110号プラグの歴史を調べてみた2~ホール音響編~ | 音響・映像・電気設備が好き

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110号プラグの歴史を調べてみたの続編です。

 

前回は110号プラグの歴史を調べていたら、手動電話交換機の歴史を調べることになったという話でした。しかし、電話を手掛かりにしたのではホール音響のパッチ盤になぜ使用されていたのかが分かりませんでした・・・

 

 

JIS C 6501 単頭プラグより 110号プラグ

制定 昭和27年6月21日 ~ 廃止 昭和48年9月1日
(日本電信電話公社仕156号 図ー323と同規格)

 

 

ホール音響に使用されていた事は確実に分かっているのです。筆者が高校生の頃も、企業ホールに詰めていた時も、イベントオペレータとして働いていた時も、音響映像設備施工業に転職した今も目にするからです。いつ頃から使われていたかは不明ですが、日本国内の110号プラグの規格を調べるにあたり最大の一次資料となった日本電信電話公社仕156号、単頭プラグ JIS C 6501の他に110号プラグを定義している規格があったのです。それが、NHK放送技術規格(BTS) 4101 3心形プラグです。

 

 

戦後の日本の3大110号プラグ規格

 

・NHK放送技術規格(BTS) 4101 3心形プラグ
昭和25年9月9日制定(1950)
昭和39年12月25日改正(1964)

 

・日本電信電話公社仕156号4版
昭和39年8月10日制定(1964)

※恐らく初版はBTS、JISと同時期(注:日本電信電話公社は1952年設立)

 

・単頭プラグ JIS C 6501

昭和27年6月21日制定(1952)

昭和35年3月1日改正(1960)

昭和39年2月1日改正(1964)

昭和48年9月1日廃止(1973)

 

 

NHK放送技術規格、通称BTSは第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)に制度が発足し、110号プラグを定めた4101 3心形プラグは昭和25年9月9日に制定されます。これは単頭プラグ JIS C 6501よりも早く、それもそのはず、旧日本工業規格(現日本産業規格)よりも1年先行して発足しているのがNHK放送技術規格なのです。詳細は現在も調査中ですが、110号プラグの歴史を調べてみたで調べた日本電信電話公社仕156号(後述しますが1950年当時は電気通信省の規格のはず)から分岐する形で110号プラグが規格化、そこから放送・ホール音響用途に使用された歴史があると見て間違いありません。

 

 

参考リンク:

BTS(NHK放送技術規格)の現状と最近の動き 1983 年 7 巻 2 号 p. 43-48

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tvtr/7/2/7_KJ00001964674/_article/-char/ja/

 

上記の論文に、BTSはJISにその役目を徐々に渡していった、とありますが、音響分野では消失した規格が多く、かつての慣例だけが現場に残り参照できない状態となっています。NHKには是非ともなんらかの形でデジタルアーカイブ化をしていただきたいです。(NHK放送技術規格はNHK、NHK出版には表に出せる資料が無いことが判明しています。)

 

※BTSについては個人でデジタルアーカイブ化に取り組み、満足のいくものがとりあえず出来上がりました。

 

Blog内参考リンク

NHK放送技術規格(BTS)の閲覧方法とアーカイブ化について

NHK放送技術規格(BTS)の原本を入手した話

 

 

日本電信電話公社仕156号4版、NHK放送技術規格(BTS) 4101 3心形プラグ、単頭プラグ JIS C 6501の110号プラグ比較表

 

 

日本電信電話公社仕156号の初版の制定年月日を調べれば・・・と思いついたのですが、日本電信電話公社が110号プラグの規格を決めたわけではない、という事実が前回の調査からも明らかなのでいつ頃に決まったのか?の調査は放棄する事にしました。そもそも、NHK放送技術規格(BTS)が110号プラグを制定するにあたり参照した規格があったとしても、日本電信電話公社設立の1952年より前のはずなので、そうなると電気通信省時代になるからです。

※電気通信省以前の逓信省時代の1920年頃には日本国内でも110号プラグの生産が始まっていると考えられる(株式会社Akizakiの創業が1917年、日本電気株式会社の1928年のカタログには110号プラグが掲載)のでこの先は帰ってこれる自身がありません(笑)

 

 

以下は想像も含む大まかな歴史の流れです。

 

・拡声音響設備が出始めた頃には既に手動電話交換機が存在し、バランス伝送を切り替えられる3極プラグ・ジャックは110號プラグ・ジャックしかなく、これが採用された

 

