職人に必要な大胆さと慎重さ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

お伝えしている通り12月末から1月下旬まで休暇で帰国します。
以前から連絡をいただいている方は考えておいてください、


さて弦楽器の製造ではずっと同じテーマに向き合うことになります。それは「大胆さと慎重さ」です。ヴァイオリン職人では一般的な木工やDIYに比べると恐るべき慎重さを必要とします。
師匠について修行しないと次元の違う慎重さを身に着けることは難しいです。そのため独学の職人の作ったものはすぐにわかります。

早く作業をしようとすれば、失敗して寸法を割ってしまうこともあります。木材が割れたり欠けたりすることがあります。実際に雑に作られた楽器ではそのような失敗が随所にみられます。

私などは失敗をしてしまうとひどく落ち込んで「こんなのは売り物にならない」となるわけですが、それを平気で高い値段で売る人もいます。そういう楽器のほうが多いわけですからそれが常識のある人なのでしょう。私のほうが変人です。

ミスを一つもしないために慎重に慎重を重ねると作業時間は累乗倍でどんどん長くなっていきます。それでは職業としてやっていけないわけですが、それ以外にも問題があります。

同じ部分をずっと見続けていると感覚がおかしくなってきて細部ばかりにとらわれて全体が分からなくなってしまうのです。作業効率だけでなく美しいものを作るためにもパッと形を作っていくのは重要です。粗削りなどでは形を大雑把にとらえ、仕上げの段階で丁寧に仕上げるのです。初めからビビッてチマチマやっていると形が捉えられていないので表面の粗が無いだけの不格好なものができます。微細な欠点ばかりに気を取られて形がめちゃくちゃになっているのに気づかないのです。

デルジェズなどは仕上げは粗くても大雑把に形が捉えられているのでそんなにヘンテコには見えません。むしろ力強さを感じるのです。

大雑把に形をとらえるのはとても難しくてセンスと訓練が必要なのに対して、表面の欠点は訓練によって誰にでも見つけることができます。実力のない先輩でも「ほら、駄目じゃないか」と後輩の仕事にケチをつけることができます。
後輩はムッとするわけですが、そういう訓練も初めは必要です。そこで終わってしまうと職人としては伸びません。その基準をクリアーしてもそれで満足していたら自分もいやらしい先輩になるだけです。

職人でも多くの人は大雑把に形をとらえる造形センスを持っていないのでそこから先はわかる人にだけわかる世界になります。


見た目の話ですが、音にも影響があります。表面の小さな傷などは音に影響しませんが、大雑把な形は板の物理的な特性を決定づけるでしょう。
仕上げの完璧さはさほど音に影響しないのに対して、大雑把な形が楽器固有の音を作り出すのだと思います。

表面に傷やデコボコが無いようにすることしか頭に無ければ楽器としてのキャラクターは作りきられていないのです。慎重に作業して丁寧に作ってあるのに音がイマイチという楽器はたまにあります。楽器の本質的な部分が分かっていないのです。



一方で、慎重さが無く大雑把に大胆に作ってあるものには単なる粗悪品のほうが圧倒的に多いです。
そのためどちらかだけではいけないのです。


大胆にやりすぎて、あとでミスが気になって後悔することもあるし、やり直しになって余計に時間がかかってしまうこともあります。
今度は慎重にやりすぎて時間がかかりすぎてしまうこともあります。

ずっとこれの繰り返しです。


ビオラを作っていきます



裏板は2枚のものを張り付けます。これはとても正確に加工する必要があります。

貼り合わせた板を平面に仕上げます。今回は特に上等な木材のためカンナをかけるのが難しいです。強い逆目が出て割れてしまうからです。

設計した図面の通りの線で切っていきます。

この時点でアマティ特有の丸みが出ています。

ノミで削っていきます。

ざっと削った段階でもアーチのキャラクターを出さなければいけません。初めは粗く大雑把に全体の形をつかみ、だんだん細かく正確にしていきます。
仕上げていくほどキャラクターが無くなっていくからです。
アーチのキャラクターは音のキャラクターを決める重要な要素になることでしょう。
フリーハンドなのでなにか規則性を定めることができません。その人の造形センスがキャラクターを決めます。

