シリアではクリスマスの時期を2回過ごした。
一度ホテルで勤めていた時の同僚で友だちのラナに
お家に招いてもらったことがあった。

シリアでキリスト教徒の割合は10パーセントということだ。
ダマスカスの旧市街にもキリスト教徒の区域がある。

ラナが住んでいる地域は、ダマスカスの郊外にあり、
レバノンから来たキリスト教徒たちが、集まった集落ということだった。
彼らの宗派が何だったのかは、もう覚えていない。

覚えているのは、お家で大きなパーティーをしたということ。
今の片隅にキリストが生まれた馬小屋と
揺りかご代わりの飼い葉桶、動物達などの模型が
飾られていたこと。
ドイツに来て、教会でクリスマスの飾りを見た時に
『ああ、そう言えば』と思い出した。

ご馳走を食べた後、音楽がかかって
皆でダプケというフォークダンスを踊った。
男も女も交じって手を繋いで列になって踊る踊りだ。
ステップが割と単調で、直ぐに覚えられる。
大勢で踊ると、ヘビのように連なって輪になって踊るのが楽しい。

夜中頃、彼女と一緒に近くの教会にも行ってみたけれど、
すごい混雑だった。
とてもじゃないが、中に入ってみるどころではなかった。

彼女の所にはよく遊びに行って、泊めてもらった。
妹が2人と兄が2人の5人兄弟で、
泊めてもらう時は、3姉妹共同の寝室に泊めてもらった。
8畳くらいの広さの縦長の部屋には、端から端までベッドが並んでいた。
人一人通れるくらいの隙間を空けた反対側の壁には
衣装棚やクローゼットが並び、そこで3姉妹はお化粧したり
お互いに着る物を貸し借りしたりしていた。

彼女達はお洒落で、ちょっとしたパーティーだと
必ず美容院に行って髪をセットしてもらうのが、
私には驚きだった。
(多分、私がそういうことに疎すぎるのかもしれないが)
それがまた、それ程高くないからできるのだろうか。
急に、無性に食べたくなるものがある。

例えば、コシャリ。
コシャリとは、当時豆のサンドイッチと並んで
一番庶民的な(或いは安いとも言う)食べ物だった。

マカロニとぶつ切りのスパゲッティとご飯
という炭水化物だらけのところに
更にレンズマメとあげた玉ねぎをかけ、
トマトソースをかけたもの。
お好みで唐辛子ソースやお酢をかけて
ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。

単純な食べ物だが、と言うよりだからこそ
ソースが決めてで
人気のあるコシャリ屋とそうでないところと
あったりする。
日本で言うならラーメン屋のごとく
コシャリ屋は沢山、あちこちにあった。

私は辛いものが好きで、
唐辛子ソースを沢山かけて食べるのが好きだった。

そして辛いものを食べた後には、甘いもの
コシャリ屋には大抵 ウンム・アリーというデザートがある。
米を牛乳と砂糖で柔らかく煮て冷やしたものだ。
ココナッツフレークとかレーズンとかも入っていたと思う。
(既にうろ覚え)

ドイツにもアラブ系の食べ物屋はあるけれど
サンドイッチ止まり。
レストランはどちらかと言うとシリアとかレバノン系列か
モロッコ、チュニジア系列に分かれ
エジプトの庶民の味なんて、(当り前だが)ある訳は無いのだった。
ああ、コシャリが食べたいなぁ、、。
住んでいたフラットのすぐ近くに、タハリール広場があった。
タハリール広場は、カイロの中心に位置する、
巨大な交差点(?)だった。
バスのターミナルと、停留所があちこちにあった。
当り前だが、行き先よって分かれているのだが、
ターミナル以外の停留所だと、
いつ、どこ行きのバスが来るのか分からない。
時刻表が無いから。
(正確には無かった、少なくとも97年秋までは)

とにかく目的のバスが来るまで待つしかないのだが、
ただ待っているだけでも駄目だ。
バスの来る方向を絶えず気にしていなければいけない。
なぜなら、彼らは時に何台も繋がって来たりするから。
そして、そんなに長く停留所に止まっていてはくれないから。
一瞬のうちに見極め、そして飛び乗らなくてはいけなかった。

初めのうちは、乗ってから失敗に気づくことも多々あった。
運が悪いと、いつもと同じ番号なのに
運転手の都合で経路が変わってしまい
行きたいところへ行けなかった、なんてこともあった。
でも、そのアバウトさが好きだった。
時刻表が無くても、約束の時間には大抵間に合っていたのだから、
それほど不便は無かった。

とは言え、今は地下鉄も開通したそうで、
7年前とでは交通事情も大分変わったのだろうと思う。
何だか淋しい。
ドイツはそれ程遠くないのだから、
近いうちにまた行ってこなくては、と思う。
今日は久しぶりに晴れて、青空が顔を出した。
そんなことがとても嬉しい。
気持ちまで明るくなる。

日本では太平洋側に住んでいたので、
冬は、寒いながらも天気だけは良かった。
ドイツは日本に比べて緯度も高く、今の季節は日照時間がとても短い。
朝8時でもまだ外は暗い。夕方6時になるともう外は暗くなっている。
雲が低く垂れ込めているような日は一日中薄暗い。

ドイツで生活するようになってから、天気予報を気にするようになった。
近所の人と話すことが無い時など、
天気のことだけで会話が成り立つ。

エジプトにいた時には、天気を気にしたことなど無かった。
殆ど毎日晴れていたから、話題にすることもできない。

初めてカイロに発つ日の朝、母親に『傘は持ったの?』と聞かれ
『持ってない』と、私。
『持っていきなさい!』と出かけに折り畳み傘を受け取ったものの、、
3年半結局使わなかった。
何度か降ったとは思うが、傘をさすほどではなかったか、
丁度建物の中にいて必要なかったかのどちらかだった。

今でも、日本の四季が体質に合っているような気がしている。
やっぱり生まれ育った土地だからだろうか。
12月6日はニコラウスの日だった。
聖ニコラウスという歴史上の(或いは伝説上の?)
人物に因んでできた日のようだ。

この日の朝、子供たちは朝一番で
前の日の夜にドアの外に置いておいた長靴を覗きに行く。
ニコラウスからのプレゼントを確認する為だ。
1年間良い子だった子供にはお菓子のプレゼントが待っている。

、、、この話、何だかサンタクロースみたい。
と思ったら、それものそのはずで、
聖ニコラウスはサンタクロースのモデルだったようだ。
ドイツでは、ニコラウスの日にはニコラウスからお菓子をもらい、
クリスマスは両親、親戚からプレゼントをもらう習慣だったようだ。

でも、今ではサンタクロースもちゃんといて、
何故か飾り物として、窓やベランダの外にぶら下がっていたりする。
煙突なんて、無いうちの方が多いのだろうね。

子供の頃、クリスマスイブには
何とかして夜中まで起きていて
サンタクロースを一目見ようと思ったのが思い出される。
期待と不安で目覚めた朝は、いつも何か神聖なもののような気がしていた。

今年、寮の私の部屋のドアのノブには
小さくて可愛い靴の形のチョコレートがぶら下がっていた。
それだけで、一日中ハッピーでいられそうな気持ちになった。