いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう! -3ページ目

いろんなコトが見えてくる♪ 『ハイパーマルチの自然志向』で快適生活をGETしよう!

ヒトは地球上の生命体のひとつ。そんな何でもないようなことを理解するだけで、日常生活がストレスなく快適に過ごせるんです。
体験談をふんだんに盛り込んだ、面白く役に立つ自然志向の話の引き出しを開けてみませんか? 色んなコトが見えてきますよ♪

■ペニオクで化けたら「悪」なのにCMで化けるのはいいの?

 

ペニオクで落札ヤラセをさせられ、一時的に炎上し自粛を余儀なくされた芸能人。

「のど元過ぎれば…」ではないけれど、ようやくメディアにも復活しているようです。

 

事件当時マスコミや世間はこぞって、ヤラセだ騙しだとここぞとばかりに叩きまくり。

「エエ~ッ?!」なんて、ノセられた当人たちも困惑顔でメディア露出もイッキにトーンダウンです。

 

っていうか正確には「やはり関わった芸能人たちはイメージを落とすのでスポンサーに配慮して使わない」ということなのでしょう。

臭いものにはフタという訳ですね。

 

ここでひと言「ちょっと待った~!!」って言いたいのは私だけなのでしょうか?

というのも…

 

■イメージCMは全部作りモノだって!

このペニオク騒動を受けて、何だかな~って考えさせられるのが、

何気なく見てる(否応なく見さされている?)TVCMの数々。

 

へぇ~、深キョンって、メナード化粧品使ってるんだ? しかもスマホはUQモバイルだって?

 

へぇ~、TOKIOって、あれだけ長く芸能生活やってるアイドルなのに、軽1BOXのソリオに乗ってるんだ?

 

へぇ~、広瀬すずって、ベネッセの進研ゼミやってたり、風邪ひいたらコンタックで時々ファイブミニ、愛車はワゴンRなんだ?

 

へぇ~、石田ゆり子って、堤防の上でFIRE飲みながら見知らぬ漁師に「お疲れ様」なんて声かけてるんだ?

 

 

あのね、ペニオクのイメージ戦略もTVCMのイメージ戦略も全部作りモノ、同じことなんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■はじめから「オンリーワン」はあり得ない☆

 

やたら個性だオリジナルだと、なにかと勘違いされてるオンリーワン。

 

「人の意見を聞かない」

「自己主張のみを正当化」

「弱点が個性」

 

こんな風潮が、

解散してしまったものの、SMAPが歌った「♪世界にひとつだけの花」で、

歪曲拡散されてしまっています。

 

♪ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン…

 

圧倒的な知名度と穏やかでノリのいいメロディーと歌詞に乗せられ、

ついつい「なるほど~」なんて共感してしまった人は多いでしょう。

 

さらに「そうだ、自分の考えはオンリーワンでいつも正しいんだ」と、

とくに感化されやすい世代には、よからぬ潜在意識を瞬間植え付けてしまうことに。

 

そしてあげく、何でもかんでも「これが私なんだ」と自己主張…。

 

そもそも、「もともと特別なオンリーワン」なんてあり得ません。

 

人と触れあい、時には共感し時には競争、また時にもまれて多くを学び学習し、

その蓄積とノウハウと自分の考えで、自然に徐々に自己主張を軌道修正していくもの。

 

そしてようやく自分らしさ=個性が見えてくるんです。

 

 

■轍(てつ)を踏まないオンリーワンは独りよがりの自己主張

 

個性とは「やるべきことをひと通り経験して」生まれるもの。

 

人と違ったスタイル、人と違った言動、人と違った…

たんに人と違うことが個性ではありません。

 

はじめから、やるべきこと投げ出した個性の主張は、ただの独りよがり。

 

受け入れられる個性は、それなりの轍(てつ)を踏んだ、

深みのあるものであるべきなんです。

 

ふぅ~♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■芸能人は何でも許される? ないない。

何時の時もニュースを賑わす芸能人の犯罪や事故。

とくに目立つのは大麻や覚せい剤などクスリ関連のニュースです。

 

そこでTV番組にかき集められた、芸能ゴシップのコメンテーターたち。

 

ここでふと耳に触るのが、制裁を終え社会復帰する芸能人へのコメント。

 

「事件の事はどこへやら、結局芸能界に復帰できる」

「芸能人は何をやっても許される」

「親の七光りでなんとかしのいだ」

 

なんて誰でも言いそうな一遍通りの他愛もないコメント群。

 

あげく

「サラリーマンならそうはいかない」

「我々一般人なら社会から抹殺される」

 

芸能人のニュースを語るはずが、

社会でのしくみも立ち位置も違うサラリーマンのことを例にあげること自体全く無意味。

 

しかもTVというマスメディアで、

少なからず発言が社会に影響を及ぼすコメントをしてる立場にある輩たちが、

「我々一般人…」はないでしょ。

 

芸能人でも罪を犯せば罰せられ裁かれ、それなりの境遇に追いやられます。

サラリーマンでも同じです。

 

何を差別化したいのかわかりませんが、なんだか的を得ないコメントにザ・ン・ネ・ン。

 

■コメンテーターの資質に着目!

