ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -31ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

しばらくぶりに職場に戻るといくつか面白い楽器がありました。前回の話も実例で見ていきましょう。





ちょっと古い感じでアーチは真っ平らです。普通に作ってありさえすれば音量があってよく鳴りそうです。

私はやたら凝った楽器を作りますがこんなのでも十分です。フランスっぽい感じもあります。ミルクールの楽器でもこんなフラットなものはあるでしょう。

ラベルを見てみるとチューリッヒと書いてあるのでスイスで作られたヴァイオリンということになります。作者はヨゼフ・ホフマンと書いてあります。
スイスをヴァイオリンの産地としてあまり考えないかもしれませんが、ヨーロッパならどこの街にも職人がいて楽器を作っていたものです。ヴァイオリン職人は普通の職業で魔術師でも何でもありません。

チューリッヒにはジュゼッペ・フィオリーニと弟子のアンサルド・ポッジがいました。スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語が話されていて、国会中継の映像を見ると国際会議の様に同時通訳を介して議論しています。

でホフマンという人がどんな人か調べてみると、ドイツ生まれでドイツで修行しスイスで独立し、またドイツに戻ってマイスターを取得した後ドイツで工房を構えているということでドイツ人ですね。

この楽器が作られた1915年の前に修行したのはシュツットガルトのオイゲン・ゲルトナーのところです。フランスの楽器製作の影響も強いドイツの有名なモダンの作者です。

ニスを磨き上げました。この時代のドイツのマイスターの特徴である柔らかいオイルニスが使われています。今でも「ニスは柔らかい方が音が良い」という教えを聞いたことがあるかもしれません。この時代の考え方です。量産品では非常に硬いラッカーが使われ、ハンドメイドのマイスターの作品にはとても柔らかいニスがよく使われていました。

f字孔は長く尖がっていてガルネリモデルだとすぐにわかります。その中でもこれはイル・カノーネと呼ばれているパガニーニが使ったものに似ているようです。私がコピーを作った1730年代のものとは違います。1740年代のスタイルです。
本当のカノーネはなかったでしょうから、ヴィヨームが作ったコピーの影響があると思われます。

スクロールは2周目以降が大きくて個性的な感じがしますが、これもガルネリモデルとして意図的に作られたと考えられます。このタイプのスクロールで有名なのがカノーネです。都市のヴァイオリン職人は最新の知識を持っていました。

パッと見て「こんなので十分」と思ったヴァイオリンですが、ストラディバリモデルならもっと美しかったかもしれません。

コーナーはストラドモデルの作り方を応用したものでデルジェスの再現度は高くありません。今日でもこれくらいのものを作る人はたくさんいます。特別才能があるというわけではありません。一流のフランスやドイツのモダン楽器のように完璧ではありません。お手本の通りにできてないというわけですが、同じような物でもイタリアの作者なら「個性がある」と言われます。

とても平らなアーチというのも「デルジェスはフラットなアーチ」という本で読んだ知識に一致しています。実際のデルジェスは真っ平らではありませんが、当時はそのように信じられていたのでしょう。今日でもまじめに「正しい知識」を勉強してそう思い込んでいる人は少なくないでしょう。

しかし本当のデルジェスと違っても結果的に音が悪いということは無く、100年も経っているのでとても強い音がする可能性はあります。フランスの楽器の影響もあってか板の厚さは表は薄く裏は普通くらいです。全く文句ありません。

作者の記録は残っていますが、オークションなどで特に珍重されるようなことは無くヴァイオリン商が興味を持たない楽器です。そのため相場も出ていません。一流の腕前のドイツのマイスターで1万ユーロくらいですから、せいぜい100万円くらいでしょう。「こんなのでも」どんな新作よりもよく鳴る可能性はあります。安すぎて現代の職人は対抗できません。私個人としてはもっと高くなくてはおかしいと思います。

このようなものを弾き比べて上手く機能するものを選べば、音大を目指すような学生にはまさにぴったりです。その後オーケストラに就職しても通用するでしょう。機能的な道具というわけです。チェロでこのレベルのものがあったら貴重です。プロのチェロ奏者が仕事で使える道具を手に入れるのは難しいです。

楽器商が興味を持たないから100年前の楽器なのに今の新品より安いくらいの値段しか付きません。今の職人はこのような楽器に音の強さで対抗するのは厳しいです。

ニスは柔らかいのでケースの跡がついていました。100年経ってまだ柔らかいのですからこれ以上固まることは無いでしょう。そういう意味では厄介な楽器です。しかし柔らかい分ケースの跡も簡単に直せます。

このような作者は無数に存在して覚えきれるものではありません。並みの腕前のマイスターです。特にこのホフマンという人は大量生産とは全く関係のない人です。「ドイツ=大量生産」というのは無知です。

楽器の作りを見ると私たちが本で読んだりして得る知識はこのころの考え方のようです。さらに一見科学的な説得力に満ちた「グラーデション理論」が普及してくるとオールドやフランスの教えが途絶え、もっと板の厚い楽器が作られるようになってよくある残念な中古品という感じになります。

100年経って音は出やすくなり現代の常識と考え方が基本的に同じで今のものより劣っている点はないのに新品より安いのですから新作を買う必要はありません。この時代の楽器は耳障りの鋭い音であることが多いですが新品でも鋭い音の楽器はたくさんあります。

私の作るように違う方向性の音の楽器にしか新しいものに存在価値はないでしょう。




その私が作っていたビオラですがすでにニスを塗る作業が始まっています。

日本に帰っていた時に、依頼主の方と相談して仕様など確認しました。
オーダーメイドですからペグなど付属品も自分で選ばなくてはいけません。


このペグはスイスモデルなどといわれるもので材質は黒檀です。もっとも基本的なものです。
材質として黒檀は高級木材でずっしりと重みがあり耐久性もあります。フィッティングパーツを黒檀で統一すれば音も重厚感がありクリアーな澄んだ音です。
ペグの持ち手の形も手に馴染んで使いやすいものです。

スーツやビジネスシューズのように形が決まったシンプルなものだからこそクオリティの高さに違いが出ます。これはハラルド・ローレンツというドイツのメーカーのもので加工のクオリティが私が知っているものでは一番高いです。玄人が見て高級品というのはこういうものです。
ローレンツのものは入手がとても難しく、このようなベーシックな物だけ今回手に入れることができました。

一般の人には違いが分かりにくいものでしょう。私たちの間では「ヴァイオリン職人病」と呼んでいます。何でもクオリティを求めてしまうので生活は大変です。ヴァイオリン職人の人はこだわりの強い人が多いです。日本製の高価な包丁を持っていたり、お酒に詳しかったり、高価なカメラを持っていたりします。前回も話したようにヴァイオリン職人の基準で楽器を評価すると音楽家とはかけ離れてしまいます。

私はとくに重症なので自分の作るものだけにして生活ではあえてチープに作られた機能的で丈夫さが取り柄のものを選ぶようにしています。

しかしこの加工精度や形の美しさの見方は弓でも同じなので軽視できません。
付属品でもクオリティの高いものはヴァイオリン職人が好むので確実に売れます。生産が追い付かず入手が困難になってしまいます。いつでも手に入るものはひどいものばかりです。


アマティのモデルのビオラなのでこのようなシックなペグはマッチすることでしょう。機能面でも優れています。趣味であれば装飾のついたツゲのものでも良いと思いますが、本人の経験上使いやすいということでこのようなものになりました。職人からすると賢い選択と感じます。




オークションで注目されるような作者だけ値段が高騰していきます。それ以外は全然です。今回のヴァイオリンは作者名が分かっています。100%本物なのかわかりませんが、ラベルも本物っぽいし経歴にも当てはまります。特にプレミアがついているわけではないので別の作者のものだとしても値段はさほど変わりません。

このような特別有名ではない作者の楽器はたくさんありますし、名前もまったくわからないものもそれ以上たくさんあります。それらがすべて音が悪いということは無く作りに問題が無ければ弾いてみる価値はあると思います。
私もヴァイオリンをいくつも作っていますが、ひどい音になったことはありません。知られているように作ればヴァイオリンらしい音になります。

職人は音が悪い楽器の作り方もわからないのです。
普通に作れば誰が作っても好き嫌いの差しか出ません。
変な音のものができるとすれば、安くするために手を抜いた粗悪品か、「音を飛躍的に改善する方法を編み出した!!」と自分を天才だと思っている素人かどちらかでしょう。


有名な作者の名前がついているとえこひいきして良い音に聞こえるという面もあるでしょう。












こんにちはガリッポです。

休暇も終わりまして今年も始動です。
休暇の間はあまり多くのことはできませんでした。

カルロス・ゴーン容疑者が逃亡したりとめずらしい出来事もありました。レバノンで開いた会見では私がいつも騙されないようにと注意喚起している西洋人特有の「雄弁な語り口」を披露していました。論点をずらして口先で立派なことを言うのです。わりとそれに納得してしまう西洋の人たちにも憤りを覚えた人もいるでしょう。それが西洋では日常のことです。偉いヴァイオリン職人が語ることでも疑ってかかるべきです。

私個人としては製品がどうなのかということにしか興味がありません。日産やルノーがどんな製品を作っていて、それが魅力的なら会社を支持するし、そうでなければ用はありません。製造業では良いものを作ろうと思うと費用が掛かって経営は厳しくなります。消費者も出せるお金に限界があるので、合理性は受け入れるべきです。私も将来は商用車のようなものが必要になるかもしれません。ルノーには有名な小型の商用車があります。


あとは駅伝のシーズンでよくやっていましたが、話を聞くと靴が違うというのです。長距離走のシューズと言えば底が薄くて軽いものが主流だったのが、厚い底のものが作られるようになって劇的にタイムが向上しているのだそうです。
業界には常識というものがあって長年信じられてきたのに、それが全く逆のものが作られるのです。それを作り始める人の勇気や苦労がしのばれます。

私も心当たりがあります。ヴァイオリン業界では「厚い板が良い」というのが常識でした。今でも信じている人が多くいます。



私が2008年に作ったヴァイオリンを使っている方にお会いしました。
アマチュアオケでやってらっしゃるのですが、仲間で時々ヴァイオリンの弾き比べをするそうです。私の作ったものは本拠地の大ホールの一番後ろの3階席で聞いてもバッチリだと言っていました。10年以上前に作ったヴァイオリンですが、その優秀さは間違いありません。ソリストが使うような楽器に求められる性能を備えているということになります。
当時はオールド楽器のコピーではなくて古い楽器を研究しつつも現代の楽器として業界で通用するものを目指していました。今は開き直って300年くらい時代遅れのものを平気で作っています。

しかし、音響的には2008年のものでもすでに完成されています。
オールドやモダンの名器が持っている特徴を理解して作っていたからです。
一年前に駒を新しくしましたが、10年くらい経っても変形も故障も何も起きていませんし、「薄い板は最初は鳴るけども、そのうち鳴らなくなる」ということも起きていません。

というわけで研究していくことで年々進歩していくというものでもありません。答えなどはわかるときにわかるものです。

大ホールの一番後ろに「バッチリ」音が届く楽器を今作っているということは自分たちの時代の職人が優秀だということを皆さんも誇りに思っていただけたらと思います。

そのほか弱い音も安定して出しやすいということを言っていました。オーケストラならピアニシモで弾かなくてはいけないこともあるでしょう。弱い音が途切れずに出るというのは発音が良いということです。

そのご家族の方は私の作った中型のビオラを使っています。当時は大きなビオラが良いという噂を信じていたので説得して中型にしました。今はそれでよかったと言っています。仲間で弾き比べをすると「楽器は良いのに・・・」と嫌味を言われるそうで、勝ってしまうので参加しないようにしているそうです。アマチュアで良いビオラを持っている人は少ないでしょうね。


私の楽器を長年使っている人の感想では派手な音の楽器ではないけども、ホールの後ろまで届くし、繊細な表現もできるということです。商売を考えると派手な音のほうが売れるのかもしれませんね。




年のはじめということで、ブログの前提となるようなお話をしましょう。毎年一回くらい言った方が良いかもしれません。ヴァイオリンの良し悪しをどうやって判定するかという問題です。

3人のプロがいるという話です。

演奏者、職人、楽器商の3者です。


3者が同じ評価を下すなら「良いヴァイオリン」を言うことができますが、実際にはそれぞれが全く違うヴァイオリンを高く評価するのです。

①楽器商
まずは楽器商についてみていきましょう。楽器商が興味があるのは「お金」です。商人という職業の本質として安く買ったものを高く売るというのが究極の目標になるからです。

実はヴァイオリンというのは誰にでも作ることができます。今も見習の職人が悪戦苦闘しています。確かに難しいものです。私も今になっても簡単にはなっていません。手元が狂って刃物で間違って切断してしまうと大失敗ですから、とても緊張します。心臓に悪いです。はじめから上手くできる人なんていません。


訓練を受けてその難しい作業をこなせばヴァイオリンを作ることができます。日本で職人と言えば天才的な職人が苦労の上編み出した門外不出の秘密があって、認められ有名になって行くと思い込んでいます。しかし例えばドイツのマイスター制度は全く違います。正しい仕事の仕方を業界で定めてマニュアル化し教育して十分な能力があると資格が与えられるという仕組みです。どの職人も同じ仕事をできるように教育するもので無名な職人でも正当な対価を請求するのです。昔のギルド、現在の労働組合に近い仕組みです。一律の賃上げ要求です。

ドイツの1900年前後のモダン楽器は北から南までそっくりです。そのため作者を特定するのは難しいです。しかしイタリアのものの様にニセモノは多くありません。仮にニセモノがあったとしても品質が落ちることがほとんどです。偽造っぽくない作者のラベルがついていて品質が高ければ間違いなく一流の職人の楽器、かなりの確率で作者本人が作ったものでしょう。それでもそんなに高価ではないので作者が違っても値段に大きな差が出ません。無名だろうが有名だろうが一流の腕前の職人の楽器に違いが無いというわけです。
品質が低ければ安価な楽器となり、大量生産品と同等に扱われます。コストを削減するために雑に手早く作っているからです。このレベルの楽器はまさに誰でも作れるもので中古品としては大量に余っているので大した値段にはなりません。とくにチェコのボヘミアに多くて、職人は工場ではなく自宅の工房で楽器を作っていました。ハンドメイドですがかなりの速度で作っていたので完成度には限界があります。このようなものは50万円くらいしか付かないです。

