賄賂(わいろ)や談合はむしろ自然 社会ルールに無理がある | いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう!

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ヒトは地球上の生命体のひとつ。そんな何でもないようなことを理解するだけで、日常生活がストレスなく快適に過ごせるんです。
体験談をふんだんに盛り込んだ、面白く役に立つ自然志向の話の引き出しを開けてみませんか? 色んなコトが見えてきますよ♪

■そもそもヒトは物々交換からはじまった

 

その昔、まだ貨幣のない時代は、労働の対価やお礼はモノでした。

 

米をあげるから野菜を替わりに、大工を手伝えば酒や宴の振る舞いで。

そのうち、モノと相応のお金、労働と相応の報酬となり、

現代では、お金がお金を生んだり、期限の利益つまり時間とお金が交換されています。

 

そんななか、世間を賑わせる贈収賄事件。

時代劇では悪代官と越後屋のからみ、現代ではかの有名なロッキード事件やそこいらの袖の下事件はザラ、つまりお金と職権が交換されるようになっていますよね。

談合事件だって日常茶飯事です。

 

でもそんな賄賂・談合にまつわる事件はいつになっても終わりません。

表に出ないものも無限にあるでしょう。

 

ではなぜ賄賂・談合が止まらないのでしょう?

 

答えはカンタンです。それはヒトにとって自然な資質だからです。

ヒトに助けてもらったらお礼をする、モノをもらってもお礼をする、仕事をしてもらったら対価というお礼をする。

仕事の対価は報酬であってお礼ではないなんて言われそうですが、根本は同じことです。

 

賄賂・談合はお礼という約束を先にもらって仕事をするわけですが、やはり根本は同じです。

もちろん職権が絡みますから、仕事をできる人は限られます。

 

しかしよくよく考えると、あらゆる人があらゆる仕事をできるわけでもなく、やはりある意味「得意な分野」しかできません。

 

職権を持っているヒトは、持つべく努力をして、その立場を獲得しています。

もちろんどんな仕事にも「成せる業」があるように、その仕事をして対価を獲得しているんです。

 

こんな話をすると「でも悪いものは悪い」なんてことになるでしょう。

その「悪い」というのは社会ルールとして後から決めたものなんですね。

 

社会ルールに反すると、やはり社会ルールで決められた罰則を与えられます。

それも後から決めたものですが、ルールがある以上従わざるを得ないでしょう。

 

ここでしっかり切り分けて考えてみて下さい。

良し悪しではなく「社会ルール」と「自然の成り行き」は別物です。

 

賄賂や談合がなくならないのは、その行動がヒトにとって自然だからです。

もちろん自然破壊が好きな人間様は、社会ルールというツールを持ってその自然な行動を排除していきますが。

 

社会ルールに厳しい輩にひとつ聞いてみたいですね。

 

あなたは、30km/hの道路を30km/hで走行していますか?

 

ばれなければいいとは言いませんが、社会ルールにも取りこぼしは沢山あるんです。