内藤先生、引退とのこと。
詰将棋の名手にして、坂田三吉以来の関西将棋の伝統を支え続けた異才。
今日、横歩取り定跡が発展しているのは、全て内藤先生のおかげともいえる。
あの中原名人との、王位戦である。
大山・中原という巨大な名人と同じ時代を過し、そして後輩の米長にも先を越される。
しかしいつの時代も、常に内藤ファンは多かったと思う。
実は二上達也先生も、唄が上手かったとのこと。
「マイク二上」という渾名もあったとか。
なぜか、詰将棋作家は唄が上手いのですね(笑)。
そして今年、その二上九段の「将棋魔法陣」が復刻されるらしい。
「図巧」1番を古本屋で立ち読みで解いた10歳の少年は、
その後、プロ将棋の世界で大活躍することになる。
天は二物云々というが、三つも四つも与えられた人だ。
こういう方は、もう二度と出てこないだろうね。
これからは詰将棋の世界にお戻り頂き(笑)、大傑作に取り組んでください。
「おゆき」、今聴いても、すごくいいです。
ゴーストライター話で音楽界を追放されたような形となっている佐村河内氏だが、仮に彼の「指示書」が本当に彼の手によるものであれば、こうした企画力そのものを生かすような形で復活させてあげるべきではないかと思うのだが…どうなんでしょうね?
クラシック音楽のことはよくわからないが、テレビ画面に出てきたあの指示書を最初見たとき、その密度や迫力、フォーマットの完成度…どれをとってみても「凄いじゃん」と感じたのは私だけではあるまい。
広告制作においては、制作物の内容を規定する企画書が、制作物そのものよりも余程重要だということが多い。
むろんプランナーは「黒子」であるが、制作物の中身が、自ら組み立てた企画内容で成立しているという矜持はあるはずなのだ。
決して表舞台に立つことはない「企画書」だが、この企画書を作成できるノウハウってものが、もう少しまともに評価されてもいいはずである。
新垣さんが「復帰」して、テレビとかで結構もてはやされているのだけれど、やはりタレント性においては、佐村河内氏のほうが一枚も二枚も上。
「作曲が出来る」「ピアノが弾ける」のは大したことだとは思うが、そんなことよりも「頭の中に出てきた妄想を表現テーマにし、それを他者に伝えられるような形にする」才能のほうがよっぽど凄いはずなのだ。
例えばあの指示書をもとに、複数の作曲家に交響曲をつくってもらって聞き比べるコンサートとか…、結構面白いと思うのだが。

クラシック音楽のことはよくわからないが、テレビ画面に出てきたあの指示書を最初見たとき、その密度や迫力、フォーマットの完成度…どれをとってみても「凄いじゃん」と感じたのは私だけではあるまい。
広告制作においては、制作物の内容を規定する企画書が、制作物そのものよりも余程重要だということが多い。
むろんプランナーは「黒子」であるが、制作物の中身が、自ら組み立てた企画内容で成立しているという矜持はあるはずなのだ。
決して表舞台に立つことはない「企画書」だが、この企画書を作成できるノウハウってものが、もう少しまともに評価されてもいいはずである。
新垣さんが「復帰」して、テレビとかで結構もてはやされているのだけれど、やはりタレント性においては、佐村河内氏のほうが一枚も二枚も上。
「作曲が出来る」「ピアノが弾ける」のは大したことだとは思うが、そんなことよりも「頭の中に出てきた妄想を表現テーマにし、それを他者に伝えられるような形にする」才能のほうがよっぽど凄いはずなのだ。
例えばあの指示書をもとに、複数の作曲家に交響曲をつくってもらって聞き比べるコンサートとか…、結構面白いと思うのだが。

年末からインフルエンザに罹り、治ったあとも常に変な格好でいるもんだから、腰痛の上に頸を寝違えてしまった。
仕方ないからこの正月は、テレビばかり見ていた。
そしていつものように、年末年始のテレビはお笑いばかりである。
2014年の流行語大賞にまでなった「日本エレキテル連合」と「どぶろっく」は、どの局でも出ずっぱりだ。
しかしよく考えてみると、この両者、「下ネタ」という共通点がある。
そして正月のテレビ寄席を見ると、なぜかケーシー高峰さえ復活の兆しだ。
檀蜜までゲストに呼ばれている。
いつからかこんなに、下ネタが許容される社会になったのか?
