夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻
汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
たくさんの初めてを深く刻んだ
揺れる若葉に手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい
今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど
勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を
誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて
木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影
思い出たちが不意に私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて明日へ
ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き
宇多田ヒカルさんと同じ、躁うつ病患者です。自殺された同病の藤圭子さんを忍んでの此の楽曲。
複雑な思いを公表するのは、とても勇気がいったいと思います。そして、一人息子さんへの遺伝の心配も有ります。そんな病気の宿命が、宇多田さんの此の楽曲の原点でしょう。
辛い体験に打ちひしがれて、倒れても倒れても又起き上がり前を向ける、そんな宇多田さんに勇気と希望を戴いて居ります。
もしも私が自殺をしても、宇多田さんは受け止めてくれるでしょうね。
圧倒的に美しい。私は日本の音楽を賞賛します。アメリカ人として、私は日本が大好きです。私はある日訪問しなければならない。
母の介護のため、毎日、仕事を早めに終えて急いで帰宅をしています。
介護する母のいる事の有り難みを感じさせる曲ですね。もうちょっと頑張ってみようと思います。
随分 昔 15才のお正月に 母が急死しました。
親になり 愛する家族ができた事で 更に 溢れる母への想い。
歌詞の全てに苦しい程 共感しています。
宇多田ヒカルさん、応援しています。
時々、訳あって死にたくなるけれど、この曲を聞いてたら残された娘にこんな切ない気持ちにさせたら駄目だよなって想います。
母が亡くなってすぐの頃はこの曲をちゃんと聴くことが出来ませんでした。
3年が過ぎて、今頃になって、やっとフルで聴くことが出来ました。
8月生まれの誕生日まで生きられなかった母を想うと、叶えてあげたかった約束のことや、
声に出して「お母さん」って呼べる人が急に居なくなってしまった淋しさとか、
小さかった頃の母との想い出など、様々。いろんな感情が溢れ出てきます。
まだまだ、こんなにも、母とのお別れに向き合えていないのかと…あらためて感じました。
真夏の通り雨を聴くと、母が生きていた頃の空気のようなものを側に感じます。
母に、会いたいです。
私も、聞きたいことがいっぱいあります。
I feel a pain in my cheat by hearing this song
I’m so sorry for hikaru for her mother and the feelings that she put in her song are contagious because
I‘m starting to feel pain and remember things that hurts me a lot
旦那も私も宇多田ちゃん大好きです。その旦那も病気で7月に亡くなりました・・・
この歌は亡くなった旦那の事を思い出し毎回泣けてきます・・・
いい歌をありがとう。
どうしても辛いときなぜかこれを聴くと涙が出るとかじゃなくて、ホッとする。みんなそれぞれの地獄を生きている。
わたしにはわたしの地獄があるし、他人には他人の地獄があるんだよなと、この曲を聴くと思う。
辛さは分け合うことができないけど、こうして歌を聴きながら他人の人生に想いを馳せることのできる間はまだ大丈夫だよって
宇多田さんが言ってくれてる気がして。
私もかつて幼い幼い子供で
そこには、その私を一生懸命育てる若き母がいて、頭を撫でたり抱きしめたりしたんだろうなぁ。
今はすっかり老いて、小さくなった母と
いつか必ず別れが来るんだなぁ。
そして、私も老いて小さくなって、死んでゆく。
高校の時に病気で亡くなった父が、2週間ほどして夢にやって来た。
何も語らなかったが、死んでも生きてるんだという感じがして、気づいたら目が覚めて涙で濡れていた。
久々にそれを思い出した。とても個人的な宇多田ヒカルの最高傑作と思う。
素晴らしい曲だと思う。
ただ、ある種の心の傷を抱えていたり、未来に何か恐れることがある人には、
きっと辛すぎて聞いていられない曲でもあると思う。
曲聴いて泣いて、美しい言葉のコメント達を見て泣いて、そのコメントにまたまた優しい言葉のコメントを見て泣いて…
この曲の奥行きを理解出来る年齢や経験を重ねて来られた自分は幸せだとつくづく思えた。
コメントを見てると涙が止まらない。
みんな この曲に共感するような経験してるんだね、
悲しみを抱えながら それでも頑張ってるんだね。
雨上がりの湿った匂い。別れの切なさ。誰しも平等に訪れる死の匂い。
それでも生きて行かなければいけない虚無感。
一冊の長編小説を読み終えた時のような感覚がわずか5分少々の曲に詰まっている。
こんな美しい曲を描ける人が日本人に残っていて良かった。
長い虐待生活から救ってくれた友達、その後支えてくれたいまは亡き祖父母を思う。
その友人は16歳のとき突然自殺した。
自由になる、自由がある。
こんな美しい許しと尊重の言葉があるだろうか。しかし、立ち尽くす見送り人の影、で遺されたものの衝撃と孤独も救い、
そのありのままを表現してくれている。
何度聴いても涙が止まらない。もう10年経ったのに、悲しみと孤独に慣れて、泣くことさえ忘れていた私に、切なさの先にある愛を思い出させてくれた曲。
なんて悲しい歌なんだろう
それなのに、なんて優しく歌うんだろう
ヒカルさんのいろいろな想いが溢れ、流れ込んできて、切なくなる。
諦めたい時この曲を聴いた。電車の中涙がドンドン出てた。留学生の私がもう一度頑張りたいという気がする。ありがとう。
辛すぎて聞けない.....
