こんにちは、うるまです。

前回記事では、”勉強”について井の中の蛙であった学生時代のお話をしています。↓↓↓

 

 

 

 

さて今回は、甘酸っぱい青春ではなく、タイトル通りしょっぱい青春の話をさせていただきます。

思春期の青春の裏側の部分について、今思うことを書きたいと思います。

 

結論、「異性を意識しすぎると、自分をよく見せるために、本来の意思とは離れた行動をとってしまう」ということです。

 

実際、私は特に高校時代、異性を意識しすぎて多くの機会損失を招いてしまっていたと思います。

当時は、「彼女が欲しい」とか「女子にモテたい」という気持ちではなく、「女子に嫌われたくない」という恐れの気持ちから意識しすぎていました。

 

 

私が最も後悔しているのは、「女子とほとんど話さなかったこと」です。

 

その時は、”女子”という存在は神格化しており、自分から距離をとっていたように思います。男性・女性問わず、誰からも学べることはあると思うので、自分からその関係を遮断してしまっていたのは勿体なかったなと後悔しています。

 

変に意識しすぎず、フラットに接することができていれば、自分の感情に沿って行動できていたのかなと、ふと思います。

 

高校3年間好きな女子がいましたが、結局告白もしないまま卒業することになったのです。当時は「告白しても振られるだろう...」というネガティブな気持ちから、これまでの関係が壊れることを恐れて行動を起こすことができませんでした。

 

「これまでの関係」と言っていますが、そのような目に見えるほどの関係性も出来上がっていませんでした。変に大人ぶってしまい、「好きな女子と話したい」という純粋な気持ちを常に隠していたのです。

 

つまり、告白の土俵にすら私は立てていなかったのです。告白しても結果は明白でした。

 

 

よくインスタグラムやYouTubeでも見かけますが、「やらない後悔より、やってみて後悔」という言葉。今振り返ると、私に大切なのはまさにこれだったなと思っています。

 

学校という閉鎖的な環境の中では、”みんなと異なる”ということは「悪」として捉えられがちです。さらにその環境での生活が長くなると、自分の中での善悪もその閉鎖的なルールが基準になってしまうと肌で感じました。

 

大学生や社会人になると新しい環境や人との出会いがあり、自分の世界が広がっていきました。そこでようやく、私の中で大きくなりすぎてしまった”普通”や”常識”は、ごく一部の閉鎖的な環境でしか通じないものだと気付くことができました。

 

話が脱線しましたが何を言いたいかというと、「好きな人に好きって伝えることは、素敵なこと」だということです。

極論、人間いつ死ぬか分からないので、後悔しないように大切な人には気持ちを伝えていきたいと思います。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、高校でサッカー部に入る気満々だった私が、結局野球部に入部することになるまでの経緯をお話ししています。↓↓↓





