おはようございます、一葉です。
こちらは総拍手94949に該当したスカイシー様からのリクエストの続きです。
お楽しみいただけたら幸いです。
■ 森のクマさん~運命のお導き~ ◇4 ■
翌早朝。キョーコは自分が心に決めた予定に従い、拾い集めたどんぐりたちを背負って、幼い頃に慣れ親しんだ懐かしい山に足を踏み入れた。
吐いた息が空気を白く濁し、吸い込むたびに喉を突き刺す鋭い冷気。標高差の関係で降り積もった雪が余計に山の寒さを厳しくしているのだろうと思った。
キョーコは雪に足を取られながらも迷わず歩みを進めていった。
目印は枯れた樹木だ。枯れた木々の根元付近にどんぐりを撒いゆく。
そうすればきっと山に住む動物たちが、どんぐりに気付いて食べてくれるに違いない。
あるいは、もし誰に気づいてもらえなかったとしても、それはそれでいいと思った。
自分が蒔いたどんぐりがもしそのまま残ってしまったとしても、そのうちのどれか一つでも芽吹いてくれたらまたどんぐりの木は森の中で再生してくれる。
だからいい。それでもいい。
キョーコはそう考えた。
時ほぼ同じ頃、クオンは冬眠から目覚めた。
ちょうどキョーコが森の中で白い息を弾ませ始めた頃だろうか。
いや違った。正確に言うと、もう少し以前からクオンは目覚めていて、そんな状態でずっと横たわっていた。
漂う空気の冷たさに
まだ今が冬の最中であることを感じ取っていたクオンは、横になったまま微動だにせず、ひとり泣きたい気分になっていた。
この冬を超えることが出来たら、元の姿に戻ることが出来たはずなのに。
クオンの脳裏で秋の光景が甦った。
実りなき秋の厳しさはまるで、自分の罪がまだ払われていないことを暗示しているかのようだった。
これだけの食料で本当に冬を超えることが出来るのだろうか・・・。
不安に駆られて眠りについたクオンのそれは、見事に的中していた。
まさか、こんな時期にもう目覚めてしまうとは。こんなことはクマの姿にされて初めて味わうことだった。
一般的に知られていないが、冬眠中とはいえクマの眠りはとても浅いものだ。だからちょっとした刺激で目が醒めてしまうことが割と良くあるという。
例えば、クマの巣に人が近づき過ぎた時などがそれに当たり、冬眠しているはずのクマが冬山に姿を現すことがあるのは実はそういうことらしい。
けれどクオンの目覚めはそれとは事情が異なった。
山奥ではない地で冬眠をするのは、自分はクマではない、というせめてもの意思表示。だから人の気配が近づいてくるのは割と頻繁にあって、冬眠中にふと目覚めてしまうことは過去に何度も経験していた。
だが、いまは人の気配を感じて目覚めたのでは決してなかった。
森の精の話では、秋の実りが十分得られなかったクマは、空腹に耐えられず冬眠中に目覚めてしまうことがあるらしい。
そう、まるで今の自分のように。
クオンは両目をきつく結んだ。
心が弱っていた。
これが
これが本当の罰ってことじゃないのか。そんなことをグルグル、グルグル考えていた。
これが自分に与えられた本当の罰ではないのか・・・と。
クマザサの上で寝返りを打ちながら、クオンの思考は暗かった。
仲間だったリックを死なせてしまった罪の償いとして、妖精王子の位を剥奪されてクマの姿にされたのはもう10年も前のこと。
その償いは今年の春に解かれるはずだった。
これでようやくリックの墓参りに行くことが出来る。
自分の口でちゃんと謝ることが出来る。
クオンはその日が来るのを心待ちにしていた。
やっと、やっとその日がやってくるのだと信じていた。
しかし、秋口に大量発生したナラ枯れを前にして、クオンの心は泥沼の中に沈んだ。
ナラ枯れとは、ナラ、シイ、カシ、ドングリなどの木が枯れる被害のことである。
コナラなどのブナ科の樹木が集団的に枯れる現象のことを指すのだが、ナラ枯れの正式名称はブナ科樹木萎凋病と言い、体長5ミリほどのカシノナガキクイムシが媒介する「ナラ菌」が原因で起こる現象のことである。
カシノナガキクイムシとは、ナラやカシ、シイなどの中でナラ菌を増やし、その菌を食べて一生を過ごす虫のことだ。
木に入った雄がフェロモンで雌や仲間を呼び寄せ、繁殖行動を繰り返すことで多数の成虫が入り込み、ナラ菌が蔓延して木が枯死してゆく。
