不況になると口紅が売れる -5ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~

羽生、井山氏に国民栄誉賞
政府は5日、将棋で史上初の永世7冠を達成した羽生善治氏(47)=写真=と、囲碁で初めて2度の7冠独..........≪続きを読む≫

 

羽生先生、井山先生、おめでとうございます。

囲碁将棋を対象とする国民栄誉賞は、安倍政権誕生以来、最高の政策かと思う。

 

ところでなぜ「囲碁将棋」であって、「将棋囲碁」ではないのか、という疑問をお持ちの方もいるかも知れない。

ちなみにそれは、この芸人のせいではない。

 

 

 

 

そもそも囲碁は中国から「正当な」ルートで日本に伝わってきた、いうなれば政府(当時の貴族)公認の盤上遊戯である。

対して将棋は、16世紀の段階でもルールがはっきりしない、新興の流行ゲームにすぎなかった。

 

だがそんな中、小将棋の可能性を見出したのは、囲碁の第一人者・本因坊算砂である。

彼は、将棋の名手・大橋宗桂を担ぎ出し、囲碁将棋のセットで「国民的遊戯」としての定着を図る。

それが江戸時代の囲碁家・将棋家の家元制度となるのだが、囲碁の算砂は僧位にあり、一方将棋の宗桂は一介の町人にすぎなかった。

この身分差が、そのまま囲碁将棋の序列に繋がった。

 

しかし、この席次に文句をつけた男がいる。

そう。詰将棋作家としても有名な、あの三代伊藤宗看である。

彼は伝統的な「囲碁将棋」の順序が気にくわないとし、元文2年(1737年)5月に「碁将棋席次争い」を起こした。

当時囲碁家には傑出した人物がおらず、はっきり言って低迷していた。

一方将棋家は宗看・看恕・看寿の天才三兄弟が権勢を誇り、井上河内守・松平紀伊守などの有力武士が宗看の門人であったという。

しかし、なーんも考えていない大岡越前守(超保守的)が「そんなことどーでもいいじゃん、そのままにしとけよ」という判決を下したため、囲碁将棋の順序は保たれたのである。

ま、関心なかったんでしょう。

 

近代に入ってからも、「囲碁将棋」の順序で語られることに反感を持つ将棋の棋士もいたのは間違いない(囲碁側はたぶん、この順序が自然と思っている)。

何せ負けず嫌い、争うことが仕事な人たちなので、こういうことに対してはとてもナーバスなのだ。

 

ただ大人の判断としては、「囲碁と将棋は(うるさいから)公平に扱っておけ」ということになっている。

これはもう、300年の伝統の知恵、といわざるを得ない。

その典型が、新聞の囲碁将棋欄、NHK教育・日曜日の放送枠である。

扱いもスペースも配置時間も公平にしとかないと、どちらかが怒鳴り込んできたからだ。

(AbemaTVだけがその慣例を破ってしまったのだが…)

 

今回の措置も、羽生さんの圧倒的な実績に対して、井山さんはまだまだこれから先に受賞のチャンスはいくらでもあるし、国際戦もいまひとつ勝てないし…といった評価もあったはずだが、「将棋だけってのはアレだから、まあここは、囲碁と将棋を公平に扱っておけばいいじゃん」という為政者の判断による同時表彰なのかも知れない。

それと、藤井四段のもたらした将棋ブームに乗ってのことじゃないよ、という矜持もあるんだろうな。

 

というわけで、羽生・井山両氏の同時表彰。

囲碁界はホッとしていると思うけどね(笑)。

井山さんは国民栄誉賞を励みに、これから世界一にならんといかんぜよ!!

頑張れ、井山七冠!

何の役に立つかわからないけど後世に伝えていくべきことを「文化」と呼ぶ。

一方で、何の役に立つかわからないけどただやってるだけことを「風習」と呼ぶのだろう。

 

「年賀状」は文化だと思うのだが、このままでは廃れてしまうかも知れない。

日本郵便だけでなく、文具メーカーや印刷技術メーカーが手を取り合って、何か考えたほうがよいと思う。

一方、元旦の新聞朝刊がぶ厚すぎるのは「風習」であり、これは廃れてしまったほうがよい。

そして、ひふみんが「紅白」だけでなく、「笑点」にさえ出てしまうのは…これはまあ、単なる「流行」か。

 

…なんてことを思う年の初めであった。

 

 

