高校時代、いわゆるイケてるグループに属していたわけなのですが笑 そのグループの友達たちはほとんど大学や就職で東京へ。
かくいうわたしも、大学には行かず就職する道を決めていました。父の実家が美容院だったこともあり、その影響で美容師を目指していたんです。通信制の学校に通いながら働けるお店を探しており、神奈川県内の美容院に無事就職が決まっていました。
前回お話しましたが、わたしが17歳の時に両親の離婚が決まったのですが、ちょうど就職が決まるか決まらないかくらいの時期でした。最悪のタイミングですよね。
その後、神奈川に住んでいる叔母から連絡が入り、“美容師なんかやめなさい。神奈川に出てくることも反対。あなたはお母さんのそばにいて支えてあげなさい。”と。当時、2つ上の姉はすでに結婚しており家庭を持っていました。なので、わたししかいなかったんですね、寄り添える人間が。とにかく神奈川への就職を大反対、猛反対され、わたしも自暴自棄になり、就職を断念しました。
わたしは親権者に父親を選び、母は家を出ました。と言っても近くに住んでいましたが。それから父との生活が始まったのです。姉も残念ながら実家に舞い戻り、3人の生活が始まりました。
どれくらい3人で生活していたかは覚えていませんが、いつの日からか父が帰ってこなくなりました。どうやら彼女ができたようで、そちらで一緒に住み始めたようでした。何も言わずに出て行った父でしたが、彼女ができ一緒に住んでいると聞いて安心しました、1人じゃなくてよかった、父の事をお願いできる、と。その後、姉に彼氏ができ、うちに一緒に住むようになり3人で生活していました。
というわけで、だいぶ複雑な家庭環境で育ったんですね。離婚したのが18歳の時だったのでまだ良かったのかな。わかりませんが。ですがまぁ、わたしが小学校4年生から喧嘩の絶えない家庭だったので、高校生になってからはもう喧嘩はうんざりで、もう離婚していいよ、と言っていたくらいです。
そんな状況の中仕事はというと、ご縁があり中古車屋で働かせてもらうことになり、なんと!板金職人をしていたんです!凹みを直したり、その頃流行っていたカスタムドレスアップ効果のあるスムージングというリアゲートのナンバープレート部分を埋める作業をしていました。自分でいうのもなんですが、メキメキ腕を上げました。会社の先輩から「東北イチの板金職人目指せばいいじゃん、女板金職人ってたぶんいないし狙い目じゃん」と言われるほどに!性格上、スムージングをすることが好きだったようで、自分にはものすごく向いていましたね。
そしてその頃は車に乗れるようになり、行動範囲もどんどん広がっていき、当時の会社の社長の彼女がギャルでその影響もあり服装もギャルになっていきました。あゆや安室ちゃん全盛期!車をサーモンピンクに全塗装して、あゆの曲をガンガンにかけて、厚底ブーツを履いてギャルの友達と遊びまくっていました。いつも帰宅は午前様、ほぼ寝ずに遊んでいたと言ってもいいくらい笑 しかし会社には眠い目を擦って、遅刻もせず通っていましたね。たぶん汗
そんなこんなで約1年くらい板金職人をまっとうしていたのですが、遊び尽くしたと言っても過言ではないほどに本当に遊んだので、燃え尽き症候群というのか、山形ではやり尽くした、みたいな感覚で、元々行きたいと思っていた東京へ、やっぱり行こうと決意したのでした。
追記
2つ上の姉が、両親の喧嘩やその他もろもろのせいで中学生の頃にグレ始めました。高校の時もそれはそれはやんちゃで一目置かれるほど。姉に比べるとわたしはまぁ優等生(の方)だったと思います。わたしの場合グレ始めたのが遅く、ちょうど☝︎この時が「やさぐれ」の全盛期でしたね。全部どうでもよくてめんどくさくて、なんでもよくて。寝なくてもよくて食べなくてもよくてお風呂も入らなくてよくて、という心身ともに不健康極まりない生活をしていました。後にも先にもこんな生活をしていたのはこの時だけです。(それくらいヤバかった!)当時の車屋の先輩や社長がすごく心配してくれて、ちゃんと食べろよ、寝ろよ、風呂入れよ、と言ってくれていたのでした。
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