板の厚みと音や耐久性について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちは、ガリッポです。

9月になって急に涼しくなってきました。
朝は10℃程度でコートを着ている人もいますが、日中は20℃を超えTシャツで十分です。気温の数字からすると東京よりずっと寒いように思えますが体感温度ではそんなに寒くありません。測定方法が違うのではないかと思うほどです。冬でも数字よりも5℃は暖かく感じます。
おそらく室内の温度が原因で夜でも25℃以上あって体が暖まっているので10℃程度でもTシャツで出勤する日もあります。


私はよく板の厚さについて話をしています。
現代では板を厚めにする傾向があり、ヴァイオリン製作を学ぶとそれが正しいと教わります。それでは現代の楽器はすべて厚いかと言えばそうではありません。教えを守らない人もいるからです。
オールド楽器の板が薄いことは修理などをしていれば「またか」と思うほど経験することですが、モダン楽器もフランスの19世紀のものは薄いです。結果としてそれで良い音がしているので作ってはいけないというようなものではないはずです。音は好みなので厚めのほうが好きという人もいるでしょう。薄めのほうが好きという人も否定できません。

現代の楽器でもとても薄いものがありました。私が作るよりも薄いものです。
板が薄い場合に問題となるのは弦の力に耐えられないということです。

これですが、表板がわずかに陥没しているように見えます。作られて10年以上使われているようですがメンテナンスを何もせずに使っていたようです。
駒と魂柱を交換しました。ニスはアンティーク塗装でしたが体が触れる部分はニスがはげ落ちていましたので補っておきました。

指板は指の跡がつくくらい摩耗していましたので、削りなおしました。抑えやすくなるはずです。
弦も新しいトマスティクのペーターインフェルトに変えました。E戦にはピラストロのNo.1です。

板が薄いせいか新しくした魂柱は1㎜近く長いものになりました。裏板が変形して緩くなるからです。短すぎる魂柱を使い続ける事も表板が陥没する原因です。

こちらは1925年にベルリンで作られたユングマンのヴァイオリンです。これも薄い厚さで作られていますがこの通りです。全く陥没していません。フランス風の作風でフランスの楽器の特徴でもありますが、駒のところを頂点にした三角のアーチになっています。
これが現代のものは台地状になっているのです。ユングマンの表板の中央は2.5㎜程度ですが全く問題がありません。

弦の圧力に耐えるには板の厚みだけでなくアーチの膨らみが重要です。オーバーに図で示すとBが三角のアーチでAが台地状のものです。
これは縦方向の図ですが横方向も同様です。

高いアーチのほうが強度が高くなるはずですが、高いアーチの楽器では駒の足のところだけがめり込んで凹んでしまいます。これはどの楽器でも間違いなく起きることです。フラットの楽器のほうが力が全体にかかるので問題は少ないです。高いアーチで問題があると陥没もひどいものです。

アーチを作るときに立体を見てイメージする力(=造形力)が無いと周辺の厚みさえ出れば完成だと思ってしまいます。

私はアーチが変形するのは当たり前のことであり、弦の力が馴染んできた証拠だと思います。力のバランスがとれるように変形してくるのです。ある所で止まればバランスが取れているということになります。これがいつまでも変形を続けるようならば危険です。いずれダメになってしまいます。

音は変形すると必ず悪くなるということは無くケースバイケースです。変形した楽器でも音が気に入っているのなら特に問題はないということです。

現代の職人がアーチを作るときによく使うのは「等高線引き」という道具です。これは地図や天気図の等高線のようにアーチの高低をアーチの面に描くことができる器具です。私が使わないので写真などが無くて申し訳ありません。
これを使うとアーチの高低が左右を対称であるかをチェックすることができます。師匠が見て左右が違っているとなれば「だめだ。」と言われるわけです。左右が対称になったところで「よし完成。」ということになります。
左右対称であることが見事なアーチだということです。せっかく完璧に作ったアーチが変形してほしくないので板は厚めにしたくなったとしてもおかしくはありません。

それに対してオールド楽器では表板ならバスバーのほうが下がっていますので左右は非対称になっています。裏板は魂柱のほうが高くなっています。

私が等高線引きを使わないのは見た目の感じで形をとらえてざっくりとノミでアーチを削っていき大体左右対称にできていれば良いと考えているからです。
一般的には小さなカンナを使用するのですが、仕上げに近くなるほど立体感が見えなくなります。目で見てわからないので器具を使って測るわけです。
私に言わせれば器具に頼っているから立体が見えるようにならないのですが・・・。器具を使えば師匠は弟子の仕事の欠点を指摘することができます。現代の楽器製作では欠点が無いということが重要視されています。

