名建築を歩く「大阪市中央公会堂」(大阪市・中之島) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ21

大阪市中央公会堂

℡)06-6208-2002

 

往訪日:2023年7月6日

所在地:大阪市北区中之島1-1-17

開館時間:9:30~21:30

見学時間:10:00~10:30、11:00~11:30(2回/日)

見学料:ベーシックコース500円(事前予約制)

見学者数:約30名/回

アクセス:御堂筋線・淀屋橋駅(1番出口)から徒歩約3分

■設計:岡田信一郎

■国重要文化財(2002年)

 

《中之島に咲くネオルネサンスの華》

 

ひつぞうです。今月の初めに大阪市中央公会堂を見学しました。パリのセーヌ河畔を模範とし、水都・大阪を印象づける中之島。そのシンボルともいえる建物です。以下、名建築街歩きです。

 

★ ★ ★

 

かつて北浜の風雲児と呼ばれた大物相場師がいた。名を岩本栄之助という。1909(明治42)年に渋沢栄一を団長とする渡米実業団に加わった32歳の栄之助は、当時“二流国”だったアメリカのロックフェラーの慈善事業を知るに及び、“富める者は財産を市民に寄附すべし”という思いを強くし、大阪市に百万円を寄附した。現在の貨幣価値にして50億円(!)。個人が50億円である。もちろん分割などケチなことは言わない。こうして大阪市中央公会堂のプロジェクトが立ち上がった。

 

「おサルにも5万円でいいから恵んでおくり」サル 頼むよヒツよ

 

おごってるでしょ。ごはん。

 

 

どの季節に訪れても、淀屋橋から眺める中之島の景色は美しい。

 

 

日銀大阪支店を訪れた頃は新緑だった遊歩道も今は青葉が繁り、蝉しぐれが降りそそぐのも間近と思われる、そんな季節になっていた。

 

 

見学は予約制。ガイドツアーのみのベーシックコース(500円)と、地階レストランでのランチ付きコース(2,500円)がある。殆どの客はランチつき。それも愉しそうだが、この後も予定があるので見学のみにした。

 

「時間あるんじゃないのち?」サル

 

だめだめ。押せ押せになるんだから。

 

 

見学の15分前から地階の案内所で受付を開始する。余裕をもって出かけよう。

 

 

張り切って写真を撮りまくっていたが、ここは側面だった…。なので正面の写真がない。

 

「内部が見学できればいいんじゃね?」サル 外はいつでも見られるし

 

 

公会堂のデザインは設計コンペで募られた。みごと一等賞を射止めたのは岡田信一郎(1883-1932)。明治生命館鳩山一郎邸琵琶湖ホテルなどを設計した名建築家だ。

 

「明治生命館は静嘉堂文庫美術館が入っている所だにゃ」サル

 

そうそう。

 

コンペ採用当時29歳というから天才はやることが違う。ただし、近年は取り壊しが進み、手掛けた作品も少なくなってきている。そういう意味でも公会堂は貴重なんだよ。(なお実施設計は辰野金吾と片岡安が担当している)

 

 

ヨーロッパ古典主義からモダニズム、そして、和風建築と器用にこなしたが、逆に言えば設計思想にまとまりがないという批判的評価もある。いずれにしても名建築であることは間違いない。

 

教え子には数寄屋造りの天才、吉田五十八、和洋の美の統合に新境地を拓いた吉村順三がいる。岡田のなんでもやっちゃう精神を受け注いでいるかもね。それともうひとつ。岡田の妻は当時“酒は正宗、芸者は萬龍”と謳われ、日本一の名妓と褒めそやされた赤坂・春本萬龍である。

 

「建築と関係ないけど」サル 脱線するにゃいつも

 

岡田の一高時代の親友で小説家の恒川陽一郎と熱愛のあげく結婚したのに、その恒川が急逝。萬龍は岡田と再婚した。もとより控え目で才女だった萬龍は、建築家の夫を支えて79歳まで生きたそうだ。

 

 

僕らは11時からのコマ。10時のツアー客がちょうど戻ってきた。手続きを終えると地下1階で待つように指示される。結構な人気ぶりだ。50代以上が圧倒的多数だけど。

 

 

漆喰を剥がしたところに、かつての遺構を観ることができる。

 

 

日本銀行大阪支店で観たように、階段はスチール製の中空式だ。その脇に立つ一本の棒は、地盤強化と基礎を兼ねた松杭。打たれた数は4000本!2002年に竣工した耐震工事の際に抜き出された。松は腐りにくいからね。

 

ようやく見学開始になったので案内役のスタッフについていくことに。

 

 

=展示室=

 

 

ここで岩本栄之助ゆかりの品や、公会堂のデザイン原案、そして、耐震工事の際に撤去された往時の部材を見学できる。

 

「他にも市内の名建築案内もあるでー」サル

 

建築に興味のある方は必見だ。

 

 

建物は1913(大正2)年に着工。5年がかりで完成した。

 

ところがである。

 

 

その間に勃発した第一次世界大戦の余波で株式市場は異常高騰。読みが外れた栄之助は巨額の損失を被ってしまう。気の毒がった周囲の人間は、寄付金を返してもらえと口添えするが、許が気風の良さで知られた風雲児。一度差し出したものがもらえるかと断固拒否。自決してしまった。公会堂の完成をみることなく。

 

「さすがナニワの男」サル

 

傍らには辞世の句が残され、“株式投機は自分の代だけにして、子孫は一切手を出してはならない”と戒めの言葉がしたためられていたそうだ。

 

いよいよ三階へ!

