110号プラグの歴史を調べてみた | 音響・映像・電気設備が好き

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「ヒゲドライバー」「suguruka」というピコピコ・ミュージシャンが好きです。

今一度110号プラグについて調べる事にしました。遡ると1/4"プラグの歴史を紐解くことになり、軽い気持ちで始めたものの、どんどん闇にはまり、とんでもない歴史があることが分かってきました。
調べた事全てを書きまとめることは困難ですので、「手動電話交換機の110号プラグ」に限定して記録を残します。また、本件に関してTwitterフォロワさんの多大なる協力を得ました。また、株式会社Aizaki様、NTT東日本様、沖電気様、質問に回答していただきありがとうございました。本当に感謝しています。
※本文中にある図案・図書は写真下に引用元・リンク先を記します。
※時系列順に記載します。

 

まずは1/4"プラグの歴史ですが、英語のWikipediaが素晴らしい解説をしていますので下記をご覧ください。

 

 

所詮Wikipediaですので、全てを信用するわけには・・・と思い、話半分に調べたところ、かなり情報の信頼性が高い事が分かりました。ここでは1/4"プラグの最初の特許について書かれていました。
「C.E. Scribnerにより、通称ジャックナイフ・コネクタを1884年2月に特許出願 U.S. Patents No.292,198」
「現在のプラグ・ジャックに酷似したスプリング・ジャック・スイッチを1893年1月に特許出願 U.S. Patents No.489,570」

 

 

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C.E. Scribner U.S. Patents No.489,570 SPRING JACK SWITCH.

 

 

引用元:Google Patents
C.E. Scribner U.S. Patents No.489,570 SPRING JACK SWITCH. Patented Jan. 10, 1893.
https://patents.google.com/patent/US489570A

 

参考リンク:
C.E. Scribner U.S. Patents No.292,198 TELEPHONE SWITCH. Patented Feb. 5, 1884.
https://patents.google.com/patent/US293198A

 

C.E. Scribner U.S. Patents No.305,021 MULTIPLE SWITCH BOARD FOR TELEPHONE EXCHANGES. Patented Sept. 9, 1884.
https://patents.google.com/patent/US305021A

 

H.P.CLAUSEN. U.S. Patents No.711,556 TELEPHONE SWITCHBOARD PLUG. Oct. 21, 1902.
https://patents.google.com/patent/US711556

 

電話初期に使われた「手動電話交換機」用のパッチコードとしてこのプラグ・ジャックが開発された歴史があるようです。
※プラグの差し込み口を「ジャック」と呼ぶのはこの特許が語原の模様

 

続いて、1907年にNo.110 PlugがWestern Electric によって開発された、とあります。その引用先から画像を掲載します。

 

 

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1907ca Weco Telephonic Apparatus And Supplies Catalog

 

 

こちらは、1907年のウェスタン・エレクトリックのカタログの様で、カタログにナンバが振られていない為に最初のカタログとされています。
こちらに、音響界隈でもなじみのある、No.47、No.110プラグが掲載されています。
※但し、プラグのサイズの記載がないために、本当に同一のものなのかはこれだけでは断定できません。

 

とにかく、このサイトが凄い!!
Telephone Collectors International Library
https://www.telephonecollectors.info/

 

電信電話の創成期の書物が有志によって集められています。これの検索にかなりの時間を費やしました。確かに、1907年以前には110号プラグは存在していません。
※調査は継続しているために、覆ることがあるかもしれません。

 

仮に1907年にウェスタン・エレクトリックで110号プラグが開発された、として、いつ頃日本に持ち込まれたのかを調べるために電話の歴史を紐解くことにしました。
簡潔に以下に箇条書きします。

 

