まだ学生寮に住んでいた頃、キッチンとトイレとシャワーは5部屋共同だった。
そこに、モロッコ人の男の子Yが引っ越してきた。
それまでは私以外はドイツ人とか、偶に中国人やフランス人、
エクアドル人もいたけれど、ムスリムの隣人は初めてだった。

Yのお姉さんはフランスで働いていて、お兄さんの一人はポルトガルで働いていた。
彼も本当はフランスに留学したかったのに、受け入れてもらえたのはドイツの大学だった。
勉強したかったのはコンピューター関係だったけれど、空きがなくて
結局私と同じ翻訳科に落ち着いた。

Yは、引っ越してきたばかりの頃は
『ドイツに住んでいるんだから、ドイツ語を上達させるためにもドイツ人と付き合いたい』
『同郷の人間とはできるだけ付き合いたくない』と言っていた。
向上心があって、純粋な若者、という感じだった。
私はイスラーム世界に住んでいた経験もあったし、アラビア語も知っていたせいか
結構打ち解けてくれて、いろんな話をした。

ただ、彼の入った翻訳科には、幸か不幸かモロッコ人学生が沢山いた。
好む、好まざるに関わらず、自然と彼は同郷の学生たちと交流するようになっていった。
そして、2001年の9.11テロ事件後に、事態は大きく変わっていく。
少なくとも、私の目にはそう見えたのだった。

あの事件の後暫くの間、ドイツ国内のムスリムたちは『ムスリム』というだけで
不愉快な思いをしていたと思う。
喫茶店で働くモロッコ人の女学生が、客から接客拒否されたとか、
(本当かどうかは知らないけれど)ムスリムと分かる名前だけで、
アルバイトの面接で落とされた、とか。
頭にスカーフをかぶっていることで『ムスリム』と認識されて
ジロジロと見られた、とか、、、。

『差別』というのは、している方にはそれ程の意識がなくても
されている方は敏感に反応するものだと思う。
もともと、Yは信心深い方だったし、モロッコへの郷土愛も強くて、
プライドも人一倍高い人だった。
そんな彼が、そんな様々な話を聞けば、どんな反応を示すのかは想像に難くない。

初めはオープンで打ち解けてくれたYが
気付けばいつの間にか、モロッコ人、あるいはイスラーム教徒としか交流を持たない
閉鎖的な、卑屈な印象を与える青年に変わっていた。
別に、だから彼がテロに走るとか、そんな極端なことは考えないけれど、、、
そのきっかけはこんなところにも有り得ると考えてしまったのだった。