皆さんが思っているよりもヴァイオリンというのは余っていて価値がないものなのです。



それに対しいてイタリアの楽器は品質と値段は関係ありません。
雑に手早く作られたものであろうと丁寧にきちんと作ったものであろうと関係ありません。作者の名前に値段がついているからです。
値段を確実にするには権威ある鑑定によって作者の名前がはっきりすることです。

誰でも作れるレベルのヴァイオリンは大量に余っているということでしたが、そのなかでイタリアの作者のものだけに楽器商は興味を持ちます。商人の発想です。売り物になるのは無数にあるものの中でイタリアの作者のものだけなのです。何故イタリア以外のものに興味が無いかと言うとお金にならないからです。同じような物でもチェコのものなら50万円、イタリアのものなら500万円になります。

これが商人の世界の楽器の見方です。
イタリアの楽器の中にも音が良いものや、仕事の品質が高いものもあるでしょう。しかし初めからお金にならないという理由で候補から除外されている楽器が多すぎるのです。
楽器商の世界の中で先人の教えから勉強すると悪気はなくてもイタリア以外の楽器には興味を持たないようになります。常識というものがあるのです。

実際には悪徳業者が多くイタリアの楽器っぽく見えるイタリア以外の楽器を探してきて作者名を偽って売るのです。仕入れるときはイタリア以外の楽器として、売るときはイタリアの楽器とすれば商人としては有能だということになります。詐欺として立証されないように周到な作戦があることでしょう。



➁職人
それに対して職人は製品そのものを見ます。作者の名前がついていようがなかろうが職人の優秀さを見分けることができます。

それが大量生産の手法で作られているのか、下手な腕前の職人のものなのか、教育を受けていない素人の職人の楽器なのかなどを見分けることができます。

一方で全く非の打ちようのない完璧なものを作るのは困難です。そのつもりで作っても後で見てみると「あれ?」ということはあります。そのためこれくらいなら十分一人前というレベルがあります。というのは見え方は複雑な要素が偶然絡み合い、できてみると予想と違ったりするのです。逆になぜかわからないけど、目に心地よい風合いというのがあって「センスがいい」という印象を受けます。

ましてや完ぺき主義の日本人ではないので西洋の人たちは多少のズルい所は人間味として認めます。


このように量産品、誰でも作れるようなヴァイオリン、一流の腕前の職人の作ったヴァイオリンと見分けることができます。

一流の腕前の職人は全体の中で割合は少なくても総数では人数があまりにも多くて名前を覚えることができません。そのうちのほんの一部だけが有名になって値段にプレミアがついていて楽器商が興味を持つのは一部のものだけなのです。


このように音の話はありません。
楽器が上等であるか、素人や下手くそが作ったものか、安さを売りにした量産品かどうかを見分けることができるというだけで音がどうかという話はありません。

職人にとって重要なのは「加工のうまさ」なのです。どうなっていれば音が良いかというのは定まっていません。これが理想というのが決まっていて、腕の良い職人だけが作れるのなら「腕が良い=音が良い」ということになりますが、音に関してはよくわかりません。弾いてみないとわからないのです。

加工がそんなにうまくない楽器でも音が良いものはよくあります。
しかし加工が下手で音が良くない楽器はそれ以上たくさんあります。あまりにもひどいものを見分けるということが重要でしょう。


➂演奏者
加工がそんなにうまくない楽器は誰にでも作れるレベルの楽器です。イタリア以外のものなら値段は安いものですが、その中には音が良いものがあるかもしれないのです。弾いてみないとわかりません。

それを見分けられるのは演奏者ということになります。
値段やウンチクに惑わされず音だけで楽器が判断できれば一番楽器の良さが分かるというものです。

普通はそうです。
お客さんは自分が気にいったものを買うのです。

こんな当たり前のこともバレてしまっては楽器商や偉い職人にとっては都合の悪いことです。安い楽器、下手くそな職人の楽器のほうが音が良いというのは困ります。
だから商人や職人は一生懸命ウンチクを語るのです。


ただし演奏者によってかなり違うことをお店で働いているので日々経験します。「有名なヴァイオリン奏者が絶賛した」と言っても別の有名なヴァイオリン奏者は違うものを選ぶかもしれません。
有名な演奏者でさえも高価なヴァイオリンの神話を信じているのかもしれません。裕福な人やスポンサーがいれば価格に対しての性能は無頓着かもしれません。

実際には先生が楽器選びに意見することがあります。これも先生によって好みがあります。弦楽器店なら先生ごとに好みを理解して楽器やセールストークを用意する必要があります。

店主や職人が自分で弾いて気にった楽器を売っている場合も同じです。
自信満々に「音が良いでしょう」と言ってきても「え?」と思う人もいるのです。その人の好みだったり、多数の人に売れる楽器の音だったりします。職人の場合には自画自賛しやすいです。


また自分に自信のある演奏者は人にどう聞こえるかではなく、自分の耳だけを頼りにします。そうなるとホールの後席まで届く優れた楽器に気づかないこともあるでしょう。






このようにそれぞれのプロは楽器について異なった見方をしていてお互いに信じられない楽器を選ぶのは日常茶飯事です。ヴァイオリン教授の方がこれは音が良いと選んだ楽器が量産品の中でも特に安い方のものだったこともあります。それくらい楽器の良し悪しを評価するのは難しいのです。くだらないセールス文句にだまされないように気を付けてください。


職人側から言うと、状態の悪い楽器は避けたほうが良いと思うことがあります。修理がちゃんとできていないと楽器の能力は十分発揮されず、将来不満が出てきて修理しようとなったときに膨大な修理代が必要になるからです。
同様に構造や演奏上の欠陥があるものは避けたほうが良いと思います。初めからちゃんと作っておかないと修理で直せることには限界があります。そのため音が良ければ何でも良いというわけではありません。




現実的にはこれらの視点を総合的にとらえる必要があるでしょう。他者の視点を理解することが必要です。
職人が「上等な品」と思うものは上等です。上等な品物が持つ魅力はあります。音だけに興味があるなら無くても良い要素です。一方下手な職人が作ったものを「上等な品」というのは嘘です。700万円のイタリアの楽器でも下手な職人が作ったものなら上等な品物ではありません。誰でも作れるレベルのものに700万円出すのは意味が分かりません。


私はモダンやオールドの名器がこういうものだという理解があって、それに照らし合わせて近いものなら「良さそうだ」と考えます。そうすると何人かの演奏者が試奏すると中には「これは良い」という人が現れることが多いです。しかしたった一人の演奏者に絶賛される確率は高くないでしょう。昔の楽器のほうが作風がバラバラなので候補を絞るというよりは、欠点さえなければ良いという程度で、ひどくなければなんでも良いのです。

このような考えも私個人のものであり、全く別の考えの職人もいることでしょう。客観的な知識というわけにはいきません。


誰にとっても文句なく良い楽器というのがあれば良いのですが、現実にはそうはいきません。自分で気に入ったものを選ばなくてはいけないのです。















明けましておめでとうございます。

今年も楽器作りに精進しつつ経験から理解を深めみなさんにもおすそ分けできることを願っています。

2月ころから本格的に始動します。
それまではしばらくお休みです。

よろしくお願いします。

2020年元旦
こんにちはガリッポです。

今年も仕事納めです。
今年はゴタゴタしましたが基本的には仕事ばかりの一年でした。
新年を迎えるということもあって歯ブラシを新しいものを買いました。こっちのものは大きすぎて口に入らないのです。だから日本で買って帰ったりしました。ヨーロッパの人は口が大きいのでしょうか?そんなイメージもあります。
そこで見てみると7歳までという子供用のものが日本で売っている大人用よりもブラシの部分が少し大きいくらいでした。買ってみると短い柄も使いやすくてこれは良いなと思っている次第です。それにしてもこちらの子供用のほうが日本の大人用よりも大きいのですから。



板の厚みに関してはずっと語ってきています。動物の生態などは面白いものです。ゾウなどは人間に聞こえないほどの低い声を出していて何十キロも先まで届くと言われています。音は高い周波数のほうが減衰しやすく遠くまで届かないのに対して、低い周波数のほうが遠くまで届くからです。

一方コウモリは暗闇でも高い音の超音波の声を出して跳ね返ってくる音を聞いて空間や物の形、エサの位置を把握しているそうです。

コウモリでなくても高い周波数の音が聞こえると小動物の居場所がはっきりわかるので狩りに利用するネコ科の肉食獣もいます。

高い周波数の音のほうが位置がはっきり特定しやすいということですね。低い音はどこから音が聞こえるかはっきりわからなくなります。

弦楽器でも心当たりがあるでしょうか?
弦楽器というのは音程の音だけでなく同時に様々な高さの音が出ています。それが弦楽器特有の音色を作っています。


広い屋外や体育館で弦楽器を弾いてもカシャカシャいう音しか聞こえません。外では管楽器のほうが向いているので軍隊などではブラスバンドです。

弦楽器は教会や宮殿、コンサートホールのようなところで演奏することができます。その場合に音源の位置が明確に特定できるということは客席で聞くとはるか遠方で鳴っているように聞こえるでしょう。

「遠鳴り」する楽器の音はそういうものではなくてホール全体に音が響くものです。

低い音のほうが遠くまで届くなら低い音が出ている楽器のほうが遠鳴りするのではないかと考えられます。
一方高い音が強く低い音が出ていない楽器では演奏者の位置がはっきり感じられるはずです。

こんな理屈は的外れなのかもしれません。人間の聴覚の感度も音の高さによって違うのでややこしいものです。わかっている人がいたら教えてもらいたいものです。


思い当たる節はあります。高い周波数の音が良く出る楽器が優れているのなら子供用の楽器のほうが優れているのかもしれません。実際には大人用の楽器のほうがスケールの豊かさを感じます。

うちの会社で作ったヴァイオリンで厚い板厚のものと薄いものをホールで試すと、薄いもののほうはホール全体に音が響きました。厚い方は遠くの一点から聞こえるように感じます。子供用のヴァイオリンのように聞こえました。

遠鳴りに限って言えば薄い板厚のほうが圧倒的に有利だという結果でした。薄い板の楽器のほうが低音が出やすいのは多くの経験でわかっています。

実際フランスのモダン楽器や、イタリアのオールド楽器では薄い板のものが多くありソリストが愛用しています。


こうなると薄い板の楽器のほうが優れいているように思うかもしれません。
人に聞かせることが第一だと考えているならそれで間違っていないと思いますが、演奏者が自分に聞こえるかという問題があります。自分が聞こえないと演奏はしにくいでしょうし、買うときに選びません。




一方自分の耳に強く聞こえることを重視して楽器を選ぶと高い周波数の音が強く出ていれば良いことになります。
それは離れて聞くと届いていません。しかし楽器を購入する選択権は本人にありますから「売れる」ということでは重要な要素です。特に教師の方が生徒の楽器を選ぶ時には自分の耳を重視する方が多いです。楽器職人や販売店も自分で弾いてそのような楽器をそろえていれば教師からの信頼が厚いことになります。生徒は自分で楽器を選ぶ自信が無いので先生に選んでもらうことがよくあります。

そのため私が「これは良い楽器なのに・・・」と思っているものが全く評価されないこともあります。


どれが正しいのかと言えば、どれも正しいでしょう。私は好みの問題だと言っています。


新しい楽器同士なら薄い板のほうが遠鳴りに優れたスケールの大きな楽器になることは言えるでしょう。古い楽器となると厚い板でも柔軟性を増しているために同様の効果があるかもしれません。
つまり楽器が材質として柔軟性を持ってることが遠鳴りに重要ではないかと考えています。

どちらも新品で薄い板の高いアーチとフラットな楽器ではフラットなほうが豊かな響きの音になり、高いアーチのほうが締まった音になりました。そういう意味ではフラットなほうが遠鳴りには優れていることになります。
しかし厚い板のフラットな物よりは薄い板の高いアーチのほうが遠鳴りに優れていました。根本的には板の厚みのほうがはるかに重要だということです。

このような経験から板の厚すぎる楽器はとても厳しいという印象があります。私は勤め先で楽器を買い取るときには必ず厚みを測って厚すぎるものは止めるべきだと思います。お客さんの好みでも低音がよく出る「暗い音」を好む人が多いからです。

新品の板が厚すぎる楽器はまず鳴りにくいものです。ホールに行かなくても重く音が出てきません。日本のお店で不満を言うと「安々と鳴らないのが本物だ」と言われた人も多いでしょう。
100年くらい経った楽器であれば音は強くなっているので板が厚くても近くでは大きな音に聞こえることは十分にあります。しかし本当の実力を知るにはホールで試す必要があります。

私が本物だと思うのは、耳元での強さに特化したものではなくて広いホールに音が響くものです。本当の名器ですね。それらは安々と鳴らないかもしれません。しかし板が厚すぎて鳴らない楽器は耳元でも鳴らずホールでも響かない楽器です。板が薄くなるまでちゃんと作業せずに途中で投げ出した本物の手抜き楽器です。



板が薄ければ低音が出やすくなり、暗い音になる、さらに遠鳴りでも有利であると考えています。うちでは暗い音を好むお客さんが多いので薄い板のものを作ったほうが望まれることは多いでしょう。今年はそのようなヴァイオリンの注文があり特別薄く作った結果希望通りの暗い音にすることができました。
特にビオラではその傾向が顕著です。明るい音のビオラを好む人は多くありません。うちの先輩が15年くらい前に作った板の厚いものが今でも売れ残っています。私も遠慮してちょっと厚めにして失敗したこともあります。

