13日は、遅れてはいけない。寝過ごしてはいけない。参加出来なくてはいけない。4時に起きて、6時半に家を出た。

渋滞を心配した早目の高速バスに乗ると、うつらうつらしながら、三宮に着いた。ゆっくり走った流れもあったが、7時には三宮にいた。ミントの側のバス溜まりが集合場所と思っていたが、メールで神姫バス高架下を言って来た。

初めてのターミナルだったが、場所を確認出来た。女性の方の幹事Haさんがいた。場所が分かったので、コーヒーを飲みに行った。

7時45分が集合時間で、戻って見るとぽつぽつと仲間が集まって来た。だが、矢張りミントの側のターミナルの辺りで待っている者もいた。

8時15分に出発で、大きなバスの中にはトイレもあり、指定席である。横に3席が離れて並ぶそんな配置で、こんなバスには初めて乗った。高速舞子にやって来て、淡路鳴門自動車道、高松自動車道、松山自動車道を通り、松山市駅に着く。4時間掛かった。

12時15分、予定通りに着いた。昼食は各自自由だった。16人、退職時の仲間が16人いるが、様々な事情で今回は12人の参加だった(男8人、女4人)。男4人で食堂に入った。3人は同じ定食。私は肉うどん。これは美味かった。肉は元より、牛蒡、人参、葱入りの、初めての肉うどんだった。

もうお分かりだろう。道後温泉が目的の土地に立った。昼食が終わると皆が揃って、子規堂に行った。その前にある坊ちゃん列車に乗って、皆が窓から顔を出して写真を撮った。

松山市駅から市電に乗り、愛媛県庁本館を見学した。天辺のドームは歴史を物語り、その下4階は会議室である。

突然ウーウーウーと、白バイが走り、その後にパトカーが3台走って行った。何だろうと思った。県庁の職員も外に出ていた。正面玄関の前の門の側にはガラスの破片が散り、何かの表示板が倒れていた。そこから灰色の車が外に走り出たと言う。

暫くするとまた、白バイが回って来た。パトカーも続く。その先頭には、灰色の車が走って行った。今回は、1階しか見学出来ないと言う。2階ロビーまでは赤い絨毯が階段に敷かれている。皆、組閣だと言いながら、階段に立ち、写真を撮った。

また、サイレンが聞こえて来る。私は、外に出た。灰色の車。それを追う白バイ。パトカー。ぐるぐる県庁を通り過ぎ乍ら、何度も廻った。運転している男はVサインをしたりしていたが、他の車にぶつけたりしていたのだろう、前輪の上のカバーはガラガラと音を発し、外れそうになっていた。横の部分は凹んでいる。

大分してから、サイレンは止んだ。皆は言っていた。このカー・チェースで、灰色の車の男は捕まったのだろうと。余りパッとした景色のない松山で、こんなにドンピシャでカー・チェースが見られたなんて、これはもう不思議な事件だった。TVや映画の事件の場面をみているようだった。

15時30分頃にはまた市電に乗って、道後温泉へと向かった。泊まる事になっているにぎたつ会館に着くと、荷物を置いてすぐに道後温泉本館に行く事にしていた。その前に、シマさんとMiさんと私の3人は、タオルを持って、すぐ近くにある百数十段ある石段を上り伊佐爾波神社(いさにわ神社)に着いた。国指定重要文化財だ。

祭神は仲哀天皇、神功皇后で、道後温泉への行幸の跡がこの神社だ。応神天皇も入る。参道の階段中腹には、素戔之男命、稲田姫命が祀られている。

「八幡作り」と言うと京都の石清水八幡、大分の宇佐八幡とこの愛媛の伊佐爾波神社は、三大八幡造りと言われているのだ。

愈々道後温泉本館に歩いて行った。温泉の使用料は神の湯の「階下」が410円。「2階席」が840円。霊の湯「2階席」が1,250円。「3階個室」が1,550円だった。奮発して霊の湯2階席に3人は入る気持ちを統一していた。しかし、それは満席だと言われた。後は神の湯2階席と霊の湯3階個室があると言ったので、840円の湯に決めた。

この風呂に夏目漱石が入っていたかと思うと、それだけで来た甲斐が有ったと言うものだった。そんなに広くはないが、一番古い。大広間で浴衣を借りて早速入った。男は20人近くが入っていた。

