いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう! -5ページ目

いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう!

ヒトは地球上の生命体のひとつ。そんな何でもないようなことを理解するだけで、日常生活がストレスなく快適に過ごせるんです。
体験談をふんだんに盛り込んだ、面白く役に立つ自然志向の話の引き出しを開けてみませんか? 色んなコトが見えてきますよ♪

■初対面の緊張感はやはり動物の本能

人付き合いが苦手、人見知り、ひとりが好きなんて人はあながち「自分がどう見られるのか」を気にする人が多いものです。

ヒトは自分のことで精いっぱい、そんなにあなたのことなんてみていません。

 

ヒトとヒトが初めて会う時は誰しも同じ、まず間違いないのは会う前から気が合う・相性がいいなんて人はいないでしょう。

まだ会っていないのですから当然なんですが。

 

基本的にヒトを含む動物の場合、初めて会う相手は「仲間」ではなく外的なわけです。

そこにはどんな相手なのかを見極めるため、緊張感とある意味防衛・攻撃本能が芽生えます。

 

とくにヒトの場合、相手の表情からも相性を読み取ります。

よく第一印象や直感などと言われますが、要するに動物の感が機能しているんですね。

 

■第一印象が正解なのは動物の感が優れているから

いろんなモノを選ぶとき、直感でこれいいなと思うことがありますよね。その後も色々と物色するわけですが、結局はじめにいいなと思ったモノにたどり着く事がありませんか?

 

また、第2第3の候補を選んだ時も後々「やっぱりあれが良かった」なんてことありませんか?

 

モノに限らずヒトにあった瞬間からビビッときた、なんだか波長が合う、安心できるヒトいませんか?

恋愛に限らずヒトと初めて接した時に感じる第一印象こそ、あらゆる外敵から身を守るための仲間の獲得、つまり安心感=出会いの満足感を得られる自然界のひとつであるヒトとしての野生=自然の本能なんですね。

 

本来ヒトにはそんな本能が備わっているんですが、社会生活の中でさまざまに制約を受け洗脳されてわからなくなっているんです。

 

■笑顔に勝る武器はない

さてヒトと会うのが苦手なヒト、営業職なのに初対面の接触が苦手なヒトに実践して欲しいのは「笑顔」です。

 

ヒトは笑顔を見るとほっと安心するものです。安心できれば後の会話もスムーズ、コミュニケーションもバッチリです。

 

相手の笑顔を勝ち取るには、まずは自分が心を開き笑顔になること。

その為には笑顔になる為の会話が必要ですよね。

まずは共有できる話題を探しましょう。

 

時事のニュース、時節の話題や今日の天気、個人宅を訪ねるなら玄関先の緑や花をネタにするのもいいでしょう。

 

そしてまずは自ら笑顔、話の共通項が見つかれば相手も話に興味を持つでしょう。

さらに相手から笑顔が返ってくれば、すでに心の扉は開いています。

 

笑顔になると歯が見えますよね。

コミュニケーションの第一歩は笑顔から、個人間でも営業でも同じです。

まずは相手の白い歯をめざしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

■身の回りを固めて勝ち取る闘争本能

シャネルにヴィトンにグッチ、よく「ブロンドが歩いてる」なんて言われるほどブランド好きのヒトに出くわします。

 

ロレックスにロンジン・タグフォイヤー、男女年齢に関係なくブランドを身に着けているヒトは必ず1アイテムでは収まりません。

 

頭の先からつま先まで、さまざまなコーデのパーツは何かしらブランドで固められていきます。

 

しかもブランドを身に着けているヒトはどこかに優越感を持っています。

なぜヒトはブランド品を持つことで優越感を自覚できるのでしょう?