さて本日は、"勉強"のお話です。


私は幼少期からくもん教室に通っていたこともあり、それほど勉強に対して抵抗はなく、むしろ好きでした。


高校受験も第1志望の高校に合格することでき、勉強で苦労した記憶は正直ありませんでした。


高校に入学するまでは…。


中学では学年でも1〜2位を争うような生徒でした。毎回定期テストでは1位を取るために必死に勉強していました。



その時は「自分天才かも」と調子に乗ったことを本気で思っていました。


今思うとその慢心が、自分の成長にブレーキをかけてしまっていたなと後悔しています。



そして満を辞して迎えた、高校最初の定期テスト。


なんと学年280名中、19位という好成績だったのです。


一般的なストーリーでは、この最初のテストがボロボロでというのが定番だと思いますが、なんと私は良い結果を残すことができたのです。


いや、残してしまったのです。まだ井の中の蛙とは気付いていません。



この偶然も重なったであろう好成績に満足して、あまり勉強に力を注がなくなりました。


「野球に力を注ぐ」という勉強から逃げる言い訳を作っていただけでした。


そこからの勉強の成績は目も当てられないほど、下がっていきました。私の転落人生のスタートです。お待たせいたしました。



クラスで最下位も取りましたし、日本史では赤点も取りました。勉強をサボっているという理由で、野球部で試合に出場できない期間もありました。



そしてあれよあれよと大学受験を迎えようとした時に、私はとうとう気付くのでした。


「やばい、間に合わない」


勉強は1日2日で身につくものではなく、何時間もかけて頭に擦り込ませていく「継続ゲーム」だったのです。



物事の結果には理由が存在するように、私が中学の時に勉強の成績が良かったのは、"日々の勉強を積み上げていたから"だったのです。


だから中学の頃の私は「勉強ができる天才」では全くなく、「日々の努力を積み重ねられる人」でしかありませんでした。


しかし、その継続することが何よりも難しい。


シンプルだけど難しいことに気付くことができたエピソードをお話しました。


最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、私が野球やサッカーなどのスポーツに熱中していった時のお話をしています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、私が結局野球部に入部するまでの経緯をお話させていただきます。

 

私は中学3年生の冬休みの頃から、「高校では絶対にサッカー部に入る!」と高らかに宣言をしていました。友達との遊びのサッカーが大好きで、高校ではサッカー部に入部して本気で取り組んでみたいと思っていました。

 

YouTubeの海外サッカースーパープレー集を見ながら、自分がサッカー部で活躍しているのを想像して、高校の入学式を待ち焦がれていたのです。

 

小学校から続けてきた野球を続けるつもりは全くありませんでしたが、高校入学前の3月届いたある1通の手紙が私の運命を大きく変えました。

 

その手紙の送り主は、私が入学する高校の野球部で、内容は「春休み期間中の練習体験」の案内でした。いわゆるスカウトメッセージです。

 

”期待のルーキー”として参加したところ、私以外にも10人ほど同じような中学生がいたのです。

 

あれ...おかしい。期待のルーキーが私以外にも10人いる...。

 

はい。勧誘の手紙は中学の野球経験者全員に送られていたものでした。私は自称”期待のルーキー”だったのです。

 

 

今冷静に振り返ると、野球経験者に送っていたんだなと分かりますが、当時のピュアな私は勘違いして気持ちが高揚していました。

シンプルに”期待のルーキー”として野球部に勧誘されていると思い込んでいました...。

 

そんなバレバレの勧誘にまんまと引っかかり、春休み期間中の練習体験に参加しました。あれよあれよと髪の毛も丸坊主にした流れで、野球部に入学することになりました。

 

結果的には高校では良い先輩や同期、後輩にも恵まれ、試合にも数多く出場させてもらうこともできて、貴重な3年間になりました。今は野球部に入ったことを後悔していませんし、むしろ入部したからこそ充実した高校生活になったなと感謝しています。

 

 

ただ、最初の衝撃が当時の私には刺激が強く、「うわっ、騙された...!」と思いました(笑)

集客するためには、”あなただけ”という特別感を演出することも方法のひとつだということを身をもって経験できました。

 

私が通っていた高校は典型的な「自称進学校」だったので、当時からマーケティングの教育をしてくれていたのかもしれませんね...。

 

このような流れで私は憧れのサッカーの道には進まず、高校でも結局原点の”野球”を続ける道を選びました。

 

サッカー部に入って本気で取り組んでいたら、サッカーを嫌いになっていたかもしれないので、今思うとサッカー部に入部しなくてよかったです。だからこそ今も趣味でサッカーやフットサルを続けることができているのだと思います。

 

 

皆さんも「私は結局⚪︎⚪︎だったな」というエピソード、ありませんか?
最後までご覧いただきありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、”友人が自分の周りにいる”ということに価値を見出していた、中学の友人関係についてお話しています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、「スポーツ」のお話です。私が野球やサッカーなどのスポーツに熱中していった時のお話をさせていただきます。

 

私は幼稚園の頃からずっと野球をしており、プロ野球選手に憧れる野球少年でした。小学生の時は地元の少年野球チームに、中学の時は野球部に所属していました。特に野球が大好きではありましたが、他のスポーツにも興味が出てくるようになりました。

