不登校から考える公教育の在り方
先日、不登校の子どもさんを持つ親の当事者団体が、ランチを食べながら話そうという企画をされて、議員も声をかけていただいたので参加させてもらいました。不登校の子どもを持つ親や、支援団体、関係団体、元不登校の青年、議員などが集まっていました。不登校の定義は、年間30日以上欠席している(入院などを除く)子どもを指すそうです。それ以下の日数でも、休みがちで無理やり投稿している人たちもいると思います。吹田市の不登校の数は約800人と言われています。それだけ悩みを抱えた親子がいるのだと思います。もちろん、不登校以外にもいろんな悩みを抱えた親子がいるとは思うのですが。子どもが不登校になったら、ママ友と会話が合わない学校や先生との関わりが減る同じ境遇の親と知り合えないなど、困っているのに、相談する人が身近におらず、孤立を深めていく。昔は、不登校の親の会?といった名前の団体があったのに今はないのかな?全国規模で集いを開いたといった記事も、赤旗でみたりしていたので、大阪などはそういう組織があるものと思っていました。今はLINEやインスタなどで、スマホひとつあればコメントできたり読んで参考にしたり、つながって安心できるという便利な時代になった。また、実際に会って話をしたりすることもあるそうです。不登校ひろばのインスタを見るにはこちらをクリック!Login • InstagramWelcome back to Instagram. Sign in to check out what your friends, family & interests have been capturing & sharing around the world.www.instagram.comただ、そのサイトを開いたら、「子どもが不登校になる家庭にはある共通点が…」といった広告バナーが貼り付けてありました。みんなは行ってるのにうちの子はナゼ?と思う方は多いと思います。だから、不登校を本人や家庭の問題に矮小化したり、悩んでいる人につけ込むようなことが起こっているのではないかと感じました。今の公教育に問題があるよと、警鐘を鳴らしてくれているのが、今の不登校の子どもなのではないかと私は思っています。カナリヤのように。先日のNHKでも、公教育の限界といった表現がされていました。もちろん、親や国が、子どもの教育を受ける権利を保障しないといけないという意味で、今の学校教育を否定するものではありません。でも、理不尽な校則でみんな同じにせよとか、軍隊の名残のような上からの押し付け、自分で考え生徒に決定させるという自治や民主主義がほとんど認められていないとすれば、これまでの学校の在り方から、脱却する必要があるんじゃないでしょうか。私の感覚的なものだけれど。そして、何よりも1クラスの人数が多すぎて、先生も子どもを「管理」しなければ、クラスの秩序を維持できないという根本の問題もよこたわっているのではないでしょうか。先生も大変、親も大変、子どもも大変。自己責任社会のしわ寄せだと思っています。教育と子どもの福祉、人権を、政治の真ん中の課題にすることが大事です。吹田だけでなく、まず国がね。写真は記事と全く関係ありません。コロナで長らく会えなかった義理の母や妹弟に会いに、先月博多まで行ってきました。