 

そう、ブランド品で自分の格付けを維持しているわけです。

 

ヒトは自然界の生物界の動物の種に属します。

種の保存を思えば自然に備わった「敵に勝つ」という闘争本能、そして勝つことが生き残りへの糧となるんです。

 

ブランドを持つことで、プライドと優越感が高まり、引いては俗世間つまり「敵より優位に立つ」ということになる訳ですね。

 

ヒトは脳が大きい分、余分なことまで頭で考えてしまいます。

本来、身をもって肉体的に戦い敵に勝つという自然の本能が、ブランドを身に着けることで→自慢できる=羨まれる→優位に立つ=勝つということになるわけです。

 

■クルマ自慢で悦に浸れる男のプライド

こと男性はなぜかクルマが好きな人が多いですよね。

 

そしてクルマにも強い入れ込みがあるようで、「憧れのクルマ」にひとつやふたつは誰にでもあるようです。

 

かくして崖っぷちローンで手に入れた憧れまたはそれに近いクルマを後生大事に撫でまわし自慢します。

 

「凄い!」「いいクルマですね~」と聞けばもう嬉しくて有頂天。

「イイでしょこのクルマ、とくに…」クルマ自慢に花が咲きます。

 

ただそのクルマ、作ったのはメーカーであって、自慢してる当人はそれを購入しただけなんですけどね。

 

いやはや、ヒトって単純明快、平和な世の中ですね。

 

 

 

 

 

 

 

■源平合戦で四国へ逃げ込んだ平家残党の知恵?

 

仕事柄中四国のあちこちを徘徊していていると、さまざまな不思議に出会います。

それが、風景やら人物・建物である場合が多いのですが、とくに引っかかったのは地名なんです。

 

地名の由来をひも解けば、とくに地形や環境からくるものたとえば林・入江・御崎・川越・大浜…などあげればきりがないのですが、それはともかく今回あげるのは、「瀬戸内海をはさんで中四国双方、つまり南北に同じ地名がある」という不思議です。

 

広島県の西条に愛媛県の西条、岡山県の高松に香川県の高松、兵庫県の白鳥に香川県の白鳥、兵庫県の三木に香川県の三木。

 

それぞれ伊予西条・備中高松などと同名地との区分けをしたり、白鳥は「しろとり」「しらとり」と読み方を違えたりしてはいますが、

なんといっても不思議なのは、それぞれの同地名が本州側から瀬戸内海をはさんで南下した地域に存在すること。

 

そう、まるで瀬戸内海を鏡に見立てた「ミラー地域」のように存在しているんです。

 

詳しく地名の由来を探っていけば何だかんだとWiKiされているようですが、それはそれでまた諸説のひとつ。

 

思うにこれは「戦いに敗れ四国に逃げ込んだ平家の落人が本州と同じ地名をつけ源氏の追手を混乱(撹乱)させた」のではという私説ですが、いかがでしょう?

 

これについて解説された文献やサイトは今の所見受けられないので、まだまだ「この世の不思議」のひとつなんです。

 

ご存知の方、また新説異説ある方、コメントをお待ちしています。

 

 

 

 

 


■天変地異や気象変化の激しい地域はヒトも活発

 

台風や地震、火山や大雨、大雪に荒波…海に囲まれた島国日本では、さまざまな自然の猛威が直撃します。

 

近年でも突然の火山活動や地震による土砂崩れや大雨にともなう洪水、堤防の決壊、台風被害、津波…。

 

こうした自然の猛威には、そのごく一部の存在でしかないヒトはどうすることもできません。

ヒトとして最大限の予見・対策・防御をした所で、その無慈悲な圧倒的パワーには勝てません。

ただただ自然の成り行きに身をゆだねるしかないんです。

 

こうした自然環境の中、人の動きや性格もその環境に順応してきます。

 

■気象と気性は比例する

 

島国日本は南北に長い地形、陸地では中央部分にやはり筋のように山脈が縦断し、山脈が途切れた部分には広大な盆地、山脈や盆地の筋を境に南北の海へとすそ野から平野が広がります。

 

場所によっては断崖絶壁からいきなり海へと切り立ったリアス式海岸が続く地域、長い砂浜海岸が続き地域もあります。

 

こうした地形のあちこちにその地形や気象に順応しながら、ときには自然の猛威と戦いながらヒトが住んでいます。

 

ここで往々にしていえるのは、天変地異や気象変化の激しい地域に住む人々は動きや生活もそれに順応している、つまり活発で元気がイイということです。

 

ヒトは自然の一部ですから、自然環境に順応するのは当たり前といえばそれまでですが、あらためて思い返せばナルホドと納得できること、あなたの周りでありませんか?

