名建築を歩く「ニコライ堂」(東京都・御茶ノ水) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

東京復活大聖堂教会 ニコライ堂

℡)03‐3295‐6879

 

往訪日:2023年8月5日

所在地:東京都千代田区神田駿河台4‐1‐3

拝観時間:(月曜を除く)

(4月~9月)13:00~16:00

(10月~3月)13:00~15:30

拝観料:一般300円

アクセス:JR御茶ノ水駅から徒歩1分

駐車場:敷地外にTimesあり

■国指定重要文化財(1962年)

■設計:ジョサイア・コンドル

 

《コンドルが残したビザンチン様式の傑作》

※ロシア・ウクライナ問題に触れた箇所があります。飽くまで個人の感想であることを明記しておきます

 

ひつぞうです。マティス展を鑑賞したあと、しつこく御茶ノ水まで戻ってきました。この日最後の目的地はニコライ堂。ロシア工科大のミハイル・シチュールポフが原設計を行い、実施設計をコンドルが手がけた1871(明治4)年完成の名建築です。以下、往訪記です。

 

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明治のお雇い外国人技師ジョサイア・コンドルの名建築として知られる東京復活大聖堂。通称ニコライ堂を訪ねようとした矢先、今回のウクライナ侵攻が始まった。間もなくロシア正教会がプーチン大統領支持の声明を発表。二重のショックをうけた。政教分離は絵空事だったのか。正教に奉じたイタリア語教師のP先生はどのように感じているだろう。そんなことを思い、紅梅坂のビザンチン建築を訪ねることを断念した。

 

 

暫くして、無知からくる自分の誤解に気がついた。確かに日本に正教会を伝えた聖ニコライにその名は由来するが、東京復活大聖堂ハリストス正教会日本の首座主教の教会であり、正教=ロシア正教ではない。

 

「ふむふむ」サル そーだったのね

 

キリスト教の歴史を紐解けば一目瞭然だが、東ローマ帝国まで遡る東方正教会は、ギリシャ、セルビア、ルーマニア、アルメニアなどそれぞれ独立している。つまり日本もそのひとつなのだ。そう判れば話は早い。平和を祈願するために訪ねることにした。

 

 

早朝にジョギングついでに視察したところ、ある貼り紙に眼がとまった。

 

“聖自治日本正教会は、あらゆる暴力行為と破壊に反対します。今般のウクライナにおける紛争の一日も早い解決を切願します”

 

やはり、侵攻直後に(誤解による)抗議が多数寄せられ、信者からも疑問の声が上がったそうだ。過去にも日露戦争、ロシア革命、第二次世界大戦など、折々の政治的危機において、正教会は試練を乗り越えてきた。今もまた、一刻も早い平和の回復を求めるべく“活動”に従事している。そう記されていた。

 

やはり、宗教に罪はない。罪を赦す存在だから。

 

「物見遊山していいのかのー」サル

 

そんな浮ついた考えじゃないって。ではおさらい。

 

★ ★ ★

 

 

聖ニコライ・カサートキン(1836‐1912)。函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日。日本語と日本文化を深く理解し、正教の教義を広めるべく、日本各地に聖堂を建設。聖書、祈祷書の翻訳にも努めた。75歳で永眠。亡骸は谷中墓地に埋葬された。

 

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普段通り、聖堂の門は開いていたが、人の気配は殆どなかった。

 

 

海外の聖堂(例えばノートルダムやウエストミンスターなど)のように観光客の姿があると思ったが。

 

 

「静か~」サル 観光客いないし

 

 

拝観料を払って内部を見学。撮影禁止なので公開できないが、歴史を感じさせる荘厳なドームの中央に金色の祭壇が設えられ、壁には夥しいイコンが飾られていた。燭台から微かに漂う蝋燭と湿った漆喰の匂い。西洋の聖堂ではなく、日本の仏教寺院の匂いを感じた。

 

「椅子がないんだね」サル

 

立って祈るんだ。随分前に正教会のクリスマスミサに呼んでもらったでしょ。

 

「床がめっちゃ冷たかったにゃ」サル 思い出した!

 

 

建設開始は1884(明治17)年3月。7年の工期を挟んで完成した。しかし、関東大震災によって鐘楼がドーム目掛けて倒壊。甚大な被害を受けた。義援金による復興を任されたのが建築家の岡田信一郎だった。

 

「あの大阪市中央公会堂の?」サル

 

そう。前日に見学した博報堂旧本館のね。

 

 

再建は6年掛かりだったそうだ。かつての写真と比較すると尖塔がひと回り小ぶりになり、デザインも大幅に様変わりしている。また四方屋根はマンサード式に、ドームの出窓も嵌め込みに変更されている。

 

 

正教の十字架は八端十字と呼ばれる。罪状を記す短い横棒と磔刑の足台の斜め棒が特徴。

 

「ちょっと普段目にする十字架と違うにゃ」サル

 

ローマカトリックやプロテスタントね。キリスト教の流れのなかでは正教会が一番古い。カトリックの教えが広まるのは11世紀(1054年)だし。

 

 

聖ニコライ小聖堂(納骨堂)

 

ということで厳粛に礼拝させて頂いた。建築見学の客は三組ほど。静かすぎるほど静かだった。

 

 

売店と信徒会館。

 

かつては広大な敷地を誇っていたが、戦後、所有地問題で一部を売却。現在の規模になったそうだ。

 

 

旧ニコライ学院(付属図書館)

 

1895年竣工。震災後1929年に一部改修。煉瓦造り。

 

どれをとっても素晴らしい。

 

 

短い時間だったが、名建築を鑑賞しながら、何気ない日常こそ平和なのだという思いを新たにした。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。