と今日の常識よりは薄くできています。裏板は普通くらいですが、板目板に近いです。
音は暗く強い音で、こちらでは特に好まれるものです。新作で作るのは難しいです。豊かで力強い音はフランス風の作風と古さから当然だと思います。
その代わり高音が柔らかいということはありません。全体的に力強い副作用として高音は耳障りになっているということです。両立は難しいです。
高音の柔らかさにこだわりを持っている人には耐えられない楽器ですが、一般的には優秀な楽器です。鋭さをごまかす調整が欠かせません。よく売れるのはこのような音です。

この楽器は私がフルレストアをしたものなのでよく覚えています。

裏板と横板はあご当てのネジをきつく締めすぎて変形していました。それを何とかひどくない程度に直しました。このような被害を避けるためあご当てはテールピースをまたぐものをお薦めします。

バスバーを交換し、指板を新しくしてネックを入れなおしました。
100年も前の楽器となるとこのようなオーバーホールは必要です。
修理が終わっているかどうかが重要です。

イタリア人の職人に見せると美しいヴァイオリンだと言っていました。イタリアにいるとこのような楽器が存在することも知らずに自分たちの楽器が世界一だと思い込んでいます。しかしヨーロッパの音楽家のいる街にはどこにもこのような職人がいたのです。
ベルリンのヴァイオリンについて書かれた最新の本を見せると素晴らしいものばかりだと驚いていました。
イタリアには急いで作られたひどい楽器も多くあると言っていました。

私が「イタリアの楽器に比べると個性が無いんじゃないか?」と言うと「そんなことは無い、個性があっていい。」と言っていました。

イタリア人の目には立派な職人が自分流のスタイルを持って作られた楽器として映っているようでした。

「イタリアの楽器は値段が高すぎる」と私が言うと「あんなのはビジネスの話だ」と言っていました。イタリアの演奏家が高すぎて自国の楽器が買えなくなっているのです。

このような立派なモダン楽器はまだ国際的には知られてないということです。イギリス、アメリカ、日本などで知られていなければ値段はそんなに高くなりません。200万円程度なら日本で新作楽器より安いくらいです。このレベルで100年前のイタリア製なら1千万円近い値段になるでしょう。トリノなどではフランス風の楽器を作っていました。同じような雰囲気なのにです。

世界に見つかっていないということはそれだけお買い得なのです。


作られた当初からアンティーク塗装であったのだろうと思います。ストラディバリのような古さではなく、初期のモダン楽器くらいをイメージしたのかもしれません。

今ではかなり黒ずんで見えます。
古く見せるのには黒っぽくすると古く見えるのが基本です。しかし新品のときにあまり黒くしすぎると100年以上したら真っ黒になってしまいます。
この楽器でも木材を濃く染めてあります。いかにも染めてあるという感じが強いです。

私はちょっと明るすぎるくらいに作ります。10年くらいでも木材の色が徐々に落ち着いてきて変化を感じることができます。黒くしないで古く見せるというのが難しいものです。


ハンガリーもかつてはオーストリアと一つの国だったこともあり、広くはドイツ語文化圏とみなすこともできます。ドイツのモダン楽器ともよく似ていますが、それぞれフランスの楽器を目指してモダン楽器が作られていました。一部を除けば値段はさほど高くなくよく鳴る楽器もあります。

またフランスでもドイツでもチェコでもハンガリーでもよく鳴る楽器があるということを考えると何か特別な産地の木材や特別な製作上の秘密などはないと私は考えています。
それに対して「鳴れば良いというものじゃない」という意見もあるでしょう。でもそれは個人個人の意見であって好みの問題になってしまいます。先生や楽器店の店主が言っていてもその人の好みにすぎません。


普通に作ってあれば十分な条件だということはこのような経験から導き出した考えです。
こんにちはガリッポです。

前回の話をおさらいすると、オールドの名器も何か特別な方法で作られているのではなくて、ただ普通に作ってあるだけということでした。修理を経験した職人ならみな知っていることです。開けて中を見ても何も変わったところはありません。
しかし当時は何が普通なのかわかっていなかったので普通ではない楽器も多く作られました。

もしイタリアのオールド楽器の中で「普通のヴァイオリン」を探すなら5千万円や1億円は必要でしょう。普通から外れる楽器でも数千万円は必要で、保存状態や構造に問題があってどうしようもないこともありますが、ひどくなければ古くなっているメリットで新作楽器などには十分対抗できることもあるでしょう。

しかし初期のモダン楽器が相手となると演奏家の間でも意見が分かれます。いわゆる室内楽的なヴァイオリンと判断せざるを得ないものもあります。

良い楽器というのは歴史から学べばわかります。職人はそのように作るのですが、いかんせん新しいとまだまだおとなしいものです。そこで何か「発明」をするのです。ニスの材料にこれを使っているから昨今の楽器はダメだとか思い込みの激しい人がいます。それに対して音が良いニスの製法を発見したとか、ストラディバリのニスを解明したとか言う人がいます。ほかにはタッピングして音がどうだとか数学を利用した設計法とか音響工学の話とかいろいろあります。さらにメディアに取り上げられたり名演奏家が絶賛したとなればビジネスは成功します。

本当かどうかはわかりません。ましてや100年後、200年後にどうなるかもわかりません。私はインチキだと言い切ることもできないし、優れた技術革新と言うこともできません。わからないからです。別の名演奏家は絶賛しないかもしれません。


私個人としては、普通にさえ作っておけば次第に音は出やすくなっていずれは名器のようになっていくと考えています。
このような発明は100年前の人たちもやっていました。今100年前の楽器を見たときに、「余計なこと」をしていない楽器のほうが魅力的に感じられます。普通に作られたものがすでによく鳴るのですからなぜ余計な工夫をする必要があるのでしょうか?外せるものなら取り外して普通に戻します。

現代の楽器で私が問題だと思うのはこのような余計な発明です。
オールド楽器やモダン楽器に対してなんらかの「改良」を考えるのです。考えるのは良いのですが、検証をしっかりやらずに、机上の空論を作っただけで自画自賛してしまうのです。このタイプはヴァイオリン職人に多いです。
これが弟子などを通じて広まってくると普通の楽器すら作れなくなります。

古い楽器で普通の楽器を探すのが難しいわけですが、現代でも別の理由で難しくなってきます。頭がまともな人が修理を経験すればわかることです。いつの時代でもどこの地域でもウソを見抜く鋭い人がいます。もしくは素直に音が良い楽器から学ぶことができる人です。一つ一つの楽器を見ていくと産地にかかわらずそういう職人のものがあって私は「これは良さそうだ」と感じます。ラベルがついていない楽器にもあります。自己主張しない職人の中の職人です。


画期的に音が良い楽器が欲しいというユーザーの欲深さがこのような事態を招いているとも言えます。普通の楽器をうまく使って良い演奏をするというのが王道だと思います。それを何か楽器を買うだけで飛躍的に向上できると思える謳い文句が魅力的に見えるのです。

いやもしかしたら本当にその発明が弦楽器の歴史を変えるものかもしれません。でも私には断言できません。その時が来てから買ったらどうでしょうか?人より先に手に入れたい?
欲深いですね。



夢が無くなるような話ばかりしていますが、楽器選びでも理解を深めるのでも何かをうまくやりたければ、おのれを律することは必要でしょう。それが上達の妨げになっているのですから。

職人が楽器に与えられるのは音のキャラクター

このように変わりすぎている楽器はうまく機能しないリスクが高くなります。
一方で普通とは言っても結構幅があるものです。オールドやモダンなどの音が良い楽器はたった一つではありません。その範囲の中でなら違うものを作っても大丈夫です。

19世紀には古典主義という考え方があって、クラシック音楽というのはまさにその時代の趣向であり、戦前までは上流階級の文化として華やかさを誇っていました。ヨーロッパでは昔は科学者なども楽器を演奏していたものです。アインシュタインなどは有名です。昨今のITテクノロジーに従事する人たちは古典文化には興味が無いようです。

そう考えると画一的なモダン楽器というのは19世紀らしいものだと思えます。上流階級と言っても王侯貴族の時代のヴィヨール族の楽器に比べれば質素なもので、貴族に比べると裕福な市民階級の人数はずっと多かったのです。皆が頂点とされるストラディバリをお手本とした楽器を求めました。
音楽作品も含め19世紀の文化に価値を見出すなら、画一的なモダン楽器もその時代特有の高度な文化であると思います。

それが戦後真に大衆化するとクラシック音楽は必ずしもお金持ちのものではなく、熱心な愛好家のものとなりました。にもかかわらず弦楽器の業界は古典主義を貫き通しています。ロックなどのギター経験者が擦弦楽器を弾こうとした時、それまで培ってきた経験とギャップが大きくあります。

今の人の感覚なら物を作る人は個性を発揮して、これまでとは違うものを作り出し、消費者は自分の好みのものを選んで買うのが当たり前です。実際には新しいものを作り出し認められるのは困難で、最新の流行のものはそれまでのものに比べて魅力的に見え、父母や祖父母が持っていたようなものは古臭いものに見えます。戦後の資本主義国では高度に発達し、共産国が崩壊した理由はここにもあります。国民が西側の文化にあこがれを持ってしまったのです。

にもかかわらず弦楽器業界は戦前のままです。
現在作られているものも100年前のものも変わりません。
100年前の楽器を知らない職人が自分の楽器を最新のものだと自画自賛しているだけです。


「画期的に優れた楽器」と誰が弾いても感じられることはなく、必ず意見が分かれます。同じ楽器を「力強い」と絶賛する人もいれば「耳障り」と嫌う人もいます。そのため優劣を評価することはできません。

実際にいくつも楽器を弾いてみるとみな違う音がします。それを言葉で説明することは難しいです。違うということはわかります。つかみようのない違いにどうやって順位をつけることができるでしょうか?

好きか嫌いかの話になってしまいます。
初心者や多くの人は自分の好みは持っていないので優等生的な楽器を選びます。
普通に作られたものが古くなって音が出やすくなっている楽器が優れています。優等生路線では新作楽器には存在価値はありません。
巨匠だなんだと肩書で売るしかありません。職人は巨匠の弟子と名乗るために努力するのです。巨匠の楽器とほぼ同じものが安く買えるという情けない宣伝文句です。


そうでなくて新作楽器が対抗できる部分があるとすれば強いキャラクターのある音です。画一性に飽き足らないなら職人たちもユーザーも意識を優劣ではなく音のキャラクターに転換するべきだと思います。

優等生的なモダン楽器に比べればオールド楽器は作風もバラバラなら音のキャラクターも強いでしょう。同様に普通の範囲で個性的な楽器を作るのです。

普通に作ってあるすごさ


画期的に音が良くなるという主張はよく目にします。それが本当かどうかはわかりません。それに対して確実なのは普通に作ったものが50年以上経ったものです。新作に比べれば音は出やすくなっています。


これは1983年にミッテンバルトで作られた量産チェロで以前紹介したものですが、完全に修理が終わってプロのチェロ奏者の方が試奏しました。板は量産品としては珍しくやや薄めに作られています。新品で私が板を薄く改造すると低音が強いバランスの楽器になります。低音が豊かで暖かみがあり澄んだきれいな音なのが魅力です。しかし一方で高い方は控えめになり、全体的に静かになります。
薄い板にはデメリットがあるように考えられます。薄くしてはダメなのかとも考えてしまいます。

しかし、83年のチェロではこのようなデメリットは感じられません。
低音から高音までとてもバランスが良く、手ごたえもあり耳障りでもありません。余韻も長く響き、弱い音でもつぶれないと言ってプロの方は大絶賛していました。
50年も経たなくても十分です。
だからこそもともと持っている音のキャラクターが重要なのです。

量産品というのは卸値が安くないと買ってくれないので、できるだけ時間を節約して作っています。外見さえできていれば・・というものが多いです。板の厚みを削る作業も完全に仕上がる手前で「もういいや。」と良しにして次の工程に移ってしまいます。持ってみるととても重いものがよくあります。
このチェロに目を付けたのは量産品では珍しく急ぎすぎて作っていないからです。ハンドメイドの楽器でも急いで作っていれば同じことです。

普通に作ってあるということがどれだけすごいことなのかわかってもらいたいです。

新作の楽器でも粗悪な量産品に比べれば質の高さは実感できると思います。
値段が高すぎなければ手堅い買い物です。今よりも明日は良くなっていくのです。
それ以上を求めるなら古い楽器になりますが、日本にはもともとなかったものなので誰かが持ってこなくてはいけません。弦楽器店がその役割を果たせるかどうかが問われます。その時楽器を選ぶ人によってバイアス(偏り)が生じるのです。初めからそこにあるのとは大きな違いです。








こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン職人がなぜニスにそれほどまでにこだわるかと言えば、楽器の印象を大きく左右するからです。もし、可もなく不可もなくという出来のヴァイオリンにオイルニスが塗ってあるのとラッカーのニスが塗られているのとでは全く印象が変わります。
作者の名前が分からなくても、ラッカーであればその時点で大量生産品ということになり、オイルニスであれば職人のハンドメイドの楽器ではないかと予想されます。ラッカーとオイルニスは質感が違うので専門家が見ればわかります。

ハンドメイドでもニスの塗り方が汚ければ下手くそな職人だとみなされます。ハンドメイドの楽器の中では最も安い値段になります。

弦楽器は白い木で作られているのでニスには色を付ける必要があります。ピアノと違って木目が透けて見えなくてはいけません。そのためニスを塗るときは均一な厚みで塗らないと色ムラができてまだらになってしまいます。
ヴァイオリン製作コンクールではこのニスを均一に塗る技能が競われます。色ムラが全く無ければ高得点となるのです。きれいにニスを塗ればオイルニスでもアルコールニスでも違いはありません。アルコールニスでは刷毛で塗った跡が縞になって残りやすいです。オイルニスはぼやぼやしたような感じになりやすいです。高い技能で塗ればどちらでもきれいに塗ることができます。

色ムラができないようにするためにもう一つ重要なのは楽器の表面を滑らかに仕上げておくことです。緩やかなカーブでなめらかな面であると塗りやすいのです。このため現代の楽器製作ではいかに表面をデコボコや傷や小さな割れの無いように仕上げるかが肝心になってきます。弦楽器に使う木材は裂けたり割れたりしやすいもので、上等な木材ほど顕著です。特に裏板に使う楓は繊維がうねっているため、杢と言われる縞模様が出るのですが、木目に逆らって刃物を入れると割れやすくなってしまいます。ヴァイオリン職人として修業をしないと全く手も足も出ない材料です。

割れないようにするためには一度に削る厚みをできるだけ薄くすることです。

このようにきわめて慎重に作業をする必要があり、その結果きれいな現代の楽器ができるのです。作業には時間がかかるため高級品として高い値段になります。
仕上げの完璧さとニスのムラの無さによって安価な楽器とはすぐに見分けることができます。一方安価な楽器は加工は粗く、表面はデコボコしていて、ニスはムラがあって汚らしいものです。そのため私たちはすぐに安物だとわかるのです。

このような見方ができることは楽器の良しあしを見分ける基本としてとても重要なことです。前回もニセモノの話をしました。ラベルの偽造は食品産業などではとても大きな問題になりますが、弦楽器については9割以上が偽造と考えておいた方が良いでしょう。
日本でも企業の不正に厳しい目が向けられるようになってきましたが、弦楽器の業界はまだ何十年も前のままです。ということは何十年も前に楽器を買ったならニセモノが当たり前のように売られいた時代です。鑑定もいい加減で世界的に有名な楽器商でも楽観的な鑑定がされていました。ちょっとでも高価な楽器に似た特徴があればその作者の鑑定書を書いたものです。当時の鑑定書は今では通用しません。
そのため年配の先生のような方が持っている楽器でも怪しいものがとても多くあります。私も怪しく思うこともありますが、指摘しても誰も得しませんからいちいち言いません。保険を掛けるとかになると厳密に対応しなくてはいけませんが、そうでなければ「先生、その楽器は偽物です」ってことは言いにくいものです。皆さんも先生に「先生の楽器は本当に本物なのですか?」とは聞けないでしょう。
有名な先生だから楽器店も敬意を払って変な商売はしないと思うかもしれません。これは大きな思い違いで、むしろ狙われやすいのです。有名な教師や楽団に楽器を納めている業者と言うと一般の人は一流の業者かと思うかもしれませんが、一流の詐欺集団かもしれません。巧みに証拠を残しませんから詐欺ということさえもできないほどでしょう。音楽プロデューサーの小室哲哉という人も大ヒットを連発して大金持ちになったはずですが、多額の負債を抱えることになりました。真相は知りませんが、ビジネスのパートナーに恵まれなかったのでしょう。有名人にビジネスを持ち掛ける人たちというのはピラニアのような人たちです。一瞬で骨になってしまいます。
特に日本の場合には営業が巧みなのです。「先生、先生」と言って敬っているように見せかけてカモにされているのです。さらには先生も知っていて業者が手を結んで生徒に楽器を売る場合もあります。「越後屋、お主も悪よのう」という具合です。

偉い先生が偽物の楽器を持っているということも問題です。
業者は古い楽器は偽物として安く買い、偽造ラベルの作者として売りました。9割以上が偽造ラベルですからそんな楽器ばかりです。
それに対して業者も1980年代から新作楽器を売り込む方向に転換したようです。作者から直接買えばその人が自分で作ったかどうかは知りませんが、少なくとも作者から買ったものだと間違いなく言えます。楽器の良しあしを見分けられない営業マンでも本物の楽器を売ることができるわけです。バブルの時代にはそれが大げさに宣伝され今の有様です。ニセモノを公然と売っていた時代に比べるとましになったとは言えます。つかまされたニセモノに比べて音が良いと驚いたかもしれません。実際には日本人の職人でもイタリアのものと同様のものが作れます。
しかし、イタリアの新作楽器があふれてくるともっといいものが欲しいという要望があって再び古い楽器も求められます。また偽物が出回るわけです。

ニセモノのほとんどは安価な楽器に偽造ラベルを貼ったものです。コレクターのような方で持っている楽器がすべてこのような安価な量産品に偽造ラベルを貼ってあるものだったりする人がいます。安価な量産品を見分けることがまず重要なことです。ニスがラッカーであることはその一つですし、加工の粗さが見分けるポイントとなります。

一方で高価なオールド楽器やイタリアのモダン楽器にも加工の荒いものがあります。音が良い場合もあります。そのため、必ずしも加工がきれいであると本物であるということではありません。そこが偽物を売る業者の付け入る隙になるのです。「安物の楽器だけど高価な楽器に似ている」ものに偽造ラベルを貼って流通するのです。

それは我々の間でも「クサい楽器」とか「面白い楽器」とか隠語で呼ばれるようなものです。私はそういう業者とつながりが無いので詳しくありませんが、そのような楽器を修理で持ち込まれるとこれは業者が欲しがるような楽器だとわかります。

もう一つ別の問題は本物であっても、イタリア人であるというだけで、ただの凡人が作った楽器を「巨匠」だの「名工」だの言うのはウソがあります。「これは凡人が作った楽器です。」と言わないとウソになります。商業をやっている人でこんな正直な人がいるでしょうか?
普通お客さんは名工の作った楽器の音が良いと思い込んでいるので、凡人が作った楽器でも売るときには「名工」と言うのです。本当は凡人が作ったものでも音が良い可能性は十分にあります。したがって「これは凡人が作った楽器です。」というのは楽器を悪く言ってはいないのです。凡人が作った楽器でも音が気に入れば良いのです。こんなことを理解してもらうのは難しいです。凡人が作ったのに高いお金を払うことは納得できないでしょう、私もです。

イタリアのモダン楽器でも有名な作者のものの多くは偽物よりも高い品質で作られています。品質が高くてイタリアの作者の名前がついていればさらに詳しい人に見てもらうことを薦めます。しかし、中には素人のような腕前のイタリアの職人もいました。ドイツの一流の腕前の職人の楽器にこのようなイタリアの作者のラベルが貼られていると「美しすぎるのでニセモノ」というふうになります。本物のほうが出来が悪いのに値段がずっと高いのです。まあ、本物の見事に作られたドイツの楽器なのですが。


しかし基本的には加工のクオリティが高ければニセモノのリスクは低くなります。並みの職人にはまねのできないような腕前の職人の楽器ならニセモノを見分けやすいのです。

いずれにしても高価な楽器の場合には権威のある鑑定しか証明するものはありません。しかし明らかに違うものはクオリティの低さでわかります。オリジナルでも荒い加工の作者のニセモノはそれよりも低いクオリティであることが多いです。そのため加工のクオリティを見分けることが一番の基本になるということです。それがあれば偽造ラベルの量産品ばかりを買ってしまうということは無くなります。


当ブログは当初技術面から楽器を見ていくという方針だったので、「加工精度が高いほど音が良い」という考えは間違っているということを指摘してきました。職人の中では勘違いされていることで設計図に対して誤差なく正確に加工したことを誇示する職人の楽器も弾いてみないことには音はわからないと指摘してきました。自分の加工精度の高さから、ストラディバリやデルジェズよりも自分のほうが優れていると考え古い楽器に興味もないのです。

長年ブログをやってきてそのような技術的な見方では狭いものの見方であることを最近は歴史や文化全体のものとしてとらえようとしてきています。楽器の構造上の違いと音の法則性について当初は言えると思っていましたが、甘かったです。解明していくなんて言っていましたが、難しいことが分かってきました。


重要なのは一定の水準に達している楽器で音が気にいることです。作者の名前などは必要ないのです。作者不明や無名な作者の楽器でも職人が楽器を見てクオリティによって値段を付けます。予算の中で試奏して気に入ったものを選ぶのが合理的なのです。
これが有名な作者の偽造ラベルが貼られた粗悪品なら粗悪品とともに音楽家の人生を歩むことになります。指導者がそれでは音楽教育の質にも影響することでしょう。



ニスを自分で作って塗る技能が高いということは安物ではないという証明になるということです。それでいてヴァイオリン製作学校のようなところでは十分に教わることができません。師匠も簡単に教えたりしないかもしれません。これもまた職人の習熟度を測る目安になるのです。

アンティーク塗装された楽器にも技能の高さがあります。
汚いだけのアンティーク塗装と見事なものがあります。いずれにしても専門家が300年前のオールド楽器と間違えるようなものは作れません。したがって楽器自体が高い品質で作られていることが重要です。その時点で一流の腕前の職人によるアンティーク塗装の高級品となるからです。

多くの場合は、安価な楽器に偽造ラベルを貼ったものですが、高い品質の楽器を作ることができない人が「オールドイミテーションに逃げる」ということがよくあります。基本ができていないので下手くそなイミテーションだとすぐにわかります。やはりアンティーク塗装をする場合でもうまい人と下手な人が分かれるわけです。私は下手くそなアンティーク塗装ならやらないほうがましだと考えています。やるからには真剣にやるのです。まともな職人が見れば見事なオールドイミテーションの楽器だとわかるはずです。

オールドイミテーションを作る場合に必要な知識や技能は、現代的な新品の楽器を作るよりもはるかに多くのものが必要になります。みな初めに新品の楽器の作り方を学ぶからです。

見事なオールドイミテーションの楽器は不勉強で不真面目な職人に作るのは無理です。
結果として高く評価されるということは前回も紹介したことです。
前回のドゥッチュという作者のストラディバリのコピーを何人かの職人に見せました。みな「とても美しい」と言っていました。現代の楽器の加工の正確さに風合いの良い塗装がなされ、100年経過していることも相まってまともな職人ならそれが美しい楽器だということが分かるのです。

そのうえで21世紀に作るならもっとリアリティのあるものを作りたいと思います。リアリティの高さが「上手さ」になるのです。とはいえ300年前のものと見分けがつかないようなものを作るのは無理です。そうでなくても十分腕の良い職人による「美しい楽器」となるのです。



皆さんいろいろな楽器を持っていますが、もったいないと思うのはひどく粗末な楽器です。熱心に練習して見事な演奏をする方がひどい楽器を使っているともったいないと思います。
それに対してお目が高いと思うのは、まともに作られた楽器を使っている人です。別に個性的である必要はありません。ごく普通にまともに作られていれば楽器としてちゃんと機能します。それが古いものであればより音が出やすくなっています。また、低音と高音とか、音の美しさと音の強さとか相反する要素を両立しやすくなってくると考えています。まともに作ってあれば作者は有名である必要も値段が高い必要もありません。音はみな違い自分が好きなものを選べばOKです。

その一方で古くなるほど「普通の楽器」を見つけることは難しくなってきます。作り方が次第にマニュアルとして定まってきたからです。
古い楽器でも構造に問題のある楽器は余計にひどい音になるかもしれません。骨董品としての価値で値段は高くてもあまり変わった楽器はまともに機能しないこともよくあります。

たとえばフランスのモダン楽器はみな似ていて個性が無いということができます。でも音が気に入ればそんなことはどうでもいいと思います。もしフランスの楽器は個性が無いので価値が無いと考えていて損することはあっても得することは無いでしょう。

