便利に溺れて横着するなかれ | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

Hieronymus Bosch: "ACCIDIA"(Trägheit) von "Sieben Todsünden"   ボス作「7つの大罪」より「倦怠」

 

人間の文化と文明の歴史を研究していると、当然ながら過去の時代と自分が生きている現在を比較する事になる。
其の中でどの時代と比べても、同様に感じられるのが、現在の文明が如何に便利であるかと云う事である。
「利便性」(Bequemlichkeit)は成程人間の労力を軽減させ、生活を合理的且つ迅速にし、其の「生産性」(Leistungsfähigkeit)を大幅に向上させている。
しかしながら他方では、人間は此れに依って楽をする分だけ、横着になって行く副作用もある。
更に現代の機器は人間の肉体的負担を軽減させたが、其の一方で精神的負担を増大させている。
そして、人間の体力や精神力まで著しく低下させているのも事実である。
現代は医学の目覚ましい発展によって、心身が昔の時代より退化しても、平均寿命は格段に延びている。
しかし先進国の中で日本だけを見れば、平均寿命こそ成程世界で一、二番に位置しているが、其の反面「健康寿命」即ち体の各器官をどれだけ健康に保って長生き出来るかと言う事に関して、ヨーロッパ各国に比べて遅れを取っている。
実に日本の老人が介護を必要とする平均年齢はヨーロッパ各国よりも若いし、要介護の率もヨーロッパより遥かに高いのである。
ヨーロッパでも特に北欧のスウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドでは所得税率(平均約40%)、消費税率(平均約24%)、住民税、等の税金は世界的に見ても随分高いのだが、其の代わり、政府、自治体の公庫が安定している御蔭で、Wohlfahrtspflege(社会福祉)は世界でも最高水準に達する程優れている
其れ故に北欧の国民の一部の人々は自国の此の様な社会制度を計算して、若い時は収入の高いドイツやイギリス、又はアメリカ等で働いて、退職後は自国に帰って生活する形式を採っている。
どこの国の社会制度にも一長一短あるのだが、日本では此れからの将来、高齢者の人口に占める割合が一気に増加する事が確実なので、前記の北欧のWohlfahrtspflege(社会福祉)やAltenpflege(老人介護)や Gerontologie(老人医学)に見習い発展させる必要に迫られているのである。

日本国内で老人が増え、彼らの健康維持や介護等の社会保障が深刻な問題になっている一方で、現代の若い世代の体力、精神力の著しい衰えも見過ごしてはならない問題である。
呆れた事に最近の大都市以外の地方の若い世代(30代未満)は自動車ばかりで移動して、歩く頻度が僅かになった為、脚力が著しく退化して、何と片足で立って靴下が履けない者も少なくないと云う体たらくらしい。
又、現代の若者はコンピューターやスマートフォン等の通信機器を上手く使えても、其の反面手先が不器用になっているし、更に握力や其の他の基礎体力までも著しく低下している。
例:・字が下手、又は書くのが苦手
  ・工具等の手動式の道具がまともに使えない
  ・酷い場合、箸が満足に使えない若者もいる
其の他、通信機器の指示に従う事に慣れ過ぎて、Originalität(独創性)や Kreativität(創造性)も低下している。

余の少年時代には男子ならプラモデルを作れる事が当たり前で、女子は裁縫が出来るのが当然と思われていた。 (もし出来なかったら馬鹿にされていた位である。)
特に余は第二次世界大戦中のドイツ軍の兵器、車両、飛行機、船舶、等、発売されている物は殆ど購入して作り上げたし、組み立て説明書通りに作るだけでは満足せず、当時の歴史的写真資料を参考に、型を改造したり、自分で部品を創り出して追加したり、接合面を実物同様に溶接したり、本物の土や煤で戦場の兵器らしく汚したり、立体感を出す為に薄めた黒の油絵の具を凹部に流し込んだりしていた位である。
其の他、自分で最初から全ての部品を加工して模型を創り出してもいた。
此れ以上プラモデルの話を書くと、本題から逸脱してしまうので控えるのだが、余の同世代や其れ以上の世代の人達に意見を聞いても、最近の若者の不器用振り、更には集中力、忍耐力の低さは目に余る物があるらしい。
彼等の様な慢性の運動不足、更には不安定、不十分な栄養摂取に陥っている若者が、将来年を取ったら様々な健康障害が発生して、どんなに不自由や難儀をするかと予測しただけで何とも哀れと思えるのである。