 

野球以外に強い興味を抱いたのは、”サッカー”です。

高校の時には野球部ではなく、サッカー部に入ろうかと本気で考えたほどにサッカーが好きでした。

 

私はスポーツの中でも、特に”球技”が大好きでした。好きな気持ちがモチベーションになり、友達と遊び半分でしていたサッカーも割と上達していました。(自分で言うな)

 

サッカーにハマった理由は大きく3つあります。

 

・プレーがあまり途切れないところ

・スルーパスやディフェンスなど相手との駆け引きが多い

・テクニックで魅せるプレーもできる

 

1つ目の「プレーがあまり途切れないところ」については、野球をしていたことが大きく影響しています。

 

野球はご存知の通り、1球1球プレーが途切れます。野球の試合では、「自分が何もしていない時間」が多くあります。実は野球の試合は投手と捕手以外は、あまり疲れないのです。暇な時間が多かったりします。

 

その反面、サッカーはボールがラインを割らない限りはプレーが途切れることはありません。その流動性に魅力を感じていたのかもしれません。



2つ目の「スルーパスやディフェンスなど相手との駆け引きが多い」という点に関しては、そのままの理由です。


試合の中では、選手間で1vs1の小さな勝負が繰り返されていて、勝敗がその度に出る感覚が私は好きでした。



3つ目の「テクニックで魅せるプレーもできる」という点は、ずばり"華やかさ"です。


ここは野球にはない魅力だと思っています。


YouTubeで見るスーパープレー集のような動きができる時があるので、その積み重ねがモチベーションになっていました。



野球やサッカー以外にも、他のスポーツも大好きです。


実は、私はスポーツの「チームプレー」や「努力が報われる」という点には、あまり魅力を感じません。


私がスポーツをしていて「楽しいな」と感じる瞬間は、"勝ち負け"が目に見える時です。


スポーツの試合というのは、"小さな勝負"の積み重ねで成り立っています。


その小さな勝負1つ1つに、駆け引きや戦略という要素が加わることで、勝敗を分けた要因もはっきりと分かるようになります。



私は当時から完璧主義で、いわゆる"白黒思考"をもっていました。


そんな私にとって、勝敗(白黒)がハッキリするスポーツは、自分の考え方・価値観を肯定してくれる場になっていました。


スポーツを"勝ち負けの場"として捉えていたからこそ、幼い頃から負けず嫌いな性格なのかもしれませんね。


今回は、私のスポーツの楽しみ方についてお話しました。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

こんにちは、うるまです。

前回記事では、転校生である私が、その年の生徒会長の選挙に立候補した中学2年生の時についてお話しています。↓↓↓

 

 

 

さて今回は、中学の頃の友人関係についてお話させていただきます。

中学の頃は、とにかく友人と遊ぶことが大好きな性格でした。

 

ただ、その性格は”友人が自分の周りにいる”ということに価値を見出していたことによるものだったのです。その当時は、”みんな”から外れることが怖くて、人に嫌われないように生きていました。

 

そんな私にとって、”自分の周りに友人がいる”状況は、ホッとする安心材料になっていました。「この子は私と遊んでくれるから、私のことを嫌いではないだろう」と自分で良いように思い込んで、自分の価値を確かめていたように思います。

 

 

このような性格だったので、「常に友達と一緒にいたい」「友達からの誘いは極力断りたくない」という気持ちがいっぱいで、友達からの誘いを一度断ってしまえば、2度と誘われないのではないかと本気で思っていました。

 

ましてや、”私以外の友人が遊んでいて、たまたま私が誘われなかった”という場面では、強く嫉妬していたのを覚えています。怒りや苛立ちの感情ではなく、「私は嫌われているのかな?」というネガティブな”不安”の感情で溢れていました。

 

