西荻窪の隣町である吉祥寺へ、必要品の買い出しへ行った帰り、地元の西荻窪のラーメン屋で遅い昼食をとった。
思えばこれが全ての過ちの始まりであった。
食事を終え、外に出てみれば壮絶な豪雨となっていた。

空から叩きつけられるかのような雨の勢いを前に、ただ茫然と立ち尽くすばかり。
左手には買い物袋。
右手には携帯電話。
無論、傘などはない。
この雨の中を強行突破すれば、全身ずぶ濡れは免れない。
現在位置(駅南口・上り方面寄り)から西荻窪駅を中心に、反対側にある我がサロン(駅北口・下り方面寄り)まで帰らねばならない。
とはいえ、ここからサロンまで傘を買うのも馬鹿らしい距離だ。
しかもサロンに置き傘は大量にある。
ゆえに【傘を買う】という選択肢は最初から存在しない。
では、どうする?
私は多少の被害は覚悟の上で、アーケード等を利用して雨を避けながら帰ることに決めた。
今回選択した帰路がこちらである。
※点線部分は屋根があり、雨を確実に回避できる
まずは西荻窪の駅を目指し、そこからガード下にある西友を目指す。
西荻窪の西友は反対側へと通り抜けられる縦長の構造になっている。
つまり、ここを通れば被害は最小限に抑えられるのだ。
私は覚悟を決め、豪雨の中へ飛び出した。
駅に到着した頃、私は頭からバケツ一杯の水を被ったかの如き惨めな姿へと変貌していた。
告白すると、最初のこの信号を渡った時点でもう終わっていた。
多少の被害などという生易しいレベルではなく、水没と大差なかった。
私の計画は第一歩目で無残にも大失敗に終わったのだった。
駅構内で雨宿りをしている人をかき分けて通る際、彼らの視線が突き刺さる。
「うわぁ・・・」
などと露骨な声も聞こえてきた。
整髪料の溶け込んだ雨水が目に入り、色々な意味で痛い。
なんという屈辱感。なんという敗北感。
私の心は今まさに暗黒面に囚われようとしていた。
だがしかし。
何故かこのとき、小学5年生の頃、公園で夕方まで友人たちと水風船をぶつけ合い、全身水浸しのまま自転車で帰宅した記憶が唐突に蘇ってきたのだった。
どちらも惨めなことに変わりはないのだが、当時は水に濡れることなど厭わずに無邪気に笑い、この楽しい時間がいつまでも続いてほしいとい願いつつも、18:00に流れる【夕べの音楽】で現実に帰り、充実感と一抹の寂しさを胸に抱きながら帰路についたものだ。
※現在は16:30、17:30に流れるようですが、当時は17:00、18:00に流れていました。
あの頃と今では何が違う?
大人になり色々変わったものはあるが、私の本質は何も変わってはいない。
じゃあ、別に雨に濡れたって構わないんじゃないか?
そう思うと先ほどまでの負の感情は雲散霧消し、どこか懐かしく、楽しい気分になってきた。
もはや雨に濡れていない部位など、どこにもない。
いまさら雨を恐れる理由など、どこにあるのだろうか。
私は決めた。雨の中を堂々と歩いて帰ることに。
依然西荻窪の駅構内は、雨宿りの人々でごった返している。
その中から私はひとり豪雨の中へ踏み出した。
その悠然たる足取り、まさに威風堂々。決して走ったり、早歩きもしない。
かのSting氏も歌っているが、紳士は決して走らない。そう、雨が降っても。
雨の中を歩く私の脳内では名曲【Englishman in New York】が流れる。
雨の中の散歩も悪くない、いや、むしろ楽しいではないか。
なぜにこんなに楽しいのだろう・・・?
【雨に濡れたくない・・・】
【雨に濡れたらどうしよう・・・】
これらの心の囚われが今の私には存在しないからだろう。
心の囚われがない状態、それはすなわち本当の自由。
そうだ、私はいま自由なんだ!!
眼鏡の水滴で視界を遮られていたため、二度ほど車に轢かれかけたが、無事帰宅を果たす。
半地下のエントランスがプールになっていたことに気付かず足を踏み入れてしまったが、既にサンダルは水没状態にあったため、さほどの動揺はない。
恐れを知らない人間ほど強いものはいない。
さすがに部屋を濡らすわけにはいかないので、玄関で服を脱ぎ捨てる。
もはや下着まで水没状態だった。
洗濯機から脱水せず取り出したような状態のハーフパンツのポケットから中身を出す。
現れたのは、財布とスマホだった。
革製の財布は雨水を吸い、中の札と共に惨めな姿になっていた。
私は泣いた。