 

=特別室=
 

往時の姿をとどめる部屋は《特別室》《大・中・小集会室》がある。残念ながら一般公開は《特別室》のみ。コンサートや講演会に参加すれば後者の内部も観ることができる。もともとそのための施設だしね。

 

 

おお!素晴らしい!特別室だけでも十分かも。創建当初は貴賓室だったんだって。

 

 

東の正門ファザードのアーチ窓がこれだ。

 

 

上部には向かい合う鳳凰と、中央の太陽を模したような円。そして、その四隅には大阪市の市章でもある澪標がデザインされている。ステンドグラスは世紀末ウィーンで流行したセセッション式

 

そしてトンボの眼玉のようなガラスに注目しよう。

 

 

「あれ!外の景色が逆さま!」サル

 

そう。これ凸レンズになっているんだよ。遊び心が詰まっているでしょ。

 

 

見事な和洋折衷だね。

 

赤坂迎賓館にどことなく似ているにゃ」サル

 

 

髭をしごくスサノオノミコト。髭が杉の木になってそれを材料に船を造るという故事を描いている。

 

 

天井画を描いたのは松岡壽(まつおか・ひさし)。お雇い外人フォンタネージの教え子、つまり《裸婦》で有名な山本芳翠浅井忠五姓田義松と同門だ。イザナミとイザナギによる天地開闢の神話がモチーフになっている。

 

 

天津神天の瓊矛(あめのぬぼこ)を二人の国造りの神に差し出す場面だ。

 

 

どの角度を取っても絵になる。ちなみに30名のツアー客がワラワラ広がるので、ツアー終了後に、ひと言断って無人の室内を撮影している。でもスタッフも後片付けがあるので、それを旨く避けながらパパっと撮った。

 

 

アーチ状の壁画は《民の竈》の逸話を描いている。中央は仁徳天皇。そう、あの仁徳天皇陵の天皇様である。

 

「どーいうお話なのち?」サル

 

ある日、小高い丘に立った天皇様は、集落から夕餉時の竈の煙りが昇っていないことに気づく。従者に訊けば、飢饉で満足な暮らしができなくなっているという。そこで天皇様は即決。うむ。租税の徴収をやめよ。民草の生活が安定するまでは。そう宣ったそうだ。善政の譬えとして伝わっているそうな。

 

 

こちらは南面。

 

 

フトダマノミコトを中心に手工業に励むわれらが祖先の図。

 

 

「カーテンのレースも綺麗だにゃー」サル

 

それレプリカだけどね。

 

「…」サル 人がせっかく感動してるのに

 

 

このカーテンの図柄を四騎獅子狩文錦というそうだ。あと床を観て。

 

「また水を差すのち?」サル

 

いやいや。

 

 

ほら。海生生物の化石だよ。観察するとあっちこっちに化石がある。でもこのタイル、なんか不思議に感じない?

 

「化石のガラが繋がっているにゃ」サル

 

正解!これ、一枚の化粧岩なんだよ。そこに縦横二本の目地を入れて九枚に見せているんだって。

 

 

これは巨大な牡蠣の仲間の化石(断面)だ。

 

 

この支柱も大理石。

 

「三種類?」サル

 

実は白い部分はニセもの。偽大理石だ。触ると判る。

 

「ほんとだ。温度が違う」サル

 

比熱が違うから本物ほど冷たくないんだよね。

 

 

扉の模様は色目の違う材質を嵌め込んだ木工象嵌だ。

 

 

よく見ると経年劣化で少し浮いているのが判る。

 

 

近年の修復で金メッキも鮮やかに。

 

 

支柱はコリント式。

 

 

最後に全体を。あっという間の30分だった。ガイド終了後に机上のアンケートに答えて終わりだ。

 

 

帰りは階段で。

 

 

お約束のフラクタル模様。

 

 

高欄のデザインも秀逸。

 

 

もうこんな職人技できないよね。

 

 

二階の大集会室。公会堂の利用できる部屋は全部で16室あるそうだ。

 

 

そして一階の大ホール。

 

 

“神は細部に宿る”だね。

 

「そればっかり」サル

 

 

降りてきた。おサルはたまたまスタッフが出てくる隙に、大ホールの内部を観ることができたんだって。

 

「豪華絢爛だった!」サル

 

どれどれ。僕も覗いて…と扉に眼を寄せようとした瞬間、スタッフの女性が飛び出してきた。危うくオデコをぶつける処だった。皆さん、キケンなので絶対にやめましょう。

 

「ヒツだけだよ」サル んなことするの

 

 

いやー。わずか30分だったけど愉しかったよ。

 

 

実は公会堂だけではなくて、正面のウォーターフロントにも素晴らしいものがあるんだよ。

 

 

これこれ。

 

「また、ヌー道?」サル 好きやねー、キミも

 

それはみうらじゅん先生の専売特許だから。

 

 

これは本郷新(ほんごう・しん)の《緑の賛歌》(1972年)という作品なんだよ。

 

本郷先生は(先日鑑賞した)佐藤忠良たちが立ち上げた新制作派協会・彫刻部の一人なんだ。でもチュウリョウ先生の爽やかな作風と違って、成熟した肉体の造形には豊饒のイメージがあるね。

 

 

それでいて写実一辺倒ではない。自由でありながら抑制された均衡美がある。出身地・北海道では本郷作品のパブリックアートも多いけれど、大阪では珍しい。見あげた時にどのようなポーズが一番美しいか。苦心の後が読み取れる名作だった。

 

「すばらしいおケツだにゃ」サル 張りが見事ばい

 

 

かつてはヘレン・ケラーアインシュタインも講演した大阪市中央公会堂。かなりの見応えだった。これにて中之島の名建築もほぼ踏破。次の予定まで時間があるので、梅田でワインを飲んで時間を潰すことにした。

 

「レストラン行けたじゃん!」サル 見学オンリーってウチだけだよ!

 

(つづく)

 

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