ひとつは、テレビの視聴者層として「子供」が軽視され始めてきたということであろう。
本来テレビ局というのは、子供たちに対して健全なコンテンツを提供しようという気などさらさらなく、視聴者から苦情さえ来なければ、下品だろうが視聴率さえ取れればいいとする姿勢であった。
要は今日、下ネタに対する苦情数が減っているのであろう。
そもそも、子供たちがテレビそのものを見なくなっている可能性もある。
もっというと、ファミリーで安心して見られるのが「日テレ・日曜ゴールデン」などに限定されつつあるといった兆候も見られる。
もうひとつ感じられるのは、エロを通じた「自虐的な笑い」の台頭という傾向だ。
エレキテルもどぶろっくも、「しょせん、人間(男)なんてこんなもんだろ」といった類の自虐的な笑いが、その根底にある。
例えば最近では、「おしい広島県」とか「うどん県」とか、自治体のPRですら自虐的な笑いを志向する。
逆に、爆笑問題の漫才がNHKラジオで放映できない事件?が起きるなど、「攻撃的な笑い」が成立しづらい傾向もある。
従ってこうしたエロは、ある意味で誰も傷つけないような笑いのひとつの「型」なのかも知れない。
そうそう、そういえば2015年は「金太の大冒険」発売40周年だ。
「金太 まだしてる」「金太 待つ 武士に会う」…など、新しいネタの歌詞で、リバイバルしてほしいな。
ホント、どうでもいいけど…。
仕方ないからこの正月は、テレビばかり見ていた。
そしていつものように、年末年始のテレビはお笑いばかりである。
2014年の流行語大賞にまでなった「日本エレキテル連合」と「どぶろっく」は、どの局でも出ずっぱりだ。
しかしよく考えてみると、この両者、「下ネタ」という共通点がある。
そして正月のテレビ寄席を見ると、なぜかケーシー高峰さえ復活の兆しだ。
檀蜜までゲストに呼ばれている。
いつからかこんなに、下ネタが許容される社会になったのか?
ひとつは、テレビの視聴者層として「子供」が軽視され始めてきたということであろう。
本来テレビ局というのは、子供たちに対して健全なコンテンツを提供しようという気などさらさらなく、視聴者から苦情さえ来なければ、下品だろうが視聴率さえ取れればいいとする姿勢であった。
要は今日、下ネタに対する苦情数が減っているのであろう。
そもそも、子供たちがテレビそのものを見なくなっている可能性もある。
もっというと、ファミリーで安心して見られるのが「日テレ・日曜ゴールデン」などに限定されつつあるといった兆候も見られる。
もうひとつ感じられるのは、エロを通じた「自虐的な笑い」の台頭という傾向だ。
エレキテルもどぶろっくも、「しょせん、人間(男)なんてこんなもんだろ」といった類の自虐的な笑いが、その根底にある。
例えば最近では、「おしい広島県」とか「うどん県」とか、自治体のPRですら自虐的な笑いを志向する。
逆に、爆笑問題の漫才がNHKラジオで放映できない事件?が起きるなど、「攻撃的な笑い」が成立しづらい傾向もある。
従ってこうしたエロは、ある意味で誰も傷つけないような笑いのひとつの「型」なのかも知れない。
そうそう、そういえば2015年は「金太の大冒険」発売40周年だ。
「金太 まだしてる」「金太 待つ 武士に会う」…など、新しいネタの歌詞で、リバイバルしてほしいな。
ホント、どうでもいいけど…。
年末年始はインフルエンザの毒牙にかかり、ほぼ何もできず。
後遺症?もあって、2週間使い物にならなかった。
ホントに貧乏性そのものである。
で何をしたかというと、詰将棋作家が主人公という小説を2冊読んだ。
いずれも少し前の本だが、小学館文庫の書き下ろしである。
まずはこれ。
・鳴海風(2007)「美しき魔法陣」(小学館)
江戸時代の天才曲詰作家・久留島喜内が、磐城平藩を乗っ取ろうとする悪徳数学者と対決する、という話。
本書では詰将棋作家というよりも、江戸の三大和算家・久留島義太(よしひろ)として描かれている。
最後、ひらめきを失った喜内が浴びるように酒を飲んで復活するというのは…、ちょっとマンガっぽいオチだけど、途中までの組み立てと作者の筆力はなかなかよくて、一気に読めた。
最後の「詰め」の部分にどんでん返しが欲しかった…かな?
