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hozys blog

私hozys(管理人)の独り言のようなことを綴っています。
ネコの話題に限らず、
日々のいろんなことを気軽にアップしています。

$hozys blog-甘い物は脳に悪い

最近読んだ本「甘い物は脳に悪い」。
Amazonのレビューには、批判的な感想も多々ありますが、
食生活に対する意識を高めたり、食に対する認識を新たにするという点においては
意義のある本だと思います。
僕は、自分では比較的食事に対してバランスを意識している方だと思っていて、
外食する際には特に、その意識を強く持とうと心がけています。
とはいえ、時間に余裕がなかったり仕事上の付き合いなどから、
思い通りにならないことも少なくありません。
この本は、そういった「仕方なく...」といったケースも視野に入れて書かれていて
そういう意味では現実的な内容かも知れません。
僕も、疲れたと自覚した時には、ついついチョコレートなどを口にしてしまうことも
少なくなかったのですが、結果、急激な血糖値の上昇を抑えようという体の働きによって
食べる前よりもかえって血糖値が下がるという、よくよく考えたら当然のことなのですが、
習慣でそうしてしまっている自分がいました。
今回、この本を読んで、認識を改めた点のひとつです。

僕なりに再認識したことを簡単にまとめて列挙しますと...

01)最も重要な食事は「朝食」である。
   → 優先順位は、朝食>昼食>夕食の順となる。
   → ボリュームも、朝食>昼食>夕食の順で、逆ピラミッド型に。
   → 朝食をしっかり摂ると代謝が上がり太りにくい。
   → 日本人には " 地味飯(旅館の朝食のようなメニュー)" が適している。
   → 酵素が豊富な果物を摂る。

02)必須アミノ酸(タンパク質)は、脳内神経伝達物質と関係している。
   → 人を健やかに前進させる意欲の素はタンパク質。
   → タンパク質不足はセロトニン不足を引き起こす。

03)鉄分が不足すると脳は酸素欠乏を起こす。
   → 立ちくらみや貧血はもちろん、頭痛や頭が重いといった症状も。
   → 動物性食品に含まれる鉄分の方が吸収しやすい。

04)食事の基本は「4つのお皿」をイメージする。
   → 「主食」「主菜」「副菜」「汁物」
   → 「炒める」「煮る」など、調理法が重ならないとベター。

05)夜遅い食事は「睡眠不足」と「太る」原因となる。
   → 食べ物の消化には4時間かかる。夕食は、19時前後を心がける。
   → 浅い眠りは成長ホルモンの分泌量を減少させ、脂肪の分解量も減らす。

06)体が疲れている時は、食事は軽い(消化しやすい)ものにする。
   → 疲れている時は、胃腸も疲れている。(俗に言うスタミナ食はNG)
   → サンドイッチは、栄養素が微量な上に脂質の量が多いのでNG。

07)塩分が多い加工食品を食べる時にはカリウムを多く摂る。
   → より新鮮な、旬の果物や野菜を生で食べる。

08)仕事が立て込んでいる時には「水」を飲む。
   → コーヒーは、カフェインの利尿効果でダルくなり効率が落ちる。
   → 体内の水分が2、3%でも失われると眠くなる。

09)スポーツドリンクは仕事の効率を下げる。
   → 素早い吸収は、急激な血糖値の上昇につながる。
   → さらに甘い物を求める「シュガーハイ」を引き起こす。
   → 糖分の過剰摂取は感情の起伏を激しくする。

10)食事が人格をつくる
   → 人間にとっての食事は学びの機会である。
   → 食べることは記憶をつくること。
   → たくさんの記憶を持つことで味覚の能力が上がり、舌が肥える。
   → 何をどう食べるかは、話すことと同様に人格を露にする。
   → 食事を通じたコミュニケーションから学びが起こる。

以上が、印象に残っている内容ですが、本の中程に書かれていた
『...一般に、家庭で食べる食事が一番だといわれますが、私の正直な感想では、
それは奥様が栄養についてしっかりした知識をもっている場合に限られます。
世のたいていのご主人は、奥様の手料理にあれこれ注文をつけることができず、
むしろ独身男性のほうが食事のバランスを整えやすいという現実がある...』
といったくだりは、ちょっと笑えました。