今日のツイッターで、元女流プロ棋士の藤田麻衣子さんの、こんな名言を発見した。

「詰将棋を作るのは、非生産的行為で、著作物として法に守られることもないかもしれないもの。お金を得ることもないでしょう。にも関わらず人々はこれを作り、楽しんできた、人間らしい尊いものです。何のために?なんて野暮なこと言わず、人として生まれたからには、そういった尊いものに触れたいのです」

https://twitter.com/pie_co/status/947644839687987200

 

そうです。

野暮なことは言わず、というところが大事。

 

さて、今日の「スマホ詰パラ」に登場した年賀詰(No.10475)の詰上り。

一応、形が「犬」っぽくなるが、ちょっと不細工だよねー。

(3三ではなく、3二に駒を配置すべき??)

ブサイク犬で、2018年が始まってしまった。

なんて野暮なことは言わず、今年もよろしくお願いします。

 

 

大学のゼミでは同学年だけでなく、なるべく他学年との交流を図ろうと、

飲み会を開いたり、一緒に学外見学に行かせたり、ゼミ合宿を行ったりしている。

以前は学生もこういうことが楽しくて仕方なかったようだが、最近はちょっと事情が違う。

 

「1コ上・1コ下とどうつきあっていいのかわからない」という学生が多く、

結局は同じ学年でチマチマと固まってしまうのだ。

まあ、下が先輩を煙たがるのはわからないでもない。

先輩が心を開いて、声をかけるべきなのである。

しかし、上の連中から「1コ下とどう口をきいていいかわからない」

「何考えているかわからないので、後輩が怖い」という言葉を聞いたときには愕然とした覚えがある。

 

一応人間関係も成立し、よくできたゼミの先輩が後輩にご馳走したあげた、という話も耳にした。

それに対して後輩くんたちが何を言うかと思ったら、

「バイト代が入ったら、今度その先輩に自分たちでご馳走してあげたい」である。

ここで筆者がフリーズする。

「あのねえ…。先輩に奢ってもらったら、その先輩にではなく、自分の後輩に奢ってあげるもんだよ」

と指摘したが、きょとんとしている。

 

これは基本的に「中学・高校時代、ちゃんとした部活をやってこなかった」ためである。

しかし問題は、それ以前にある。

幼いころから、親が同学年同士でしか遊ばせていないのである。

(これは母親のエゴがすごく関係しているのだが、ここでは面倒なので触れない)

だから「非常に仲の良い友達」と「赤の他人」の二種類しか人間関係が存在しないまま、

彼らは大人になる。

 

例えば、1コ上に対する距離感とは、「先輩として立てながらも半タメ口」である。

体育会なら絶対的な上下関係も、大学のゼミやサークル、職場では、恐らくこのくらいの距離感だ。

そしてこれは経験しないと掴めない距離感である(むろん人によって、状況によっても異なる)。

 

入社一年以内に辞めていく若者が多い。

その原因はいろいろだろうが、「1コ上」に相談できれば解決できるような問題を

一人で抱え込んだりしているから、ということも多いと思う。

先日ある企業(調査会社)で、こんな話を聞いた。

若い営業がクライアントとトラブルを起こし、それを部長に報告しないまま数か月放置したところ、

クライアントから部長に直接電話がかかってきて「出禁」を命じられた、とのこと。

「部長に報告すると叱られるから、怖くて報告できなかった」というのがその理由だ。

筆者も経験があるが、こういう「上司に言いにくいこと」は、1コ上に相談すべきなのだ。

しかし、その1コ上関係が構築できないから、こうしたことが起きるのだと思う。

 

ダンスだのプログラミングだの教えなくてもいいから、初等教育においても、

「先輩後輩の健全な関係が育つ基盤」を与えてやってほしい。

結局それが、社会的な教育コストを低減させることにつながると思うのだ。

 

 

 

安倍首相が秋葉原の街頭演説で、反対派の人たちを「こんな人」呼ばわりしたのは、歴史的失言だと思う。

失言というのは、ついこの人の「本音」が出てしまったからである。

ああやっぱりな、この人は自分とその周辺のお友達だけが大事で、国民のことなど何とも思ってないんだな、という印象を持たれた都民が、首相含めて自民党を見限る都議選となった。

 

さて、民間企業においては、「お客様第一主義」が常識になりつつある。

しかしそれは建前であって、顧客を本当にどう見ているかについては…怪しいものがある。

そして広告表現の中で、顧客を蔑視ないし、軽視する「本音」がふと現れることがある。

最近のCMの中で、いくつかそんなふうに感じた事例を見てみたい。

 

