不況になると口紅が売れる -4ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~

 スマホ詰将棋パラダイス10周年記念イベント第二弾「スマホ詰パラを語る会in大阪」を、10/30(火)に開催しました。会場を貸して下さったのは、将棋教室も兼ねる暁塾の山本理さん。「暁将棋部屋」の編集長でもあります。午前中、大橋宗桂の墓参りをして、13時に暁塾着。少し先に着いて、山本さんと教育の話を交わす約束でした。

 当日参加されたのは、岩永光一、柳原裕司、小池正浩、近藤諭、高坂弦磨、竹中健一、山本理の各氏。そこに暁塾の生徒さん2人(谷口君、森君)も同席し、山川含めて10人となりました。

 

 

  なお、今を時めく岸本裕真氏は二次会からの参加です。

 

 私もあまり段取りを考えていなかったので、何となくのよもやま話&最新作の披露→改作大会&塾生向けのミニ将棋教室といった展開となりました。

 感銘したのは解答王・竹中さんの解答スピード。「初手はこの一手」と断言されるのですが、われわれにはどの一手かわからない。やはり「若い頃に基本形を死ぬほど解いた修行」の差のようです。

 そしてまた驚いたのが「小池データベース」。創作も解答もしないけど詰将棋のことは何でも知ってるという人で、その場で詰将棋作家の生年月日まで(笑)検索してくれました。「五百人一局集」の編集に、この人は欠かせないかもしれませんよ。

 岩永(みつかづ)さんからは、私も知らないスマホ詰パラの細かい機能やら、解説の文体から女性作家が2名はいるはずだとか、それはもう、超絶マニアの発言が出まくりでした。

 近藤さんは「レアキャラ」的存在で、ほとんどこうした会には参加しない人だそうです。創作も最近は…と仰りつつも、貴重な七色還元玉をご披露頂きました。

 高坂さんは阪大生ですが、図面作成ソフトの開発を目指しており、詰将棋出版に新たな風を送る可能性もあります。当然、柳原・山本の両編集長が食いついておられました。ついでに自作詰将棋を名刺にできるソフトと、Tシャツにできるソフトを開発してください。

 柳原裕司さんについては今さらここで説明するまでもないでしょう。「詰将棋パラダイス」の元編集長で詰将棋作家。鶴田主幹から編集を継承した中興の祖です。現在は「詰将棋ファン」を刊行されておられます。

 

 Twitterでも漏らしましたが、暁塾で感動的だったのは、小学校4年の谷口叶多くんが、山本先生の誕生日に「献上」した自作詰将棋作品集です。なんと解説まで付いている!センスも抜群。詰将棋書籍収集家の磯田さんが欲しがるかもしれない、って話で盛り上がりました。谷口くん、ここで紹介しちゃいますけど、著作権でクレームつけないでね(笑)。

 もう一人の森太陽くんはまだ2年生ですが、きちんと我慢ができる将棋を指す子で、私は二枚落ちでしっかり負かされました。しかし関西の「谷口」「森」は、いずれも詰将棋界では重鎮。その血筋?ではないようですが、名前だけでも将来性が半端ない!!

 なお、山本さんは地元で「人間将棋」のイベントができないかと模索中だそうです。「どうせなら人間詰将棋にしたら?」という竹中氏の強い提案もあり、もしかすると史上空前の人間詰将棋イベントが、鶴見区近辺で開催される日も来るか?

 

 

 

 2次会は将棋バーwarsさんに移動してkisyさんと合流。

 しかしまあ詰将棋の団体ってのは、気味悪いんでょうね。指し将棋派の他のお客さんからも白い目で見られている感じがひしひしと伝わります。

 温かく話し掛けてくれたのは、たまたま立ち寄った稲葉陽八段だけでした。そしてkisyはそれをいいことに、鬼のような変化と四種合を含む67手詰とかを出題しておりました(笑)。稲葉先生、すいません。気さくにおつきあい頂き、ありがとうございました。

