トランペット:菊池寿人、築山昌広、広瀬未来、塩ノ谷幸司

アルトサックス:小林充、藤吉悠

テナーサックス:武井努、高橋知道

バリトンサックス:里村稔

トロンボーン:大島一郎、Tommy、山内淳史、川口哲史

ピアノ:宮川真由美

ベース:藤村竜也

ドラムス:岡本健太

スペシャルゲスト:木村優一(和太鼓)


The Symphony Hall  Big Band ~Music Direcctor 菊池寿人~ Vol.3 

2016.9.17[SAT.] START 17:00

ザ・シンフォニーホール


1st stage (1) Ya Gotta Try・・・Harder

         (2) 真珠の首飾り

         (3) Moonlight Serenade

         (4) Georgia on My Mind

         (5)  ダッタン人の踊り

         (6) 太陽がいっぱい

 休憩(20分)

2nd stage (1) 乱馬~Ranma

         (2) Sing,Sing,Sing

         (3) ひこばえに咲く~From a stump New Blooms

         (4) 枯葉(ピアノトリオ)

         (5) You Got It

         (6) スウィングしなけりゃ意味がない

 アンコール (1) Why not!

         (2) Liberlang On Fire


終わったのは19時20分だった。2度目だが、Big Band のジャズの音が迫力満点で心地よい。

トランペットには「太陽がいっぱい」が似合う。2階の後部席FF列の22番だったが、そんな事にお構いなく、このホールの音響は素晴らしい。もう、頭の中はオカリナで鳴らす「太陽はいっぱい」だ。マイクを通して、音量を上げて、この曲を吹きたいと思った。

息を強めに入れられるオカリナで、存分に吹いたらどうだろう。トランペットに越した事はないが、情感では勝負出来るだろうと思う。

休憩のとっぱしで木村優一が出て来て、Big Bandとコラボをした。5つの太鼓を並べて、ここぞとばかりに叩き回す。16の楽器と合わせても、音の大きさでは引けを取らない。流石に和太鼓だと思った。ドラムスとの掛け合いもあったが、負けてはいなかった。和洋融合していて、それで個性ははっきりしている。面白い!

バンドの中にあってはドラムスと和太鼓、どちらが溶け込んでいるかと言えばそれは一聴瞭然だが、木村優一はそのリズム感で、Big Bandと渡り合っている。

中央の大太鼓に向かって行く。その音は、流石和太鼓と言いたくなるほどの迫力だ。長年太鼓一筋に歩んで来たその入魂が、違和感のない音楽性を発揮していた。

響き渡る太鼓の音は、正に打ち上げ花火を彷彿とさせた。目の前に、花火がドンドンと打ち上げられているようだった。

「枯葉」はピアノとベースとドラムスのトリオだったが、Josepf Kosmaの作曲とは言え、宮川真由美の編曲に依って、その音の片鱗を辿る事も出来なかった。編曲冥利の「枯葉」ではあったが、他の曲も、編曲に依っては生きたり死んだりするものだと感じた。

素晴らしいBig bandには違いないが、ただ酔い痴れる段階ならそれでもいいが、こうなって来ると好みも出て来るものだと思えた。それはさて置いて、プロである所以はそれぞれが音をしっかり作っている所。初めが一糸乱れず音を発する所。終わりがぴったりと合う所。当たり前だと思われるが、音が乱れなかった所だ。

木村優一に女性アナが話を聞いていた。その彼の言葉で残ったのは2つ。

「太鼓は音楽とスポーツを一緒にしたようなものです」

と言ったのと、

「勉強は好きではなかったです」

と答えた言葉だった。

久し振りの大音量のジャズを聴いて外に出た。17日は満月の日だったが、暗くなった空、雲の隙間があったものの、月はその姿を見せてはくれなかった。15日も16日も、私は何度か外に出て見たが、皓々とした名月には会えなかった。明日明後日を期待しよう。そんなにすぐに欠ける訳もあるまい。

王将の餃子の看板が目に付く。即決すると店に入り、生ビールをゴクン。喉を潤した。餃子と餡かけミートボールを食べながら、中秋の名月(今年は15日だった)に団子を食べるその団子を想像していた。昨日(16日)は閉店(20時)より少し前のコープに、急に食べたくなったおはぎを買いに行った。昼はあったのに、もう何処にも見当たらなかった。