上がると、その大広間でお茶と瓦煎餅の丸バージョンを2枚頂いた。その温もりは心地よく、にぎたつ会館に帰ってからはここの風呂には入らずに、宴会での18時からの夕食を待った。抽選で椅子の席は決まり、ビールで乾杯。

猪  口     柿なます
             ムール貝
八  寸    八寸
御吸物     海老葛打ち
お造 り    三種盛り
鍋  物    愛媛の風物詩 芋炊き
揚  物         里芋万頭鶏味噌煮込み
御食事    鯛釜飯
フルーツ   フルーツ

こんな献立だった。

大分時間が過ぎた頃、私はオカリナの演奏をする事になった。アカペラで童謡と、後3曲演奏した。シマさんはその後、良く通る喉で三線を鳴らしながら「晩酌(ダレヤミ)節」と「太陽ぬ落てぃまぐれ(てぃだぬうてぃまぐれ)節」を唄った。

その次はTakさんが皆に作って来てくれている木工の精巧な玩具を、紙切れの番号に従って貰った。2種類のものが皆の手に渡った。大変な労力、また力作である。孫が又喜ぶと思う。

3つに部屋割りがされ、丁度4人ずつの部屋になった。女性の部屋の隣りになった私達の部屋でまた集まって、飲んだり食べたり話したりした。他愛のない事だったり、学生時代のことだったり。

11時を回ってお開きに。その後、軈て回復された4つの寝床に潜り込んだ4人の瞼は、徐々に閉じて行った。


14日は、連続的な大きな音で目が開いた。4時過ぎだった。これはもしかして。雨? その通りだった。雨が雫となって鉄の手摺に打ち付ける音で、本格的な雨の光景を暗い窓の外に見た。

6時から風呂に入りに行き、7時を待って皆で行く筈になっていたバイキング会場を目指した。取り過ぎたのか、最後にはお腹が一杯になった。

部屋に戻りTVを観ると、昨日のカーチェースのニュースをやっていた。松山では大きなニュースだろう。若い男に見えるが、41歳だった。

その後は「わろてんか」と「とっとちゃん」を観た。暫く部屋にいて、8時20分にはロビーに集合した。雨は傘が要るか要らないかの微妙な降りに変わっていた。

雨の中、坂の上の雲ミュージアムへ見学に行った。雨は止んだり小降りになったりした。立派な建物で、安藤忠雄の設計に依るものだった。展示室は三角形を描くスロープで繋がれ、回遊式庭園を楽しむように上がって行く、斬新なアイディア。しっかりした、堂々たる建物だった。

産経新聞の夕刊に連載された司馬遼太郎による小説「坂の上の雲」は、1968年4月22日から1972年8月4日まで続いた。その新聞を切り抜いた小説は、回廊の壁の部分にぎっしりと全部が拡大して転写されている。

秋山」好古(1859~1930)や秋山真之(1868~1918)や正岡子規(1867~1902)の事が年表を通して興味深く良く分かるようになっている。

それから秋山兄弟の生誕の地を訪ねると、入って説明を聞く事になった。馬に跨った好古大将像、真之の教え子が寄贈した胸像がある。

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」。これは、ロシア・バルチック艦隊発見の電報の末尾に真之が加筆した有名な電文だ。

また真之は、聯合艦隊解散の辞を起草したこの言葉も力強い。

「神明は、唯平素の鍛錬に力め戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直ちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と」

最後はビデオを観てここを去った。これで時間が食われ、松山城見物が危ぶまれた。14時20分に神姫バスが松山市駅のバス停から出発する。これに全てが掛かっている。だが、ロープウエーに乗った。短い時間で上に着き、そこから10分歩いてお城に着く。ゆっくり観ている暇はない。

私は数人とどんどん歩き、お城に辿り着いた。そして、天守閣を目指した。周りの見学は足早に省き、只管天守を目指す。四方の景色を俯瞰し、すぐに下りて行った。皆も集まった所で再びロープウエーで下った。

昼食は鯛飯だ。商店街をかなり歩き、道行く人に場所を聞いたりして郵便局を目標にやっと辿り着く。30分で食べられたら時間に余裕が出来る。前菜を食べ、後は好きに食べれば良かった。温かいにゅう麺が美味かった。それだけでもう食べられない位に満腹していたが、鯛の切り身が2切れ乗った炊き込みご飯を食べた。牛蒡の良い匂いがした。ミカンを食べて終了と相成った。

