名建築シリーズ27
博報堂旧本館(テラススクエア)
往訪日:2023年8月4日
所在地:東京都千代田区神田錦町3‐22
開館時間:店舗の営業に準じる
アクセス:都営地下鉄・神保町駅から徒歩2分
駐車場:なし
■設計(旧館):岡田信一郎
※外観のみテラススクエアの一部として再現
《戦争から生き延びても》
ひつぞうです。学士会館投宿の折に近くのテラススクエアを見学しました。かつて同じ場所に岡田信一郎が設定を手掛けたロマネスク風の博報堂本館ビルがありましたが、近隣地権者とともに再開発を決定。2010年に取り壊され、2015年4月30日にテラススクエアとして生まれ変わりました。もちろん旧ビルとは別物ですが、大阪市中央公会堂や明治生命館との違いなどを観てみました。以下、往訪記です。
★ ★ ★
ということで徒歩5分もかからずに到着。まずは博報堂旧本館を象ったファザードを拝見する。元の設計者は岡田信一郎。岡田作品は無くなる一方だ。
「仕方ないんじゃね」 公共建築じゃないし
建物の存続も企業の業績あっての代物だし、名建築だからって部外者が再開発反対を唱えることなどできない。それは理解している。
1895(明治28)年に富山出身の瀬木博尚(1852-1939)が教育雑誌の広告代理店を日本橋に開業。ここに博報堂の歴史は始まった。現在の神田錦町に本社ビルが完成したのは1930(昭和5)年のことだ。
JPタワー(旧東京中央郵便局)。ダイビル本館。九段会館テラス。一部再現と引き換えに、取り壊しの憂き目にあった名建築は数知れず。確かに“開発”は完成の瞬間から建築そのものに運命づけられた未来であり、折衷的な保存はむしろデベロッパーの良心ともいえる。だが、判っていても、出来のいい剥製を観ているようで「建築は数ある美の結晶のなかでも、残酷な宿命を背負った創造物である」という切ない想いに駆られてしまう。
「しゃーないよ」 サルは超現実派
そんなことを思いながら、シミジミ見学させてもらった。
さて肝心の意匠について。
岡田は生前、和洋両面において「古典に学びつつも最新の建築デザインを模索すべし」と自説を標榜した。だが、ロマネスク風もあればネオ・ルネサンス風もありと、仕事ぶりはやや収斂性に欠けた。そのため、節操がなく何でもありだという批判もある。しかし、この限られたスペースに、智慧の象徴たる広告会社の意匠を求めるとすれば、やはり尖塔頂く古典主義的なデザインになるのではないだろうか。
「日和見だね」 もっと斬新な見解はないの?
見る角度によってはフェイク感いっぱい。張りぼてのようで痛々しい。
この日は金曜日で観光客の姿は皆無だった。
建物はともかくパブリックスペースは落ち着いた空間で大層よかった。
「めっちゃ蚊に食われたけど」
新島襄って幼名は七五三太っていうんだね。
「なんか彫刻があるにゃ」
おー!これこれ。
長澤英俊(1940-2018)《三つの立方体-ダナエの泉》2015年
長らくミラノで活躍した抽象彫刻作家・長澤英俊さんの作品だよ。この展示を見届けた三年後に亡くなった。ミニマルアートの手法を用いた大型作品で、使われているのはイタリア産のビアンコ・カッラーラ。赤坂迎賓館と同じ大理石だ。
「四角の立方体が三つ知恵の輪にみたいになってゆ」
作品は長澤さんが提示した観る者への《問い》だよ。若い頃にユーラシアを横断したスケールの大きなアーティストで、常に芸術、旅、哲学をひとつのものとして捉えた。ニューアカ世代の間でノマドって思考が流行したけれど、その具現者だったなあ。
「答えは出たのち」?
簡単に出たら旅は終わっちゃうじゃん。
折角なのでテラススクエアのロビーも鑑賞。流れる大河のような素焼き煉瓦の壁。設計は日建設計だ。
空間を残しながら色調の異なる煉瓦を積む。こうすることで材質の重たさを軽減して軽やかな流れを演出しているのだろう。
僕が好きな駿河台から神保町にかけての界隈。戦災を免れてレトロモダンな名建築が点在する。しかし、開発はいつの時代も繰り返される。いずれテラススクエアも取り壊しを惜しまれる“名建築”と呼ばれる日が来るかもしれない。学士会館をチェックアウトしたのち、二日目はもう一箇所寄り道して帰った。
「何回来とんじゃ」 相変わらず土地感ないけど ケケ
(おわり)
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