萩の花を想像して秋はおはぎと言うし、春は牡丹の花に見立ててぼたもち(牡丹餅)と言う事は誰でも知っている事だが、私はおはぎもぼたもちも同じものだと思っている。説が幾らかあるようだが、同じものを季節の違いで言い分ける方が面白い。

つい先日知った事だが、この餅には夏と冬の呼び名があるそうだ。これは知らなかった。

夏は夜船と呼ぶらしい。ぺったんぺったん搗く音がしないから着き知らず、つまり夜船だから着いたのも分からないと掛けてある。冬は北窓と言うらしい。同じく搗く音がしないから月知らず、つまり北窓からは月は見えないと掛けてあると言うのだ。

面白いが、夏と冬に私は夜船が食べたいとか北窓を食べたとか言うだろうか。折角の知識だったが、使う事はないだろう。御萩か牡丹餅で十分だ。それに、春と秋で呼び名に気を取られずとも、どちらを言っても良いのではないだろうかと思った。春におはぎだって、秋にぼたもちだって。

響きから言えばちょっと違和感があるかも知れない。中秋の名月を観ながらぼたもちを食べたと言うより、おはぎを食べたと言う方がどことなく名月が美しく思えて来る。これだって本質から言えば、どうだっていい事である。

さて、大阪駅から快速に乗り、三宮では降りなかった。高速バスが出た後なので待つ時間が惜しかった。そのまま垂水まで乗った。相変わらず月は見えないが、風が出てきたようだ。もう台風16号の影響があるのだろうかと思ったが、そうかも知れないしそうではないかも知れなかった。ここ暫く風を感じていなかった私は、少し生暖かい風だったが、心地よさを感じていた。

バスを降りて家まで歩いたが、真っ先に見上げたのは空だった。それでも、その姿は依然として見出せなかった。
昨日は飲んでいる事を理由に、私のどうでもいいような詞を載せた。私は自分自身、力量も才能もなく、まるで小学生の特に1、2年生の作文のように稚拙だった。

低学年の小学生は、10歳にもならない成長段階で書く作文である。その段階に立って読むと、それはきらきらとダイヤのように輝いている。ピチピチと縦横に跳ね回っている。語彙や作法や経験が少ないのは当たり前の世界の中で、思う存分にエネルギーを発散する。

だから、私の詞が小学生の低学年のように稚拙だと書く事は、例えも悪いし、尤も理に叶っていない。これから学んで行く子供達の文章と比べ、しかも表現レベルでは飽く迄低いと思われる、それでも自分を作文と同一線上に置いたのだった。稚拙を、そんな言い方でしか表現出来ない私の方こそ稚拙なのだ。

子供の作文に感動するのは、そこに感性が光っているからだ。もう私にはない、羨ましい程の瑞々しさと感受性の泉が、絶え間なく湧き出している。


沢木耕太郎と藤圭子の実名入りの対話が390ページで終わっている作品「流星ひとつ」(新潮文庫)、沢木耕太郎著の中に、作詞とそれを歌う藤圭子の気持ちの現れている所があった。あの全盛期を過ぎた頃の事だったろうか。

阿木燿子が作詞し宇崎竜童が作曲して初めて藤圭子に書き下ろした「面影平野」に就いて、話が進んでいる。ウオッカ・トニックを何杯も飲みながら、もう2人の延々と続く話だが、それでもインタヴューなのだろう。

その1番の歌詞が載せられている。

 女一人の住まいにしては 私の部屋には色がない
 薄いグレーの絨毯の上 赤いお酒をこぼしてみよか
 波紋のように足許に 涙のあとが広がって
 酔えないよ 酔えないよ
 六畳一間の 面影平野 (阿木燿子作詞  面影平野一番より

こんな詞がよく書けるなと感心する。凄いセンスと文章力だ。それが、以前の歌の様にはヒットしなかった。それは、詞や曲が悪かったからではないと、話は進んで行く。確かに、こんなに素敵に書かれた詞に、ヒットしない理由はなかった。