ビオラでは思い切って薄い厚さにします。
アマティのいくつかのビオラでも、アンドレア・グァルネリのビオラでも薄い傾向でありびっくりするほど薄いところがあります。

私は実験によって薄い板の楽器のほうが低音が出やすいということはわかりました。しかし私はそのようなことを教わったことも本で読んだこともありません。
一般に知られていないので間違ったイメージを持っている人いるでしょう。
「重厚感」からイメージするのは板が厚いものです。とくにドイツ製品では何でも分厚く丈夫に作られています。彼らはそれを「重厚感」と感じて高級品だと考えるからです。
それで板が厚く作られた重厚なものから重厚な音が出ると考えます。音で重厚さを醸し出すのはやはり低音でしょう。実際に試すとイメージとは全く逆で華奢(きゃしゃ)な楽器から重厚な音が出ます。オールド楽器はまさに重厚な音が魅力です。しかし持ってみるととても軽く柔らかさのあるものです。扱いは注意が必要です。

新品のドイツの楽器も明るい音がして重厚な音が出ないわけです。

薄い板が良いかどうかは実際に試してみればわかります。そのような発想はわりと思いつくものでどこの流派にもやってみる人がいます。どこの国にあるかはわかりません。はっきりしているのはフランスのモダン楽器とクレモナの1600年代の楽器です。

アマティ型のビオラです

板の厚みを削りだす作業では慎重すぎるのはよくありません。

わずか数ミリの厚みにしますから削りすぎてしまえば穴が開いてしまいます。1㎜以下になって穴が開きそうな粗悪品もあります。板が割れてしまっても通常の修理ではどうにもなりません。そういう時は薄い板をペタッと貼って厚くしました。アーチも変形するし難しいです。安価な粗悪品に高い修理代を請求できませんから。ビニールテープでも貼れば良いんじゃないかと思いますがプロの弦楽器職人ではできません。

そうならないようにと怖いから慎重に行くわけですが、その結果攻め切れてない楽器ができます。厚すぎる楽器ができる原因です。師匠から弟子に受け継がれるうちに少しずつ厚くなっていきます。これも大胆さが必要な部分です。失敗を恐れないでガンガン削っていく人のほうが音が良いというのがあり得るわけです。


やはり弦楽器づくりではノミを使うのが基本となります。

厚みはノミでギリギリまで出してしまいます。後は表面をならすだけで完成です。
ノミでは目に見えて板が薄くなっていくのが分かります。これがカンナを使うと一回ではほとんど変わりません。何十回も同じところを往復しないと厚みが変わっていきません。
テレビ番組でヴァイオリン職人を紹介するVTRを作るならチョチョッっと削っては板を耳元で叩いて音を確認しながら作業を続けるシーンが撮れればカッコイイでしょう。しかし実際には音の変化がわずかすぎて何もわかりません。

今年のヴァイオリンでもそうでしたが、数字で設計したほうがはるかに完成後の音が予想ができます。


まずは裏板から。
ヴァイオリンならごく普通かやや薄めくらいです。ビオラのサイズなら相対的にかなり薄いことになります。
薄い所は2mm強になっていますが、オリジナルでは2mmを切っています。
前回も説明したようにアーチの周辺が深く溝になっているため自然と周辺がとても薄くなるのです。恐ろしいくらいの薄さになっているのがオリジナルです。私には勇気がないですね。

表板もヴァイオリンで薄めの厚さです。ビオラならかなり薄い方でしょう。しかし中央部分は変形のリスクがあり、魂柱のところは傷みやすいので厚くしています。

私は基本的にヴァイオリンと同じ厚さで良いと考えています。ヴァイオリンとチェロの間なので板の厚みもヴァイオリンとチェロの間にすることが多いです。ビオラに関して詳しい人が少なく実証せず数字を計算して間くらいの寸法を決めているだけです。

特に小型のビオラであればヴァイオリンでも薄めくらいで良いと思います。まさにそんな感じです。

削り終わったときにこのように寸法を測って見ます。 もっと良くしようと思ったら削り残しがあれば削れば良いです。しかしヴァイオリンでも薄い方ですからその必要はないでしょう。

f字孔


アマティのビオラで問題になるのはf字孔です。オリジナルはヴァイオリンくらいの大きさしかないからです。アマティもいろいろな寸法が確立していない時期でした。
そこで私が自分でアマティ風にデザインした型を使います。
最初のアンドレア・アマティの時代からニコラ・アマティと時代が経つにつれて少しずつ変わってきます。初期のものは近代・現代の職人には異様なものに見えます。ストラディバリやデルジェズのものが見慣れ過ぎているからです。ニコラ・アマティの時代でも現代の職人には異様なため「アマティモデル」であってもほとんどの場合は現代風、ストラディバリ風にモディファイされてアマティらしいものではなくなっています。そのやり方もモダンや現代の作者の特徴と言えます。

私も今年はデルジェズのコピーを作っていたので全く違います。これがコピーの難しい所で本人たちはいつも自分の感覚を持っていていつものようにやれば良いのですが、見慣れるということはすごく大きなことで、何かを見た後で見ると印象が違うのです。

特にf字孔は本当に難しいもので同じタイプのものばかりやっていても難しいですから。


糸鋸で切っていきます。

このような感じになりました。丸い所の直径が大きいと思います。

こちらはデルジェズ型のヴァイオリンです。

デルジェズのほうがとがっている感じがします。一番上と下の隙間がデルジェズのほうはくっつきそうですが、アマティでは広くしなくてはいけません。これはとても気持ち悪いものでストラディバリやデルジェズ型でこんなに広くしたら大失敗です。

言うなればアマティのf字孔の途中のものがストラディバリやデルジェズのf字孔なのです。そのため現代の職人からするとアマティのf字孔は失敗して削りすぎてしまったものに見えます。いつもはそうならないように気を付けているのにそれをやらなくてはいけないので怖いのです。かといって本当に削りすぎてしまうと大惨事になってしまいます。それはよりは足りないほうがましです。ストラディバリ風になるだけですから。今回も頑張ったつもりですが、今見るともう少し行けるような気もします。しかしやって見たら行き過ぎと思うかもしれませんのでこれで満足です。f字孔は行きすぎたら最悪ですから。一般の人はわかりませんが、私は表板をもう一度作り直したいくらい悔いが残ります。

量産チェロを改造するものでは、特別に頼んでf字孔なしのものを作ってもらいました。ストラディバリのf字孔にするとそれだけでハンドメイドのチェロに見えます。それくらいです。


アマティのf字孔は初期ほど幅が広く見えます。しかしラインのカーブはとてもきれいです。

左側のf字孔です。刻みの形が独特です。角が丸くなっています。

穴の間隔を見ると中央の刻みのある所が太くて上下に行くにしたがって細くなります。
これはストラディバリやデルジェズでははっきりとわかりますが、アマティではほんのわずかです。活字のfの字体では縦の棒は同じ太さでしょう。それがアマティ派のf字孔と違う所です。


こうやって見るとf字孔は細く見えますが、人間は両眼で見ますし、斜めから見ることもあります。

斜めから撮影するとこのように見えます。f字孔はだいぶ太く見えます。写真で見るのとは印象が違うわけです。
特に私の場合はアーチが立体的なので斜面にf字孔の穴が開いています。とても難しいものです。


f字孔は太すぎると失敗したように見えます。細すぎると魂柱が入りません。丸い所から入れることもできますが、やりにくいので後の時代の職人にも申し訳ないです。

カメラのレンズによっても歪むので実物はまた違います。

アマティ風に私がデザインしたf字孔です。オールド楽器のコピーではその通りにコピーするのでは都合が悪いことが有ります。自分もその職人になりきって補わなくてはいけないこともあります。ストップの位置は重要です。多少短いのは良いですが、長すぎるものは演奏が難しくなります。
ビオラの場合にはサイズは演奏者の体格によって決まるので、弾く人に合わせたものを作る必要があります。

天使のようなアマティ


表板の形もf字孔も独特の丸みがあるのがアマティの特徴ですね。立体として見たときのアーチもそうです、丸みがあります。立派に見せようという偉そうな感じがせず、かわいらしい感じがするのが好きです。
フラットなアーチで幅の広い四角いモデルにとんがったf字孔のモダン楽器で音も鋭くきついものが多いです。

私はアマティに天使のようなイメージを持っています。音も清らかで澄んだものになるでしょう。

教会のようなところでは音もふわっと楽器から抜け出て天国から聞こえてくるように感じられます。私が言う名器特有の幽体離脱感です。

教会の天井にもフレスコ画描かれて音楽と一体となります。これがルネサンスからバロックの時代の芸術です。日本ではカトリック教会は悪者として学校で教わるのが残念です。


これが鋭い音の楽器だと楽器から音が出ているように聞こえるように感じます。現実の世界です。





こんにちはガリッポです。

今年は会社の内装工事もあってあっという間に年末です。
趣味も兼ねて箱を作っていましたが作った甲斐がありました。

アーチや板の厚さ出す作業で多くのノミを使います。作業台の上がノミだらけでごちゃごちゃになって探さなくてはいけなくなります。普段は引き出しの中に入れてある箱を台の上に持ってくればずいぶん整理されるものです。




さて、勤め先で見習いの職人の面倒を見ることになったことは紹介しました。実技だけでなく様々な知識も学ばなくてはいけません。

「イタリアの代表的な流派は?」と師匠に聞かれたら答えなくてはいけません。
「ブレシア、クレモナ、ミラノ、ナポリ・・・」と答えますが、代表的な流派が抜けています。
わかりますか?
ベネツィアです。
次に「ベネツィアの作者は?」と師匠が聞くと答えられません。「チェロが有名な作者と言えば…?」とヒントを出しても答えられません。
モンタニアーナですね。他には「クレモナから来た作者は?」とヒントを出してもわかりません。「ピエトロがつく」と言ってもわかりません。
「クレモナの有名なファミリーだ」と言っても「アマティ?」、「ストラディバリ?」…はずれです。グァルネリです。
正解を言うとピエトロ・グァルネリなんてい人がいるのかと初めて知ったようです。ピエトロ・グァルネリは二人いると教えると驚いていました。

ベネツィアの流派と言えばドイツ出身のマーティン・カイザー、ダビッド・テヒラーあたりから始まって、チロル出身のマテオ・ゴフリラーも重要です。
ドメニコ・モンタニアーナ、サント・セラフィンあたりが中心メンバーです。クレモナからはピエトロⅡ・グァルネリです。ボローニャのトノーニやフランス人のデコネもいます。
いろいろな地域から職人がやってきて作風がミックスしているのがベネツィア派の面白いところです。師匠から学ぶだけでなくアマティやシュタイナーをまねて作ることもありました。
ゴフリラーのヴァイオリンは不思議と四角っぽくて形がストラディバリと似てるような感じもします。時期からするとストラディバリが独自のスタイルを確立するよりも前なので偶然の一致でしょうか?
モンタニアーナもゴフリラーに似ています。教わったのでしょう。そのためかつてはモンタニアーナはストラディバリの弟子だとこじつけられていました。アーチの感じはゴフリラー以上にシュタイナーに似ています。
セラフィンは丸みを帯びたイメージが強いです。そのためアマティにも似ていてかつてはクレモナ出身だと言われていました。しかしよく見るとアマティの流派とは少し違っていてベネツィアの流派であることが分かります。

私はそんなふうに作風でイメージして覚えていますが、見習の職人は名前を覚える事すらままならない状況です。イメージもなく名前だけ覚えるのは難しいと思いますけども、作風を見てわかるかと言えばもっと難しいでしょう。
学校の歴史のテストのように人物名を答えるというわけですから知識としては薄っぺらいものです。

まずは自分のヴァイオリンを作ることで楽器を見る目を養わないことにはどうにもなりません。


見習の職人とのやりとりを通して、私などは一般の人とも知識が違い過ぎることを思い知ります。当たり前のようにブログで書いてしまっていることも反省しなくてはいけません。

フランスの流派は?南ドイツの流派は?となるともっともっと多くの知識が必要です。私も知らないことばかりです。私は「ヴァイオリンクイズ王」になろうと思っているわけではなくて、楽器を見て興味があるものに付いて調べているうちに詳しくなっていくのです。いろいろなことはうろ覚えで正確ではありません。

もうひとつ面白いのは「イタリアの代表的な流派は?」という問いがあれば、それは暗黙にオールド時代の産地の話をしています。我々のところではイタリアのモダン楽器はあまり興味が無いです。トリノならロッカとかプレッセンダ、ファニョッラなどは日本人にはおなじみでしょうが、それらについて学ぶ優先順位はずっと後です。

ヴァイオリン職人でも古い作者に全く興味が無い人は多くいます。
どんな分野でも古い時代のことに興味がある人は少ないでしょう。
私がコピーを作って同業者に見せてもオリジナルの作者についてちんぷんかんぷんで的外れの感想をくれたりします。
演奏者も一般の人は同様でしょう。モンタニアーナと言っても「?」という感じなのが普通です。聞いたことのない名前なら聞き取ることすらできません。

そのほか日本人ならヨーロッパの国名がわからないというのもあり得る話です。
「ヨーロッパの国の名前を挙げよ」という問いがあったとき「フランス、イギリス、パリ、ローマ…」などと答える人もいるでしょう。



以前もコレクターの人がたくさんのヴァイオリンを持ってきて価値を見てくれということありました。すべて安価な量産楽器で、中には中国製の弓とケースがついて2万円くらいのものもありました。好きで集めている人でもちんぷんかんぷんです。
楽器製作の修行をしないと目ができないので全く見えないのです。
一般の人はそれが普通なので、ブログで書いているようなことも次元が違いすぎて伝わらないのかもしれません。

初心者に教えるのが難しいアーチの作り方


その中でも特に難しいのはアーチです。
アーチを作っていく作業は本当に感覚だけが頼りです。初心者は全く形が見えないのでどうしていいかわかりません。圧倒的に差がある部分です。

教え方も難しいものです。
こうやって彫っていくんだよとやって見せたりするのですが、いきなりど真ん中に深い穴をあけてしまって台無しにしてしまう人もいます。「真ん中が高くなる形をイメージしたらそんなことはあり得ない」と師匠はあきれるのですが、最初はそんなもんです。

最初のヴァイオリンのアーチはほとんど師匠が手伝うというか、代わりに作るようなものです。出来上がっても師匠がやったのですから何もわかっていません。
いくら教えてもらっても自分一人で作るのは不可能です。