しかし、脇役であの伊野辺看斎(「将棋手段草」の作者といわれる)も出てくるのは嬉しい。
喜内に元気がないので、宗看・看寿兄弟に会わせようということになったが、あまりの才能の違いに逆に落ち込むというシーンがあった(サービスカット!!)。
しかしむしろ、本家家元が当時の民間詰将棋作家の活躍にインスパイアされて、最高峰の作品創作を目指した、というのが実態ではないかと思う。
なぜなら、元禄8(1695)年から宝暦2(1752)年までの58年間で、民間棋士たちによる詰将棋作品集が8冊も刊行されている。
中でも伊野辺看斎は「飛先飛歩」「銀鋸」などのテーマ性を持った現代的な作品を遺しているし、添田宗太夫に至っては伊藤宗印「将棋勇略」のゴーストライターであったというのが定説だ。
この出会いは完全に創作のシーンだけど、もし私が描くとするなら、久留島喜内の曲詰作品の持つ自由奔放さに感激し、「兄さん、私たちももっと凄い詰物をつくりましょう!」と弟の看寿が叫ぶ、とかいうシーンにしたと思う。
ところで作者の鳴海風氏は、なんとデンソーのエンジニアだったんですね。
あの「電王手くん」開発に、鳴海さんも関係しているのかな?
次はこれ。
・湯川博士(2006)「大江戸将棋所 伊藤宗印伝」(小学館)
5世名人・伊藤宗印の一代記である。
宗印は名人、詰将棋作家であるとともに、江戸時代の将棋家元の中興の祖として知られている。
伊藤家は、将棋家元であるが分家であり、しかも宗印は養子である。
若年期においては大橋家から不当に扱われ、実力がありながらも昇段が許されなかった。
初代・大橋宗桂から約100年。時は元禄、将棋は武家から庶民まで、大流行していた。
この時代の空気感を捉えた宗印は、伊藤家のみならず、大橋家をも立て直すために奔走する。
長男の印達を、無為な争い将棋で亡くしたのは本当に残念であったと思うが、その弟たちが実に優秀だった。
印寿(のちの宗看)、助左衛門(のちの看恕)、政福(のちの看寿)の三兄弟である。
このうち、宗看「将棋無双」と看寿「将棋図巧」は有名だが、これらは兄弟、門人たちが協力して創った共同作品だったというのがいまや通説?である。
御城将棋も指さなかったくせに、なぜか七段まで賜った真ん中の看恕こそが「逆算」の始祖ではないか(つまり詰将棋創作の功を評価された)、という説もある。
いずれにせよ、レンブラント工房的な詰将棋共同創作のシステムをつくったのは、宗印だったのではないか、と思う。
江戸時代の始祖・大橋宗桂が将棋所をつくって以降、頑張ったのはむしろ「分家」であり、「養子」であった。
さらにいうと、将棋の対局そのものよりも、詰将棋献上というシステムこそが、家元の権威を支え、知的遊戯としての奥深さを暗示することにつながった。
そしてその詰将棋のレベルを大幅に上げたのは、実は本家・家元ではなく、在野の天才作家たちである。
傍流・亜流の自由奔放な発想が奔流に刺激を与え、最終的には神局「無双」「図巧」に結集した…というのは言い過ぎだろうか?

インフルさんのおかげで(ではなく老化のせい?)解けない、創れない…ので、今日は「読む」詰将棋のお話でした。
後遺症?もあって、2週間使い物にならなかった。
ホントに貧乏性そのものである。
で何をしたかというと、詰将棋作家が主人公という小説を2冊読んだ。
いずれも少し前の本だが、小学館文庫の書き下ろしである。
まずはこれ。
・鳴海風(2007)「美しき魔法陣」(小学館)
江戸時代の天才曲詰作家・久留島喜内が、磐城平藩を乗っ取ろうとする悪徳数学者と対決する、という話。
本書では詰将棋作家というよりも、江戸の三大和算家・久留島義太(よしひろ)として描かれている。
最後、ひらめきを失った喜内が浴びるように酒を飲んで復活するというのは…、ちょっとマンガっぽいオチだけど、途中までの組み立てと作者の筆力はなかなかよくて、一気に読めた。
最後の「詰め」の部分にどんでん返しが欲しかった…かな?