何が普通で何がまともなのか、それが分かるのが一番難しい応用編です。
職人が楽器作りを習うとき、師匠からたった一つの模範を教わります。しかしそれは単なる一つの模範でしかありません。意外ともっと幅があります。師匠に激怒されるようなものを作っても思っているより音響的には大丈夫です。
私は「ひどくなければなんでもいい」と言っています。板の厚みであれば厚すぎはダメ、薄すぎはダメ、でもこれが最高という厚みはありません。厚めと薄めでは異なる性格の音になるでしょうが、好みの問題です。それぞれ一長一短があります。すべてにおいて優れているものはありません。一般に古くなるほど有利にはなってきます。

職人が師匠から教わった答えは狭すぎるので、普通というのは現代に正しいとされているうような楽器でなくても良いのですが、全体としてはひどい粗悪品が多いので普通のものというのは限られてきます。

仮にニセモノでもまともに作られた楽器なら音楽家としての人生を損なうことはありません。そういうものを持っていれば私は「余計にお金は払ったけども、全然悪くない、良い楽器だ」と思います。場合によっては本物のほうが音が良くないこともあります。

楽器の本質を見分けるというのは作者名でも値段でもありません。まともに作ってあるかという点です。これはとても経験がいると思います。加工の品質を分かることがその第一歩です。ニスもまたその一つです。

こんにちはガリッポです。

またまた偽物の話から。
保険を掛ける手続きに訪れた方がチェロを持ってきました。アメリカで70年代に買ったものでその店の鑑定書がついています。
「ラファエレとアントニオのガリアーノ兄弟の作だというのが私たちの意見」と書かれています。
私たちの意見はそれとは違います。

一見古いチェロに見えますがどこを見てもガリアーノ家の特徴がありません。どこか似ているところがあったりするものですが何一つないですね。かといってドイツやチェコの量産品のような特徴もないのでそういうものではありません。

他のどこかの産地の特徴もないので絶対に違うとは言えません。ガリアーノの特徴はありませんが、別の産地と断定する特徴も無いのです。

刑罰では疑わしきは罰せずと言いますが、評価額を算定する場合は「本物かもしれない」ではだめです。本物なら3000万円くらいは余裕です。
そこでうちの会社では鑑定士に見てもらうことを提案していました。高すぎる評価額では保険詐欺になります。

私の経験でも、本物のときは「そうそう、これこれ」という第一印象を受けます。「・・・もしかしたら本物かもしれない」というくらいの印象で鑑定に出すとまず偽物です。
今回はかもしれないも厳しいです。

私の考える一つの例としては、戦前にアンティーク塗装で作られたチェロが大破してしまった。それをただ同然で買い取って修理し、ガリアーノのラベルを貼って「私たちの意見」を添えた。複数の業者の間を渡ってくる間にガリアーノに変わったのかもしれません。
チェロ自体は悪くなくて200~250万円くらいでしょう。ただし状態は悪いです。200年経っているチェロならそんなものですが戦前のチェロでその状態はかなり傷んでいます。
アンティーク塗装はタイミングが悪いです。私の目が冴えている時期なので、細かい傷が嘘っぽく見えます。傷の向きがみな同じだったり、汚れの色合いがみな同じだったり一度にやったことが分かります。しかし疑いだすと本物でも偽物っぽく見えることもあります。とはいえ明らかに200年近く経ってるチェロの感じではないし、継ぎネックもペグの穴埋めもされていません、普通は200年経ったチェロでそのようなことは無いです。スクロールの深いところを見ても汚れがたまっていないのです。

3000万円と思っていたものが200万円なら痛手は大きいです。でもよくあることです。



続いては1900年ころに作られた本物のストラディバリのコピーです。

これは珍しいもので、ベルリンのミヒァエル・ドゥッチュという作者が1927年に作ったものです。この人はもともとチェコのシェーンバッハの出身でベルリンで活躍しました。シェーンバッハといえば大量生産の産地でもあります。
評価額は通常15,000から25,000ユーロします。ざっと200~300万円くらいでしょうか。ドイツの20世紀の作者でこの値段はトップレベルです。
でも私も知りませんでした。勉強不足です。

しかし、これがオールド楽器のコピーとしてアンティーク仕上げで作られたものになると相場は35,000ユーロ(440万円ほど)かそれ以上になるそうです。イタリアの下手くそな職人が作ったモダン楽器に匹敵する値段です。
イタリア人でこのクオリティなら「ストラディバリの再来」とかよくわからない評価がされ値段は桁がもう一つ増えるでしょう。

これは本物のドゥッチュということになります。もしこの人がシェーンバッハにとどまっていたら150万円も難しいかもしれません。
音楽家のそばで仕事をした都市のヴァイオリン職人であることが重要です。ドイツではクラシック音楽が盛んだったのでどの都市にも職人がいました。ベルリンにはヴィヨームの弟子のノイナーやハンガリー出身で兄弟がフランスで修行したユングマンという人もいました。

このようなものはロンドンなどではある作風です。ロンドンとパリとは目と鼻の先です。フランスの技術にアレンジを加えたものです。

商売人が金のにおいをかぎ取って人気が出て値段が上がるわけですから、そんな評価に芸術性なんてのはありません。しかし、コピーを作るということが楽器商の間でも低く評価されるものではなくむしろとても高く評価されるという例です。


楽器自体を私が見た印象では、高いクオリティの現代の楽器です。アンティーク塗装もそんなに凝ったものではなくごく単純なものです。2色に塗り分けられただけです。ニスはこの時代のドイツのマイスターの楽器によくみられる柔らかい赤いニスです。当時は柔らかいニスは音が良いと信じられていたのでしょう。
私個人としては、この時代の職人がストラディバリはこういうものだと考えていた例として面白いです。
今でも同じように考えている職人が主流です。今の楽器とも作風は変わりません。100年近く前に作られている分音は出やすくなっているので新作よりもよく鳴ることでしょう。この楽器は450万円とかするのでさほどお買い得ではありません。
見事に作られた美しい楽器であることには間違いありませんが、他のドイツの作者とあまり変わらないでしょう。

この楽器は見るからに新しいのでこれをストラディバリと言って売るのはさすがに難しいでしょう。演奏者のほうは全く分かりませんから、ガリアーノの例のようにだますことはできると思います。ヴィヨームなど、もうちょっとスケールの小さなうそをつくかもしれません。
そのような利用価値から値段が上がっているのでしょうか?


お金の話は無視しても、オールド楽器をイメージして20世紀初めに作られた見事なマイスター作品ということが言えます。



これに対して日本では「個性」「個性」という風潮があります。イタリアの現代の楽器はこのような楽器に比べるとクオリティが低いものが多いです。それをずっと高い値段で売ろうとするわけですから何かしらの理屈がいります。都合のいい言葉に「個性」というものがあります。
イタリアの人たちは高い品質のものを組織的に作るということは苦手です。平たく言うと不真面目です。
中には素晴らしい品質のものを作る人もいますが、あくまで個人技です。団体戦となると不真面目な職人がいい加減に作ったものが多くなります。お手本通りに作らずに低い水準で良しとします。それを個性と呼べば都合が良いです。下手な職人の作るものは下手の人の描く絵のようなものです。たしかに写実性からはかけ離れて「個性的」です。しかし「よくある下手な人の描く絵」という感じがします。それと同じで下手な職人の作る楽器はイタリア以外も含めてよくある感じがします。同じように下手な人が作った楽器に偽造ラベルを貼ればイタリアの楽器の出来上がりです。

音楽のほうに皆さんは興味があると思うので例えると、音痴な人の歌を個性的だと言うようなものです。プロの声楽家の中に一人だけ音痴な人がいれば他の人に比べると個性的なように思えます。しかし世界中の音痴な人は似たような歌い方をします。イタリア以外の人も下手な職人の楽器は似ているのです。

本当に個性というのならしっかりしたものを作ることができる人が、確固たる信念をもって作っていないと個性を確立したとは言えないでしょう。そうでなければ単なる出来損ないです。

そこまでのものは思い当たりません。あくまで現代の楽器作りの範囲の中でやっているので形は変わっていても私は個性的とは思いません。

商売人は違う商品を出して来たときに、さっきとは違う基準で商品を誉めることはよくあります。中国の故事に矛盾というものがあります。最近だけの話ではありません。そんなのをまじめに聞いてもしょうがないです。その場しのぎの理屈です。

イタリアの職人がお手本通りに作らないので「個性的な楽器」ができるということですが、不真面目な職人、下手くそな職人はほかの国にもたくさんいます。他の国の「個性的な楽器」は売り物にならず日本の店頭に並びさえしません。基準に一貫性がないと思いませんか?
今では整った楽器を作るのはアジア人です。今のヨーロッパの人たちにまじめに仕事をさせるのは難しいです。どこの国の人でも癖のある楽器を作っています。独学や自己流の職人は個性的です。
個性的な楽器に価値があるのならそれこそイタリア製に限る必要はありません。
他の国のものでは売り物にならないレベルの楽器がイタリア製のものだけ高値で店頭に並んでいるというだけです。




偽造ラベルについてです。
後の時代に偽造ラベルを貼られて売られてしまうのは避けようがないです。オールド楽器そっくりの楽器を作っていればオールドの作者のラベルが貼られてしまいます。かといって現代風の楽器を作っていれば他の現代の作者のラベルに張り替えられてしまいます。
さすがに300年前の楽器で専門家をだますのは難しいと思いますし、買う方ももうちょっと慎重になってもらいたいものです。それに対して現代の有名な作者の楽器を本気で真似したら同じものができるんじゃないかと思います。

今回の事件からすると、わざとコピーとわかるようにした方が良いのかなとも考えました。コピーをうまく作れる人たちだけが分かる印みたいなものです。エジプトの遺跡にヘリコプターの絵が描かれているというのがありましたが。商人にもわかりやすいものは隠されてしまいます。


個性といえばデルジェズの話です。

クレモナに行くと市が所有する名器が展示されています。ストラディバリの前には人がたくさんいるのに対してデルジェズの前にはだれもいません。
一般の観光客はかろうじて知っているのがストラディバリで他の作者は知らないからです。それでもストラディバリを一目見ておきたいと集まってくるのです。
見て鑑賞するのに適しているのもストラディバリです。デルジェズは弾いてなんぼの楽器ですから。

一般の人の知識はこれくらいのものでほほえましいものです。ところが我々専門家の知識が全く違うかと言うとそうでもありません。あまりレベルが変わらないのです。やっぱり値段が高いからすごいというそのレベルで楽器をとらえています。


現代の楽器製作はフランスのモダン楽器が世界標準として基礎になっているという話でした。このことすら、このブログ以外で日本語で書かれている文章があるのでしょうか?
弦楽器のユーザーだけでなく職人も多くはこのことを知りません。

1700年代の終わりころにフランスの職人たちはさまざまな作風のストラディバリのうちフラットなアーチのものだけを選んで理想的なヴァイオリンと考えました。さらにこれを手直しして欠点のない完璧なものを目指しました。これはとても優れていたのでヨーロッパ各地に伝わっていた作風をやめて、みなフランス風の楽器作りを始めました。これが現代の楽器の起源です。

私もフラットなストラディバリのコピーを作ろうと思って資料を集めても適当なものが見つかりません。フラットなストラディバリは珍しい方なのでしょう。しかしそれ以前のオールド楽器の感じからすれば、ストラディバリは平らに見えたはずです。その印象を大げさにしたのがモダン楽器といえるでしょう。


このように欠点のない完璧な形にするというのは今でもヴァイオリン製作コンクールでは基準となっています。弦楽器職人の世界では欠点のない楽器を作れることが腕の良い職人ということなのです。
今ではその時に流行りのモデルがあり、チェロならモンタニアーナが流行ったり、ビオラならアンドレア・グァルネリのモデルが流行ったりしました。しかしいずれもオリジナルは形がゆがんでいるので手直しをして欠点のない完璧なものに作り変える必要があります。アーチも現代風に平らにします。そのようなものが賞を取ります。

同じように自分独自の個性的なモデルをデザインするとしましょう。その時に形がゆがんでいるようでは単なる下手くそな職人の楽器になってしまいます。そうならないためにはゆがみのないきれいなカーブにしなくてはいけません。これでいくら自分流のデザインにしても現代風になってしまうのです。楽器を見るときは立体物として見るのでモデルの形はあまり印象に左右しません。平面の写真なら大きな個性となりますが、手に取ると欠点のない現代の楽器に見えるのです。ましてや一般の人には皆同じように見えてしまいモデルの違いを見分けるのは至難の業です。ストラディバリモデルとガルネリモデルを見分けられる人がどれだけいるでしょうか?楽器店の営業マンくらいでは難しいです。そうなると個性というよりも現代という時代の作風になってしまうのです。