お正月と言えば日本では年賀状がありますね。
今はパソコンで作る人も多いかもしれませんが、昔は版画などもやっていました。彫刻刀で版を彫るわけですがとんでもなく危なっかしい人もいます。できる人は子供のころから彫刻刀の持ち方や構え方ができています。普通はそういう全く向いていない人はヴァイオリン作りをしようとは思いませんが何を勘違いしたかたまにそういう人もいます。本人は自分が危なっかしい持ち方なのを分かっていないのでそうやってるわけですが。
そんな人でも知識さえ暗記すれば専門家のふりをできるわけですから、世の中はそんなもんです。


初心者は慣れてないので見てるほうが怖いです。
よく日本で職人は教えないで盗めなどと言いますが、考えられないです。勝手にやらせてたら危なくてしょうがないです。

初心者は全く分からないので怖いです。削りすぎないように注意すると周辺だけが低くなった台地状になりやすいです。アーチで寸法を指定できるのは真ん中の一番高い所と周辺の厚みだけだからです。
そうすると私なんかは「攻めて切れてないなあ」と思います。このような楽器は素人の職人のものや昔の特に安い量産品にも見られます。音楽学校の広告の写真でモデルが弾いてる楽器がこれだったりすると「あちゃ~」と思いますが、撮影した人たちも、先生たちもわからないのでしょう。
そこまでひどくありませんが一人前の職人の楽器でも攻め切れていないものはよくあって、師匠がそうなら弟子にとってはそれが「正しいアーチ」になるわけです。造形センスがあればそれがおかしいと気づくはずです。
このようなものはイタリアのモダン楽器にもあり1千万円くらいしたりします。100万円もしない他の国の並みの職人と才能は変わりません。

アマティ型のビオラです


今作っているアマティ型のビオラで見ていきます。

荒削りの最初の段階では何も測ったりもせずに感覚だけで形を作ります。頭の中は何も考えておらず作業をこなしているだけです。
言葉で考えるようなことと違って立体をイメージしています。言葉とは違う場所の脳を使っているので考えていないようになるのでしょう。本当に何も考えていなければ真ん中に穴をあけてしまいます。おそらく脳はフル稼働してるのです。

だから教えようがないのです。



こういうやり方を教わったりすると多いのは削りすぎてしまう人です。アーチは三角に尖ってしまいます。家の屋根を作っているようになってしまいます。
それに対して「削りすぎるな」と注意すると残し過ぎて周りだけが低くなる台地状になってしまうのです。後でボコボコを滑らかにすることも考えて少しだけふっくらさせておくのがコツです。残し過ぎると攻め切れてないアーチになってしまいます。

最初の段階ほど大雑把な形が見やすく工程が仕上げに行くほど見えなくなっていきます。最初にしっかり形を作っていないと最後まで影響してしまうのです。

オールドの時代には胴体ができてからパフリングを入れていましたが、作業のやりやすさを考えると先に入れてしまいます。
徐々により正確に形を作っていきます。正確に形を作るには時間がかかるわけですが、ノミで削る作業はどちらかというと削りすぎてあっという間に無くなってしまうものなので夢中になっているうちに気づくと出来上がっているものです。
クレモナ派のオールド楽器でアーチの高さがバラバラなのは寸法のようなものを考えていないからでしょう。形を作っていてできた高さが完成の高さということです。

特定の楽器のコピーや完成の寸法が決まっていてこのようなフリーハンドの作業をするのはとても難しいです。

ストラディバリやデルジェズは晩年まで高いアーチの楽器を作っています。私たちが知識として学んだ「音量を増すためにフラットなアーチを採用した」などというのはでたらめです。気まぐれです。

このように真横に溝を掘っていく方法は、ジュゼッペ・フィオリーニなどイタリアの作者が広めた方法で、昔本当にこうやっていたかはわかりません。フランスの楽器でもこうだったかもしれません。

オールドの作風には地域差があるのでドイツでは全く違ったのではないかと思います。

少なくとも凹面のカーブは横方向にノミで彫っていくのが最も自然です。それは間違い無いと思います。

これをカンナで仕上げるのがフィオリーニ流です。フィオリーニの楽器を見ればノミの勢いが残っています。それで量産品を高品質にしただけと違うことが分かるのです。

しかしそれはオールド楽器の雰囲気とは違うようです。
私は、さらにもっと浅いカーブのノミでチョコとチョコと彫っていきます。

一般的な木彫であればきっとこうするだろうと考えてのことです。なんとなくオールド楽器にあるような柔らかい雰囲気が出てくると思うのです。

これで表面をならしたら完成です。
人によって個人差も大きいでしょう。


古い時代には家具でも何でも装飾が施され、立体的な曲面のものを作っていたので、彫刻家が弦楽器を作ったらどうするだろうと考えるのです。

今の職人よりもはるかに器用に彫刻ノミを使いこなしていた可能性はあります。年賀状の版画ではノミで彫るのは怖いのでコンピュータで編集するようになりました。ノミで彫るのを嫌がる人が多いのです。

同様に不慣れな人は失敗を恐れてカンナを多用することでしょう。それが現代の木工職人です。日本は浮世絵などの歴史があり小中学校でも版画をやったと思います。西洋の人は全く木彫をやったことが無い人がヴァイオリン職人になっています。こちらでは糸鋸を使って工作をするのが子供がする定番です。

一方ノミの使い方を身に着けた人なら、完成まで彫っていくのは楽しいし自然なことだと思います。

板の厚みもスクロールもノミで彫っていくのは弦楽器製作の基本だと思います。それを嫌がるのが現代の職人です。年賀状と同じで機械でできたらと考えた結果が量産楽器です。量産楽器とハンドメイドの楽器との根本的な違いはノミで作っているかということです。機械には回転式の刃がついていて削っていきます。ノミは使いません。


年賀状でも版画だと味がありますね。
それは素人の素朴な味であって江戸時代の版画は職人の腕前が全く違います。現代の人はかないません。本を一冊分文字まで全部彫っていたのですからとんでもないです。もちろん左右は反対です。

今もそんな時代なら私のような人は仕事に困ることはありません。

表面を仕上げてしまうと立体感は全然わからなくなります。
デコボコが無くなる綺麗さはあります。近現代の楽器製作で重視される綺麗さです。

アマティと同じようなカーブや立体にしようと思えば相当気を使います。ノミで彫るということは手元が狂えば穴が開いて一巻の終わりだということです。
マイナスのカーブはノミでないと出ないと思います。削りすぎずに台地にもならないというのはとても神経を使います。なんでこんなオーバークオリティのものを作っていたのか不思議でしょうがありません。

写真で写すのは難しい

アーチは実物を見てみないといけません。見ても同じものが作れなければ本当の意味では見えていません。あやふやなところがあるのです。

会社の照明が変わったので違う方法を試みてみました。

丸棒を並べて影を作りました。LEDの照明は直進性が強いのではっきりした影ができます。仕事をする上では物が真っ白に光ってしまい、影のところは真っ黒で陰影の階調が無いので立体感が見にくいものですがこのような使い方ができます。

斜めから見ているので低い角度のほうが断面に近いです。
アーチの高さは中をくりぬく前に一番高い所で測ると厚みが裏板で18㎜弱、表板で19㎜弱です。これは現代のビオラとしては高い方で、オリジナルのアマティよりも高いでしょう。しかしこれくらいの高さのヴァイオリンも作ったことがありますから、ずっと大きなビオラでは極端に高いということもありません。
高いアーチと薄い板の薄さの組み合わせで非常に枯れた味のある音になると思います。あまり高いと上級者向きのデリケートな楽器になるのでほどほどにしておきたいと思います。
ただビオラはサイズもあって幅もあるのでそこまで窮屈にならないでしょう。


分かりやすい特徴は赤や緑の縁で示したように周辺の溝になっている部分が大きな半径のカーブになっていることです。これがアマティ派の特徴だと思います。若いころのストラディバリも同様です。現代では意識してない職人も多くなんとなく出来上がっているものも少なくありません。
これはビオラなので特にゆったりしたカーブになっています。アンドレア・グァルネリでも同様です。ヴァイオリンになると小さくなるのでちょっとの差が大きなキャラクターの違いになります。
ストラディバリも晩年には緑の半径が小さくなります。私が見たカルロ・ベルコンツィではかなり小さかったです。現代の楽器でも同様です。そういう意味ではベルゴンツィは現代の楽器に似ていると言えます。

今年作ったデルジェズコピーのヴァイオリンでも意識したところです。これと同じように緑のところは大き目のラウンドにしました。
このようなものだと中央付近は窮屈な構造になります。端から端までこんもりとしたカーブにすればもう少しゆったりします。一方シュタイナーはまた違います。アマティとと同じように周辺に大きな溝があるのですが、台地状になっています。上が平らで急な斜面があり深い溝があることになります。現代の攻め切れていないものとは全然違いますが、これはさらに窮屈になります。それが細いモデルだったり、アーチがさらに高ければかなり窮屈になるでしょう。

私はこのように窮屈かどうかということを意識しています。
はっきりしたことはまだわかりませんが、窮屈さが板の自由さを抑え響きが抑えられることで音色に味が出るのではないかと考えています。何が何でも音量が第一と考えるなら良いことではありません。しかし多少音量を犠牲にすることで味わいのある音になるのではないかと思うのです。抑えすぎてしまうとあまりにも音が出ない楽器になってしまいます。
デルジェズのコピーではイメージ通りになりました。これがアーチのおかげなのかどうかは確証はありませんが。

中音域の響きが多ければ明るい音になるでしょう。どっちが音量があるかと言えば明るい音です。しかし、ビオラらしい味のある音と言えば暗い音でしょう。

オールドヴァイオリンでも窮屈すぎるものは豊かに響かないスケールの小さな楽器になっているものがあります。そういう意味では豊かに響く明るい音の楽器のほうが優れているというのは正しいでしょう。しかしそれはオールド楽器同士の話であって、そもそもオールド楽器は現代のもの比べてずっと暗い音がするものです。その中で暗すぎないものが優等生的な楽器と言えるでしょう。
したがって明るい音ほど良いということではないと思います。

アーチはオールド楽器のように癖があるほうが味のある音になりますが、癖が強すぎると室内楽的なスケールの小さな楽器になってしまうということです。イタリアのモダン楽器のアントニアッジ家のアマティモデルのヴァイオリンではオールド楽器を研究したということもあってかなり大げさになっていました。暗い音で抑えられ過ぎているようです。もうちょっと豊かに鳴るほうがベターかもしれません。イタリアの有名なモダン楽器でも作り方によっては暗い音になります。
ガッダ家(マリオ・ガッダ?)で作られたというニセモノのロメオ・アントニアッジは明るい音がしていました。板が厚いからです。

その辺が「さじ加減」というところでしょうか?





表板です。





なんとなくではなく、はっきりと意図をもって形が作れていると思います。

縦方向です。

特に重要なのはアーチが弧を描き中央から駒のところが高くなっていることです。弦の力で凹んでくるところです。アンドレア・グァルネリのビオラでは若干凹んでいます。しかしびっくりするような薄い表板の厚みの割にその程度で済んで300年持っていますから十分な強度です。他のオールド楽器では陥没しているものもあります。

作っていた時に同僚が15年前に作ったチェロのメンテナンスをしていました。職人でないとわからないくらいかもしれませんがやはり表板の中央が変形して凹み始めていました。厚みは現代の楽器として標準的なものです。かなりアーチの中央を平らに作っていたので変形しやすかったと言えます。
演奏者が気にするレベルではありませんが、職人としては気分の良いものではありません。このようなこともあって話し合っていました。

意識的に中央を高くしてあります。

裏板はそんなに神経質になることもありませんがやはりきれいな弧を描いていることがアマティやイタリアの楽器では基本です。ドイツの楽器なら台地状になっていることもあります。


アーチのキャラクター

イタリアのオールド楽器はドイツのものに比べると癖が少ないです。そのあたりがイタリアの楽器が優れている要因ではあると思います。しかしドイツの楽器もケースバイケースで物によってかなり違います。イタリアの楽器でもそうです。だから一つ一つの楽器を試してみないといけないと言っているのです。

見た目はイタリアの楽器のほうがプレーンで特徴が無いアーチに見えます。ドイツのもののほうがインパクトがあります。

近現代の楽器はもっとプレーンでもっと特徴が無いものが多いです。音にも作者の特徴が出るというよりは同じような音のものがたくさんあるということです。有名な作者の楽器と同じような物がほかにもたくさんあるのが近現代の楽器です。値段が5倍~10倍違っても私たちは騙されません。同じ音なら安いもののほうが得です。上等な現代の楽器を作れる職人はたくさんいて有名になるのはそのうちのほんの氷山の一角にも満たないくらいです。

特徴があるほど良いというのではなくて、適度である必要があると思います。


先ほどの写真とは見え方が違うでしょう。このようなものでもミドルバウツのふちが大きくえぐれていて現代では珍しいものです。周辺に大きな溝があるのも特徴です。



ものすごく個性があるというわけではありませんが、はっきりと意図したように形が作ってあります。現代の職人でセンスの無さがバレたくなければ曖昧な感じになっています。

フラットなモダン楽器が鋭い音がすると決まってはいません。しかし1800年代の初めのものでも鋭い音のものは多くあります。オールド楽器も鋭い音のものがあります。しかし、オールドの名器としてイメージするのは柔らかく美しい高音です。そして味のある低音。広いホールにも広がるスケールの大きさがあればソリスト用の楽器としても優れたものです。

私が作るものも柔らかい音になります。特にビオラでは鋭い傾向だと「鼻にかかった音」になってしまいます。
それがアーチによるものなのかはっきりはわかりませんが、結果として私がオールド楽器に求めるイメージに近くなっているのでこのように作っていくのが私のスタイルということでしょう。

アーチを削っている最中はノミの一削りで音がどう変わるかなんてわかりません。それこそ、「こんな感じ」と思いながらやるしかありません。

こんにちはガリッポです。


まずは帰国の予定から。
お伝えしている通り、今シーズンは時間の関係もあり何か募集することはできません。日本に帰る機会があるので用がある方は受け付けます。
2020年1月4日から一週間くらい東京にいる予定です。5日は予定が入っています。ブログの問い合わせフォームからでも良いですし、アドレスが分かっている方はEメールでも受け付けます。ひと月くらい前になったので順次やっていきます。




