月に一冊も本を読まないという人がほとんどという日本。 いやこれは世界的なことだと思います。 蔵 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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月に一冊も本を読まないという人がほとんどという日本。 いやこれは世界的なことだと思います。

蔵書がたぶん30000冊以上はあると思う。

作家の怠慢もあるかもですが、本質は、文字の情報量よりも、動画や写真の情報量が圧倒的だからだと思います。

しかも。

金儲けしか考えないインチキな作家の視点よりも。今生きている世界の人たちの言葉と写真。

ただ。

たまに読む本が、マニュアル本というのは会社の中で生きていくためには、致し方ないとは思いますが。

考える力を養うためには、やはり、言葉です。文字です。文学です。

中学生の頃から本が大好きだった。当時は、こづかいが少なく、月に500円程度ならば、本を一冊か二冊買えばもうこづかいはなくなるのでした。

大学生時代からは、本格的に本を買い始めましたが、ここでも親から仕送りをしてもらう身、月に二万円の仕送りから部屋代の5000円を払い、米とミソとラーメンを買った残りがすべて本代にするしか方法はありません。

というわけで。

働くようになってからは、もう、嬉しくて自分の金で本が好きなだけ買えるわけですから、それはそれは、昼飯を抜きながら本を買ったものです。

読書方の基本は、小林秀雄氏から学んだ、とにかく乱読。

次に、好きな作家を見つけて、全集を読む。帯から、推薦分まで、日記まで、読み込む。

次に、書き込み、線引きなどをしながら、考えながら、心で質問しながら、読む。

三島由紀夫から、学んだのは、「心をまず白紙にして、素直に読み始める」

「立ち読みと、集中力」「大正教養主義のような勉強ではなくて、自分の好きなものの体系の宇宙を作り上げるような読み方」をせよ、と。

例として三島由紀夫作品はかなり映画化されてはいますが、「美しい星」を例にとると、ドストエフスキーを彷彿とさせる原書をまず読んでから、映画を見ることをお勧めします。 隠れた彼の名作かなあ。

本棚に好きな作家の本が少しずつ増えて行くことがなによりの楽しみ。時間がある時に、音楽を聞きながらそれらを大切に読んでいきました。

でも、今考えておりますのは、これだけの本があってももう自分の人生ではすべては読めないということです。もちろん所有する喜びはあるのですが、せっかく、少ない小遣いから貯めたお金で買ったのです、なんとか読みたいと思うが、自分の人生さほど時間が残っておりません。

でも、また考え直すのです。

「右脳」があったと。

あともう本を読む時間がないと言っても、一字一句辞書を引きながら精読するわけではありません。学生の頃は三島由紀夫の豊饒の海なんかは辞書を片手にノートに難しい感じを書き写しながら読みましたが、そのような読み方は脳細胞の若い時にぴったりの読み方です。

しかしながら。

でも今は、「楽しく」読みたいですし、目が悪いので辞書をがんがん引きながらは辛いです。

でも、谷沢栄一先生や司馬遼太郎先生などは、私の蔵書の約10倍ほどの本を持っていた筈ですから、本の読み方のこつがあると、思いました。

おそらく「右脳」が、高齢者の読書法だと思います。

 1 一冊から一つの言葉

 2 インデックスをイメージしながら本を手に取る。

 3  繰り返し手に取る 繰り返し目次を見る 興味のある部分をじっと見る。読むのではなくて見る。図式的に見る。

 4 長年読み続けている作家たちは、普通に繰り返し読む。彼の作品の年表などを頭に入れる。

 5 自分のつけている読書ノートを改めて読み直す。

 6 図式的に考える癖をつける  自分で図式を作る  イメージマップも作る

7 直感と見当を大事にする。

私の本を一冊一冊、くくるのではなくて、ぼんやり、イメージして見ると、まず古典好きと言っても、20世紀19世紀の本が中心です。

たぶん、20世紀の本が、全体の90%をしめるでしょう。古典があっても500冊程度。5%。

しかも原書は500冊程度。ほとんどが、日本語の本です。

だから、イメージで考えれば、私の持っている本など、地球上のありとあらゆる本の中で考えれば、もう砂の一粒みたいなもので、たいしたものではありません。

何かの「縁」があり、私の手元にまわりまわって、来た本だと思えば可愛くもなりますし、精読できなくても、手のひらにのっけて表紙をなでまわしたり、匂いをかいだり、ケネディ大統領が得意だったインデックスだけをじいっと睨んで「見当」をつけることは何歳になっても楽しい行為です。

「見当」をつけて、ピンと感じるものがあれば、またぺらぺら、読んでみます。

そして、おっと思えば深く入ればいいし、違うと思えば、また大切に書架にもどせばいいだけです。

本は友達みたいなものです。

小林秀雄さんは「本がたちあがるまで読み込め」とそんなことを言われたような記憶があります。

立ち上がるというのは、その本の言葉が友人の口から発せられように感じることですね。

そのためには、繰り返し繰り返し、その友人の言葉に耳を傾ける必要がありますね。

このような「繰り返し読む本」と、さきほどの「インデックスで見当をつけて楽しむ本」は、また違う喜びをそれぞれに与えてくれます。

この「右脳」的な本の読み方は、多量の本を持っていたり読んだりすることに興味がある人向きなのかもしれませんね。

「見当」とはまさに人間だけの脳が持っている素晴らしい機能です。

コンピューターやロボットでは、いちいち、すべての行動を計算してから予測しますが、人間の脳は、「直感」とこの「見当」で、いちばん近道の予測をしてしまうのですね。

「仮説」がよく大事だといいますが、仮説などは皆「直感」ではありませんか。<まあ、その仮説を立証しようとして外れることもありますが>

その直感をのばす方法はあるのでしょうかね。

たぶん、私の直感ですが、<直感を科学的に証明しようとする本もありますがここでははずします>それは、自然の中で考えることでしょうね。

それらは昔の時代から世界中の賢者達がやってきたことです。

 司馬さんは、カメラでパチリという感覚で、本を読んでいました。

 1ページ瞬間的に右脳でパチリです。