友達と一緒にいる時は安心して、離れている時は不安になる。このように毎日、一喜一憂して過ごしていました。

友人関係に振り回されていたのではなく、”自分の感情・考え方”にいつも振り回されていたように思います。

 


とにかく当時の私は1人行動ができませんでした。学校という狭い世界でしか生きていないので、その世界の一員として”みんなで”という考え方を強く持っていました。

 

小学、中学の頃までは、みな経験や知識、言語化能力なども乏しく、”言わなくてもいいこと”も言ってしまう子が多いと思います。そんな環境下で、自分勝手な行動や周りと異なる言動をすると、面白おかしく後ろ指を刺されていました。

 

何より”みんなと異なる自分”になってしまうのが怖かったのです。”出る杭は打たれる”という環境では、自分を殺して周りに合わせて生きることしかできませんでした。そして当時14歳の私はその環境に対して、特に違和感や憤りを感じてはいなかったように思います。

 

とにかく”嫌われないように生きること”に必死でした。

 

 

生活する環境や関わる人が固定化されてくると、そこには自然と”常識”というものが出来上がってきます。その常識に知らず知らずのうちに苦しめられていたことに、当時は気付くこともなく生きていました。

 

 

自分を変えるためには、”普通から一歩外れる勇気”をもつことが大切だと、のちのち気付くことになりました。

 

「良くも悪くも人間は周りの環境に大きく左右される。」

 

このことを学ぶことができた中学時代のお話でした。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、「ヤンキーはモテる、真面目な人はモテない」という、この世の理不尽についてお話しています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、中学2年生の時のお話をさせていただきます。私は、中学2年生から地元の中学校に転校してきたのですが、その年の生徒会長の選挙に立候補しました。

 

今思うと「転校生が生徒会長に?!」と面白いエピソードですが、あの頃は自分の行動に疑問や不安はもっていなかったように感じます。その行動力はどこから湧き出ていたのかを振り返っていきたいと思います。

 

 

私が生徒会長に立候補した理由は何だったのか?はっきりとは覚えていませんが、担任の先生から勧められたことがきっかけだったと思います。

 

私は、真面目な生徒側ではありましたが、実はヤンキーとも割と仲良くしていました。人に対して先入観をもたずに、自分の興味本位でグイグイと関係を作っていたので、よくサッカーゲームなどをして遊んでいました。

 

私は喧嘩は専門外ですので、その時は全く関わりをもっていませんでした。ですので私にとって当時のヤンキーはサッカーゲーム仲間という感覚でした。

 

私の中学のヤンキーは比較的フレンドリーで、私たち真面目組にも優しくしてくれていました。他校との喧嘩は頻繁にしていたみたいですが、校内では私たちを傷付けたり、迷惑をかけるということはあまりなかったように思います。

 

その点も私がヤンキー達と関わりをもっていた理由の一つです。シンプルに楽しいから一緒にゲームをしていました。

 

そんな、真面目な人やヤンキー達とも上手く関係をもって、みんなに対してフラットに接している姿を見ていた担任の先生から、生徒会長への立候補を勧められた、という流れです。

 

この時は、「嫌だな」と思った記憶はありません。「目立てる」ということにワクワクしていたように思います。

「この行動を起こせば、自分が経験したことがない世界が広がっているかもしれない」という興味本位だけで、生徒会長に立候補していました。

 

そして、私が立候補した生徒会長には対抗がいなかったので、私は生徒会長に無事当選しました。

 

この当時の行動力には、自分でも正直ビックリしています。この当時は、先生から勧められたのでその期待に応えたかった(がっかりさせたくなかった)という気持ちが一番大きかったと思います。

 

生徒会長になって何かを変えたいとか、そのような目標は全くもっていませんでした。ただ周りの人の期待に応えるためだけに、生徒会長になりました。

 

私は過去の記事でも、「人のために生きるのではなく自分のために生きたい」と書いていますが、私にとって1番のやりがいは「人のために行動すること」なのかもしれないとこの記事を書きながら思いました。

 