弦楽器の音の良し悪し、またはキャラクターを決める要素が分かれば選び方はわかりやすくなります。うちの師匠はそのような知識をどこかで聞きかじってきたお客さんに対して「いろいろな要素があるので音は弾いてみないとわからない」と説明し素人の知識にくぎを刺します。商業ならそれに乗っかれば売れるわけですが、専門家の責任としては厳しさも必要です。

これがカメラのような趣味なら目的に応じて設計されたレンズなどを選んだり、メーカーごとの特徴を知ってひいきにしたりすることでしょう。趣味としての面白さは仕組みを理解して結果を導き出すところにあるのではないかと思います。

それに対して弦楽器では全く分からないのです。
特に、音大で学んだり、音楽家を職業とするなら、メーカー名や仕組みは無視して楽器を試奏して結果としての音を探すべきです。作者の評判で楽器を選ぶのは「雑な楽器選び」のやり方です。


これでは趣味としては面白くないですね。

ヴァイオリン職人としても何もわからないのは面白くありません。
私もはじめ一般の人と同じように興味があって先入観やイメージを持っていました。
それから師匠に教わると「こうすると音が良い」とか「こうだと音が悪い」といろいろな教えを学びました。プロの本当に知識を得たと思いました。それから同業者のうわさ話や研究の報告などもあります。

しかしこれらで不満に思ったのはみな「音が良い」というだけで具体的な音の特徴が語られることが一切無いのです。
例えばニスは柔らかいほど音が良いとか、軽いパーツにすると音が良いとか、タッピングして何ヘルツになっていると音が良いとか皆さんも聞いたことがあるでしょう。

そのような理屈ではどんな音に変化するのかは全く分かりません。
場合によっては望まない方向に変化するかもしれません。しかし、そのような美意識に対する広い発想を持っていない人が業界には多いです。

これが音が良いですよと正解だけを教わるのです。それと違うことをやったら音はどうなるかは誰も知りません。やってはいけないと教えられ誰もやったことが無いからです。


例えばバスバーをどうしたら良いかというときに、同じ楽器で何度もバスバーを付け替えて試したり、多くの楽器で違うバスバーを試したりすることが必要です。でもそんなことをしている余裕は弦楽器工房にはありません。お金にならないからです。研究だけで収入が得られる職業が無いのです。

だから結局のところはわかりません。
「だいたいこんな感じ」という理解の仕方かその範囲の中で特定の数字に寸法を決めてしまうかです。職人として経験豊富というのはだいたいの感じで仕事ができる人だと思いますが、勘が外れることもあるでしょう。数字で指定すればおおきな間違いは少ないです。誰かがこれくらいだろうと数字を決めたのが、何世代も弟子に教えていくと絶対に侵してはいけない神聖な数字に見えてきます。


私たちにわかるのはひどく傷んでいる楽器、かなり変わったもの、ひどい手抜きが行われているかということです。それを普通の状態にしてやれば楽器は健康な状態になって能力が発揮され、その楽器の固有の音が出てくるでしょう。それでどんな音が出て来るかはわかりません。もともと持っている音が好きでない場合、修理しをした後で「この楽器は自分の好みの音ではない」とはっきりすることもあります。

木材の質


以前は材質について説明しました。チェロの場合には表板の材質によって音はかなり違います。しかし、音は違うけども「良い音」というのはわかりません。柔らかい表板の音を好む人もいるし、硬い表板の音を好む人もいるからです。
柔らかい表板の場合には音も柔らかくて低音側の強いバランス(暗い音)になると思います。硬い材質なら明るくて低音のボリュームは無くなり硬い音になると思います。
一長一短でどっちが音が良いかということは言えません。
ヴァイオリンになると同じ傾向なはずですが違いはよくわからなくなってきます。
硬さは見た目ではわからないということはその時に説明しました。
表板の中をくりぬいて厚みを出したときにはじめて持ってみて柔軟性が分かります。その時には表板が出来上がっているので変更するのは現実的ではありません。また、古い楽器ではふにゃふにゃになっています。同じようにふにゃふにゃにした新作楽器が同じ音がするかと言えばそうではありません。
古い楽器の表板が柔らかいことと音が暗い傾向になるのは一致しています。
古い楽器の方が暗い音をする傾向があると言えます。

ある一面では柔らかい材質のほうが古い楽器に音が似ているということもできますが、音がもやっとして弱すぎると感じるかもしれません。硬い木なら現代の楽器らしい音の魅力を出せるでしょう。

これも他の要素も影響するのでこれだけで決まるわけではないということになります。例えば板の厚みです。板の厚みを材質に合わせて変えても同じ音にはなりません。アーチの形状によっても持った時の柔軟性は変わります。材質自体の柔らかさとは別のことです。

また裏板はどうかと言えば、同じような傾向なはずですがよくわかりません。

私は材質はほどほどのものを使って、加工で音の性格を作るのが良いと思います。

板の厚み


それに対してはっきり傾向が分かるのは板の厚みです。
これは実験がかなりできますし、すでにある楽器を測ることもできるからです。
また改造して薄くして前と後で試すこともできます。

板の厚みについては厚すぎてはダメ、薄すぎてはダメ。その範囲内なら厚めでも薄めでも構わないと言っていきました。厚めでも薄めでもキャラクターが変わるのであって好みの問題となります。ちょうど中間が最高ということはありません。

板が厚いと低音域が出にくくなり、板が薄いと低音域は出やすくなる半面、中音域は控えめになります。高音の規則性はよくわかりません。チェロなら低音楽器なのでA線などは中音域と考えられます。

つまり楽器の音域の範囲に厚みが来ていれば良いということです。それから外れるとうまく機能しません。


これも大きな傾向は分かっても厳密には予測できません。
作りの荒い量産品ともなると予想外の出方をすることもあります。


板が薄い楽器で中音域の響きが抑えられると 、音程とは関係のない響きが抑えられ澄んだクリアーな音になります。

ニス


ニスを塗り替えたりすると音が変わることは経験があります。
量産楽器のニスをはがして自家製のニスを塗りなおしたところ、ハンドメイドの楽器のように柔らかい音になったことはあります。アクリルのようなニスが塗られていたのでしょう。したがって量産楽器が耳障りな音がする原因にニスがあることは十分考えられます。
しかし、量産楽器のニスを塗り替えることは普通は考えにくいです。費用が掛かりすぎるからです。量産楽器よりも高くなってしまうかもしれません。
そのため初めから量産メーカーにニスを塗る前のものを発注して自家製のニスを塗っています。

この時バスバーも交換するのとしないので音はかなり違うようです。弓が軽く触れただけでギャッというやかましい音が出るものが私がバスバーを交換するとしっとりとした感じになります。弓の加減によって音が変わるようになると思います。したがって練習するには良いでしょう。板の厚みなどもチェックすることでかなりハンドメイドの楽器に近いものになります。
逆に大人しすぎる楽器にはどうしたら良いかはわかりません。


一方ハンドメイドの楽器でニスを塗り替えたこともあります。これで良い結果を得られたことはありません。ニスも塗りたてよりはいくらか経過したほうが良いのかもしれません。音は変化します。良くなるかどうかは、それ以前のものとの違い、望んでいる音の方向によっても違ってくるでしょう。「ストラディバリのニスの秘密を解明した!」と言う職人がいても、塗り替えるのはとてもリスクが高いと思います。一度はがしてしまえば元に戻すことができません。作者のオリジナリティが損なわれるため名のある楽器なら金銭的な価値もがた落ちになります。


モデル


それ以外にも重要そうなのですがよくわからないのは、モデルとアーチです。
よくストラディバリモデルやガルネリモデルなどと言います。これは人によって理解度が違いますが、共通するのは表板や裏板の輪郭の形のことです。ストラディバリモデルのヴァイオリンとガルネリモデルのヴァイオリンで音の特徴があるかと言えばよくわかりません。
同じ量産メーカーのチェロを会社で仕入れていますが、ストラドモデル、モンタニアーナモデル、ゴフリラーモデルなどがあります。機械で作られているのでモデル以外はほとんど同じはずですが音の規則性はよくわかりません。仮説を立てたこともありますが、新しく仕入れたものでは当てはまりませんでした。
同じメーカーでも分からないのに、違うメーカーのストラドモデル同士で共通点はまったくわかりません。
ハンドメイドの楽器でも同じです。

極端に細いモデル、またはミドルバウツが極端に細いととゆったりとした鳴り方は難しいでしょう。これはアーチが窮屈になることとも関係していると思います。モデルの形がアーチに影響するのです。特に高いアーチのオールド楽器では要注意です。
フラットな傾向のモダン楽器や現代の楽器で幅が広いほど良いということでも無いようです。ヴァイオリンでミドルバウツの幅が110㎜を超えるものと105㎜程度のもののどちらにも音量に優れたものがあります。
ストラディバリのロングパターンと呼ばれる1690年代のころのものは細長いモデルですが、ミドルバウツは細くありません。

アーチ


さて問題はアーチです。

アーチについてはフラットなほど音量があり、高いアーチは音が小さいので作ってはいけないと教わってきました。現代では作られたものも少なく高いアーチの作り方に精通している人もいないので本当かどうかもわかりません。しかしオールド楽器には魅力的なものがあって魅了されます。そのようなものを作ってみた結果も魅力的なものでした。少なくとも音の大きさについては極端に違うといことはありませんでした。新作の楽器はまだまだおとなしい物ですが、平らなアーチでも高いアーチでも同じです。


アーチについては3次元の曲面で輪郭の形が不規則なのでとても複雑なものです。
大雑把な傾向で高いアーチとフラットなアーチについて考えてみましょう。平らなアーチのものは裏板や表板単体でみると柔軟性があります。高いアーチでは変形に限度があります。古い楽器を修理するときに取り外した表板をフラットなアーチでは持って曲げてみることができますが、高いアーチだとすぐに割れが生じてしまいます。直しているのか壊しているのかわからないのでとても気を使います。ある程度以上曲げることができないのです。

新しい木材ならもう少し弾力がありすぐに割れることはありません。しかし恐ろしいものです。

これは弓の力をかけたときにも同様でしょう。フラットなアーチなら弓に圧力をかけて弾くこともできますが、高いアーチでは音がつぶれてしまいます。デリケートな楽器でフラットな楽器の弾き方では高いアーチの楽器はうまく鳴らないということです。

他方、板の振動の余韻がフラットなほうが長く、高いアーチのほうが短いのではないかと思います。弦の余韻ではありません。板をタッピングしてもはっきりわかります。
高いアーチのほうが歯切れの良い音になるのではないかと思います。これが独特の味のある枯れた音になると考えています。フラットな楽器ではボリューム感が優れるのも響きの長さにあるのではないかと思います。
これらを総合すると高いアーチのほうが反応が敏感に感じる部分があります。フラットなものではやや遅れて来るような「ブワン」というような鳴り方ができるということです。私の作ったものでは高いアーチのほうが手ごたえを感じるので「力強い」と言う人もいます。離れて聞くとそうでもありません。
フラットな楽器でも手ごたえを求めると鋭い音の楽器が優れていることになります。これを離れて聞くと高音はかなり耳障りに感じます。
一方高いアーチの楽器の高音が柔らかいかというとそうでもないです。それに関してはアーチの高さとの規則性はわかりません。高いアーチなら柔らかい音でも抜けがよく、低いアーチだと柔らかい音ではにぶい感じになるのではないかと思います。高いアーチの楽器は弓の加減がシビアでぶん回すような弾き方はできないでしょう。
それぞれ一長一短で演奏者の好みと相性があるでしょう。すでにオールド楽器を使っている人と、近代の楽器を使っている人でも弾きやすさは違ってくると思います。


このような大きな規則性はあると思います。
しかし同じような高さのアーチの楽器同士でも音が全然違うことがあります。この差はよくわかりません。現代の楽器ならみなほとんど同じようなアーチの高さですが音は違います。アーチの形状を特徴に分けて分類するのは困難です。




古さ


最後に古さについてです。
新品の楽器であれば、どれも一長一短で良い所もあれば、悪いところもあるものです。人によって何を重視するかも違います。
全体的にグレードアップするには古さしかないでしょう。20年でも50年でも弾き込まれた楽器は新品とは音の出やすさが違います。平凡な楽器で50年経ったもののほうがどんな職人の新品のものよりも音が出やすいのです。

じゃあ絶対に50年経っている楽器のほうが音が良いかと言えば、音は出やすくなっているけども、その楽器固有の音は変わりません。音は強くなってもキャラクターはそのままです。好きなタイプの音でないなら50年経ってもダメです。

100年、200年と経って行けばキャラクターも少しずつ変化してきます。300年もすれば古い楽器特有の音になり「作りなどは何でもいい」という面もあります。それでもやはりキャラクターはあると思います。1800年より前に作られた楽器では作風に職人の個人差が大きいため音のキャラクターの違いも大きいと思います。でもアーチがひどく窮屈であったり、板が薄すぎたりしなければ大概は「名器」と呼ぶにふさわしいものです。希少で高価なのでケチをつける人も少ないです。

このように楽器が持って生まれる音の性格は職人が作り、演奏者が時間をかけて育てていくものだということです。古いものほど希少で高価、当たりはずれも大きいわけですから、予算に限りがあるなら新しいものも検討すべきでしょう。

機械で作れないアーチ


ネックの角度も重要な要素ですが、オールド楽器では作られたままのものではなく後の時代に変更されています。狂いも生じるので常に同じ状態を維持することはできません。

白木の量産楽器を改造する方法でも板の厚みや、ニスの質などでハンドメイドの楽器に近いものを作ることができます。チェロではコストパフォーマンスに優れたものです。材料も長年ストックしてあるものをメーカーに渡して作ってもらうこともあります。
ニスの成分は変えることができるので上等な量産楽器なら品質も高く、下手なハンドメイドの楽器よりも優れていることはあり得る話です。特に中途半端な値段のチェロでは現在の機械の優秀さに勝てないかもしれません。