ここから、本文の引用をする。飛び飛びにだが、対話の部分も全て沢木耕太郎の「流星ひとつ」からの文章である。

「あなたは、あの曲が好きじゃなかったのか・・」
「好きとか嫌いとかいうより、わからないんだよ、あの歌が」
「わからない? あの詞が?」
「そうじゃないんだ。すごくいい詞だと思う。やっぱり阿木燿子さんてすごいなって思う。でもね、そのすごいなっていうのは、よく理解できる、書かれている情景はよくわかる、そんな情景をどうしてこんなにうまく描けるんだろう、すごいなっていう感じで、すごいんだよ。たとえば、三番の歌詞なんて、普通の人には書けないと思う。

 最後の夜に吹き荒れてった いさかいの後の割れガラス
 修理もせずに季節がずれた 頬に冷たいすきま風
 虫の音さえも身に染みる 思い出ばかりが群がって
 切ないよ 切ないよ
 六畳一間の 面影平野 (阿木燿子作詞 面影平野三番より)

 特にさ、修理もせずに季節がずれた、なんて、やっぱりすごいよ」
「わからないって、さっきあなたが言ったのは、どういう意味なの?」
「心がわからないの」
「心?」
「歌の心っていうのかな。その歌が持っている心みたいなものがわからないの、あたしには。あたしの心が熱くなるようなものがないの。だから、曲に乗せて歌っても、人の心の中に入っていける、という自信を持って歌えないんだ。すごい表現力だなっていうことはわかるんだけど、理由もなくズキンとくるものがないの。結局わからないんだよ、この歌が、あたしには、ね」

以上で引用は終わるが、藤圭子の気持ちが、私には分かりかけた気がした。山が高くなるように、海が深くなるように、その高度深度の位置で心の度合いも理解度も違って来るとは思う。それならまだ分かるが、「結局分からない」と言う事は、気持ちが混沌としている事だと考えてもいいだろう。

心、そう、心だ。それが感じていなければ、どんなに素敵だと思われる詞でもメロディーでも、響く事はない。

阿木燿子のここまで考えられた詞でも、その詞の凄さを分かっている藤圭子にして「心がわからないの」と言わしめる。私の歌詞に何の新鮮味もない言葉がボロ布のように繋ぎ合わされただけのものが、心などと口に出す事さえ烏滸がましいのだった。
明後日は満月だが、今日(15日)は中秋の名月だ。皓々とした名月が見たいが、この雲の厚さでは、月の所在があの辺だと分かる程度にしか見えない。少し欠けているだろうが、それでも見えたら美しいだろうと思う。

明日でも、見られたらそれも名月。明後日見られたら、正に名月だ。中秋の名月が満月と重なった年は、毎年ではないのである。

団子は買っていないが、買い置きのおでんでウイスキーを飲んだ。焼酎もいい。日本酒もいい。ワインもビールもいい。だが、普段あまり飲まなかったウイスキーが好き。それを飲んだら、また書きたくなった。正確に言うと、朦朧とした頭で言えるのは、今迄の書き溜めたものを載せると言う事だった。

私は20年も前、作詞研究会に入っていた。ここから輩出された作詞家に、特に坂口照幸さんを挙げる事が出来る。有名な多くの歌手に、多くの詞を提供していたのだ。

鳥羽一郎の歌詞に応募した。メロ先と言って、テープにメロディーだけが入れられて送られて来た。それに詞をはめ込むのがメロ先で、先ず歌詞を作り、それにメロディーをつけるのが、詞先である。

私はそれに言葉を埋め、提出した。グランプリを獲ればCDになると言うものだった。スタッフにも覚えて貰えるようになっていたが、そう簡単に作れるものではない。だが、この時はグランプリの次に入った。2位以下なんて、この世界では1000位でも同じ事だと思った。

その時の作品は、1度載せたかも知れない。もう忘れてしまったし、それ以後、作詞の意欲を失い、退会した。現役の仕事をしながら、そんな趣味的な事にも手を出していた。

その時、横浜の妹が鳥羽一郎の奥様を知っていると言うので、図々しくも歌詞を書いて届けて貰った事があった。無しの礫は当たり前の今見れば情けない程下らない詞だが、その詞が残っていた。酔うと、考えられないものが目に触れる。

