親の文化を伝える

5月15日(月)第15回 ほほえみの会の報告

 商業主義の中で、「生活者」=「消費者」というイメージになっていますが、生活をするということは、消費するということではありません。
 つまり、もの=「商品」ではなく、人間が生活のために作り出すものであることを子どもに実感させたいのです。

★ Iさんは、親子で餃子の皮作りにチャレンジ。
 餃子の皮はスーパーで袋に入って売っているもの(=商品)と思っていた子どもたちが、粉だらけになりながら、奮闘する様子を記録しました。
 家族で作った餃子は格別で、他人には決して分からないおいしさがあります。それは商品がもっているおいしさとは別のものです。本当の「おいしさ」とはこういう生活文化の中にあるのです。

★ また、刺身包丁の使い方を教えたMさん。
いつもの包丁と違う包丁があることを知ることは、素材によって道具が違うことを知ることになります。
これも素材と道具の関係を使い分けるという文化の継承です。

★その他にも、スキーを教える、茶道の体験をさせる、輪ゴムをかける、壊れた加湿器を分解する、木工作をする、などの記録がありました。
                                          オドリママ




私は毎日5歳の娘にお米を研いでもらう。(研ぐといっても洗う感じ)

もう随分前から続いていて、ほとんど一粒もこぼさずにきれいにしてくれる。


ある日、娘は水に浸す前のお米を、「食べてみていい?」と言って口の中に入れた。

娘 「カタッ。」 と言って、口から出した。


そして、水に浸しながら研ぎ始める。しばらくして、また

娘 「食べてみる」

  「あ、軟らかいくなった」

炊いたわけではないので、硬い米ではあるが、水を含んでしばらく時間がたったので口の中で簡単に砕けたようだ。

水による作用を体感できた面白い経験だと思い、

「お水で洗ってたらなんで軟らかくなったんだろう、面白いねえ、なんでだろうねえ」

と、言っておいた。

娘は、さすがに何も言わなかったが「う~~ん」とゆっくりうなずいていた。



娘は私によく三角おにぎりをせがむ。

私の母が子どものころとてもきれいに三角形のおにぎりを結んでくれたので

その手つきを真似て、私もこれだけは結構得意。


きれいな正三角形の小さなおにぎりに娘は憧れのような気持ちも重なって

作っている最中、待ちきれなさそう。必ず残さず食べる。


ある日ついに、「ちーちゃんもやる~」と言ってきた。


私「じゃあ、よーく手を洗って。」

娘は牛乳パックで作った踏み台を二つ自分で重ねて流しの前に立ち、手を洗う。


私「ご飯熱いかもよ。気をつけてね」

と言いながら、娘の手のひらに塩をかるく振ってご飯をのせた」

そして、

私「下の手でしっかりご飯を持って、もう一つの手をお屋根にして、キュッて力入れて、一回まわして、、、、」

とやって見せながら説明していった。

娘も同じようにやってみようと、ご飯の塊を一生懸命コネコネしてる。

が、三角形はさすがに難しい。

娘「ちーちゃん、丸にする。」

と言って、お団子つくるように丸めた。

私は「今日は丸でもいいよね」と言いながら、娘の作った丸おにぎりを置くお皿を出してあげた。

「昔ね、ママが子どもだったころ、中野のバアバがいつも三角形のおにぎり作ってくれたんだ。

すごく上手でね、ママもバアバのまねしながら一生懸命練習したら、いつの間にかできるようになったんだよ。中野のバアバは上手だったなあ、美味しかったんだあ。」

と、ゆっくり言い聞かせた。

丸しかできやしないと、ちょっと口をへの字にしていた娘は、ふとあごを上げ目をキラキラさせてこっちを見上げてきた。

娘「ええ、いつ?」

私「ママがこどものころだよ。」

娘「中野のバアバはちーちゃんが赤ちゃんのとき、チーちゃんのホッペさわってたんでしょ」


私の母(中野のバアバ)は娘が1歳2ヶ月のとき他界した。

初孫の娘が生まれた時のはしゃぎ様を、バアバの記憶がない娘に伝えようと時あるごとに話していた」

その、バアバが三角おにぎりが上手でママも練習したと知り、感無量だったみたいです。


後日、娘はやはりいつものように三角おにぎりを私にせがんだので

私「ちーちゃんもやってみる?」 と聞く。

娘「ん~、丸作ろうかなあ~。」

三角形はまだ自信がなく、誘うとモジモジする。