単に音だけならハンドメイドの楽器である必要が無いようにも思います。
自分の好む音が量産楽器で得られる人なら安く済んで得です。

白木の量産楽器を改造する方法で、私の思うようにできないのはアーチです。
機械で初めに加工されているからです。もちろん多くの量産メーカーの中から優れたものを探して購入しています。しかしアーチについては表面の仕上げを入念にすることしか改造はできません。

オールド楽器のようなキャラクターのはっきりしたアーチを作ることをずっと研究しています。現代の楽器製作ではキャラクターのはっきりしないものが多いです。それじゃあ機械で作ったものと何が違うのかということにもなります。

私が楽器を見たときに違いを感じる部分でもあります。オールドと近代以降の楽器を見分けるのはもちろん、量産楽器と造形センスのある職人のものと違いが分かるのはアーチです。巨匠と言われているような職人の楽器でも平凡な職人と才能が変わらないとわかるのもアーチです。
写真や本では全く伝わらないもので偽造ラベルを貼られたものでも図鑑で見比べるとそのように見えてしまいます。人によって見え方も違い、客観的に評価することができない部分でもあります。

次回はもっと詳しく見ていきましょう。

これくらいは考えてやっています

楽器店の営業マンや職人に話を聞けば、「〇〇だから音が良い」という説明を盛んにしてくるでしょう。そのような説明は私も修行を始めて数年の間に学んだことです。一般の人で知っていればマニアと言われるレベルでしょう。

しかし実際にいろいろな楽器を調べたり、作ってみたりするとこれらがおかしいことに気づきます。間違った知識を信じるくらいなら、ただただ試奏して音だけで楽器を選ぶべきです。音のほかに値段に見合ったものかどうか、修理や状態、演奏上問題が無いかも重要です。

音について全く分からないということではありません。
以上のことくらいは考えてやっています。

他には品質なども考えられます。バスバーについては少し触れましたが、力のかかり具合に影響があるでしょう。板の厚みやアーチのカーブが不規則なら音程とは関係のない雑音が多くなるような気はします。接着部分が不完全なら振動エネルギーがロスする場合もあるでしょう。精度が悪ければネックの角度にも問題があるでしょう。しかしケースバイケースで規則性を言うのは難しいです。


演奏者の方が気にする点からするとかなり大雑把だと思います。それくらいしかわからないということです。





こんにちはガリッポです。


パフリングの話です。
私はパフリングとして埋め込む象嵌は自分で作っています。しかし一般的には市販されたものを使う人が多いでしょう。これを自作すると中国製の安いヴァイオリンくらいのコストになるからです。

大量生産品ではパフリングだけを専門に作る工場があり、戦前の東ドイツのものには独特のものがあります。いかに有名な作者のラベルが貼られていても東ドイツの流派のものという動かぬ証拠となるのです。

私が自分で作るのはオールド楽器のコピーを作るときに作者の特徴を表すためです。ちょうど良いものが市販されていれば良いのですが難しいです。
現代のものは特徴として全体として太めで特に白い部分が太くなっています。その方が現代風できれいに見えるからです。現代風の楽器を作るなら自分で作る必要はないでしょう。

以前は特注で希望通りのパフリングを作ってくれる業者がありました。今回問い合わせてみるとギターのほうがメインでヴァイオリンやビオラのものはやっていないそうです。そこで弓のパーツを作ってる業者が薄い黒檀の板を扱っているというので購入しました。



0.4mmの厚さにしたいのですが、買ったものは0.5㎜です。0.1㎜だけ薄くするのは意外と厄介です。表面は機械で加工した跡が残っているのでそれをスクレーパーなどで仕上げれば行くかと思いましたが思ったほどではありませんでした。黒檀は堅くすぐに切れ味が落ちていまい、力を入れると周辺ばかりが削れて厚みにむらが出てしまいます。
しかしカンナを使うと逆目が出てしまうと割れてしまい終わりです。
そこで通常25~30度に研ぐカンナの刃を90度に研いだものをセットします。日本では立ち鉋というものに近いです。主にカンナの台を調整するのにつかわれるので台直しカンナともいわれます。
西洋ではスクレーパープレーンと呼ばれるものがあり、弓職人などは必須の道具です。専用のものはとても高価で出番も少ないのですが、簡単な裏技で代用ができます。
これは安価な楽器に付いている質の悪い指板を削るときも有効です。


黒檀は割れやすく扱いには慎重さが必要です。安価な製品では木材ではない人工繊維が使われています。

黒檀は伸縮性が無いためまっすぐな状態で貼り合わせるとカーブの内側と外側で長さが変わってしまうので曲げることができません。
昔は貼り合わせずに溝に入れて行ったという説もありますが、リスクが高いです。
特注で作ってもらうのが難しいのはこのためです。黒檀を使ったものは市販品でも初めから曲げてあります。

白い木を染めたものもありますが、今回は上等な材料でということですから黒檀を使います。そのためパフリングだけで中国製の楽器が買えるくらいのコストになるのです。それでも慣れたものでテキパキとできるようになりました。

ナイフで切り込みを入れていきます。
はじめにパフリングカッターという道具で線をひっかいた後ナイフで切り込んでいきます。これはフリーハンドなので手元が狂えば脱線してしまいます。初めてヴァイオリン作りを習うとき難関となる部分です。したがって未熟な職人のパフリングは溝の切り方が汚いのですぐにわかります。量産品では機械を使っています。最近では機械の性能が上がってあまりひどいものは少ないです。しかしよく見るとミスしたところをパテで埋めてあります。

前回はデルジェズのコピーだったのでとても苦労しました。デルジェズは未熟な職人のように脱線してしまっているのです。
オリジナルと同じところを同じように脱線させるため狙っていかないといけないので手間がかかります。

ナポリのガリアーノ派は専用の道具もなかったのではないかというくらい汚くて、隙間を白い粉ではなく黒い粉で埋めてあるのでとても汚く見えます。
そのためガリアーノ派の楽器だと見分けがつくのです。

東ドイツのマルクノイキルヒェンの19世紀~20世紀初めころのものはパフリングとエッジの端までの距離がとても近いものがあります。オールドのスタイルでもあるし、モダンのスタイルのでも同様のものがあります。モダン楽器にスタイルが変わる中でも見直されなかった部分です。中には上等な木材で作られ有名な作者のラベルがついているものがありますがほとんどは大量生産品です。

他にオールド楽器でよくあるのは、表板と裏板でパフリングが違うものです。これは後の時代の人が表板を新しく作った場合に見られます。完全に同じパフリングにするのは難しいですが、アーチなどの作風や古さ加減も違うことが多いです。家族経営の工房で分業で作っていた可能性もあるのですが、パフリングが違えばかなり疑わしいということになります。


このようにパフリングは作者や流派の特徴が出る部分です。今回はアマティなのでオリジナルも脱線のミスをしていません。そのため私には簡単なのです。アマティは輪郭のカーブが独特の丸みをしているため、パフリングのカーブも滑らかになっています。パフリングのカーブの綺麗さがアマティの独特の部分です。

できるだけ手数を少なくするのがミスをする確率を下げるでしょう。溝をパフリングの幅よりも狭めにしておいて
やすりなどで広げて入れるというやり方もありますが、気の遠くなる作業で疲れたころにやすりでミスをしてしまうのです。

長嶋さんみたいですがパンと切ってポンと入れるのが理想です。

十分な深さまで切り込みを入れると中を抜いて溝を彫ります。

デルジェズは象嵌自体も厚みがバラバラでオリジナルと同じになるようにはじめ厚めに作っておいてオリジナルの写真を見ながら白い部分や黒い部分を削って行って厚みのむらを再現しましたので大変に手間のかかるものでした。アマティはかなり均一で機械で加工された市販品でも通用するくらいです。しかし機械のものは均一すぎるでしょう。手打ちそばやうどんのように人間業として恐るべき均一さでも機械のような均一さではないのです。それも0.1㎜厚い材料を買ったのでわずかなムラは生じています。ストラディバリでも同様で機械で加工すると均一すぎます。


出来上がってみると隙間もなく脱線もありません。隙間を粉で埋めるような必要はなくノーミスです。これが慎重に慎重を重ねてやるとかえっていくつかミスするものです。


先端もこれくらいなら十分でしょう。細めのパフリングできれいに見せるのは難しいですが、カーブも優雅に湾曲しています。

アマティもすべて同じということもないし、古いのでコーナーの先端が摩耗してよくわからなくなっているものも多くあります。しかし後の時代の人を入れても最高水準の綺麗さだと思います。ストラディバリの晩年のほうがいい加減なくらいで、それを誇張したフランスの楽器もあります。

ミスの無さだけではなく美的にもバランスの良いものでカーブには独特のエレガントさがあります。アマティの影響が強い楽器はすぐにわかります。ストラディバリではもうちょっと自然な感じで、デルジェズになると無神経なものです。
これもオールド楽器やアマティ派の楽器であることを見分けるポイントです。

アマティを模した楽器はフランスやオランダのオールド楽器にもあります。特徴が大げさになっていることもあります。


アマティのコピーを始めたころはオリジナルのクオリティの高さからとても緊張しました。今ではそれが普通になっています。ビオラの場合にはヴァイオリンにくらべて大きくパフリングも長いはずですが、カーブも緩やかな分ミスが無くできたと思います。



パフリングは溝が広すぎると緩くなって隙間が空いてきます。ビリつきの原因になるものです。今年もメンテナンスをしたヴァイオリンでビーンと異音が聞こえるのです。見るといたるところのパフリングと溝の間に隙間があり、にかわを流し込みました。結果としてビリつきは無くなりました。しかしまたにかわの水分が蒸発したら開いてくるかもしれません。

出来立てのころはニスが流れ込んで埋まっていた隙間も乾燥してやせてきたり、板が変形してくると間が空いてくるのです。もともと隙間があったところが開いてくるのです。古い楽器でもピッチリとパフリングが入っていれば周辺と一体化して開いてきません。
隙間が空いていれば職人としては下手くそだということです。

デルジェズやガリアーノのように下手くそでも音が良い楽器はあります。彼らを超人的な腕前の名工だと考えるのは間違っています。
音の良さと職人の腕前は直結しないのです。

もちろん一般論として見れば汚いパフリングの入った楽器のほとんどが粗悪品です。
こんにちはガリッポです。

お伝えしている通り12月末から1月下旬まで休暇で帰国します。
以前から連絡をいただいている方は考えておいてください、


さて弦楽器の製造ではずっと同じテーマに向き合うことになります。それは「大胆さと慎重さ」です。ヴァイオリン職人では一般的な木工やDIYに比べると恐るべき慎重さを必要とします。
師匠について修行しないと次元の違う慎重さを身に着けることは難しいです。そのため独学の職人の作ったものはすぐにわかります。

早く作業をしようとすれば、失敗して寸法を割ってしまうこともあります。木材が割れたり欠けたりすることがあります。実際に雑に作られた楽器ではそのような失敗が随所にみられます。

私などは失敗をしてしまうとひどく落ち込んで「こんなのは売り物にならない」となるわけですが、それを平気で高い値段で売る人もいます。そういう楽器のほうが多いわけですからそれが常識のある人なのでしょう。私のほうが変人です。

ミスを一つもしないために慎重に慎重を重ねると作業時間は累乗倍でどんどん長くなっていきます。それでは職業としてやっていけないわけですが、それ以外にも問題があります。

同じ部分をずっと見続けていると感覚がおかしくなってきて細部ばかりにとらわれて全体が分からなくなってしまうのです。作業効率だけでなく美しいものを作るためにもパッと形を作っていくのは重要です。粗削りなどでは形を大雑把にとらえ、仕上げの段階で丁寧に仕上げるのです。初めからビビッてチマチマやっていると形が捉えられていないので表面の粗が無いだけの不格好なものができます。微細な欠点ばかりに気を取られて形がめちゃくちゃになっているのに気づかないのです。

デルジェズなどは仕上げは粗くても大雑把に形が捉えられているのでそんなにヘンテコには見えません。むしろ力強さを感じるのです。

大雑把に形をとらえるのはとても難しくてセンスと訓練が必要なのに対して、表面の欠点は訓練によって誰にでも見つけることができます。実力のない先輩でも「ほら、駄目じゃないか」と後輩の仕事にケチをつけることができます。
後輩はムッとするわけですが、そういう訓練も初めは必要です。そこで終わってしまうと職人としては伸びません。その基準をクリアーしてもそれで満足していたら自分もいやらしい先輩になるだけです。

職人でも多くの人は大雑把に形をとらえる造形センスを持っていないのでそこから先はわかる人にだけわかる世界になります。


見た目の話ですが、音にも影響があります。表面の小さな傷などは音に影響しませんが、大雑把な形は板の物理的な特性を決定づけるでしょう。
仕上げの完璧さはさほど音に影響しないのに対して、大雑把な形が楽器固有の音を作り出すのだと思います。

表面に傷やデコボコが無いようにすることしか頭に無ければ楽器としてのキャラクターは作りきられていないのです。慎重に作業して丁寧に作ってあるのに音がイマイチという楽器はたまにあります。楽器の本質的な部分が分かっていないのです。



一方で、慎重さが無く大雑把に大胆に作ってあるものには単なる粗悪品のほうが圧倒的に多いです。
そのためどちらかだけではいけないのです。


大胆にやりすぎて、あとでミスが気になって後悔することもあるし、やり直しになって余計に時間がかかってしまうこともあります。
今度は慎重にやりすぎて時間がかかりすぎてしまうこともあります。

ずっとこれの繰り返しです。


ビオラを作っていきます



裏板は2枚のものを張り付けます。これはとても正確に加工する必要があります。

貼り合わせた板を平面に仕上げます。今回は特に上等な木材のためカンナをかけるのが難しいです。強い逆目が出て割れてしまうからです。

設計した図面の通りの線で切っていきます。

この時点でアマティ特有の丸みが出ています。

ノミで削っていきます。

ざっと削った段階でもアーチのキャラクターを出さなければいけません。初めは粗く大雑把に全体の形をつかみ、だんだん細かく正確にしていきます。
仕上げていくほどキャラクターが無くなっていくからです。
アーチのキャラクターは音のキャラクターを決める重要な要素になることでしょう。
フリーハンドなのでなにか規則性を定めることができません。その人の造形センスがキャラクターを決めます。

