楽しみな季節

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ドイツではこれから新年にかけて、一年の中でも最も楽しい季節を迎える。
それはもちろん、クリスマス。
クリスマーケットも色々な所で始まるし、(もう始まっているところもあるし)
それ以外にも、部屋を飾る一つ一つの小物が楽しい。
クリスマスっぽいロウソクとか、ロウソク立て。
雪の結晶の形をした電飾やスノーマンの置物とか。
それから、クリスマスまでの4回の日曜日毎に火を灯す、アドヴェント・クランツ
(一般的なものは、もみの木の葉を円状にしたものの上に、ロウソクが4本立っている飾り)とか。
小さな窓が24個付いていて、ひとつずつ開けると中にチョコレートが入っていたりする
アドヴェント・カレンダーも外せない。
町中キラキラしてくるし、大きな広場にはもうそろそろクリスマスツリーが用意される頃。

特にクリスマスマーケットなんて、毎日がお祭り気分になれる。
寒い時に友達と、出店のグリューワイン(暖めた赤ワイン)を飲むのも、
何かちょっと、屋台のおでん屋を彷彿させるし。

あ、なんだか、そんなことを思い浮かべていたら
本格的に楽しくなってきた。

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まだ学生寮に住んでいた頃、キッチンとトイレとシャワーは5部屋共同だった。
そこに、モロッコ人の男の子Yが引っ越してきた。
それまでは私以外はドイツ人とか、偶に中国人やフランス人、
エクアドル人もいたけれど、ムスリムの隣人は初めてだった。

Yのお姉さんはフランスで働いていて、お兄さんの一人はポルトガルで働いていた。
彼も本当はフランスに留学したかったのに、受け入れてもらえたのはドイツの大学だった。
勉強したかったのはコンピューター関係だったけれど、空きがなくて
結局私と同じ翻訳科に落ち着いた。

Yは、引っ越してきたばかりの頃は
『ドイツに住んでいるんだから、ドイツ語を上達させるためにもドイツ人と付き合いたい』
『同郷の人間とはできるだけ付き合いたくない』と言っていた。
向上心があって、純粋な若者、という感じだった。
私はイスラーム世界に住んでいた経験もあったし、アラビア語も知っていたせいか
結構打ち解けてくれて、いろんな話をした。

ただ、彼の入った翻訳科には、幸か不幸かモロッコ人学生が沢山いた。
好む、好まざるに関わらず、自然と彼は同郷の学生たちと交流するようになっていった。
そして、2001年の9.11テロ事件後に、事態は大きく変わっていく。
少なくとも、私の目にはそう見えたのだった。

あの事件の後暫くの間、ドイツ国内のムスリムたちは『ムスリム』というだけで
不愉快な思いをしていたと思う。
喫茶店で働くモロッコ人の女学生が、客から接客拒否されたとか、
(本当かどうかは知らないけれど)ムスリムと分かる名前だけで、
アルバイトの面接で落とされた、とか。
頭にスカーフをかぶっていることで『ムスリム』と認識されて
ジロジロと見られた、とか、、、。

『差別』というのは、している方にはそれ程の意識がなくても
されている方は敏感に反応するものだと思う。
もともと、Yは信心深い方だったし、モロッコへの郷土愛も強くて、
プライドも人一倍高い人だった。
そんな彼が、そんな様々な話を聞けば、どんな反応を示すのかは想像に難くない。

初めはオープンで打ち解けてくれたYが
気付けばいつの間にか、モロッコ人、あるいはイスラーム教徒としか交流を持たない
閉鎖的な、卑屈な印象を与える青年に変わっていた。
別に、だから彼がテロに走るとか、そんな極端なことは考えないけれど、、、
そのきっかけはこんなところにも有り得ると考えてしまったのだった。
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今回逮捕された容疑者のほとんどは、パキスタン系のイギリス人ムスリムだったとか。
容疑者が本当にテロを計画していたのかは分からないけれど、
イギリス警察が何ヶ月も調査して掴んだ情報らしいから、
全くはずれ、ということもないような気がする。

ヨーロッパに住んでいると、アラブ世界で知り合ったムスリムとは
タイプの異なるムスリムに出会う。
なんていうか、ヨーロッパに対して卑屈な人が多いような気がする。

ドイツに来て知り合ったムスリムの多くは、
自分が学生してることもあって、学生が多かった。
私の大学には、北アフリカ、特にモロッコ、チュニジアから来ている留学生の方が
シリア、ヨルダン、レバノンから来ている学生よりも多かったように思う。
少数のイエメン人を除いて、その他のアラブ諸国から来ている人とは知り合わなかった。

彼らと知り合っていくうちに感じたことは、
彼らが大変「誇り高い」ということ。
そして、ヨーロッパに対する憧れとそれとは裏腹な反感を併せ持っているようだ、ということ。
このことと、彼らの宗教「イスラーム」は、大きく関係しているような気がする。


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レバノンの思い出

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ベイルートがまたまたイスラエルに攻撃されている。
今回の空爆は、結構本格的みたいで、
行ったことがある町が爆撃されるっていうのは、
知らない町よりも心が痛いものなんだって知った。

レバノンには8年前に一度だけ行ったことがある。
ダマスカスから乗り合いタクシーで行った。
そのころ、シリアにはレバノンの大使館はなかったので、
国境で切手みたいなビザを買って、パスポートに貼り付けた。

夏の暑い時で、泊まったベイルートのホテルの部屋には
天井にプロペラみたいな「扇風機」がついていたけれど、
湿度が高いせいで、寝苦しかった。
ダマスカスも夏は暑いけど、大分内陸にあるので湿度はそれほど高くなかった。

バアルベックの遺跡も心に残ったけれど、
一番衝撃的だったのはベイルートのあちこちも残る内戦の傷跡だった。
建物の壁に残る銃痕もさることながら、壁ごと崩れ落ちてそのままになっている建物が結構あった。
そして、そこに住んでいる人たちがいるっていうことも私を驚かせた。

それなのに、海岸沿いには新しく建てられたきれいな建物が並んでいて、
プロムナードは楽しそうな若者や家族連れで賑わっていて、
女の子たちの肌の露出度も中東圏の他の国では考えられないほどだった。
傷跡は残っていても、それを乗り越えて行こう、っていう気概が感じられた。

それが今、また壊されていく。
こんなことに意味があるのかな、とニュースを見ていて悲しくなった。