■源平合戦で四国へ逃げ込んだ平家残党の知恵?
仕事柄中四国のあちこちを徘徊していていると、さまざまな不思議に出会います。
それが、風景やら人物・建物である場合が多いのですが、とくに引っかかったのは地名なんです。
地名の由来をひも解けば、とくに地形や環境からくるものたとえば林・入江・御崎・川越・大浜…などあげればきりがないのですが、それはともかく今回あげるのは、「瀬戸内海をはさんで中四国双方、つまり南北に同じ地名がある」という不思議です。
広島県の西条に愛媛県の西条、岡山県の高松に香川県の高松、兵庫県の白鳥に香川県の白鳥、兵庫県の三木に香川県の三木。
それぞれ伊予西条・備中高松などと同名地との区分けをしたり、白鳥は「しろとり」「しらとり」と読み方を違えたりしてはいますが、
なんといっても不思議なのは、それぞれの同地名が本州側から瀬戸内海をはさんで南下した地域に存在すること。
そう、まるで瀬戸内海を鏡に見立てた「ミラー地域」のように存在しているんです。
詳しく地名の由来を探っていけば何だかんだとWiKiされているようですが、それはそれでまた諸説のひとつ。
思うにこれは「戦いに敗れ四国に逃げ込んだ平家の落人が本州と同じ地名をつけ源氏の追手を混乱(撹乱)させた」のではという私説ですが、いかがでしょう?
これについて解説された文献やサイトは今の所見受けられないので、まだまだ「この世の不思議」のひとつなんです。
ご存知の方、また新説異説ある方、コメントをお待ちしています。