しかし、脇役であの伊野辺看斎(「将棋手段草」の作者といわれる)も出てくるのは嬉しい。
喜内に元気がないので、宗看・看寿兄弟に会わせようということになったが、あまりの才能の違いに逆に落ち込むというシーンがあった(サービスカット!!)。
しかしむしろ、本家家元が当時の民間詰将棋作家の活躍にインスパイアされて、最高峰の作品創作を目指した、というのが実態ではないかと思う。
なぜなら、元禄8(1695)年から宝暦2(1752)年までの58年間で、民間棋士たちによる詰将棋作品集が8冊も刊行されている。
中でも伊野辺看斎は「飛先飛歩」「銀鋸」などのテーマ性を持った現代的な作品を遺しているし、添田宗太夫に至っては伊藤宗印「将棋勇略」のゴーストライターであったというのが定説だ。
この出会いは完全に創作のシーンだけど、もし私が描くとするなら、久留島喜内の曲詰作品の持つ自由奔放さに感激し、「兄さん、私たちももっと凄い詰物をつくりましょう!」と弟の看寿が叫ぶ、とかいうシーンにしたと思う。
ところで作者の鳴海風氏は、なんとデンソーのエンジニアだったんですね。
あの「電王手くん」開発に、鳴海さんも関係しているのかな?
次はこれ。
・湯川博士(2006)「大江戸将棋所 伊藤宗印伝」(小学館)
5世名人・伊藤宗印の一代記である。
宗印は名人、詰将棋作家であるとともに、江戸時代の将棋家元の中興の祖として知られている。
伊藤家は、将棋家元であるが分家であり、しかも宗印は養子である。
若年期においては大橋家から不当に扱われ、実力がありながらも昇段が許されなかった。
初代・大橋宗桂から約100年。時は元禄、将棋は武家から庶民まで、大流行していた。
この時代の空気感を捉えた宗印は、伊藤家のみならず、大橋家をも立て直すために奔走する。
長男の印達を、無為な争い将棋で亡くしたのは本当に残念であったと思うが、その弟たちが実に優秀だった。
印寿(のちの宗看)、助左衛門(のちの看恕)、政福(のちの看寿)の三兄弟である。
このうち、宗看「将棋無双」と看寿「将棋図巧」は有名だが、これらは兄弟、門人たちが協力して創った共同作品だったというのがいまや通説?である。
御城将棋も指さなかったくせに、なぜか七段まで賜った真ん中の看恕こそが「逆算」の始祖ではないか(つまり詰将棋創作の功を評価された)、という説もある。
いずれにせよ、レンブラント工房的な詰将棋共同創作のシステムをつくったのは、宗印だったのではないか、と思う。
江戸時代の始祖・大橋宗桂が将棋所をつくって以降、頑張ったのはむしろ「分家」であり、「養子」であった。
さらにいうと、将棋の対局そのものよりも、詰将棋献上というシステムこそが、家元の権威を支え、知的遊戯としての奥深さを暗示することにつながった。
そしてその詰将棋のレベルを大幅に上げたのは、実は本家・家元ではなく、在野の天才作家たちである。
傍流・亜流の自由奔放な発想が奔流に刺激を与え、最終的には神局「無双」「図巧」に結集した…というのは言い過ぎだろうか?

