傲慢かまして良かですか?
こんにちは『こ』傲慢かまして良かですか?ってフレーズが昔流行りました。知ってます?古過ぎる?自分の主義主張はひょっとしたら傲慢なのかもしれないけれど、発言してもいいですかねー?って、傲慢さの中にも相手にお伺いを立てるというある意味の謙譲の気持ちが見て取れます。自分の傲慢さに気づいているわけですね。でも言いたいし、主張したいし、分かってもらいたいと思うから、ゴメンね。傲慢かもしれないけれど良かったら聴いてもらえますか?ってニュアンスだと私は思います。傲慢の類義語に、高慢・横柄・高飛車・不遜などがありますが、いずれも他者との序列をつけた自分が上で他者が下でっていう意識がうかがえます。異論はあるかもしれないですが、人はどうしてもいかなる場面でも序列をつくるもの。それは日々の星座占いでも見られ、会社のポジションでも見られ、世界における国の幸福度調査でも見られ、あらゆる相対評価の中での自分の立ち位置を鑑みる。だから、私たちは一人では生きていけないし、社会の中で、社会の文脈の中で生きていると言える。悪いことではありません。ある意味、序列があるからこそ、もっと上を目指そうとするもっと高みに行こうとするモチベーションともなる。でも同時に、誰かを押しのけ、踏み台にして、そんなことを多くの人は望んではいない。でも、望んではいないが、望んではいないと意識では意識してはいるものの、無意識のうちに自分の正義や自分の正論と称し、世の中の常識という背景をバックにや、学問や知識というものを拠り所にしてや、自己の体験から得られた体感が全てと思いや、それらを、良かれや善意やアドバイスや役立つやそんな甘言に包み込みながら傲慢かましているってことがある。よくある。ありまくる僕も傲慢かましているし、あなたも傲慢かましているし、誰もが傲慢かましている。(この、誰もが傲慢かましているってこと自体が、私の傲慢ってことなんだけどね)で、その無意識さを意識下におけるかどうか?ってのが実に大切で、意見や発言や想いや願いやそんなものは万人様々なのだから、ある人には受け入れられ、ある人には受け入れられないってのも当然で、だから、傲慢をかます側の責務として、やっぱり僕は、傲慢かまして良かですか?っていう前置き、つまり、あなたの大切な時間を頂いて良いですか?や、あなたの傲慢を否定しませんし、理解しようと努めますが、私の傲慢も聴いて頂けますか?や、私の傲慢さは、あくまでも私の傲慢であって、なんびとに強制するものでもなく、あくまでもご参考までってことなんですってことをいつもいつも付け加えることを怠らないとか、様々な工夫が必要となってきます。そこに気づけたら、自分の傲慢さに気づけずに他者に働きかけ、裏切られたり、避けられたり、スカされたりして、その働きかけが正しいと思い込んでいるから無用に傷ついたり、無用に相手を恨んだり、そんなことは減っていく。特に、相手を悪者にしたり敵対したものとしたりして、いつも誰も自分を分かってはくれないという孤独感からは解放される。そう私は思うのです。傲慢かましましたが、傲慢かまして良かですか?ありがとうございます少し意識してみてくださいね。申し訳ありません私はこの程度の思考回路に過ぎません。あなたの中に無用なストレスを生じさせてしまったことを深くお詫びいたします。この二つ。それだけで良いのだと思うんです。それが、人としての態度や姿勢。そして、在り方だと私は思います。あくまでも!ご参考まで素敵な夜を。本日の生き塾ブログは、エゴ←こちらココロテラスつむらけんじ