1872年 伊澤修二、工部省へ。
1875年 伊澤修二、渡米留学。グラハム・ベルから電話を学ぶ。伊澤修二は日本人で初めて電話を使った人。日本語は英語に次ぐ、電話に乗った2番目の言語。
1877年 明治10年、日本に初めて電話が持ち込まれる。
1885年 工部省廃止、逓信省発足。
1888年 大井才太郎、渡米し電話技術を日本に持ち帰る。
1890年 初めての電話番号簿「電話加入者人名表」発行。
1894年 大井才太郎 著 電信及電話発行
1896年 明工舎(現:沖電気)が国産初の直列複式交換機を逓信省・東京浪花町分局に納入。
東京電話交換局浪花町分局設置(電話分局のはじめ)。

 

国立国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、日本で初めて書籍に1/4"プラグが登場したのは1894年発行の「電信及電話」の様です。これを裏付けるために電話の歴史を調べましたが、大井才太郎が電話に関して日本で最初に技術書を書いた方の様です。

 

 

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電信及電話 大井才太郎 著 1894年発行
国立国会図書館デジタルコレクションリンク先:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846665

 

 

参考書籍:
五十年間に於ける電話の発達 稲田三之助 著 1928年発行
国立国会図書館デジタルコレクションリンク先:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107017

 

国立国会図書館デジタルコレクションの電話関連の本をざっと調べたところ、110号プラグの様な形状の図案が登場したのが、1913年発行の「電話初歩」と言う事が判明しました。

 

 

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電話初歩著者 高原傳三郎 等著 1913年発行
国立国会図書館デジタルコレクションリンク先:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846699

 

 

電話初歩は1898、1904、1907、1909、1913と発行があり、110号の図案は1913年の発行の物にしか登場しません。これは「1907年にウェスタン・エレクトリックでプラグが開発された」仮定と符合します。同時に、グラハム・ベルが電話を開発したその当時から、日本は積極的に電信電話の技術開発・研究に取り組んでいた様子が分かりました。
※電信電話技術に関し、アメリカと日本の差がほとんどない。
(今後検索される方へ:国立国会図書館デジタルコレクションで大井才太郎、高原傳三郎、若目田利助、稲田三之助の著作を調べてみてください。いずれも逓信省の方です)

 

ここからは日本の電信電話技術の創成期を支えた会社のカタログの110号プラグ掲載ページを見ていくことにしましょう。
※「號」は「号」の旧漢字表記です。

 

 

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商品要覧. No.2(昭和3年版) 日本電気株式会社 編 1928年
国立国会図書館デジタルコレクションリンク先:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108805

 

 

言わずと知れたNECですが、実はベル・システムの傘下として電信電話開発を行っていたウェスタン・エレクトリックとの合弁企業なのです。創業当時のNECのロゴマークは、ウェスタン・エレクトリックのロゴマークがモチーフとなっています。(本件を調べる過程で知り、ビックリ!!西部電気が日本電気を作ったのですね)

 

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商品目録. 昭和14年 沖電気株式会社 編 1939年
国立国会図書館デジタルコレクションリンク先:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023928

 

 

沖電気は日本で初めて国産の直列複式交換機を製作した会社です。そもそもウェスタン・エレクトリックは沖電気に対して合併会社の話を持ちかけていた様で、これが頓挫したために日本電気設立となりました。電話の歴史にOKIあり。

 

 

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日立電話 1941年
国立国会図書館デジタルコレクションリンク先:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875625

 

 

日立製作所も創成期から電信電話機器に関わり、電話の歴史を調べるにあたり、日立評論という社史に大変助けられました。

 

オマケとして、米軍規格であるMIL規格から110号プラグを元にしたであろうMIL-DTL-642-2B PJ-051B/PJ-051Rを載せておきます。

 

 

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MIL-DTL-642-2B PJ-051B/PJ-051R 1987年(2Aは1973年、初版の2は年代不明)
引用元:
https://quicksearch.dla.mil/qsDocDetails.aspx?ident_number=2453

 

 

