こんにちは、うるまです。
前回記事では、”勉強”について井の中の蛙であった学生時代のお話をしています。↓↓↓
さて今回は、甘酸っぱい青春ではなく、タイトル通りしょっぱい青春の話をさせていただきます。
思春期の青春の裏側の部分について、今思うことを書きたいと思います。
結論、「異性を意識しすぎると、自分をよく見せるために、本来の意思とは離れた行動をとってしまう」ということです。
実際、私は特に高校時代、異性を意識しすぎて多くの機会損失を招いてしまっていたと思います。
当時は、「彼女が欲しい」とか「女子にモテたい」という気持ちではなく、「女子に嫌われたくない」という恐れの気持ちから意識しすぎていました。
私が最も後悔しているのは、「女子とほとんど話さなかったこと」です。
その時は、”女子”という存在は神格化しており、自分から距離をとっていたように思います。男性・女性問わず、誰からも学べることはあると思うので、自分からその関係を遮断してしまっていたのは勿体なかったなと後悔しています。
変に意識しすぎず、フラットに接することができていれば、自分の感情に沿って行動できていたのかなと、ふと思います。
高校3年間好きな女子がいましたが、結局告白もしないまま卒業することになったのです。当時は「告白しても振られるだろう...」というネガティブな気持ちから、これまでの関係が壊れることを恐れて行動を起こすことができませんでした。
「これまでの関係」と言っていますが、そのような目に見えるほどの関係性も出来上がっていませんでした。変に大人ぶってしまい、「好きな女子と話したい」という純粋な気持ちを常に隠していたのです。
つまり、告白の土俵にすら私は立てていなかったのです。告白しても結果は明白でした。
よくインスタグラムやYouTubeでも見かけますが、「やらない後悔より、やってみて後悔」という言葉。今振り返ると、私に大切なのはまさにこれだったなと思っています。
学校という閉鎖的な環境の中では、”みんなと異なる”ということは「悪」として捉えられがちです。さらにその環境での生活が長くなると、自分の中での善悪もその閉鎖的なルールが基準になってしまうと肌で感じました。
大学生や社会人になると新しい環境や人との出会いがあり、自分の世界が広がっていきました。そこでようやく、私の中で大きくなりすぎてしまった”普通”や”常識”は、ごく一部の閉鎖的な環境でしか通じないものだと気付くことができました。
話が脱線しましたが何を言いたいかというと、「好きな人に好きって伝えることは、素敵なこと」だということです。
極論、人間いつ死ぬか分からないので、後悔しないように大切な人には気持ちを伝えていきたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。









