長編小説「妖狩」最終話 | 春風ヒロの短編小説劇場

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「終わったんだね」
「ああ、終わった。少なくともこれから数百年、この町を含む周辺地域で怪異現象は起こらないはずだ」
 木刀の入った袋を手にした女子高生と青年が、河川敷のベンチに腰掛けていた。二人の視線の先では、穏やかな水面が昼前の陽光を浴びてキラキラと輝いている。
 つい数時間前まで、このすぐ近くで二人が人ならざるモノたちと死闘を繰り広げていたなどと、誰が想像できるだろう。
「アキラはこれから、どうするの?」
「どこかから依頼が来れば、そこへ行く。それまでは……久々に、故郷の山にも帰ってみようかな」
「故郷って、あの……? 鬼が住んでるって言ってた……」
「そう、村はもう跡形もなくなっちゃったけど、俺をたすけてくれた隠(オヌ)は、まだあそこに住んでいるはずだからね。神代のころから生きてきた恐怖の体現者でも、俺にとっては、命の恩人。たとえ会えなくても、せめて酒くらい供えてこようと思う」
「……そっか。山へ行ってからは? 次の仕事が決まるまでは、この町にいるの?」
「そうだな。特殊な荷物が多いから、引っ越しも楽じゃない。それに――急にどこか遠くへ行ったら、泣き虫のまどかが寂しがりそうだしな」
 アキラはそう言って、意味ありげに笑う。
「あ、アタシは泣き虫じゃないもん!」
 まどかは顔を赤らめ、青年の肩を平手で叩こうとする。アキラはヒョイと体をひねってその手をかわし、そのままベンチから立ち上がった。
「さ、帰るぞ。ピアノ、聴いていくんだろ?」
「あ、うん。聴きたい」
「じゃあ、ほら、立って。行くぞ」
 アキラは竹刀袋を肩に担ぐと、ぶらぶらと歩きだした。まどかも同じように竹刀袋を担ぐと、彼の後を小走りについていった。


 駅前に建つ高層マンションの最上階。アキラはエレベーターを降りると、カードキーでドアを開け、まどかを招き入れた。
 一人で住むには広すぎる4LDKの部屋の中は、ほとんど家具らしい家具が見当たらない。ガランとしたリビングを抜け、アキラは一つの部屋に入る。リビングと同様、ガランとした部屋に、1台のアップライトピアノが置いてあった。
「一曲聴いたら帰るんだぞ」
 そう言ってアキラは、ピアノのふたを開ける。数度、深呼吸をして心を静め、ゆっくりと鍵盤に指を落とした。
 雨だれのように不規則な音が、部屋に満ちる。戦いの中で固まった指が、音を紡ぐうちにほぐれ、滑らかに動きだす。
「ささくれ立った俺の心をね、ピアノの音がほぐしてくれるんだ」
 まどかはピアノを聴きながら、いつだったか、アキラがそう話していたことを思い出していた。
「俺は、ピアニストになりたかったんだ。物心ついたときから、ピアノが好きだったから。ピアノを通して自分の気持ちを表現して、人に感動を伝える。そんな生き方がしたかった」
 一心にピアノを奏でるアキラの横顔を見詰めながら、まどかは考えていた。間違いなく彼は一流、いや、超一流のピアニストになれただろう、と。
 しかし、彼を取り巻く事情が、それを許さなかった。
 ピアニストにとって命とも言うべき手。傷をつけるなど、もってのほかだろう。だが、アキラの両手には、無数の傷跡が刻まれていた。


 神代のころ、人からも、人ならざるモノからも恐れられた者がいた。
 隠(オヌ)――転じてオニと呼ばれた者は、一人の心優しい少女と出会う。
「もう、誰も傷つけないで」
 少女の願いを聞き入れたオニは、数千年にわたって人里離れた山奥に身を隠した。


 オニが再び人々の前に現れたのは、いまから15年前。10世帯余りの農家が肩を寄せ合って暮らす小さな集落で、惨劇が起こったときだった。
 人ならざるモノが村を襲い、ほぼすべての住民を虐殺した。
 オニが駆けつけたとき、人ならざるモノは最後の一人――つい先日、小学校に入ったばかりの少年――を手に掛けようとしていたところだった。
 オニは人ならざるモノをことごとく引き裂き、少年をふもとの神社へ送った。
「隠神(オンガミ)神社」。いつの時代か、オニを恐れた人々が、祈りをもってオニの気を静めるとともに、オニの力を借りて災厄から身を守ろうと、建立したものだった。
 オニは当代の宮司に少年を引き渡し、再び姿を消した。


「もう誰も傷つけないで」と、少女は願った。
 しかしオニは、少女の末裔を守るため、約束を破り爪牙を振るった。
 そして、少女の末裔もまた、自らの夢を捨て、人々を守るための戦いに身を投じた。
 千年の時を経てなお、彼女の思いは果たされていない。


 アキラが奏でるピアノの音色が、深い哀調を帯びて部屋いっぱいに広がってゆく。
 彼のピアノが、喜びや幸せの歌を奏でるのはいつのことか。彼自身にも分からないまま、戦いの日々はこれからも続いていく――。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆したものです。

本作のお題は「水、手、約束」でした。なお、本作は10年以上前から構想を練っていたものですが、この最終話以外はまだ執筆・公開していません。本作に関する質問やお問い合わせには、お答えできかねる場合がありますので、悪しからずご了承ください。

なお、本作の関連作品としては、「オニの慟哭」をご覧ください→http://ameblo.jp/huebito/entry-11105663619.html