自動車などはわかりやすい例です。メーカーごとに個性があるような気がします。しかし特定の時代の古い車を見るとどのメーカーも似ています。「昔は車はみんなこうだったんだよ」と当時を知る人は言います。つまりメーカーごとの個性などよりも時代の差のほうがはるかに大きいのです。今の瞬間にある個性などは小さな違いで何十年後かに見ればどのメーカーも同じようなデザインだったと思うでしょう。

それと同じで基本的な考え方が時代で決まっているのでその中で個性を発揮してもその時代の楽器になってしまうのです。さっきの話ではモンタニアーナやアンドレア・グァルネリはゆがんだ形をしているということでした。欠点のない完璧な形にすればその形がなんでも近代以降の楽器になるのです。

プロの職人から教育を受けた職人は欠点のない楽器を見たときに「美しい」「見事だ」「腕が良い」と感じます。
良いものを作りたいという志を持った職人なら欠点のない楽器作りを目指します。

問題はデルジェズのようなオールドの名器はこれに当てはまらないのです。

それに対して堅物の職人はデルジェズなんて大した楽器じゃないと切り捨てます。自分や自分の師匠の楽器のほうが優れていると考えるのです。
確かに現在の基準で言えばそうです。それを信じ切っているのです。


ほとんどの職人はそうではなく自分たちの基準とまったく違うのにデルジェズを見れば「素晴らしい」と絶賛します。
ここにはもう一つの基準があります。値段です。値段の高い楽器が優れているという別の基準があります。

デルジェズを見たときには値段という基準を持ってきて評価するので素晴らしいとなるのです。
いざ自分が楽器を作る段階になると現代の楽器製作の基準に切り替わります。あんなに絶賛していたのに自分の楽器作りには何一つ応用しません。

二つの基準を時と場合によって無意識に使い分けているのです。

19世紀のフランスの作者でもガルネリモデルになると全く実物とは似ても似つかぬものとなりサイズなどもまったく違います。ヴィヨームのガルネリモデルなら1㎝ほど胴体が長いです。幅も広く巨大化されています。もともときれいなストラディバリをさらに完璧にするという手法をデルジェズに応用するとうまくいかないのです。さらに完璧ではなくて全くの別物になってしまうのです。コピーなのに作者の特徴が無くなってしまうのです。

これは現代でも難しい問題です。堅物の職人はこんな楽器は大したことないと切り捨てるわけです。


一方ストラディバリの方はというと、欠点のない完璧さという基準と値段という基準が混同されています。これはとても厄介な問題です。
モダン楽器の歴史も多くの職人は知りません。ストラディバリは高価な楽器なので完璧なはずだと思い込んでいます。現代の偉い師匠の作るストラディバリモデルの楽器とストラディバリは同じものだと思い込みます。師匠の教えに忠実であれば自分もストラディバリと同じ楽器を作れるようになったと思い込むのです。実際に見比べれば全然違うのですが、偉い師匠とストラディバリを混同しているのです。
さっきのベルリンの楽器もそうです。腕の良い職人の楽器であることと、ストラディバリを混同しているのです。
腕が良い職人のストラディバリのコピーだから本物と一緒だと思い込むのです。
私には現代の見事な楽器にしか見えません。実際のストラディバリは現代の完璧さとは違います。それが面白いところです。それでも現代の並みの職人よりは完璧な美しさを持っています。でももっとアドリブに満ちているのです。

このような混同したストラディバリ観は現在の世界の弦楽器製作の主流となっています。現代風にリメイクされたストラディバリコピーが公式に正しいストラディバリなのです。
これだけでも面白い話ですが、難しいと思います。



それに対して私はデルジェズを見ると「よくわからないなあ」と思ってきました。皆さんもデルジェズを見てもよくわからないでしょう。それが一番素直な感想だと思います。
分からないからおもしろいのです。

現代の基準からすると下手くそなはずなのですが、迫力があります。むしろうまい楽器よりも迫力があるのです。
アンティーク塗装をやっているとその古さが迫力の要因の一つになっていることが分かります。デルジェズの形で作って明るいオレンジ色のニスを均一に塗るとやはり迫力は出ません。一生懸命作ったのにがっかりします。

デルジェズより自分の楽器のほうが優れていると切り捨てる職人くらい自分の現代風の楽器に自信を持っていれば、カリスマ性があって巨匠にもなれるでしょう。
しかし腕の良い職人には気の優しい控えめの人が多くてそうはいきません。私もダメです。オールド楽器の迫力に負けてしまうのです。

古い楽器にはいろいろな色があって単色で塗られたものよりも迫力があるのです。
やはり古いということが決定的な要素になっていると思います。

一方でストラディバリやアマティと比べたらどうなんだという見方ができます。
ストラディヴァリやアマティのコピーでもアンティーク塗装によって同じような迫力が出ます。

アンティーク塗装の手法は人によって違うので私が手掛ければアマティだろうがストラディバリであろうが、デルジェズであろうがみな同じような感じなります。色の加減は目で見て決めます。どの型であるかよりも誰が作ったアンティーク塗装かのほうが違いが大きいのです。

そのためコピーのほうが個性が出るのです。

同様にオールド楽器の迫力はそれが何の形をしているかよりも古さによるところが大きいはずです。ストラディバリのメシアという新品の状態で保存されているものを見れば一目瞭然です。
それでも木が古くなって汚れもついて全くの新品より迫力を増しています。


それに対して現代の楽器はこれらよりも完璧に作られているので新品のニスでもそれなりにきれいには見えるのです。ストラディバリが今の時代にタイムスリップしてきてヴァイオリンを作っても埋没してしまうでしょう。製作コンクールに出しても40位とか50位とか中途半端な順位となるでしょう。デルジェズなどは下の方です。


同じオールド楽器で比べるとデルジェズにはある種の迫力があります。
一番大きいのはf字孔です。はっきりとした特徴がありこれですぐにデルジェズだとわかります。ストラディバリの形にデルジェズのf字孔を付ければ多くの人はガルネリモデルだと思うでしょう。特に晩年のものは粗く大きなもので強く訴えかけてきます。

それ以外はアマティの作風をいい加減にしただけです。スクロールは父親が作っていた時代が長いです。父親の弟子のベルゴンツィの影響は大きいでしょう。弟子とはいっても前の師匠のストラディバリに教わったことを教える側だったかもしれません。
それに対して兄のピエトロⅡ・グァルネリは全然違う、兄弟でこんなに違うかというくらい違います。ストラディバリの影響がなくベネチアに行ってしまいました。ピエトロもアマティの作風が違うように変化したものです。



このように個別に楽器を見ていくと面白いものです。このような個性はイタリアの楽器に限りません。ドイツのオールドでも個性的な楽器はいっぱいあります。「個性があるからデルジェズが良い」という理屈はおかしいと思います。シュタイナーだってアマティの変化したものです。渦巻の代わりにライオンの頭をつけるなんて個性的でしょう。顔がついている楽器はほかにもあります。ヴィオール族の影響が残っている流派もあります。
個性的なオールド楽器はほかにもいっぱいあります。でもそれらは「個性があるから良い」とは言われません。
やはり値段という基準がまずあって、その中で個別の楽器を見ると個性があることに気づくのです。値段が安い楽器の個性は顧みられることはありません。

これらの楽器も見ていくとデルジェズ同様に面白いものですよ。


現実的に楽器を購入するなら弾いてみて音を気に入ったものを選ぶのが普通です。私でもよくわからないと言っているのに一般の人が作風を好きとか嫌いとか分からないと思います。縁があって買った楽器を職人に見せて個性を教えてもらえば愛着が深まって良いと思います。

近代の楽器では個性はわずかすぎます。しかしそれでも職人が見ればいくつかの特徴があります。

今回のドゥッチュのヴァイオリンでは大きな産地やほかの都市のマイスターのものよりもストラディバリの雰囲気があることが希少で高値になっています。20世紀の初めならこのレベルはトップレベルだったということです。現在ならもっと凝ったコピーを作る人が多くいます。
しかしドイツのマイスターたちの蓄積があって基本的なレベルが高いのでその上に初めてこのようなものができるのです。今でもそう簡単ではありません。汚いだけのアンティーク塗装の楽器もたくさんあります。

21世紀の初めにこのようなものを作るのならもっとリアリティを高める必要があると思います。20世紀の教えに固着する現代の偉い職人たちには理解できないことを世界中の才能のある職人がやっていれば100年後にはそれが当たり前になるでしょう。21世紀のはじめとなるとまだわずかですから希少なものとなるでしょう。
今の時代にウケる事よりも後世にオールド楽器の魅力を伝えるという仕事に胸がワクワクします。このブログが元で日本から発信するかもしれませんよ。

こんにちはガリッポです。

2週間ほど涼しかったのがまた1週間ほど猛暑でした。ミネラルウォーターを買うといつものものが品切れでした。別のものを買うととても安いものでした。1.5Lの炭酸入りのものがリサイクル還元を差し引くと、ミネラルウォーターの値段は実質25円ほどです。
普段は水道水で作った日本産の麦茶や水出し緑茶をよく飲んでいます。水道水は地域によって違うようですが、カルシウムが豊富で鍋やポットは真っ白になります。すでにミネラルウォーターです。

ミネラルウォーターで果汁100%ジュースを割って飲んでいます。こちらの人はみなそうしています。
旅行などに行けば飲食店や売店で割高な飲み物を買うことになりますが、コーラやファンタでは砂糖も多く入ってるし旅行ならともかく毎日飲むには適しません。そこで果汁100%のジュースを炭酸水で割るのです。甘味が弱いので売りものになるようなものではありませんが日ごろ飲むにはお勧めです。オレンジ、グレープフルーツがメインでリンゴジュースも良いです。

昔は炭酸は骨を溶かすなんてよく言われていました。カルシウムたっぷりの水を常飲しているので相殺されるのでしょうか?
そもそも最近は言われなくなりました。うちの師匠は歯医者に炭酸水はやめるように言われたそうです。



日本にはヨーロッパのものは高級品としてのみ需要があり輸入されますが、日本人よりお金持ちの人ばかりが住んでいるわけではありません。実際には日本に比べてはるかに安いものがたくさんあります。

当ブログでも一般のヨーロッパの人たちがどんな楽器を使っているかという話をしています。


ヨーロッパの人たちの美意識は日本人にはわかりにくいものです。基本的にアメリカのほうがより実用的なものの考え方をすると思います、「イージー」というやつです。こちらの人たちは「美しい」という言葉をよく使います。

そのヨーロッパ特有の「美しい」という考え方が「高級品」として日本人の眼に映るのでしょう。ところが使ってみると不便だったりします。最初に来たときに、爪切りが無かったので爪切りを買いました。ニッパーのような形のものです。クロームメッキが施され光沢の美しいものでした。しかし爪を切ろうとすると全くうまく切れません。さっそく洗礼を受けました。

商品の外面を作り上げるのにコストを集中させているのでしょう。日本の刃物メーカーなら切れ味にこだわりを持っています。

野菜や果物の皮をむくピーラーを買いました。ステンレスのような金属でできているきれいなものでした。これもまったく皮をむくことができません。それ以来包丁で皮をむいているので練習になります。

工場の人は完成品を試して使ったことがあるのか?と疑問に思います。毎日大量の製品を作ってすべてがゴミになるわけですから困ったものです。仕入れの大手小売りチェーンも一度もチェックしていないのです。



同じようなことはヴァイオリンのあご当てにも見られます。あご当ての本体とネジの金具の部分が別の会社で作られていることでしょう。中国やインドの木工の業者と金属加工の業者に発注して作らせているのです。作っている人たちは設計のデーターが送られてくるだけでそれが何の部品なのかもわかっていないかもしれません。チタン製の高価なものがありますがネジの加工精度が悪くて使い物にならなかったりします。

オールド楽器になると横板の高さが低かったり、表板や裏板の厚みが摩耗して薄くなっています。そうなると通常のネジでは合わないこともあります。同じようなネジはたくさんあって大抵は同じ規格なのでしょうが、それでも微妙にきつかったり緩かったりします。うちの歴史のある店なので金具の部品が山ほどありますが、その中から合いそうなものを探すわけです。あるオールド楽器では歪んでしまったあご当てのネジを交換するのに半日以上かかってしまいました。まともに計算すれば3万円くらいの技術料です。

プロのヴァイオリン奏者でしたが結果として音が良くなったと言っていました。がっちりとしっかり固定できることが良かったのだと思います。労力が報われます。純粋に商売だと考えていたらやってられないです。
チタン製の金具は軽量な金属として市販されています。しかしメーカーのカタログにはどこにも「音を良くする」などとは書かれていません。我々の業界では「軽い=音が良い」という思い込みがあるため高い値段で売っていれば高性能だと思い込むのです。