・第二次世界大戦の終結から5年後の昭和25年9月9日にNHK放送技術規格(BTS) 4101 3心形プラグが制定。ここで110号プラグが電話だけではなく放送に使用されていたという記録が残る。JISが110号プラグを定義するのはこの2年後。この1952年は日本電信電話公社設立の年でもある。

 

・昭和35、36年に日本電信電話公社が電源電圧が48Vになった6号形市外台用に絶縁サヤ型110号プラグであるN110号プラグを開発。

 

・昭和38年末のJIS改正審議でNHKが自社規格である放送技術規格(BTS)に絶縁サヤ型のN110号プラグを採用し、これを3Cプラグと定義した。しかし、電電公社・通信機械工業会のプラグ委員会によるテストで耐久性の問題が指摘されJISは正式採用を見送る。(ちなみに3C用ジャックは電電公社仕様と接点の接触圧力を80gから100gに変更してあり、厳密な意味では110号用ジャックとBTSプラグジャックは区別される。BTS 4102 ジャック 1964年版の解説に記載がある。)

 

・BTS規格はホール音響施工における指針にもなり、ホール音響に110号プラグ(3Cプラグ)が持ち込まれた。(指針の根拠は、全国の体育館や劇場にBTSコネクタ、通称メタコンが広く使用され、2020年の今でも壁コンセントが販売されているからです。また、筆者も高校の放送委員会で同様のコンセントを扱っていました。)

 

 

下記に、規格の解説(規格部分ではありません)を一部抜粋して載せます。文章が長いため、画像になっています。

※ほぼ、昭和38年末のJIS改正審議の議事録です。結論を言いますと、日本電信電話公社仕156号4版、NHK放送技術規格(BTS) 4101 3心形プラグ、単頭プラグ JIS C 6501の3規格書が揃わなければ、それぞれが互いに参照し合っている為、全体像が見えませんでした。

 

 

 

 

 

上記を一次資料とした時、解釈が非常に面白いのです。というのも、ここで定義したBTS 3Cプラグ(日本電信電話公社 N110号プラグ)は現在では生産されず、感電を危惧された110号プラグが残っているからです。なぜなのでしょうね・・・・これは結論が出るとは思えませんが、引き続き調査をします。(破損問題が解決しなかったのでしょうかね?)

 

下記に再描写した抜粋仕様図面を載せます。これは全規格の統合図面です。

※NHK放送技術規格(BTS)は日本電信電話公社仕156号を参照しており、詳細な図面は掲載されていません。

 

 

日本電信電話公社仕156号 図ー41029、41032 より N110号「」プラグ、N110号「」プラグサヤ 制定 昭和39年8月10日(1964)
(JIS C 6501 単頭プラグ解説に記載の絶縁サヤ、NHK放送技術規格(BTS)4101 3心形プラグ 3心プラグ3Cと同規格)

 

 

NHK放送技術規格(BTS)4101 3心形プラグ(単頭のみ)

3心プラグ 3C(N110号Eプラグ)
短絡プラグ S3C(110号TR-Aショートプラグ)
負荷プラグ L3C(110号Tプラグ)
断路プラグ O3C(材質:電気用エボナイト捧)

 

 

今回の調査をTwitterで随時つぶやいていたところ、そういえば持っているぞ、とフォロワさんがBTSプラグを送ってくださいました。ありがとうございます・・・!

 

 

3心プラグ(3C)と負荷プラグ(L3C)

 

 

各プラグの比較。110号プラグと3心プラグ(3C)と負荷プラグ(L3C)

 

 

BTSプラグで2020年発注できるものがあります → 参考リンク:

BTS 3心プラグを2020年に発注してみた

 

そして改めて、NTT技術史料館に行った時の写真を見返してみると、 6号形市外台の写真がありました。そうか・・・・これが・・・・・

 

 

6号形市外台 1967年

 

 

 

 

つまり、これが日本電信電話公社仕156号 N110号Dプラグです。

※サヤの色 A:赤、B:黒、C:白、D:緑、E:茶

 

 

パッチ部分

 

 

これが、巡り巡ってホール音響設備に転用されたわけです。

 

 

 

ホール音響で使用される110号プラグとジャック(筆者撮影)

 

 

以上が、ホール音響のパッチ盤に110号プラグが使われた経緯です。新規で導入されることがほぼない現在、参考になる方がいるとは思えませんが、資料としてここに残します。

今回の調査の最大の収穫は、ルーツを辿るならひとつの業界に捕らわれては駄目だ、と言うことです。何かを調べると言うことは想像した以上の教養を必要とする事を痛感しました。

 

 

本記事を書くにあたり、 東京光音電波株式会社様、株式会社Aizaki様、質問回答、資料提供ありがとうございました。