 しかし岸本くんが今考えているという構想テーマは全て斬新で面白く、仕上げの技術の進化もすさまじいものがあります。初対面のときに「再来年の看寿賞作家」とか申し上げましたが、読みは当たってるかも知れません。受験で一時的に詰将棋を自粛するとのことですが、Twitterの人気者だし、kisy一族総統という立場もあって、そう簡単に足抜けできないかな? 受験も詰将棋も頑張ってください。将棋バーwarsにさりげなく、kisyの色紙を飾って来れば良かったかと、後悔しています。

 

 

 

 というわけで、お陰様で関西版はまったりと、楽しく過ごすことができました。参加した皆さん、ありがとうございました。山本さんに「代表作」をお送りくださいね。

 個人的には「宗角」さんと、「がもうの」さんにもお会いしたかったのですが、それはまたの機会に。「なにわのことも夢のまた夢」で、今日からまた仕事に戻ります。

 

NHKの連ドラ「わろてんか」は、創業者の一人・吉本せいを主人公としたフィクションである。

シナリオや演出は朝ドラなので、まあアレだけど、吉本興業が伝統的な芸の世界に近代的経営を持ち込んだ史実がそれなりに示されている。給料制とか。

 

木村政雄さんの「笑いの経済学―吉本興業・感動産業への道」 (集英社新書) は2000年に出た本だが、今読んでもなかなか参考になるところは多い。

 

イノベーティブなものは歴史的に見ても、たいてい大阪から生まれる、というのは確かにその通りだと思う。

文化力も経済力も実は江戸よりも上方の方が上だったというのは、紛れもない事実であり、そのコンプレックスをバネにして、江戸文化が花開いたともいえる。

「下り酒」なんかはその典型だ。

 

最近特に思うのは、「使用言語が関西弁だったらいいのに」である。

関東弁、つまり標準語だと、言いたいことが言えない場合がある。

言いたいことを標準語で語ってしまうとそれはもう救いのない、身も蓋もない、相手を単に誹謗中傷するだけのきつい会話になりかねないのだ。

しかし関西弁で伝えられたら、言いたいことを言えるとともに、対立的になることなく、相手もその意味合いについて考えてくれる可能性がある。

「違うだろ」と指摘されるのと「ちゃうやろ」と指摘されるのでは、全然心持ちが異なってくるずなのだ。

余裕というか、余韻というか、思いやりというか、そのあたりの違いがあるように思う。

 

同書の中で、石川昭氏(青山学院大学名誉教授)の説が紹介されている。

「英語と関西弁は非常によく似ている。気楽に表現できて上下の差別がない。差別的な表現が非常に少ない」ということ。

つまり人と人とを縦にではなく、横に連結させるいう点で、ユニバーサルな可能性を有する言語なのだ。

コミュニケーション、説得、交渉、商取引などにおいて、洗練された言語なのであろう。

村の中の言語ではなく、都市で生き抜く人の言語と言い換えてもいい。

 

「遷都」という行為があるのだから、「遷語」という手法はないものかと思う。

明治期に、公用語をフランス語に変えようというとんでも提案があった(森有礼)というが、それに比べれば大した提案でもない。

今からでも遅くはない、のではないか。新元号とともに…とか(笑)。

 

日本はもはや、「忖度」などしている余裕など、どこにもない。

言いたいことをガンガン言い合う自由な土壌、インフラとは、まず言語である。

「社内公用語は関西弁」という企業が、東京にも現れてきてくれないだろうか。

関西弁標準語化法案、提出されないかな?