ひどい安物が多いです。企業が利益を上げるために物を作るならできるだけ手を抜く「努力」が必要です。こだわった製品を作っているメーカーの大半は数年後には身売りしていることでしょう。

だからと言って高いものを買ったら大丈夫かというとそれも違うのです。うちの会社に導入した照明システムも決して安いものではありません。誤作動が日に日にひどくなり技術者が久しぶりにやってきて自分の会社が売った製品を「クソ」と言っていました。照明会社の社長が「美しい」と絶賛するのと技術者の言うことが違います。現場では手に負えないと制御コンピュータの本体を持って帰ってしまいました。
それを買ってしまううちの社長がヨーロッパ人の感覚を持っています。


逆に考えると日本の場合にはトラブルや故障に対してとても神経質だということです。照明器具は電圧が違うので日本のものを直輸入することはできません。日本のメーカーも営業力の限界があって参入していないのです。昔から電球の切れやすさは欧米ではとんでもないです。アメリカに住んでいた親族によれば電球をいくつもセットするような照明器具なら毎日一個切れるみたいな感じです。エジソンが電球を発明した国です。

日本の場合には不満や欠点が無いことに労力をかけているでしょう。その結果見た目の美しさではやはりヨーロッパの企業にはかなわないです。

私は日本の企業の製品を「美しくはないけども悪いところが少ない」と同僚にも薦めています。

最近では日本企業の製品も怪しくなってきました。偉そうに言っておいて恥をかくことにもなりかねませんのであまり日本製品をプッシュできなくなってきました。


そういう裏が長年いると見えてくるものです。それもヨーロッパの人たちの不思議な感覚です。
基本的に日本人よりは総合的なものの見方をするでしょう。日本人にとっては細かいところが納得いきません。
アメリカ人なら便利で楽できるものを好むでしょう。

私はヨーロッパに来て見るものがとてもきれいで日本の靴屋にはないようなおしゃれな靴を買いました。ところが足が痛くなってしょうがありませんでした。そこでアシックスの革のスニーカーを履いていました。
よく日本人の足は幅広で、欧米とは靴が合わないと言います。私もそうかと思っていましたが測ってみるとそうでもなくDワイズという欧米では普通の幅でした。
一方店員などが客を待たせることに寛容なため、なにかと並ぶことも多いので暇つぶしに足元を見てみると、靴がひどく変形して履いている人をよく見ます。靴底に対して足の幅が広すぎるのです。

別に西洋人の足の幅が細いということは無いのだと思います。幅の狭い靴を無理して履いているのでしょう。家の中でも靴を履いているのですから日本人とは違います。昔から靴というのはそういうもので昔は子供のころから革靴を履いていて、そのように足が育って行ったのでしょう。
同僚にこっちの靴は足が痛いと言うと「軟弱だ」と言われました。靴の不快感を気にしないのです。
それはやはり日本人が昔は靴を履いていなくて窮屈で邪魔くさいのを嫌がるのでしょう。赤ちゃんに靴下をはかせてもすぐに脱いでしまいます。
家の中で靴を履いていないだけでなく昔の子供は裸足や下駄で自由に足が育っていたことでしょう。
一方オランダなどは木靴を履いていました。土産物で今でもあるでしょうが、実際に戦前の写真や記録映画を見ると本当に木靴を履いていたようです。革靴くらいで音を上げるようじゃ軟弱すぎます。



それに対してさすがに問題を抱える人がいるのでしょう、足の健康を売りにした靴メーカーや専門店、中敷きなどがあります。障害やケガの後遺症など医学的な面もあります。

最近では「wide fit」と表示された靴が売られています。
アシックスに変わるものとしてアメリカメーカーのワークシューズをいくつか試してみましたが、これは幅広に作られています。キャタピラーとスケッチャーズは幅広に作られています。これらはとても安いのに丈夫で実用的なものだと思います。アシックスほど足にフィットして体重を足の裏全体に分散させることはできません。でもヨーロッパのものよりはましです。イギリスのメーカーで快適さが売りのドクターマーチンでも怪しいです。足裏のフィット感は安物の作業靴と同じようなもので見た目は良いのにやっぱりヨーロッパか…と思います。
世界の作業靴の情報が欲しい人がいるのでしょうか?


したがって欧米の専門家も幅が広い靴のほうが快適だということを知っているのでしょう。ただし伝統があって細長い靴はよりフォーマルなものでは我慢して履けということでしょう。


もう一つの例としては高級車でステーションワゴンが多いことです。うちの社長もそうですが、ステーションワゴンがとにかく多いです。日本人ならより実用性を重視して箱型の車を好みます。もしくは燃費性能に特化したものです。アメリカ人ならトラックです。それに対してヨーロッパの人は昔ながらの高級車に実用性を足したステーションワゴンを好みます。細長いものが好きですね。

服もそうです。ヨーロッパのものは細くて袖も長いです。職人なので多少腕に筋肉があるとパンパンになってしまいます。西洋人ですら長すぎる袖の服を着ているのをよく見ます。
クレームでメーカーも変えるかと言うとそうでもないようです。業界の美意識を貫き通すのがヨーロッパ流なのかなとも思います。

いずれにしても見た目の美しさを重視しているように思います。ヨーロッパの都市は必ずと言っていいほど川が流れています。
川のそばに家を建てれば景色がきれいです。しかし雨が続けば洪水になってしまいます。堤防を作るかと言えば
そんなことはしません、景観を損ねるからです。
日本では広い河川敷があって大きな川は街の真ん中というよりは市町村の境界になっていることが多いでしょう。

他には網戸がありません。
窓を開ければ虫が入ってきて同僚も蚊に刺されたなんて言っています。網をつけると窓もきれいではないし、通して見る景色も美しくありません。

あらゆる面でヨーロッパの人たちは実用性よりも「美しさ」を重視してきたと感じます。それが芸術であり音楽でもあります。それを生み出す道具もアメリカ人や日本人の感覚とは異なるものだったとしてもおかしくありません。


私自身も弦楽器の形状が音響的に改良の余地が無いとは思いません。しかし形が決まっているので数百年にわたって無数の職人が様々な試みを試しても初期のものを凌駕することはできなかったのだと思います。性格は違うものができたでしょうが技術革新と呼べるほどのものはありません。

弦楽器の基本形に対してはとても頭が固いです。その中でユーザーは自分の気に入るものを選んでいます。


とてもヴァイオリンに興味があるというお客さんが来ていました。自分が弾いたことのある楽器の話をして1万から2万ユーロで何か良い楽器は無いかと探していました。120~250万円くらいです。日本なら学生でも300万円の新作楽器を持っていますからすごく高いということはありません。

そのクラスになるとさすがに作者の名前が特定されているものです。100年くらい前のドイツとかチェコのマイスターの楽器でどれも教科書通りに美しく作られたものです。
その方が弾くとアマチュアとしてはかなりの腕前でどの楽器を弾いても耳障りな嫌な音はしません。何を弾いても美しい音がしました。
これらのヴァイオリンで何の不満があるのでしょうか?
私は聞いていてありませんでした。

もし音だけに特化するなら私がいつも言っているようにもっと安くても良いものがあると思います。そういう意味では決してコストパフォーマンスが最高とは思いません。しかし美しく作られた楽器で美しい演奏をしていてヨーロッパの美意識が発揮されていたと感じました。


全く違う形の楽器ならもっと優れたものもできるかもしれません。作るほうもそうなら買う方も変わった楽器は勇気がいります。
一般的な産業ならプロモーションによって新製品も広く知られて評判も定着します。弦楽器の業界でテレビコマーシャルを打てるような大きな会社はないです。ヤマハでもユーザーが専門的すぎてテレビコマーシャルは難しいでしょう。釣りの番組では釣り用品のコマーシャルをしています。同じようにクラシック音楽の番組があれば可能かもしれませんが、それでも鍵盤楽器や管楽器など売れ行きのほうを優先するでしょう。それ以前にクラシック音楽の番組は民放では難しいです。

カーボンの弓でも当初は木製に変わる高級弓として開発されたものが成功しませんでした。安価な価格帯では好みによっては選ばれることもあるという程度です。それに対してスポーツ用品なら木製の古いものは博物館行きです。
雑誌は多少はありますが、弦楽器を弾いている人がみな読んでいるということはありません。現メーカーは必ず広告を出し新製品がたくさん出ますが、こちらが紹介しない限りほとんど誰も知りません。


変わった姿の弦楽器を普及させるのはとても難しいと思います。フォーマルな弦楽器が主流であり続けると思います。そうなると技術革新は起きようがありません。

したがって伝統に従って美しく作られた高級品と、手抜きして作られた安物のどちらかしか売り物にならないということです。手抜きして作られたものが破格の値段で売られていれば私は高すぎると感じます。



修理の話です。
ヨーロッパ人の美意識があると言ってもお客さん個人レベルで美しい楽器を分かっている人はまれです。我々職人たちが製造者の理屈を貫き通しているだけです。
そのためとんでもない手抜き楽器を持っている人がたくさんいます。


これも修理がひどいです。
点検と清掃を依頼されましたが、弦をはじいてみればビリつきがあります。本人が気づいていないなら問題はありませんが、専門家として健康な状態とは言えないでしょう。

裏板や表板をタッピングしてみるとそこかしこでビリつきがあります。スネアドラムみたいなものです。
この前も古い量産品の整備でビリつきがあり、パフリングに隙間がありました。裏板や表板の至る所にありパフリングが表板や裏板にピッタリとはまって接着されていないので間に隙間があってそこがビリついていたのです。おそらくパフリングも深く溝を掘りすぎていていエッジの強度もなくなっているのだと思います。

この楽器でもまず裏板のビリつきが起きる箇所のパフリングに天然接着剤のにかわを流し込んでみました。そこは無くなりましたが他にいくつも箇所があるようです。表板のひびはパッと数えただけでも23か所くらいはあります。そこにもにかわを流し込みました。タッピングでのビリつきは軽減しました。弦を張ってみるとまだビリつきはあるようですが、最初のようなスネアドラムのような感じはありません。本人がスネアドラムで良いと思っているのならそれでいいですけども。
弓で弾く場合は弦や胴体の振幅の幅が小さいので問題にならないかもしれません。
一方神経質にとても気にする人もいます。

点検を頼まれたのでやれることはやっておきました。またしばらくすればビリつきが再発することでしょう。本格的には表板を開けてすべて接着しなおす必要があります。傷も古いため完全に直せるかもわかりません。割れたての傷ならほとんど見えないくらいに直せますが、古くなった傷は間が空いています。

過去の修理がひどかったわけですが、裏から当て木で補強はされています。しかし割れがしっかり接着されていません。

このような修理でもお金をもらっていたのですから職人の個人差は大きいものです。

もしこのような割れをきっちりと修理するような職人が自分で楽器を作るとしたらどうでしょうか?
おそらくきちっとした楽器を作ると思います。そうなると手間もかかって値段も高くなります。
多くの消費者にとっては高すぎるものとなるでしょう。そのため手抜きの楽器が多いのです。

ユーザーにとって最もコストパフォーマンスに優れた楽器は見た目は雑に作ってあっても、音響面、強度、演奏面に特化したものです。しかしそのようなものはめったにありません。逆のものはたくさんあります。見た目はそんなに悪くないと思っても中身はめちゃくちゃです。


きちっとした楽器を作る人は必要性は無くても見た目をおろそかにするのは嫌なはずです。マーケティングの視点なら消費者の求めるものを作ることが正しいのです。

しかし職人は自分の美意識を貫き通すのです。性格の問題です。


技術的にみると音の良さと見た目の美しさは関係ありません。当ブログでは物理現象としてそのように言っています。粗悪品であればもちろん影響があります。音以前の問題もたくさんあります。


市町村が運営する地元の音楽学校でコントラバスを購入することになりました。うちの会社にも見積もりを求められました。当然一番安い値段ではありません。インターネットを見ればはるかに安い業者があります。弦楽器専門店でない総合楽器店でもはるかに安い値段のものがあります。
自治体の予算で楽器を購入するので安いものを選びます。

以前には中国製のとても安価なヴァイオリンやチェロを購入した学校があります。教師たちは調子の悪い楽器に苦労したようです。調弦すらうまくできなくて先生がレッスンの時間の多くをペグとの格闘に費やしたそうです。
駒のカーブが正しくないと弓がほかの弦を触ってしまいます。初心者ではよくあるミスですが、楽器がひどければ上級者でも避けられません。これらをやり直すと買った楽器の値段くらいになります。もっと安い楽器なら弦のセットのほうが楽器より高いくらいです。