その度に中野のバアバの話をする。話を聞いてるときは凄く嬉しそうな娘。

でも、自分で作るのは丸おにぎりが精一杯。


今もそんな感じが続いている。しばらく、三角おにぎり挑戦への道を私も楽しもうと思う。

                                                        もっとママ

お米を袋から容器に移し替えて、口の開いた米の袋にゴムをかけようと思ったときひらめいた。

移し変えもお手伝いしてくれていた娘は、


娘 「もっと、お手伝いする、もっとお手伝いする~!」


とお手伝いのおねだり。

そういえば輪ゴムをかけることって5歳の娘はやったことない。


私 「ちーちゃん、これ輪ゴムで結んでくれる?」


娘 「いいよ~。 でもちーちゃんやったことないんだよね~。」(いんだよね~、が最近の口癖)


私 「じゃあ一緒にやってみよう、そうそう、そこの袋の上をぎゅっと持って、、」


一度目にかけるのはすんなりできる。


娘 「あれ~、ゆるゆるだよ~。」


私 「あ~、ほんとね。こぼれないくらいきゅってなって欲しいね」

   「じゃあ、ゴムを伸ばしてひっくり返して(8の字にすること)もう一回袋の上を入れてみよう」


  一回かけて見本を見せた。


私 「ほらね」


娘 「ちーちゃんもやる。ちーちゃんもやる~」


2回目のかけではまだゆるく、段々きつくなってきている3回目のかけに挑戦した。


娘はてこずっている。。そして、全部ぬけちゃった。


娘 「あれ~。できないんだよね~。」とため息。


私 「もう一回やってみようか。じゃあママが袋押させえてあげる」


凄く、てこずりながらもゴムを触っているのは娘だけに徹底して、私は抜けないように袋を固定したり

上の部分を細くしてかけやすくしてあげたりと随分と時間を費やした。


やがて

ゴムを引っ張ってひねってもう一回かける、これを繰り返すと段々きつくとまるという基本を習得した。


頑張ってやっと成功したという体験を強調しようと、


私 「うわ~、できたねえ。ついにできた。頑張って練習したからできるようになったね。」


娘 「ちーちゃん、すごい?ついに、できた~。やった~(ジャンプする)」

 < 娘は最近 「ついに」 とか 「いよいよ」 といった言葉を使い出している >


私 「すごいよ~!頑張れば出来るんだねえ、ちいちゃんは。」


娘 「もっとやる~」


慌てて、台所中を探しまくり小麦粉の袋のゴムを見えないようにはずした。


私 「あ~、ちーちゃんこれもあった。この袋もゴムかけて」


娘 「いいよ~」


私はあえて何も手伝わなかった。

見ていると、袋が動かないように膝の間に挟んでいる。ちょっと知恵がついたな。

「3回ひねってかける」を不器用な手つきながらもやりきった。


翌日、居間に落ちていた輪ゴムを2つ見つけて、

娘 「ママ、輪ゴムやる~」


また慌てて探す。高野豆腐の袋とキャンディの袋を無理やり見つけ出す。


私 「お願いね。助かるなあ、任したわ」 チラッと見るだけで、ほとんど見ないことに。


娘は夢中でやっている。

娘 「はい。できたよ。ママ。ちーちゃんすごい?」


二つとも3回ひねってかけるが出来上がっていた。

昨日より、時間も早かった。


私 「うわ~すごいよ。ありがとう。またできることが増えたね」


娘は得意げでした。

もっとママ



昨日、降園時娘が言った。 「ママ!見てみて。あの雲~!あはははっ」 「え、どれどれ?どの雲?」 「あれあれ、あははははっ!」 さっぱりわからない。 娘がどの雲をみて、そんなにも楽しく笑っているのか・・・。 まだまだ娘の想像力についていけないんだなあと反省した出来事でした。 natsu

春は子どもといっしょに庭で過ごすことが多くなる。

庭はほとんど義母が手入れしており、私は手伝いで、たまに草を引いたりする程度。

義母といっしょに庭仕事をすると花の名前をはじめとし、いろいろと教わることが多い。

そのひとつで、腐葉土の作り方というのがある。

今回はこれを娘にも伝授し、花の苗を植えることにした。


D.I.Yの店で

娘「私、花を買いたい」

私「だったら、苗から育てようか?」

ということで、「プリエッタ」という苗を買って帰った。(ペチュニアの一種で紫の花)