 

 

 

 

  • 日本という方法は術語的~動詞・形容詞・形容動詞
  • 日本人のDNAは偏りがなく、周辺民族のあらゆる特徴を混在させている
  • 近代化は西欧基準への世界の統一化、大事なのはその枠組みの中で多様性を拡大するということ(つまり「かぶく」こと)
  • 日本文化は、公家がそれぞれの家ごとに独自のジャンルを担って伝承したからこそ継続された。和歌、蹴鞠、筆道、華道、日本料理、衣装、雅道、神祇、相撲、文章など。
  • 「江戸人にあっては、思想を分析する思弁よりも、それを俗化する操作の方が速かった」(石川淳)
  • 敬語は他人とのあいだに自分の望む距離をつくり出すことのできる有効な方法である
  • その民族特有のメタレベルの物語構造がある
  • 「タパス」(ヒンドゥー語)の意味は、「自己を育てること」であると同時に、断食、冥想、学問、沈黙、休憩、自然のなかに身を置く行為
  • 様々な形に投影され、無限に代理されていく「奥」、表層は入れ替わっても構造は変わらない。「信仰を超えた境地を我々日本人は持っている」
  • 支払いはお祓いだった
  • 「信貴山縁起絵巻」では、長者は信貴山に寄進、信貴山は帝の病気平癒を祈り、帝は長者の市場的権益を認める=循環経済の構造を示している
  • 虚実皮膜は江戸の華
  • 読む行為が深まらない、要約力が発展しない、鳥瞰的なマッピングがしにくい、という点においてインターネットを通じての情報収集には問題がある
 

 今回、「応援される会社」の執筆取材を通じて痛感したことがあります。

 

 それは、企業が情報量や販促費という「物量」で市場を刺激すれば、それ相応のリターンが還ってくるはずだというパワーゲーム的発想が、もはや"20世紀の幻想"であるということです。

 逆に、欠落、余地、不完全さ、控え目、寡黙、弱み…といった要素が、市場の能動性を喚起することもあります。

 応援されるブランドにつながるのは当然後者、これは「市場の力」を最大限にするための距離感です。

 

 しかしもちろん、何もしなければ何も反応はありません。

 そこで考えてみたいのは、マーケティングという企業活動を「中動態」でとらえ直すということです。

 

 中動態とは、「する(能動態)」と「される(受動態)」の中間的立場、あるいは両者を包含した立場の行為を指す言語学の概念です。

 古代のインド=ヨーロッパ語族、また古代日本語でもこれらが存在していたといわれます。

 分かりやすい例としては「会話する」「戦う」など、一人では成立しない相互作用を前提とした行為などを上げることができます。

 つまりは、「しながらされる行為」ということです。

 國分功一郎さんが「中動態の世界 意志と責任の考古学」を出して、ベストセラーになったので、お聞きになった方も多いと思います。


 これまでのマーケティングは、市場に向けて何かを「する」、つまり能動態で物事が組み立てられてきました。

 「広告する」「営業する」「販促する」「PRする」などです。

 これは当然、マーケティング刺激を強めることによって、ターゲットの意識・態度・行動変容も高まるだろう、という発想につながります。

 しかしこんな発想は、カエルの足に電気を流せば痙攣する、とかいう古典的な心理学の知見以上のものではありません。


 マーケティングやブランディングは、企業と顧客との相互作用によってしか成立しません。

 ゆえに、「する」のではなく、「しながらされる」行為としてマーケティングをとらえ直すべきだと考えるのです。


 例えば「店舗」を言い換えると「売り場」になりますが、これを中動態でとらえ直すと「売り買い場」ということになりますね。

 「売る」という行為だけではなく、「売る」と「買う」の双方が同時に行為となる場、として店舗・販促のあり方をとらえ直すということです。

 すでに一部の百貨店などでは、社内で「買い場」という言葉を使用しているのはご存知でしょう。


 同様に考えていくと、「商品」は「売り買い品」であると同時に、「つくり使い品」ということになります。

 「使い働き品」という視点もあります。

 いずれも、商品開発において大切な視点となります。

 

 「広報」は、「広く報せる」という能動態で考えていたら、情報のばらまきっ放しになりますよね。

 SNSは相互メディアとはいいますが、でも「拡散」発想でいいのか、ってことです。

 パブリックリレーションズの中国語訳である「公共関係」という言葉で考えてみたとしたら、適切な行動につながるかも知れません。

 