これが特に弦楽器の音と作風に規則性を求めることが難しい部分です。

どうなっているのが理想というのもわかっていません、感覚で形を作ったのがその人の音のキャラクターになるというわけです。

現代の職人のものではアーチにはっきりとしたキャラクターの無いものが多く、音にも大きな個性がないものが多いです。



表板も同様です。

現代に売っている弦楽器用の木材でオールド楽器のようなものを作ろうとすると厚みが十分にないことも少なくありません。それくらい私が作っているものが常識外れだということです。
ギリギリだとやりにくいですが厚みはセーフです、そこは何とかしましょう。

だんだん具体的になって行きます。

輪郭の形を出さなければいけません。

これでアマティ独特の形になりました。

コーナーは長くてストラディバリに比べるとずっと先が細くなっています。実際に使われてきたアマティでは摩耗して短くなっています。新品の状態を復元します。

内枠式と外枠式の両方のメリットのある作り方を思案


横板の製造方法には内枠式と外枠式があることはこれまでも言ってきました。フランスのモダン楽器の完成度が高いのは外枠式による部分もあるでしょう。
内枠式の場合には木枠に従って初めに横板を作ってそれより一回り大きく裏板や表板を切り取って作るものです。
横板を曲げるときに誤差が生じるので輪郭の形が大きく歪むことが有ります。チェロなどでは歪んでいるのが当たり前です。
特に難しいのはコーナーの付近でかなり誤差が出ます。
そのため正確に設計図通りのものを作るのが困難なのです。

外枠式は横板のカーブが膨らんで大きくなってしまうことが有りません。そのため表板や裏板は設計図面の通りに加工することができます。

内枠式でも正確に仕事をすれば誤差は少なくなります。しかし初めに精密に加工をするという態度を身に着けてしまうとアーチを削っていくような大胆な仕事の流儀ができにくくなります。
チマチマした特徴のないアーチになってしまうのです。板の厚みを出す作業でも慎重になりすぎて厚めの板厚になるようになっていきます。

ストラディバリなら設計図に正確に加工するというよりも、その時その時で見た目で形をまとめ上げて美しくしてしまいます。アドリブに満ちていて非の打ちどころのない完璧さとは違います。

一方外枠式の弱点は枠を作るのが大変なことが大きいです。同じモデルのものを繰り返し作るのに適しています。
フランスの楽器がどれもそっくりなのは修正に修正を重ねて完璧なストラドモデルが練り上げられ、それを作るための外枠が作られました。型を師匠から弟子へと受け継ぐことで同じものが作れます。

私もオールド楽器のようにアドリブに満ちたものを作るのも良いですが、新品として完成させても取り立ててどうってことは無い楽器になってしまうことは経験済みです。
オールド楽器は古くなっていることによって凄みを増しているからです。

そうなると忠実にオールド楽器を再現することが求められるのです。その意味ではフランスの楽器と同様に正確さが必要です。
オールドの作者がアドリブで作ったものを正確に再現することがコピーの製作では求められるのです。


そこで外枠式と内枠式の両方のメリットのある作り方を考えました。

横板は普通にカンナをかけ厚みを出します。これも材料が上等なため大変に割れやすく神経を使うものです。よく調整されたカンナでなくてはいけません。

このようにできるだけ大きなカンナを使うことによって細かく測ってピンポイントで削らなくても、厚みのむらができにくくなります。しかし調整はカンナの刃の幅が1㎝でも大きくなると劇的に難しくなります。

一つのセオリーとしてできるだけ大きな道具を使うとグニャグニャせずに加工した面が安定するのです。しかし大きな道具を使うのはとても難しく腕が必要になります。
ここでもチマチマした仕事の仕方は未熟だということです。




このように横板の外側にプラスチックの板を押し付けて固定します。これで実質的に外枠と同じことになります。

フランスの楽器と同じように間違いなく設計図通りの完璧さで作ることができるわけです。

しかしながら設計図通りに加工するのも人の手ですからカーブを見ながら削って行かなくてはいけません。この時に美しさを感じることができます。アマティのコピーを作っていて楽しいのは美しい形が生まれてくることにあります。
最終的には人が見て、人が美しいと感じることで美しいものが出来上がります。
ただ単に設計図に対して正確に加工するというのではありません。


今回初めてこのような試みをやってみました。イタリアの創造性とフランスの完璧さを併せ持つ作り方だと思います。私としては手ごたえがあります。

大胆さと慎重さ

慎重に作業をすることはヴァイオリン職人としては最初に学ぶことです。しかし慎重なだけでもイマイチな音の楽器があります。そして、実際に音が良い楽器には大胆に作られたものがよくあります。

雑に作られたものの大半は単なるの粗悪品です。
しかし同じ流派の中できちんとした基礎を学んだうち、ちょっと大胆な人の楽器のほうが音が開放的で鳴りっぷりが良いということは経験することです。

もちろん細部まで丁寧に作られた楽器でも音が良いものもありますから、それは音にとってはあまり重要ではないということでしょう。仕上げを丁寧にすることしかできていない楽器は見た目の完璧さに比べて音はもう一つということです。場合によっては見た目だけこだわって楽器として基本的なことが理解できておらず重大な構造上の問題もあるかもしれません。

製造者の理屈では丁寧に作るには時間がかかるため値段が高くなります。高級品が高いのはそのためです。一方安価なものは短時間で作ってあるので品質に問題があります。多くの場合外見のほうに力を入れています。外から見るときれいなのに表板を開けると悲惨な量産品は昔からよくあります。逆のパターンは見たことがありません。

それに対して商売人、特に日本人は値段は知名度によって決まるという考え方が強いです。この考えでは粗悪品にものすごく高い値段がつくこともありますし、偽造ラベルがついていることで高額になることもいつものことです。それに対して見事に作られたものが格安になることもあります。
どっちを買うのが得でしょうか?知名度ではなく実力で選ぶ方が得だと私は考えています。

大雑把な「形の捉え方」と「表面の粗の無さ」の二つの要素があります。オールドのイタリアの楽器では粗の無さについてはそんなに神経質ではないものが多いです。アマティの流派は立体的な楽器です。写真で見るよりも実物を見ると魅了されます。ストラディバリも平面の写真だけならザクセンのヴァイオリンと変わりません。立体になると全く違います。
作者による違いも大きく、音にも個性があります。ということはあまり芳しくないものもあるということです。

モダン楽器はもっと平面的なもので、粗の無さで高級品と量産品が差別化されます。音も粗悪品でなければひどく窮屈なものも少ないでしょう。同じような外観でも理由もなく音には違いがあるのでただただ試奏して気に入ったものを選ぶしかありません。

フランスの一流の職人の楽器なら粗が無い上に形も捉えられています。完璧なのです。そのためフランスの一流の職人の楽器は見ればすぐにわかります。しかし誰のものなのかはわかりません。

現代では形をとらえることができない職人を排除する仕組みがありません。わかる人のほうが少数派だからです。そのため粗が無く仕上がっていれば一人前の職人として認められます。音については弾いて見ないとわからないという話です。


普段このようなことばかりを考えていると、ニュースなどの話題でもバカらしくて聞いていられません。粗を見つけて鬼の首を取ったような主張がまかり通るのですから。この瞬間に意識から忘れられているもっと大事なことに気づかなくてはいけないと思います。私の知能では弦楽器の狭い範囲でも難しいです。







こんにちはガリッポです。

普通はストラディバリやデルジェズが多いのでしょうが私が一番多くコピーを作ったのがアマティです。

アマティはとても不思議な一家でした。作られた楽器は見れば見るほどそれがエレガントであることが分かってきます。
音楽に使う道具を作るだけのなのになぜこんなにもエレガントに作ってあるのか謎は深まるばかりです。

同じ時期のブレシア派に比べても明らかに違います。その後の弦楽器製作でも基本となりました。弦楽器の先祖ということです。

弦楽器以前にも他の楽器や何らかの職人や芸術家の修行をしたのかもしれません。アンドレア・アマティの楽器には絵が描かれているものがあります。チェンバロにも絵が描かれていますからそういう時代だったということでしょう。


いずれにしてもその美しさが貴族などの目を引き弦楽器の普及に貢献したことでしょう。その結果現在では弦楽器自体が高価なものになってしまいました。現代の人ならもっと機能性や生産性に特化したものを設計するでしょう。


アマティやシュタイナーは当時とても有名で高価だったようです。後の世代の職人たちはそれをまねて作っていました。しかしアマティやシュタイナーを上回るような美しいものはほとんどありません。後の世代のほうがレベルアップしていきそうなものですがそんなことが無いのが弦楽器です。

今の職人でもアマティのような美しい楽器を作れる人がどれくらいいるでしょうか?我々は時代が進むにつれて人間は優れたものになって行くと無意識のうちに信じていますが、弦楽器の製作について言えば最初期のアマティを超えるエレガントなものを作るのは至難の業です。

近代以降はアマティのような楽器はほとんど作られなくなりました。モダン楽器が確立したからです。そのモダン楽器も20世紀に入ると19世紀の水準に届かないものが多くなります。19世紀のフランスの一流の職人のようなものは今の職人でも作れる人はわずかでしょう。今ではフランスのモダン楽器にはるかに及ばないものでも一人前の職人として認められます。

現在では欠点が無く仕上げられていればプロの職人として認められます。それすら希少ですが、アマティについて調べていくと現代の職人よりはるかに気を使って楽器を作っていることが分かります。現代の職人はザザッと作業をこなしているだけで自分は天才だとうぬぼれていたり、自分の学んだ教えを最高だと思い込んでいます。

ヨーロッパの国々のように楽器職人の教育を公立の機関として行えば、職業人を要請する教育となります。製品として販売するには価格を抑えるために早く作らなければいけません。そのうえで決められたように高い品質で作れば一流の職人とみなされるわけです。

それに対してアマティの楽器を見ているとそのような「職業」というレベルではなくて「楽器を作ることが人生そのもの」としか考えられません。職業として考えるとそこまでエレガントに作る理由が説明できないのです。

常識人の発想ではあまりにもオーバークオリティでおかしいのです。アマティ家の人たちはかなり変わった人たちだったということになります。私はかねてから弦楽器に限らず優れた職人は一般的な常識からすれば変わった人に見えるでしょう。この意味でアマティ家の人たちは頭がおかしいと思います。


アマティとストラディバリを比べてみればアマティが基礎になっていることが分かります。アマティとストラディバリの若いころの楽器ならその差はわずかです。しかしはっきりとそれぞれの特徴があります。
基本としてのアマティとまったく別のものをストラディバリが作ったわけではないのです。コピーを作るときアマティの特徴とストラディバリの特徴をそれぞれ意識して作っていくわけですが、大げさにやりすぎてしまうことがあります。最終的にはそれほど差が無いように修正が必要になります。


我々が弦楽器について本を読めば、ストラディバリはフラットなアーチを発明したことでその後の時代に求められる音量を増大することに成功したと書いてあります。しかしこれは間違いです。
アマティ家の初代アンドレアの楽器にはすでに低いアーチのヴァイオリンがあります。ストラディバリの黄金期より100年ほど前にもフラットな楽器が作られていて私も実物を見たことがあります。


これまで言われていたのは、美しい音のアマティは高いアーチで力強いデルジェズはフラット、ストラディバリはその中間で理想的なものだというものです。
実際にはアマティにはいろいろな高さのアーチがあり、ストラディバリにはいろいろな高さのアーチがあり、デルジェズにはいろいろな高さのアーチがあります。
なぜいろいろな高さのものがあるかについては予想するしかありませんが、当時の家具ではカーブしていたり彫刻の施されたものが多くあります。彫刻家のようにフリーハンドで彫っていくいくのが木工では普通だったのではないかと思います。フリーハンドで形を作っていくと寸法を正確に出すのは難しいです。ノミで彫っていくと表面はボコボコになります。それを綺麗なカーブに仕上げる過程で簡単に1mmや2mmは無くなっていきます。


このような間違った知識を聞かされてきたのは近代の楽器製作と関係がありそうです。モダン楽器はフラットなアーチで作ることを理想と考えていたのでそれにもっともな説明を考えたのです。19世紀も前半のフランスのものはとても平らなアーチで作られていました。それが19世紀も後半になってくるとミディアムアーチのものも多く作られるようになってきます。20世紀ではフラット~ミディアムくらいのものが理想だと教わります。ストラディバリやデルジェズは今日の標準より高いアーチのものが多くあります。アマティはそんなに高いアーチのものは多くありません。

このようなものを正当化するための理屈が考えられてきたのでしょう。
「ストラディバリはミディアムアーチで美しさと力強さのバランスが理想的なもの」という荒唐無稽の考えが広まると、高いアーチの楽器を作ろうとすれば師匠から怒られます。フラットかミディアムアーチしか作ってはいけないという常識ですから弦楽器専門の材木業者から材料を買っても板の厚みが足りなくて作れないのです。


私が理屈を嫌うのは自分たちの時代を正当化するために歴史が捻じ曲げられるのが普通だからです。言葉ではなく楽器自体と音に注目するべきです。高いアーチの素晴らしい音の楽器が実際にあるし、ストラディバリやデルジェズの高いアーチのものを名演奏者が意識せずに使っています。職人は自分で作ってみた事もないのに初めから音が悪いから作ってはいけないと決めつけているのです。


フラットなモダン楽器が作られ始めたころ、それ以前に作られていたものは時代遅れものとみなされていたはずです。アマティやシュタイナーの作風をまねたものが多く作られていました。しかしこれらは実際のアマティやシュタイナーとはかなり違い、品質も違います。アマティやシュタイナーと同等以上のものはめったにありません。

日ごろオールド楽器としてよく見るものは本当のアマティやシュタイナーとはかなり違うものですが、オールド楽器のイメージはこのような経験から出来上がっていきます。多くのオールド楽器は無神経に粗雑に作らていて、特徴も大げさになっています。
そのためオールド楽器のようなものを作ろうとすれば精巧さは捨てて大胆に仕事をするように発想や感覚を切り替えなくてはいけないと考えます。

その感じでアマティを作り始めると全く違うことに驚きます。
実に注意深く作られていて現代の「きれいな楽器」を作るよりもはるかに奥深い世界を理解して丁寧に仕事をする必要があります。

アマティを受け継ぐイタリアのオールド楽器ではアマティのすべてを受け継いでいません。部分的にアマティの作風を持っていたりしますが、職人によってアマティのどの特徴を受け継ぎ、どこが自分流になっているかが違います。ストラディバリとデルジェズでも持っているアマティらしさは違う部分に現れています。

オールドのイタリアの楽器を見るときはアマティと比べることで作者の特徴が分かるのです。

にもかかわらず現代の楽器製作ではアマティについて関心が強い人は多くないでしょう。先ほどの理屈のようにストラディバリが技術革新を起こす前の楽器だと考えられているからです。

科学者などがストラディバリの秘密を求めて研究することがあります。その時比較対象を持たないのでストラディバリにある特徴がストラディバリ固有のものなのか分からないし、音が良い近代の楽器にも共通する特徴なのかもわかりません。初めからストラディバリが最高の名器だと決めつけているので科学とさえ言えません。そもそも「音が良い」ということを定義することができるのでしょうか?