一般論では「他の人のために生きてはいけない」とよく耳にしますが、”他の人のために生きる”ということを自分の意思で決めているのであれば、それは自分の人生を生きていることと同義なのではないでしょうか。

 

私は過去の経験上、”他の人に対して何かをする”時の方がモチベーションが高く、普段より自分の力を発揮できていたように思います。

 

これからの自分の生き方について、常識を疑い、改めて考えさせられる記事となりました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、甘酸っぱい”恋愛”のお話をしています。男としてキモい行動を取っていた過去について赤裸々に書いています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、私が中学の時に感じたこの世の理不尽について、お話しさせていただきます。

 

それは、「ヤンキーはモテる、真面目な人はモテない」ということです。

 

この理不尽さを感じたことがある方も多いのではないでしょうか。私は特に中学の時に感じていました。

私は、勉強も真面目に取り組み、先生に怒られないように周りに迷惑をかけない良い子を演じていました。一言でいうと”真面目”に生きていました。

 

しかし、私は全くモテない。

 

対照的にヤンチャして先生にいつも怒られているようなヤンキー達は、なぜかモテていて、いつも女の子が周りにいました。周りに迷惑をかけて、自分勝手に生きている人がなぜモテるのか、当時の私には理解ができませんでした。

 

私の経験上の方程式は以下の通りです。(諸説あり)

 

・小学校:足が速い人がモテる

・中学校:ヤンチャな人がモテる

・高校:イケメン(チャラめ)がモテる

・大学:イケメン(女性の扱いが上手い人)がモテる

 

 

どうやら恋愛市場においては、「真面目」というのは需要がなかったようです。”真面目”という要素は及第点にしかならず、加点には決してなりませんでした。

 

真面目に生きていれば必ず報われる。この言葉を過信しすぎてはいけないのかもしれません。

学生時代は、真面目に生きている人は損することが多く、対してズル賢く自分勝手に生きている人が得しているように感じていました。

 

結果的には、真面目に生きていたことで信頼できる友人にも恵まれ、充実した人生を送ることはできました。

 

ただ、周りに迷惑をかけず自分を殺しながら”真面目”に生きているうちは、私は幸せにはなれないと感じるようになってしまいました。社会人になってからは常に胸のみぞおち辺りをキュッと締め付けられるような感覚がありました。

 

大人になるにつれて、真面目な私がモテず、ヤンキーがモテていた理由がなんとなく分かってきました。

それは、「自分の意思で決めて、行動できているかどうか」だと思います。

 

 

当時の私は周りの期待に応え、怒られないように生きるのに必死でした。常に私の行動基準は「周りがどう思うか」でした。要するに私の行動には自分の意思が全くなかったのです。そんな人が魅力的に映るはずもありませんでした。

 

対して、ヤンキーは常に自分の感情や意思に沿って行動を起こしていました。その行動が社会的に合っている、間違っているという善悪は差し置いて、ヤンキーは皆「自分の人生」を生きていたからこそ、異性から見ても魅力的に映っていたのです。当時は心の中でバカにしていたヤンキーから、10数年越しに「自分らしく生きることの大切さ」を教えてもらいました。

 

ありがとう、あの頃のヤンキー様。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、中学生の頃の将来の夢についてお話ししています。↓↓↓

 

 

 

さて、本日は甘酸っぱい”恋愛”のお話です。

ちなみに私は大学3回生の冬に初めて彼女ができました。それまでは21年間彼女ができたことはありませんでした。

 

今でこそ、なんとなく女性の扱い方も分かってきましたが、過去を振り返ると男としてキモい行動を取ってしまっていたと思うことも多々ありました。

 

中学の時は特に拗らせていたような気がします。

 

「すぐ人を好きになってしまう、そしてすぐに告白する」

 

中学時代は特にそのような性格でした。私の耳には届きませんでしたが、女子の間ではきっと噂が回っていたに違いありません。”女の子が自分をどのように思っているのか”が気になって仕方がなかったのです。

 

