いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう! -6ページ目

いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう!

ヒトは地球上の生命体のひとつ。そんな何でもないようなことを理解するだけで、日常生活がストレスなく快適に過ごせるんです。
体験談をふんだんに盛り込んだ、面白く役に立つ自然志向の話の引き出しを開けてみませんか? 色んなコトが見えてきますよ♪

■自然界はバランスがキホン、良いこともあれば弊害もある

 

ケータイは本当に便利がいいものです。

とにかく思い立ったらすぐにアクセス、話したいときに会話ができ伝言メールも思いのまま、記録が残るので後々確認もできるしリアルタイムに写真だって送れる。

 

メモっていた時刻表はカメラでカシャッ♪ 好きな音楽まで聞ける上、迷子になってもGPSで定点を所在確認…。

 

今さらながらメッチャ便利な現代文明の利器ケータイですが、思わぬ弊害もあったりします。

 

ご存知の通り自然界は食物連鎖を含め生態系のバランスで成り立っていますよね。

何も食の見地だけのバランスではありません。

ケータイはヒト自体の生態系を壊しているんです。

 

■ケータイでヒトが失った代償とは

 

その昔、といってもケータイ普及前の事例で追ってみましょう。

 

「外出先で相手に連絡を取る」方法です。

ケータイのない時代に相手に連絡を取るとなれば公衆電話ですね。

 

公衆電話で連絡をとるときのヒトの行動は、

・10円玉を用意する

・10円玉がなければタバコやジュースの釣銭で用立てる

・公衆電話を探す

・公衆電話の場所を記憶で辿る

・公衆電話の場所を人に聞く

・公衆電話を並んで待つ

・電話番号の記憶をたどる

・電話帳で番号を探す

・電話番号をメモる

・待っている人がいるので早めに済ます

・要点を絞って要件を済ます

・待ってた人に一礼する

 

ざっと思い浮かべるだけでもケータイのない時代に外出先から電話をするには、これだけの労力と頭を使う行動をしていたわけです。

 

探す、歩く、工夫する、計画する、書く、気を遣う、要約する、礼をする…etc

 

手のひらにも満たない小さな画面上で指先ひとつですべてが叶うメリットの大きい時代の利器ケータイ電話ですが、

失ったモノも大きいのです。

 

ヒト自体の生態系は、人が変えているんですね。

 

 

 

 

 

■そもそもヒトは物々交換からはじまった

 

その昔、まだ貨幣のない時代は、労働の対価やお礼はモノでした。

 

米をあげるから野菜を替わりに、大工を手伝えば酒や宴の振る舞いで。

そのうち、モノと相応のお金、労働と相応の報酬となり、

現代では、お金がお金を生んだり、期限の利益つまり時間とお金が交換されています。

 

そんななか、世間を賑わせる贈収賄事件。

時代劇では悪代官と越後屋のからみ、現代ではかの有名なロッキード事件やそこいらの袖の下事件はザラ、つまりお金と職権が交換されるようになっていますよね。

談合事件だって日常茶飯事です。

 

でもそんな賄賂・談合にまつわる事件はいつになっても終わりません。

表に出ないものも無限にあるでしょう。

 

ではなぜ賄賂・談合が止まらないのでしょう?

 

答えはカンタンです。それはヒトにとって自然な資質だからです。

ヒトに助けてもらったらお礼をする、モノをもらってもお礼をする、仕事をしてもらったら対価というお礼をする。

仕事の対価は報酬であってお礼ではないなんて言われそうですが、根本は同じことです。

 

賄賂・談合はお礼という約束を先にもらって仕事をするわけですが、やはり根本は同じです。

もちろん職権が絡みますから、仕事をできる人は限られます。

 

しかしよくよく考えると、あらゆる人があらゆる仕事をできるわけでもなく、やはりある意味「得意な分野」しかできません。

 

職権を持っているヒトは、持つべく努力をして、その立場を獲得しています。

もちろんどんな仕事にも「成せる業」があるように、その仕事をして対価を獲得しているんです。

 

こんな話をすると「でも悪いものは悪い」なんてことになるでしょう。

その「悪い」というのは社会ルールとして後から決めたものなんですね。

 

社会ルールに反すると、やはり社会ルールで決められた罰則を与えられます。

それも後から決めたものですが、ルールがある以上従わざるを得ないでしょう。

 

ここでしっかり切り分けて考えてみて下さい。

良し悪しではなく「社会ルール」と「自然の成り行き」は別物です。

 

賄賂や談合がなくならないのは、その行動がヒトにとって自然だからです。

もちろん自然破壊が好きな人間様は、社会ルールというツールを持ってその自然な行動を排除していきますが。

 

社会ルールに厳しい輩にひとつ聞いてみたいですね。

 

あなたは、30km/hの道路を30km/hで走行していますか?

