国宝「迎賓館赤坂離宮」をツアー見学してみる(東京都) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ5

迎賓館赤坂離宮

℡)03-3478-1111

 

往訪日:2022年2月5日

所在地:東京都港区元赤坂2-1-1

開館時間:10時~17時(受付16時30分)

※完全予約制です

入館料:1500円+ガイド料

アクセス:JR四ツ谷駅より徒歩8分

■設計:片山東熊

■施工:?

■竣工:1909年

 

≪東洋人畢生のプチ欧州ここにあり≫

(写真の幾つかをネットより拝借しました。お許しください)

 

ひつぞうです。先週末は迎賓館の見学ツアーに参加しました。こんな状況なので中止だろうとほぼ諦めていたのですが決行するとのこと。もともと人数を絞っているらしいです。ならばということで丸の内線・赤坂見附駅で降りて、集合場所の東京ガーデンテラスに向かいました。以下ひさびさのサルヒツ街歩きです。

 

★ ★ ★

 

(午前11時頃。最高の天気だった)

 

その後、ホテルニューオオタニのレストランでランチ。取るに足らない料理だったので割愛。どうもこういうお仕着せの料理は好きになれない。ま、ツアーなので仕方ないけれど。食後に西門まで徒歩で移動。はとバスツアーみたい。

 

「おサルお薦めのツアー、不本意なのち?」サル

 

いやいや。迎賓館は見たいのよ。

 

今回はおサルたっての希望だった。僕は一度観ている。42年前に。ただ外からだったし、まだ子供だった。残念ながら正門は現在修復中。なのでここからの豪華な外観はそもそも観ることができない。

 

★ ★ ★

 

平成の大改修(平成18年~20年)を経て、2016年(平成28年)から通年公開になった。それまでは期間限定だった。また、改修直後の2009年には国宝に指定。国賓招待の施設でもあり、セキュリティチェックは厳重。ペットボトルは持ち込み可能だが、ひと口飲むことを要求される。毒物や爆発物でないことを証明するためだ。

 

(明治期以降の建築物での国宝指定は初。正門、本館、衛舎、噴水がその対象)

 

他にも刃渡り6㌢以上の刃物は厳禁。以前意図せず果物ナイフをバッグに入れてしまったお客がいたそうだ。立派な銃刀法違反なので係員には通報の義務がある。そのお客、やめときゃいいのにお巡りさん相手にちょっと揉めたらしい。当然、署まで連行された。ガイドさんはお客のその後を知らない。まるで映画『ミッドナイトエクスプレス』。怖いね。

 

「トルコ政府に無実の罪で投獄される話にゃ」サル

 

空港並み、いやそれ以上に厳重なチェックを受けたあと、グループに分かれて見学開始。もちろん内部は撮影禁止。その代わりに大層立派な冊子をくれる。許可された部屋以外は覗くこともできない。秘密の抜け穴があるかも、と好奇心を擽られるが、絶えず厳しい監視に曝されている。迂闊な真似はできない。カーペットから踏み出すな、壁に触るなと厳しく注意される。駄目だしのオンパレード。というのも漆喰は皮脂や二酸化炭素に弱いからだ。同じ国宝でもこれが日光東照宮ならば、内部はほぼ土産物屋と化してしまうのだが。

 

「ディスっているのと?」サル

 

いえいえ。権現様には逆らえません(笑)。では順序に従って見学。

 

=正面玄関・大ホール=

 

 

正面玄関から二階ホールに繋がる緋毛氈の階段。その両脇には浮き彫りに金鍍金を施した白堊の漆喰が壁をなしていた。床はイタリア産ビアンコ・カッラーラ。トスカーナ州の地中海沿岸の都市Carraraで産出する大理石である。現地にいけば、もう山という山が掘りまくられている異様な光景を眼にすることができる。伊吹山武甲山など可愛いものだ。因みに市松模様をなす黒い石は石巻産の玄昌(げんしょう)石。伊達藩禁制の高級硯の原石を惜しみなく使っている。

 

そもそも迎賓館は紀州徳川家の江戸中屋敷が天皇家に献上され、明治天皇が皇太子(のちの大正天皇)のために東宮御所として建設を命じたのが始まり。明治42(1909)年の竣功までに要した歳月10年。できあがった建物をご覧になった明治天皇は「うむ。贅澤すぎる」と言われたそうだ。

 

「うむ。サルもそう思う」サル

 

=花鳥の間=

 

建設総指揮はお抱え外人技師コンドルの弟子、片山東熊(かたやま とうくま)。東京駅の設計者辰野金吾と同期。凄い顔ぶれだ。次なる花鳥の間ネオバロック風ながら、随所に和のテイストが鏤められている(これは迎賓館全体にいえる)。

 

 

壁には鏡大の七宝焼が30枚飾られている。鑑定によれば1枚数千万の値がつくそうだ。ここで「おお~っ!」と驚けばガイド冥利に尽きるのだろうが、生憎そういうお追従ができる性質ではない。