余は大学及び独学で歴史のみならず、医学も学んで来ているので、自分と家族の健康管理には十分研究し、為になる事を実践しているし、親類や友人の為にも健康管理に関して助言している。
其の中の一つが本文の題名「便利に溺れて横着するなかれ」である。
我が私生活で実例を挙げると、余は仕事道具の鉛筆はナイフで削っているし、コーヒー豆も手回しミルで引いているし、自動車で走るよりも自転車で走る距離が長いし、走る頻度も高い。
又、外出時もエレベーターやエスカレーターをなるべく避け、階段を利用しているし、旅行の折には1日に10~20kmは歩いている。
其の他、余は絵を毎日右手で長時間描くので、右手の負担を軽減する為、日常生活の雑用は殆ど全て左手で行っている。(幸運にも余は生来「左利き」故、左手での作業は得意なのである。)

William Turner: "The Fountain of Indolence" (1834)

ターナー作「倦怠の泉」

 

興味深き事にヨーロッパでも特に伝統や格式を重んずるイギリスでは貴族を中心としたHighsociety(上流社会)に於いて、意図的に不便な生活を楽しんでいる人の割合が高い。
此れは何でも便利に自動化、機械化を推し進める日本やアメリカとは正反対の生活傾向と言える。
又、イギリスには「5歩前進したら、1歩は後退しろ。」「前(未来)を見るだけでなく、後(過去)も振り返って見よ。」と言う考えが定着している。
因みに類似したドイツ語の格言にも>Es gibt keine Zukunft ohne Rücksicht zur Vergangenheit.<(過去への考慮無くして未来は無い。)と言うのがある。
元来、はイギリスかつて19世紀以来一気にヨーロッパ全土に蔓延した"Industrial Revolution"(産業革命)の先駆けを果たしただけに、Automatization(自動化)や Mechanization(機械化)が社会に於ける生産性を多大にする反面、如何にに人間を横着にするのかを最も良く知っているからであろう。
しかしながらイギリスのDuke(公爵)、 Marquis(侯爵) Earl(伯爵)等の所謂 "High rank Noble"(上級貴族)の財産を本やテレビ番組等で見せ付けられると、流石に余も圧倒されるばかりなのである。
同じ貴族でありながら、日本やドイツの貴族は祖国が第二次世界大戦(1939~45年)で無条件降伏した事によって、Aristokratie (貴族政治、貴族制度)は廃止され、其の財産や特権の殆どを失う家が多く、中には家名断絶の負い目に遭う方々もいた程である。
我が奥山家も戦後一時は家名断絶の危機に晒された事もあったが、我が母上の努力と事業経営と新たな財産の獲得、更に余の芸術家としての業績、名声、地位、そして数多くの美術工芸品等の財宝の収集に依って、かつてのFreiherr又はBaron(男爵・爵位第5位)ないしは辛うじてVicomte(子爵・爵位第4位)程度までは盛り返して来たのだが、最早此れが限界であろう。
イギリス貴族の莫大な財産を見せられる度に、余は敗北感をまざまざと味わい、苦虫を噛み潰す様な思いになるのである。
余は(士族出身者)として、平民出の成り上がりの(世の中全て金次第と思っている)金持ちなんぞ心底軽蔑しているのだが、此の世で唯一羨ましく思うのがイギリス貴族なのである。
あたかも同じ「ネコ科」の動物でありながら、ライオンと猫程の差を思い知らされる様なものである。

又しても話が本題より逸れてしまったが、我ら士族が「古き良き時代」、即ちFeudalistischer Zeit(封建時代)から  Imperialistische Zeit(帝政時代)までの時代に憧れを以って思い起こしているが、平民にとってはこれ等の時代はさぞかし辛かったと思われる。
しかし彼等は当時の世の中や自分の身分を生まれつきの物として受け入れていた事であろうと思われる。
今日の様に教育が一般社会で普及する事で、庶民でも人類の文化や文明の歴史を学ぶ事によって、現在の時代が昔の時代より如何に便利で快適になっているか、そして"Klassengesellschaft"(階級社会)が撤廃される事によって、如何に自由や権利を得られているかを認識出来るであろう。
しかし其の一方で本題の如く、現代社会に於いて、Automatisierung(自動化)や Mechanisierung(機械化)によって人間は昔とは比べ物にならない程の便利、快適を得た代償として、精神的な負担(Streß)及び肉体的な退化を経験する事を余儀無くされている。
かと言って其れに甘んじていると、人間は自分の健康や体力、精神力を年齢を重ねる度に失って行く事になり、最後には便利、快適はおろか、寧ろ病的で不自由な生活に陥ってしまうのである。
又、現代の便利、快適な生活に慣れ切っている人にとっては、昔の時代の生活様式等、ただ「面倒臭い」と感じられるかも知れない。
他方で※「レトロ趣味」に代表される様に、現代の文明や生活様式に疲れを感じて、一昔(50年程)前の生活様式やデザインを懐かしむ傾向も見られる。
(※RETROとは本来ラテン語で「後退する」「後戻りする」の意味)