コントラバスも新品で買ってまともに弾けないというものがたまに持ち込まれます。指板を削りなおすのに半日くらいかかります。それで3万円です。

中古品でもべニア板の3/4のチェロが持ち込まれました。駒を見ると高さやカーブがめちゃくちゃでした。よく見ると駒は4/4のものがつけられていました。素人が修理したのでしょう。テールピースも弦もすべて4/4のものがついていました。他のチェロのものをつけたのかもしれません。
下手すると修理代が10万円くらいになりますが、直したところで音はひどいものです。


音楽学校の担当者はうちの薦める楽器が欲しいようですが、予算を得るのに苦労しているようです。

したがって安い楽器で十分なんて言うつもりはありません。しかし無駄に高いものを買う必要もないと思います。

うちでは中古楽器が出てきたときにこれは良いとか悪いとか判断します。メーカー名ではなく品質で楽器を見ます。品質が良いものであれば売り物になります。そうでなければただのゴミです。
音については人によって好みがいろいろあるのでまともに作ってあるものならいつか買う人が見つかるだろうというくらいのスタンスです。




今作っているヴァイオリンには依頼主の希望でこのフィッティングパーツになると思います。

オットー・テンペルのドイツ製のもので材質はツゲに、白い部分はマンモスの牙です。象牙に変わるものとしてシベリアで発見されるマンモスの牙が使われています。
当ブログでもかつてはハラルド・ローレンツのフィッティングを使っていましたが、入手が困難になりました。
テンプルは仕事が甘いと書いていましたが今となっては高級品です。値段も年々上がっています。一昔前は中級品くらいに思っていましたが、今では高級品です。
仕事が甘いことは間違いありません。もし弓でこのような精度なら一流の職人の弓とはみなされないはずです。
しかし消耗品であることを考えれば材質が良いので十分高級品と考えて良いでしょう。
仕事の甘さによってペグを手に持った時、角が当たって痛いということもなく実用的には優れたものです。
注意点は飾りの輪っかがよく取れます。なので私は接着剤を流し込んでおきます。

フィッティングパーツは種類が多いためうちで在庫を持っているのは代表的なものだけですが、注文すればすぐに入手できます。
これは通常のツゲで杢が入ったものはセットでしか販売されていないためうちでは使っていません。ペグが一本折れたときにもう一セット買わなくてはいけないことになります。
しかし補修部品はカタログに無くても応じてくれるとは思います。スペアの輪っかを売ってもらったり、チェロのアジャスターの部品を買ったこともあります。でも時間は結構かかることがあります。通常は商社などが間に入ってストックしているようです。

私も日本にいたころショーケースに入った杢入りのテンペルのフィッティングパーツを見たことがあります。最高級ドイツ製と謳われているでしょう。私は中級品と思ってしまいますが商売するのならそれではだめなのでしょうか?私の言うことは厳しすぎるかもしれません。
実際中級品を手ごろな値段で買えるのは賢い買い物だと思います。情報としてはそれで正しいと思いますけども。世の中には高級と書いて売ってるものが多すぎます。「高級」で中級くらいのものでしょう。日本で商売人が最高級と言うのは中の上くらいのものですね。値段だけは最高級になっていますが。


高級フィッティングにしたから音が良くなるようなものではありません。
これより安いものとなると中国やインド製の本当に安いものです。中間的なものがないのです。大半は加工はもちろん材質も悪いものです。音がどうとかいう以前にツゲのものは材質が悪すぎて弦が食い込んだり割れたりしやすいものです。


その中インドのもので材質の良いものがあってローズウッドの代替品としてタマリンドという木材を使ったこともあります。加工もテンペルに迫る中級レベルです。
ローズウッドは規制が厳しくなってきたのでテンペルでも代替の材料のものが発売されています。
そういうものにも注目しています。


耐久性や機能面では黒檀が優れているのでうちでは普通は黒檀のものを使っています。しかしツゲのものはオールド楽器に使われることが多いのでアンティーク塗装のものにはマッチします。ヨーロッパ的なもので見た目は美しいというものです。材質が良いものなら十分使えます。
それで音が良くなるとか、調弦がしやすくなるとかそういうことは期待してはいけません。













こんにちはガリッポです。


チェロの修理から。

1983年にドイツのミッテンバルトで作られたチェロです。
ミッテンバルトはかつては村中でヴァイオリン製作が行われたところですが、今でも機械化をしてやっているところがあります。とはいえ従業員が何10人もいるような大きな規模ではないでしょう。ミッテンバルト以外も含めると量産品はメーカー名が覚えきれないほどあります。

そのため我々はどのメーカーかということは全く気にしません。
日本には特定のメーカーだけが輸入されてきたため誰もが知っているようなドイツのメーカーなどもあるでしょう。そのような会社は国際ビジネスに成功しているメーカーで全体のほんの一部ということになります。
ヨーロッパ内となると小さな規模のメーカーが過去にも現在にも無数に存在します。近年ではルーマニアやポーランド、スロバキア、トルコなど国も様々です。

このチェロは板の厚みも薄くなるまで作られていて、40年近く経って表板も濃い色に変わっていて雰囲気があります。今では製造されなくなった(禁止された?)独特の染料で染めてあります。
量産品ではありますが有望なものです。ヴィンテージものですね。

40年近くも経っているのですが、目立った痛みや損傷はありません。唯一の問題はいわゆる「指板の下がり」です。ネックが弦の力で引っ張られることで徐々に角度が水平になっていきます。こうなると駒を低くしなくてはいけなくなり表板にかかる圧力が減少します。また駒が低くなりすぎると弓が表板にぶつかりやすくなります。これは楽器によっていろいろなことが影響してきます。いずれにしても専門店で売るにはまずいので修理が必要です。指板を新しい分厚いものにして指板とネックの間にくさびと呼ばれる板をいれます。ネックのスクロール側が薄くなっていて胴体側が厚くなっています。これを入れるとネックが厚くなりすぎるのでネック自体も削りなおします。試奏したいという人が待ちくたびれていたので急いで音だけ出せる状態にして貸し出しました。

板の厚みが薄く比較的品質が高く作られていて、40年も経っているので音についてはかなり有望なチェロだと考えられます。厚みを削りなおす改造の必要もないのです。下手なハンドメイドの楽器以上の可能性もあります。
チェロを弾く同僚が休暇中に骨折して休んでいるため音はまだわかりません。
そんなことがあって期限が迫った仕事ばかりで先週は気疲れしました。日本と違って残業するわけにもいきません。勤務時間内にやらなくてはいけないです。

これまで聞けばどんなに良いチェロかと思うかもしれませんが、気になるところもあります。弦を張ると駒のC線側が予想以上に沈み込みました。表板も中央が陥没し始めているのです。バスバーが弱いのではないかと思います。アーチの構造や板の厚み、過去の魂柱などに問題があるのかもしれません。
今の状態で止まっていれば実用上は問題ありませんが、気分はよくありません。
コントラバスなどでもっとひどい例はいくらでもあるので壊れたとまでは言えませんが、古いもので量産品でとなると贅沢は言えません。

表板の中央はあまり薄くするべきではないと思います。私が作っているのは中央と周辺は現代の標準と同じようにして、その中間を薄くしています。真ん中の一番厚いところと周辺の一番薄いところは一般的なものと同じ厚さです。そんなにめちゃくちゃ薄くするわけではありません。それでも音色には大きな差が出ます。量産楽器の場合にはそれらよりもずっと厚いものや削り残しのあるものが多くあります。改造するときはかなり削らないといけないのです。


ここで問題になるのは弦の張力です。
一般的に強い張力であれば、強い力で表板を振動させることができます。そのため現在ではチェロにはスチール弦が使われています。ヴァイオリンではナイロン弦ですが、伝統的なガットに比べると張力は強くなっています。

理屈上は張力を強くすれば音が大きくなるということです。
あまりにも強くすれば表板の陥没や指板下がりの原因となります。
じゃあ板を厚くして、ネックを斜めにすればとなると低音が出にくい明るい音になります。鋭くて明るい音です。

もう一つの問題点としては、表板を押さえつけてしまい自由な振動が妨げられます。ふわっとした響きが無くなるのです。

そのほか弓での音の出しやすさも関係していきます。


特に音楽家には数字が好きな人がいます。張力もメーカーが公表する数字があって数字が好きな人は夢中になるでしょう。しかし数学マニアでないならガット弦とスチール弦のような大きな違いを理解する方が重要でしょう。各製品ごとの違いは数字だけで判断するのではなく使ってみてしっくりくるものを探すしかありません。印象と数字が一致しないものです。

力づくで鳴らすよりも、豊かな響きを生かすことで音のボリューム感を得る方向性も考えられます。特に高いアーチのオールド楽器などは力づくでは上手くいきません。

一般的なユーザーはチェロならスチール弦、ヴァイオリンやビオラならナイロン弦から始めるのが今では一般的でしょう。ガット弦などは初心者には費用もかかるしそれ以前に練習すべきことがたくさんあります。昔はスチールはひどく耳障りな音がしたため高級弦はガットと決まっていました。それしかなかったのです。ヴァイオリンではナイロン弦が開発され、チェロではスチール弦が改良されました。耐久性や調弦の狂い難さに優れているのでガット弦はある程度の上級者以外には薦めません。多くのユーザーは弦の銘柄もわからずに使っています。一本切れたからと買い足し、年配の人ではガット弦とナイロン弦をごちゃまぜにしていることもよくあります。その場合は今で調弦が狂い難い丈夫な弦があるのでとナイロン弦を薦めます。


このようなことは広く知られていることです。

それに対して修理などをするときにネックの角度を浅めにした方が良いと同業者の仲間から聞いたことがあります。多くの職人は駒の高ささえ正しければいいと思って古い楽器にめちゃくちゃな角度にネックを入れてあるものが多いのです。
私もいろいろ試しましたが古い楽器ではその傾向が強いと思います。うるさすぎるモダン楽器でも同様です。
でも新作では音が弱いだけで浅い角度は万能ではないと思います。何か理想があるというのではなくてトータルで妥協点を見つけることでしょう。

高いアーチの楽器とかになると今でもよくわからないところがあります。試行錯誤をしているところです。
今回のチェロは表板に強い力をかけないようネックの角度に気を付けて修理しました。


このようなチェロが注目されるのは40年という年月が音の出やすさにメリットをもたらすことにあります。というのも昨今では音の強さを重要と考える人が多いからです。

それに対して他にもいろいろな価値があって良いと思います。しかし弦楽器の業界ではビジネススーツのように皆同じものを作り、その仕立ての良さによって高級品と普及品が分けられてきました。好みに合ったものだとか、作家の創造性のようなものは発揮されてきませんでした。

そのため作者の意図とは関係なく偶然生じる音の違いで楽器を選ぶしかないのです。
同じものを皆が作り、それでも起きる個体差によって違いがあるということですから、自分の好きなものはどこの誰が作ったものにあるのかわかりません。


それに対して商業上は何か「名工」のような抜きんでた職人がいるかのように売ってきました。まともに作ってあればそんなに音が悪いことはありませんから、名工という肩書を信じ込んだ人は「さすがに音が良いな」とえこひいきの評価をすることができます。実際には無名な作者でも同じようなレベルです。


クラシックという世界は、同じ「名曲」を皆が演奏します。これがほかの音楽ジャンルと大きく違う所でしょう。同じ曲を弾くわけですから上手下手というのができます。自分が弾く曲を自分で作曲するのに比べれば同じ曲です。

これがクラシックという世界です。
ヴァイオリンも同じものを作り間違いなく完璧に作られていれば高級品となります。名曲は、はるかに少なくてストラディバリウスとガルネリウスの2曲しかありません。


これではあまりにも面白くないのでいろいろと考えています。
前回の話では伝統にのっとっていないものは「ヘンテコ」として売り物にならずに眠ったままになっているということでした。これを「創作ヴァイオリン」のような部門を作れば興味を持つ人もいるかもしれません。職人たちが過去にとらわれないで創造性を発揮して世に出していけば面白いものができるかもしれません。

私もいろいろなものを考えたことがあります。
駒のところにピックアップを取り付けて拾った振動を電気で増幅し、楽器本体の振動体を振動させて音を出すとか、そうなると伝統的な楽器の形をしている必要はありません。機能面から合理的な形を作り、そこにちょっとした造形センスを加えればきっと素敵なものになるでしょう。


最近ではすっかり古い楽器に魅了されてしまいそんなことは忘れています。これもまた別の部門です。例えば、オートバイなどでは昔のバイクのような姿が好きな愛好家もいます。私は詳しくありませんがオートバイは実用というよりは趣味としての意味合いが大きいでしょう。自動車ではありませんが、オートバイならクラシック系というようなものがあります。