当時は何かをしてくれると、その人に対してすぐに好意を抱いてしまう。そしてその人も私のことを好きなんだと思い込んでしまう”勘違い野郎”でした。そして気づけば告白している。そんな状態でした。

 

この時は”好き”とか”付き合う”ということの意味を正しく解釈できていなかったように思います。「人を好きになる」というのはそこまで軽いものではなく、責任も伴うことだという認識が当時の私にはありませんでした。

 

だからこそ、”すぐに人を好きになり、すぐに告白する”ことを繰り返していたのだと思います。相手の気持ちを全く考えていない自己満足の行動だったと反省しています。そのような恋愛をしていたので、当然女の子からも相手にされず、彼女ができるはずもありませんでした。

 

 

”恋愛に固執すればするほど、離れていく”

 

 

私は中学〜高校でこの真理に気付くことができました。これは恋愛に限らず、お金や人間関係にも当てはまることだと思いますが、私がこの真理に気付けたのは”非モテの恋愛”をしていたからだと思っています。

 

今振り返ると、私に彼女ができた時に共通していることは、”恋愛以外に熱中しているものがある”ということでした。その反面、自分の中で恋愛100%になっている時に彼女ができた記憶はありません。

 

この経験から、恋愛だけでなく、仕事やお金、人間関係でも目標に固執しすぎず、今自分がするべきことに集中していれば、”自分が欲しいもの”は自然に巡り巡って後から手に入れることができると知りました。

 

だから私は”自分でコントロールできないもの”に固執することを辞めました。今とても生きやすいです。

相手の感情や反応に振り回されず、自分の人生を生きようと思えるようになってきました。

 

”他人に期待せず、自分に期待する”

 

そう思うことで私は自分を律することができており、自分が主人公になれているような感覚をもてています。あの頃の私は”気持ち悪い恋愛”をしていたなと思いますが、私にとっては重要な経験だったと今は思います。

 

全ての経験は無駄にはならない。いつかどこかで点と点が繋がる日がくる。

 

今日も私は、今やるべきことに集中して取り組んでいきます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、中国から日本へ帰国し、中学2年生の4月に日本の公立中学へ転校した時のお話をしています。↓↓↓

 

 

 

さて本日は、中学生の頃の将来の夢についてお話しさせていただきます。

 

私の中学校の時の夢は、「社会科の教師になること」でした。

実はその理由は、”黒板に文字を書けるから”でした。

 

「人に教えたい」とか「社会科の知識を深めたい」という思いはあまりなく、ただ黒板に文字を書き続けられるという点に魅力を感じていました。元々、チョークで黒板に何かを書くことが大好きで、ずっと教師は私にとって天職なのではないだろうか?と思ってきました。

 

それまでは、プロ野球選手になって阪神タイガースに入ることが夢でした。ただし、自分より上手な子を目にしたり、プロになることの難しさを感じ、逃げるように夢を変えたのだと思います。

 

「プロ野球選手になるのは、お前には無理だ」と本当の夢を軽い気持ちで公言できない雰囲気を、子供ながらに感じていたのかもしれません。

 

あの頃の私は、”周りと同じように生きる”ということを理由に、夢を追いかけることを辞めてしまいました。そして、現実的に努力をすればなれるであろう、そして親も納得してくれるであろう「社会科の教師」に将来の夢を変えたのだと思います。

 

この頃から私は失敗することを恐れて、未知の世界にチャレンジすることが出来なくなっていました。

 

というよりも、「チャレンジして失敗すること=恥ずかしいこと」という誤った認識をもってしまっており、その感覚がいつも自分の行動に対してブレーキを掛けていました。

 

この認識により、いくつものチャンスを逃してきたのかは言うまでもありません。自分の気持ちに沿って生きてこれなかったことが、私のこれまでの人生の後悔です。

 

もちろん周りに合わせて生きることによって、私もここまで道を外すことなく成長することができました。大学を卒業して、新卒でメーカーに就職して働く、という普通の幸せを手に入れることもできました。