馬鹿な奴だと思って読んで見て頂きたい。やっぱり馬鹿だと思われると思う。丸出し馬鹿とは私の事だが、馬鹿は死ななきゃ治らないと言うのは本当だ。



   冬子

1.甘えた素振り 見せながら
  俺の心を 引き付ける
  どんなことさえ 可愛くて
  抱き寄せる手に ほつれ毛が
  何も言わずに 傍にいて欲しい
  冬子 冬子 冬子
  出船見送る 犬吠崎(みさき)

2.控えた紅の 色と香が
  俺の心を 狂わせる
  少し下がって ついて来る
  そんなところが 憎いほど
  言葉少なに うなだれる項(うなじ)
  冬子 冬子 冬子
  花粉流れる 九十九里浜

3.傘を差し出す 細い指
  俺の心を 燃えさせる
  薄い望みと 悟(し)りながら
  あなた好きよと 瞳(め)を閉じる
  命かけても さよならはしない
  冬子 冬子 冬子
  雨に打たれる 銚子の港



もう、嫌になってしまう。単語をくっ付けただけの何とつまらない詞だろう。酔いがすっかり醒めてしまうまでに載せて、やっぱりなあと項垂れる、そんな定番の幻滅を感じる事にしよう。
まだ暑さは続いているが、鱗雲が見られるようになり空が高くなったように思われる。蝉の声が聞かれなくなった時から、私の夏は終わる。

十数年前に某新聞が、多くはない懸賞金を出して募集していた。字数が制限されている短編の部に応募しようと思って書いたものがいくつかある。もの探しをしていたら、その拙い原稿が出て来た。それで、夏の終わりの墓碑銘として載せてみようと思った。飽く迄も、私の夏の終わりとしてである。



                                                                                                     蝉時雨

 いつからか蝉が急に鳴き出した時は、ああ夏だったんだと思った。クーラーと言うものが出来たのはいいとしても、熱中症になる程の外気にすっぽり嵌って、部屋に入ると鳥肌になる。贅沢なのだろうが、暑い時は噴き出る汗に任せた頃が偲ばれる。
 昭和二十年代後半から三十年代の前半が、私の小学生時代だった。当時六里と聞いていたが、岡山の新見から祖母の住んでいた千屋まではバスがやっと通れるだけのガタガタ道で、片側は崖になっている。ゆっくり進むものだから、二時間はかかっていた記憶がある。
 夏休みになると親戚が集まった。出雲の私と名古屋の道枝は同じ六年生だった。中学の姉もいたのだが、いとこ十人ほどの中で、私の不思議な気持ちは専ら道枝にだけ注がれていた。訳の分からない感情が交錯し、話したいのに話せなかったり、それでいて二人で居たいと思ったり・・。一日二往復しかないバスの重たそうな音以外は、むせ返る稲の匂いや草いきれの中に、自然の音しかなかった。若しくは、大人や子供の話し声だったり、体を張って遊んでいる時の声くらいだった。水車の軋む音もあったが、家から三十メートル程坂を上る間の、左は竹の林になっているそこだけは、特別の道だった。
 「上に行ってみようか」と言うまでに要したエネルギーは、例えようもない。溝のような小川が涌き水を運んでいる。二人は蟹を捕った。空き缶の中で、ガサゴソ蟹の滑る音がした。水車の軋む音を後に、昼でも薄暗いその道を走った。畳の上に這い出た蟹を見た道枝は、「どうして蟹は横にあるくんだろうね」と私に聞いた。精一杯答えた。「縦に歩いたら目をぶつけるでしょ」。道枝が笑ってくれたのが、ただ嬉しかった。
 もう、みんな帰る日が近づいていた。そんな日、向こうの小さな山に行くことになった。道枝は風邪かなにかで二階で寝ていた。私は一世一代の芝居を打った。階段に座っての腹痛の演技は、圧巻だった。道枝の横に布団を敷いて貰えることになった。正露丸を飲まされることになったが、そんなこと、なんでもなかった。みんな、口々に「残念だね」「可哀想だね」と言って出発して行った。吊り下げられた瓢箪を見ては、それにお酒を入れて昔の人は飲んでいただの会心の話をしていたが、いつお嫁に行くの、誰のお嫁さんになるのなど饒舌なのはいいが、いつしか変な話になってしまっていた。王子様とお姫様の、一方的だったかも知れないけれど、自分で作った至福の時。でも、長くは続かなかった。
 凄まじい蝉の鳴き声が当たり前の夏を演出している。道枝達は先に帰ることになった。バスは砂煙だけを残して、すぐに消えてしまった。キャンデー売りの鐘の音も、昨日までの音ではなかった。
 蝉が鳴かないと夏を感じない。あの時の蝉時雨ほどではないにしても、この声を聞くと暑さなどどうでもよくなる。そして、ノースリーブの服の横から覗けた微かな丘の衝撃が、いつでも蝉の声と一つになる。
私は、須磨のこの寿司屋さんがすしだ。 こんな事言ってるのは、もう馬鹿丸出し。歳丸見え。♪馬鹿だな、馬鹿だな、騙されちゃーって。別に騙した訳ではない。唯々、滑っちゃって。