家にある空いている鉢を見繕う。

娘「これがいい」と直径20CMくらいのものを指した。

私「それでは小さいと思うよ。札になんて書いてある? 」

娘「70シーエムって書いてある。シーエムってコマーシャルのこと?」

私「ううん。それは70cm。このくらいかな?」と手をひろげて見せる。

娘「じゃあ、アジサイの花、5個分くらいになるね」


大きめの鉢を選び、まずは底に砂利をしく。

私「水はけをよくするために砂利をしくのよ。土までいっしょに流れて出ないためにね。」

それからいよいよ腐葉土だ。

庭の隅に穴が掘ってあり、そこに掃いた落ち葉をためてある。

時々、下からスコップで掘り返して、天地がえをし、腐葉土にする。

私「次は土をいれなきゃね」

娘「知ってる。あそこの土でしょ」とさっさと庭の隅の腐葉土の穴へ。

娘は私のいないときに、よく義母といっしょ庭で遊んでいるので

ちゃんと知っていた。

腐葉土


腐葉土をためる穴の横には、金魚のお墓があり、まずそこで手を合わせる。

娘「金魚さん、天国で元気にしてますか?」

私「はーい、広い池で思い切り泳いでいますよー」


それから腐葉土をスコップで掘ってみる。

小さい虫がたくさん、うじゃうじゃと動くのが見える。

だんご虫や、みみずや、よくわからないもっと小さい虫、虫、虫。

虫にびっくりして、娘は一歩退く。

娘「この土じゃないとだめ?」

私「そうね。栄養がいっぱいあるから、こんなに虫がいるのよ。

  虫がいるのは栄養がある証拠だからね。花もよく育つと思うよ」

私は田舎の出身なので、土いじりにも虫にもあまり抵抗はないが、

娘はここ東京で生まれて、そう虫が好きともいえない。

けれどガーデニングって、そんなきれいなものではないから

虫にもなれることが必要だと思う。

仕方なく、腐葉土を掘って、鉢に入れ、苗を植えた。


それから熱心に水をやっており、1ヶ月が経ちました。

プリエッタ    一ヵ月後→  プリエッタ1ヵ月後4.19



前回のほほえみの会でお話ししましたが、我が家では未だにポケット人形が続いています。

(私の場合は指でキツネとクマを作るので、実際には靴下等は使っていません。
いつでも登場できるというのが、長続きした要因だと思います。)

ポケット人形を続けているうちに、娘の手、息子の手、家にある人形など仲間が増えていきました。
新しく買ったり、いただいた人形(ぬいぐるみ)は、どんなに小さくてもすぐに名前が付けられ、話し出すので、一体今どれくらいの人形が話をするのか、ちょっと把握できないほど・・・。


今日はこんなことがありました。

園からの帰り道。

下を見ながら歩いていた娘が立ち止まって、

「あ、アリだ。アリさん、こんにちは」

また、少し行くと

「あ、またアリだ。アリさん、こんにちは」


今度は前を見ながら歩いていくと、道端のタンポポポを踏みそうになりました。

「タンポポ踏まないようにね」

「え?」 娘は気が付かず、葉を少し踏んでいまいました。

すると、立ち止まって

「タンポポさん、ごめんね」

「いいよ」(タンポポ)

「今の誰?ママ?」

「違うよ。わたし」(タンポポ)

「踏んでごめんね」

「大丈夫だよ」(タンポポ)



小さなものにも命を感じ、自然に話しかけている様子に心を打たれました。

ポケット人形をやっていなければ、こんな自然な会話はできなかったのではないかと思います。
寺内先生に感謝です。


初めは人前でポケット人形を登場させることをとても嫌がっていましたが、
今では友人に紹介したり、電車の中などでも自分から名前を呼ぶようになりました。

自分の家族だといつも言っています。

5歳の娘との雨の日の登園途中。


「ねえ、ママ、わたし、片手でカサ持てるようになったよ!!」


「本当だ。すごいね!」

「うん、わたし、片手でカサ持てる!みーちゃん、すごいよ!」

「カサを片手で持つのは難しいもんね。この間は歯も抜けたし、どんどん大人に近づくね!」

「うん、みーちゃん、すごい!」



傘を片手で持てるようになったことがこんなにも大きな喜びだとは!
大人にとって当たり前のことも、子どもにとってはそうではないんですよね。
日々の小さな進歩を喜んでいる姿にすっかり感動してしまいました。