 

(「美味そう」。そう思って宮廷の人びとは眺めていたのだろうか。)

 

「なんかワンコの絵があるにゃ」サル

 

因みに背面には狩猟の場面が描かれている。こうした装飾を16世紀のフランス宮廷で流行った《アンリ2世様式》というそうな。泰平な時代の欧州貴族は午前中にはビーグル犬の群れを連れて狩りに出て、獲物を晩餐の食材にするのが習わしだった。毎日ジビエにワインか。そりゃ太るわな(笑)。壁材には高級木材のシオジが使用されている。西上州のマムシ岳で見た樹木だよ。

 

「知らんにゃ」サル

 

行ったじゃん。ついこの間。

 

=彩鸞の間=

 

 

和テイストの花鳥の間と較べると明らかに洋風。(らん)とは中国の伝説上の鳥らしい。レリーフがデンと見おろしている。

 

これね。

 

 

「孔雀なんじゃないのち?」サル

 

いやいや有難い鳥なのだ。きっと。ピカピカだし。

 

 

こうした武具甲冑のたぐいが西洋の刀剣や兜、ライオン、スフィンクスと一緒に並んでいる。それがもうむちゃくちゃ繊細緻密。因みにここは18世紀の《アンピール様式》。アンピールEmpireとは英語読みすればエンパイア。《帝国》つまり皇帝ナポレオンの時代である。この部屋はナポレオンのエジプト遠征がモチーフになっているそうだ。

 

=朝日の間=

 

(見学時の絨毯は半分ロール巻きになっている)

 

この朝日の間は2019年4月にリニューアル公開された。なのでまだ日が浅い。2年あまりの修復の結果、絵画、彫金、織物のすべてが美しく甦っている。意匠は《ルイ16世様式》。(曲線などに)ややバロック調の残る端正な装飾。未修復部分があるので、比較すると漆喰や金の鮮やかさが判る。

 

「じゅうたん綺麗にゃ♪」サル


とりわけ美しいのは菫色の緞通(厳密には絨毯ではない)。天井の女神の手から桜が散るという物語が投影されている。すべて手織り。おカネでは計れないそうだ。そのせいか、いや、間違いなくそれが理由だろう、見学時は半分捲って我々しもじもが土足で踏まないように講じられていた。

 

「国賓が来たときとか絨毯どうなるのかにゃ?」サル

 

雨降りの日もあるよね。まさか靴を脱いでって言えないしね。前アメリカ大統領だったら駄々捏ねるよね。

 

内閣府の皆さんは大変なのだ。

 

(修復前の天井画。筋状のしみがついているのが確認できる)

 

(修復後)

 

因みにテンペラではなくて、板材にキャンバス地の絵が貼られている。そのため、板の隙間からの湿気でどうしても縞状の汚れや亀裂が生じてしまうらしい。100年以上前にフランスの工房で製作された作品の顔料や傷み具合など仔細に調査して、25箇月かけて修復したそうだ。国宝だからね。

 

=羽衣の間=

 

ということでいよいよ最後。謡曲「羽衣」つまり天の羽衣伝説が天井画として描かれている。

 

(こちらの天井画は未修復。全体的にくすんでいる)

 

当初舞踏会の会場として設計された。だが、一度として使われた記録はない。大正天皇も御所として使われることはなく、昭和天皇が皇太子時代に僅か5年11か月の間住まわれただけ。そのまま戦後を迎えてしまった。三基の巨大シャンデリアはバカラ製。重量はそれぞれ1㌧を超える。それが関東大震災でもビクともしなかったというから堅牢ぶりが伺える。

 

こちらの間は未修復。修復するとなれば再び数年間(では済まないかもとガイドさんは言っていた)は陽の目を見ることはないだろう。

 

(ガイドツアーは二時間弱で終った。出たところで解散。)

 

そんな素晴らしい東宮御所(赤坂離宮)も戦後は国家資産となるのだが、あまりの絢爛ぶりが持て余されて、国立国会図書館、内閣法制局、弾劾裁判所など、国の施設として盥回しにされた時期もあった。国情が落ち着いた1968年。ようやく迎賓館として改修される機運が高まった。

 

 

完成は1974年。中学生になったばかりの僕が訪れたのはその6年後のことだ。遊園地のように煌びやかで、銀座の建物(和光をイメージしたのだろう)みたいだなと、田舎者の癖にイッチョ前に思ったのはあながち見当違いでもなかった。

 

 

残念ながら建物を出た頃には、秩父の山を越えてきた冬の冷たい空気に覆われて、白くぼやけた太陽が白夜のように霞んでいた。それでもやはり街歩きは愉しかった。少し山に倦み始めている僕には新鮮な一日だった。

 

「ほらにゃ。サルの企画に間違いはないにゃ!」サル

 

この日はおとなしく帰ることにした。無闇に寒い。

 

(おわり)

 

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