久し振りに行った。鮨は、女の人が握る。だが、今回は定食を食べた。旨い、本当に旨い。この人の妹さんは佐川満男と仲良しの、列記とした歌手だ。高校生の頃から歌っている。誕生日のコンサートには、何度も行っている。分野はオールディーズだと本人は言っているが、ジャズを歌わせたら最高だ。

久し振りに懐かしかったが、行ったのには訳があった。いずれ分かる事である。

帰りに、初めての須磨寺に行った。若干17歳程の平敦盛の首を熊谷直実が打ち取る話で有名なお寺だ。小雨の降る中、階段を降り、三重塔や本堂や、首塚を見た。一番見たかったのは敦盛が吹いていた青葉の笛。「ああ、この笛を吹いていたのだ」と思ったら、その場を離れ難くなった。弘法大師が唐に留学していて持ち帰り、時の天皇に献上した笛である。

その後、暫く色んな所を訪ね、切りを見て、家に帰った。もうウイスキーの水割りを3杯飲んだ。車で止まった時に見た、ゴールボールの続きを、飲みながら観戦した。涙が流れた。アルジェリアに7対1で勝ったからではない。目にガムテープを貼り、その上から何も見えない密着したゴーグルを掛ける。

全く何も見えない。弱視ではなく、本当に暗黒の世界の選手もいる。3人と3人で、ハーフ12分で戦われる。横に寝るようにして、音を頼りにボールを止める。耳を頼りに、鈴の鳴るボールに体を張るのである。目が見えていたら、ここまでしなくてもいいゲームだ。

そんな彼女達が一生懸命に連携して、ボールを阻止する。勿論、相手の選手だって同じ事だ。頑張っているから、尚更感じて、涙が出てしまう。その姿に、私は打ちのめされた。

パラリンピックは、凄いと思う。

ああ、もう相撲が始まった。これも、私の楽しみにしている戦いだ。

稀勢の里、頑張ってみろ。優勝してみろ。太々しさから、最近急にモナリザのような微笑を浮かべる。きっと周りから言われたのだろう、「笑顔を作ってみろ」と。その微笑が初日には見られず、隠岐の海に敗れた。隠岐の海は逆に2日目鶴竜に勝ち、2連勝をしている。今日3日目は日馬富士と当たる。これに勝てば、もう力量も万全だ。隠岐の海は島根県出身の力士で、私は同郷の士として応援している。

いやいや、稀勢の里。彼の話だった。今日は栃ノ心との戦いが組まれている。弱点は見せずに、簡単に勝てば、これからもある。今日負けたら、多分絶望的だろうから、横綱の願いを、我々の為に実現して欲しい。モンゴルだけの3横綱には、幾らなんでも国技が泣くし、私も哀しい。白鵬が休場なのをチャンスと捉えて、頑張って貰いたい。14勝1敗で優勝して欲しいのだが・・。それが出来ない力量と体ではない筈だ。

モナリザの微笑みを、是非続けて欲しい。そこに完勝の兆しを、私は感じるからだ。

ちょっと酔ったかな。須磨寺が、いつしか注連縄の国技館神社へと変わって行った。