①ビズリーチ「即戦力採用ならビズリーチ」篇 

「社長、今度面接する方の履歴書 お持ちしました」と吉谷彩子扮する女性社員。

「まぁどうせたいした候補は…いないんだろう?」と疑心暗疑の社長が、応募者の履歴書の経歴を見て驚く…というストーリー。

直接会ってもいないのに履歴書のスペックだけで優秀と決め込む社長の設定もどうかと思うのだが、問題は「中途採用でも優秀な人材に出逢えます」というキャッチコピーである。

つまりこの広告は、「中途採用=ろくな人材はいない」という前提で組み立てられている。

結果的に「採用する側の企業経営者って、中途入社の社員をそういう目で見ているのか?」と思わせられる広告になってしまっている。

これだけ人材流通の激しい時代。「中途入社」というもはや珍しくもなんともない存在に、わざわざ余計なレッテルを貼るだけのような駄作と感じる。

 

②いらないドットコム

いらない不動産を買い取り、売買契約締結から最短10日で指定口座に現金を振込む、というサービスである。

他にも似たような不動産買取サービスの会社はいくらでもあるので、このビジネスそのものが怪しいとはいいづらいところだが、CMで「いらない!」「いらない!」と繰り返すところが不快極まりない。

有休不動産に無用な固定資産税を払っても、手放すことに抵抗を感じていた側にとっては、その家や土地にさまざまな思い出やこだわりがあるはずである。

そうしたもやもやした気持ちに寄り添うなんて意識は全くないのだろう。

この「いらない」というメッセージが、「早く金にしたいんでしょ」「だったら買い叩きますよ」としか聞こえないのだが…。

ある意味合理的なビジネスだが、逆に不動産取引に伴う"非合理"な側面、つまり顧客の微妙な気持ちを関知しない企業という印象しか持てない広告になってしまっている。

 

③au「三太郎の日」

桃太郎・金太郎・浦島太郎の三人の「太郎」の掛け合いで、人気上位に常にランクインされる広告シリーズ。

「三太郎の日」とは、毎月3のつく日には、auユーザーに限ってマクドナルドの「ダブルチーズバーガー」がもらえるなどの特典がつくというものだ。

しかし、阿部次郎が自らをへりくだりまくった「三太郎の日記」とか、「大バカ三太郎」という言葉が示すように、三太郎とは本来、「間抜け・あほう」を人名に言い換えた隠語であることなど、ちょっと知識のある人ならわかるはずだ。

お客様は英雄です、と持ち上げておいて、実は「客なんかバカだ」と言っているようなものである。

まあ、これだけ高いスマホ料金を黙って払い続けて、その割にはゲームとSNSしかやってないユーザーなんか、所詮大バカ三太郎なんだろうけどね(笑)。

 

④NTT東日本「ギガらくWi-Fi」早すぎた契約篇

この会社は常に「中小企業なんてこんなもんだ」というステロタイプで顧客を見下ろしている気がする。

いつもこうした冴えない町工場のオヤジとかを登場させ、中小の社長なんか通信もコンピュータも何も知らないんだから、NTTに任せなさい、という理屈である。

こうした表現が単発であればいいのだろうが、毎回となると、もはや「ユーモラス」と看過していいレベルを超えていると思う。

もっとも、都内の新興中小企業なんかはIT関係が1/3くらいあり、NTT支店の営業のおっさんなんかよりも遥かに通信にもコンピュータにも詳しかったりするのが実情だ。

要するに「中小企業」といっても多様であり、このような旧態依然としたひとつの型で語ることはできないはずである。

というか、一社一社全部違うから「ソリューション」なんだと思うのだが、違うだろうか?

巨大企業として、もう少し神経を使うべきだと思う。

 

 

 

関連画像

 

 

▲「マッドメン」

 

いくつかの広告主を批判してきたが、問題はこうした表現を提案する広告会社にもある。

1960年代のマジソン街の広告代理店に勤める広告マンのほとんどは「セレブリティ」であり、広告主の商品を利用する「消費者」たちとはかけ離れた生活をしていた、といわれている。

スーパーで少しでも安い商品を探す「消費者」の気持ちを実感として理解できなかったし、基本的に蔑んでいたともいえる。

 

日本の今日の広告会社の社員たちがそうなってないことを祈るのみである。