春風ヒロの短編小説劇場 -6ページ目

春風ヒロの短編小説劇場

春風ヒロが執筆した短編小説を掲載しています。

 私の生活は、ちょっと楽しい。
「いよぅ、おはようお嬢さん! 相変わらずベッピンさんだねぇ! 今日はどこへ出かける? 今日のオレは絶好調、どこまでも走れそうな気がするぜ!」
 エディ・マーフィ演じるアクセル・フォーリー刑事のように、やたらと高いテンションで話しかけてきた相棒は、型番HWX-2201、商品名「アクセント」。ガソリン燃料とリチウムイオン電池のエネルギーで作動する四輪車両……ま、早い話が「ハイブリッドカー」だ。
「遊びに行けるわけないでしょ、仕事よ仕事。はい、サッサと走った走った」
「オーノー、つれない返事だねぇ。空はこんなに青くて道路は広々と伸び開けてるってのに、オレは今日もいつもと同じコースをいつもと同じスピードで走って、ご主人さまを会社へ送り届けるだけが仕事ってわけだ。たまには決まったコースを外れて、人生に『アクセント』を加えてみるのもいいんじゃないかって思うけどね。そう、このオレみたいにさ!」
「あーはいはい」
 エンジンを始動させ、走り出す。
「前方よし、左右よし。ヒュー、いい風だ。たまんないね! おっと、そこのマダム、無理な割り込みはしないでくれよ。……そうそう、オーケーいい子チャンだ、交通ルールはきちんと守らなきゃな!」
 車を降りるまで、おしゃべりはひっきりなしに続く。もちろん、私が黙っていても、アクセル・アクセントはしゃべり続けている。
「今日もお仕事頑張ってちょーだいよ。じゃあね!」
 会社に着くころには、彼のおかげですっかりテンションが上がっている。

「ちょっと、遅いー! 早く水持ってきてくれないと、干からびちゃうじゃないっ!
 会社に着いた私が、まず最初に顔を合わせるのが彼女だ。
「一晩中、私をここに立たせておいて、水も飲ませないなんて、普通なら拷問よ、拷問! まったく、どういうつもりなの!?」
「はいはいゴメンねー。お水ですよー。タップリ飲んでくださいねー」
 幼児をあやすような口調で水を注いでやる。彼女は職場の玄関口に置いてある観葉植物。ちょっと口が悪いのが玉にきずだが、ツヤツヤした肉厚の葉っぱは、濡れぞうきんで軽く拭いてやるとビックリするほどきれいになる。
「あ、ありがとう。私はここから動けないけど、今日もいっぱい……炭酸ガス、吸収しちゃうから」
「ふふふ、よろしくね」

「……」
 一見、寡黙なふりを装ってる応接室の薄型テレビ。
 実はこいつが、一番の曲者なのだ。
 情報通で世界経済から国際情勢、事件・事故、果てはお笑い芸人やグラビアアイドルのゴシップまで、容赦なく暴き立てる。電源を入れたら最後、ひと時たりとも黙っていることはできない。
 化学ぞうきんで表面に付いたホコリを拭いてやる。
「ねえ。『ツンデレ観葉植物とハイテンションハイブリッド車の異種恋愛』なんて、どうかな?」
「……広い世界にはさまざまな好みがあるし、さまざまなジャンルがある。私にとって、異種恋愛なんて珍しくもなんともないな」
「世界の情報に通じてるアンタには、そうかもしれないけどさ。ちょっとした新ジャンルを開けそうじゃない?」

車「オレは確かに排気ガスで地球を汚してるかもしれない。でも、最新技術で開発された、このエンジンを見てくれ。CO2排出量は従来の15分の1、燃費だって25%もアップしてるんだぜ」
植物「だから何だって言うの!? どんなに少なくっても、排気ガスが私の葉を汚すことに変わりはないじゃない」
車「確かにそうかもしれない。だけど、このエンジンのおかげで、オレはキミの足になれる。この場所から動けないキミを、世界へ連れ出してやることができるんだ」
テレビ「ふっ、所詮ガソリン頼りの貴様に何ができる。さあ、私の前にひざまずきたまえ。私は世界のすべてを見せてやる。真実も、欺瞞も、すべてが私とともにあるのだ」

「……って、アンタ割り込んでくるの!? 三角関係!?」
「いいではないか。むしろ、同じ屋内設置物として、私のほうが彼女にはふさわしいと思わないかね?」
「なるほど……。アイディアとしては、悪くないかもしれない。でもアンタはどうも、黒幕っぽいのよね」

テレビ「ふふふ……。車よ、貴様はそこでおとなしくしているんだな。分かっているのだろう? 私がほんの少し、ネガティブキャンペーンをすれば、貴様などひとたまりもないのだから」
車「オイオイ卑怯にもほどがあるってもんじゃねーかい? こっちが文字通り身を削る思いで改善改良を繰り返して、ようやく手に入れた技術を、インチキ報道で台無しにしようってのかい?」
植物「やめて! 私のために争わないで! 私はただ……みんなと仲良くしたいだけなの!」
テレビ「それは、エゴというものだ」
車「エコのための闘いが、エゴにつながるなんて、皮肉な話じゃねーの?」

「ってコラコラ、誰がうまいこと言えと……」
「あのー、応接室の掃除、終わった?」
「あひゃいい!?」
 唐突に後ろから声がかかり、私は奇声を上げて振り返った。
 応接室の入り口に、化学ぞうきんを持った同僚の女性社員があきれ顔で立っていた
「独り言ばかり言ってないで、ちゃんと仕事してね?」
「は、はい……」
 顔を真っ赤にして、小声で謝る。これまで脳内でにぎやかにしゃべり続けていたテレビや観葉植物の声は、一瞬で消え去っていた。

 私の生活は、ちょっと楽しい。
 しかし、人に見られるのは、とても恥ずかしい……。

本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

本作のお題は「観葉植物、薄型テレビ、ハイブリッド車」でした。

 いけないと思っていても、つい、やってしまう。あるいは、やらずにいられない。人間だれしも、そんな葛藤を一つや二つ、抱えているのではないだろうか?
 私にとって、カツ丼がそれに当たる。
 こう言うとたいていの人は、「カツ丼?」と怪訝な顔をする。
 しかし、世の中にはさまざまな人がいる。
 美少女キャラのフィギュアや、トレーディングカードを大量に集めるオタク、結婚後も彼氏との恋愛を続ける人妻、レアアイテムを集めるために何百時間もオンラインゲームを続けたり、アイテムに何万円もつぎ込んだりするネット廃人。他人から見れば理解に苦しむような行為でも、当人にすれば何物にも代えがたい、かけがえのない快楽なのだ。それが私の場合、たまたま「カツ丼を食べる」という行為だったにすぎない。

 カツ丼。なんと素晴らしい言葉だろう。
「カツ」という音は、どちらも無声破裂音で構成されており、サクサクとした揚げ衣のように鋭く涼しげな響きをもたらす。また、続く有声破裂音の「ド」は重々しくも勢いよく、丼の持つボリューム感を想起させる。それらの音が鼻音の「ン」で締めくくられることで、一層引き立ち、一つの料理の名前として完成し、完結するのだ。