ヴァイオリンではバロックヴァイオリンというものがあります。私もいくつか作ったことがあります。日本人の方でこちらで研鑽されて日本で指導をしている人ととも知り合いました。日本にも本格的な古楽演奏がもたらされ、それに楽器も必要になります。これもかなりのめり込んでいた時期があります。

今私が興味があるのは20世紀の初めの方の美意識です。
音楽については多くは語りませんが、黄金色のクレモナのオールド楽器が珍重されたものです。実際にはニスがはげ落ちて黄金色に見えるだけです。昔の修理ではこびり付いた汚れをニスごと削り落として下地を出したのではないかと思うほどです。エッジは丸みがありこれもやすりで削って丸くしたのではないかと思われます。今ならオリジナリティを尊重するためにそんな荒い修理はしません。

今でも珍重されていますが、より音の強さを求めてモダン楽器の評価が上がっています。アマチュアレベルでも年配の人であればドイツなどのオールド楽器を大事に持っている人もいます。今の学生ならよく鳴るモダン楽器を探しています。

ドイツのオールド楽器のようなものは年配の人が持っているというイメージがありました。ただし、また最近貴重なものとして見直されているように思います。先週もメンテナンスの仕事がありました。


私はジャンルとしてはっきり「オールドスタイル」というのを確立したいですね。呼び名が何が良いのかずっと考えています。
バイクのように「クラシック」と言うと音楽では古典派を意味してしまいます。文化の歴史ではバロックの後のロココという時代の楽器ということになってしまいます。バロックとモダンの中間的なもので、大きく分けるとバロックヴァイオリンの一種です。

「ヴィンテージ」と言うと古ければ特定のスタイルではなくて昔使われていたものなら何でも良いように思えます。「ヘリテージ」と言うと過去に作られたものの中から優れているものを「発見」するという感じがします。私としてはしっくりくるようですがあまり言葉として知られていないでしょう。
誰にもわかりやすいのは「オールドスタイル」ですね。ただモダンとオールドが違うということを理解している人はわずかですから、中古品も含まれてしまいます。

アンティーク塗装自体は盛んにおこなわれています。しかし作風が現代風であることが多いのです。このようなことは19世紀のフランスですでに行われていました。イギリスではもっと古くからやっていたかもしれません。いずれにしてもフランスの楽器製作が世界標準となったためアンティーク塗装もフランスに倣ったものです。
19世紀にはオールド楽器もまだそんなに古くありませんでした。ストラディバリが今のモダン楽器くらいの古さでした。アンティーク塗装の手法も今のモダン楽器のようなものをイメージしていたはずです。フランスのモダン楽器では裏板の中央から下側のフランス風の真っ赤なニスがはげ落ちたように塗られていました。左右は対象で美的にバランスが取れたものですが、実際のオールド楽器ではもっと不規則になります。本物らしく見せるというよりはニスの赤い色と黄色い色の2色に塗り分けられたツートーンカラーの楽器というふうに私には見えます。白と黒の二色の革をつかった靴がありますがそれに似ています。

この手法は今でも残っています。新品のように塗られたニスの一部だけが剥がれ落ちている様子を再現したものです。新品の製作技術を応用したものです。

それに対して300年も経った楽器のを再現するなら新品の楽器を作るのとは全く違う手法が求められます。新作のオレンジのニスに真っ黒な傷をつけただけのようなものは全く古く見えません。裏板や表板を2色に塗り分けたものも同様です。まだ職人の間でも現代の作風とオールドの作風が違うということがよくわかっていません。商人が見てわかるのかどうなのかも疑問です。

アンティーク塗装自体は盛んにおこなわれていて、これができなければ楽器を売るのはずっと難しくなっています。その中でもちゃんとしたオールドスタイルを確立したいものです。



下地のニスを塗ったところです。
今回もまた新しいものを作ってみました。おそらく音には違いは無いことでしょう。それも分かるのが重要です。


角を丸くしたりするのも毎度のことですがとても難しいものです。コーナーを修理するのはものすごく難しいです。規則性を何とも言いようがりません。

ガチャガチャのパフリングとともに独特の雰囲気となります。

表板はかつてはあご当てがなかったので地肌が露出したことがあったでしょう。

汚れが染み込んでいるのでそこだけ染めます。自然な境界を作るのがポイントです。

表板のコーナーやエッジはオリジナルのものは傷みが激しいものです。今回は理想的な修理がされたような状態です。

裏板も下の端は肩当が無かったので汚れが染み込んでいます。

スクロールも角を丸くします。

こちらも実際の楽器ほど傷んではいません。今回は汚さはいけません。依頼主の希望があるからです。
リアルさを追求するならもっと大胆に行くべきです。あくまでオールドスタイルです。

汚れがたまっている様子です。

ニスも溜まっている様子を追加です。

こんな感じで出来上がっていきます。

まだニスの作業は続いています。
つづきます。
こんにちはガリッポです。

先日の出来事です。
チェロを買おうと考えている人が他店で売りに出しているものを借りて持ってきました。先生などに弾いてもらって音が良いので買おうかと考えているものでした。
チェロは古い南ドイツのシュタイナー型のもので1700年代の終わりのラベルがありそんな感じのものでした。大きさは現代のチェロくらいのものでとても貴重なものです。
しかし状態がひどいものでした。表板と裏板ともに魂柱のところで真っ二つに割れていて修理の跡も汚いものでした。裏板は大きく変形し山と谷ができていました。厚みを測ると2㎜程度しかなくヴァイオリンよりも薄いものです。
全体としてもヴァイオリン並みの厚みでした。
薄めの厚さを好む私でもさすがにヴァイオリンの厚さにはしません。

値段は130万円くらいだそうです。オールドにしてはとても安い値段ですが状態の悪さからその値段になっていて修理も安上がりなものでした。

音が良いということですが、音色の美しさはあると思います。
はじめは気にならなくても使っているうちに不満が出てくるものです。そうなったときに、修理をし直さなくてはダメかなんてことになると同じくらいの金額はすぐにかかってしまいます。古い楽器なのでしょうがありませんがストップも短いし気にしだしたら問題が山積みです。

格安で中古の高級外車を買うようなものです。
燃費も悪くこれからいろいろなところが壊れ始めて修理代も国産車の倍以上かかるのです。結婚式場で使っていたリムジンなんて立派ですが軽自動車より安いからと買おうとしてる知り合いがいたら止めるでしょう。安いのは買う人がいないからです。

チェロでそれくらいの値段なら量産品しか買えません。その中で使いものになるものを探して買うのが普通です。それで言うと私が量産品を改造しているチェロなら他のものよりずっと音色の美しさがあると思います。今回のようなチェロは自分が修理することを考えると気が遠くなるので薦めたくはないです。



楽器の良し悪しについてはいまだによくわからないものです。

職人なので加工のクオリティが高ければ高品質な楽器だと思います。高品質な楽器を作るには手間がかかり、職人の腕前も必要です。したがって高品質な楽器があればすぐに上等なものだとわかります。安く作るための手法で作られた量産品は山ほど存在するので上等な楽器は希少です。

そのうえで現代の楽器なら何となく「お手本」というのがあります。私などはまずフランスの19世紀の楽器をイメージしますが、修行するときにはそれが何世代も伝言ゲームのように伝わったものを学びます。そのためたとえ手作りであってもそれから離れていると「ヘンテコ」というイメージになります。
現代にはヘンテコな楽器を作っている人は結構いて私などが見ると、「プロとして認められる水準に無い」と思います。しかし、結構そういう楽器を使っている人がいるので営業の能力さえあれば楽器は売れるということです。アマチュア向けにヴァイオリン製作の本を書いているような人の楽器はたいていそういうヘンテコなものです。ヴァイオリンを作りたいという人たちにはヴァイオリン製作の神髄を語る「先生」と信じさせることができます。出版社も分かりません。


フランスの19世紀の楽器製作が現代の楽器製作のルーツですからそれがすべてのお手本となるわけです。また、アマティやストラディバリなどの名器もお手本となります。私などはそちらの方にも強く興味があり、近づけるように取り組んでいます。そんな私からすると過去の名器と似てないものは「ヘンテコ」というふうに映ります。


この前もそんな楽器のメンテナンスがあり、保険を掛けるためなどに価値を査定するとなかなか難しいものがあります。フランスやドイツでは19世紀後半から戦前までどれもそっくりなモダン楽器が作られていました。そのため質が高ければハンドメイドの高級品、低ければ量産品とはっきりとわかります。

ところが戦後になるとそれらの流派が途絶えてしまい、自己流のような楽器を作る人が出てきます。そうなると私たちが高級品としてイメージするものと違うハンドメイドの楽器があります。量産品とも違うのでハンドメイドだとわかります。1980年くらいまではスクロールだけを作っていた職人がいて量産品にはそれらが用いられていました。今では機械で加工できるようになっています。
「ヘンテコな楽器」についているスクロールは渦巻き職人が作るようなものではないのです。

うちの店でそのような楽器を買い取ったり売ったりするかと言えば、あまり気が進みません。当然お店も何を買ったり売ったりするかは自由ですから、すべての楽器を扱わなくてはいけないという決まりはありません。

しかし当人は「自分は優れた職人だ」と信じて疑わないでしょうし、家族や楽器を買った人たちも同じでしょう。ヴァイオリンでも作るには何日~何か月もかかるわけですから一生懸命働いた自負もあるでしょう。専用の道具なども必要ですし、なければ自作したり工夫したり苦労を乗り越えてきた物語があります。それを「ヘンテコ」として切り捨ててしまうのは失礼な話です。
それも含めると数えきれないほどの人が弦楽器を作ってきたのです。

私もその無数の職人の一人です。
同業者の方も、アマチュアの製作家の方もみな自分が思っているのと、第三者から見た目線は違うものです。私などもアンティーク塗装を研究してきて徐々に表現手法を確立してきました。そのような渾身の楽器でも興味が無ければ目にも止まりません。
家宝として大事にされている楽器でも同様です。なくなったおじいさんが大事にしていた楽器でも売りに出せば大した値段がつかないこともあります。

そのような感じで作った本人と弦楽器市場の見方にはギャップがあります。


「ヘンテコな楽器」が作られるのは古い楽器には興味がなく、それらを知ろうともしないからでしょう。うろ覚えで自分の頭の中の「ヴァイオリン」を作った結果です。何の根拠もなく自分の楽器に自信を持っています。知らないからの自信とも言えます。

弦楽器に限らず工業製品全般で普通のことです。
日用品でも「若い感覚」を持った工業デザイナーがルーツなどを知らずにデザインをして目に留まったものが売れます。ネットの時代ならなおさら外面が物を言うでしょう。
職人の私がよくわからないのはゴチャゴチャした最近のスニーカーのデザインです。
なぜそれを選ぶのか私には見当もつきませんが、何か本能を刺激するものがあって一瞬でハートを鷲掴みにするのでしょうか?
ヨーロッパの職人の基礎が染みついている私からするとわかりやすいのは革靴です。
歴史のあるスタイルが完成され、無駄がなくなめらかなカーブで調和のとれた形になっていて上等な材質の良さを引き出すように配慮されています。見えないところまできちんと作ってあるかどうかもわかるでしょう。
そのような伝統的な手法で靴を作ると値段が高くなるので現代の目には珍しく高級感を持って見えます。ただ、あまりシュッとスマートな形になっていても足が悲鳴を上げます。ヨーロッパのものというのはつくづく見た目重視で機能性は二の次と考えているところがあると感じています。

職場で導入した照明システムの会社の社長が来ていましたが、いまだに機能しない照明を前に「これは素晴らしい」と自分の商品をべた褒めしていました。こちらの使い勝手などは一切興味が無いようです。私は作っている楽器の立体感が見にくいことを問題にしていますが聞く気はありません。

突然照明がついたと思ったら、隣の部屋で別の人がスイッチを操作したのです。スイッチは電源の電線とは関係なくコンピュータを操作するものですからプログラムのせいで押すと違う部屋の照明がつくのです。こっちの部屋のスイッチとも連動しているので訳が分かりません。
何が素晴らしいのか私には全く分かりませんが、照明会社の社長はお金持ちになっている様子です。このように実用性は軽視されています。ヨーロッパらしいなと思います。


一見新しいものに見える現代のスニーカーのデザインも、装飾過多は古代より様々な文明で見られます。機能性から運動靴ができたものに必要の無い装色が施されてきました。本来なら足の形に合うように部品となる生地を縫い合わせ、力の負荷に耐えられるように補強したはずです。動きやすさや快適さなど機能的に伝統的な革靴よりも優れた部分があって人気となったのです。
さらにコンピュータの発達で複雑なデザインや製造技術ができ、量産でコストも安いことでしょう。技術が発達するほど新しいデザインが可能になるわけですから、「進んだ新しいもの」という印象を与えるはずです。結果として装飾過多になっています。