110号プラグそのものは昔からあるのですが、初期の単式手動電話交換機(4、500局までの小規模)には使用されず、複式手動交換機に使用された経緯があるようです。よって、1907年以降の複式手動交換機に110号プラグが使用されたと見て良いでしょう。
※筆者は、それ以前は60號プラグかと推測しています。

 

それでは、日本で110号プラグが規格化されたのはいつなのか?と調べると、1952年制定のJIS C 6501 単頭プラグと判明しました。
※こちらはインターネット経由での閲覧が不可能です。JIS C 6501は1973年に廃止となり、事実上規格が消滅しました。
※JIS C 6501は、日本電信電話公社仕156号としても定義されており、プラグの数はこちらの方が多い。

 

寸法だけ引用し、110号プラグ、109号プラグ、バンタムプラグと並べてみました。

 

 

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110号プラグ、109号プラグ、バンタムプラグの寸法

 

 

109号プラグとは、1907年のウェスタン・エレクトリックのカタログから登場しており、110号用ジャックとの誤接続を防ぐ目的で使用されていたプラグです。

 

参考リンク:
日立評論アーカイブ
「私設交換機の諸方式」
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1957/ex18/1957_ex_18_02.pdf

 

 

※上記に、電々公社技術基準の「局線」が49号ジャックと110号プラグ、「私設線」は93号ジャックと109号プラグを用いるとある。

 

 

手動交換機はトラフィックの増加から、自動電話交換機へと移り変わり、あっという間に姿を消します。
以上が、110号プラグの手動電話交換機での使用の歴史です。

 

これらを調べる過程で、ホール音響のパッチ盤になぜ使用されていたのかは一切見かけませんでした・・・電話を手掛かりに探すのは無理があるのかも知れませんね・・・
※2020年8月1日、判明しました。1950年 NHK 放送技術規格(BTS) 4101 3心形プラグでJISに先駆ける形で110号プラグが制定され、これが音響回線切り替えに使用された経緯です。別記事にいずれまとめます。
 
別記事にまとめました。
 

 

さらにオマケですが、手動電話交換機が実際に展示されているNTT技術史料館に行ってきました。

 

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NTT技術史料館。木曜金曜の13:00~17:00まで一般公開されている

 

 

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6号形市外台 1967年

 

 

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32号共電式構内交換機 1964年

 

 

おぉ!!110号プラグだ!!!!と感動しました。
この製品としての完成度を見ると、このまま音響パッチとして使ったのは当然の事だったのだと感じました。

 

ちなみに展示されている最古の手動電話交換機は1890年の物でした。この年代ですと、110号プラグの登場前ですので、C.E. Scribner SPRING JACK SWITCH.に酷似したプラグが採用されています。これは冒頭に載せた「電信及電話 大井才太郎 著 1894年発行」の図案の物と合致します。

 

 

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磁石式単式電話交換機(100回線)実際に東京ー横浜間の500回線に5台並べて使用されたもの
※記載はありませんでしたが、国産ではないはずです
 
※2020/8 NTT技術資料館の方より、これは 日本最古の交換方式と同様の交換機だが、東京-横浜間電話開通当初に使われた、実際の交換機ではなく、後年に(銘板によると1961年)に国内で製造されたものとの情報を頂きました。
 
【PDF】2018年度登録 「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」第00250号
日本における最古の交換機形式を残した磁石式電話交換機

 

 

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許可をもらって、寸法を測らせていただきました。これは後に日本国内で単式プラグと定義される規格です

 

 

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単式プラグ、47号プラグの寸法

 

 

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館内展示を探すと、47号プラグは511双頭プラグとして2号聴話器(2人用)として展示されていました

 

 

冒頭に書いた通り、1/4"プラグについて軽い気持ちで調べたら、とんでもない事になってしまいました・・・110号プラグはまだ判明する事が多く、比較的マシなのですが・・・現在主流のフォンプラグが本当に闇で・・・・・・すべてを解明出来ましたら、こうして記事にしてまとめます。
 
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