 カツ丼の具はシンプルであらねばならない。カツと玉ねぎと卵。あとはせいぜい、色どりとして三つ葉を少々散らすくらいで十分であり、グリンピースを散らすなどもってのほかだ。
 カツ丼は、カツを割り下でしっかり煮込んで味を含ませるものが主流だろう。しかし私は、カツを丼飯の上に乗せ、その上から割り下で軽く煮た溶き卵をかけてとじる、大阪風のやり方が好みだ。なぜなら、この方法であれば最初はサクサクしていたカツが、食べ進めるうちにしっとりとしてくる、その変化を楽しめるのだ。
 卵は軽く溶き、白身と黄身がわずかに混ざり合うくらいにする。固すぎず柔らかすぎず、ふんわりと半熟の状態でカツをとじたものが望ましい。
 豚カツはロースが良いが、あまり分厚すぎず、さりとて薄すぎず、噛みしめたときに脂と肉汁がほとばしる程度が良い。とはいえ、あまりに分厚くて、ツユの味がまるでしみ込まないようでは、カツをご飯に乗せて食べているのと変わりはなく、「カツ丼」として食べる意味がない。肉の旨味と割り下の味わいが程良く調和するところに、カツ丼の理想形がある。

 カツ丼を目の前にしたとき、私はまず、全体をじっくりと眺めまわす。この作業には、食べる前にカツ丼の先味を楽しむことはもちろんだが、カツと卵の配置、ご飯と卵の分量、バランスなどを確認し、食べるペース配分を考えるという、重要な意味があるのだ。
 カツ丼に限らず、丼物において最大の悲劇といえば、具、ないしご飯を食べ進めるバランスを失し、具を残したままご飯を食べきってしまったり、ご飯を残したまま具を食べきってしまったりするところにある。そんな悲劇を回避するためにも、勝負は箸を取る前からすでに始まっていると言っていいだろう。

 さあ、ペース配分を決めたら食べ始めよう。
 まずは卵がほとんどかかっていない、端のほうのカツを取り上げ、一口かじる。サクサク、ザクザクした衣と肉の味わいを楽しみながら、卵のかかったご飯を立て続けにほおばる。トロリとした卵が、カツの衣で刺激された口の粘膜を優しく包み込むと同時に、ご飯に染み込んだ割り下のカツオダシの風味と、甘辛い味わいが舌の上にフワリと広がる。それを無心に咀嚼し、味わい尽くして飲み込む。と同時に、さらなるご飯を口の中に追加する。
 このとき、ご飯は同じ場所を縦に掘り進めるようにして食べていく。こうすることで、底に溜まったツユが見えるようになる。このツユを使って、味のついていないご飯に味をつけたり、カツに味を含ませたりするのだ。最初の何口かは、カツと卵の味がなじんでいないので、特にこの作業が重要になる。食べ進めるうちにこのツユはご飯に吸収されていくため、早いうちに「発掘」しておくことが重要なのだ。

 一枚目のカツを食べ終わったら、タップリと卵がかかり、ツユのしみ込んだ二枚目のカツに取りかかる。
 一口かじるだけで、肉と卵とツユの濃厚な旨味が混然一体となって口中を満たす。
 このあたりから、食べ手の性格によってご飯の食べ進め方が変わってくる。代表的なものは、たっぷりツユのかかったカツとたっぷりツユのかかったご飯を食べて、濃厚な味わいを満喫するタイプと、たっぷりツユのかかったカツにあまりツユのかかっていないご飯を合わせて、味のバランスを取るタイプだろう。私は言うまでもなく、後者である。前後不覚、一気呵成に丼メシをかき込むならともかく、一口ごとに味わいを楽しみたい時には、常に慎重さを忘れず箸を進めねばならない。
 カツ丼を楽しみ、味わいつくすため、過ちを犯してはならないのだ。
 無論、一口ごとにバランスを考えて食べているようでは素人である。私のような「カツ丼の達人」ともなると、こうした手順はほぼ無意識、かつ自然に進められるようになるのだ。

 カツもご飯も半分くらいになってきたところで、七味唐辛子を取り出す。このあたりで七味唐辛子をふりかけて刺激を追加し、気持ちも新たに後半へ進むのだ。ピリッと辛い七味唐辛子の刺激は、甘辛いツユと脂の味に疲れた口の中をリセットし、胃袋の活動を活性化して食欲を増進させる。脂で重たくなりがちなカツ丼を食べるうえでは、必須アイテムと言っていいだろう。
 ここで初めて、私はご飯をガツガツとかき込むように食べ始める。ここまで慎重に食べ進めてきたのは、すべてこの食欲を全解放し、欲望の赴くままに喰らう瞬間のためでもある。
 口中はカツ丼で満たされ、自分とカツ丼が一体化したような心地になる。もはやカツ丼を味わっているのか、カツ丼に味わわれているのかも分からぬ。ただ食欲の権化と化し、ブルドーザーが地面を削るがごとくカツをかじり、ご飯を口に押し込んでいく。無言、無心で、ただひたすら胃袋へ詰め込んでいくのだ。
 気がつけば丼はカラとなり、いくばくかの米粒とツユの残滓が張り付くばかりである。熱いお茶で勢いを沈め、満足のため息をつけば、カツ丼による食事はめでたく終了となる。

 私は一時期、この快楽が忘れられず、一日五度のカツ丼生活を送っていたことがある。おかげで腹回りは1メートル、体重は100キロを超え、並みの食事では満足できない体になってしまった。
 若気の至りで……というひと言で片づけるには、少々やりすぎかもしれない。
 カツ丼。実に業の深い食べ物である。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆したものです。

本作のお題は「快楽、過ち、若気の至り」でした。

なお、本作はフィクションであり、実在の人物とは関係がありません。本作を読んでカツ丼を食べたくなっても当方は責任を取りません。

 ある冬の朝、寒さをこらえながら着替えていると、窓の外がやたらと明るく感じた。カーテンを開けると、一面の銀世界が広がり、小学生が歓声を上げながら、全力疾走している。遠ざかるランドセル姿を、私はどんよりした目で見送っていた。
 いつからだろう。雪が積もって憂鬱になるようになったのは。私はそんなことを考え、深いため息をついた。

 子供のころ、雪が積もった日は1分、1秒が楽しみだった。家の前に雪だるまを作り、学校へ行く道中は足跡のついていない場所を探して、自分の足跡を残した。重機で道端に寄せられ、積み上げられた雪は、前人未到の高峰だった。先を争って登れば、気分は雪山に挑む冒険者だった。
 無防備な背中を晒し、油断している間抜けがいれば、小さな雪の固まりを首元に滑り落としてやったものだ。冷たさに悶絶する姿に腹を抱えて笑っていると、自分の背中にも雪の固まりを入れられる。学校へ到着するころには、全身雪にまみれ、ぐしょ濡れになっていた。
 濡れた手袋や靴下は洗面所で絞り、教室のストーブで乾かした。シュウシュウと音を立てて上がる湯気とともに異臭が立ち込めると、「毒ガスだー!」と大騒ぎしたものだ。そして休み時間になれば、生乾きの靴下と手袋を装備して雪合戦に興じ、再びずぶ濡れになることを繰り返した。