楽器としてみると欠点の無さが重要ではなくてアーチが駒を支えられるような形になっていなくてはいけません。それは全体的な造形の話です。現代は平らなアーチが多いので教科書通り作られた楽器では問題は多くありません。
しかし独学の様な作者や立体感を感じる能力が極端に足りないと問題のあるものがあります。立体感を感じられないということはデッサン力や造形力が無いということです。物を作る職人ならそういう能力を皆持っていると思うかもしれませんが、楽器を習っていたからと造形的な才能を全く持っていないのに職人になったという人もたくさんいます。楽器が売れるのは営業の能力ですから。
絵画の世界ならダ・ビンチやミケランジェロ、ラファエロなどが圧倒的な才能を持っています。それに対して当時絵画は才能の有無にかかわらず職人が世襲制でやっていました。才能はなくても絵の描き方を教わって練習することで製品としての絵を作り上げることができました。絵が下手でも職人としてやっていけたのです。そういう絵を我々は見る機会がありませんが、ヨーロッパの教会や地方の美術館に行けば絵が下手の人の描いた作品が山ほどあります。その中でずば抜けた人だけが芸術家として評価されました。

美術の世界では才能によって画家が評価されていますが、楽器製作の世界では必ずしもそうではありません。ストラディバリには芸術家としての並みはずれた才能が有ったのは間違いありませんが、そうでない職人の楽器も高価になっています。フランスの一流の職人も優れた才能が有ったと思います。そうじゃないのにずっと高価なイタリアの楽器がたくさんあります。楽器を求めるほうも音が重要であって美術品を買うわけではありません。基本を教わっていれば凡人程度の才能で十分音が良い楽器が作れます。ただしあまりにひどいと品質や耐久性が確保できません。そのような人に限って口が達者で立派な肩書などをそろえてメディアに取り上げられ高い値段で楽器をたくさん売っています。下取りに買い取っても売り物にならないので困ります。凡人程度の造形センスは必要です。
それに対して「天才の作品」と凡人の作った楽器を有り難がっているのは滑稽です。凡人が作ったものでも音が良い可能性はあります。天才という評判は嘘であり、音については弾いて見ないとわからないのです。弾く人によって音は違い、人によって好みも違います。


薄い板の楽器の音については「暗い音」がすると言ってきました。確かに修理を終えてみるといかにも現代の楽器というようなものに比べれば明るい音でありません。
でも私が作るものよりずっと薄いのにそこまで暗い音ではありませんでした。高音は鋭くやや耳障りな音があり、低音は柔らかく豊かなものでした。低音のボリューム感はさすがに板が薄いことが影響しているでしょう。
持ち主は音がとてもよくなったと喜んでいました。短すぎる魂柱では弱った音になっていたのかもしれません。

オールド楽器でも様々な音があり、これくらいの明るさのバランスのものはあると思います。そのためオールドイミテーションで作られた楽器としては雰囲気のあるものだと思います。


私が作れば高音は柔らかいものになりますが、この楽器ではやや鋭いものでした。特に板の厚みとは関係が無いと思います。板の薄いモダン楽器でも鋭い高音のものはよくあります。
低音が柔らかいのは板の薄さと関係がありそうです。極端に板の薄いビオラがありました。これは低音がフガフガしていました。あまり薄いと頼りない低音になってしまうかもしれません。
アーチが高いとぬけが良く枯れた味のある低音になることがよくあると思います。


薄い板の楽器を作るのはモダン楽器で研究しつくされた上で導き出された答えでしょう。しかし裏板の中央は薄すぎてはいけません。弦の力に耐えられないからです。フランスのヴァイオリンはそれ以外は薄くなっていています。アーチは低く平らであれば変な変形も少なく表板も駒のところがとがった「三角のアーチ」になっていることも耐久性に寄与しています。

ストラディバリを見ると裏板は三角のアーチなっているに対して、表板は上が平らになっているように見えます。「それがストラディバリの秘密だ!」と考えるかもしれません。しかし弦の力で凹んだと考えると作られたときはもう少し中央が高かったのかもしれません。
これについては謎があります。
はじめからそのように作ったのか、変形してそうなったのかが謎です。
裏と表が同じようなアーチのものもあるし、極端に違うものもあります。
意図的にそのようにしたのか、製作上の癖でそうなったのかもわかりません。感覚だけを頼りにフリーハンドでアーチを削りだしていくと表板と裏板では材質が違い、木目の感じも違います。そのあたりが影響しているのかもしれません。
本人に聞かない限り分からないでしょう。