 

ばれなければいいとは言いませんが、社会ルールにも取りこぼしは沢山あるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

■ヒトの周りは自然だらけ

 

唐突ですが、じつは誰もが常時自然の中に居るんです。

 

ホントに唐突で少々ビックリな話なんですが、しばし身の回りのキョロキョロ見渡してみて下さい。

 

部屋の中なら、家具・電化製品・壁・床、街に出たならビル・道路・ガードレールに電柱や電線・そしてクルマ…

これらはすべて「自然素材」なんです。

 

すでにご存知とは思われますが、鉄は鉄鉱石を焼いて溶かして買加工したもの、プラスチックは石油を熱して成型したもの、アクセサリーのほとんどは自然石を採掘し加工したもの、電気は自然エネルギーを変換したもの、時計のクォーツやPCの半導体もすべて自然石と水晶発振などといった自然現象を応用加工したもの…

 

何も木工製品や有機無農薬野菜ばかりが自然素材ではありません。

自然といえば海・草原・山・川・森林・土そして雨や風、太陽に月や星を思い浮かべることでしょう。

 

本当はそれだけではありません。

じつはこの世のすべてのものが自然素材なんです。

その自然素材をやはり自然素材の熱や光や化学反応で加工・応用し、ヒトが使いやすく応用しただけなんですね

 

もちろん物理・科学・化学的には素材の状態からかけ離れてしまったものもあるでしょうし、全然別なものになったモノもあるでしょう。

 

それでも根本は「自然のモノ」に変わりはありません。

 

私にとっては、滝巡りも自然散策も街を歩いてもドライブ渋滞に遭ってもTVを見ていても、いつも自然を満喫している状態なんです。

 

慌てて緑や水辺を探し求めて時間のロスと事件事故の危険を冒してまで出かける必要はありません。

 

ヒトはいつも自然に囲まれているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然志向

■ヒトの引越しが生態系を壊している

生態系を壊すという観点からわかりやすい事象が「生物の移動・定住」です。
 

なかでも身近でわかりやすい「生物の移動・定住」がじつは「ヒトの引越し」です。

 

就職・進学・転勤・結婚・介護・逃亡?…さまざまな理由で衣食住の拠点を移動することが引越しですよね。

また多くのヒトはこの引越しを経験していることと思います。

 

ここでこのテーマ前回のその1で例としてあげたメダカの例では、

「掬ってきたメダカはその川に戻そう」でした。

つまり生まれ育った環境で培われたメダカの生態は、違う場所ではその生態系を脅かすというわけです。

 

ヒトは自然の一部、ひとかけらです。メダカだって生物ですから自然の一部、つまりヒトと分類が違うだけで自然界の一部に変わりはありません。

 

メダカは違う川に放流するだけで「生態系が変わるからダメ」なんて、どこから調べてきたのかもっともな理屈を主張する輩がほとんどです。

 

ではその輩ご自身は引越しをしたことがないのでしょうか?

生まれ育った環境から育まれた自身の生態を別の地域で拡散させたことはないでしょうか?

 

感情の起伏の激しい活発な地域から、のどかな田舎に定住して自給自足だベジタリアンだと悦に浸りながら自ら生態系を壊しておいて「生態系を守ろう!」なんて、支離滅裂な青年の主張を唱えているヒトは…??

 

ヒトってホント、頭でっかちで身勝手なものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自然志向

■生態系のバランスは毎日毎時常に変わっている

 

よく「生態系を壊す」なんてもっともな大義名分で、たとえば生物界であれば外来種の扱いや絶滅危惧種の保護などが叫ばれていますよね。 

 

具体的には、「夜店の金魚をむやみに放流するな」、「掬ってきたメダカはその川に返せ」なんて、なるほどごもっとも。

 

生態系が壊れるとさまざまに保たれていたバランスが崩れ、自然界の秩序・不文律が保たれなくなり、ひいては崩壊・絶滅してしまうというわけです。

 

ではそのバランスとはいったい何なんでしょう?

バランスが変わってはいけないのでしょうか?

 

そんなことはありません。地球は誕生のその瞬間から毎日毎時毎秒変化しているんです。

ヒトで例えれば皮膚ですね、パッと見変化は無いようですが瞬間瞬間で皮膚細胞は変化しています。

これが久しぶりの相手だと「変わったねえ~」なんてことになりますが、毎日見ているとその微妙な変化がわかり難いだけ、時を空けて変化分をまとめてみるから「変わったねえ~」なんですね。

地球上の自然界のひとかけらであるヒトのカラダでさえ、毎日変化しバランスが変わっているんです。

 

このように生態系のバランスは「バランスが保たれている」のでなく、ヒトにとって「変わらない方が気持ちが落ち着く」つまり安心できるということなんですね。

 

近所に引っ越してきたファミリー、何やら気になる新入社員に転校生…、メンタル面を含めて自分のテリトリーに変化があると、気になりませんか?

 

こうして目に見えてバランスが変化する要因が迫ってくると安心感が揺らぐので、まずは要警戒というわけです。

 

いかがですか? じつは身近な生態系の崩壊、次回はもっとわかりやすい例をあげてみましょう。