 そして「ブランディング」とは、ブランドの価値を企業と顧客とが相互に高めあう行為とみなすべきです。

 「カッコいい広告を打つこと」「旗艦店を設けること」「新しいロゴに変えること」が自己満足とみなされ、相互作用につながらないのであれば、止めた方がマシです。

 

 この「中動態マーケティング」は、顧客からどのような行為を引き出すのか、という発想にもつながってきます。

 こうして使用する言語の側から変えていくのは、価値観を脱皮させる第一歩だと思います。

 

 

 

いまや、詰将棋ポータルと化したスマホ詰将棋パラダイス

ここは皆さん、ほぼほぼハンドルネームでの投稿であり、作者はどんな人なのか、ご興味のある方も多いでしょう。

今年は創設10周年とのことですので、それも意識しながら、ささやかなオフ会を主催しました。

(実は前々からやりたかった!)

 

ツイッターでの呼びかけだけでしたし、そもそも薄気味の悪い(?)集まりなので、どれだけ来てくれるか不明でしたが、何と11人が集まりました。

このうち、2名は関西方面から駆け付けてくれましたし、看寿賞作家の馬屋原さん、久保さんまでおいでいただきました。

他にも、「見る詰将」、詰碁作家で詰将棋作家、天才高校生、詰将棋史研究家などなど、バラエティに富んだメンバーが集まり、楽しい会となりました。マルチクリエーター・タカギタイキチロウさんはご都合により、急遽御欠席でした。

ちなみに管理人・エモンさんは「土曜日は仕事」とのことで、参加NG。

 

 

 

 

15時スタートだったのですが、午前中に着いてしまったという関西組含めて皆さんかなり早くおいでになりました。

盤駒も用意したのですが、作品を並べるでもなく、とにかくスマホ詰パラを「語る」時間が流れました。

 

基本的には皆さん、スマホ詰パラの「詰将棋の敷居を低くした」という成果に対して高い評価をされていました。

これまでは「創る人」と「解く人」は分かれていたのですが、スマホ詰パラのお陰で、自分でも創ってみようかという人が増え続けています(現在作家数1904人)。

こうした中から本誌「詰将棋パラダイス」に進出した作家、看寿賞を受賞するような作家も出てきました。

また、休眠していた作家が復活のきっかけを与えてくれたのも、スマホ詰パラだったというケースもみられます。

 

自己紹介に始まり、こんなテーマを行ったり来たりしながら、あっという間の2時間が流れました。

 

・評価4.0は本誌でも通用するか問題

・「少年ころ」は誰か?問題

・「EOGは見ている」問題

・初日の評価はなぜ低いのか問題

・悪意のコメント投稿者のつきとめ方問題

・「おもちゃ箱」の事業承継問題

 

まあ、投稿者であれば、思わずニヤリとするテーマばかりかも知れませんね。

私は2009年から参加している最古株なのですが、知らないこともたくさんありました。

とにかく皆さんのスマホ詰パラ愛、詰将棋愛が凄い。

munetokiさんが「スマホ詰パラ好作選」(1の方ですね)を製本したものを参加者全員に持ってきてくれまして、誠に感謝の至りです。

実は「スマホ詰パラ好作選 2014-2016」は、編者の武島広秋氏がこの会合に合わせて公開しようとしてくれたとのことで、何やら申し訳ない感じですが、参加者一同、武島さんのお仕事を応援するスタンスですので、ぜひ信念を持ってお進めください。


会合はその後、2次会~3次会と続き、再会(いつになるんや?)を誓って散会したのでした。

雪の一般道を奈良から走行してきた(!!)というみつかづさんも無事帰宅されたとのことです。

慣れない、拙い仕切りで恐縮です。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。


さて、これで柳原さんの原稿、書けるかな??


■「スマホ詰パラを語る会」

2018.1.27(土) 15:00~17:00
東京都新宿区高田馬場にて

 

■出席者(11名)

宗時 宏さん、野々村禎彦さん、岩永光一さん、小池正浩さん、利波 偉さん、馬屋原剛さん、大西智之
さん、松本浩一さん、久保紀貴さん、岸本裕真さん、山川 悟(順不同)