ちなみにデルジェズは表も裏も三角のアーチになっているのが特徴です。いずれにしても駒のところが300年ほどの間に凹んできていることは間違いありません。作られたころはもう少し高かったはずです。新品で極端な台地状に作ると陥没の危険は高くなるでしょう。





板の厚みと音の関係に戻ると板が薄い方が低音が出やすくなるということは言えるでしょう。中音の響きが加わればそこまでは暗い音になりません。オールド楽器の中で明るい音というのはそのようなものだと思います。決して板の厚い新作のような明るさではありません。

それに対して中音の響きが抑えられれば暗い音になるでしょう。
全体として見れば板が薄い方が暗い音になる傾向があると言えると思います。
安価な量産品の場合には違う理由で響きが抑えられて暗い音になることもあると思います。

厚い板の新しい楽器の音を離れて聞いていると「硬いなぁ」という感じがします。それは音が鋭いのではなくて楽器が固い感じがします。オールドやモダンの名器とは全く違いますが、アマチュアなら音が出しやすいかもしれません。
ヴァイオリンでは名器は柔らかさを感じます。基本的に小さな楽器なので柔軟性があるほうが窮屈にならないのでスケールの大きな楽器となるでしょう。
チェロの場合には柔らかすぎることはデメリットにもなります。外骨格の構造なので強度不足になって反発力が無くなってしまうでしょう。古い楽器ではレスポンスが鈍かったり強い音が出ないこともあります。


オールド楽器なら板が厚めでも木が古くなっていることで柔らかくなっています。新作楽器なら板が厚ければ間違いなく強度が高いでしょう。
一般的な工業製品であれば分厚く丈夫に作られていることは高級品の証です。楽器職人も木工製品として高級品を作ろうとするなら自然と板が厚いものが高級品だと思い込んでいます。家具でもそのような高級品はずっしりと重く重厚感があります。軽いと安物という感じがします。このように分厚く作れば飾っておくのにふさわしい立派な高級品ができます。

しかし実用品だと考えると新作楽器で板が厚すぎるものはとても厳しいです。「板を薄くすればよく鳴る」というのは普通に思いつくアイデアです。それを素直にやれば良い結果が得られます。
実際には必ずしもよく鳴るというものでありません。しかし難しいアイデアではないのでどこの流派にも量産品にもたまに薄い板の楽器があります。私はそういうものを見つけると「これは良いぞ」と感じます。
うちでは暗い音の楽器が好まれるからです。特にビオラでは有利です。

それに対して職人は板を厚くしたいという衝動にかられます。
頑丈なものが高級品だという価値観やせっかく作ったアーチを変形させたくないとか、板を薄くする作業がめんどくさいとか、重厚感が音の重厚感につながるという思い込み・・・中でも壊れてしまわないか心配だというのが一番でしょう。
それに対して厚い板を正当化する様々な理屈が考え出されます。立派な師匠によって弟子たちに教えられることもあります。中には「薄い板にしたら良いんじゃないか?」と素直に考える職人もいることでしょう。しきたりについて不真面目なら試してみるでしょう。大胆な職人の楽器の音が良いということもあります。


私のところでは特にトラブルはありませんが、日本のような高温多湿であれば木材には厳しい条件です。何かトラブルを経験すれば弟子に丈夫に作るように教えるかもしれません。

新しく作られた楽器では変形して落ち着くまで期間があります。まめに点検してもらう必要があるでしょう。今回の楽器ではぎりぎりセーフくらいでしょうか?どこまで薄くできるのか経験が必要です。正解だけを知っているのは知識としては浅いものです。失敗を経験してつかんだのが確かな知識なのです。

こうやると音が悪くなるからやってはいけないと師匠から教わります。オールド楽器を見てみるとそのように作ってあります。どっちが正しいのでしょうか?
やってみるしかありません。

また学術として知識を得たいなら、音が悪くなると言われていることが本当なのか試してみる必要があります。しかし失敗作を作っていたら何か月もタダ働きとなり職人は破産してしまいます。誰もやったことが無い知識が独り歩きしてきたのです。楽器店の営業マンは手持ちの楽器を売るのに有利な情報を集めてきました。

安価な楽器がなぜそのような音がするかを知るためには、その楽器と同じものを作ってみることです。普通は高い楽器に似たものを作って高く売ろうとするので、安物の楽器そっくりのものを作るなんてことはことは私以外は考えもつきません。さすがに私もやったことはありません。誰もやったことが無いので安価な楽器がなぜそのような音がするか本当のところは誰も知りません。

おそらく私が安価な楽器のコピーを作っても同じ音にはならず謎は深まるばかりでしょう。そうなると色々変えていくつも安い楽器のコピーに取り組む必要があります。破産してしまいます。