 しかし、いまはどうだろう。
 雪を見て楽しみになるどころか、寒さに文句を言いながら滑ったり転んだりしないよう細心の注意を払って歩き、わずかにつま先や袖口が濡れただけでも顔をしかめる。無論、雪だるま作りなどもってのほかだ。そもそも、腹の底から笑ったり、楽しいと思ったりしたことなど、もう何年もないだろう。
 仕事が嫌いなわけではない。それなりに責任あるポストに着き、やりがいも感じている。しかし、ローンという名の借金を抱え、毎日ノルマ達成のためにひたすら働くばかりの自分は、あたかも目の前に吊るされたニンジンを求め、永遠に手が届かないと知りながらも走り続けるしかない馬車馬のようなものだ。
 まったく、大人になるというのは、悲しいものだ。

 窓の外を、再び数人の小学生が走っていく。
 まったく、実に楽しそうだ。
 私もあんな風に後先を考えず、羽目を外して全力疾走してみたら、少し人生を楽しくできるだろうか。
 ネクタイを締めながら、私は少し足がムズムズするのを感じていた。ちょっとだけなら、童心に帰ってみるのもいいかもしれない。そう、ちょっとだけなら……。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

本作のお題は「借金、小学生、雪山」でした。

「……やっぱりみっともないよねぇ」
 ボヤくと、真っ白な呼気が一瞬、光の中に浮かび上がってから、冬の夜空に溶けていく。
 深夜、いい女が一人、ベランダにたたずみながら、寂しげな顔で空を見上げつつ紅茶を飲む。シチュエーションだけを見ればサマになっていたかもしれない。しかし、客観的に見れば、真っ暗なベランダに女が一人で突っ立って紅茶をすすっている、うすら寒い光景でしかない。
「しかも、寒いし……」
 風のない穏やかな夜だったが、パジャマ代わりのトレーナーの上にカーディガンを着ただけで外に出ていれば、徐々に体温は奪われていく。最初は熱かった紅茶もすぐに冷めてしまって、いまでは飲めば飲むほど体が芯から冷えてくる。
「あーもう、バカバカしい。戻って酒でも飲もっと」
 ベランダ用のサンダルを脱ぎ、室内に戻る。空のカップをシンクに置き、代わりにウィスキーのボトルとロックグラスを取ってリビングのソファに腰を下ろした。


 柔らかいソファに全身を沈め、ストレートのウィスキーを流しこむ。喉から胃にかけて、焼けるような熱さが広がる。痛みにも似た快感に身をゆだねていると、やがて強いアルコールが全身に広がり、精神が解放され、フワフワと漂いだす。その瞬間、いままで抱えていた胸の痛みもストレスも消失し、私の魂は自由を満喫できるようになるのだ。
(ああ……、最初からこうしていりゃ良かったんじゃないの……。馬鹿みたいなことしてないで……)
 自嘲のため息。
 ふと見ると、テーブルに置きっぱなしにしていた携帯電話がチカチカと光って、メールの来着を知らせている。
(もしかしたら……)
 わずかな期待を持って携帯を開く。
「件名:メルマガ会員限定 特別セール企画のご案内!」
 チッ、と舌打ちをすると、メッセージを開封せずに削除して携帯を閉じた。そして、もう一度大きなため息をつく。
 ダイヤル式の黒電話が一家に一台しか存在しなかった時代には、それが不便だとも便利だとも思わなかった。恋人や友人の電話番号は暗唱できて当たり前だったし、彼氏の家に電話をかけて、母親と思われる女性と「○○クンお願いします」「あらあらウフフ。○○、女の子から電話よー」なんてやり取りをするのが、青春の一ページみたいなものでもあった。
 しかし、留守番メッセージ機能やFAX、電話帳データの保存など、さまざまな機能を搭載した電話機や、携帯電話が一般的となったいまでは、ダイヤル式電話なんて懐古趣味の対象にはなり得ても、実用には不便以外の何物でもない。
 ペットボトルだってそうだ。最初は資源の無駄遣いだの何だのと非難されたものだが、ガラスビンに比べて圧倒的に軽く、ぶつけても破損の心配がないことから、すっかりボトル容器の主流になってしまった。「ガラスビンのほうが、飲み物が美味しい」なんて言っても、いまさらガラス容器に戻すことなんて、できるはずがない。
 そんな取りとめもないことを考えながら、酒を飲み続ける。このまま前後不覚に酔い潰れて、記憶喪失になってしまえば、あの男のことも頭の中から消えてしまうに違いない。
 ――失恋。この苦しさだけは、何度繰り返しても慣れられない。
 恋なんてしなければ、こんなつらく苦しい思いをしなくて済むのだろう。しかし、いまさら恋に恋していただけの女子中学生に戻れるはずはない。禁断の果実を食べたアダムとイブがエデンを追放されたように、恋愛の味を知ってしまった私は、もう無垢な少女に戻れないのだ。


 アルコールで高ぶった感情は、もう歯止めが効かない。とめどなく涙があふれてくる。
 一晩中泣いて、泣いて、泣き尽くそう。明日になればきっと、新しい恋を探す元気も湧いてくるだろうから。
 ……二日酔いになっていなければ、の話だけれど。



本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

本作のお題は「ペットボトル、サンダル、黒電話(ダイヤル式)」でした。

 これは私がかつて、取材のために訪れた、あるお寺の住職に聞いた話です。
 その住職はもともと、サラリーマンとして働いていたのですが、30代半ばで突然仕事を辞め、通信教育で学位を取得し、本山で修業をして僧侶になりました。その後、ある山村の無人寺に住み込み、寺院復興と村おこしに取り組むようになったのです
 その経歴や取り組みが面白いということで、私が取材をさせてもらいました。

 一通りのインタビューが終わり、お茶を飲みながら雑談をしていたとき、ふと、住職が聞いてこられたのです。
「記者さんは、不思議な体験をされたことがありますか?」
「不思議な体験……というと?」
「どう言ったらいいのか、私にもちょっと分かりかねますが……、まぁ、せっかくだから、ついでに聞いてやってください」
 これからここに書くのは、そのとき、住職が話してくれたものです。「非常に面白い話なので、どこかで公開させてもらいたい」とお願いをしたところ、「宗派や寺の名前、村の場所など、具体的な情報を伏せるなら」ということで、許可を頂きました

【住職の談話】その1
 私は大学時代、写真撮影が趣味で、週末になると車であちこちに出かけていたものです。
 ちょうど今くらいの時期、冬の海を撮影に行きました。山を越えて、片道1時間半の道のりでした。もちろん、冬の山の天候が変わりやすいことは知っておりましたし、いざというときのためにタイヤチェーンも積んでおりました。しかし、出発する時には穏やかな晴天だったので、安心していたのです。
 ところが海からの帰り道、山の中で突然、ものすごい吹雪に見舞われたのです。そりゃもう、目の前も見えなくなるほどの吹雪で、通り慣れた道とはいえ、無理に運転すれば命が危ない。どこかで車を止めて、チェーンを装着しようと思っていた矢先、カーブを曲がり損ね、車が雪だまりに突っ込んで立ち往生してしまったのです。
 ただでさえ車の往来が少ない道、しかも吹雪の山の中です。JAFに電話をしたくても、当時はポケベルしか持ってなかったし、このままでは本当に遭難してしまうのではないかと思いました。
 ところがその矢先、一人のお坊さんが通りかかったのです。吹雪の山中にも関わらず、僧衣と袈裟をまとっただけの軽装でした。ひょいっとこちらを見て、
「袖摺り合うも多生の縁、情けは人のためならずと言います。お手伝いしましょう」
と言って車を押し、チェーン装着まで手伝ってくれたのです。チェーン装着を終えてお礼を言おうとしたときには、そのお坊さんの姿はどこにもありませんでした。
 後日、お礼のためにお寺を探したのですが、あの山道の近くには、どこにも寺なんてないのです。近くの住人に話を聞いても、「そんな寺はない」と言われるばかりでした。
 あのときのお坊さんが一体何者だったのか、未だに分からないんですよ。