 したがって「これは19〇〇年代の〇〇の形をしています」とかそんなことはあまり考えないです。少なくともそうやってこだわるとよほどファンが定着しているメーカー以外は業績が沈んでいきます。


こうやって考えると革靴の中では「良い靴」という規則性はある程度できますが、スニーカーになるとそれは通用しなくなります。伝統的な革靴を作っている靴職人の工房で語られる「良い靴」というのと、街の靴屋の売れ筋とは全く違うかもしれません。革靴でも伝統は捨ててスニーカーに似せて行ったものが売れます。

我々は靴職人の共有している「良い靴」という考え方を学んだ時に「高級品が分かった」と感じます。雑誌の記者や靴屋は理解していないでしょうがそれっぽいことを教授しています。そういう知識が「ウンチク」として広まっていきます。

弦楽器でも多くの職人が共有する「高級品」という概念があってそれを満たしていれば一人前の職人として認められるでしょう。伝統を知らないで作ったものはヘンテコな楽器として安い値段しか付きません。今の時代なら「物理学者が作ったヴァイオリン」とか言えば伝統からかけ離れていて職人が認めないようなものも売れるかもしれません。「有名デザイナーが手掛けた」という謳い文句のヴァイオリンでも同様です。

高級品という考え方も職人の世界の古い考え方ですね。


ただしヘンテコな楽器、いや新しい考え方の楽器には大きなリスクがあるのも事実です。
以前うちの師匠にチェロを買おうとしている人が写真を送ってきて買ってもいいかと聞いてきました。写真では良さそうに見えたのでそういうと購入しました。実物を持ってくるととんでもないものでした。素人が作ったようなめちゃくちゃなもので修理でどうにかなるレベルではありませんでした。それ以来二度と写真で意見を言わないようにしました。

他にもよくわからない理論でストラディバリより優れていると謳い、新聞にも載って有名になった作者のヴァイオリンを持ってきた人がいました。これもめちゃくちゃで我々には調整などができるようなものではありませんでした。新聞記者に分かるはずがありません。

数百年後に評価されるのかもしれませんが私にはわかりません。


伝統と違うものをすべて否定すべきではありませんが、演奏上必要な最低限のことさえわかっていないことが多いです。伝統的な弦楽器を超えたと伝統的な弦楽器を知らずに言っているのです。他は何でもいいですが、少なくとも指板やネックなどはちゃんとしていなければプロとして認められるのは無理です。
私はヘンテコな楽器ではそういうところを見ます。



1900年ころの作者の場合より古い楽器に詳しい人のほうが高く評価されます。矛盾だらけのイタリアの作者の評価は別とすると個性的だからという理由で評価されることはあまりないです。大きな産地で製造ばかりしている人よりも、都市で修理や販売などもしている人のほうが注目されることがあります。同じ作者でもアンティーク塗装のほうが高い値段がつくことが多くあります。見た目の高級感だけでなく、より古い楽器に詳しいと考えられるからでしょう。
私から見ると作風から全く古い楽器のことを分かっていないように見えることも多いですが、売買するくらいの人からすれば詳しいように見えるのでしょう。
あるヴァイオリン職人組合の代表をしていた有名な職人は名器を売買する傍ら、名器を研究して本なども書き、自分の楽器も作っていました。でも有名な師匠の作風そのままで全く古い楽器の影響を受けていません。これは人間の壁です。自分の時代の考えを捨てて違う時代のものを受け入れるのは非常に難しいのです。
状況から考えると古い楽器に精通しているように思えます。自分の作る楽器に何一つ反映されていないと見破れる人は職人の中でもわずかでしょう。


つまり「高級品=古典主義」になっているように思います。
決められた伝統ある形のものが高精度で加工され、上等とされる材料を使い、調和がとれカーブや面はデコボコが無く滑らかであると高級品となります。
音は規則性が分からないのでどのようになっていると「高級な音」になるかはわかりません。高級な音が何なのかも言葉で表すことができません。そのため音については語りません。

職人は努力によって高級品を作ることができます。良いものを作りたいと思っているなら高級品を作ればとりあえずなんとかなります。答えが決まっているので世界で何人かだけが作れるのではなくまじめにやれば誰にでも作れます。そのため高級品を作れる職人は多すぎて名前を覚えきることは不可能です。

覚えきれないほど高級品を作れる職人はいても、作られたすべての楽器の中でそのようなものはわずかな割合なので希少なのです。まじめにやれる人もヨーロッパの高級品の概念を理解できる人も限られています。
工房にそのような楽器がやってくれば職人は「おお、良い楽器だな」と思います。それが我々職人が認める高級品なのです。


古典主義と言っても本当に古い時代のものとは違います。
今の時代の人に理想として美化されたものです。




それに対して営業出身の社長が経営する日本の楽器店で語られることは全く違うものです。私がすべての現代の楽器の基礎と考えているフランスの楽器を取るに足らない2流のものだと考えています。オールドのイタリアのものを一流と考えるならそれもいいでしょう。しかしそれで売っているのがフランスの楽器製作をお手本として学んだ近代以降のイタリアの楽器なのです。お客さんも売っている人も誰もわかっていないのです、理屈がめちゃくちゃです。



一般の人には難しいものですが、私も高級品が分かるようになりました。
しかしそれで楽器の良し悪しについて行き着いたとは思いません。
物を作るチャレンジとしてはそれすらも覆す必要があります。
ユーザーが一番求めている音は本当の意味では考慮されていません。高級品は音が良いと思い込んでいるだけです。

私が「自分は良し悪しが分かる」なんて顔をする日は来ないでしょう。
それ自体が1980年代のバブル時代の考え方のように思えます。バブルの時代で時間が止まっているのが日本の弦楽器業界です。その間にも世界はどんどん進んで行っています。

私は美しいものに魅了されて夢中になる、それだけです。
私が尊敬するのは美しいものに魅了されて我を忘れてしまったような頭のおかしな人です。全能感を持って正しいことを言う立派な人の話を聞くのは苦痛です。
よくわからないものに興味があり、やったことが無いことをやるのも面白いです。良し悪しもわかってしまっては面白くありません。


デルジェズコピーの続きです。

中は暗いとはいえ内部も古びたようにしないと新品のようでは木の白さが目立ってしまいます。
現代の高級品ならもっとビシッと精巧にできているところですが、なんとなく甘い感じにしています。でもオリジナルほどグチャグチャでもないです。

今回はオリジナルにできるだけ忠実なりリアリスムではなく、私の中では軽めのイミテーションです。なぜかと言えば依頼主が必ずしもオリジナルに忠実であることを望んでいないからです。
話を聞くとオールドの名器の構造から生じる音響面に興味が強く見た目にはあまり興味が無いようです。そうなると外観は作られた当時のようにまったくの新品にしても良いですがそれを言うとそれも違うそうです。
塗装でもちょっとだけ古びた感じにしてくれと言っていました。汚いのは嫌だとはっきり言っていました。

古い楽器はその汚さによって風合いを増しているので汚くしなければ古い楽器のようにはなりません。リアルさを追求するなら汚くしなくてはいけません。それは嫌だとおっしゃるのでもう完全なコピーは無理です。

また希望する音と一致しない楽器を選ばれたのでそのままコピーするのでは難しいです。したがって板の厚さも私のアレンジが入ります。私にとっては完全なコピーではありません。


ちょっとだけ古びた感じにするというのはとても難しいです。特定の楽器をお手本と決めずにイメージだけで古びた感じにするのはオールドイミテーションでは多いものです。私はそのようなものが大嫌いです。なぜかと言うと古い楽器と全く違うからです。とても嘘っぽくなります。

私はオールドイミテーションをやっていますが、オールドイミテーションの楽器を最も嫌っている人でしょう。
ひどくわざとらしいイミテーションが許せないのでクオリティが上がって行くのです。もしそれらで満足しているのならその必要もありません。

特定の楽器をモデルとせずに想像で古びた感じにするのはとても嫌いです。というのは数百年の間に楽器における出来事は様々で想像できません。楽器によっても違い規則性を頭で考えたのと実際は全く違います。それなら新品として作って自然に古くなっていくほうがましだと思います。

デルジェズのコピーなのにモダン楽器くらいの古さになっているのはおかしいです。おかしなものを作るのは許せません。


一般の人にはそんなことはわかりませんし、違いも見えないものです。
以前アンティーク塗装で人為的に傷だらけにした楽器を作りました。持ち主は使っていて傷がついてしまったらその傷を直してくれと言うのです。もともと傷だらけで新しく傷が増えただけなのですから白木は目立つので黒っぽくすれば良いだけです。
でもその人は新品の時のように傷を無くしてほしいと考えていました。作った時に付けた傷は見えていないのです。

今回は私の中では「よくできたアンティーク塗装の新作」という位置づけにしようと思います。
例えばヴィヨームのストラディバリのコピーはとても簡単にやってあります。実際のストラディバリとは全く違います。古く見えるためのポイントをいくつか押さえるだけでそう見えるのです。
ヴィヨームの時代にはまだストラディバリも150年位しかたっていないということもありますが、それにしてもダメージなどは100分の1くらいです。
100分の1のダメージで古い楽器に見せるのですから見事です。

そのようなヴィヨームが見事なモダン楽器であることは間違いありません。

見事なアンティーク塗装がなされた21世紀の楽器として作ります。ヴィヨームが100分の1なら私は10分の1くらいの古さで作ろうと思います。

私の中では軽いイミテーションです。しかしそんなことは師匠にもお客さんにも理解できない細かい世界の話です。


表板がつきました。小型のモデルなのですが、デルジェズの場合には楽器の中心付近は窮屈になっていないので音響的なデメリットは無いと思います。

裏板も横板も着色してあります。多くの研究の成果です。あまり黒すぎても将来黒くなりすぎますが、真っ白では雰囲気を出すのは無理です。
チェロよりは弱めに染めるのがポイントです。大きい楽器のほうが色が明るく見えるのです。

溝を彫ってネックを取り付けます。

ネックは1mm厚めにしてほしいというリクエストがありました。私が以前に作ったものを試して言ってるのでいつもよりも1mm厚めにします。ネックの厚みは指板の厚みとも関係があります。指板は使っていくごとに薄くなっていきますからネックの厚みも次第に薄くなっていきます。そのためあまり意味がないとは思います。

ボタンと呼ばれる裏板のつき出た部分ですが、古い楽器では摩耗して小さくなっています。擦れてというよりは修理でネックを入れ直したときに一緒に削ってしまうのです。
それとグァルネリ家では元々小さめのものが付いていました。これが小さいとくさび状になっているので角度が現代とは違って難しくなります。
デルジェズの多くは黒檀の「王冠」を取りつけて大きくしてあることが多いです。

小さめではあるけども予想されるオリジナルよりは大きなものです。わずかな差です。

f字孔ははっきりしとした形をしています。30年代のデルジェズの感じが出ていると思います。「ガルネリモデル」ではあまり見ないタイプです。

ネックが付くとヴァイオリンっぽくなります。デルジェズの仕事が粗いと言っても現代のヘンテコな楽器に比べればアマティの基本に忠実です。



アーチは高さはさほどは無いとはいえ柔らかい独特な感じになっていると思います。ニスを塗ってからが楽しみです。


紙に描いたときはいびつだったスクロールもそんなに気にならなくなります。

小さな画像で見るくらいなら仕事が粗いのは分からない程度です。全体としてはアマティの基礎を持っていれば自己流の楽器よりもきれいに見えます。
独学の楽器はアマティよりもずっと完成度が低いものです。アマティもそれより先人がいないという意味では自己流なんですけど、独学のものはみなアマティよりも大ざっぱです。アマティよりも神経が行き届いている自己流の楽器というのは見たことないですね。初代のアンドレアなどは裏板に絵が描いてあったりするのでヴァイオリン以前になんらかの基礎があったのかもしれません。ルネサンスの後期で凝った工芸や美術品が盛んに作られていた時期でもあります。そういう意味でも古いヴァイオリンだけではなくてその時代の文化の厚みが詰まっていると思います。そんなことは現代の人は知らずに根拠のない自信を持っています。


具体的な形というよりも、仕事のタッチで楽器の雰囲気ができるということですね。もちろん私のタッチということになります。形がデルジェズでも私の個性があるのです。「よくできたアンティーク塗装の21世紀の楽器」とまともな職人ならわかるでしょう。現代風の作風でなくても出来上がってみれば同業者からも好評です。