 

しかし、そこに私の意思はなかったように思います。

 

大学に進学する時は「普通は大学受験をして進学するものだ」という先入観で受験しましたし、就職においては「大学を卒業したら就職して働かなければならない」と思い経団連のルールに則り就活を始めました。

 

そこには常に「普通はこうだから...」「みんなもしているから...」という無意識の安心材料があったように思います。

 

「なぜこれをしないといけないのか」を自分で考え、自分なりの答えを出したことはなかったと思います。いつも周りに流されて、悪目立ちしないような生き方をしてきました。しかし、そこには「自分で決めた!」という納得感が得られなかったため、何事も継続することができませんでした。

 

周りに合わせて生きるようになったターニングポイントが、この中学校時代だったように感じます。



本日は、自分の感情を上手く隠すようになり始めた、中学の頃のお話をさせていただきました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

こんにちは、うるまです。


前回記事では、2011年3月11日に発生した東日本大震災の時の話をしています。↓↓↓

 

 

 

さて、本日は中国の上海から日本に本帰国した時のお話をさせていただきます。

 

私は中学1年生が終わった春休みに日本へ帰国し、中学2年生の4月に日本の公立中学へ転校しました。この中学校は地元にある学校だったので、小学校の時の友人も多くいました。

 

転校とは言いつつも、正直新しい環境という感覚ではなく、「戻ってきた」という気持ちが大きかったです。

 

 

基本的には人間関係では悩むことはありませんでしたが、それぞれ日本と中国という別の環境で生活してきたので、微妙な価値観の違いや居心地の悪さというものを感じていました。

 

ただし前提として、どちらの価値観が正しくて、一方が間違っているということではないと思っています。これまでは同じ環境で一緒に育ってきた友人であったとしても、1年半の異なる環境での生活により”それぞれの当たり前”に差が生じているのを感じました。

 

具体的なエピソードとしては、”関西弁”と”標準語”がありました。

中国の日本人学校には、日本全国から転校してきた人ばかりだったので、基本的にはみな”標準語”で話をしていました。最初は私も関西弁で話していたのですが、標準語で話す友人に囲まれると、私も気付けは標準語で話すようになっていたのです。

 

人の性格や価値観、常識というものは、周りの環境に大きく左右されることを肌で感じました。

 

そして日本に帰ってきた時に私がいつものように標準語で話していると、地元の友達からからかわれたのを覚えています。人の間違いを指摘するように、バカにされたことがありました。

 

私からすると、日本語の中にも地域によって方言があることを知っていましたし、実際に話す友人とも関わっていました。

 

しかし、地元で関西弁しか話さない環境では、他の方言や”標準語”は、自分たちが知らない”異質なもの”として指を刺されてしまうことを経験しました。

 

改めてお伝えしますが、私はこの件についてどちらが上で、どちらが下かという考え方はもっていません。”知っているか””知らないか”の違いのみでマウントを取る人にはなりたくないです。

 

私も中国へ引っ越さず、地元で生活し続けていれば、同じように”標準語”に対してからかいの目を向けていたと思います。ただ私は、偶然にも友人よりも少し早く、世界には様々な言語や方言があることを経験できただけです。

 

その他に、”自分の意見をはっきりと伝える”中国と”相手の気持ちを考慮して発言する”日本との文化の違いにも悩みました。

 

私にとって中国での生活は何物にも代え難い貴重な経験となりました。しかし、そこで形成した自分の価値観や当たり前が、日本に帰ってきてからの生きづらさを感じさせる悩みの種となってしまっていました。

 

中国での生活がなければ、このように悩むことはなかったのだと思います。”周りと歩幅を合わせて生きる”協調性を重んじる日本では、海外の情報や日本以外での経験というものはない方が幸せなのかもしれません。

 

余計な情報をシャットダウンすることで、日本の常識に疑問を抱かずに生きられるのではないでしょうか。

 

日本で生きるコツは、”無知でいること”。私はこのように感じてしまいました。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。