全員が食べ終わって、外に出た。セーターを脱ぐ程に暑く感じられた。下着に染みた汗は、乾くのを待つしかない。そして、家に着いてからの風呂が待ち遠しかった。アーケードを通り、松山市駅の辺りに来た。ここから40分は時間があった。

又数人で、高島屋の地下に行き、やっとお土産を買った。「一六タルト」。小瓶の「獺祭」。「松山あげ」。

バスの切符を幹事から貰い、やって来たバスに乗った。行きも帰りも、数人が乗っていなければ、自分達12人の貸し切りになっていただろう。ゆたりとしたバスは軈て走り出し、1時間半位経った所で10分間の休憩だった。

幹事はここで最後の挨拶をした。私を含め2人は舞子で降り、三宮までは行かない。1人はJR舞子駅から西へ加古川まで帰る。私は次の駅垂水で降り、バスに乗る。どちらも三宮迄行ってまた戻るのは如何にもきつい思いをするからだった。

まるで貸し切りのように喋り、その度に外は段々暗くなって行った。5時半にはすっかり暗くなり、5時50分には淡路鳴門自動車道を抜け高速舞子に到着する予定だ。三宮までなら4時間だが、舞子までなら3時間30分で降りられる。

バスは到着し、2人は残った皆に「じゃあまた会いましょう」と言って降りた。バスを送って舞子駅へ行くと、2人はそこで別れた。

夫々の仲間の中でその生き様から刺激を受け、また元気も出て来る。そう言った意味からはとても貴重な旅であった。周りの人に照らされて、また自分を思い返す事が出来るのだ。幹事2人も、今日終わるまで、気は休めなかったと思う。他人の世話をする計画ほど気を遣う事もない。幹事になった苦労は、皆よく分かっているからである。

今こうして出会った少人数の仲間と、何故この仲間なのだろうと考えると、それがとても不思議だ。だけど、そう出会わせて貰っている事実に感謝しなければと思う。何故なら、誰とも交わる事のない孤独程寂しく暗く恐ろしい事がないと思えるからだ。

さて、明日からまた先を見据えて歩いて行こう。そう思いながら、垂水駅にある水野屋で買った一口カツとコロッケをあてに、獺祭を飲んだ。勿論風呂にしっかり浸かり汗を流してからの事だった。

11月11日はゾロ目もゾロ目。大谷翔平はこの日の11時11分に記者発表をしたとかしないとか。

バスに乗る時間を決めていた。JR加古川駅に6時半に着けば、私に演奏依頼をして下さった方が迎えに来る事になっていた。

その時間を待ちながら、テレビを観ていた。Ki君からメールが入った。4時40分だった。

「緊急事態発生! 明石発16:00姫路網干行き各駅停車に乗車中、魚住駅手前で人身事故、現在停車! とりあえず連絡まで!」

5時10分頃に家を出ようと思っていた矢先だった。これはえらい事だと思い、すぐにバス停に向かった。

バスがバス停に向かっているのが見える。横断歩道で行き交う車の隙間をを待っていたのでは、バスには乗れない。右から来る止まりそうもない車を手で制し、止めた。ラジカセ、オカリナの入ったアタッシュケース、その他諸々の入ったカバン、譜面台を持って、バスが停まったバス停に走った。重い荷物だが、転んだらお仕舞だ。

走りに走りやっと乗れるかと思った途端にバスは右のウインカーに切り替え、動き出してしまった。それでも諦めずに「待ってくれー」と叫び乍ら只管走った。バックミラーに私の姿が入る事を願って。すると、動き出したバスが止まった。「すみません」と息せき切って乗り込んだ。暫く、ハーハー言っていた。

落ち着いた頃、JR運転再開の知らせが入った。5時19分。もう加古川でコーヒーブレイク中との事。いつでも彼は約束にはべら棒に早い。

私が着いたのは、6時だった。30分も早く着いた。コンビニで、ジャスミンティーを買い、リポビタンDも買った。駅構内のベンチの所に戻ると、Ki君はそこに座っていた。隣りにはO君がいた。

