短編怪奇小説「携帯メール」 | 春風ヒロの短編小説劇場

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春風ヒロが執筆した短編小説を掲載しています。

 メールというのは、実に便利なものだ。
 こちらの都合のいい時に送れば、相手も都合のいい時に読んで、返信してもらえる。
 もちろん急ぐ用事のときは、電話のほうが便利だ。しかし日常生活において、そこまで急を要する事態が発生する可能性は、極めて低い。となると、相手の事情を顧みず、こちらの一方的な都合だけで束縛する電話よりも、メールのほうがいい、となるわけだ。
 また、面倒な話や、気乗りしない誘いなどは、すぐに返信せず、後になって「ごめん、寝てた」「携帯を充電してて、メールに気づかなかったよ」といった言い訳をすれば、たいていの場合、ごまかすことができる。
 また、「ichiro-hanako-love@~」のようにアドレスに恋人の名前を入れて、周囲にラブラブアピールができるのも、メールならではだろう。ただ、この場合、恋人と別れると同時にメールアドレスを変える必要性が出てくる。当人はアドレス変更と同時に、別れた恋人とキッパリ縁を切ることができるし、アドレス変更と「恋人と別れた」という連絡を同時に行えるのだからいいのかもしれないが、連絡をもらう側としては、いちいちアドレスの再登録をしなくてはならないのだから、面倒な話なのだ。


「アドレス変えたから! 今度から、こっちにメールしてね」
 見覚えのないアドレスから、そんなメールが届いていたのは、ある夜のことだった。
 差し出し人の名前は書いていないが、新しい彼氏ができるたびにアドレスを変える女友達、マキだろう。ひどいときには月に一度のペースで、アドレス変更の連絡をよこしたこともある。いい加減、チマチマとアドレスを登録し直すこちらの手間を考えやがれ、と言いたくなった。
「『貴様はどこの何者だ。名前ぐらい書いてきやがれ、このスットコドッコイ!』……送信、っと」
 相手をマキだと思いこんでいた私は、そんなメールを送った。しかし数分後に返ってきたメールを見て、私は目が点になった。
『あいかだよ~。ユウ君だよね?』
「……あいかって誰やねん」
 思わず関西弁で、メールにツッコミを入れる。それに私の名前に、「ユウ」という単語は欠片も含まれていない。
『さきほどは知人と間違え、失礼しました。ですが、送り先をお間違えでは? 私はユウ君ではありません。あなたの名前にも心当たりはありません。誰からこのアドレスを聞きましたか?』
 見ず知らずの相手とあっては、さっきのようなメールは失礼だ。手遅れかもしれないが、丁寧な文面で返信する。
 数分後、「あいか」から返信が届いた。
『友達にこのアドレスを紹介してもらったんだけど……もしかして、まったく別の人に送っちゃってますか?』
『友達って、誰でしょうか?』
『さやかってコなんですケド……』
 私に、そんな名前の知り合いはいない。とはいえ、友達の友達を経由するなど、どこかから「さやか」に私のアドレスが流れた可能性がないとはいえない。どことなく、薄気味悪いものを感じた私は、携帯を握りしめたまま、どう返信したものか、あるいはもう返信をやめるべきか、頭を悩ませていた。
「とりあえず『そんな知り合いはいません』……と、送信」
『ごめんなさい。さやかにメールしてるんだけど、全然連絡取れなくて。ユウ君とも連絡できないし、最悪だよぅ』
『ユウ君と連絡つくといいですね』
 そう私は返信し、これ以上メールすることもないだろうと思って、携帯を閉じた。


