学生時代。
東神奈川の猿渡のバス停の近くの大家が手作りで作った小さなアパートに住んでいた。
隣に岩手の友達がいて、いつもギターを弾いていた。
ビートルズが大好きで、レコードをガンガンかけて、たまに、私の部屋に遊びにきては、音楽談義。
私は、基本ブルースが好きだったので。あれこれ、議論。
そんな時。
彼がよくかけていたレコード。carry onというフレーズのある曲。
これを使って八ミリ映画も作りました。
映画研究会で褒められた作品でした。
一人の孤独な学生、静岡の友達Mに臨時俳優依頼。彼の親友のOくん。これまた臨時俳優依頼。二人は一人の女子に惚れる。←これまた依頼。みんな友達。
そこにマイルスのsummertimeと、この曲をかけて。
ああ、それから50年。
なんという曲だったか。
探しても見つかりません。
三年探して、当時の大学の音楽に詳しい友達にも聞いたけど、わからず。
それが、見つかりしまた。
Yahoo!知恵袋に私と同じように探してる人がいて、答えあり。
うーん。すごいや。Yahoo知恵袋。
バッドフィンガーというグループの、carryon till tomorrowでした。
YouTubeには、carryonだけでは 出てこないのですね。
とにかく、あの、大学時代の心の病、ビンボーなる自分の生活ではあるものの、八ミリに燃え、漫画を描き、なんとか、自閉から脱出できた頃の時代が鮮やかに蘇りました。
音楽にはそんな力があります。
やっと、心の病から少しずつ友達のおかげで立ち直ったころ。
ゼミナールの江頭先生のところに。遊びに行きました。作家志望の英文学の先生でした。
奥様ともども、我々を歓迎してくれました。
先生は。DHロレンスを研究していました。
ある日、私にいうには。「僕は父が死んだ時に、遺産があったんだけど、もらわないことにしたの」とボツリ。
ジョブスと同じく。
遺産を子供に残したり。もらったり。頑張る意欲を破壊し、ダメにするということね。
金銭にきれいで、文学好きな いい先生だったなあ。
奥様もとことん優しい。子供好きな方。よく、授業が終わると、コーヒーをご馳走してくれました。
私は恩返しもできませんでした。残念。
澁澤龍彦、三島由紀夫、オスカーワイルド、好きな私のことを、「佐藤、お前は好き嫌いがはっきりしているなあ」と。
笑っていました。
コロナの前の年。
奥様から訃報が届きました。泣きました。