結局依頼してくれたTaさんは6時10分には来た。O君はKikさんを待っていた。私とKi君はTaさんと一緒にタクシーに乗って、先に会館に行った。

寺家町連合町内会がいつも人権の話で町内の人を集めていたのだが、誰も余り興味を示さないとの事で、私の演奏と相成ったのだ。

左側椅子4脚、6列。右側も同じ配列だ。全部で48人分の椅子が並べられていた。空きがあり、35、6名の参加となった。私はこれで満足していた。7時に始まった。それまでに、長テーブルにラジカセやアタッシュケースや伴奏CD、それに楽譜のファイルを置き、準備して置いた。

演奏を始めると、この静けさは何だろうと思うほど咳払い一つしないのだ。向かって左に男性が多く、右に女性が多かった。私をじっと見つめている人もいた。何人かは、私も見た事のある人だと感じた。加古川での演奏は、4つの公民館で既に演奏している。その時に来ていた人かも知れない。後で聞いた所に依ると、町内ではない遠くからも来ている人がいたと言う。

男の人も、良く聴いてくれていた。学校の先生達が、校長を始め7人いる事も分かった。音楽が好きか堪能な人がいるか、どうだろう。女の人も、オカリナの上手い人が聴いているかも知れないのだ。まあ、そんな時はやるしかない。

話も、人権の話を頼まれた訳でもなく漠然としていて、人権だと言いながら違った事を話した。固い話はあんまり受け入れて貰えないだろうから。

少し喋りが多かったかも知れない。予定した9曲は何とかこなしたが、余裕があればもう1、2曲は吹く準備はあった。最後の曲で8時5分になっていた。そこでお仕舞にした。

感触は悪いとは思わなかった。皆帰り、私もこの建物から出る準備をした。

車に分乗して、加古川駅のすぐ近くの居酒屋に入った。先に上がっていてとTaさんは言った。Hiさんはもう先に来ているからと言った。3階に上がったが姿は見えず、店員さんに尋ねるともう1階上にHiさんはいた。

集まったのは7人で、私は真ん中にまるで主人公のように座らされた。右にMさん(いつもの明るい女性)、左にKi君。向こう側は向かって右手奥からTaさん、O君、Kikさん、Hiさんが並んだ。

8時半にはなっていなかったと思う。ビールで乾杯。食べ物は単品を注文したが、かなりの量になっていた。最終的には全部平らげていた。私1人が食べたような表現だが、私は飲む方に重きを置き、刺身も食べ損なった。

話は弾んで、お開きになったのが11時頃だった。私とKi君、O君はそこに見えている駅に歩いた。他の者達は別府方面に歩いて行った。O君と別れ、Ki君と2人神戸組は電車に乗った。新快速は垂水にも須磨にも止まらない。それで各駅に乗り、その電車の終点駅西明石で乗り換えて、また各駅に乗った。

垂水に着いて私は降り、Ki君は更に2駅だ。10時半頃が最終のバスはある筈もない。こんな重い荷物を持って家まで1時間10分の坂道はきつい。久し振りにタクシーに乗った。7&11が工事中だった。3か月後に新装開店になるとタクシーの運転手さんは言った。垂水区の7&11では、ここが一番儲かっていると聞いた。

タクシーを降りると家に向かい、着いたのが11時53分だった。7時間以上の演奏旅行だった事になる。しかし、よくぞ集まってくれる。これがあるから演奏にも力が入ると言うものだ。Ki君も、飲み会がなかったら、がっかりした事だろう。兎に角楽しいのだった。

こうして、寺家町連合町内会でのオカリナ演奏は終わった。知らない者は「てらいえちょう」と誰でも読むと思う。知ってびっくりだが、「じけまち」と読む初めての者はいない。別府だって「べふ」と読む位だから。
あべのハルカス美術館の16階は、葛飾北斎の再来で賑わっていた。10月6日から11月19日まで(前期が10月6日~10月29日。後期が11月1日~11月19日)。

本物を観ない訳には行かなかった。大英博物館からかなりの数の展示があった。兎に角私は出掛けたのである。

昼は天王寺の丼丼亭でカツ丼を食べた。天丼に触手は動いたが、最後は矢張りカツ丼。私は今でもカツ丼を求めて歩いている。だが、三宮の吉兵衛や七兵衛のカツ丼より美味いものに出会った事がない。必ずあると確信しながら、私はカツ丼を求めて、いつでも旅に出る。