カシノナガキクイムシは木が枯れると別の木に移動して延々それを繰り返すため、辺り一帯の木々が徐々に蝕まれてゆくのが特徴である。
この現象は梅雨が終わった辺りから急速に増え始め、9月~越冬期にかけて木が枯れ始めるため、遠目には季節外れの紅葉のようにしか見えないのだが、放置しても自然に被害は終息しないため、森林病害虫等駆除法で駆除すべき害虫に指定されていた。
放置したままでは森全体の木々が失われてしまうことになるのだ。
今年はこの被害が甚大だった。クマにされて初めて目にする光景だった。
秋の森がこんな状態で、自分は本当に何事もなく冬を超えることが出来るだろうか。本当に自分は春を迎えることが出来るのか、とクオンは不安を抱いた。
なんて皮肉なことだろう。これが最後の秋だというのに。
だが、いまこうなって強く思うのだ。
本当は、これこそが自分に与えられた罰なのではないだろうか、と。
神には自分を許す気など無かったのではないだろうか。
クマの姿にしたのは序の口というヤツで、本当に与えられた自分への罰は、クマの姿のまま自分が果てることなのではないだろうか、と。
だとしたら抗うのは無駄というものだろう。
そもそも今は真冬で、たとえ外に出たとしても食べられるものなどないだろう。
それだけじゃない。
いま不用意に動き出せば人に見つかる可能性も高くなる。それは危険だ。
なぜなら人は、クマだというただそれだけで迷わず銃を向けるから。
殺されて死ぬか
飢えて死ぬか
いまその選択を迫られている。そんな気がした。
「 ・・・・・・優しい出会いもあったけど 」
あれはクマにされて間もなかった頃のことだ。
横たわったままのクオンの脳裏にかつてのキョーコの姿が浮かんだ。
あの頃はクマになりたてだったから、ほんの少しだけ力を使う余力があった。
彼女とは秋まで一緒に過ごしたあと、自分の事をきれいさっぱり忘れるようあの子に魔法をかけたのだ。
「 楽しかったな。一緒にどんぐりを拾ったりして・・・。美味しい?って聞いて来るあの子の瞳がとても綺麗で・・・ 」
記憶を封印したのは
クマの身である自分を守るためでもあったし
彼女の心を守るためでもあった。
いや、でも本当は自分のためだったのかも。
いつか罪が浄化され、元の姿に戻ったとき
もう一度あの子と出会いたいと思っていたから。
『 ねぇ、どうしてクオンは言葉を話せるの? 』
『 本当は妖精だから 』
『 えー、妖精?!本当は妖精さんなのぉ?素敵!ワクワクしちゃう♪じゃあワンちゃんの姿は仮の姿ってこと?! 』
『 ・・・・ワンじゃないってば。でも、まぁ、そう。そういうこと 』
クマの姿になったのは罪を犯した罰だから、なんて
本当の事は言えなかった。
あのキラキラ輝く瞳の前で
自分の罪を告白する勇気はとてもじゃないけど持てなかった。
だって、もう一度出会いたい。強くそう思ったから・・・・・。
いつか、本当の自分の姿で。
それも、もう無理そうだけれど。
殺されて死ぬか。
飢えて死ぬか。
どちらかを選択する自由がもし今の自分にあるのだとしたら
何とか飢えを凌ぎ、最期の春を迎えたい、とクオンは思った。何とか堪えて元の姿に戻りたいと。
そうなるためにはいま動かなければ。
クオンはだるい体を持ち上げた。
瞬間、微かに周囲の空気が動いた気がした。
恐ろしいことに人の気配が近づいてきている気がする。
飢えて死ぬなんて冗談じゃないと思った矢先のこれは、やはり自分の罰はクマのまま死ぬことかもしれないと再び思った。
だが、それ以上に思うのは、殺されて死ぬなんてまっぴらだということ。
・・・・・ごめんな、リック。
お前を死なせてしまったのは俺だけど
ちゃんと謝りに行くから、もう少しだけ俺の死は待って欲しい。
許してくれなくてもいいから。
ちゃんと墓参りに行くから。
絶対、お前に謝罪しに行くから。
どうか、もう少しだけ・・・・・・。
クオンはゆっくり、ゆっくり
外の空気に触れて行った。
目に映る景色は予想通り冬のそれで、雪ばかりが見える視界の中で、クオンの目にやがて人の後姿が映った。
心がすっと冷えた気がした。
クオンは息を凝らした。
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メルヘン?
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