 ――と、これだけなら、よくある心霊体験談の一種として片づけられたと思います。私自身も、某大型掲示板の「心霊ちょっとイイ話」スレッドに出てきそうな話だと思いながら、聞いていました。
 ところが、住職の話には続きがありました。

【住職の談話】その2
 実はつい最近、近所の家の法事に出かけた時のことです。
 法事を済ませて寺へ帰る途中、雪が降りだしたのです。冬でも比較的温暖なこの地域で、そんな急に天気が変わるとは思っていなかったので、僧衣に袈裟だけの軽装で出かけていたので、寒いことと言ったらもう、骨身にしみるようなものでした。
 しかし、こんなに天気が急変したのなら、村の人たちがどこかで困っているかもしれない。そう思った私は、近所を一通り見回ってから帰ることにしたのです。
 村を回っていると、雪道で車が立ち往生しているところに出くわしました。運転していたのは、大学生くらいの男の子です。雪にタイヤを取られて、カーブを曲がり損ねたと言うんですね。
 困ったときはお互い様。私は車を押し、チェーン装着を手伝ってやりました。寒かったので、その車が無事に動くのを見届けたら、私はすぐに寺に戻りました。
 この辺りで大雪になること自体は滅多にありませんが、「雪道で立ち往生した車をたすける」なんていうのは、大して珍しくないでしょう。
 しかしね、記者さん。その立ち往生していた車は、大学時代に私が乗っていた車と同じ車種で、男の子が着ていたダウンジャケットは、当時の私が愛用していた物とそっくりだったんですよ。
 非科学的な話ですが、もしかしたら……なんてことを考えてしまうのも、無理はないと思いませんか?
 あのとき、もしかしたら私は、輪廻の一端を垣間見てしまったのかもしれません。この世界のことを「浮世」とか「此岸」なんて言いますけれども、「いま」と「昔」も紙一重でつながっているのかもしれませんな……。


※本作品はフィクションです。実在の個人、団体や事件などには一切関係がありませんのでご注意ください。

本作品は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆しています。今回のお題は「大学生、雪道で車が立ち往生、お坊さん」でした。

「終わったんだね」
「ああ、終わった。少なくともこれから数百年、この町を含む周辺地域で怪異現象は起こらないはずだ」
 木刀の入った袋を手にした女子高生と青年が、河川敷のベンチに腰掛けていた。二人の視線の先では、穏やかな水面が昼前の陽光を浴びてキラキラと輝いている。
 つい数時間前まで、このすぐ近くで二人が人ならざるモノたちと死闘を繰り広げていたなどと、誰が想像できるだろう。
「アキラはこれから、どうするの?」
「どこかから依頼が来れば、そこへ行く。それまでは……久々に、故郷の山にも帰ってみようかな」
「故郷って、あの……? 鬼が住んでるって言ってた……」
「そう、村はもう跡形もなくなっちゃったけど、俺をたすけてくれた隠(オヌ)は、まだあそこに住んでいるはずだからね。神代のころから生きてきた恐怖の体現者でも、俺にとっては、命の恩人。たとえ会えなくても、せめて酒くらい供えてこようと思う」
「……そっか。山へ行ってからは? 次の仕事が決まるまでは、この町にいるの?」
「そうだな。特殊な荷物が多いから、引っ越しも楽じゃない。それに――急にどこか遠くへ行ったら、泣き虫のまどかが寂しがりそうだしな」
 アキラはそう言って、意味ありげに笑う。
「あ、アタシは泣き虫じゃないもん!」
 まどかは顔を赤らめ、青年の肩を平手で叩こうとする。アキラはヒョイと体をひねってその手をかわし、そのままベンチから立ち上がった。
「さ、帰るぞ。ピアノ、聴いていくんだろ?」
「あ、うん。聴きたい」
「じゃあ、ほら、立って。行くぞ」
 アキラは竹刀袋を肩に担ぐと、ぶらぶらと歩きだした。まどかも同じように竹刀袋を担ぐと、彼の後を小走りについていった。


 駅前に建つ高層マンションの最上階。アキラはエレベーターを降りると、カードキーでドアを開け、まどかを招き入れた。
 一人で住むには広すぎる4LDKの部屋の中は、ほとんど家具らしい家具が見当たらない。ガランとしたリビングを抜け、アキラは一つの部屋に入る。リビングと同様、ガランとした部屋に、1台のアップライトピアノが置いてあった。
「一曲聴いたら帰るんだぞ」
 そう言ってアキラは、ピアノのふたを開ける。数度、深呼吸をして心を静め、ゆっくりと鍵盤に指を落とした。
 雨だれのように不規則な音が、部屋に満ちる。戦いの中で固まった指が、音を紡ぐうちにほぐれ、滑らかに動きだす。
「ささくれ立った俺の心をね、ピアノの音がほぐしてくれるんだ」
 まどかはピアノを聴きながら、いつだったか、アキラがそう話していたことを思い出していた。
「俺は、ピアニストになりたかったんだ。物心ついたときから、ピアノが好きだったから。ピアノを通して自分の気持ちを表現して、人に感動を伝える。そんな生き方がしたかった」
 一心にピアノを奏でるアキラの横顔を見詰めながら、まどかは考えていた。間違いなく彼は一流、いや、超一流のピアニストになれただろう、と。
 しかし、彼を取り巻く事情が、それを許さなかった。
 ピアニストにとって命とも言うべき手。傷をつけるなど、もってのほかだろう。だが、アキラの両手には、無数の傷跡が刻まれていた。


 神代のころ、人からも、人ならざるモノからも恐れられた者がいた。
 隠(オヌ)――転じてオニと呼ばれた者は、一人の心優しい少女と出会う。
「もう、誰も傷つけないで」
 少女の願いを聞き入れたオニは、数千年にわたって人里離れた山奥に身を隠した。


 オニが再び人々の前に現れたのは、いまから15年前。10世帯余りの農家が肩を寄せ合って暮らす小さな集落で、惨劇が起こったときだった。
 人ならざるモノが村を襲い、ほぼすべての住民を虐殺した。
 オニが駆けつけたとき、人ならざるモノは最後の一人――つい先日、小学校に入ったばかりの少年――を手に掛けようとしていたところだった。
 オニは人ならざるモノをことごとく引き裂き、少年をふもとの神社へ送った。
「隠神(オンガミ)神社」。いつの時代か、オニを恐れた人々が、祈りをもってオニの気を静めるとともに、オニの力を借りて災厄から身を守ろうと、建立したものだった。
 オニは当代の宮司に少年を引き渡し、再び姿を消した。


「もう誰も傷つけないで」と、少女は願った。
 しかしオニは、少女の末裔を守るため、約束を破り爪牙を振るった。
 そして、少女の末裔もまた、自らの夢を捨て、人々を守るための戦いに身を投じた。
 千年の時を経てなお、彼女の思いは果たされていない。


 アキラが奏でるピアノの音色が、深い哀調を帯びて部屋いっぱいに広がってゆく。
 彼のピアノが、喜びや幸せの歌を奏でるのはいつのことか。彼自身にも分からないまま、戦いの日々はこれからも続いていく――。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆したものです。

本作のお題は「水、手、約束」でした。なお、本作は10年以上前から構想を練っていたものですが、この最終話以外はまだ執筆・公開していません。本作に関する質問やお問い合わせには、お答えできかねる場合がありますので、悪しからずご了承ください。

なお、本作の関連作品としては、「オニの慟哭」をご覧ください→http://ameblo.jp/huebito/entry-11105663619.html

 メールというのは、実に便利なものだ。
 こちらの都合のいい時に送れば、相手も都合のいい時に読んで、返信してもらえる。
 もちろん急ぐ用事のときは、電話のほうが便利だ。しかし日常生活において、そこまで急を要する事態が発生する可能性は、極めて低い。となると、相手の事情を顧みず、こちらの一方的な都合だけで束縛する電話よりも、メールのほうがいい、となるわけだ。
 また、面倒な話や、気乗りしない誘いなどは、すぐに返信せず、後になって「ごめん、寝てた」「携帯を充電してて、メールに気づかなかったよ」といった言い訳をすれば、たいていの場合、ごまかすことができる。
 また、「ichiro-hanako-love@~」のようにアドレスに恋人の名前を入れて、周囲にラブラブアピールができるのも、メールならではだろう。ただ、この場合、恋人と別れると同時にメールアドレスを変える必要性が出てくる。当人はアドレス変更と同時に、別れた恋人とキッパリ縁を切ることができるし、アドレス変更と「恋人と別れた」という連絡を同時に行えるのだからいいのかもしれないが、連絡をもらう側としては、いちいちアドレスの再登録をしなくてはならないのだから、面倒な話なのだ。


「アドレス変えたから! 今度から、こっちにメールしてね」
 見覚えのないアドレスから、そんなメールが届いていたのは、ある夜のことだった。
 差し出し人の名前は書いていないが、新しい彼氏ができるたびにアドレスを変える女友達、マキだろう。ひどいときには月に一度のペースで、アドレス変更の連絡をよこしたこともある。いい加減、チマチマとアドレスを登録し直すこちらの手間を考えやがれ、と言いたくなった。
「『貴様はどこの何者だ。名前ぐらい書いてきやがれ、このスットコドッコイ!』……送信、っと」
 相手をマキだと思いこんでいた私は、そんなメールを送った。しかし数分後に返ってきたメールを見て、私は目が点になった。
『あいかだよ~。ユウ君だよね?』
「……あいかって誰やねん」
 思わず関西弁で、メールにツッコミを入れる。それに私の名前に、「ユウ」という単語は欠片も含まれていない。
『さきほどは知人と間違え、失礼しました。ですが、送り先をお間違えでは? 私はユウ君ではありません。あなたの名前にも心当たりはありません。誰からこのアドレスを聞きましたか?』
 見ず知らずの相手とあっては、さっきのようなメールは失礼だ。手遅れかもしれないが、丁寧な文面で返信する。
 数分後、「あいか」から返信が届いた。
『友達にこのアドレスを紹介してもらったんだけど……もしかして、まったく別の人に送っちゃってますか?』
『友達って、誰でしょうか?』
『さやかってコなんですケド……』
 私に、そんな名前の知り合いはいない。とはいえ、友達の友達を経由するなど、どこかから「さやか」に私のアドレスが流れた可能性がないとはいえない。どことなく、薄気味悪いものを感じた私は、携帯を握りしめたまま、どう返信したものか、あるいはもう返信をやめるべきか、頭を悩ませていた。
「とりあえず『そんな知り合いはいません』……と、送信」
『ごめんなさい。さやかにメールしてるんだけど、全然連絡取れなくて。ユウ君とも連絡できないし、最悪だよぅ』
『ユウ君と連絡つくといいですね』
 そう私は返信し、これ以上メールすることもないだろうと思って、携帯を閉じた。


 翌日「あいか」から再びメールが届いた。
『こんなこと、あなたに言っても仕方ないことなんだけど、ユウ君ともさやかとも連絡がつかなくて、どうしようもないからメールしちゃいます。
 実は私は昔、別れた彼氏がストーカーしてきたことがあって、男声恐怖症になってたんです。だけど、このままじゃ駄目だと思って、友達に男の子を紹介してもらったんです。
 せっかく教えてもらったのに、アドレスが間違ってたみたいで、あなたに迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。
 だけど、間違いメールにこうして返事をもらえたのも何かの縁だと思うし、もし良かったら、ときどきメールで話し相手になってもらえませんか?』
 ……ふむ。どこの誰かは分からないけれど、メールくらいなら大丈夫だろう。住所や自分の本名など、具体的な個人情報さえ明かさなければ、特に問題はないはず。もし何かあっても、メールを返信しないとか、アドレスを変えてしまえば、すぐに縁を切れるだろう。
『いいですよ、私で良ければ』
 私は、ごく軽い気持ちでメールを送った。


「あいか」こと愛華は、どんな時間にメールしても、たいていすぐに返事をくれた。
 日曜の昼下がり、テレビで野球観戦している最中。
 残業を終え、終電間際に帰宅した直後。
 早朝、出勤途中の電車の中で。
 私は、最初のうちは彼女とのやり取りを無邪気に楽しんでいた。
 愛華は名前の通り、花がとても好きだという。恋人のいなかった私は、軽い気持ちで最寄駅に飾られている生け花や、近所の商店の花壇、自分の住んでいるマンションの前の植え込みに咲く花の写真などを送った。彼女はとても喜んでくれた。


 しかし、やがて私は、彼女とのメールに気味の悪さを感じるようになった。
 いつ何時でも、数秒で彼女からは返信があった。こちらが何かの用事で返信をせずにいると、
『返事まだかな?』
『忙しいのかな?』
『返事まだかな?』
『忙しいのかな?』
と、催促のメールが山のように送られてきた。


 ある日の夜。風呂上がりに携帯を見ると、愛華からのメールが届いていた。
「未読メール 30通」の表示にゲンナリするものを感じながら、未読メールを着信順に読んでいく。
 未読メール30通『返事まだかな?』
 未読メール29通『忙しいのかな?』
 未読メール28通『返事まだかな?』
 未読メール27通『忙しいのかな?』
 いつもの文面だ。愛華は以前、「彼氏にストーカーされた」と言っていたが、彼女のほうがよっぽどストーカーみたいだ、と思いながらメールを次々と読んでいく。
 未読メール9通「忙しいのかな? 会いたいな」
 未読メール8通「そうだ、いまから会いに行くよ」
 これまで見たことのなかった文面に、私は驚いた。冗談だと思いたかった。住所など教えていないのに、来れるはずがない。そう思いたかった。
 未読メール7通「いま、○○駅にいるの」
 未読メール6通「いま、電車に乗ったの」
 まさか……。そういえば以前、最寄駅の写真を送ったことがあったが……。
 未読メール5通「いま、○○駅に着いたの」
 間違いない。私の最寄り駅だ。
 未読メール4通「いま、○○商店の花壇の前にいるの」
 この前、花壇の写真を送った店だ。彼女は確実に近づいてきている。
 未読メール3通「いま、あなたのマンションの前に着いたの」
 未読メール2通「いま、マンションの階段を上がっているの」
 慌てて耳を澄ませる。玄関の外は、シンとして物音一つしない。
 最後のメールを開く。
「いま、あなたの部屋の前にいるの」
 ついさっき、風呂から上がったばかりだというのに、背筋に冷たいものが流れた。
 ピンポーン。
 見計らっていたかのようなタイミングで、チャイムが鳴った。慌てて玄関を見る。ドアは鍵もチェーンも、しっかり掛かっている。
 開けられる心配はない。そうだ、大丈夫。ドアを開けなければいい。もしも部屋の前で騒ぐようなら、警察を呼べばいいんだ。少し安心して、私は部屋の壁にもたれかかった。