16階に着くと、凄い人、人、人。人人ぴっちゃん人ぴっちゃん、人ぴっちゃん。

チケットを買うのに蛇行しながら20分。買ってから中に入れるまでに20分。何時間も並んでパビリオンに入るのを待った万博が懐かしい。でも40分位どうにでもなる。短くも長くも、全て蛇行。どちらも300人は並んでいた。土日休日は絶対に行かないと誓っていたにも関わらずこの人の多さ。

第1章:画壇への登場から還暦
第2章:富士と大波
第3章:目に見える世界
第4章:想像の世界
第5章:北斎の周辺
第6章:神の領域

こまごまと感想は書かないが、版画や絵画に目を近付けて観られる1列目に並ばなかったら、背伸びをしたり、1列目の人の隙間から観たりしなければならなかった。1列目に並ぶ事はそれほど難しくはなかったが、中々動かない難点はあった。だが、私は出来るだけしっかり観ようと、1列目の人の列に加わった。

これが版画かと思われる線の素晴らしさ、色合いの巧妙さ。こうして自ら足を運び対峙しなかったら、ただの北斎でしかなかっただろう。

前期と後期で展示される版画や絵画が違っていて、「二美人図」(重要文化財)を見る事が出来なかったのは悔やまれる。前期も後期も行くなんて事は、財力の乏しい私には無理な注文だった。

今回観たかったのは、「富嶽三十六景」だった。これも観る事能わずのものもあったが、少なくとも「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」は、歩みを止めてじっくり観る事が出来た。この2つでだけの展示だと思っていた位だったから。

しかし、219点ある中で、後期は169点が展示されていた。ゆったりした時に、ゆっくり観たかったが、それは誰しもが思う事である。ちょっと疲れたので、今回は第3章の花の類はチラ見で飛ばした。

龍が琴を爪弾くと思える姿は圧巻だった。その眼光の鋭さ。爪の鋭利さ。幅広い琴の弦が一弦だけ真ん中に張られていた事。一弦琴なら、もっと幅が狭いから、この張られた一弦の意味が知りたいと思った。

北斎は号を30も替えた事や、引っ越しを93回もした事はよく知られているが、残した絵画は夥しいものだった。88歳で身罷ったが、もう5年長く生きられたら、真正の画工になり得ただろうと言った。

出戻りの娘と一緒に絵画に勤しんだ。この娘お栄がまた素晴らしい才覚の持ち主だった。新聞などで紹介されていたが、「吉原格子先之図」の緻密さやその場の明暗の描き方など、深く惹き入れられた。葛飾応為と言う。

ここでは紹介し切れないが、富嶽三十六景は大変な作品だと思った。トランプ大の富嶽三十六景の図は何度も見ているが、大きさと言い、その細部の技と言い、それは感動して余りあるものだった。あの富士山が遠くに見える独特の波。その大胆な構図や波の先が、凄い迫力で触手のようだ。生きて動いている、宇宙を呑み込もうとでもしているかのような大波が、胸の中に襲い始めた。

疲れもあるが、その感動の余韻と人いきれの中から脱出し、天王寺から大阪まで戻った。250年程前に生まれ、88年生き、絵画一筋に生きた葛飾北斎。今日は彼との出会いを果たした。2時間観て回った。ああ、観て回るならいいが、観乍ら超スローで流されていたと言う方が当たっている。

一先ず大阪駅に戻り、ホワイティ梅田の居酒屋に入った。前に行った所とちょっと違うが、雰囲気は似ていた。前に行った所はハイボールが100円だった。ここは200円だ。生ビールとこのハイボールを2杯飲んだ。カツや羽餃子をあてにして飲んだ。

大阪から新快速に乗った。運が良かったのか、乗り込むとすぐに出発した。三宮で下りると高速バスの停留所に行った。飛び乗って暫くすると、そのバスも出発した。どちらも、ぎりぎりに間に合ったのだ。