そして医学の世界でも、昔ながらの伝統的な生活様式(食事、運動、居住環境、等)が見直されている。
当然の事ではあるが、健康とは一朝一夕に手に入れられる物では無く、医学に基づく正しい知識と、日頃の心得と生活態度によって保持で出来るのである。
人間は年を取ると、若い時より安静にゆっくりと過ごすのが基本ではあるが、だからと言って横着をし過ぎると、ただでさえ衰えた体の各器官は更に退化してしまう。
そこで最近では老化を予防する為の方法として"Cognicize"(コグニサイズ)と言う運動が奨励されている。
Cognicizeとはラテン語のCOGITARE(考える)と英語のExercize(体操)を組み合わせた造語で、即ち何かを考えながら体操をする事である。
詰まり頭を使いながら体を動かす事で、脳と運動器官の連携を良好にする効果があるからである。
此れは横着による体力の低下や体の麻痺を防ぐだけでなく、ボケ防止にも有効な手立てである。
最近アメリカの Gerontologie(老人医学)の専門医の研究発表によると、規則正しく運動をしている老人の方が、其れをしない老人よりも脳機能の衰えが一段と少ないとの事である。
老人だけでなく、若者でも自分の健康を過信したり、健康管理を疎かにすると、徐々に其の健康は蝕まれ、遂には取り返しの付かない事態に陥ってしまう事にもなり兼ねない。
其の為にも先ず自分の日常生活を医学的見地から観察し、運動不足、栄養の不足又は偏り、ストレスの蓄積、等の問題を自覚し、これ等を少しずつ改善して行く処方を実行する事が大切である。
栄養の効果的な取り方については、同ブログの記事『熱中症予防とダイエット、そして生活習慣病予防の為に』で詳しく書いているので参照されたい。

 

 

運動不足を解決するのに一番良い方法は、何と言ってもスポーツをする事である。
特に余が30年以上続けているウェイトトレーニングは週5日間の運動内容が異なり、此れに依って全身の筋肉を鍛える事が出来る。

同ブログの記事『久しぶりにウェイトトレーニングに復帰した事、及び我が容姿について』及び『真夏の猛暑の中でのウェイトトレーニング、そして健康管理』参照

 

長年に渡るトレーニング及び大学等で学んでいた医学知識の御陰で、脳年齢は4種類のチェックテストを受けた結果は平均25歳であるし、視力も両眼1.5あるし、今でもスリーサイズはB:105、W:68、H:93(cm)、身長:173cm、上腕周り:37cmを維持している。

因みに画家にとって「視力」も「技術」、「個性」、「思想」と並んで最重要条件の一つである。
余は自分の視力を維持する為に、絵を描く時、字を書く時、其の他の作業共に対象物から30cm以上目を離して行う様にしている。
更に外出時には出来るだけ遠景を見渡したり、Chromatik(色彩科学)でも目の健康に良いとされる植物の緑を見る様にしている。
此の経験と医学大学で(特別受講生として)学んだAnatomie(解剖学)の知識を元に、我が母上にも2017年より、手軽に全身を鍛えられる体操をさせている。
しかし其の為の時間も場所も無いと言う人は、日常生活で出来るだけ横着をしない事である。
普段、自動化されている作業でも手で行ったり、自動車に依存せず自転車で走ったり歩いたりするだけでも、多少の運動不足の解消にはなる物である。
そして横着をする事は体力だけでなく、精神力まで減退させる事を認識して、日頃より体を良く動かす事と、一度始めた事は継続する事、又は最後までやり遂げる事を心掛ける必要がある。

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