いずれにしても、人間をはじめとする動物の体は、
食べたものから成り立っているわけですから、
普段の食事を大切にすることは健康を保って生きていくためには
必要不可欠なことなんですよね。
改めてそんな気持ちにさせてもらえた本でした。




ついに、国内のすべての原発が止まりましたね。
以前には、すべて止まると電力不足で停電になるといった話もありましたが、
実際は...、全く問題ない状態です。
今現在、必死になって無理に節電しているという話も聞きませんし、
輪番制の計画停電も行われてはいません。
むしろ、震災直後の、あの計画停電はいったい何だったのか?
改めて疑問に感じます。
ここへきて、夏の電力が不足するとか、一般家庭の日中の電気料金を値上げするとか
そんな話が懲りずにまた出てきてますが、それを言うなら
火力や水力での発電をフル稼働した上で言って欲しいものです。
どう見ても原発再稼働ありきで、電力供給に対する努力をしているとは思えません。
ヘタすれば、不安をあおるためにわざと停電を起こしかねないとも思ってしまいます。

依然として、福島第一原発の状況は収束にはほど遠い状況の中、
今現在も、再稼働をめぐって様々な議論がそこここで繰り広げられていますが、
結局のところ、原発を稼働させたい理由が、
原爆としての抑止力に利用したい人たちの思惑や
総括原価方式をはじめとする利権の構造ゆえのものであって、
決して電力を効率よく発生させるためのものではないと知ってしまった以上、
稼働に賛成する国民は少ないと考えます。
何より、地中深く埋めることしか手段がない核廃棄物の問題は致命的です。
また、先月の静岡県御前崎の市長選挙の際にも聞こえてきましたが、
地元の経済のことや原発に関わって生活している人たちのことを少しは考えろ!
と反論する意見がありました。
僕は、このことこそがまさに、これまでの政策の結果なんだと感じます。
まんまと国民が騙され続けて来た結果ゆえの発言だと言えます。
(小出助教も同じようなことを言われてましたが)原発はまさに「麻薬」ですね。
原発マネーによる旨味を覚えてしまうと、
それが悪いものだと知りながらも、それなしでは生きて行けなくなる...。
それでどんなに地元の経済が潤っても、1回の事故で命が奪われ兼ねない事態となり、
孫子の代まで、そして、他の国までも迷惑をかけるのでは全く意味がありませんし。
せっかくの機会ですから、目先の旨味に惑わされることのない判断をして欲しいですね。
そして、これまで国策としてきた政府は、
原発に頼らざるを得なかった地元の人たちへの補償も視野に入れて
対応すべきなのではと思います。
また、一方では、国のエネルギー政策は安全保障と一体の話であり、
その面において、簡単に脱原発を語るのは考えが浅いと指摘する人もいます。
でも、本当に、核エネルギーを推進することが、
今も世界のあちこちで起きている資源の奪い合いのための戦争から身を守ること
になると言えるのでしょうか?
天然ウランの埋蔵量だって決して多いと言えるものではありませんから、
(その是非はさておき、もんじゅのような再処理のシステムが実現できない以上は)
その全量を輸入に頼っている日本は、結局いつかは奪い合いの渦中に引き込まれる
可能性は否定できないわけで、どこが安全なのか、何が保障されるのかわかりません。
むしろ、核施設は、ある意味、不発弾をたくさん抱えてるようなもので、
国内の原発施設のいくつかを狙って攻撃されれば簡単に終わってしまいかねません。
核施設がある故に、かえって大きなリスクに思えるのは僕だけではないと思います。

これまで、長年に渡って原発にしか投資をしてこなかったわけですから
今後の自然エネルギーの実用化にはそれなりの時間が必要でしょう。
でも、今こそ、これまで投入して来た莫大な原発マネーを新しいエネルギー開発へ
投資して欲しいものです。
とはいえ、国内の原発すべてを廃炉にするためには、
長い年月と、これまた莫大な費用が必要なんですよね...。
ホントに、原発って始末に負えない代物だなぁと思います。