これが特に弦楽器の音と作風に規則性を求めることが難しい部分です。

どうなっているのが理想というのもわかっていません、感覚で形を作ったのがその人の音のキャラクターになるというわけです。

現代の職人のものではアーチにはっきりとしたキャラクターの無いものが多く、音にも大きな個性がないものが多いです。



表板も同様です。

現代に売っている弦楽器用の木材でオールド楽器のようなものを作ろうとすると厚みが十分にないことも少なくありません。それくらい私が作っているものが常識外れだということです。
ギリギリだとやりにくいですが厚みはセーフです、そこは何とかしましょう。

だんだん具体的になって行きます。

輪郭の形を出さなければいけません。

これでアマティ独特の形になりました。

コーナーは長くてストラディバリに比べるとずっと先が細くなっています。実際に使われてきたアマティでは摩耗して短くなっています。新品の状態を復元します。

内枠式と外枠式の両方のメリットのある作り方を思案


横板の製造方法には内枠式と外枠式があることはこれまでも言ってきました。フランスのモダン楽器の完成度が高いのは外枠式による部分もあるでしょう。
内枠式の場合には木枠に従って初めに横板を作ってそれより一回り大きく裏板や表板を切り取って作るものです。
横板を曲げるときに誤差が生じるので輪郭の形が大きく歪むことが有ります。チェロなどでは歪んでいるのが当たり前です。
特に難しいのはコーナーの付近でかなり誤差が出ます。
そのため正確に設計図通りのものを作るのが困難なのです。

外枠式は横板のカーブが膨らんで大きくなってしまうことが有りません。そのため表板や裏板は設計図面の通りに加工することができます。

内枠式でも正確に仕事をすれば誤差は少なくなります。しかし初めに精密に加工をするという態度を身に着けてしまうとアーチを削っていくような大胆な仕事の流儀ができにくくなります。
チマチマした特徴のないアーチになってしまうのです。板の厚みを出す作業でも慎重になりすぎて厚めの板厚になるようになっていきます。

ストラディバリなら設計図に正確に加工するというよりも、その時その時で見た目で形をまとめ上げて美しくしてしまいます。アドリブに満ちていて非の打ちどころのない完璧さとは違います。

一方外枠式の弱点は枠を作るのが大変なことが大きいです。同じモデルのものを繰り返し作るのに適しています。
フランスの楽器がどれもそっくりなのは修正に修正を重ねて完璧なストラドモデルが練り上げられ、それを作るための外枠が作られました。型を師匠から弟子へと受け継ぐことで同じものが作れます。

私もオールド楽器のようにアドリブに満ちたものを作るのも良いですが、新品として完成させても取り立ててどうってことは無い楽器になってしまうことは経験済みです。
オールド楽器は古くなっていることによって凄みを増しているからです。

そうなると忠実にオールド楽器を再現することが求められるのです。その意味ではフランスの楽器と同様に正確さが必要です。
オールドの作者がアドリブで作ったものを正確に再現することがコピーの製作では求められるのです。


そこで外枠式と内枠式の両方のメリットのある作り方を考えました。

横板は普通にカンナをかけ厚みを出します。これも材料が上等なため大変に割れやすく神経を使うものです。よく調整されたカンナでなくてはいけません。

このようにできるだけ大きなカンナを使うことによって細かく測ってピンポイントで削らなくても、厚みのむらができにくくなります。しかし調整はカンナの刃の幅が1㎝でも大きくなると劇的に難しくなります。

