もう何世紀もの間観光地だったエジプトから
忘れ去られたような古都ダマスカスに行った私にとって
シリアで出会った人たちは、とても素朴に感じられた。
乱暴な、ともすれば言い争いでもしているようなエジプト方言と違って
シリアの方言は歌っているかのように、優しい。
何だか、私の中の京都のイメージなんだけれど、
ちょっと違うかな。
たくさんの遺跡が、未だに補修もされずに
時間の中に忘れ去れたような状態。
ところで、シリアにはローマ都市の遺跡がたくさん残っているけれど、
南のボスラーという遺跡に行った時に
今でも当時の面影をちゃんと残している円形劇場を見て感動した。
この円形劇場だけは、補修もされて、
毎年音楽祭等に使われているそうだ。
ところが、その周りの遺跡はまだまだ、崩れかけたまま。
そして、遺跡の一角は何と住居として利用されている。
それを見た時、何となく歴史の繋がりを感じた。
遺跡が今も生活の中に生かされているということ。
人間が、その土地に絶え間なく住んできたということ。
ダマスカスの旧市街にも、ローマ時代の道が残っている通りがある。
石の文化って、やっぱりすごいんだ
なんて思ったりした。
忘れ去られたような古都ダマスカスに行った私にとって
シリアで出会った人たちは、とても素朴に感じられた。
乱暴な、ともすれば言い争いでもしているようなエジプト方言と違って
シリアの方言は歌っているかのように、優しい。
何だか、私の中の京都のイメージなんだけれど、
ちょっと違うかな。
たくさんの遺跡が、未だに補修もされずに
時間の中に忘れ去れたような状態。
ところで、シリアにはローマ都市の遺跡がたくさん残っているけれど、
南のボスラーという遺跡に行った時に
今でも当時の面影をちゃんと残している円形劇場を見て感動した。
この円形劇場だけは、補修もされて、
毎年音楽祭等に使われているそうだ。
ところが、その周りの遺跡はまだまだ、崩れかけたまま。
そして、遺跡の一角は何と住居として利用されている。
それを見た時、何となく歴史の繋がりを感じた。
遺跡が今も生活の中に生かされているということ。
人間が、その土地に絶え間なく住んできたということ。
ダマスカスの旧市街にも、ローマ時代の道が残っている通りがある。
石の文化って、やっぱりすごいんだ
なんて思ったりした。