ご訪問ありがとうございます。
公開のご了承をいただいたので、ノートの一幕を載せます。
PDFにノートPCの画面で書き込んで解説。
子どもの落書きみたいだ・・・
〇の2乗の話が楽しくてねぇ(私が)
20の2乗まで覚えておくといいよ、という話をしました。
2の10乗イコール1024 イマニシ
って何ですねん
高校の数学の先生が、最初の自己紹介の時に書いたのです。
イマニシ先生ありがとう。
おかげで忘れません。
みんな2の10乗先生と呼びました。
「子どもが熱を出したから」と言ってお休みしちゃう優しいパパでした。
今なら少し増えてきたと思いますが、1989年にはかなりレアでした。
父はバリバリの企業戦士であり、家事育児は母の役割だと信じて疑わない人でした。
家の中のことに注文は付けても、自ら動こうとしない父が嫌でした。
「男は外、女は内」は高度経済成長を可能にしました。
我が家に経済的なゆとりがあったのは、そのおかげです。
しかし、「内助の功」に押し込められた母親の、「私だって外で色々やりたい」という鬱屈した気持ちが家の中に充満して、そこに居る私は色々辛かった。
だから、イマニシ先生に余計好感をもったのかもしれません。
「結婚したら絶対私も稼ぐ。おまけ程度じゃなくてフルタイムで」と決めてました。
さて、当時のZ高では、先生がお休みだと授業は白紙化して、
「ブランク」と呼ぶ自由時間になります。
学校内の売店で買い食いはもちろんのこと、
敷地外に出ても何しても良いのです。
私はお散歩、買い食い、琵琶湖を見るなどしていましたね。
勉強が立て込んでくると自習しましたが。
Z高の前身は、藩士の子弟が通う藩校です。
街には藩士の子孫の方々が今も住んでおられます。
なるほど、
街の人は授業時間にぶらぶらしているZ高生をとがめだてもせず、
温かい目で見てくれたわけです。
イマニシ先生の授業は、満足いくものでした。
Z高の数学科は、優秀な先生がそろっていました。
のなかで書いたように、
一度目の受験に撃沈してやけ気味に報告した時、
普段通りに「まぁまぁ」となだめてくれたのは、この先生です。
高いハードルを越えようとして大失敗した激痛、
浪人経験がある人の言葉は響きます。
たとえ、
「私は一浪したとき原付免許を取りにいきましたよ」
という、何の役に立つかわからないアドバイスでも。
何を言うかより、
誰が言うかが大事なんですね。
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