 翌日「あいか」から再びメールが届いた。
『こんなこと、あなたに言っても仕方ないことなんだけど、ユウ君ともさやかとも連絡がつかなくて、どうしようもないからメールしちゃいます。
 実は私は昔、別れた彼氏がストーカーしてきたことがあって、男声恐怖症になってたんです。だけど、このままじゃ駄目だと思って、友達に男の子を紹介してもらったんです。
 せっかく教えてもらったのに、アドレスが間違ってたみたいで、あなたに迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。
 だけど、間違いメールにこうして返事をもらえたのも何かの縁だと思うし、もし良かったら、ときどきメールで話し相手になってもらえませんか?』
 ……ふむ。どこの誰かは分からないけれど、メールくらいなら大丈夫だろう。住所や自分の本名など、具体的な個人情報さえ明かさなければ、特に問題はないはず。もし何かあっても、メールを返信しないとか、アドレスを変えてしまえば、すぐに縁を切れるだろう。
『いいですよ、私で良ければ』
 私は、ごく軽い気持ちでメールを送った。


「あいか」こと愛華は、どんな時間にメールしても、たいていすぐに返事をくれた。
 日曜の昼下がり、テレビで野球観戦している最中。
 残業を終え、終電間際に帰宅した直後。
 早朝、出勤途中の電車の中で。
 私は、最初のうちは彼女とのやり取りを無邪気に楽しんでいた。
 愛華は名前の通り、花がとても好きだという。恋人のいなかった私は、軽い気持ちで最寄駅に飾られている生け花や、近所の商店の花壇、自分の住んでいるマンションの前の植え込みに咲く花の写真などを送った。彼女はとても喜んでくれた。


 しかし、やがて私は、彼女とのメールに気味の悪さを感じるようになった。
 いつ何時でも、数秒で彼女からは返信があった。こちらが何かの用事で返信をせずにいると、
『返事まだかな?』
『忙しいのかな?』
『返事まだかな?』
『忙しいのかな?』
と、催促のメールが山のように送られてきた。


 ある日の夜。風呂上がりに携帯を見ると、愛華からのメールが届いていた。
「未読メール 30通」の表示にゲンナリするものを感じながら、未読メールを着信順に読んでいく。
 未読メール30通『返事まだかな?』
 未読メール29通『忙しいのかな?』
 未読メール28通『返事まだかな?』
 未読メール27通『忙しいのかな?』
 いつもの文面だ。愛華は以前、「彼氏にストーカーされた」と言っていたが、彼女のほうがよっぽどストーカーみたいだ、と思いながらメールを次々と読んでいく。
 未読メール9通「忙しいのかな? 会いたいな」
 未読メール8通「そうだ、いまから会いに行くよ」
 これまで見たことのなかった文面に、私は驚いた。冗談だと思いたかった。住所など教えていないのに、来れるはずがない。そう思いたかった。
 未読メール7通「いま、○○駅にいるの」
 未読メール6通「いま、電車に乗ったの」
 まさか……。そういえば以前、最寄駅の写真を送ったことがあったが……。
 未読メール5通「いま、○○駅に着いたの」
 間違いない。私の最寄り駅だ。
 未読メール4通「いま、○○商店の花壇の前にいるの」
 この前、花壇の写真を送った店だ。彼女は確実に近づいてきている。
 未読メール3通「いま、あなたのマンションの前に着いたの」
 未読メール2通「いま、マンションの階段を上がっているの」
 慌てて耳を澄ませる。玄関の外は、シンとして物音一つしない。
 最後のメールを開く。
「いま、あなたの部屋の前にいるの」
 ついさっき、風呂から上がったばかりだというのに、背筋に冷たいものが流れた。
 ピンポーン。
 見計らっていたかのようなタイミングで、チャイムが鳴った。慌てて玄関を見る。ドアは鍵もチェーンも、しっかり掛かっている。
 開けられる心配はない。そうだ、大丈夫。ドアを開けなければいい。もしも部屋の前で騒ぐようなら、警察を呼べばいいんだ。少し安心して、私は部屋の壁にもたれかかった。


 しかし次の瞬間、背後から女の声が聞こえた。
「いま、あなたの後ろにいるの……」



本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

本作のお題は「メール、野球観戦、残業」でした。