 しかし次の瞬間、背後から女の声が聞こえた。
「いま、あなたの後ろにいるの……」



本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

本作のお題は「メール、野球観戦、残業」でした。

「この4人で集まるの、久しぶりだよねー」
 はしゃいだ声を上げるマリに、
「そうそう、学生時代はいつもみんなで遊んでたけど、就職しちゃうとどうしても都合が合わないからね」
と答えるリコ。
「今日は飲むわよー。ほら、ミカも早く来なきゃ!」
と私の手を引きながら、早くもクダを巻きそうな大酒飲みのコトミ。
「うわっ、引っ張らないでよっ」
 私はバランスを崩しそうになりながら、3人の親友たちの後を足早に追いかけた。

 私たちは高校時代から、ずっと一緒に行動してきた。修学旅行も、課題の発表も、学外実習も、常に4人一緒だった。
 そんな仲良し4人組も、みんなが同じ会社に就職するというわけにはいかず、卒業後の進路はバラバラになった。就職した業界は全員、飲食接客業――いわゆる水商売――だったのだが。
 そんなわけで、メンバーの誰かと食事をしたり、遊びに行ったりすることはあったが、メンバー全員が集まって遊ぶことはめったになくなった。
 そんななかで、
「久しぶりにみんなで集まろうよ! 女子会やろ、女子会!」
と声を上げたのが、グループのまとめ役コトミだった。旅行代理店で勤める客から「女子会をやるなら、ぜひうちのプランを利用して!」と勧められたらしい。
 そのプランは確かにお得な内容だった。ネットの口コミサイトでも人気の高い高級ホテルに泊まれるうえ、夕食は地元の新鮮な魚介類をふんだんに使った会席料理。しかも風呂は美人の湯として名高い天然温泉で、ホテルの外にある混浴露天風呂も利用できる。それで4人1部屋の宿泊料金が合計で3万円を切るのだから、驚きの安さだろう。唯一の難点は、お酒を含めたドリンク類がすべて、別料金となっていることぐらいだった。
「なあに、お酒なんてわざわざホテルで飲まなくても、近くの酒屋で地酒買えばいいんだから。それよりも美人の湯でオンナに磨きをかけるわよぉ!」
 そう息巻くコトミに、ほかの3人もすっかり乗り気となり、スケジュールを調整して一泊旅行に繰り出すことになったのだ。

 ホテルの食事は、まったく申し分ないものだった。刺身だけでなく、焼き物や煮物、揚げ物も、工夫が凝らされていて、見て楽しみ、食べて楽しむことができた。
 すっかり満腹した私たちは、夜の楽しみ、お酒の買い出しに出かけることにした。
「ついでに外の混浴露天風呂にも行っちゃおうよ!」
 そんなコトミの提案で、浴衣に手ぬぐいをぶら下げた私たちは、夜の散歩に繰り出した。
 温泉街はまだ、多くの観光客でにぎわっていた。ほとんどの人が浴衣姿だ。商店街には、土産物や銘菓を扱う店に交じって、昔懐かしいスマートボールや射的の店も軒を並べている。私は店をのぞき込み、風呂上がりにまだ営業していれば、遊んで行こうと心に決めた。
 子供のころ、あのズッシリと重いくせに、全然威力のない空気銃を構えるだけで、なんだか胸がときめいたものだ。
 そんな懐かしい思い出に浸るうち、目当ての店に到着した。
 コトミは早くも、
「おじさん、ここにお酒置いていくから、まとめてお会計お願いね」
と断ったうえで、
「ビールは一人3本ずつくらいでいいよね。あとは日本酒を2升と焼酎1本……。さっき、美味しい魚をたっぷり食べたし、ツマミは乾きものがあれば十分かな?」
と言いながら、酒を棚からヒョイヒョイ取り出し、レジカウンターに並べている。
 マリとリコは、寝転がってくつろぐクマのオマケつきチョコを手に、キャイキャイとはしゃいでいる。
「お姉ちゃんたち、ずいぶん買うねぇ……。全部持てるかい? なんなら、ホテルに届けてあげようか?」
 レジカウンターの上にズラリと並んだ酒を見て、店主のおじさんがあきれたように言う。
「アハハ、大丈夫ですよぉ。私たち、みんなわりと力持ちですから」
 私たちはそう言って、ぎっしりと酒の入ったビニール袋を手に取り、店を後にしたのだった。

 夜風を浴び、酒のビンをガチャガチャ言わせながら歩くうち、目指す露天風呂に到着した。
「いい男、いるかな?」
「どうしよー、かわいいイケメンがいて、『素敵なお姉さんたち、良かったらボクと一緒に飲みませんか?』なんて誘ってきたら」
「きゃー、そんなこと言われちゃったらアタシ、ガマンできなくて襲っちゃうかもンフフフフ」
「ちょっとコトミ、オッサンの顔になってるわよっ」
「いいじゃない、アタシってどっちかというと肉食系だし」
「……どうせオッサンとか、おじいちゃんとか、おばちゃんしかいないんだから、あんまり期待するんじゃないわよ」
 浴衣を脱ごうとしたとき、ふとしたはずみで、浴衣の襟元が私のあごに引っかかり、「ザリザリッ」と音を立てた。
「あー、適当な剃り方したらダメね。やっぱりヒゲ引っかかっちゃった」
 あごを撫でると、指先に剃り残したヒゲがブツブツと引っかかるのが感じられた。
「アンタまだ永久脱毛してないの? レーザー処理しちゃうほうが、毎日何度もヒゲ剃るよりもずっと楽よ?」
 コトミの言葉に、マリとリコがうんうんとうなずく。二人とも、数年前に専門のクリニックで全身永久脱毛を受けたおかげで、腕も足もツルツルだ。
「やっぱり? なーんかレーザー脱毛って、シミができるとか火傷みたいな跡が残るとか聞くと、ちょっと怖くってねー」
 そんなことを話していると、コトミが
「あらやだ!」
と、素っ頓狂な声を上げた。
「女子会ツアーのチラシ、ポーチに入れたままだったわ。いいや、捨てとこっ」
 ポーチから引っ張り出したチラシを、コトミは近くのゴミ箱に投げ捨てた。
 注意深い人が、そのチラシをよく読めば、
「期間限定、温泉女子会ツアー!」
 そんなキャッチコピーの、派手なデザインのチラシの隅に、小さくこう書いてあるのが読み取れただろう。
「※本ツアーは原則として女性の方を対象としたものですが、女性の服装をしていらっしゃれば、男性でもご利用いただけます」
 このツアーで、飲み物が別料金となっていたのは、私たちみたいな客が酒をがぶ飲みして、採算を取れなくなるのを防ぐためなのだ、きっと。

