テキストは1925年前後のエジプトで、宗教界を騒がせ
終には異教徒の刻印を押されたシャイフ(Shaykh)、
アリー・アブドルラーズィクについてだった。
(シャイフには色々な意味があるけれど、
ここでは「イスラムの学者」というような意味
実際、彼は現存するイスラム最古の最高学府とされる
カイロのアズハル大学で教えていた)
何故彼がそんな扱いを受けたのか
その頃やっぱり問題のある本を出版して
世間を騒がせたのは、エジプト人作家の
ターハ・フセインだった。
彼の場合は、本の題名を変更することで事なきを得たのだけれど、
アブドルラーズィクの場合は「宗教と政治権力との分離」という、
保守派にとっては基本中の基本である事実を否定した為
(だって、それによって宗教者は権力を持っていた訳だから)
何と裁判にまでかけられてしまう。
大学からは早期退職という形で追われてしまう。
まぁ、散々な目にあった訳です。
本題に戻ると、
テキストには、そのアブドルラーズィクの主張が
何箇所か引用されている。
「カリフ制度(預言者ムハンマドの代理人である「カリフ」が、
イスラム世界の最高権威者として統治する制度)は
ずっとイスラーム教とイスラーム教徒にとっての災難だった。」
「宗教には政治的要素は全くなく、
よって政府が口出しすべきことではない。
なぜなら、神は宗教上の制度と我々の理性を分けたからだ」
「そして神は人間に、宗教制度を自分の理解と、知識と、
そして利益に基づいて構築する自由を与えた」
つまり彼は、自由主義的な『危険な』思想家だった。
ところで、その翻訳演習の授業に出ている学生のうち
90%はイスラム教徒だ。
そして、そのうちの50パーセントはモロッコ人留学生(男)だ。
彼らは、翻訳テキストの内容が不満らしく、
翻訳とは全く関係ない意見を言ってくるのだけれど、
「宗教と政治は全く関係ない」の箇所を訳した時点で
ざわざわといつにも増して私語が増え、
どうやら少し興奮している模様。
そのうちの一人が「この男、きっとコーラン(イスラム教の聖典)を
読んだことがないに違いない」だの、
「何もわかってない奴だ」だのと、私見を述べ始めた。
どうやら、他のモロッコ人学生達も同じ意見のようだった。
、、、確かに自らイスラム教徒なのだから
批判したくなる気持ちは分からないでもないが、、。
彼らには所詮、宗教と学問を分けて考えることは不可能なのか。
それとも、モロッコのイスラム教徒は原理主義的な人が多いのか。
80年前の知識人でアズハル大学で教えていたと言うことは、
勿論厳しい宗教教育を受けた教養高い人物だったと考えていいだろうに
彼らにとっては「何も判っていない」ということになってしまう。
でも、そんな決め付けこそ
(宗教的に言えば)神の手にしかない真実を
人間である自分が知っているかのような
『奢り』なんじゃないだろうか。
宗教はあくまでも『神』と『人間個人』との契約であり、
裁けるのも神だけ
なのではないのだろうか。
そして、
何故オランダで映画監督が
一人のモロッコ人男性に殺されたのか
判った気がした。
宗教権威者の指導なんか
必要なくなってしまったっていうことだろうか。
もう、「ホメイニ」の指示がなくても
「自分で勝手に『制裁』を加えられる」と
思考回路が変わってきているということだろうか。
これは911の影響なのか。
それとも、あの事件はテロとは全く関係なくて
社会的に抑圧された外国人である若者が
鬱憤を晴らしただけなのか。