クリスマス直前は、町中がキラキラしていて
店はプレゼントを買う人たちで溢れ返っていて
行き交う人々が皆、何かを心待ちにしていた。

クリスマスが終ると、
クリスマスマーケットは引き払われて
広場が広々としているように感じて、何とももの悲しい。
街全体が平常心に戻ったようで、
1ヶ月前はこうだったのかと、首を傾げてしまう。

ただ、家々の窓には未だにサンタクロースがぶら下っていて、
そこだけが何だか可笑しい。


もう何世紀もの間観光地だったエジプトから
忘れ去られたような古都ダマスカスに行った私にとって
シリアで出会った人たちは、とても素朴に感じられた。

乱暴な、ともすれば言い争いでもしているようなエジプト方言と違って
シリアの方言は歌っているかのように、優しい。
何だか、私の中の京都のイメージなんだけれど、
ちょっと違うかな。

たくさんの遺跡が、未だに補修もされずに
時間の中に忘れ去れたような状態。

ところで、シリアにはローマ都市の遺跡がたくさん残っているけれど、
南のボスラーという遺跡に行った時に
今でも当時の面影をちゃんと残している円形劇場を見て感動した。
この円形劇場だけは、補修もされて、
毎年音楽祭等に使われているそうだ。
ところが、その周りの遺跡はまだまだ、崩れかけたまま。
そして、遺跡の一角は何と住居として利用されている。

それを見た時、何となく歴史の繋がりを感じた。
遺跡が今も生活の中に生かされているということ。
人間が、その土地に絶え間なく住んできたということ。

ダマスカスの旧市街にも、ローマ時代の道が残っている通りがある。
石の文化って、やっぱりすごいんだ
なんて思ったりした。





テキストは1925年前後のエジプトで、宗教界を騒がせ
終には異教徒の刻印を押されたシャイフ(Shaykh)、
アリー・アブドルラーズィクについてだった。
(シャイフには色々な意味があるけれど、
ここでは「イスラムの学者」というような意味
実際、彼は現存するイスラム最古の最高学府とされる
カイロのアズハル大学で教えていた)

何故彼がそんな扱いを受けたのか
その頃やっぱり問題のある本を出版して
世間を騒がせたのは、エジプト人作家のターハ・フセインだった。
彼の場合は、本の題名を変更することで事なきを得たのだけれど、
アブドルラーズィクの場合は「宗教と政治権力との分離」という、
保守派にとっては基本中の基本である事実を否定した為
(だって、それによって宗教者は権力を持っていた訳だから)
何と裁判にまでかけられてしまう。
大学からは早期退職という形で追われてしまう。
まぁ、散々な目にあった訳です。

本題に戻ると、
テキストには、そのアブドルラーズィクの主張が
何箇所か引用されている。
「カリフ制度(預言者ムハンマドの代理人である「カリフ」が、
イスラム世界の最高権威者として統治する制度)は
ずっとイスラーム教とイスラーム教徒にとっての災難だった。」
「宗教には政治的要素は全くなく、
よって政府が口出しすべきことではない。
なぜなら、神は宗教上の制度と我々の理性を分けたからだ」
「そして神は人間に、宗教制度を自分の理解と、知識と、
そして利益に基づいて構築する自由を与えた」
つまり彼は、自由主義的な『危険な』思想家だった。

ところで、その翻訳演習の授業に出ている学生のうち
90%はイスラム教徒だ。
そして、そのうちの50パーセントはモロッコ人留学生(男)だ。
彼らは、翻訳テキストの内容が不満らしく、
翻訳とは全く関係ない意見を言ってくるのだけれど、
「宗教と政治は全く関係ない」の箇所を訳した時点で
ざわざわといつにも増して私語が増え、
どうやら少し興奮している模様。
そのうちの一人が「この男、きっとコーラン(イスラム教の聖典)を
読んだことがないに違いない」だの、
「何もわかってない奴だ」だのと、私見を述べ始めた。
どうやら、他のモロッコ人学生達も同じ意見のようだった。

、、、確かに自らイスラム教徒なのだから
批判したくなる気持ちは分からないでもないが、、。
彼らには所詮、宗教と学問を分けて考えることは不可能なのか。
それとも、モロッコのイスラム教徒は原理主義的な人が多いのか。
80年前の知識人でアズハル大学で教えていたと言うことは、
勿論厳しい宗教教育を受けた教養高い人物だったと考えていいだろうに
彼らにとっては「何も判っていない」ということになってしまう。

