2度目のパリは、彼が誕生日のプレゼントだって招待してくれた。
ドイツから5時間かけて車で行って、週末を過ごして帰ってきた。
そもそもどうして彼がそんなことを思いついたかというと、
私が「パリに行ったけどエッフェル塔は見ただけで登らなかった」と言ったから。
だから、パリ行きの主な目的は『エッフェル塔に登ること』だった。

『モンブラン登頂』とはちょっと違うけれど
そんな理由で旅行に行くのは結構好き。
ピラミッドが見たいからエジプトに行くとか、
『ヴェニスに死す』を読んだからヴェニスに行ってみたいとか。

でもエッフェル塔外にも、シャンゼリゼのカフェでブランチしたり
モンマルトルに行ったり、焼きたてバゲットの買い食いしたり
と、観光らしいことも一応したけれど。
ルーブルに行っている時間は、残念ながらなかったな。
3度目のパリは、ルーブル見学旅行に行こうかな。
初めてパリに行ったのは、スイスの友達と一緒にジェノヴァに行った帰りだった。
友だちはローザンヌに帰り、私はロンドンに戻って
そこからカイロ行きの飛行機に乗ることになっていた。

ロンドンまで夜行バスで行くチケットを取ったので
パリの滞在時間は12時間ほどだった。
行くまでは、せっかくだから美術館にでも行こうかな、と考えていたのに、
それまで3週間ほどあちこちヨーロッパを回ったためか
もう、何かを見ようとか、どこかに行こう、とかいう気力が残っていなかった。
結局適当にバスに乗って、車窓から市内観光でもしようかな、と思いついた。

ボーっとバスに乗っていたら、見たことのある高い塔が見えた。
あ、これがエッフェル塔か、と思いバスから降りてみる。
しかし、塔に上る気力もない。
丁度そこにいたカップルに、写真を撮ってあげて、
お返しに自分も写真を撮ってもらった。

その後はアラブ人の経営する八百屋で、久々にアラビア語で買い物して
適当に時間を潰した。
つくづく、忙しい旅は私には向いていないと思ったのだった。

カイロに住んでいた時、同じクラスにいたインド人の外交官たちを通して
他のインド人の知り合いが何人かできた。
私は貧乏一人暮らしの学生だったので
哀れがられて、よくご飯に呼んでもらったりした。

一口にインドと言っても、地域や宗教で食べるものも随分変わるけれど、
私が気に入ったのは、野菜を小さく切ってひたすら炒めるタイプの料理だった。
仲良くなった家族の奥さんとキッチンでお喋りしながら
料理が出来上がるのを眺めつつ、タイミングや炒め加減などを観察していたのだけれど
自分でやってみるとどうも味が違う。

ズッキーニのカレーも、ズッキーニ2キロくらいを細かい細切りにして
後はとにかくしんなりするまで炒めるだけなんだけど、、、。
初めて食べた時とても美味しくて、作り方を聞いたらびっくりした。
「小さく切って炒めるだけよ」ってさ、、、。
シンプルな料理ほど難しいんだとシミジミ思ったのでした。
今ほど、ドイツってサッカーの国なんだな、と思ったことはない。
ドイツは初め(1901年)からFIFA(国際サッカー連盟)のメンバーだったくらいだし、
サッカーはヨーロッパ(イングランド)生まれだし、
何と言うか、ワールドカップ開催地に選ばれたことは「名誉なこと」らしい。

更に低迷気味の経済がこれを機に立ち上がろうとでも言うのか
サッカー関連商品(Tシャツやボール、マスコット人形以外にもサッカーボールのアクセサリー、植木鉢や
サッカーボールチーズ等等)やサッカーに(無理やり)関連付けたCMが目白押しで
右を見ても左を見てもサッカー一色だったりする。

そして、前回のワールドカップ時には見られなかったことだけれど、
そこら中でドイツ国旗がはためいている。
垂れ幕のような大きなものから、車の窓に取り付ける小さなものまで色々で、
特に車の窓に取り付けるタイプはどこでも売り切れるほどの人気だとか。
どうやら、ワールドカップで郷土愛が一気に燃え上がったらしい。

街中ではどこのレストランやビアガーデンに行っても、サッカーの試合中は
テレビや大きなスクリーンを設置して試合観戦ができるようになっている。
大きな町の中心では、広場に巨大スクリーンを設置して
所謂パブリック・ヴューイングができるようになっている。
特にサッカーファンでもない私は、ちょっと辟易気味だったりする。

ふと、今更のように、このブログのジャンルが「旅・アウトドア」だったことを思い出した。
私は、一度どこかに腰を落ち着けると
なかなか次の場所に移動しないタイプなんだと
最近実感している。

そして、以前はすごくあった「旅行熱」のようなものが
最近はすっかりその勢いを潜めてしまっていることも感じている。
まだ行ってみたい所はたくさんあるけれど、
どれも「どうしても行きたい」というほど切羽詰っていない。

ひょっとして、ドイツに滞在している、ということだけで
未だに、既に十分「非日常」的要素があるから
他に求めなくてもいい、ってことなのだろうか。
つまり、自分としては「旅の途中」のような気分でいるのかもしれない。