5月8日:一部加筆



一転して、今日はいい天気になりました。
まさに五月晴れといった感じの清々しい陽気でした。
空気が澄んでいたのか、目に映る景色もいつもより色鮮やかな印象で
思わずたくさんシャッターを切ってしまいました。

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山手通り。
山手トンネルに合わせて整備が進んだこともあり、
以前よりも広く、且つ、明るい雰囲気になりました。
中央分離帯や歩道に緑があるといいですね。

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いつもの道がなんだか新鮮に感じます。

$hozys blog-新緑_01
この時期だから余計に感じるのかも知れませんが、
東京って、意外と緑が多いですよね。

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$hozys blog-新緑_05
マンションの敷地の緑なのですが、
以前、ニュースでも話題になったお猿さんがここにも現れました。
また、ハクビシンの鳴き声で賑やかだった時期もあります。
ちなみに、外猫さんたち同士のケンカの声も時々聞こえてきます。
そんな場所ではありますが、緑があるっていうのは気持ちいいですねー



せっかくの連休なのに、あいにく昨日から連日の雨になってしまいましたが、
そんな中、今日は銀座まで出かけて来ました。
佐藤卓さんとタカラトミーアーツで共同開発したという
「光で歩く人」の展示を見るのが目的です。
『小さなソーラーパネルから得られる僅かなエネルギーで、ひたすらゆっくり歩く
人型ロボットをつくりました。』というDMの説明に興味を持ったのですが、
一方で、展示会場が「奥野ビル」とあったので、
その内容と会場のイメージのギャップに、いったいどんな展示なのだろうと
不思議な気持ちで足を運びました。
会場は、3FとB1Fの2フロア、合計3つの部屋に分かれての展示でした。
3Fは、自然光(太陽光)のみで動かすための部屋になっていたために、
(今日は雨だったので)部屋全体が薄暗く、「歩く人」は皆さん全員お休み中でした(笑)。

$hozys blog-光で歩く人
このDMを見た時の印象としては、そこそこ大きいものを想像して、
勝手に、自立した二足歩行ロボットの姿をイメージしていたのですが、
実際の「歩く人」は、身長十数センチの、意外なくらいとても「小さい人」でした。
見た目では、ABS樹脂を貼り合わせて組んである感じだったのですが、
(上のDMの写真のシルエットのように)
ギアなどの構造もあえて見えるように作ってあることもあって、
まさに試作感たっぷりの作品でした。
それがかえって独特の雰囲気を作っていたのですが(画像がないのが残念ですが)、
その人たちは、黒く塗られた切り株の展示台の上に乗せられた
透明プラスチックのケースの中にいて、歩くといっても自由に歩くというものではなく、
固定された状態で手足が動くといったものでした。
わかりやすく言うと、透明な鳥籠の中に閉じ込められているといった感じでしょうか。
一方、B1Fの部屋にいた人は、スポットライトによるソーラーパネルからのエネルギーを受けて、
それはそれはゆっくりと手足を動かしていました。
こちらは、切り株ではなく石の上にケースが乗ってる状態の展示でしたが、
3Fと違って部屋全体が明るめだったので、「歩く人」自体もよく見れました。
明るさとしては、裸電球的な感じだったのですが、
それでこのくらい動くのか、という気持ちと、このくらいしか動かないのかという気持ちと
この「僅かなエネルギー」がいったいどのくらいのものなのか、計りあぐねる感じでした。
卓さんご本人曰く「おもちゃとアートの中間領域」という説明なので、
「僅かなエネルギーで、ひたすらゆっくり歩く」というあたりにポイントがあるんでしょうけど、
数十年後の未来には、僅かなエネルギーで等身大のロボットが歩いているのかも知れませんね。