本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。
本作のお題は「女子会、夜の散歩、温泉」でした。

 彼が生まれたのは、神代(かみよ)の頃。人と人に在らざるモノが共に生きた時代だった。
 この世ならざるところに生を受けた彼は、誰からともなく、隠(オヌ)――転じてオニ――と呼ばれた。
 人も、人に在らざるモノも、彼には関係なかった。
 己(おのれ)にとって仇(あだ)なす者か、そうでないか。ただそれだけが、彼の基準だった。
 彼は強かった。
 己に仇なすものはその腕で引き裂くか、その牙で噛み砕いた。彼は、それが可能なだけの力を持って生まれたのだ。
 生きること。それは己の力をもって、意思を押し通すこと。何物も、彼を遮ることはできなかった。


 いつの時代であろうか。
 人にも、人に在らざるモノにも、オニとして恐れられた彼の前に、一人の少女が現れた。
「あなたはだぁれ? 名前はなんて言うの?」
 彼女の無邪気な問いかけに、彼は戸惑った。
 彼女は、己に仇なすものではない。己を恐れるものでもない。
 ただ、無垢な好奇心だけがあった。
「オレに名などない。オレは人も、人でない者も食う、ただのオニだ」
 それが、最初に交わした言葉だった。


 彼女はその後、何度も彼のもとを訪ねた。
「オニさん」
「ねぇねぇ、オニさん」
 無邪気な彼女の言葉。邪険にしても、翌日にはまた遊びにやってくる。
 その気になれば、彼の指先一つで彼女の小さな命を摘み取ることもできただろう。しかし不思議と、そうする気にはなれなかった。
「人を傷つけちゃいけないのよ」
「なぜだ?」
「わたしは痛いのはいや。傷つくのもいや。自分がされたらいやなことは、人にもやっちゃいけないのよ」
「……嫌なことをしてくるやつがいたら、ひねりつぶせばいい。いなくしてしまえば、嫌なことなどされなくなる」
「どんな人でも、いなくなったら悲しむ人がいるの。誰かを悲しませることになるから、傷つけるのは良くないことなの」
「理解できんな」
「いまは理解できなくても、きっとそのうち、分かることなの」
 彼女は、彼がそれまで考えたこともないことばかり言った。
 オニである彼には、まったく理解のできない事柄ばかりだった。


 何千の昼と夜を数えた。少女は大人になり、やがて老婆になった。
 オニであるがゆえに、彼は変わらぬ姿で、年老いていく「少女だったヒト」を見続けた。
「お願いがあるの。どうか、もうだれも傷つけないで。悲しむ人を増やさないで……」
 死ぬ間際の彼女の言葉。自分の命が尽き果てようとしているのに、彼女が口にしたのは、自分ではない誰かのためのもの。弱く、短命なヒトという種族の、なんと不可思議なことか――。
 その日から、彼は殺生をやめた。
 最初はただの酔狂のつもりだった。
 彼女の最期の言葉だから、彼女が望んだから、つかの間だけでも、かなえてやりたいと思っただけのはずだった。
 しかし、いつからか、その思いは彼女への「誓い」となった。


 誰よりも残酷だったがゆえに、慈悲を。
 誰よりも恐れられたがゆえに、優しさを。
 無数の命を傷つけ、奪ってきたがゆえに、不殺生を――。
 それは、誰にも知られることのない誓約だった。


 何万という昼と夜を数えた。彼の存在が時間の塵埃(じんあい)に埋もれ、記憶の彼方へ押し流された後も、彼はひっそりと生き続けた。
 彼は時折、彼女が生まれ育った村を訪ねた。彼女の子孫が静かに暮らすのを遠くから見るだけで、喪失の痛みは癒されるように感じた。


 そんな村の平和が侵されたのは、突然のことだった。
 人ならざるモノたちが、再び現れたのだ。
 逃げ惑う人々を、人ならざるモノたちは無慈悲に捕まえ、引き裂き、喰った。
 神代の頃ならいざ知らず、彼らを呼び出す呪法など、数百、数千という年月を経て、とうに失われていたはず。
 そんなものが、なぜ今さら――。
 どれほど首をかしげても、答えなど見つかるはずもなかった。
 そんなことよりも重要なのは、奴らが彼女の子孫を傷つけ、殺めているということ。
 それは彼にとって、慈悲、慈愛を教えてくれた彼女が傷つけられ、辱められているに等しいことだった。


「なぜ、貴様らはこのような真似をした?」
 人の姿に擬態した彼は、人ならざるモノたちの前に立ちはだかった。
 その背後には、彼女の子孫が隠れていた。まだ幼い子供だった。
「答えぬか。なぜ、貴様らはこのような真似をした?」
 答えるだけの知能がないのか、人ならざるモノたちは答えない。ただ、己の背後にいる、弱き生き物たちを引き渡すよう、求めていることだけは分かった。
「……なぜ、争いがなく、静かに生きたいと願った彼女の末裔が、このような仕打ちを受けねばならぬ?」
 それは、人ならざるモノたちへの問いかけではなく、己の心からの嘆きだった。
 人ならざるモノたちは答えない。彼は独白を続けた。
「貴様らのしたことは許せぬ。しかし、もっと許せぬのは、オレに彼女を裏切らせることだ。彼女への誓いを破らせることだ」
 話しながら、彼の姿は変貌を遂げていた。人から、人ならざるモノ――オニの姿へと。
「人ならざる貴様らに、思いださせてやろう。かつて貴様らの同胞(はらから)に、オヌと恐れられた者がいたことを」
 丸太のような腕の一振りで、人ならざるモノたちを薙ぎ払う。鋭い爪と牙で、人ならざるモノたちを引き裂く。
 つい先ほど彼らが、彼女の子孫に対してやったように。
「――畜生になり下がった貴様らに、あらためて教えてやろう。この世ならざる所に生まれた、本物のオヌの恐ろしさを」
 かつては妖、アヤカシと呼ばれ、恐れられたモノたち。しかし今は、物言わぬ、知能なきケダモノになり下がったモノたち。
 屠(ほふ)ることに、迷いはなかった。
「彼女の痛みを、思い知るがいい!」


 黄昏の村に、生者の声はなかった。
 生き残った者はすでに逃げ去り、村に残ったのは息絶えた人と、人ならざるモノたちだけだった。
 オニは長く伸びた己の影を見下ろしていた。否、正確には、長く伸びた影の先にある、少女の墓標を見つめていた。
「……すまない」
 ポツリと言った。
 人ならざるモノを傷つけたことか。彼女の子孫を守れなかったことか。何に対して「すまない」のか、彼自身にも分からなかった。
 血に濡れた拳を握り、肩を震わせ、彼はただひたすら慟哭した。




あとがき
十数年前に構想(妄想?)していた小説の一場面を思い出したので、唐突に書いてみました。
オニと少女の関係、数千年もの間、姿を消していた「人ならざるモノ」がなぜ現れたのか、生き残った少女の子孫はどうなるのか――。
詳細については、またそのうちに書くかもしれません。

「月とお酒ってものすごく相性がいいの。知ってた?」
 そんなことを奈々子が言いだしたのは、やたらと月が明るい夜。借りてきた映画を観終わった直後のことだった。
 映画の内容は、当初、ケンカばかりしていた主人公とヒロインが、いくつもの事件に巻き込まれながら互いの理解を深め合い、ラストシーンで結ばれるという、よくある話だった。
 ただ、そのラストシーンの美しさが群を抜いていた。
 二人が夜の浜辺でグラスを交わし、最後にキスをする。満月が煌々と二人の上に降り注ぎ、明るい夜空にさざ波の音だけが響きながら、エンドロールが流れていくのだ
 俺も奈々子も、しばらく映画の余韻に浸っていた。
 その矢先、奈々子が先ほどの問いを投げかけてきたのだ。