 

じつはこんな意味不明なコメントは日常茶飯事。

 

識者と思しきゲストを招いたニュース番組で好き勝手に語るコメントの内容に着目しましょう。

 

日本のニュースの話題の中で、

「私もニューヨークに居ましたけれど、アメリカでは…」

「ドイツでは…」

 

ここは日本です。

的を得ない無価値なコメントは例え話にもならず。

 

何だかな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■とてもかわいいとは言いづらい形相でもカワイイ!って? オイオイ

 

森友学園に加計学園、ミサイルにトランプに横綱の暴力にと、何かと物々しい世の中を癒してくれるのがペット&動物番組。

週末のバラエティ番組では、ペットや生き物を扱う番組が氾濫していますよね。

 

バスケットを開けた途端、生後間もないヨチヨチ歩きの小さな動物たちが登場、

カメラの脇で出演者に合図を送るADたち。

 

幼ければ何でもいいってもんじゃないでしょうが、

出演者やゲストたちは一声に「チョーカワイイ~」、「癒される~」、

 

ま、それはそれでいいでしょう。

番組が成り立たないとスポンサーもつかないですから。

 

問題はその後の演出効果音。

 

■子犬をあやしながら好感度を狙っている久々登場の女優は単なる番宣ツール

 

さてその動物が例えば子犬だとしましょう。

 

バスケットから解放された子犬たちは一声に歩き出します。

ゲストたちはまたもや「わぁ~」、「きゃ~」言いながら、子犬たちと戯れます。

 

今度はオモチャを用意します。

子犬たちはオモチャに夢中、それを見てゲストも夢中、

番組は盛り上がり、ディレクターは喜びます。

 

久しぶりに顔を見せる女優が子犬をあやしています。

「ほう~、まだ頑張ってるじゃないか」

 

感心しているとカメラに見えない部分で、ADが巻いて(時間を気にする)います。

すると久々の女優はいきなり子犬をあやすのをやめ、素に戻ります。

 

「12月20日公開の…是非とも見て下さいね☆」

オイオイ、また番宣かよ~、子犬を見せろよ~。

 

ま、それはそれでいいとしましょう。

 

 

■子犬が歩いても「プヨップヨッ」「キュイッキュイッ」なんて音はしない!

 

問題は子犬たちの動作する「音」。

 

歩く度に「プヨッ、プヨッ」、兄弟犬とじゃれあう時には「パシッ、パシッ」、

 

ある程度の効果音は演出効果とわかってはいても、度が過ぎると逆にイラついてくるものです。

 

生活に身近な子犬ならまだしも、クマやカバ、ゾウやウマなど、

怒らせると何をするかわからない危険な動物たちでも、

なんでもかんでも、愛嬌のある視聴者ウケする効果音。

 

そんな動物たちをはじめて見る子どもたちは、一体どんな印象を受けるのでしょう?

 

自然のままの状態を歪曲させてまで視聴率を狙う危険なTV番組に、

倫理委員会は気付いてないのでしょうか?

 

最後にもう一度言っておきます。

 

その子犬の足音、違うだろ~!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■需要と供給はバランスが保たれて成り立つ

「人手不足」、「売り手市場」などと騒がれていますが、よ~く考えてみるとこれっておかしくないですか?

 

そもそも自然界は大きな意味で需要と供給のバランスが保たれることで成り立っていますよね。

 

輪廻転生然り、物々交換然り。

「魚をあげるから肉ちょうだい」、「船を出すからお金ちょうだい」ヒトは古代からヒトなりの価値観で対価を求めてきました。

 

現代では、モノ作りやコトを成す仕事への対価は、報酬つまりお金ということになります。

 

■カタチは違っても対価は同じ

別にお金に限らず、労力を持って対価を払うということでもいいわけです。

 

人手不足とは何でしょう? そう、人手が足りないということですよね。

 

なぜ人手が足りないかといえば、仕事が多いからです。

仕事が多い…、なぜそんなことになるのでしょう?

 

10人のヒトが食っていく(生活する)為には、10人分の対価つまり仕事が必要となります。

それが1000人でも10万人でも同じです。

 

1億人が食っていく為には、1億人分の対価つまり仕事があればいいわけです。

もちろん年金だってどこかの誰かが仕事をしてその対価のストックで生み出しているわけですから、やはり仕事の対価と言えるでしょう。

 

「人手が足りない」は、そんなバランスの悪化、つまり用意する仕事が多すぎるわけです。

 

人手が足りない=仕事が多すぎる=バランスが悪い

という図式が成り立ちそうです。

 

自然界でいえば、バランスが悪くなると生態系を壊します。

 

自然界の一部であるヒトはまさに、仕事という分野で生態系を壊しつつあるわけです。

もちろん生態系が壊れると、どこかに余波が起こります。

 

人手不足は、自然界に警鐘を鳴らしているんですね。