$hozys blog-奥野ビル_01
奥野ビル1Fの郵便受け。このビルを象徴するもののひとつですね。

$hozys blog-奥野ビル_02
郵便受けが案内ボード代わりになってます。

$hozys blog-銀座中央通通り
中央通り。(京橋側を背に、銀座4丁目の交差点方向を見る)
天候の影響が大きいのですが、今日は全体的にグレーな街に見えますね。
雨だったこともあり。連休中にしては人は少なめな印象でしたが、
こういった、しっとりした(?)銀座の街並も悪くないなぁと思いました。



今日の「くにまるジャパン」のテーマが「まちがいなく泣ける曲」だったので、
朝からずっと泣きっぱなしでした(笑)。
人にはそれぞれの人生があるわけで、琴線に触れる曲もいろいろ異なるんだなぁと、
そう思いつつも、リスナーの多くの人がそう言っていたように、
それぞれの人のその曲にまつわるエピソードを知ってから聴くともう...
どの曲も見事に泣ける曲になりますね。

僕は、母親譲りでとても涙もろく、小学校の頃からテレビで「みなしごハッチ」や
フランダースの犬」を見ては一緒に泣いてた子供でした。
映画では、「My Way」が初めて泣いた作品(曲)だったように記憶しています。
ポール・アンカ作詞のあまりにも有名な曲なので説明の必要もないかと思いますが、
「And now, the end is near, And so I face the final curtain...」と流れると
あのゴールを目指すラストシーンがよみがえってきて、今でもウルっとしてしまいます。
同様に、ジェームス・ディーン主演の「エデンの東」のテーマ曲
グッとくる曲のひとつですね。
こちらは、僕が生まれる以前の1955年の作品なので、
ちゃんと見たのは、大学生の頃にリバイバル上映されていたものでしたが、
残っていた僕の父親の写真の中のいくつかの表情が
ジェームス・ディーンに似てたこともあって(勝手にいいように解釈して・笑)、
僕の中では何か特別な存在に思えていたことと、
この映画そのものが、父親と息子の関係を描いた話なので、それも含め、
とても印象深く記憶に残っている作品です。
あ、ちなみに、僕は母親似で、子供の頃に祖母から、お前の父親はイイ男だったと
耳にタコができるくらい聞かされてました(笑)。

他にすぐに思い出すのは、さだまさしさんの「案山子」ですね。
この曲は、津和野の町がモデルになっているという話が朝日新聞に載ってましたが、
当時、僕は高校生で、高校生なりに、子を思う親の気持ちの深さに
涙が止まらなかった記憶があります。
故郷がある人にとっては、ひとしお琴線に触れる曲ですね。
今、自分が親の立場の年齢になって聴くと、より実感する部分もありますが、
いつまで経っても、心配させてしまっている子供としての立場も変わらないことを
自覚せずにはいられませんね。

同じく、さだまさしさんの曲で「償い」というものがあります。
非常に重い内容の曲なのですが、人の心の深淵が描かれているようで
僕はただただ号泣してしまいました。
つい最近も、大きなバスの事故で多くの人が亡くなってしまいましたが、
まさにこの曲は、そういった悲劇の中の人の心が描かれています。
しかしながら、近年の報道の仕方には非常に疑問や違和感を感じることが多いですね。
事故を起こした人については、いかに非常識で落ち度があったかを強調し、
一方、犠牲となった方については、いかに善良な人で周りから慕われていたかを強調する。
こういったメディアのあまりにステレオタイプの報道には、
まるで、事件や事故を面白がってるかのようで、憤りすら感じます。

福山雅治さんの「道標」なんかもそうで、
多くの曲で感じることですが、人の優しさや温かさに触れている内容というのは
強く心に残り、涙を誘いますね。
そして、最近の曲では、竹内まりやさんの「いのちの歌」が、
多くの人の心を捉えて涙させているようです。
僕は今朝初めて聴いたのですが、確かに心に響くいい曲だと感じました。
だれもが感じるような思いを、短い言葉でさりげなく、
でも、絶妙に共感を得るとして表現されている気がします。

他にもたくさんの泣ける曲が番組の中では紹介されていましたが、
そのメロディーや詞、音楽というものが人に与える感動の大きさを改めて感じました。
そんなことを思いながら、ますます涙もろくなっている自分を自覚した
今朝の文化放送でした...(笑)。