13日は、遅れてはいけない。寝過ごしてはいけない。参加出来なくてはいけない。4時に起きて、6時半に家を出た。

渋滞を心配した早目の高速バスに乗ると、うつらうつらしながら、三宮に着いた。ゆっくり走った流れもあったが、7時には三宮にいた。ミントの側のバス溜まりが集合場所と思っていたが、メールで神姫バス高架下を言って来た。

初めてのターミナルだったが、場所を確認出来た。女性の方の幹事Haさんがいた。場所が分かったので、コーヒーを飲みに行った。

7時45分が集合時間で、戻って見るとぽつぽつと仲間が集まって来た。だが、矢張りミントの側のターミナルの辺りで待っている者もいた。

8時15分に出発で、大きなバスの中にはトイレもあり、指定席である。横に3席が離れて並ぶそんな配置で、こんなバスには初めて乗った。高速舞子にやって来て、淡路鳴門自動車道、高松自動車道、松山自動車道を通り、松山市駅に着く。4時間掛かった。

12時15分、予定通りに着いた。昼食は各自自由だった。16人、退職時の仲間が16人いるが、様々な事情で今回は12人の参加だった(男8人、女4人)。男4人で食堂に入った。3人は同じ定食。私は肉うどん。これは美味かった。肉は元より、牛蒡、人参、葱入りの、初めての肉うどんだった。

もうお分かりだろう。道後温泉が目的の土地に立った。昼食が終わると皆が揃って、子規堂に行った。その前にある坊ちゃん列車に乗って、皆が窓から顔を出して写真を撮った。

松山市駅から市電に乗り、愛媛県庁本館を見学した。天辺のドームは歴史を物語り、その下4階は会議室である。

突然ウーウーウーと、白バイが走り、その後にパトカーが3台走って行った。何だろうと思った。県庁の職員も外に出ていた。正面玄関の前の門の側にはガラスの破片が散り、何かの表示板が倒れていた。そこから灰色の車が外に走り出たと言う。

暫くするとまた、白バイが回って来た。パトカーも続く。その先頭には、灰色の車が走って行った。今回は、1階しか見学出来ないと言う。2階ロビーまでは赤い絨毯が階段に敷かれている。皆、組閣だと言いながら、階段に立ち、写真を撮った。

また、サイレンが聞こえて来る。私は、外に出た。灰色の車。それを追う白バイ。パトカー。ぐるぐる県庁を通り過ぎ乍ら、何度も廻った。運転している男はVサインをしたりしていたが、他の車にぶつけたりしていたのだろう、前輪の上のカバーはガラガラと音を発し、外れそうになっていた。横の部分は凹んでいる。

大分してから、サイレンは止んだ。皆は言っていた。このカー・チェースで、灰色の車の男は捕まったのだろうと。余りパッとした景色のない松山で、こんなにドンピシャでカー・チェースが見られたなんて、これはもう不思議な事件だった。TVや映画の事件の場面をみているようだった。

15時30分頃にはまた市電に乗って、道後温泉へと向かった。泊まる事になっているにぎたつ会館に着くと、荷物を置いてすぐに道後温泉本館に行く事にしていた。その前に、シマさんとMiさんと私の3人は、タオルを持って、すぐ近くにある百数十段ある石段を上り伊佐爾波神社(いさにわ神社)に着いた。国指定重要文化財だ。

祭神は仲哀天皇、神功皇后で、道後温泉への行幸の跡がこの神社だ。応神天皇も入る。参道の階段中腹には、素戔之男命、稲田姫命が祀られている。

「八幡作り」と言うと京都の石清水八幡、大分の宇佐八幡とこの愛媛の伊佐爾波神社は、三大八幡造りと言われているのだ。

愈々道後温泉本館に歩いて行った。温泉の使用料は神の湯の「階下」が410円。「2階席」が840円。霊の湯「2階席」が1,250円。「3階個室」が1,550円だった。奮発して霊の湯2階席に3人は入る気持ちを統一していた。しかし、それは満席だと言われた。後は神の湯2階席と霊の湯3階個室があると言ったので、840円の湯に決めた。

この風呂に夏目漱石が入っていたかと思うと、それだけで来た甲斐が有ったと言うものだった。そんなに広くはないが、一番古い。大広間で浴衣を借りて早速入った。男は20人近くが入っていた。

上がると、その大広間でお茶と瓦煎餅の丸バージョンを2枚頂いた。その温もりは心地よく、にぎたつ会館に帰ってからはここの風呂には入らずに、宴会での18時からの夕食を待った。抽選で椅子の席は決まり、ビールで乾杯。

猪  口     柿なます
             ムール貝
八  寸    八寸
御吸物     海老葛打ち
お造 り    三種盛り
鍋  物    愛媛の風物詩 芋炊き
揚  物         里芋万頭鶏味噌煮込み
御食事    鯛釜飯
フルーツ   フルーツ

こんな献立だった。

大分時間が過ぎた頃、私はオカリナの演奏をする事になった。アカペラで童謡と、後3曲演奏した。シマさんはその後、良く通る喉で三線を鳴らしながら「晩酌(ダレヤミ)節」と「太陽ぬ落てぃまぐれ(てぃだぬうてぃまぐれ)節」を唄った。

その次はTakさんが皆に作って来てくれている木工の精巧な玩具を、紙切れの番号に従って貰った。2種類のものが皆の手に渡った。大変な労力、また力作である。孫が又喜ぶと思う。