「『魔法』の話か? だとしたら、そもそもそのネタは俺が話したんだろう?」
 月の明るい夜には、不思議な力がある。明るい太陽の光の下では、固く閉ざされている心の扉を、静かに開けてしまうという、不思議な力が。
 それは言い換えるなら、「魔法」と言ってもいいかもしれない。
 心を開く、魔法。
 酒も、似たようなところがある。頑なな理性を溶かし、心の奥底に秘めていた本当の気持ちをさらけ出させてしまう。
 いつだったか俺は、そんなことを奈々子に言ったことがあった。
「あれ、そうだったっけ? でも、いいじゃない。ちょっと今日は、月とお酒の力でマジな話をしたい気分なんだから」
「ほっほぅ。奈々子が俺にマジな話をしてくれる日が来るとはなぁ。おいちゃん嬉しすぎて涙が出てくらぁ」
「茶化すんじゃないのっ。アタシだってたまには、そういうこと考えたりもするんだから!」
「週末のたびに俺の部屋に上がり込んでタダ酒タダ飯かっ食らってるお前が、どれだけマジな話をしようとか言っても冗談にしかならんわ!」
「黙って聞きなさい、この酔っ払い!」
「酔っ払いはお互い様だろうが!」
「近所迷惑になるから少し黙りなさいよ!」
「そもそもお前が俺の家に来るからだ!」
 そんな不毛な罵り合いは、不意に中断される。
 隣室からの「ドン!」という壁を殴る音で。
 しばらくの間、気まずい空気が流れた。やがて、奈々子が控えめな声で文句を言ってきた。
「アンタのせいで怒られたでしょっ」
「お前が先に大声出すのが悪いんだろっ」
「むー。……ああ、もういいわっ。チューハイおかわりっ!」
「自分で作れ! ってか、その焼酎もジュースも俺の買い置きだ! 飲むなとは言わんが、もう少し遠慮して飲め!」
「あーハイハイ。聞こえなーい」
 奈々子は面倒くさそうに立ち上がると、コップ(当然、俺の私物だ)に焼酎と青リンゴ味のソーダをドバドバ注ぎ、クッションに座りなおした。

 俺と奈々子の関係は、「幼馴染の腐れ縁」という言葉そのものだった。
 二人とも同じ団地で生まれ育ち、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、ずっと一緒に過ごしてきた。さすがに就職先までは一緒にならなかったが、俺が一人暮らしを始めた矢先、奈々子も同じ町内にアパートを借りたと知ったときには、一体なんの冗談かと思ったものだ。
 シチュエーションだけ聞けば、どこかの恋愛シミュレーションゲームに出てきそうな設定に思うだろう。しかし現実は、そんな話とかけ離れていた。
 一緒にいる時間が長すぎて、俺も奈々子も、お互いのことを異性として認識することなどできなくなっていた。文字通り、兄弟みたいな関係というやつだ。そうでなければ奈々子も、週末のたびに二十歳を過ぎた男の部屋に上がり込み、泥酔して無防備に寝こけることなどできなかっただろう。
 というか、週末のたびに奈々子が遊びにくるおかげで、俺は同僚と飲みに行くこともできないし、合コンにも出られないし、酒やツマミの食材、菓子などを買い置きしておかなきゃいけない。買い置きがなかった日には「一緒に買いに行くわよ!」とスーパーへ強制連行される。もちろん支払いは俺の負担だ。まったく、たまったものではない。
 ――と言いつつも、俺が奈々子の来訪を拒絶したことは一度もなかった。下ネタも罵詈雑言も気兼ねなく言い合える飲み仲間として、奈々子ほど重宝する友人はいなかったのだ。
 そんなわけで、金曜か土曜の夜から日曜の夕方まで、俺と奈々子はほぼ毎週、ずっと一緒に過ごしていた。

 そんな関係が続いていれば、俺と奈々子が付き合っているという噂が流れるのは、ごく当然のことだった。
 そのたびに俺は噂を打ち消して回ったが、誰一人、まともに取り合ってくれなかった。ま、そりゃそうだろう。俺だって他人が同じ話をしていれば、「こいつら付き合ってるだろ」と思うことは間違いないからだ。「付き合ってない」と言うのなら、「さっさと押し倒しちまえ」と言うだろうし、俺自身、まったく同じセリフを何度となく言われ続けてきた。
 しかし長年、異性として認識してこなかった相手だ。押し倒すことなどできるはずもなく、時間だけが流れていった。

「ね、キスしてみる? さっきの映画みたいに」
 奈々子がチューハイを飲み干し、グラスを置いて不意に言った。あまりに唐突すぎて、俺は思いっきりムセてしまった。
「いきなり何を言いだすんだお前はっ!」
 ゲホゲホとせき込みながら言い返す。
 奈々子は左手で俺の背中をさすりながら、
「結構マジなんだけど。というか、さっき言いかけた『マジな話』ともつながってるんだけど」
「マジって、何考えてんだ一体!」
「だってこうでもしないと、いつまでも関係進展しそうにないし。この際だから、押し倒すのもアリかと思ってるんだけど」
 背中にかかった左手に、グッと力が入るのが分かった。同時に、右腕が俺の体に巻きつけられ、抱きつかれた形になる。
 ……ヤバい。コイツ、マジだ。密着する奈々子の体を感じながら、俺は「どうしよう、どうしよう」と、そればかり考えていた。
 とりあえず奈々子の髪を撫でながら、空いているほうの手でグラスに残っていた焼酎を一気に飲み干す。それでも酔いが足りず、片手で焼酎を自分と、奈々子のグラスにドバドバと注いで、それを一気に飲み干した。
 これはきっと月のせいだ。俺はアルコールの作用でグラグラし始めた頭で、昔読んだローマ神話の月の女神のことを思いだしていた。
 ローマ神話で月の女神の名は「ルナ」。しかし、それが元になって生まれた「ルナティック」という言葉には「月によって正気を失った」「狂気の」という意味がある
 月と酒。どちらも人を酔わせ、理性を失わせるという意味では、確かに相性がいいのだろう。
 しかし、月の魔法も、酒の魔法も、夜が明けて酔いが醒めたら、消えてしまう定めのもの。
 映画なら、ハッピーエンドですべてが片付くが、現実はそういうわけにいかない。魔法が解けた後も、日常生活は否応なくエンドレスに続いていくのだ。
「……とりあえず、飲めよ」
 グラスを勧め、それだけを言う。さっき飲み干した焼酎が一気に回ってきた俺は、奈々子に抱きつかれたまま床にバタリと倒れ、そのままいびきをかいて寝てしまうことにした。
 せめて目が覚めるまで、この問題は棚上げにしてしまおう。急に言われたって、こっちにも心の準備が必要なのだ。承諾しても断っても、つかず離れずのいまの関係は変わってしまい、元には戻れなくなる。「それでもいい」と腹を決めるための時間がほしかった。
 眠りに落ちる直前、奈々子の「ヘタレ」という声が聞こえたような気がした。

本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

本作のお題は「月、映画、お酒」でした。