一つのセオリーとしてできるだけ大きな道具を使うとグニャグニャせずに加工した面が安定するのです。しかし大きな道具を使うのはとても難しく腕が必要になります。
ここでもチマチマした仕事の仕方は未熟だということです。




このように横板の外側にプラスチックの板を押し付けて固定します。これで実質的に外枠と同じことになります。

フランスの楽器と同じように間違いなく設計図通りの完璧さで作ることができるわけです。

しかしながら設計図通りに加工するのも人の手ですからカーブを見ながら削って行かなくてはいけません。この時に美しさを感じることができます。アマティのコピーを作っていて楽しいのは美しい形が生まれてくることにあります。
最終的には人が見て、人が美しいと感じることで美しいものが出来上がります。
ただ単に設計図に対して正確に加工するというのではありません。


今回初めてこのような試みをやってみました。イタリアの創造性とフランスの完璧さを併せ持つ作り方だと思います。私としては手ごたえがあります。

大胆さと慎重さ

慎重に作業をすることはヴァイオリン職人としては最初に学ぶことです。しかし慎重なだけでもイマイチな音の楽器があります。そして、実際に音が良い楽器には大胆に作られたものがよくあります。

雑に作られたものの大半は単なるの粗悪品です。
しかし同じ流派の中できちんとした基礎を学んだうち、ちょっと大胆な人の楽器のほうが音が開放的で鳴りっぷりが良いということは経験することです。

もちろん細部まで丁寧に作られた楽器でも音が良いものもありますから、それは音にとってはあまり重要ではないということでしょう。仕上げを丁寧にすることしかできていない楽器は見た目の完璧さに比べて音はもう一つということです。場合によっては見た目だけこだわって楽器として基本的なことが理解できておらず重大な構造上の問題もあるかもしれません。

製造者の理屈では丁寧に作るには時間がかかるため値段が高くなります。高級品が高いのはそのためです。一方安価なものは短時間で作ってあるので品質に問題があります。多くの場合外見のほうに力を入れています。外から見るときれいなのに表板を開けると悲惨な量産品は昔からよくあります。逆のパターンは見たことがありません。

それに対して商売人、特に日本人は値段は知名度によって決まるという考え方が強いです。この考えでは粗悪品にものすごく高い値段がつくこともありますし、偽造ラベルがついていることで高額になることもいつものことです。それに対して見事に作られたものが格安になることもあります。
どっちを買うのが得でしょうか?知名度ではなく実力で選ぶ方が得だと私は考えています。

大雑把な「形の捉え方」と「表面の粗の無さ」の二つの要素があります。オールドのイタリアの楽器では粗の無さについてはそんなに神経質ではないものが多いです。アマティの流派は立体的な楽器です。写真で見るよりも実物を見ると魅了されます。ストラディバリも平面の写真だけならザクセンのヴァイオリンと変わりません。立体になると全く違います。
作者による違いも大きく、音にも個性があります。ということはあまり芳しくないものもあるということです。

モダン楽器はもっと平面的なもので、粗の無さで高級品と量産品が差別化されます。音も粗悪品でなければひどく窮屈なものも少ないでしょう。同じような外観でも理由もなく音には違いがあるのでただただ試奏して気に入ったものを選ぶしかありません。

フランスの一流の職人の楽器なら粗が無い上に形も捉えられています。完璧なのです。そのためフランスの一流の職人の楽器は見ればすぐにわかります。しかし誰のものなのかはわかりません。

現代では形をとらえることができない職人を排除する仕組みがありません。わかる人のほうが少数派だからです。そのため粗が無く仕上がっていれば一人前の職人として認められます。音については弾いて見ないとわからないという話です。


普段このようなことばかりを考えていると、ニュースなどの話題でもバカらしくて聞いていられません。粗を見つけて鬼の首を取ったような主張がまかり通るのですから。この瞬間に意識から忘れられているもっと大事なことに気づかなくてはいけないと思います。私の知能では弦楽器の狭い範囲でも難しいです。