インフルさんのおかげで(ではなく老化のせい?)解けない、創れない…ので、今日は「読む」詰将棋のお話でした。
東京駅開業100周年記念suicaは、東京駅駅前広場の安全確保という理由から、JR東日本が途中で販売を中止、長時間並んだ人たちが大騒ぎするという珍事につながった。
東日本大震災のときに黙って並び、世界中から賞賛された「マナーの良い日本人」が、このときばかりは駅員に詰め寄り、怒号が乱れ飛んだ。
中には「何万もかけて東京まで来たのに…金返せ」という声までも。
さらには転売目的の購入者も多かったと見られ、ヤフオクで99億円の値がつくなど、アホみたいな展開になりつつある。
彼らの怒りは「買えなかった」という消費者的な理由からであるが、厳密に言うと「ズルして買えた奴がいるのに、自分たちは買えなかった」からである。
行列に並ぶということは、他者の欲望を長時間目の当たりにする行為であり、そして自らの欲望が他者と同じであることを確認する行為でもある。
この「自分と同じ他者」が「自分と同じ条件」であるうちは仲間意識も芽生えるが、「自分より優遇される」となると、感情は凄まじい怒りに転化する。
有権者としての権利は棄権するくせに、消費者としての権利は主張する不思議な国、といった評価も出てきている。
100周年といえば夏目漱石の「こころ」もちょうど100年前、1914年に朝日新聞に連載・刊行された作品だ。
煮えきらぬ男であった「先生」は、なぜだか親友の「K」を下宿先のお嬢さんに引き合わせるが、そのKの思いをスプリングボードのようにして、お嬢さんに求婚する。
この作品では、他者の欲望に照射されてはじめて自らの欲望の形が見えてくる「近代的個人」の姿が描かれた、とされている。
「先生」に裏切られたKの立場は、今回、行列に正当に並んで買えなかった人と同じであろう。
明治の恋愛では、それが自殺という形で決着がつき、平成の行列では、暴動もどきの騒ぎとなる。
Kは、前近代の日本の象徴、あるいは乃木の自殺と比類されて「明治の精神」を持つ若者と位置づける読みも可能だが、親友の裏切りの腹いせに自殺したこのKこそ、近代的個人の典型であるというのが漱石先生の隠されたメッセージであったのかも知れない。
100年前にこの国で覚醒した近代的個人、漱石の指摘した「高等遊民」は、いまや「高等消費者」として組織化され、増長してしまっている。
つまり、大して変わっていない。
「精神的に向上心のない者はばかだ」ってことである。
いまわれわれは「消費をやめる」ことはできないが、消費者としての立ち居地を考え直すことは出来る。
5時間の間、パズドラしながら行列に並ぶのであれば、この100年間、自分たちはどう変わり、これからどうなっていくべきなのかに思いを馳せるべきだったろう。
と、何か「天声人語」みたいになっちまったな…(^^ゞ
すいません。


東日本大震災のときに黙って並び、世界中から賞賛された「マナーの良い日本人」が、このときばかりは駅員に詰め寄り、怒号が乱れ飛んだ。
中には「何万もかけて東京まで来たのに…金返せ」という声までも。
さらには転売目的の購入者も多かったと見られ、ヤフオクで99億円の値がつくなど、アホみたいな展開になりつつある。
彼らの怒りは「買えなかった」という消費者的な理由からであるが、厳密に言うと「ズルして買えた奴がいるのに、自分たちは買えなかった」からである。
行列に並ぶということは、他者の欲望を長時間目の当たりにする行為であり、そして自らの欲望が他者と同じであることを確認する行為でもある。
この「自分と同じ他者」が「自分と同じ条件」であるうちは仲間意識も芽生えるが、「自分より優遇される」となると、感情は凄まじい怒りに転化する。
有権者としての権利は棄権するくせに、消費者としての権利は主張する不思議な国、といった評価も出てきている。
100周年といえば夏目漱石の「こころ」もちょうど100年前、1914年に朝日新聞に連載・刊行された作品だ。
煮えきらぬ男であった「先生」は、なぜだか親友の「K」を下宿先のお嬢さんに引き合わせるが、そのKの思いをスプリングボードのようにして、お嬢さんに求婚する。
この作品では、他者の欲望に照射されてはじめて自らの欲望の形が見えてくる「近代的個人」の姿が描かれた、とされている。
「先生」に裏切られたKの立場は、今回、行列に正当に並んで買えなかった人と同じであろう。
明治の恋愛では、それが自殺という形で決着がつき、平成の行列では、暴動もどきの騒ぎとなる。
Kは、前近代の日本の象徴、あるいは乃木の自殺と比類されて「明治の精神」を持つ若者と位置づける読みも可能だが、親友の裏切りの腹いせに自殺したこのKこそ、近代的個人の典型であるというのが漱石先生の隠されたメッセージであったのかも知れない。
100年前にこの国で覚醒した近代的個人、漱石の指摘した「高等遊民」は、いまや「高等消費者」として組織化され、増長してしまっている。
つまり、大して変わっていない。
「精神的に向上心のない者はばかだ」ってことである。
いまわれわれは「消費をやめる」ことはできないが、消費者としての立ち居地を考え直すことは出来る。
5時間の間、パズドラしながら行列に並ぶのであれば、この100年間、自分たちはどう変わり、これからどうなっていくべきなのかに思いを馳せるべきだったろう。
と、何か「天声人語」みたいになっちまったな…(^^ゞ
すいません。