実際にはアマティとストラディバリは極めて近いものであり、わずかな変化がストラディバリの特徴です。これは長年多くの楽器を作っていく中で少しずつ変化していったものだと思います。1600年代の楽器にはアマティらしさが多く残っているのに対して1700年代ではストラディバリの特徴が強くなっていきます。毎日毎日作っていれば知らないうちに変化していくのかもしれません。それが音にも違いを生じさせるでしょう。


ストラディバリはアマティの弟子だと考えられてきましたが証拠はないそうです。他のアマティの弟子などに教わったかもしれませんが、いずれにしてもアマティの基礎は学んでいるように見えます。


ところが現代の職人はアマティの特徴の全くないストラディバリモデルの楽器を作っています。アマティの作風を学んだことが無いからです。


アマティの奥深い世界を知らなくても弦楽器は作ることができるからです。私も楽器を選ぶ時は一定以上の品質のもので試奏して音が気にいったものを選べば良いと言っています。作者がアマティの特徴を理解していなくてはいけないということはありません。アマティのようなオーバークオリティの楽器を作る人は頭のおかしな人ですからそうでない常識人の職人を責めることはできません。

アマティの外観のクオリティに到底及ばないイタリアのオールド楽器でも音について言えば素晴らしいものがあります。音だけを求めるならそこまでのクオリティで作る必要はないのです。
アマティは音のことだけを考えてその作り方を考案したのではなく、美しく作りたいという思いで作った結果生じたのがアマティの音なのです。それのクオリティの落ちたものがイタリアのオールド楽器です。

「イタリアのオールド楽器のような音」を求めるのならアマティの基礎を理解して楽器を作るのが近道でしょう。しかし音は好みでしかありません。とにかく音が大きければ良いという選び方をする人も少なくありません。

もしかするとアマティのスタイルは最高ではなくて音だけを優先して見た目を無視すれば別の可能性もあるかもしれません。そのようなことに現代の職人は挑戦することができます。アマティとは全く関係のない作風で音が良い楽器ができないかというものです。そのような試みに対して「アマティの基礎を知らないから間違っている」とは言えません。職人にはそれぞれ考え方があるからです。



それにしてもアマティの奥深さに触れるのはとても面白く情熱が湧いてきて興奮を覚えます。私も頭がおかしいのでしょうか?

私は別にアマティを神と崇めるようなそんな考えは持っていません。今回アマティのコピーを作るため再び研究を続けると私も「アマティはストラディバリが技術革新を起こす前の楽器」という先入観を心の底に持っていることに気づかされました。私もアマティを舐めていました。

私は「好きな名器は?」と聞かれても別にないです。
その時作りたい楽器がいつも違うからです。
技術者としてはあらゆるものが作れるようになりたいのです。

アマティに心酔する信者ではありません。
でも作っていて興奮と楽しさがあります。今まで何度も同じモデルを作ってきたのにです。今まで気づかなかったことが分かってきたように思います。


それはオーバークオリティで、ユーザーは音にしか興味がありません。職業人に徹するならユーザーが求めるものを作るべきです。音が良くて値段が安ければ消費者にとっては最高でしょう。しかし無駄に手間をかけてもアマティのようなエレガントな楽器を作るのは楽しいです。こうなると職業ではありません。

そんな魅力がアマティにはあるというお話でした。



こんにちは、ガリッポです。

まずは予定から。
例年私は年末年始に休暇を取って日本に帰っています。
4月下旬までにビオラを作らなくてはいけないので休暇が取れるかどうか微妙なところでしたが、目途が立ちそうです。
ちょっと短めになるかもしれないので特に募集するようなことや大掛かりな修理はできません。販売できるものもありません。
以前からお話をしていた方、特別な御用の方を中心に訪問はできると思います。
さらに次の時にはビオラを試してもらいたいと思います。



ビオラについては勤め先のお店ではお客さんが少ない楽器でした。うちはチェロが多いです。それに対して最近急にビオラを求める人が多くなりました。
今も同僚が新品の工場製のビオラをせっせと弾けるようにセッティングしています。私もビオラを作っていますから、工房内はビオラ一色です。

理由はわかりませんが、ビオラブームが来ているのでしょうか?

楽器を作る方として面白いのはヴァイオリンほど何もかもが決まっておらず、作り手の創作の余地が残されてる点です。一方決まっていないということはどう作って良いかわからず悩むことも多い楽器です。人によって大きさが違うので在庫をそろえるのも大変です。

バイオリンというのがビオラの小さなものという意味のイタリア語ヴィオリーノから来ているとすれば、ビオラこそが基本の楽器と言えるでしょう。

作っていて感じるのは、ヴァイオリンのように細かい作業で神経をすり減らせるものではなく、チェロのように膨大な作業に気が遠くなるようなこともありません。自然体で作れる楽器だと思います。




今回はアマティのモデルで作りますが、何か特定のビオラそっくりに作ることはできません。ビオラは作られた量も資料も少ないのでお手本にする楽器を自由に選ぶことができないからです。そこで「アマティが作りそうなビオラ」ということになって、私が想像する部分がかなり入ってきます。恐竜の化石ほどではありませんが、断片的な知識を組み合わせて想像するのです。このような作業はアマティについて理解するのにとても役に立ちます。またそのようにして作風を身に着けていくと自分もアマティ派の一員になるようなものです。

これはビオラに限らず古い楽器のコピーを作るときは、都合の悪い点もいくつかあって全くその通りに作ると使い勝手や見た目などに問題が生じることが有ります。古い楽器なら希少なため多少の不具合は我慢して使うことになりますが、新品で使いにくい楽器はよろしくありません。そのため現代の弦楽器製作の知識がまず必要になるわけです。演奏者と常に接していることも重要です。

今回は小型のビオラを作ることになりました。この時点でクレモナのオールド楽器では適当なモデルを探すのは困難です。サイズを変えるような変更が必要です。
大型のものを縮小コピーすれば良いかというとペグボックスの形状に問題が出ます。大型のものには「チェロタイプ」のペグボックスがついていることが多くあります。チェロのものは指板に比べてペグボックスの幅がずっと広くなっています。普段ヴァイオリンも弾くという人では特に違和感があるでしょう。これについてはいろいろなアイデアが考えられ弾けないことはありません。しかしヴァイオリンと同じタイプのものにはかないません。
45cmもある大型のビオラでは各部の比率もおかしくなります。大きすぎて使えないので博物館などに所蔵されることも多く資料として出版されてたりしますがコピーを作っても誰も弾けません。これらの大型のものはテノールビオラと呼ばれています。

それも含めてコピーのもととなるものを見つけるのはとても困難です。コピーではなくて通常の新作であればペグボックスを変更しても何も問題ありません。オリジナルへの忠実度は問題にならないからです。
実際にはヴァイオリンを拡大したようなものも多く作られています。

このようにコピーを作るということは「猿まね」と揶揄されるような単純なことではありません。むしろノウハウが必要で単に何か古いものとまったく同じものを作ったから良いというわけではありません。自分が作りたいとイメージするものに合ったモデルを探すところから始まるのです。古いもので完全ではない所は想像で補う必要もあります。
近代のようにモデルも作風も寸法も決まっているほうが何も考えなくてもいいです。作風の幅が狭くみな同じような物になります。

私はこれまでアマティのモデルで作ってきました。何かもっといいものは無いかといつも探しているのですが見つかりません。しかし音響面でも実績があるためどんな音になるか想像しやすいです。いつものようなものができれば十分魅力的でしょう。


まずは木材のチョイスです。
当然音の良い材料というのが求められるわけですが、見た目ではわかりません。
よく耳を近づけてコンコンと叩いたりする人もいますが音は材料の大きさによって変わるのでよくわかりません。ヤマハなどでは同じ大きさに切りそろえて測定器で音響特性を測って規格に通ったものだけを使用しているそうです。
大メーカーなので型番で同じ音のものが求められるということですから、私のように毎回違うものを作る場合とは意味が違います。それでも同じ音のものを作るのは困難でしょう。

少なくとも楽器を買うときに木目を見てどれが音が良いか言い当てるのは不可能でしょう。楽器用の木材を販売するときに、上等なものと下等なものに価格の差をつけます。そのため高級な木材と低級な木材があるわけです。
量産品であれば、少しでもコストを安くしたいため安価な製品にはランクの低い材料が使われます。材料を見れば楽器のランクが分かるわけです。

しかしながらオールド楽器にはランクの低い材料で作られたものが結構あります。それらもとんでもなく高価なもので音が悪いということもありません。木材のランクで音が決まるのではなくあくまで見た目の問題です。量産品では材料が安価なだけでなく品質も粗いことが多いです。精巧であるほど音が良いということではありませんが安価なものはあまりにもひどいということです。



ある種の木材ばかりを使った作者ならそれがその人のキャラクターです。オールド楽器らしさという視点では低いランクのものをわざと選ぶこともあります。

一方平凡な材料でも古くなると色が黒ずんできて杢と呼ばれる縞模様も深く見えます。さらに上等な材料で作られたオールド楽器の美しさは最高です。それを見るとやはり上等な木材で作っておくのが良いなと考えます。今回はそのような材料を使います。

ボスニア産のもので20年以上前のものです。単純に材料として上級品なのは横の縞だけではなく縦の木目が細かいものです。ストラディバリなどでは間違いなく目の細かい積んだものが使われています。
縞模様も均一で太いものがいかにも上等なものですが、今回はアマティらしさということもあってやや細めのもので不規則な感じのあるものにしました。その方が雰囲気が出るでしょう。


普通弦楽器やギターではブックマッチと言って木目の左右を対象にします。
アマティの場合にはブックマッチではなく写真のように左右の板を合わされたものがよくあります。もちろんブックマッチもあります。
アマティらしさという点ではこのような合わせ方でしょう。
私が個人的に好きなのは一枚の板と同様にアーチの立体感が見やすいことです。ブックマッチにすると目の錯覚でわかりにくいのです。



表板はヴァイオリンに比べるとやや年輪の幅の広いものがあっていると普通は考えます。現実的には、ヴァイオリン用としてはちょっと荒いなと思うようなものをビオラで消費するわけです。あまり荒いとパフリングやf字孔、コーナーや輪郭を加工するときに苦労するので今回はキメの細かい物を選びました。

画像が実物大でないと伝わらないものです。縦の線は年輪を縦に切ったものです。間隔は成長の度合いによって変わります。
アマティでイメージするのはあまり均一ではなく年輪の間隔が広い所と狭いところがばらついているものです。ストラディバリでは中央が細かく外側が広くなっているのが典型的です。実際にはストラディバリなどはかなり低級な表板を使っていたり、アマティでも中央が細かいものを使っていたりします。この木はアマティらしくばらつきがあり特にエッジ付近が細かくなっているので加工もしやすいです。
もう少し荒い木目のものもありましたがそれは大型のビオラのために取っておきましょう。
色が違って見えるのはカンナで多く削った部分は木の中の白い色が出ているからです。完成には影響しません。

アマティがどんな材料を使ったかについてははっきりした特徴は言えません。特に基準や好みがあって選んでいたのではないようです。無頓着でランダムです。
ただストラディバリのような他の作者の特徴あるものを選ぶとストラディバリっぽいという印象を受けるので避けたほうが無難です。ばらつきがあるものを好んだのではなく選別をしなかった結果ばらつきのあるものを使うことがあったということでしょう。
裏板についても決まったタイプはありません。


「材料で音が決まる」という発想は食材などのイメージがあるかもしれません。弦楽器に使う材料はそもそも建材などに使うものに比べてはるかに上等なものです。木材自体はヨーロッパ中に生えているものですが、弦楽器に使われるのは標高の高いところで育ったものです。成長が遅く密度が高いものです。
そのため弦楽器の中で見た目が悪くてもすでに木材としては上等な部類に入ります。ホームセンターには売っていません。
弓になるとはるかに材質が占める割合は大きくなります。材料もヨーロッパでは取れません。ブラジルでは貴重な弓に使える材料もそんなことを知らない人たちによって材木として使われたり薪として燃やされているというのですからもったいない話です。

それに対して楽器が固有の音を持っているのはその形状による部分が大きいと思います。職人が作り出した「形」によって音が決まると私は考えています。

中国の業者が量産楽器に「ヨーロッパ産の上等な古材を使った」という謳い文句で楽器を売り込んできました。
材料の無駄遣いです。もったいないです。


ヴァイオリン職人としては作業に速さが求められます。うまい職人とは早く楽器を作れる人です。お客さんにとってはそれで安く楽器が買えるならメリットです。しかし合意した値段で楽器を買うと決まったなら慌てて作るより、じっくりと丁寧に作ってもらいたいでしょう。

時間をかけて丁寧に作るなら労働コストに比べて材料の値段の差などは微々たるものになります。せっかく丁寧に作るなら下等な木材を使って作るのはもったいないです。上等な木材を使うのはそういうことです。