ひとりの時、聞いて
思いっきり泣いたら
少しは何か変わるかな。
私を傷つける存在から逃げてきた今の状況が
この歌声と曲調が
今日私は一人じゃないしそれなりに幸せでこれでいいんだと言い聞かせるけど
という歌詞が
傷ついた心に染み渡って涙が止まりません。
三年前に亡くなった、祖母と父を思い出します。
今年で25歳ですが…子供の頃に戻りたい。
お父さんに会いたい…おばあちゃんに会いたい。
今は母と私2人だけですが
5人家族だった頃に戻りたい。
京都大学准教授の柴山桂太さんが言っておられました「(このミュージックビデオに出てくる)子供たちとか、
夏の花火の風景だとか、日本の美しい原風景だとか、日本にかつて普通にあった日常だとか、
そういうものを守って行くことこそが、日本人である我々の責務なのだ」と。
パンとサーカスに浮かれる現代の日本人にはわからない、私たちのすぐ隣にあった当たり前の日常。
それを壊し、奪っていったのも、私たちと同じ日本人なのだと。
カジノも要らなければ、オリンピックや万博も要らない。
私たちの帰る場所は、かつてあった当たり前の日本の風景なのだと思います。
私の母は、少し精神の起伏が激しい人でしたが、小さい頃は、それなりに愛情を受けて育ててもらいました。
抱き締めてくれたり、膝を枕に眠ったり…。
でも私が大きくなるにつれ、だんだん母は変わっていきました。
気に要らないことがあると、わめいたり、包丁を持ち出したり、暴力をふるったり…。
そのうちもう、手に負えなくなり、何度も警察に助けてもらいました。
大声で外に向かって罵声をあげたり、もう、どうしょうもなくなり、今は別々に暮らしています。
精神のバランスを失った家族と生きると言うことは、本当に大変です。
宇多田さんもすごい葛藤があって、どうしたらいいか、悩んだと思います。
お母さんが自ら命をたつという、エピローグでしたが、お母さんがいなくなり、安心もしたと思いますが、
支えてあげれなかったとも、どうしたら、よかったんだろうと、ずうっと、考えられていると思います。
私も、同じ思いで、悩んで、考えて。
この曲は、私の思いと同じです。
3年前に旦那さんが亡くなりました。
何年経っても気持ちも時間も
忘れ無いし消えないです
この歌は悲しけど思いおこしたい
記憶を出してくれる不思議な
歌です。
…この曲を始めてフルで聴いたのが満員電車だったんだけど、良い曲過ぎて泣きそうになってしまった。
多分部屋で一人で聴いてたら、鳴咽してしまうぐらいの、素晴らしい楽曲。
改めて宇多田ヒカルの天才性に愕然としましたね。余りにも名曲すぎる。。
心が震えるってこういうことなんだ。
震えた途端にまるで瓶が揺れたみたいに水がこぼれた。悲しくないのに涙が流れた。
やっぱり宇多田ヒカルだわ。
ヒッキーがお母さんになって、見えなかったものが見えて、
圭子さんのこと思いながら書いたのかなって思っただけで泣けてきた...
see you tomorrow.
Have a good weekend.
風 蘭