                                             オドリママ



f.7rn k


春や夏の長期休暇初日の我が家の決まりは「計画表をみんなで描く」こと。

ただ既存のカレンダーに書き込むのでなく、

要らなくなったカレンダーの裏などを使い、線を引くところからはじめる。

定規の使い方をこれで覚えられる。

定規で長い線を引くだけでも、曲がったり、苦労する。

しっかり左手で押さえていないと最後までまっすぐ引けない。

マジックが定規につかないように、どのようにあてればいいのか、なども大事だ。


長さの勉強にもなる。メモリを読ませる。

「ここで、35センチ。 一週間は7日だよね。7で割ると?」

という具合。

大きな字を書かせると、書き順が間違っていることに気づくこともある。

(これらは単に日ごろ勉強を見ていない母の怠慢のせい?)


それより何より大事なのは、「計画を立てる習慣」をつけさせること。

私が人生の中で、とても大切にしてきたことだから。

計画を立てておくと、毎日が有意義に過ごせ、楽しくなることを実感してほしい。

もちろん計画どおりにできなくてもいい。

そのときは適宜修正していく。

これをビジネスの世界では、プラン→ドゥー→チェックという。

頭文字をとってPDCサイクルと呼ぶことが多い。


毎日どんなお手伝いをするか。

「何をしてくれるの?」と聞いて、書いていく。

一日のゲームの時間を自分で決めさせる。

「一日、何時間にする?」

自分で決めた時間は、けっこう守る。

長すぎるなと思うと、私の意見を言って、その間をとるようにしている。

子どもが3時間と言ったが、私は1時間と思えば、その間をとって2時間というように。


だいたい予定とスケジュールなどが書けたら、それからは楽しい飾りつけ。

お花見に行く計画があるので、桜を描くことになった。

桜の花びらを均等に5枚描くのは難しいようだ。

「本当に5枚なのか、お花見に行って、よく見てみようね」と話して

短いけれど、楽しい予定がいっぱいの春休みがスタートした。






我が家のベランダにはブルーベリーの鉢植えがあります。

5歳になる息子が赤ちゃんだった頃 苗を買ってきて 

以来、毎朝夫が水やりをし世話をしています

毎年白い小さな花が咲き 緑色の実ができ始め

初夏には 美しい紫色の実が沢山なるのですが


この頃から その日の収穫がどれくらいあったかが朝食時の最初の話題になります

一日に収穫できるのは多くても10粒ほど 

みんなで分けてしまえばあっという間に無くなってしまう量です

息子も食べたくて仕方ありませんが ちょっと我慢。

なぜって、それはボールいっぱいにたまったらお父さんがジャムを作ってくれるからです


家でまったく料理をしない夫ですがブルーベリーのジャムだけはなぜか作ってくれます

煮詰めるとほんのちょっとしかできず 数日でなくなってしまうけど本当に美味しい!


お父さんが作ってくれたジャムは特別なのでしょう 

息子は ベランダで鉢を見ると

「はやく実がなるといいねえ・・またお父さんのジャム食べたいねえ・・」とよく言います

冬、落葉して枝だけになっていても 実がいっぱい生った姿を想像しているんでしょうね・・


                                                       ヒヨママ




 


 


次回のテーマは再び「待つ」をいただきました。

しかし、次回は親も積極的に関わる「待つ」生活です。

具体的には、親が持っている生活の技を子どもに習得させることにチャレンジしてみてください。

子どもに技を習得させるためには時間がかかり、待つことが必要になってきます。
つまり、親子ともに待つことを体験しなければなりませんね。
現代では技は必要ではなくなってきていますが、技を習得する過程で自給力が身につきます。

また、私たちはただの消費者にとどまらないで生活者になることが大切です。
情報文化だけでは得られないものを子どもに伝える努力をしてみるのです。

例えば、

・編み物をする
・布を編む(織る)
・のこぎり、かなづちを使う
・包丁を使う
・卵を割る
・りんごのの皮をむく
・箸を使う
・コンパスを使う(今うまく使えない子が多いんだそうです!)
・補助輪をはずす       
              など。
              
技を教える過程では
物の性質、材質などがどうなっているのか、
道具と素材の関係など
理解させられるとよいそうです。
また、「やった」という達成感があるものがいいです。

*自分が持っていない技にこの際だから子どもと一緒にチャレンジしてみてもよいそうですよ!

次回のほほえみの会は5月の第2週の予定です。

                                   (オドリママ)