でも、そんな決め付けこそ
(宗教的に言えば)神の手にしかない真実を
人間である自分が知っているかのような
『奢り』なんじゃないだろうか。
宗教はあくまでも『神』と『人間個人』との契約であり、
裁けるのも神だけ
なのではないのだろうか。

そして、
何故オランダで映画監督が
一人のモロッコ人男性に殺されたのか
判った気がした。

宗教権威者の指導なんか
必要なくなってしまったっていうことだろうか。
もう、「ホメイニ」の指示がなくても
「自分で勝手に『制裁』を加えられる」と
思考回路が変わってきているということだろうか。
これは911の影響なのか。

それとも、あの事件はテロとは全く関係なくて
社会的に抑圧された外国人である若者が
鬱憤を晴らしただけなのか。



カイロ発の夕方の便で行って、ダマスカスに着いたらもう暗くなっていた。
空港から一番安い交通手段であるバスを利用して
30分くらいかけて市内まで行った。
初めの10日間くらいはバックパッカー御用達のホテルに泊まったが、
その後はホームステイを試みた。
シリア方言が気にいってしまい、家庭の中でなら自然に学べるかもしれない
なんて思ったためだった。

ホームステイ先は、文房具屋で偶然知り合った女の子の家。
試しに泊まりに行ってみてビックリした。
19歳の彼女を頭に、17、15、13、11、、、
と2歳おきに10人も兄弟がいるのだ。

そして、その家(?)には奥さんも二人いた。
第1夫人と第2婦人だ。
第1夫人には6人子供がいて、一番年下が男の子。
第2夫人には4人子供がいて、やっぱり1番年下が男の子だった。
夫は、道端でタバコを売っているだけにしては、
結構稼いでいるのだろうか??いつも謎だった。
一人目の奥さんは専業主婦で、二人目の奥さんは働いていた。

イスラームの教えでは、奥さんは皆平等に扱われなければならないことになっている。
それで、二人とも同じものを所有している。
例えば、洗濯機、ガスコンロ、冷蔵庫、テレビ、箪笥、机、、等など。
全て二つずつある。
部屋も一人の奥さんにつき20畳くらいの広さの部屋が一つ。
夫も、夜寝る時は順番に双方の部屋を行ったり来たりしていた。
ひょっとして二人の息子たちも、、、
それぞれの奥さんに一人ずつ生まれるまで頑張ったのだろうか。

やっと『アラビアンナイト』の発表が終った!
この前ちょっと書きましたが
今日はゼミで発表の日でした。
あ~いつもながら、緊張する。

私のテーマは恋物語の中でも特に、初期アラビアの物語。
イスラーム以前とイスラーム初期に
全盛期だった恋物語の代表作を幾つか読んで、分析した。 『ウズラー部族の恋』とは、アラブ世界では
『プラトニックラブ』の代名詞。
預言者ムハンマドが言ったとされる言葉に
『恋し、しかし純潔を守り、その恋を隠したまま死んだ者は、
殉教者である』というのがあるそうだ。

そして、彼らの恋は大抵報われない、結ばれない恋である。
報われず、悲しみのあまり死んでしまう。
ちょっと現代の私たちには大袈裟すぎる死にっぷりだ。

例えば、ある恋に狂った男Aが病院に担ぎ込まれる。
最愛の女性から引き裂かれた苦しみを、
美しい詩の言葉で叫んでいる。

そこへ通りかかった男Bが半ば冗談で
『君の恋人は、もう死んでしまっているよ』と言う。
A:『何故そんなことが分かる!?』
B:『もし生きていたら、君をそんな風に放っておかないはずだろう』
A:『そりゃそうだ。神よ!彼女が死んだ今、人生に未練はありません!』
そして、その場でぽっくり死んでしまう。
Bはまさかの展開に唖然となり、そしてその死を悼み、悲しむ。

何だかこの死に方は、源氏物語で夕顔が生霊に取り憑かれて
あっけなく死んでしまう場面を思い出させた。

やっと発表は終ったけれど、これからこれを
20枚程度の小論文にまとめなければいけないのだった。
もっと資料も沢山読まなくてはいけないし、、。
クリスマスどころじゃないかも。