うつらうつらしながら家の近くのバス停に着くと、家に戻った。すぐに服を着替えると、芋焼酎のお湯割りを作り、丹波黒の枝豆を齧りながら、ブログを書いた。

人に酔い、酒に酔い、北斎の感性に酔った1日だった。観て置いて良かったと、しみじみ思った。
第5回目のコンサ-トを迎えます。


名称   「YOSOMI好きなヤツ」 コンサート
日時   11月19日(日)13時開演 16時頃終了
場所   生田文化会館


※ 生田文化会館はJR元町駅の西口から石段を上り、信号を渡って北に向かい、次の車道の信号を渡ります。渡るとすぐ地下鉄県庁前駅の出口に突き当たります。そこから西に歩きもう1つの県庁前駅の出口横のくねった道を、ファミリーマートを目印に大きな車道の信号を渡ります。すぐに四宮神社(よのみやじんじゃ)があり、左の道の斜め左側に生田文化会館はあります。徒歩約8分です。

※ 地下鉄なら県庁前駅西出口3を出て、そこからは上に書いた県庁前出口から同じ道程です。徒歩約3分です。



殆どがブログで繋がった者達で開催しました。私とシマさんは同僚でしたから、最初はこの2人で話し乍ら決めました。

秋田からも、またこの2、3年は鹿児島からも参加しています。岐阜、京都、兵庫、岡山からも参加があったり、今尚参加し続けたりしています。兵庫は神戸市、姫路市、西脇市が入ります。今年は大阪も加わりますが、殆どソロもアンサンブルもメンバーは変わっていません。

楽器はどんなものでもいいので、オカリナや三線の他に、ピアノ・スティールパン・ギター・リコーダー・ピアニカ・タケリーナ・篠笛・打楽器などがあります。

勿論「無料」ですが、お時間の許す限りお越し頂ければ感無量です。

1人でも多くの方々のお交わりを頂き楽しんで頂ければ、これ以上の喜びはありません。お待ちしています。
それは、喜楽苑と言う場所だった。Ki君の奥さんの車の後を、Ki君と一緒に追った。空は晴れ、体は熱く、クーラーを入れる程だった。

出来てから6年位の、土足で上がるのが不思議な位のとても綺麗な建物だった。

どこでもそうだが、男性は数える程。殆どが女性だった。また、デイサービスは、反応が余りない車椅子の人を除いて、皆さんとても元気だった。

Eさんが、私がオカリナ演奏をする事を、

「今日はとてもラッキーな日です」

と紹介した。飛んでもないと思った。そんな事言われたら、演奏出来なくなる。

Kiさんの奥さんも紹介されて横長の席の前に出て、Ki君は私を紹介した。奥さんはボランティアの仕事に携わっている。そして、演奏は始まった。

デイサービスは時間を重んじる。遅く始まろうと、終わりの時間はきっちりしている。それは、私が三田のデイサービスで数回演奏させて貰った時によくよく分かっていた事だった。

全部で40人ちょっとの人数だったが、デイサービスに来ている方々は35、6人ではなかったか。

半分を越えた所で、皆に歌って貰う事にした。水を得た魚のように、元気に歌い出した。みかんの花咲く丘。野菊。里の秋。青い山脈。川の流れのように。ふるさと、の6曲を、皆さん元気に歌っていた。参加型などと言われているが、黙って最後まで聴くのは苦痛である。歌って貰ってこそのデイサービスだ。

時間の事を聞いたが、矢張り3時までだった。もう5、6分しかなかった。それを調整して行くのが私の仕事でもある。後2曲が精一杯だった。皆が歌い終わった後で、それでも口遊む人がいた。それはとても嬉しい事だった。何かを思い出したのか、泣いている人もいた。デイサービスでは、往々にしてこのような事はよくあるのだ。

これら最後の曲は時間の制約で焦りもあったと思う。最終曲は聴かせ所でいい加減になった。宜なるかなであろう。でも終わった。聴いて頂けて感謝である。

若い女性とその娘さんが気になっていた。何故ここで、デイサービスの方々の後ろで聴いているのかが。

最初に案内された控室に戻ると、すぐさまその2人が入って来た。30代のお母さんであり幼稚園の娘であったりした。娘さんの体格はよく、小学生かと思っていた。来年から1年生だとの事。

