どうも都合のいい歴史知識で各国いがみあっているように見える。それも何かをごまかしながら。
それじゃ収拾がつかない事態に発展する。している。
日本人は明治以降ヨーロッパ文明を取り込み、洗脳されてきた。どこかそれは絶対な神みたいに認識されたまま思考停止状態が続く。(明治の指導者に思想がなかったのが原因だが)
まあ丸パクリし、多くを学んだのだけれど、それでも賢者は多く、日本文化の中にうまく取り込むことができた、のだが何で思考停止するのさ。
ヨーロッパはパートナーとしては重要だけれど、もういいんじゃないの呪縛から解かれるべきだよ。ヨーロッパ人の歴史観に染まっているけど、それって都合よくできている狭い視野だよ。
先日、地名の話をした。
フィリピンは国名を正し、日本はジャパンからニッポンに国際名称を変えるべきだよ。
いつまでも帝国主義はないだろう。
さて、今回はメソポタミア以前の歴史だ。
ヨーロッパ人が100年前にまとめ上げた人類文明史、そこから人類が始まったわけじゃない。
みんなアフリカ、オルドバイ渓谷から来たんだ。
ヨーロッパ人の視点じゃこの先立ち行かなくなるよ。(そこからの片割れ、共産主義の扱いをも見誤る。)
もっと俯瞰して歴史を見ないとダメよ。
現代でイメージされる王権や国家のあるなしが価値の基準じゃない、忘れろ。
証拠が残る前世代の旧石器時代あたりからまとめてみた。
(以前にも言った仮説も含め)
大体1〜3万年前(メソポタミアはこれを受け継ぐ。シルクロードも。)
重要なのは、
この頃すでにユーラシア大陸は交流が行われていた。人は動き、交流する。旧石器時代から。
ということだ。どんな文化だったかは石器と土器とどこで出土したかで辿るしかないのだが、
これだけでもわかる。
旧石器時代にも遺跡が集まる拠点があった。
集まった方が住みやすかったのだろう。
河川の中流域が目立つ。
具体的には
フランスのシャンパーニュ(パリの東側)
シリア
プリアンガラ高原(バイカル湖の北西)
日本の関東、中部地方
これらは湖水、河川、海を伝って行ける。
(気候的も安定していただろう)
これと別に、
インド、デカン高原
インドネシア、ジャワ島
中国、黄河中流域
がある。(南方地域)
水の確保、動植物だけでなく、当時ちょうどいい気候だったのだろう。
何故このような広範囲なのかは
動物の移動、太陽を追っかけた冒険心
気候変動と温暖な場所の確保(温泉を探して行ったと思う)
行っただけでなく戻って価値を共有もしたかった
からと人間っぽさは元々あった。
動機の中核は気候変動であろう。上記の拠点は温暖だったが氷河期を経験しながら徐々に変化していく。(温暖化→氷河期→温暖化)
で、石器は改良し続けられていくが、ここで発明が起きる。土器製造だ。(他のアイテムもあるがここでは土器にフォーカス)
土器は1万6千年前に登場するが、日本のものが最古らしい(今の所)
既に文様が入っていて日本では以降を縄文時代と言う。上記のフランスでも登場しているから高い価値として伝搬したのだろう。(煮炊きで安全に食事ができる。保存ができる。)
土器が何で日本で発明(?)されたかは明らかになっていないが、推定として富士山大爆発と溶岩流を見たからと思う。土を焼くと溶けて固まる。自由に成形できる。そして温暖化でものが腐りやすいくなっても食事できる。焼肉も発明されただろう。
(動物と温泉を辿っていったら火山爆発と溶岩流に出くわし土器を着想した。)
表面に紋様をつけたのは、自己主張なのだろうか。
当事者は想像しなかっただろうが、
土器の発明は考古学的に重要な証拠を残すこととなった。(1万6千年後まで営みが伝わった。)
石器も同じなのだが、表面の文様が明確なメッセージになった。
このパターンは多くが研究しているが、
太陽文様に注目すると、人類史がさらに見えてくる。(「渦巻紋と輪廻転生」)
これらは
「メソポタミア文明開始へとリンク」
していく。
(その後の寒冷化は人類を南へ誘い(防寒用竪穴式住居が日本へ)、次の温暖化は南方文明の水耕栽培を北上させていく。(インドネシアから日本へ)と言うとこから技術と文化が移動、融合。
太陽文様は(辿ってみるとこの様子が見える)
1、二重円、半円
2、渦巻
3、連続三角(横に3っつ、曙をイメージ、日本ぽい)
この順の出所が
シャンパーニュ地方(推定)、
バイカル湖、
そして藤沢市
だそうだ。
登場は
1万6千年前、1万2千年前、1万1千年前
で、移動して行った感はあるが、
(たぶん1万6千年まえの同時期と思う)
それぞれの場所でオリジナルが現れている。交流とアイデンティティ。(ユーラシアにまたがる文明圏は存在しただろう。ただ各地の主体性はあっただろうが、王権や国家じゃないよ。)
そして、前二つはメソポタミア文明開始以降に世界へ広がっていく。日本へは6千年前頃。
バイカル湖の拠点はその後、気候変動で南下、メソポタミアへと移動したようだ。同時期、日本へも。
(ヨーロッパは氷結?)
藤沢市の連続三角紋の経路は不詳だが、ブルガリアへ伝わった後、メソポタミア経由で日本に再度伝わっている。
ここへ南方の水耕栽培が入っていく。(赤道は暑すぎ?)
縄文中期には米の水耕栽培は始まっていた。ただ、
メソポタミアでの技術改良は急速で、小麦生産量が
50倍になっていったらしい。200x500kmの土地は十分広い。周りの敵(?)人口も多い。
(関東平野は50x50kmくらいで海で閉鎖された島の人口は少ないから需要はなかったかな。)
土器生産もメソポタミア量産型(紋様や凹凸なく筆で絵を描く)になっていく。これは弥生式と日本では言う。
土器が無いと収穫品を保管できないから土器は必須だっただろう。料理もできないし。
(まあヨーロッパ人がここに注目するのはわかるが、ここで突然始まったわけじゃないし、偉いわけじゃない。)(アラブに攻め入ったら大発見なノリ)
いかがですか?
ざっくりと旧石器時代のムードを把握できたかな。弓矢を持った個人が動物を追っていただけじゃなさそうなダイナミックさを感じる時代だっただろう。
ちなみにバイカル湖というとB型のふるさとだが、その発想と移動は人類史に大きな影響があったような気がする。
カスピ海がA型のふるさとらしいが、それを凌駕できたということかな?まあ記録は得意だろうから後世の人類に伝わったということだね。
縄文時代に記録がないのはB型が多かったから?
古墳人がくる前にメソポタミアに匹敵する文明を築くチャンスはあったけど、なしえなかった。無かったから今の独自な安寧の日本になったとも言える。