自由 | 「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

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こんばんは。

「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。

「勇気はいかに回復されるのか」

第一章は失われた勇気

第二章は勇気とは何か

前回は失敗と困難と勇気について。

今回は、自由

「新しく自由によって勇気づけられるかもしれない。

~(中略)~

彼(女)らは、自分の勇気を保持し、自立は彼(女)らにとって困難と失敗の危険ではなく、達成し貢献するための機会がより開かれていることを意味する。」


大人になるにしたがって自由は増していくわけだけれども、それを自分にとってはチャンスだ!と思えるかどうか。

そしてもしその自由が自分についてだけの達成のために使われ続けるというのはまた違う。

そこには貢献に対する達成というところにつながっていくことが建設的な自由。

自分自身、大人になるにしたがって自分が自由にできることが増えていき、不安よりも楽しみのほうが多かった。

その点では、勇気を持っていたといえる。

ただ、そこに「貢献」という視点があったかというと、それこそアドラー心理学を学ぶまではそういう視点はなかった気がする。

とりあえずは自分が楽しくあればいいし、自分がやりたいことをやっておけばいいという視点だった。

しかし、働いていくにしたがって、そういう視点も少しずつではあるけれど、もっていたとも思う。

働くということと貢献ということのつながりはしっかりとあると思うので。

一方、対比になる表現があるので、その部分も引用。

「もしも誰かが子どもに必要なことをするように強いるためにいつもいれば、それを成し遂げることができる。

(しかし)一人にされるとためらい失敗する。

このような子どもは隷属にはよく準備されているだろうが、自由が与えられるとどうしていいかわからないのである。」

ざっくり言ってしまえば、大人がなんだかんだ口出しをしていると、一応その目的は達成されるものの、1人ではできなくなってしまう。

そういう子どもは、言われたことはちゃんとやるが、自分で考えて行動しろと言われるとどうしたらいいかわからなくなってしまう。

過干渉、過保護、スパルタ、賞罰教育の結果がここにたどり着くのだと思う。


フリースクールをスタートして、最初に気が付いたこと。

それは、

いちいち聞かなくてもいいような内容のことまで子どもたちが許可を求めてくる、

ということ。

もちろん初めての場所はそうであったほうがいいとは思う。

しかし、自分で考えてやるべきことを、いちいち許可を求めてくるということは、まさに隷属の仕方をきちんと分かっているということだとここを読んで思った。

ということで、子どもたちと関わる中で、どういう方向性をもった関わり方をしたらいいかというと、こういうことになる。

自分で自由にやりたい!と思えるように。

自由にやることが、楽しいことだ!と思えるように。

まずはそこかな。そして、その次の段階が貢献かなと思う。

そして、最低限のルールを確認したのちに、

自由にしていいよ!

と言ったにもかかわらず、何をしたいのかわからない状態である場合は、勇気を失っているという判断でいいのかもしれない。

大学を卒業して、就活で困る学生たちは、まさに勇気をくじかれている状態なのかもしれない。

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勇気はいかに回復されるのか―アドラー・アンソロジー/アルフレッド アドラー