3つに部屋割りがされ、丁度4人ずつの部屋になった。女性の部屋の隣りになった私達の部屋でまた集まって、飲んだり食べたり話したりした。他愛のない事だったり、学生時代のことだったり。

11時を回ってお開きに。その後、軈て回復された4つの寝床に潜り込んだ4人の瞼は、徐々に閉じて行った。


14日は、連続的な大きな音で目が開いた。4時過ぎだった。これはもしかして。雨? その通りだった。雨が雫となって鉄の手摺に打ち付ける音で、本格的な雨の光景を暗い窓の外に見た。

6時から風呂に入りに行き、7時を待って皆で行く筈になっていたバイキング会場を目指した。取り過ぎたのか、最後にはお腹が一杯になった。

部屋に戻りTVを観ると、昨日のカーチェースのニュースをやっていた。松山では大きなニュースだろう。若い男に見えるが、41歳だった。

その後は「わろてんか」と「とっとちゃん」を観た。暫く部屋にいて、8時20分にはロビーに集合した。雨は傘が要るか要らないかの微妙な降りに変わっていた。

雨の中、坂の上の雲ミュージアムへ見学に行った。雨は止んだり小降りになったりした。立派な建物で、安藤忠雄の設計に依るものだった。展示室は三角形を描くスロープで繋がれ、回遊式庭園を楽しむように上がって行く、斬新なアイディア。しっかりした、堂々たる建物だった。

産経新聞の夕刊に連載された司馬遼太郎による小説「坂の上の雲」は、1968年4月22日から1972年8月4日まで続いた。その新聞を切り抜いた小説は、回廊の壁の部分にぎっしりと全部が拡大して転写されている。

秋山」好古(1859~1930)や秋山真之(1868~1918)や正岡子規(1867~1902)の事が年表を通して興味深く良く分かるようになっている。

それから秋山兄弟の生誕の地を訪ねると、入って説明を聞く事になった。馬に跨った好古大将像、真之の教え子が寄贈した胸像がある。

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」。これは、ロシア・バルチック艦隊発見の電報の末尾に真之が加筆した有名な電文だ。

また真之は、聯合艦隊解散の辞を起草したこの言葉も力強い。

「神明は、唯平素の鍛錬に力め戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直ちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と」

最後はビデオを観てここを去った。これで時間が食われ、松山城見物が危ぶまれた。14時20分に神姫バスが松山市駅のバス停から出発する。これに全てが掛かっている。だが、ロープウエーに乗った。短い時間で上に着き、そこから10分歩いてお城に着く。ゆっくり観ている暇はない。

私は数人とどんどん歩き、お城に辿り着いた。そして、天守閣を目指した。周りの見学は足早に省き、只管天守を目指す。四方の景色を俯瞰し、すぐに下りて行った。皆も集まった所で再びロープウエーで下った。

昼食は鯛飯だ。商店街をかなり歩き、道行く人に場所を聞いたりして郵便局を目標にやっと辿り着く。30分で食べられたら時間に余裕が出来る。前菜を食べ、後は好きに食べれば良かった。温かいにゅう麺が美味かった。それだけでもう食べられない位に満腹していたが、鯛の切り身が2切れ乗った炊き込みご飯を食べた。牛蒡の良い匂いがした。ミカンを食べて終了と相成った。

全員が食べ終わって、外に出た。セーターを脱ぐ程に暑く感じられた。下着に染みた汗は、乾くのを待つしかない。そして、家に着いてからの風呂が待ち遠しかった。アーケードを通り、松山市駅の辺りに来た。ここから40分は時間があった。

又数人で、高島屋の地下に行き、やっとお土産を買った。「一六タルト」。小瓶の「獺祭」。「松山あげ」。

バスの切符を幹事から貰い、やって来たバスに乗った。行きも帰りも、数人が乗っていなければ、自分達12人の貸し切りになっていただろう。ゆたりとしたバスは軈て走り出し、1時間半位経った所で10分間の休憩だった。

幹事はここで最後の挨拶をした。私を含め2人は舞子で降り、三宮までは行かない。1人はJR舞子駅から西へ加古川まで帰る。私は次の駅垂水で降り、バスに乗る。どちらも三宮迄行ってまた戻るのは如何にもきつい思いをするからだった。

まるで貸し切りのように喋り、その度に外は段々暗くなって行った。5時半にはすっかり暗くなり、5時50分には淡路鳴門自動車道を抜け高速舞子に到着する予定だ。三宮までなら4時間だが、舞子までなら3時間30分で降りられる。

バスは到着し、2人は残った皆に「じゃあまた会いましょう」と言って降りた。バスを送って舞子駅へ行くと、2人はそこで別れた。

夫々の仲間の中でその生き様から刺激を受け、また元気も出て来る。そう言った意味からはとても貴重な旅であった。周りの人に照らされて、また自分を思い返す事が出来るのだ。幹事2人も、今日終わるまで、気は休めなかったと思う。他人の世話をする計画ほど気を遣う事もない。幹事になった苦労は、皆よく分かっているからである。

今こうして出会った少人数の仲間と、何故この仲間なのだろうと考えると、それがとても不思議だ。だけど、そう出会わせて貰っている事実に感謝しなければと思う。何故なら、誰とも交わる事のない孤独程寂しく暗く恐ろしい事がないと思えるからだ。

さて、明日からまた先を見据えて歩いて行こう。そう思いながら、垂水駅にある水野屋で買った一口カツとコロッケをあてに、獺祭を飲んだ。勿論風呂にしっかり浸かり汗を流してからの事だった。