 

青森のねぶたに博多のどんたく、九州男児に薩摩おごじょ、日の国熊本女性のパンチのきいた生きざま、黒潮漁師町の豪快なもてなしに活きのイイ気性。

 

芸能人やスポーツ選手、著名有名人を多数輩出する地域は、やはり地震カミナリ火事オヤジとまでは言いませんが、地震・火山・台風・極寒積雪・日本海の荒波・太平洋の黒潮…、自然の猛威はある意味ヒトの元気の源なのかもしれません。

 

その点穏やかな我が瀬戸内地域では、のんびりゆったり。

何かで目立つと妙に突出したり足を引っ張られて丸め込まれたり。

 

自然の摂理って、やっぱり凄いですね~。

 

イルミ

■イルミネーション・光のオブジェは瞬間和ませるが果たして

 

LEDの普及で今やあちこちにイルミネーションが散りばめられていますが、なかには「ええっ! それはないでしょ」なんて光のオブジェがありますよね。

 

とかく人は「光のある所」に集まるのが好きです。

と同時に、人の集まっている場所に興味を持つものです。

 

それだけ集団行動で安心感、徒党を組むことで連帯感を持ち、共鳴することでヒトとしてのさらなる自覚を感じているのでしょうか。

 

年末・クリスマスシーズンの光のオブジェやさまざまなイルミネーションはもはや流行のように次から次へと連鎖、しまいには何から何まで「光ればいい」のごとき風潮です。

 

スイッチ一つで点灯し瞬間どよめきを発するほどの感動モノのイルミや、木枯らし吹く街の一角にホッと気持ちを和ませるキラキラは、やはり何とも心地いいモノでもありますよね。

 

そんなイルミや光のオブジェもあまりにやり過ぎると、そんなことでしか感動を見いだせないヒトの浅知恵に、なんだか虚しくなってきませんか?

 

例えばこのページのイメージに使ってる樹木に散りばめたイルミ。

何でしょうこれは、そこらかまわず木々にLEDを散りばめただけの工夫のないイルミの典型。

こうなると美しさも何もありません、ただただ景観を損ねるだけ。

 

■省エネやエコの問題ではなく不自然さに着目

 

「いいじゃない、きれいなら」って声が聞こえてきそうですよね。

 

イルミ点灯場所の昼間の仕掛けを見たことがあるでしょう。

樹木やオブジェに巻きつけた透明ホース状のLEDが、不自然に木々の葉の光合成を奪い、ただ夜の一瞬のためだけに骨組みとなって利用されているその様を。

 

静粛な闇夜の中、かすかな明かりに照らされて何百年の時を耐え抜いてきた威厳ある寺の境内に、チャラチャラと並べられたカラフルな光のパラソルや、三大名園の庭に不自然に配置された色とりどりの丸い光の玉。

 

幻想庭園だ桃源郷だと銘打たれ、通常の閉園時間を延長してまで休む暇なく酷使される名園の草木や遊歩道の土・風・空気…。

すべてはヒトの都合・思い付きからくるひと時の不自然なイベントです。

 

自然志向

 

ごく最近でも後継者がいないからと山の文字焼きをLEDにするとかなんとかの若い発想に異を唱える伝統継承の人たち。

炎で文字を灯すことの重みを顧みずただただ灯ればいいとLEDでの疑似光に置き換えるなんて浅はかな発想。

 

後継者がいないなら、伝統を支える次世代が育てられないなら、さまざまな事情があるとはいえ、その地域はそうした地域なんです。

過疎地の如く淘汰されていくのも、これまた自然の成り行きです。

 

不自然なモノに心を動かされることの浅はかさを知りましょう。

電気仕掛けは一時のイベント、自然美の奥深さを知りましょう。