このお母さんは、昔はアルトリコーダーで全国大会まで行った人だった。早く言ってくれればいいものを、後で聞かされ驚いた。彼女はオカリナの事を質問し、じっと私の話を聞いていた。「教えて貰いたい」と、冗談とも取れる事を言った。でも、オカリナに興味を持ったのは間違いない。「1つ買って、練習してみたい」と言ったからだ。

名前も聞いた。Kaさんと言った。ここの職員だったが、今日は非番である。なのに聴きに来ていたのだった。

熱弁を揮った所為か、コーヒーを飲んだ事さえ気が付かなかった。確かにカップは空っぽだった。アタッシュケースに入れられたオカリナを繁々と見つめていた。

帰る段になり、また別の部屋から出て来て、挨拶をしてくれた。娘さんに手を振ると、可愛く振り返して来た。私の事を紹介した今正に忙しいEさんを呼ぶと出て来て対応した。私は、色紙の手裏剣を41個作って来ていて、それを渡した。

「これしか出来ませんでしたが、皆さんに渡して下さい。私が作ったものですから記念に」

玄関先まで見送られ、Ki君の奥さんは家に帰った。私とKi君は私の家まで行った。私はラフな服装に着替えた。Ki君が、垂水でも明石でもいいから、飲もうと言ったのだった。気を遣っているか、自分も飲みたいのかどちらかだろうが、2人で飲めるとなれば、私は何処でもいい。

バスで垂水東口終点まで来た。どこかこの辺に適所がある筈だ。バスを降りると近くには王将がある。彼はゆっくり飲みたい風だったので、底はパス。バスを降りて石に躓いたらそこが居酒屋だったと例えられる店がある。私は何度も見てはいるが、入った事はなかった。吸い込まれるように、そこになった。「わたつみ」である。

生ビールから、彼は麦焼酎「いいちこ」。私は初めての「金黒」と言う芋焼酎を。これが美味いのだ。「黒霧島」は定番だが、次はそれにした。けれど、「金黒」が私には合った。余りに旨いと言うものだから、Ki君も釣られて芋焼酎「金黒」のお湯割りを注文した。麦しか飲まないのに、芋を飲んだ。向こうに並んだ一升瓶の中に、黒糖焼酎の「れんと」もあった。私は再び「金黒」を飲む。

あても美味い。ここは、今後利用する頻度が高くなりそうだ。マグロのヤマイモ掛け。ニンニク茄子。串カツ5種盛り。あさりの酒蒸し。おでん。Ki君は、おでんは大根と厚揚げを注文。私に、

「何にする」

と聞いた。店員さんにこう言った。

「じゃあ注文します。おでん」

冗談を言うと笑ったが、朝ドラのようにわろてんか、との気持ちがあった訳ではない。

話は弾んだが、その場はそれ位に。だが、彼が会計を済ませた。かなりの額だった。半分だそうとすると彼はそれを拒んだ。それも考えるまでもなく、何杯も飲んだからだ。でなければ、そんなに高くはならない。

同じ様な黒い服を着た女性店員が、注文を聞いたり運んだりした。3人が入れ替わり立ち代わり現れては消えた。感じの良い3人だった。結局人だ。「人は人によって人になる」とは、神戸市の以前からのモットーである。これは確か、カントの言った言葉ではなかっただろうか。

外に出るとその横の路地に入り、ちゃんぽんで〆る事にした。これはせめて私に出させて貰いたい。この店は何十年か前に1度来た事がある。その時も長崎ちゃんぽんを食べた。ラーメンとは違いチャーシューは入っていない。細かい具が、沢山入り、これはこれでとても美味い。

Ki君も、美味いと言って食べた。その店を出ると、2人は「ミスタードーナッツ」に入り、何個か買って持って帰る事にした。店を出ると、私の乗るバスの人達がぞろぞろと動いていた。Ki君の名谷行きのバスも、そろそろ来るようであった。そこで別れたが、こんな佳境はそうない。飲んで食べてすぐにそれぞれのバスがあるなんて、まるで我々の理想郷のようだった。

くっきり姿を現してはいないが、雲の隙間から覗く月は、愈々明日が望月である。月は満ち欠けを繰り返すが、この月は三日月から観続けて来た。上弦の月は段々膨れ上がり、軈てまん丸く満ちるのである。私もこのように満ちたいものだと、演奏の後は常道の飲む楽しみが、心も胃も満たしていた。